【画像】諸葛亮の北伐、想像の3倍くらい無理ゲーだった [976976205]
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>>355
秦は全国力を戦争に注ぎ込む体制ができてたから
逆に言えば他国が舐めプしてたから >>355
山奥なんで纏めて攻めさせて
返り討ちにした
山奥で背後に何もないので
全力で順番に各国を撃破 >>361
その果てにすべて失ったのはおもしろいよね
秦公室は皆殺しにされて一切記録が残ってない >>359
まあ基本的に今の常識と変わらんよ
水がふんだんで肥沃な平原では農作物が豊かで人が集まり人口が増え交易が盛んになる
逆に山間では人の往来が困難で交易も乏しくなる
「中原を制するものは天下を制する」なんて言われるくらいだ >>359
三国志末だと魏は400万呉は230万蜀は94万
だけどこれ戸籍全然把握出来てない挙げ句兵や官吏の家族含まれてないらしい
後漢末だと人口比魏が60%呉が25%蜀が15% >>306
漢王朝の最盛期の人口が6000万
三国時代の人口が2000万
把握できないってことは農村人口ではないと言うことになる
さらに徴兵もできないわけだ。これは存在しなのと同じ。
当然、把握できないだけではなく、人口そのものが減ってるから、異民族が定住が既に進んでたしな.
こんだけ兵の動員の必要な時代に4000万人も把握できてないなんてあり得ないのはわかると思うが?
魏の河北の軍は異民族が既に担ったし、そもそもヘイ州出身の呂布や、涼州の董卓の軍は異民族を中心にした騎馬軍団
漢王朝だって、まだ科挙も無いしコネ社会だよ。基本的に名門出身の優秀なのが郷挙里選で選ばれてた。
それが九品中正でシステマティックに完全にして、品もつけたことで「上品に寒門なく,下品に勢族なし」で帰って固定化されて柔軟性がなくなり
「あの地方で有名な儒学者」みたいのが中央に推挙されて、偉くなるようなのが無くなった
>>313
合理的な反論よろしくな。横レスで敗北宣言とかいらんから >>350
俺の中国語の先生が西安(昔の長安)生まれで親の転勤で四川に行ったら
ずっと体調不良に悩まされたと言ってたわ
そんであんまり好きじゃないんだけど四川の激辛料理を食べるとけっこうよくなったんだと
古代だと食材も限られてるし医療知識や技術なんか比較にならないくらいだしね
ちなみに馬超の出身とされてる甘粛省にも 肥の三國志だと演義の影響受け杉でいまだに知力100で政治はその次なんだよな
逆だろうが。何故誰もシブサーに
「これいい加減知力と政治の値逆にしません?いまだにうちの会社くらいっすよ?諸葛亮を天才軍師()とか言ってるの。馬鹿じゃないっすか?少しは勉強したらいかがです?」
と言えないんだろうな。まぁいったら首だろうけど >>368
途中送信してしまった
馬超がおそらく生まれて生涯の前半活動してた甘粛省あたりって俺も行ったことあるけど
ほぼ砂漠みたいなとこなんだよ
東西に長細いから古代の地理感覚ではまた別になるけど敦煌とか甘粛省だし
で、四川ってむちゃくちゃ湿度が高い地域なんだよね
そんで降水量多くていつも曇りで太陽が見えないって言われてるようなとこ
だから水が豊富で作物がよく育って豊かな土地なんだけど
砂漠生まれの人間が中年になってからいきなりそんな土地で暮らし始めたら
そら体調悪くなるだろうなってので
「馬超が蜀であまり活躍できなかったのは病気になったからだ」
ってたぶんガチっていうか俺の中国語の先生みたいに現代人でもかなりヤバいわ
って思ったことあるわ 政的も現れず国を完全にコントロールし、さらに専門外の軍事までやる事になった。
人を目る目が無かったのは周知の事実だが、それでも政治力に関してはどこからも文句は出ない
肥社員がこんな底辺板に居るわけはないが、社員声明を掛けてしぶさーに忠告して見る気は無いか?
首になったらバンナム行こうぜ。あそこは超ホワイト企業だから >>369
初代三国志のマニュアルだと三国志演義をベースとしたらSLGって書かれてるから別に間違ってないんじゃないか? >>369
三国志7だと知力92だった。道具補正があるから実質100だったけどそれでも不評だったとかネットで聞いたな >>369
政治トップは荀彧と言う
絶対的相対尺度があるので
知力100諸葛亮、98司馬懿が暗黙の了解だったが
司馬懿と郭嘉が入れ替わるという事態も起こっているから
統率みたいに雰囲気でバラバラ変わるのも勘弁だが >>369
まぁ光栄の三国志は三国志演義だからなぁ
でもtotal war three kingdomsであったように
romance(演義) or records(史実)があってもいいと思うね
演義に関しても更に色々あって演義にすら登場しない、馬超の妹とか出てきたりもするしな
一応、女武将ありか、無しか、とかは今でもあるけどさ。 >>371
まぁー昔はそこまで甘粛省は砂漠ではなかったとか
馬岱は長生きしてるとか、色々あるけど
正直、あんだけ環境違うと体悪くする奴はいてもおかしくないとは思う。
食い物どうなんだって話はあるよなぁ流石に。 荀彧、張昭、陳羣の政治担当座組は固定化されてる
諸葛亮はそれを超えないコーエー世界観 色んな項目があって、採用するかを自分で決めてよくて
「笑府」をゲーム内設定に採用したら張飛がホモになるでもいいじゃないか >>367
人口のことは正直よくわからんわ
董卓が「異民族を中心とした騎馬軍団」とのソースは何?
Wikipediaでは何進らの兵を吸収したとあるが
「董卓が洛陽に入った時は3000ほどの兵力しかなかったので[7][8]、殺害された何進や何苗[9] の軍勢を吸収して軍事力で政権を手中におさめた。また、同じく何進に呼び寄せられた執金吾の丁原の軍士を取り込むべく、丁原の暗殺を企てた。丁原の部下には武勇の士として名高い呂布がおり、暗殺は失敗してしまうが、その呂布がまもなく董卓の誘いに乗り、丁原を殺害して董卓に帰順し、董卓は丁原の兵を吸収した[10]。」
そもそも君は何か史料に基づいて書いているの?それとも適当に想像して書いているの?
後者なら話しても無駄だからもういいや。 >>379
赤壁の戦いで魏が負けたのは現地調達した食物が合わず兵士が住血吸虫病に感染したからだという説があるしな 董卓は対異民族戦とその懐柔が得意だったのであって
異民族率いたわけじゃなかったと思う 董卓が何進・丁原の兵吸収したのは正史・演義とも合ってる
正史で董卓は朝廷からの兵権手放し・召喚を拒否してるので
洛陽乗り込んだ時も当然官軍だったと考えられる >>383
まず羌・胡を中心にした馬騰や韓遂と戦う時点で、当然現地兵もいて、その皇甫嵩の軍も預かる形になってるし
そのあとは并州牧任官でそこが兵のメインだからね
并州は匈奴の土地なのは有名
匈奴、鮮卑、烏丸なんかがいる
ソースとなると、皇甫嵩伝、董卓伝、あとは普通に中国の地域研究で異民族がヘイ州や、涼州に多くいたってとこやね >>386
丁原は董卓の後任の并州牧ね
異民族だからけだから武官が任官されるのが恒例だった しかしこんなデカい大陸で、何万という兵士を連れて出兵してたとか色々無駄すぎるだろ… >>377
武将が妖術使って敵に雷落とすゲームだしな
とはいえ、一応史実モードはあるな
イベントや寿命や血縁関係とかだったと思うが >>317
撤退は即ち国家方針、作戦全体の破綻を意味する
一方面軍の指揮官に過ぎない、まして作戦立案者に近しい人物が全面撤退を即断するなど不可能
馬謖は何故孤山に登ったか?史実かはともかく馬謖の立場で撤退は公私共に出来ない、馬謖の退路は作戦開始時に絶たれてる >>387-388
并州の現地徴集兵=基本は漢人ですよ あとここで言う漢人とは漢化した異民族も入ります
祖父母が異民族で異民族の風習を持ってても
漢の戸籍を持って漢化した孫は漢人です
漢の戸籍持ってない者を兵として徴集する事は出来ません >>346
国としてのシルクロード交易わ西域諸国を服属させた上で
遊牧国家が大量の荷駄馬と馬車使ってやるから儲かるんであって
蜀がシルクロード交易とか馬鹿の妄言 今だと無理ゲーなのわかるけど無理ゲーと思わなかった諸葛亮にはたいした戦略眼がなかったのわかるし
それでも韓信のように成功しなかったことからも稀代の天才じゃなかったのもわかる >>396
孔明が涼州抑えたのは後顧の憂いだね
シルクロードは・・無いねw
三国志の時代ではタリム盆地の存在さえろくに知られてないのでは >>397
蜀は後漢復興を建国理念としてるんで
北伐しないと存在意義自体が揺らぐのよ
そもそも当時の蜀の国号はそのまんま漢だし >>355
昔わ森林地帯で土壌も肥沃で生産力有ったよ
降水量少ないから伐採し過ぎると荒地に変わって回復し無いから
唐代以降は貧しいけど >>400
弥生人の源郷の遼河近辺も遼河文明栄えた当時は肥沃だったらしいね
カルタゴが栄えた北アフリカも昔は森林だった >>174
19世紀初頭のキリスト教国で活躍したナポレオンですらバイだったんだから
当時の軍人なんかバイでもフツーフツー 無理ゲーだけど魏から攻められると即死するから攻め続けるしかなかった >>410
無いよ
河も渡らなくていいし
山も登る必要もない
実際それでよかったし
政治的に三国は統一された >>202
五湖で混乱した華北から華南に漢人が移住して人口が増えたから開発が進んで生産力が伸びたわけであって、魏が安定政権のまま存在してたらそうはならんでしょ 長安落ちたらヤバイけど長安さえ守っとけば良いからな
時間経てば経つほど国力差開くし 今の中国の三大都市圏
北京=三国時代の北平、僻地
上海=ほぼ三国時代の呉(上海隣の蘇州)
広州=三国時代の交趾、僻地 >>392
それで軍団消滅させて自分は撤退戦もせず逃げ帰ってきてりゃ世話ないさ
兵が残ってりゃ後方でまだ立て直すチャンスもある
そもそも夷陵とかでも大敗すりゃ将官クラスもボコボコ死んでるのに
街亭でそういう話が全然無いってどういう事?
向朗の伝に書かれてた「馬謖は逃げた」ってそういう事なんじゃないの? >>174
昔の中国は美形=有能の風潮があった
孔子もこれにひっかかったことがあるって教訓残してる 演義も基本は美形有能で話進むんだけど
醜男が意外にも有能、ってエピをちらほら入れてるのが夢と優しさがあっていいわ 民間の小咄だと龐統が大天才で諸葛亮がやたら腰低かったりする 馬謖がやったのは”孔明の方針に逆らって””独断作戦の上で敗北”だからね
撤退の判断は将軍として独断出来る範疇のはず >>419
マジで三国志だけなんだよな、他時代は言うほど人気無い
やっぱ蜀が負けるという、滅びの美学というか判官びいきがあると思う もし馬謖の言い分が
「魏軍と対するのは不可能と判断して撤退しました」
だったら孔明も処断まではしなかったと思う
「貴方の方針を理解せず上に昇った方が強い!と思ったので昇ったら負けました」
こりゃダメでしょう
>>424
そもそもコーエーのゲームや漫画描いてる人も好きで描いて作ってるのだよ 蜀の人間が書いたファンタジーですし
そもそも軍師なんて中二心を刺激するような役職なんて無いですし こいつの知力が100なのはおかしい!史実では〜
とかそういう話は、なんていうかついていけまへんな 演義では明確に100なんだからそこを史実では〜はナンセンスだとは思う >>426
いま晋の宣帝(司馬懿のこと)を讃えた楽しらべたら
https://m.gushiwen.cn/shiwenv_d56b99de2875.aspx
宣受命。应天机。风云时动。神龙飞。御诸葛。镇雍梁。
边境安。夷夏康。务节事。勤定倾。揽英雄。保持盈。渊穆穆。赫明明。
冲而泰。天之经。养威重。运神兵。亮乃震毙。天下宁。
「(宣帝の)神のごとき用兵に諸葛亮は恐れおののいて斃れ、天下は寧された」
と歌われてるのな
これは、逆に敵対側が諸葛亮を意識しまくってたのが見て取れる 司馬懿を称えるため諸葛亮ageも許された所はあるね >>426
ややこしいのに諸葛亮の役職は
軍師中郎将なんよ
将軍補佐みたいなもんなんだけど
お兄ちゃんの諸葛瑾は呉の大将軍まで行ってるし
直後の歴史書に三国名臣序賛ってのがあって
まぁこのメンツが今の三国志イメージのザ・軍師そのもの >>430
光武帝にすらダメ出しする遠慮のない裴松之が「司馬懿では相手にならんかったやろなあ…🙄」とは評価してるらしい 孔明は演義は誇張だろ?って思って史実調べると
なんだかんだやっぱ孔明スゲー!ってなる なんだかんだ言ってみんな詳しくてビビる
まさに中二くらいに漫画の三国志読んだ
歳を取るにつれ史実と演義は別物と知って夢が萎んだな
所詮オリエンタルラジオ?の人の解説動画の知識だが、最新の三国志演義は関羽が中心になっているとか
だから中国では関羽が一番人気になっているとか
諸葛亮は有能な政治家ってイメージ
今でいう福利厚生を整えたんよね 関羽は調べ出すと謎が多くて人間味があるのでまた違った高評価になる 三国志はお互いの格を下げないように持ち上げ合ってるようでどうも好きになれなかったな つくづく荊州とられたり夷陵の戦いがもったいなかった >>416
そりゃ作戦立案者が事実上国のトップでソコが糾弾されると国が滅ぶからな、ソレを理解してたから逃げた
そんでそういう組織防衛の為の生贄って殊更ジャップに良く刺さるんだよ
ミッドウェー海戦の敗戦の根本は山本五十六の作戦計画がクソだったからだけど南雲忠一が原因って流布されるのと同じ 五胡十六国時代終わらせたのも
数百年ぶりの統一王朝も南東からやんけ >>441
それならハナから撤退してくれりゃ兵は死なずに済んだじゃんか 出師の表ってかっこいいよな
今だとブラック企業の社訓や朝礼みたいなもんだが >>301
五丈原は長安の西からの入り口で戦略的要衝じゃないかな
長安は守り易い盆地で、長安を確保すれば西北は魏と遮断されて蜀漢にとって安全な後背地に出来るし、長安から洛陽はすぐだし荊州の襄陽に向けても出口がある
まぁつまり長安を望みながらあと少しの所で手が届かず死んじゃったという事なんだけど >>422
日本でも戦国時代が一番人気だし
滅びの美学ではなく大逆転の戦いがたくさんあって面白いため
キングダムも楚漢戦争のオマージュなので人気ある >>444
撤退したら北伐自体が失敗するの、そしたら作戦考えたヤツの責任が問われるの
ついでに言えば決戦に敗れ主力軍を失った訳でもないただの守備隊なの >>439
三国志だと
呉主孫権の死は「權薨時年七十一諡曰大皇帝」
蜀主劉備の死は「先主殂于永安宮」
孫権のことは呼び捨てにしつつ、魏から荊州牧・大将軍・呉王の地位を認められていたことから大夫諸侯としての「薨」を用い、九錫も賜っていることから諡号として「皇帝と曰った」とも表現している
劉備のことは「先主」と公的地位抜きの尊称を宛てつつ「殂」、つまり古帝王の死をたてまつって用いられた字を充てた
気を遣ってるのはそうだけど、その相手はあくまで晋魏で、ただし劉備親子は別格扱いといったところ >>448
それってつまり馬謖が孔明の身代わりになって罪を被ったってこと?
それは山登りが馬謖に伝えられた孔明の極秘作戦だった、ってことになるけど
それは無いんじゃないかな
面白い発想だとは思うけど可能性は低いと思う
撤退は馬謖の現場判断で行えるもので孔明には傷はつかないよ >>446
長安ってそんな重要拠点だったんだな
ニワカ知識しかないから良スレで面白いわ 関内という言葉がありましてね
長安の西、洛陽の東に関を設ければ天嶮の要塞箱になるのです >>13
あいつはすぐ机たたっ切るからダメなんだよ >>450
そうはならんやろ
オレが言ってるのは諸葛亮は街亭の守備を馬謖に命じたが、その時点で諸葛亮は曹魏をナメてて曹魏の即応速攻を想定してなかったって事
街亭失陥、北伐失敗の責任は馬謖では無く諸葛亮に有る
命じられた馬謖は街亭に進出し、陣地構築して魏軍を迎撃するつもりが陣地構築する間も無く速攻され魏軍と会敵
陣地も無く数的劣勢で守備が不可能になったが守備を命じられ北伐の成否を分ける要地である以上全面撤退する訳にもいかず慌てて山に登った、というより追い立てられたというのが実相だろうよ 北伐しないで左下で引きこもってたらワンチャン晋の崩壊まで粘れたか? >>455
>守備を命じられ北伐の成否を分ける要地である以上全面撤退する訳にもいかず慌てて山に登った
実相、と言われても史実ではそういう情報はないので・・
史実の行間から読み取るのは自由だけど、
論拠が薄い仮説ならもう少し控えめに言った方がいいかと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています