武士って本当に残虐だったのかな、日本には古来からの武士道があるというのに信じられない [122319879]
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「源氏物語」の裏側の歴史がここにある!――『平安王朝と源平武士』(桃崎有一郎著)より
現在放映中の『光る君へ』で注目を集めている平安時代。ただし大河ドラマで描かれるのはその時代のほんの一部に過ぎず、その裏では武士たちの様々な争いが繰り広げられていました。桃崎有一郎氏(武蔵大学教授)による『平安王朝と源平武士――力と血統でつかみ取る適者生存』(ちくま新書)は雅な世界の裏で武士が暴力で支配し、源氏と平氏が武士の代表格として確立してゆく過程を克明に綴った一冊です。本書より序章を公開します。
https://book.asahi.com/jinbun/article/15241164 武士道は新渡戸がでっち上げた江戸仕草的なうそっぱっろ
人間性のかけらもないクズばかりだよ
てか武士道自体は近代の発明品だろが
人を殺す事が残虐だと感じられるようになったのはごく最近
むかしは気軽に殺したりできたから全然残虐じゃなかったよ
武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候
現代イメージされる武士の有り様は江戸時代に儒教の影響を強く受け形成された価値観やからな
立身出世の戦国と質素倹約の江戸で武士のイメージ全然ちゃうやろ?
毎日その辺歩いてる一般人ぶち〇して鍛錬するのが鎌倉武士道
>>11 江戸以降の武士道って結局朱子学よな
お茶の水が起源ってことよね
室町は貴族から庶民まで「ナメられたら殺す!」精神だった
時代劇で良くある無礼打ちみたいなのはあんまりなかったらしいな
後の手続きがめんどくさいんだとか
江戸時代以前は裏切り上等でドライだったようだ
滅私奉公的な武士道は朱子学に影響された江戸時代以降
武士は相手の首を斬り落として見せびらかしてたんだから残虐かつ鬼畜だよ
>>20 まあそれやってたの武士だけじゃないし🙄
世界的にわりとポピュラーだったほうだな、首🥺
上の者にとにかく媚びへつらい、場合によっては鉄砲玉にもなる
弱者にだけは強く出る
やりすぎると農民に頭をたたき割られて死ぬ
武士道ってのも、まぁみっともないものである
>>17 武士がいなくってから出来たのかよ武士道、衝撃の事実
平安時代の武士は隙あらば他人の土地を掠めとるヤクザ顔負けの連中
しかも土地が絡むと何しでかすか分からない
体型的な武士道て江戸からか?
やあやあ我こそは
誉じゃ
あれほんとかな?
戦国時代とか暗殺毒殺とか日常茶飯事だよな。
現代の忍者の一般的なイメージもほとんど歴史修正の産物だしな
室町時代は挨拶されたから斬り捨てる、みたいなめちゃくちゃな事件だらけだったらしいな
↑これの場合は喧嘩両成敗でお咎めなし、て記録が残ってるそうな
朱子学を尖鋭化した陽明学が明治維新を達成して明治時代に文明開化するものの民主化の根本原理たるキリスト教の考えもないのにどこが近代化かとマウント取られた新渡戸が苦肉の策でどっちあげたのが武士道
結局それって儒教じゃんってオチ
ぶっちゃけ武士の価値観とか儀礼が一番色濃く残ってるのが渡世つまりは、ヤクザの世界だったりする
あの組を中心とした疑似親子制度って昔の武士に近いと思う
刀とナイフを腰に差して練り歩いてる小さいのとかヤバすぎる…
室町時代までは命の価値は牛よりも軽かったから。
江戸時代、4代将軍徳川綱吉が偉大だった。
御恩と奉公
御恩が無ければ奉公する筋合いは無い
現代日本人もこれくらいドライな方が良いは
規範というものは実際には守られてないからこそ強調されるもんだ
鎌倉〜戦国初期→土着のチンピラヤクザ
戦国後期→職業軍人
江戸→公務員
時代によってポジション変わってるから同列に語るのが無理があるよねそもそも
武士道は都合よく奴隷を作るための建前だわな
言ってることはキチガイとしか思えん
理性も知性もない
>>38 天皇マンセーカルトも所詮明治出しなぁ
ネトウヨは韓国バカにしてるけど日本も空っぽな国だよ
そもそもドレス着てティアラつける日本の象徴ってなんだよw
現代で武家社会に一番近いのってヨハネスブルグみたいな治安が超悪い地域か?
でもガザに対するイスラエルの行いは斬り捨て御免の武家社会に近いような気がする
イスラエル内でパレスチナ人見つけたら気軽に試し切りできるわけだから
武士道なんか江戸時代以降の価値観だよ
要するに遊び
「武士道」って言葉ができたのは比較的新しいね。平安末期~鎌倉時代では「弓馬の道」と言っていた。
武士同士で戦う事って滅多に無さそう
真剣で斬り合えば、敗北=死なんだからそりゃ極力戦いを避けるよね
一方的に殺せる平民にばかり威張り散らすクズになるのが必然なんじゃないか
日本が独自に銃を発明して、武士が刀ではなく銃を持ってたらどうなってただろうな
撃ち捨て御免の社会だろ
ちなみにあの『葉隠』は当時の侍たちの間で「過激すぎるよコレ もうそんな時代じゃねーし」ってことで発禁処分受けてる
それくらい江戸時代は平和だった
その後明治の中頃になって元士族の軍人たちに発掘されて軍人や国民の教育のために再利用された
平安貴族の価値観が廃れて、社会が武士中心になると、時代の価値観も武士中心になったわけであるねw
美化されてるけど実際は権力を盾にした弱いものイジメだから
今現在の日本にいるチンピラ、半グレ、不良、ヤクザの習性を見れば明らか
残虐っていうか宗教と民族の違い
どこの国もそうだけど原住民と移民で争いが起こる
日本の貴族は仏教やってたから殺生をめちゃくちゃ嫌がった
民族は弥生系で宗教は仏教
武士は仏教じゃないから殺しOKだった
民族は縄文系で宗教は神道
時代劇みたく悪い山賊などを斬るなら多少はわかるが実際には自分の子供を親の都合で殺したりしてたからね
>>53 もとは騎馬民族で移民だからまあルーツが違うのはあるだろうけど
江戸時代くらいになるともうバカみたいなこといいだして庶民をぶっ殺すアホくらいになってきてるからな
しまいに行列横切ったとかいってイギリスに喧嘩売って大きな被害だすし
まさにジャッポリの祖先だろ
平安の武士(北面の武士)
鎌倉の武士(東夷)
室町の武士(所領経営と中央官吏)
戦国の武士(統治者としての武士)
江戸の武士(政務官)
全部ちゃうやろな
>>7 今でも日本は死刑があるし
どっかで「いい殺し」を認めてるんだよ
これも後世の人から異常・異形に見えるだろうね
清和源氏とか、桓武平氏とか数代前まで皇族だったのにいきなり野蛮になりすぎじゃねと思ったけど、まあ当時は
貴族も結構DQN感すごいね、調べてみると。
平安貴族の平和な恋愛中心主義の価値観の粋を尽くしたのが源氏物語だとすると、軍事的闘争が世界観の衷心になったのが平家物語であったよねw 時代の転換により価値観も大きく変わったわけであるねw
いまでも特権階級の人間は底辺殺しても罪に問われないもんな
江戸時代からあんま変わってないんじゃない?
封建制度は江戸時代以上に完成されてそう
>>61 まともな法学や倫理教育の代わりに忠臣蔵を毎年放送してたんだからそらそういう人物しか育たない
現代日本社会の間違いはそこに原因があんのよ
大河ドラマとかを有り難がってバカみたいな価値観刷り込んでるしな
あの時間を仮にすべて単純な教育にあててみ?
視聴率は地をはうだろうが、死刑は廃止できてただろう
NHKに求められてんのはそういう商売度外視の教育なのに、それはしない
バカをバカのままにすることに大金かけてる
近現代からみて一応理解できる行動するようになったのは
江戸時代中期以降だろうな
武士は今で言う国会議員だからな
どういう奴らか想像つくだろ?
>>57 戊辰あたりは普通に首取ってる
それどころか近代戦争の常識も無いから、捕虜もいない
生け捕りにされたら殺された
でも西南戦争では西郷は最後は
首を敵に取られないように薩摩軍が持ち逃げして
首実験をキンタマでやった
元となった儒教とかもだが性根民度がど畜生だから綺麗事が必要なんだが?
武士道というのは新渡戸稲造がアメリカで適当にフカシこいた江戸しぐさだからな
日本で出版されるとは思ってなかったから目茶苦茶書いたら逆輸入されてボコボコに叩かれた
それが今では日本人の聖典みたくなってるんだからお笑いだよ
ジャップにはお似合いの偽書
というか、平安時代中期死刑はなかったけど、源義明が義忠暗殺疑惑でろくな裁判もなく追討の際にサクッと殺されたりしてい
たりと、実質死刑は多そうね。
よくヨーロッパに死刑がないかわりに捜査時の射殺が多いって言っているみたいなやつで。
鎌倉あたりまで普通に殺しすぎるもんだから武士は弱いものをいじめないって改革したんだろ
世界的に見てもハラキリやってるのは武士だけ
白人はジャップの凶暴性にビビってる記述が多々ある
元々は渡来人が飼っていた縄文人の戦士。
報酬が出せていた12世紀くらいまでは大人しく言うことを聞いていた。
報酬として配るものがなくなったとき渡来人はその縄文人たちに皆殺しにされる。
その親殺しの縄文人たちの統率が取れなくなり慌てて武士道をでっち上げる。
要は北斗の拳で言うモヒカンレベルの秩序の形成。
お前らケンモメンのくせして武士道が江戸しぐさみたいに後世に作られた偽りの伝統だって知らないのか?
>>20 スキタイ人なんかは剥いだ人間の皮を獣の皮と同じようになめして衣料や道具に利用していたり残虐だったみたいだしな
まだ可愛いもんじゃね
>>73 日本社会が時代劇の勧善懲悪を通じて刷り込んだ道徳や人生観は
「お上は常に正しいので逆らわない」
「黙って堪え忍べばいずれ天が正しいものを助ける」
であって、そういう意味での綺麗事は叩き込まれている
まあ近代の教育としては完全に間違ってるんだが
時代劇を中心に政府はウンコ、役人はチンカスという刷り込みを試みたこともあった
必殺仕事人、仕事人を一度終わらせた木枯し紋次郎
ただそこで途切れちゃったね
つーか日本って全然伝統なくね
ありがたがってる君が代も明治にイギリス人が作曲したんだろ?w
武士道なんてものあったっけ
周りのふいんきでお殿様にひれ伏し命まで捧げる洗脳は古来からされてたかもしれないが
>>79 ケンモジサン中卒だからな
武士=現在の官僚で江戸時代に作られた存在ということを知らない
武士道に限らず精神論の類は無い物ねだり。実態は真逆と思え
鎌倉武士に武士道なんかない
土地への執着と利害計算と陰謀と復讐以外頭にないから
武士道の価値観を示す代表的な文献と言えば、平家物語、吾妻鏡、太平記などであろうかw
というか、日本で儒教は結局浸透はしなかったんじゃないの。文飾としては漢籍が引用されたろうけど、抽象的な天の
概念とかおそらく理解している人ごく一部のインテリだけだろうし、インテリって江戸時代でも基本日陰者だし。
第一、武家政権が続く国家で文人政治が理想の中国の価値観理解されているとも思えないというか。
>>78 もともと騎馬にのるという文化自体中央アジアからきたもんだという
馬の原産地だしな
武士が好んだ相撲、武士が崇めた八幡神も中央アジアからといわれている
日本神話のどこに八幡神がでてくんのよ?
縄文人だって証拠あんのかな
>>75 流罪になった人が京都を出て人里離れたあたりで護送人に斬られたとかって話があるみたいだな
>>87 そこらで親殺し裏切りがデフォになって統率が取れなくなって
武士道をでっち上げる。
>>90 日本の壮絶な山脈の中で大陸人が戦争できるわけ無いでしょ。
>>89 いや江戸後期は藩校での教育を通じてかなり儒教は力持ってたし儒者も多い
国学はある意味その状況へのカウンターだからな
道開けてお辞儀しないと斬られてたけど、あれなに?
今の維新の会?
農民にたかってた生産性皆無のクズどもでしかないとおもうが妙に美化されているよな
>>95 あれも地元でしか無理だよ。
他人の領地であれをやると戦争になる。
>>86 昔からのエンタメの遠山の金さんだの大岡越前だのはようするに
人間(武士)が犬を噛んだ(まともなことをした)
というストーリーだから庶民に持て囃されたのであってな
現実があんなんだったら創作のネタになってない
全員、悪人
武士道って甲陽軍鑑辺りが初出らしいな
書かれたのは江戸時代初期だが
内容は武田軍学だから戦国時代末期だな
つまり戦国時代の終わり頃には武士道的な発想はあったんだろうなと
>>94 儒者も多いし、教育でも浸透はしていたんだけど、内面化していたかというとしていない感じがするんだよ。ちょうど、
戦前エリートが旧制高校で西欧哲学を勉強していたけど、知的武装のお飾り程度にしかなっていない感じで。荻生徂徠
みたいに上手くやった人もいるけど、新井白石みたいに周りと合わないひとのほうが多かったと思うよ江戸時代の儒者って。
平安貴族の社会は本当に少数の貴族が社会を支配していたが、武士の時代になるとそれがより低位の社会階層に拡散していくわけであるねw
>>103 どこまで内面化してたかというのは難しい問題だな
ただ白石はたしかに周囲と衝突多かったけど事実上の執政者にまで上り詰めたわけで
支配原理としての儒学の需要は間違いなくあった
>>93 レベルが違うし土地勘ってもんも必要になる。
7世紀くらいから500年かけて縄文人のホロコーストをやるけど
山を知り尽くした縄文人を狩るには同じ縄文人をぶつけるしかない。
そして500年後にできたのが武士という階級。
>>89 儒教の流れの朱子学を水戸藩の水戸光國が取り入れて、それが極右の始祖ともいう水戸学に昇華され、今日のネトウヨへと繋いでいく
マジで「武士道」は新渡戸稲造が欧米人から日本にはキリスト教のようなしっかりとした道徳がないですよねと言われて適当にでっちあげたものだぞ
>>107 曲学阿世の輩という感じがすごいけどなぁあのひと。明治の加藤 弘之とかと似たようなものを感じる。
>>110 江戸時代の武士道なんて
上意下達と媚び諂いだけだしな
でもまぁ責任とって切腹とかあるし
赤穂浪士もいたし、武士の面目というか、理想化された武士ってのはあったかもわからんけどな
武士の時代になってからも、社会を貴族忠臣に戻そうという企てが承久の乱や建武の新政のように何度か試みられるが、だいたい最終的には多数派の武士が勝つわけで、そのようにして日本のデモクラシーは発展していったといえようw
江戸時代時代になるまでは基本暴力による支配体制だから舐められたら終わり
大衆は道徳観も育ってない土民だしな
田舎でよそ者を異端扱いする陰湿さ、あれが武士道の名残だろ
武士道を守らなかった者がはみ出しもの扱いされてたんだろ
志村「仁!誉れはとうした?!」
境井「誉れはまだできてません!」
人権と人命が尊重されるようになったのってせいぜいここ100年くらいだからさ
価値観を現代に寄せることなんて無理無理
>>118 それは農民の集落ごとの自治が根幹にあるんじゃね
武士にもいろいろいるけど参勤交代もあるし総じて農民より世界は広い
>>108 むしろ武士が縄文系という説は初めて聞いたね
馬が日本にいなかったことや八幡神や弓術などから渡来人の系譜であることはかなり示唆されているのに
武士道
天皇へのキリスト教徒の不敬を弾劾した井上哲次郎や[4]『君が代』と『古事記』を英訳したバジル・ホール・チェンバレン、皇室学者の津田左右吉などからは「新渡戸の『武士道』が誤った日本像を海外に広め、あるべき概念を混乱させている」等と内容を批判された。
儒教は中国におけるキリスト教みたいな立ち位置だな。黄巾党や五斗米道という新興宗教とは比べ物にならないぐらい浸透していた思想。教養の高い儒者はそれこそ、時の権力者に対抗できるほどの力があり、その思想は当時の医学の最先端である華沱のでさえそうだった。凝り固まった思想は進化をとめる。曹操はこういった通念をぶちこわしていった
〇〇道 とか言い出すのはろくな奴じゃねえんだ
もう分かったろ
同著の日本版が刊行された直後にも「古(いにしえ)からの史実を全く無視した、キリスト教徒の考えた自分勝手な思想である」と批判された。
>>126 源氏も平氏も皇別でゴリゴリの大和の子孫だけどな
武士による身分秩序の解体は戦国時代に極限に達して身分秩序社会秩序の解体も最大限に進んだが、家康が天下をとって、それ以上の身分秩序の崩壊に歯止めをかけ、社会秩序を再構築したわけであるねw
>>123 武蔵国は1000年前から不要になった渡来人の流刑地だよ。
軍事技術を抜いた場合は周辺の大名に同じ技術が渡らないように殺す。
工芸品レベルなら可哀想だから武蔵国に島流し。
>>126 武士の戦術の中に、蝦夷の技術が取り入れられているとという話とごっちゃにしているかそこから蝦夷起源説までいっている
かなんじゃないかね。
「武士道は死ぬことと見つけたり」
という葉隠の一説で、それをありがたがってる節
利他的な騎士道とはまたちがう、自己に完結した哲学のひとつ
いや武士道って江戸になってからの官僚化した本来危ない武装集団を飼いならす方便だろ?
それ以前なんて裏切り謀反反乱打ち壊し焼き討ち奪えの殆ど無法地帯じゃねーか
そもそと日本に置ける武士の始まりは野盗から武力をもって守る護衛組織がはじまりで、この形態はわりと全国共通
江戸幕府になって猛獣を飼い慣らす必要があったから朱子学押し付けただけやろ。
>>128 古代中国のインテリに儒教が広まったのはそれが立身出世のためだったから
ではなぜ儒教にまなぶと立身出世できたのか?
もともと古代中国の成り立ちは蛮族が集まって市場を開き、その市場でのみ使える漢字で筆談で取引していたという
その漢字を理解できる人間が民族をとわず「中国人」とされた
古代の中国では民族ごとに言葉がバラバラで意思の疎通が難しかったのだ
時代が過ぎて次第に各地の豪族が国を起こし独自の崩れた漢字を使うようになり、いつしか筆談ですら各国の意思の疎通ができなくなっていった
しかし儒教だけは共通の文字と教科書を使い意思の疎通ができたため、各国で外交官に任じられることになる
すべての国の外交官は儒者だった
これをよしとしなかったのが秦の始皇帝
儒家というわけのわからねえ怪しい連中が外交をほしいままにして権力を維持している
儒教の影響力をそぐために文字を統一し、わけのわからねえ暗号文字の儒教の教科書を燃やした
これが焚書坑儒
>>139 そんでその野盗の方もどこかの護衛組織を兼任してたりするんだよな
武士と同じぐらいの武力と権力をもってたのが仏教という。基本この二つは暴力でぶつかっていた時代があった。織田はそれがとにかくうざかった
>>142 もしかしてあんたYoutubeで「世間の果て」ってチャンネルやってる人?
秀吉が刀狩するまで農民も普通に武装してたからな
領主が舐められたら武装一揆で殺されるし
>>142 甲骨文字から隷書へ統一される変換期でもあるわけやね
おっしゃるとおり、始皇帝の規格統一というのは偉業とおもう
警察の存在無くして
やくざを20倍パワーアップさせたような感じだろ
>>146 その名前はよく知らんかも
たしか蔑視派という中国史研究の学派の教授の奥さん(奥さんもまた学者、旦那さんは亡くなってる)の学問系のチャンネルからの知識だな
URLや名前は忘れたが、中国史全部解説してるのでかなり長かったような覚えがある
桜田門外で井伊直弼をぶった斬ったのも、水戸学(天皇サイコー)をバイブルにして、倒幕した薩長も、農民が割り食って可哀想やんけ、と義憤にかられた田舎出身の兵卒も、すべては武士道なんだよな
働かず刃物持ち歩いて頭の毛を剃ってる連中がDQNじゃないはずないだろ
ないから生まれるんだ。中国人は道徳心が無いから儒教が生まれた。 日本人は勇気がないから武士道が生まれた。 欧米人は卑怯だから騎士道が生まれた。アングロサクソンはずるいからフェアプレーの精神が生まれた
絶対 闇討ちとかで気に入らないやつ ぶっ殺したりとかしてただろ
今みたいに 化学捜査が発達してたわけでもないし
まあ平安時代の身分的社会的基盤でもあった土地制度、荘園制が完全に解体したといえるのも、戦国時代、太閤検地があってからというし、日本における貴族制度の解体もずいぶん時間がかかったといえるねw
鎌倉武士道の基盤も御恩と奉公、一所懸命、土地制度が基盤になっているよねw
例えればひろゆきが「社畜道」って本を書いてみんな日本人は社畜として生きてきたと信じちゃったようなもの
白人がインデアンやアボリジニ撃ち殺すような穢多非人以下のモラルなんて微塵も持ち合わせてないのになーにが残虐だよ
いわばまさにその発想自体が絶望的なノータリン白痴バカそのもので草
ただし世界一有名な首狩り族なのは間違いない
>>160 司馬遼太郎は、日本人はみんな武士になれ、心の奥底にあるはずの武士道精神を呼び覚ませって言ってた
>>11 ノータリン白痴バカの教育受けてきたって感じの間抜けな理論で笑えるわ
破壊僧一休の「人は武士」から江戸時代の武士含めて畢竟平安鎌倉の武士こそ「最たるもの」の評価なわけで
鎧ですら大鎧が至高扱いの時点で察しろよと間抜けは
>>23 まともな教育受けてないノータリン白痴バカそのものだな
理不尽な叱責があれば容赦なく殿様も殺してるなんていくらでも例があるのに無知無学浅慮浅学の穢多以下のノータリン白痴バカみたいなこと言ってたら笑われるぞ…w
1333年、新田義貞らの鎌倉攻めにより屋敷を焼かれた
執権・北条高時は東勝寺に逃げ込み、
一族郎党以下870余人とともに自害
エピソード見ると鎌倉、室町、戦国はマフィアが国もってる感じだなぁ
海外も日本も江戸時代のイメージだけどそれが普通だよね
いわゆる武士道ってのは武士の宗教だった禅宗の教えだろう
中国の武将の方が侍のイメージに近いんじゃね
日本の戦国時代の武士はヤクザ
そもそも国家というものはだねー
「海賊や山賊から守ってやるからみかじめ料払え!」って流れで形成されていくヤクザみたいなものだよ
これは洋の東西問わずにこの流れ
司馬遼太郎のせいでウラジオストクが不凍港であることを知ってる日本人はほとんどいない
また日露戦争後しばらくすると日露関係はすごく良くなり大正天皇は東京駅までロシアの使節を出迎えるまでになった
>>167 まさか小説を真に受けるとは思わなかった
>>174 本人が生きてて現状をしったらそういったかもしれんな
最近坂本龍馬が再評価によって地位が駄々下がりしているが
高評価されてたのはまさに司馬のしわざだしな
古典落語にも、新しい刀の切れ味を試したいから橋の下の浮浪者を切り捨てようっていう話があるくらいだからな。
自民の議員や輪島の公務員が刀を持ってると想像したら信じられるでそ
武士階級の母体が蝦夷って気がする
だいたい、武士団と律令軍とは戦術も兵装も気質も全く異なる
9世紀以降、配流された俘囚は税を免除、糧食や衣服を支給され
狩猟や騎射を許されしばしば犯罪者や侵入する異民族への対処に当たらされた
これって在地領主になった武士の生活そのものじゃん
>>7 殿様行列横切っただけで切り捨て御免がまかりとおってたんだからカースト制度のあるインド人もびっくりよ
山賊上がりの暴力集団が残虐じゃないわけ無いやろ
この野蛮人をなんとかするために江戸時代に産まれたのが武士道やぞ
同じ経緯で産まれた騎士道と同じや
どうしようもクソカス共に人間レベルの倫理観を与えるための最低限のルールがそれらや
武士道とは 武士たるものはいつでも死ねる覚悟を持っておけってことだよ
だから武士が堕落した江戸時代の平和な時代に説かれたんだよ
>>180 ありゃ自業自得
先遣隊が馬から降りるように諭してんのに
文化無視して馬上のまま横切ろうとすりゃ権威維持のために切られるわ
家や自分のメンツのために儀礼的自殺をするのが当然と考えられるくらいには自他ともに厳しい気合の入ったヤクザ
江戸時代にはそれが官僚化する
欧米白人は狩猟肉食人種だから本質が攻撃的なんだよ
日本人は農耕民族だからおとなしいから武士は原理としての
攻撃性を確立したんだよね わかるか?
だから武士の精神が無い今の日本人は平和ボケでおとなしいだろ
百姓町人ばかりになってるからね わかったか
>>164 殿様殺してるのってどれくらい例があるの
>>187 騙し討ちは誉れだろ
日本神話も騙し討ちばっかだし
>>157 闇討ちまでいかずとも昔って狙われたら身を守る手段がなさすぎるわ
>>175 船中八策が創作だったというだけで、教科書から消えるほどか?とも思うけどな
綱吉が無理矢理意識改革するまでは殺すのが普通の時代だったからな
そら今の感覚からしたら残虐だろうな
無理矢理アホみたいなことしないと治せないくらいは狂ってたんだよ
武士道とか言う軟弱なものは江戸時代に謀反起こされないように徳川が作った創作だよ
現代でもケモノみたいな人間はいるし
無教養な近所の鼻つまみ者、ゴロツキは斬り殺されても
ああやっぱりね、で終わるだろ
士族の血をひいている肉親がいたけど躾に滅茶苦茶厳しかったぞ
あんなの血縁にいない方が幸せなんじゃないか🙄
>>53 渡来人が稲作もって農耕儀礼もちこんだのが
神道
あとからきたのが仏教
江戸時代ではすでに神仏習合
武士っていったら簡単にいうとプライドの高さと厳しさって印象
末裔ですらその片鱗がある
リアルタイムなニュースで言えば
タワマン女子を殺した和久井51歳
侍がしたことを現代でくりかした
武田が織田軍の甲州征伐に敗れ、金山も閉山せざるを得ない状況に陥っていた時に金山の在処が他に漏れることを恐れた金山奉行の依田何某が、その在処を知る鉱山労働者の相手をしていた55人もの遊女たちを集め、その淵に落とした
侍は昔話から
不正に殺しする悪人
みなさんの地元にも侍の血なまぐさい話が一つや2つはあるんじゃないですかね
寺も神社もほとんど戦国時代に略奪されて破壊された
現在あるのは江戸時代に再建されたものばかり
>>12 武家わ純粋に強盗団だけど
村長,庄屋も日常的に村人殺害してるからな
残虐非道以外の何者でも無いのが上級氏族と上層日本人
>>80 年貢少しでも滞納したら家長殺害,全財産没収,女子供奴隷化だからね
武士道って宮本武蔵が勝手に言い出した事で
それまでは誰もそんなの守ってないし
言った所で守る奴なんて居なかったと思うよ
だって宮本とはゆかりねぇんだし
基本ただの地元のヤクザだし
言ってみりゃ、維新の会の橋本が「日本男児たるものかくあるべし」
とかほざいた事が武士道なんで、それをオマエラ守る?
ってのと同じ
多分守る奴は居ない
後世の歴史にはどう書かれるか知らんけどね
アイツらコスいから変な文書捏造とかして残そうとしそうだけどさ
武士というのは言ってしまえば
当時の暴力団であり、ヤクザだ
武士の武士道というのは、ヤクザの任侠と同じで
そういう建前だから期待してはいけない🥺
武士道は新渡戸稲造が明治になってまとめたものだけど
一応は事例を挙げた上で述べているから完全にでっち上げたって訳では無い
日本古来の伝統はだいたい明治以降に考案されたんだよな
単なる首狩り族だろう
穀潰しってコイツらの事を言うんだよな
元は貴族や寺院の持ってる荘園の守備隊だからな
持ち主は京都とかその周辺に居て、在地の国司や周りの権力者達から突っつかれ易い荘園の権益保持するって事だからそりゃオラつき度は強いだろ
弓の稽古台に百姓を面白半分で殺してたような連中だぞ
マジでヒャッハー
行儀よくなるのは17世紀中頃から
武士は公務員または准公務員に任じられている場合があるが、やはり暴力集団としての側面を無視することはできない。弱くては話にならないからだ。
武士の力の源泉は、武官の官職を持つが故の威(朝廷の警察権の分有)にあるか、私的な武力にあるか、どちらかとなれば、後者を重視せざるを得ないだろう。
少しだけ武士の歴史を見ておこう。中央で出世できず、生活が成り立たなくなった皇族・貴族の傍流子弟は、こぞって地方の国司となった。
…九・十世紀、巨富を得て中央に戻る者がいる一方、任期が切れた後、そのまま地方に居座る者がいた(このことは厳禁されていた)。
農地を開発するもの、馬を使って地方の運輸業に携わるもの、党を結び群盗となって百姓から私財を奪ったり、農業を妨害したりするものもいた。ハゲタカ崩れである。
暴政を専らにした国司は、ボディーガード(私兵)として、この種の暴力集団を各地で登用した。群盗やならずものを少なからず含む。四年任期限定の怪しい准公務員である。…
彼らは代々の国司に仕えて、国衙の武士名簿に登録され、公的武力はもちろんのこと、私的武力を半ば公然と振うお墨付きをもらった。
傭兵に身分がついたこの段階を、もっともらしく「つわものの家の成立」と呼ぶ。警官に拳銃を与えたのではなく、武器を持つものを警官にしたというほうが正しい。前科があろうとなかろうと関係ない。
似たことは後世にも見られる。江戸時代の関東の「二足のわらじ」、賭場を開帳しつつ十手を預かる親分衆を見ればよい。こういうことは近代警察機構では原則的に否定される。
伊藤正敏「無縁所の中世」(p.129~132)
時代的に言えば、「武士」と呼べる存在は国風文化の成立期にあたる平安中期に登場する。
つまり、それ以前の武に従事した者は、武官ではあっても武士ではない。
では、武官と武士の違いとは何か。
簡単に言えば、武官は「官人として武装しており、律令官制の中で訓練を受けた常勤の公務員的存在」であるのに対して、武士は「10世紀に成立した新式の武芸を家芸とし、武装を朝廷や国衙から公認された『下級貴族』、『下級官人』、『有力者の家人』からなる人々」であって、律令官制の訓練機構で律令制式の武芸を身につけた者ではなかった。
ただし、官人として武に携わることを本分とした武装集団ではあった。
律令制機構内で養成された官人から様々な家芸を継承する実務官人の「家」に軍事や経理、法務といった朝廷の行政機構を、アウトソーシングしていったのが平安時代の王朝国家体制であった。
そして、軍事を担当した国家公認の「家」の者が武士であった。
マフィアとかと成り立ちがほぼ同じなんだよな
自警団という名目で武装した集団が社会的影響力を持つようになり
体制の一部として組み込まれていった
だから社畜道と同じで社員は外部に対してはウチの存在だから社長でも呼び捨てにするが会社の中の順位は厳然に守らなければならないみたいなものだ
>>186 狩猟採集民族は基本は戦争はおこさない
ほかの集団とぶつかったらほかへ移動するだけだから
戦争とは土地の奪い合い
では土地がなぜ価値を持つにいたったか?
それは農耕が始まったからである
農耕で増えた人口を養うには作物が必要
作物が実った土地を突然奪われてどこかへ行けというのは、一家や一族の死を意味する
だから命がけで敵に抵抗しなければならなくなった
戦争とはつまり農耕民族が始めたものなのだ
お前の書いてることは文明論や戦争論をまるで理解していないデタラメな民族差別
戦闘行為が狩猟採集時代に全くなかったというわけではないけどな
土地は命を懸ける対象ではなかったからどっかに逃げりゃよかった
大規模な戦闘(戦争)がなぜ常態化したのかというとこれはもう完璧に農耕のせい
でも普通の日本人は鎌倉武士はモンゴル軍よりヤベえ奴らだったwwwってホルホルしてたよ?
武士道って、武士の時代が終わった後に武士じゃなかったやつが言い出しただけだからな
本来の武士は出世しそうな主に仕えようとあちこち流浪してた傭兵だし
サムライって、ようは奴隷の庶民を征圧する暴力装置だから、今でいう政治とズブズブのヤクザとほぼ同じなんだよな。
武器使うの許されてる殺人のプロだから、民衆が一機は反乱おこしても、あっとうまに征圧する機動力の違いがものすごい。
明治に北海道で起きた反乱も、武士があっといまに全滅させてみなごろしにした。
>>229 信長は武士同士の諍いには寛大だったが
農民集団の一揆には容赦なかった
武士道って新渡戸稲造の創作だとずっと思ってたんだけど
昔からあったものなの?
>>234 武士道は江戸時代後期に佐賀で書かれた葉隠がモデルで
当時の武士の一般教養を指すものではなかった
徳川幕府が推奨したのは朱子学や四書五経を中心とする儒学で
江戸時代の武士の模範とされて明治維新後も教育勅語として活用された
徳川幕府が戦国時代の荒くれ武士に儒教思想を刷り込んで武士を大人しくさせることに成功したというわけ
>>233 当時の西洋列強なんて権威どころじゃないだろ
白人以外は人にあらずだからそんな舐めた態度とれたわけだよ
その白人だって自国に戻れば自国の権威にひれ伏すんだから
なぜ武士道が一人歩きをしたのかといえば
明治政府が新戸部を使って国外に向けて大々的に武士道アピールをしたから
だから外国の教科書なんかは今でも日本の文化には武士道があったとか
平気で書かれてる
本当に捏造も甚だしい
(ヽ´ん`) たかし・・・さとる・・・ゆうすけ・・・
>>24 西洋の騎士道のマネ
なんでも西洋的価値観に見合うもの持ってますよってのを一生懸命やったのが明治期
現代の皇室はイギリスに倣ってる
保守思想ってのは明治期に西洋王室&キリスト教的価値観や文化を日本なりに解釈して再構築したものを頑なに守りたいって思想
>>228 それ浪人じゃね
武士道ってようは儒教と朱子学の亜流じゃないのか
カトリック教会と教皇の真似をして体系づけたのが国家神道と天皇だな
儒教は支配者に徳がなければ革命していいという思想だ
高杉晋作も指摘しているが陽明学にはキリスト教と類似する部分がある
江戸幕府の朱子学と新渡戸稲造のキリスト教の間には幕末の志士に影響を与えた陽明学があると思われる
佐藤彦五郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%BD%A6%E4%BA%94%E9%83%8E 嘉永2年1月18日(1849年2月10日)、日野宿を焼く大火・
染っ火事にみまわた際、盗人によって母親が眼前で斬殺されるのを見て
武芸の必要性を感じ、嘉永3年(1850年)に天然理心流3代目宗家・近藤周助の門人となる。
>>245 長州は幕府に積年の恨みを抱いていたから
朱子学よりも陽明学が主流になったのよね
戦場で武士同士で殺し合わなきゃならない
そのための練習台として農民を試し斬りしまくった
法然
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E7%84%B6 保延7年(1141年)9歳のとき、土地争論に関連し、
明石源内武者貞明が父に夜討をしかけて殺害してしまうが、
その際の父の遺言によって仇討ちを断念し、菩提寺の院主であった、
母方の叔父の僧侶・観覚のもとに引き取られた。
江戸時代の殿中でおこった、いじめられた武士が
同僚を皆殺しにしようとした事件が好きだな
松平外記が日頃の同僚のイジメに耐えかねてついに刀を抜いて殺しまくる
殿中にいた他の武士達はオロオロしてるだけで止めることもできない
江戸時代も中ごろになるとみんな骨抜きにされてる
この武士達も武士道不覚悟で改易とかされてる
律令制で各国ごとに軍団作ってた これが治安維持にあたってた 百姓から兵士をとる これは非効率でだんだん維持困難になってくる それでいろいろあったけど最終的に代わりに治安維持にあたる存在として武士が登場する
軍団兵は基本歩兵だけど武士は少数で治安維持にあたり騎兵だ 馬に乗って矢を射るのでいわば専門職で誰にでもできるわけではない
時代による
江戸時代初期くらいまでは一般人でも血の気が多い
半ばから後半になるほど大人しくなっていく
あんなもん本当に後付けじゃん
江戸幕府や明治政府が支配するための
>>253 支配されろよ
エリートが偉い人の言うことを聞かずに満州国なんか作ったから失敗したので
ジャップは根がクソだから
武士道というお題目で縛ったんだよ
平安鎌倉の武士は土地からの収入で暮らしているけれどもふだん自分で農業やっているわけではない なにやってるかというと狩猟したりして馬術や弓矢の技術みがいている なので実は狩猟民的な性質があるのだ
少年が初めて獲物取ったときに矢開きというお祝いの神事してたらしい 山の神に捧げる
>>252 逆に大人しくなりすぎて幕末には旗本八万騎と呼ばれた
直属の家臣団が腑抜け集団になるとは家康も予想しなかっただろうな
>>231 いうたら日本人の先祖なんかは逃げて逃げて日本列島まできたんよ
もちろんいい狩り場の争いなんかはあっただろうけど、農耕民族が田畑を追われるのとは全然性質は違うわけ
武士っていうのは徴兵の軍団制に代わって治安維持のために登場した弓騎兵なわけだがしかしそれは採用するのは
そのへんの農民じゃ無理なわけである 弓と馬術は習得に子供のころから訓練しなきゃいけないから なのでおそらく蝦夷などの狩猟民や馬と関係ある渡来人などから採用したのではないか
>>112 甲陽軍鑑は真実を記した歴史書!と盲信している山梨原住民が噛みついてくるから止めておけ
武士道、騎士道が典型だけど道徳の大系が継承されてきてる
武田信玄の家臣が親方様がどうのとか言ってる
ああいうのがベースなんじゃないかな。
信玄の殺し方を家臣が相談しあってたのが鎌倉時代。
>>47 だから昔は>46
武家が本当に鍛えるのは刀とかではなかった
武士道って要は
「武士は偉いので武士以外はブチ殺そうが構わぬが
殿を怒らせたら潔く死ねい」
って話だと理解してるがこれでいいか?
時代劇みたいなのは稀な事態
普通に仕事してただけだよ
そんなに不正や殺人してたら暴動起こるわ
実際は刀に手を掛けるだけで厳しい処罰になるし
抜いたら切腹
>>95 チンピラさ加減はまさに今だとまさに維新だな
キン肉マンの宇宙野武士ってめっちゃ残虐だったよね
最後合体するのは衆道が多かったっていう意味なのかな、ゆでは考えてないようで考えてるからな
ここら辺は武蔵七党の研究が進んでくれると面白い話になりそうなんだけどな
まぁ、この界隈の話はクマの自然保護みたいなのと一緒で
確かめようの無い事をあれこれ政治的に理由つけて空想で誤魔化してんだよ
クマの実際は気分で軽トラ襲う様な獰猛な生物だけど、
自然保護って名目で税金かすめとるにはクマのプーさんを全面に押し出さざるを得ない
武士も同じで、今更過去凄かったとか武勇伝語っても、
コンプラ叫ばれてる現代で通用しないから武士道なんていう
妄想で誤魔化してるだけ
鎌倉室町時代の武士は族滅が当たり前なんだっけ?
族滅=一族郎党皆殺し根だやしにすることやっけ?
武士って言っても世代によってだいぶ変わるでしょ
鎌倉室町辺りだと
平気で族滅とかやっちゃう連中やし
戦国あたりになるとだいぶまともになってくる
切腹ってこいつが責任取るから他のことは許してくれっていうルールでしょあれ
武士って戦争してないときは狩猟してんだね したがって狩猟民の影響強いんだね 単純な話だけど で、狩猟民っていうのは案外凶暴だったりする 狩猟民はふだん動物殺すのが日常であってそのテクニックを人間に適用したりするわけだ
武士って言っても戦国時代の領地の取り合いみたいなのしてたのと江戸時代の平和なのに何故か居るやつで全然違いそう
>>206、
>>276 専門家がクマは臆病な動物だって言ってるんだから臆病なんだろ
維新の会とかの政治家が日本人は勤勉だとか言うのが妄想だっていうが、そりゃどんな人種、民族だって怠けていい暮らしをする方がいいに決まってるわな
ただ政治家叩きをしてるサラリーマン連中が言うのは、底辺は日本人が勤勉であることを証明しろ、でもオレ達は受験勉強で上位10%だから楽をさせてもらうよってことだろ
そういうエリート支配する国を作ってしまったことの反動として、武士がいる時代はよかったなって言ってる
> 登山者がクマに襲われて負傷する事故があとを絶ちません。そのほとんどは至近距離での遭遇が招いたもので、元来クマは臆病でおとなしい動物です。(山と渓谷)
これは憶測であってあんまり根拠はないけど律令制の軍団制が崩壊して新たに治安維持のための機構作ろうとしたときに警察力、軍事力としてリクルートしたのが日本全国の山の民、狩猟民じゃなかったのか 彼らは動物殺したり暴力が得意で体力もあるからね
もちろん上層じゃなくて下層の武士の話だけど
現代でも中卒の不良とか残虐な人多いのに
学校すら無い時代でなぜ残虐じゃないと思えるのか
>>285 中卒の不良より大卒の不良の方がよっぽど害悪なんだよ
負けるとわかっていながらアメリカと戦争を始めたり、原発事故を起こしたり沖縄の海を埋め立てたり、侵略戦争だとわかっていながらイラク戦争を支持したりしないからな、中卒の不良は
>>72 「首獲り無用のこと」という軍令も出てるので、無意味な旧習という意識もあったんだろうな
>>284 武士の源流というのは色々あったんだろうけど、蝦夷が律令国家に降伏して特殊な待遇を認められた「俘囚」もその一つではないか、という説もあるね。
>>171 少なくとも中国の歴史って戦争でも主従関係でもそれなりに倫理感が求められるじゃん
美化されたり貶されたりはあるにせよそこに重点が置かれる
日本の歴史ってそういうのが一切ないんだよね
民を虐殺しようと主君を裏切ろうと暗殺しようとそこに武士の行動様式に照らした正否が抜け落ちてる
だから武士道って江戸時代以降にしか存在しないんだよ
そういえば切腹とか軍人の自殺ってって日本以外ではあったんか?
>>289 そう?
平家物語とか曽我物語とか読むと、武者としての行動規範とか美意識的なものは当時から存在していて、後に武士道と呼ばれた物と重なる部分も大きいと思える
伊東祐清とか斎藤実盛みたいに源氏に深い縁故があって、降伏すれば優遇される可能性が高いとわかっていても敢えて最後まで重恩ある平家のために戦って死んだ、みたいな逸話はけっこう出てくるし
>>290 降伏を拒否して自決というのはマサダ砦とか小カトーとか、わりとあちこちにあると思う。切腹は日本以外で聞いたことないけど。
>>292 たしかに死んで詫びると降伏拒否の自決ではだいぶ違うか
>>290 スラーリングラード戦のパウルス将軍が包囲下で元帥に昇進したのは、降伏より死を選ぶことを期待されたからだと言われているね(降伏したが)
ヒトラーと対立したために降格されたフリッチュ将軍はポーランド戦で戦死したが、負傷した時に手当を拒否したと言われている
そういえば「艦長は艦と運命を共にする」っていうのも元々は欧州の海軍軍人がやったことだったんだろう
でも日本の降伏は一切禁止っていうのはやっぱり極端
軍記物語だと天皇とか摂関とか最高身分の人間の悪口はあまり書かず、醜行愚行でも「天魔の所為」とかでごまかす傾向があるけど
承久記には珍しく、後鳥羽院に裏切られ使い捨てにされて憤激した山田重忠が、固く閉じられた御所の門を叩いて「日本第一の不覚人」と大声で罵ったと書いてあって、ちょっと胸がスカッとするw
>>294 もちろん英海軍でもそういう伝統はあっただろうけど
マレー沖海戦で沈没したレパルス艦長テナント大佐なんかは、生還直後に少将に昇進、終戦後にはバス勲爵士に叙任されてるんだよね・・・
同じジャッジのはずがないからな
人間 外に投げ出され、病院に運ばれましたな
>>296 ちょっと読んだけど日本の場合、商船の船長でも船と一緒に死んでいる場合がある
つまり海軍がそういう指導を徴用船にしてて、そのために海軍の艦長も同じことをやらざるをえない感じになったんじゃないかと思う
武士階級が優れていたのは、奉仕の精神を叩き込まれていたことだ
それが主君への忠誠だったとしても、結果的に社会の安定と、尊敬できるエリート層の形成につながった
高校までの教科書を完璧に勉強したはずの東大官僚が、私利私欲の塊りになっているのと好対照
そういえばチコちゃんでマジで正座の起源は徳川将軍の前で正座させることで足を痺れさせいきなり立って将軍暗殺できないようにするためだと解説してたな
正座は日本の伝統w
対価を求めて入ってるな
2キロは確実に点がフルに与えられるのは
NHKだからあるよ
本国ペンがおこなら事務所
・郵送先
〒150-8560 『ジャニーズ違反』係
高配当なんかないですかね?
ほーらプレイド下がってきた
ここまでこれほど多くの人だからな
民主的に話題になればいーのに掲載誌じゃかなり人気あるっぽいのが1万ちょいっめ過疎銘柄にできる素材はおると思うな
>>249 正直武士が非道をしたら闇討ちし放題だったんじゃなかったのかね
アブソックなかったし
しかし昔の命の軽さは凄いよな
あと痛みとかどうしてたんだろ
>>1 の本買ったけど、なんだか時代小説家が書いた本っぽい内容で少しがっかり
マナー講師が武力でサラリーマン(百姓)を脅して支配する軍事政権
それがサムライ(笑)
>>312 そんなあなたには網野善彦の『日本の歴史を読み直す』ちくま学芸文庫をオススメ
教科書で習うのとは違う色々な職業や社会の実態を史料や歴史的に有名な絵画などから見直そうという本で一般教養レベルの知識で読める
>>300 実際には幕府の老中、若年寄、側用人は毎年石高と同じくらいの賄賂を大名や商人や職業別の元締から貰っていたんだけどな
>>295 後白河と後鳥羽は世界史に出しても他に引けを取らないレベルのサイコパスだからな
>>318 内容覚えてないけど持ってた気がするわ。教養科目で士農工商、鎖国はホントに正しいのか?的な
講義の関連本として紹介されてた気がする。もののけ姫や花の慶次の公界は網野本の影響みたいなことも
当時言われてた気がするし。
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