話は変わるが日本が「これ完全に島やんけ」って最初に気付いた日本人って誰なんだろうな [集会所] [511393199]
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お前ら国産み伝説知らないのか
古事記の頃にはもう発覚してたよ 話は変わるが千鳥の大吾が島出身ってアピールするたびにいや日本人は殆どが島出身なんだけどって思う 古代では八洲国(やしまのくに)って言われてたんだし、島が集まってるってことは知ってたと思うぞ で、それを知れたとしてどうすんの?
はあ、、ケンモジさあ。知的風味な質問しても馬鹿ってバレるときはバレるんだぞ 嶋←こっちには鳥がいるのに
島←こっちにはいない
こういうところにヒントがあるんだぞ
>>13
それは違う
海洋民は薄々気付いていたのかも知れない トンボに似てるから秋津島なんていうくらいだから渡来当初から島の形を把握してるぞ どっかの朝鮮人だろ
日本人(縄文人)じゃそんなこと気付けないだろうしな どちらかというと、海の向こうに大国があるって気付いたんじゃないかと 19世紀まで日本人は北海道のことすらよくわかってなかったんだぞ
大陸を知らないと島だというのとにも気付けないから
かなり高度な能力がいるよね
一般の人が自分が住んでいる所が島だと知覚出来たのって世界地図以降じゃないのか 人間ってよく山や谷越えて移動してたもんだよな
で手分けして落ち合って情報交換するじゃん
そんでここ大体島だわーとか細長いっぽいわーとか共通認識持ってんのな
猿はそこまでせんだろ?
渡り鳥くらいはやってそうかそこまで ジャップは毎日ドングリ拾ってイノシシ追いかけて楽しくやってたから、そんなのどうでもよかったろ
ここ島なんやでって教えてくれたのは渡来人だろうな 古事記でも、日本は最初は海月が海を漂うようだった、と書いてるから、
かなり昔から島って認識があったように思う もともとはシマって言葉が島を指すのではなく
国とか地域的なまとまりを示す言葉だったんだろうか
でも百済武寧王が島で生まれたから名前がシマっていうから
6世紀には島を指してたんだろうけど 平安時代の地図とか東北がいい加減に描かれてたからなぁ
本州の北端がウラジオストク辺りにくっついている巨大な半島で
日本海は只の入江だった
という可能性もあったわけだ イザナギとイザナミの話を見る限りだいぶ前からだろうな 地球もさ パックマンみたいに 端っこに行くと ワープして 逆側が出てくるだけで 別に 球じゃないかもしれない。 >>27
みんな解ってないだろ
質問形式のスレタイだと条件反射で考えてしまうだけだぞ 昔から渡来人がいたから、大陸があることは認識してたと思う
そうなると卑弥呼の時代からか?
戦国時代には大陸以外に南蛮という概念もあったし >>31
星だってわかって周長が 4万6千キロだって測ったのが
紀元前3世紀、アレキサンドリアのエラトステネス 奈良から陸路でも二ヶ月あれば青森まで行けるし古代から東北の蝦夷と交易はあったみたいだから正確な地図はなくても島であることは知ってたんだろう >>40
ガチに古代は中国はそう思ってたらしい
本州とサハリンは繋がってる地図多い そもそもどこからどこまでを日本とするかも時代で違うし 縄文早期にはヒョウタン、大麻、小豆、等の外来植物や、漆器の伝播があり、大陸と日本列島間に交流が有りそうだから、この頃には島だって分かってるだろう 海岸と山陵の近接とか、海外から来た人が見たら勘で「島っぽいな」と感じただろうな 石器時代に北海道から朝鮮半島辺りまで日本海側に交易ルートがあった
その前の話か? 初めて地球儀を見た日本人はわーくに島なのに大きすぎと驚いたのだろうか
やっぱ中国大陸と比べて小さな島過ぎて嘆いただろうな スレタイの解釈がいろいろできてむずいわ。
”日本列島の全容を把握した”とするなら伊能忠敬じゃねーの。 日本に記紀よりまともな史書がないのと、中国の史料や伝承から勝手に推察すると、
倭人は大昔は、中国の江蘇省沿岸からあるいは九州沿岸まで進出していた海洋民族だったんじゃないかと思うね
縄文人が関東中心に栄えていた頃に、江蘇省から九州近辺まで、多分主に漁業目的で進出していた
その後、呉が越に滅ぼされる時に、または越が楚に滅ぼされる時に、難民と一緒に九州に移り住んだ かなり昔から知ってそうではあるが
気づいたとなったら難しいな
交易が盛んになった平安時代前には既にいるだろうし
縄文人。 >>36
そもそも大陸から渡ってきた人間が大半では?
地続きだったのマンモス狩ってた時代の話やろ >>47
これがあったか
国産みの話で完全に島だもんな
>>63
自分が大陸だと思っていたものが実は島だったのだ
と気づけた瞬間を描いたそんな藝術を見たい
エピファニーだよね >>1
大陸ゆうても海に囲まれてるから島みたいなものもやろ🥺 ヤマト王権の列島支配ってイメージ湧きづらいんだよな
たった数百万人がこの細長い列島に分布してて交通網も貧弱なら何をどう支配してたのかっていう >>67
地続き立った頃にやってきた原始人が縄文人で、紀元前5世紀頃以降に中国から直接やってきたのが渡来人1号だと思うね >>72
豪族の連合体だろ要するに緩やかな連邦国家
神聖ローマ帝国に近かったんじゃないか >>51
徐福見るに始皇帝の時代にはもう来てるだろ 倭人は海洋民族だったのであれば、島国だったことは分かると思うよね
んで九州の在地縄文人とも交わりだして、倭人と一緒に来ていた呉か越の難民が農耕技術を元に縄文人も取り込んでいって弥生文化が始まった
と考えると日本における弥生文化のスムーズな受容と、中国の記録や伝承とも合致する 古代人だって馬鹿じゃないから気づいてたんじゃね?
むしろ島じゃない大きな土地があるってのを知らなさそう 中国から見たら海の先にでかめの島があるとかわからんのに舟を出す
まあ難破してたどり着いてまた大陸に帰ったりできたのかもしれん
そしたら日本から太平洋に向けて舟を出して帰れなかったやつは多かったろうな
昔の人間はよく死にながらでも探索したもんだなあ いや話しかえんなよ
女装オナニーの話は尽きねえんだ
>>69
それは「お釈迦様の手のひら」といった絶望ではなく自分の世界の外にまた世界があり広がっているという事に気づけた希望の物語になるだろう
そういう物語を俺は所望している サンカとか行者とかああいう放浪した人らは知ってた感じするな >>84
似てないよね
大陸の方の戦国時代に蓬莱島を目指した人達がいて漂着した一つが倭の国だったらしい
島だと思い込んでたら本当に島だったとか 昔の方が移動大変に思うけど、国境ガバガバだからどこでも自由に行き放題なンだよな 縄文人も朝鮮半島と交易のために行き来はしてたみたいだからな
本州の集落から出発したとして、まず関門海峡にいきわたる
他に陸路ルートないかなって探してもあるわけないし、四国に船でわたって西に進んでも愛媛の佐多岬までしか行けない
仕方ないから九州で船で渡っても、それから先朝鮮半島までは船でしか行けないと知る
このとき、あー島だわって分かると思うね 北海道が分かってない時代の地図
www.scmp.com/sites/default/files/2014/01/24/5389faf74149980043ed1e03fab51340.j-p-g もっと古い地図
i.pinimg.com/originals/ce/e9/fa/cee9fa97e2301ade15b8d47b2b98ff50.j-p-g むしろ大陸の存在を知らず全ては島だと思ってた方だろ
日本神話も島が出来るところからだし >>84
具体的にはトンボの交尾に似てるって言ったわけで
トンボの交尾に似てるかといわれるとそれもわからんが 縄文時代から沖縄~北海道まで組織的交易範囲だったはずだが 陸があればとりあえずその先に進んで見ようとするでしょ
なら正確な地形はわからないにしろ四方を海に囲まれてるって事にはそう遠からず気づくんでないかい あと多分舟で回った人も多いんだろね
あ~ぐるっと海だわ~ 海洋民族だったとすると
そもそも島でないものという概念がなかったのかもしれない
海を遠くから近づいてきて水平線が全塞がりすることってないからな
島と大きい島と超でかい島くらいしか思わない 間宮林蔵が樺太が島だということを見つけたというけれど
島だったからよかったけど島じゃなかったらそのままユーラシア大陸をどこまでも進んで行ったのかな 少なくとも卑弥呼の時代には
中国と朝鮮との交易を船でしてることからはっきり島国だとわかっている ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています