家族のいない俺たち、死ぬ直前に何を思うんだろうな?死期を悟った爺さんの逸話が話題 [628273678]
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老人ホームで夜勤中に
『会いにきてくれてありがとう』
『〇〇くん、世話になったね』
90代の利用者さんのお部屋から
そうハッキリ聞こえてきた時に
(こんな夜中にナニゴト?)
そう思って居室をのぞいてみると
ベッドの上で、おじいさんが
自分の他は誰もいない部屋で
間違いなく
『会いに来てくれありがとう』
『〇〇くん お世話になったね』
と言われていました。
もう100に近いと言っても
日ごろは、まだ冗談も言えて
シッカリした方がどうして?
そう思って「どうしたんですか」
「なにがあったんですか?」
そう聞いてみると
『 実は、今度の面会の練習だ』
そう言って 教えてくれました。
「どうして急に?」
「こんな夜中に」
「それに面会まで2週間もあるのに」
と私がいうと 『私はずっと、働きすぎでね』
『家族に自分の気持ちは、これっぽっちも言ってこなかったんだよ』
『でも、ここらへんで言っといた方がいいと思って』
そう打ち明けてくださいました。
『バッカだね、人目を気にして
照れくさくて
この歳まで言えないなんてさぁ』
そう言われたのに
「そんなことありませんよ」
と介護士の私は言えずに
不覚にも泣いてしまいました。
なぜなら、亡くなる直前に
こんなことを言い出す方が
多いこと知っています。
介護の仕事をしてきて
たくさんの利用者さんを
みてきて
私たちの仕事には必ずゴールが
あります。お別れのときです
でもその直前、不思議と
思いたったように
「家族と連絡をとってほしい」
「〇〇に行きたい」
「〇〇を食べたい」
と最後の、のぞみをあきらめずに
口にされるのです。
私は (ひょっとしたら
この方とお別れが近いのかも
しれない)と思って
泣いてしまいました。
泣いている私を見て
おじいさんは
『こずえちゃん 見届けてくれる?』
とお願いされました。
(まいったな、、)そう思いながら 「分かりました」と返事をして
しまいました。
(あ〜また泣くんだろうな)
(アイラインして行くのやめよう)
と思いながら
当日を迎えて、面会にきてくれた
息子さんに、私がお茶を持って
いくと
( 見ててね)と目線で合図される
のが分かりました。
『〇〇くん、今日は
会いにきてくれてありがとう』
勇気を出して、そう言われました
でも、いつもと違う
お父さんの様子に息子さんの方は
「ど、どうしちゃったのよぉ」
「お父さんらしくない」
そう言われて、照れくさくそうです。 それでもおじいさんは
『いつも会いにきてくれてうれしい』
『本当にありがとう』と
2度、3度、、くり返し、くり返し
話しかけられました。
今度は息子さんが私の方に
「これは…どうしたんですか?」
と言った様子で視線を送られました。
私は何も言わずに、息子さんに
だまって何度か、うなずきました。
するとすべてを
察してくださったのか
息子さんはお父さんの手を
とって言葉をしっかり
聞いてくださいました。
面会が終わって、息子さんが
帰る後ろすがたを、いつまでも
しっかりと目に焼きつけるように
見送っておられた利用者さん。
面会が終わって、車椅子を押して
利用者さんのお部屋に
お連れすると
親指を立てて、右手で︎︎👍のサインを
してくださいました。
顔をクシャクシャにして
本当にうれしそうに。
私からは「本当に良かった」の
拍手を贈りました。
でもそれが、本当に
最後の面会になりました。 実の息子にくん付け?90歳なら息子70歳とかだろ
嘘松以前に文章が下手くそ過ぎる これが創作実話でないとしたらだが、昔は、というか今だってこういう話は自分の胸に秘めておくか個人的に友人知人との会話で話してそこで終わるべきものなんだよね
今はTwitter(Xとか言いたくない。ファッキューイーロン)とかでバズって拡散されてあっという間に消費されてしまう。固有の物語としてのオーラがあっという間に蒸発する そう予想して本当に死んだら、話が非現実的になるだろ
単に感謝を伝えて、その後死にました、ってだけでいいのに 途中官能小説の導入っぽく感じるのは何でなんだろうな 考えさせられる話やん。ええと思う。人間誰でも死ぬんやからな 死ぬ間際なんてあっという間に死んじまうから
振り返るヒマなんて特にないと思うぞ
まぁ、金バエみたいな病気で死ぬ場合は別だが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています