【画像】諸葛亮の北伐、想像の3倍くらい無理ゲーだった [976976205]
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>>232
ここで言う北伐が江南からの北伐ではなく
益州からの北伐も入るなら
北周も隋も成功してるよ
それから、北からの南伐が成功するってのは
そりゃ、異民族が攻めてくるパターンになるからね。そっちのが数が多いのは現実
でも東晋は前秦の南下を止めたり、南宋も何年も持ちこたえたからね
南が弱いって時代は終わってたんだよ >>233
裏切らせるっていっても
司馬一族の本貫地は司隷にあって
士大夫の力の源泉は本貫地だから難しいのじゃないか
陳羣が動かなかったのも本貫を離れるわけにはいかなかったからだし >>236
奇跡が起きないと無理なんだから仕方ないでしょ
一族郎党を司馬懿が殺されて
司馬懿一人が蜀にくだって、魏の情報を全部諸葛亮に教えるとかでもいんだぜ? 劉備一派はこの
本貫地がないってところが大きな弱点なんだよ
コネも収入も不安定 吉川三国志、横山三国志からいろいろ漫画化アニメ化見たけど中国ドラマのスリー・キングダムズが綜合的に一番面白いかもしれん >>238
かえって司馬家の権力把握が早まる気がするわ… >>241
つまりお前は司馬一族の皆殺し令なんか出たら、本貫地に司馬一族が立てこもって抵抗するってことを言ってるんだろうけど
まさに蜀の好機やんけ。そんなもの
だからそういう奇跡の展開を呼ぶには、何かしらの詭道の策が必要になんだよ 司馬懿が遼東に遠征している間は
もう孔明も魏延も死んでるしなあ
まあだからこそ東の果てまでいく余裕があったんだろうけど >>242
いや単純にクーデターが早まるだけだろうと
史実ではまさに司馬一族排除の機運を逆手にとって敵対勢力を一掃したんだし >>182
劉備が二人いたら二国に分裂するだけだろw >>244
曹叡の時代に、長安が落ちたとか混乱してる時にだよ
お前の言うようにクーデーターになったとしよう
つまり
「司馬懿が裏切ったという偽報」
↓
「司馬懿族を誅殺しようとする動き」
↓
「司馬一族が逆にクーデター成功」
こんなことになってみ。もう蜀の洛陽陥落まで見えてんじゃん >>2
え?お前らこんな魏呉蜀がどこだかさっぱり分からない地図で何で話ができてんの?www 荊州と関羽を失わない
呉の敵対心を削ぐ
後継者を間違えない
これが出来てやっとスタートラインだった
確かに無理ゲー >>247
クーデター成功しているってことは
史実になぞらえるなら軍権も掌握しているってことなので
洛陽陥落はしないと思う
仮に司馬一族じゃなかったら洛陽守備の軍師は蒋済なわけで
これも厳しい
司馬一族を排除しなくても軍権から遠ざければいいんだけど
面白い案が浮かばん >>202
確かに
頭の悪い私にもそれが最良だと思えた
やっぱ荊州は安定させられる呉に取らせた方が良かったな どっちかっていうと司馬懿のクーデターの直接の原因だった
曹爽一派の台頭に付け込むしかないだろう
これを煽りに煽る方向で 長沙、桂陽攻めてキャッキャッしてたんやで
そりゃ益州はパラダイスで成都は大都会やろ >>253
劉備も孔明もよそ者なのによくもまあ把握したもんだと思う >>250
まず前提として
曹叡の時代(まだまだ曽真も曹休もいる)に司馬氏がクーデターに成功するという前提は俺はおかしいとおもうけど
今話してるのは、大混乱の中で、司馬懿が裏切ったという誤報で、洛陽から許昌遷都もやろうとしてて
さらにその中でクーデター起こして成功とかなわけで
洛陽は蒋済がいるから大丈夫とはならんよ でも北伐最大の躓きは馬謖に先鋒任せた孔明のせいだから
なんで素直に魏延に任せなかったのか >>259
それなら軍事的に上庸になんとか司馬懿を貼り付かせて
蜀と呉が同時期に侵攻のほうがまだいい気がする 蜀の孟達支援も正直甘かったよ
司馬懿を甘くみていたからだけど >>260
ただ篭って守っていればいいだけのことだから… >>261
これもよくよく考えると
上庸陥落させられないと司馬懿をそこまで危険視できないんだよなぁ >>261
もともとは
魏延の長安強襲の話なんだけど? 長安に攻め込んだあたりで孟達に反乱を起こさせると
何が起こるかわからんという意味で面白いかもしれん >>265
司馬懿がそんなにキーパーソンなら
長安急襲の際に司馬懿が上庸に貼り付いて居たらちょっとは楽だろ というか実際も上庸に荊州軍(司馬懿)を引き付けておいてってのが
第一次北伐の戦略だったはずだし >>95
日本みたいだな
そもそも試験問題を作ってるのなんて二流の人材
その問題も前時代に正しいとされていたものを元にしてるんだから、革新的なやつは潰される、というか革新的な連中を出てこれないようにするための仕組みとも言える >>267
基本的な話として
魏延が長安を強襲する
それに成功して「一時的」に長安を抑える。ここから話が始まってて、
これをどう活かすかで、司馬懿が裏切ったから長安が落ちたとか、司馬懿の軍団(長安を拠点としてる)が丸ごと攻めてくるとかの偽報で
魏を混乱させて時間を稼ぐわけだ
魏は許昌への再遷都で混乱するかも知れないし、司馬一族を誅殺するかも知れない。そういうムーブはよくあるからな。
司馬懿に対して、一族が既に皆殺しにされたと偽報を流してもいい
司馬懿の軍を機能不全にさせることが目的だ
じゃないと、実際に諸葛亮が懸念し、孟達がやられたように、司馬懿軍が再度戻ってきて長安はあっという間に奪還されるだろうしな
何かが起きないといけない。
でもって、クーデターの話で
お前が「司馬一族が誅殺返しで、クーデターが成功するかも知れない」とか言い出したわけよ。
まぁ俺は前述したように曹叡時代にそんなものが成功するわけないと思うけど、
司馬一族が本貫地に立てこもって抵抗しようが、実際に混乱の中でクーデターに成功しようが、蜀の勝ち筋だから別にいいけど
「クーデターが成功したら、魏(晋)は蜀軍を撥ね退ける」てのは無理があるね。
上庸に司馬懿が張り付くとか謎ムーブはそこでは存在しないと思うよw >>2
袁紹に勝った時点で曹操の戦い終了だな
呉も蜀もどうでもいい お前らいつまでくだらねえ話してんの
人生の攻略をもっと頑張れよ >>269
基礎ができていなければ応用はできないんだよ
あったりまえだろ >>271
俺が想定しているのは第一次北伐の時期なんだけど
そのころ司馬懿は宛に居て荊州の軍権をもって魏の南方方面を守っている
だから孟達が謀反したときに司馬懿が駆け付けたわけで
その孟達反乱は電撃的に鎮圧されたので
そこで粘れたら荊州軍はほぼ長安にはこれないだろう
南方を捨てるわけにもいかないし
あとこのころの長安は曹氏や夏侯氏に軍権があった
つまり宗族ね
史実で曹叡が親征してきたように
長安の攻防は魏の宗族が出張る総力戦になるのではないか 呉
「約束通り荊州返して」
蜀
「どうぞどうぞ、関羽がいるけどねー」
呉
「取りましたけど」
蜀
「関羽の仇覚悟しろ!!!」
呉
「・・・」 >>2
広大肥沃な益州 攻守の荊州 なぜ盗らなかった徐州 地図にすると分かりやすいな 攻めるのは難しくても、守るのは容易かった筈なんだがな
少なくとも守り勝つ体制は整えておくべきだった
最後まで残ったのは呉だしな >>201
曹操が徐州で大虐殺をやったもんでそのころ徐州に住んでた人たちが南に逃げて
頑強な反曹操の基盤になった
なんていう話もあるんで
結局魏(曹操)が統一できる器じゃなかったという話もまんざら的外れでもない
諸葛亮とか魯粛が徐州出身の代表でしかも10代や20代前半の若いころに曹操の徐州虐殺があった世代
昔と違って漢王朝400年の間に南方の開発が進んで地力が上がってたところに
南方からの戦乱を避けて大量に避難者が南下したから独立勢力として北方に対抗できるようになった
これは三国時代直後の東晋含めてその後の中国史で何度も出てくる基本パターンの始まりでもあるし
デカい歴史の流れ的にも無駄ではないというか必然だったとも言えるんだよね
上の方で北京の首都の話があるけど
北京と対置される存在になる南京ってそのまま呉の首都の建業だし
南京行ったら同じ地区に孫文の墓と明の洪武帝とかの墓と孫権の墓とかあるんだよ
孫文のお墓や洪武帝のお墓とちがって孫権墓は目立たない規模だからたどり着くのさえ容易ではないんだけど
つうか俺はたどり着けなかったw >>2
これあくまで地形図
当時の人口分布図とかもっと絶望的な差あるぞ >>275
魏延の夏侯楙がアホだから長安襲撃するって話からどんどん話が変わってね?
そもそもなんで>>233にレス飛ばしたの?
曹叡時代に司馬氏のクーデターが成功するとか、
蒋済がいるから洛陽が落ちないとか
頓珍漢なことを言い続けて
そんで前提情景を変え続けてるってこと? >>2
殷周革命で周公旦が王となった魯、太公望が王となった斉は何百年経っても中華の中心だったんやな
そして始皇帝を生んだ秦(長安周辺)は400年経っても辺境だな…
やっぱ儒教の影響なんだろうか >>38
黄河流域は米が作れるから揚子江流域と比べて生産性が10倍あるう >>201
どうだろうね
三国時代が漢民族の衰退の決定打になって、
それで五胡十六国時代がくるともいえるけど
果たして魏があっさり統一して、それのカタストロフィを防げたかだよね。
(既に異民族が移住してきて農耕を担ってもいたし、後漢末は異民族を受け入れて人口を維持してた)
そもそも、漢王朝を終わらせてしまい、何の正統性もない曹氏が国をとったけど、当たり前だけど、次に司馬氏のような奸賊も出てくるわけで
それが繰り返されれば結局、八王の乱のようなことになり、そこで大傭兵時代の北方異民族が農耕も軍も担うような時代になるわけだしな
一番いいのは、とにかく漢王朝が残ることだっと俺は思うよ。
劉焉でも劉虞でも劉表でもいいから天下を再統一して、五胡も新しい民として漢王朝に仕えて、漢王朝を潰すことは漢民族を支配できなくなることと思わせれば良かった
この際、劉備でも劉禅でも構わないわけだが。
平和ってのは大義名分や、文化ツールが必要なわけで、それを壊した曹操や曹氏は大バカ者だよ。
実力主義を目指した社会は結局失敗し、九品中正の制度もコネ社会になっただけ。その上で、そもそもなんで曹家や司馬家の皇統を守る必要があるかの必然性も無い。
こりゃ壊れるでしょ。こんな平和は無理だった。 てか
秦嶺・淮河のラインで南北勢力が膠着するのは
中国史の法則と言ってもいいくらい普通のこと
植生的にも地勢的にもここで分かれるのよ中国は >>285
漢民族の衰退とか、五胡が漢王朝に仕えるとか、コネ社会になったとかわけわかんないな >>288
煽りじゃないと想定して説明してやるけど
まず後漢末には蝗害や気候変動で大飢饉もきてて人口が減って
それが回復せずに、戦乱期でますます人口も減ったわけだ。
そこで北方異民族を農地に定住させたり、軍の担い手を五胡に既に依存してたわけ
三国時代の戦乱での人口減でそれが決定的になった。
だから五胡十六国時代が次に訪れる
しかし、漢王朝という漢民族のシンボルが残り続ければ、五胡は軍閥として中原を支配しても
漢民族支配のツールとして漢王朝を温存させるわけだ。これが「五胡が漢王朝に仕えるという歴史が始まる」という仮想だ。
実際に、匈奴の劉淵は漢を立てたわけだしな。自分が漢王朝の末裔だとして。
それを壊したのは曹氏のバカタレどもだ。
九品中正の制度ももともとは、官僚制の整備と、人材を地方から発掘して推挙する制度だったが
結局、有徳で有能な人物を選ぶという人材登用が、次第に有力な豪族の子弟が選ばれるだけの「無能で官僚を埋め尽くす」ヤバい制度になったんだよ
これで説明はわかるか? >>6
南北朝とかと違って江淮平原も領有してるし蜀程じゃ無くね >>13
今の江西省とか福建省とか拠点周辺以外略々山越の居住地じゃね >>19
植民地韓のアメカス軍の侵略に備えてじゃね >>224
30年チョイ前くらいに歴史群像の三國志増刊に地図が付いてたけどこれに近い感じでおどろいたよ。
光栄の三國志1の全国マップと平野部がまるで違うもん。 祁山がどうしても取れなかったんよなあ
奇襲の第一次北伐しかチャンスは無かったのに馬謖が山にさえ登らなければよかったのに
>>5
関中の住民は項羽の事を恨んでたから漢中から出てきた劉邦が歓迎されたんだよ
守りを固められたらもちろん劉邦でも無理 新の王莽から号100万の大軍による南伐を受けたのを逆転して北伐したのが後漢のはじまり(昆陽の戦い~)
だから北伐して中国を統一した政権がレアとかいう認識はあまり当たってないよ
北からの侵入によっで南遷したあげくに滅んだといえば趙匡胤以来の宋が代表的だけど、北方の遼や西夏のほうが先に滅んでいるし、さらには金を蔡州の戦いで滅ぼしてもいる。モンゴル軍が金の息の根を実質的に止めた三峰山の戦いも、モンゴル軍は南宋側の漢中を経由して金の主力を壊滅させた 関羽が孫権の息子と関羽の娘の縁談話を関羽の一存で断ったのが運の尽き 長野県の覇者が関東を落とせるか?った話よな
なお、木曽義仲は京都を落とした模様 これもう半分呉の豪族たちが天下の趨勢を決めたと言ってもいいだろ 五丈原ってくっそ僻地に見えるけど、孔明が陣中で死ぬほどの価値あったのか? >>294
まあ古いのはともかく、比較的新しい三国志だと>>2みたいなマップになってたりするから、
三国志ゲーやってる人には馴染みのあるマップだと思う >>290
人口減という事実があるの?
社会の混乱で人工の把握ができなくなったというのが一般的な理解だと思うが。
後漢の時期に軍の担い手を五胡に頼ったという事実があるの?
五胡が漢王朝に仕える、というのはフィクションなのか。了解
漢王朝のときにはコネ社会ではなかったのか?
そんなことなかったはずだが。
九品中正が有力子弟の任用システム化したのはそのとおりだが、それは従前通りだったいうことではないのか? 漢中王名乗ってたんだから近辺までは領地だったんだろ首都まで近くね
山道ばっかで地獄そうだけど 三国志8リメイク発売日発表はやくしろ
簡単に敵を崩壊させる手段は抑制されてるだろうが俺が北伐を成功させる! >>121
そりゃ経済的に富裕な地域を支配したら勝ちだからな
そこをしっかりと支配することが優先で
江南や 四川の山奥は辺境扱いで
捨てておいてもさほど問題ないと見たんだろう >>306
無いよ
書いてる奴は無知な上に妄想で断定してる不誠実なキチガイ >>312
いや人口と食糧生産の多い土地だから必要なのわ 北伐に成功したら阿斗に提出しておいた中トロやネギトロ巻きなどのリスト、寿司の表を食べさせて貰う 天下三分の計というけど
三分してるわけではなくて
比率として7:2:1ぐらいじゃないのか?
蜀は山奥だから1もないかね >>156
だからもう敵が早いなら諸葛亮のミスなんだから速やかに退くしか無かった
実際趙雲も曹真相手に撤退してる
山で戦うのを選んだのは馬謖で王平の策を退けたのも馬謖
軍団丸ごと溶かしたのも馬謖
んで布陣から撤退まで何一つ将官としての仕事が出来てない
だから周りの副将もまとめて処断されてる 実際は後漢末期のゴタゴタで民は戸籍を捨てて蜀や呉に逃げてたからそこまでの差はないと思う >>260
直前に魏延の積極案を退けた上で自分の策を押し付けるのは人事的に良くないんだ
勝てば諸葛亮が正しかった事になり負ければ不本意な作戦の責任を取らされるわけだから
かつて味方にそれをやらされて最終的に曹操に降るしかなくなった武将がいるんだ張郃って言うんだけど >>40
孔明が死んでからも普通に30年くらい存続してるし、寧ろ劉禅な治世がよかったんだろ >>302
秦滅亡から一年保たずに乱世に戻るようなザルな新体制と
人材コレクターの曹操が半生かけて築いた王朝相手じゃ流石に比較がね 第一次が本当に最後のチャンス
夷陵からのダメージを立て直してアレだからな
馬謖ってほんとすごいことしたよ どんだけ補給しようとしても距離が長すぎて無理なのだ
輜重隊の食料を運ぶための輜重隊の食料を運ぶための輜重隊の…とどんどこ積み重なるいわゆる馬車限界というやつ
そんなもんは当時の武将もわかってたから籠城するし最初に攻めきれなかった時点で詰みなのだ 北伐を政策として掲げて重税取ってたんだからやらなきゃぶち殺されるだろ >>325
そんなことないと思うよ
俺は中国の『三国』関係の番組見たりするけど、日本でそのクオリティの番組を見たことがない >>320
そもそも諸葛亮がいなきゃ劉備没後の内乱で自壊してたべ
だから曹丕もまったくノーマークで呉征伐に集中してた 諸葛亮ってなんでひきこもり生活してんのに部下にすれば天下取れるレベルみたいな感じで知られてたの? そら孔明も過労死しますわな
「鞠躬尽瘁 死而後已」社畜の末路と同じですわ 当時は雲南みたいな内陸と南海岸が中国外で未開発
蜀はそこを開発して農業生産力を上げるべきだった >>329
荊州が平和だった時代は人材批評が盛んで、
シバキ先生が「伏龍か鳳雛がいれば天下が取れる」
と言ったから
諸葛亮に才能があったのは事実だが、
敵側にもそれに匹敵する才能の持ち主がいたから
「天下を取れる」は言い過ぎだったな
シバキは魏に人なしとあなどったか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています