【画像】諸葛亮の北伐、想像の3倍くらい無理ゲーだった [976976205]
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>>422
日本でも戦国時代が一番人気だし
滅びの美学ではなく大逆転の戦いがたくさんあって面白いため
キングダムも楚漢戦争のオマージュなので人気ある >>444
撤退したら北伐自体が失敗するの、そしたら作戦考えたヤツの責任が問われるの
ついでに言えば決戦に敗れ主力軍を失った訳でもないただの守備隊なの >>439
三国志だと
呉主孫権の死は「權薨時年七十一諡曰大皇帝」
蜀主劉備の死は「先主殂于永安宮」
孫権のことは呼び捨てにしつつ、魏から荊州牧・大将軍・呉王の地位を認められていたことから大夫諸侯としての「薨」を用い、九錫も賜っていることから諡号として「皇帝と曰った」とも表現している
劉備のことは「先主」と公的地位抜きの尊称を宛てつつ「殂」、つまり古帝王の死をたてまつって用いられた字を充てた
気を遣ってるのはそうだけど、その相手はあくまで晋魏で、ただし劉備親子は別格扱いといったところ >>448
それってつまり馬謖が孔明の身代わりになって罪を被ったってこと?
それは山登りが馬謖に伝えられた孔明の極秘作戦だった、ってことになるけど
それは無いんじゃないかな
面白い発想だとは思うけど可能性は低いと思う
撤退は馬謖の現場判断で行えるもので孔明には傷はつかないよ >>446
長安ってそんな重要拠点だったんだな
ニワカ知識しかないから良スレで面白いわ 関内という言葉がありましてね
長安の西、洛陽の東に関を設ければ天嶮の要塞箱になるのです >>13
あいつはすぐ机たたっ切るからダメなんだよ >>450
そうはならんやろ
オレが言ってるのは諸葛亮は街亭の守備を馬謖に命じたが、その時点で諸葛亮は曹魏をナメてて曹魏の即応速攻を想定してなかったって事
街亭失陥、北伐失敗の責任は馬謖では無く諸葛亮に有る
命じられた馬謖は街亭に進出し、陣地構築して魏軍を迎撃するつもりが陣地構築する間も無く速攻され魏軍と会敵
陣地も無く数的劣勢で守備が不可能になったが守備を命じられ北伐の成否を分ける要地である以上全面撤退する訳にもいかず慌てて山に登った、というより追い立てられたというのが実相だろうよ 北伐しないで左下で引きこもってたらワンチャン晋の崩壊まで粘れたか? >>455
>守備を命じられ北伐の成否を分ける要地である以上全面撤退する訳にもいかず慌てて山に登った
実相、と言われても史実ではそういう情報はないので・・
史実の行間から読み取るのは自由だけど、
論拠が薄い仮説ならもう少し控えめに言った方がいいかと >>10
その例えだと、北海道は燕(遼東公孫氏)だろ
国力も蜀に匹敵するぐらいはあるはず >>66
関羽が荊州維持していたら奇襲も意味があったかもな >>438
なお劉備はそこまで逃亡する予定だった模様 >>458
それだとそもそも蜀を維持できたかな?
反曹操、漢復興ていう大義名分で蜀を乗っ取ったのに北伐しなかったら政権になんの正当性もない >>460
各伝やその記述との辻褄は合うぜ
そもそも俊才が突然発狂して高所有利だけ見て孤山に登ったなんてのがファンタジーじみてる >>13
当時は開拓地みたいなもんなので人口密度が薄すぎて無理 >>467
もし良かったら「馬謖は魏軍に追い立てられて昇った」と
匂わせてる個所引用してもらえます?
wikiソースから原文のままでいいですよ >>40
孔明時代の謎はなぜか史官を置かなかったことらしいな >>465
楠木正成の正義の突撃みたいなもんだよな
儒教的正義なんだろうけどアクバル兄さん過ぎて引くわ そもそも馬謖は王平に止められながらも
山上に陣を張ったと記憶してるんですよね
山に陣を張るなら追い立てられる前に下で陣貼る余裕あったのでは >>112
車軸に載せられるほど道広くないんじゃね >>469
例えば王平の記述で馬謖の命令がコロコロ変わって訳わからんって記述が有るが
先述の通りだったら何故そうなったかの合理的説明だろ 蜀漢が健在だったら晋になってたかも怪しい
漢(蜀)の存在自体が魏公室の正統性への挑戦なんだから、それからさらに簒奪したら名分はますます蜀に傾いちゃう 北伐はそもそも自力で何とかするための軍事作戦じゃないだろ
魏に圧をかけ続けることで呉を陥落させたり戦力整えられるのを防ぎつつ
内乱や他国が便乗してくるのを待つ作戦
だから、早急に戦果を求めるのではなくできるだけ滞陣して魏の戦力を釘付けにする >>40
明らかに国力に勝る大国相手にあれだけ軍事作戦繰り返して
大きな損害が馬謖や魏延がやらかした時ぐらいしか無いんだから
指揮官としてむちゃくちゃ優秀だぞ
戦功が欲しい脳筋武官からは嫌われるタイプだろうけど >>174
夏侯惇は自由に曹操の寝所に出入り出来たらしいぞ(ニチャア >>480
もし龐統の成都電撃攻略策を採って、
上庸の孟達ではなく襄陽の関羽・孔明と
蜀の劉備・龐統とで北伐に臨む体制だったら、魏延もたぶん持てる力を充分に発揮できたんじゃないかと思う
馬良も方正もいたわけだし >>483
荊州維持して蜀のオールスターいる状態で呉とも和平出来てればガチの攻勢もありだろうな >>355
中国は東に行くと海になるので先は陸がない
西に行くと無限に陸地がある
そのせいか西から攻め上がると統一王朝作りやすいのだろ 諸葛亮は内政に専念して蕭何みたいにがんばって
北伐の指揮は魏延にやらせてたらワンチャンあったんじゃないの?
諸葛亮って人の扱い下手なのと弱くはないけど戦上手っていうほどではないのが欠点よね >>487
国を簒奪した正当性維持のためにする戦争してた説はしっくりくるよ >>427
三国志7では知力100ではなくなったが
その他の能力で普通にバグかチートという罠だな >>487
孔明が戦上手だというのは疑いようは無いと思うよ
人の扱いというか見る目は、まあ・・w >>426
軍師とは軍の師と書いて軍師なのでな
一応孔明の役職は史実でも軍師将軍なのよな >>489
簒奪したのは魏でしょう、何を言ってるのか そもそも北伐ってのが戦略ミスだろう
もともと天下三分の計は三国間での危ういバランスの上に成り立つわけで、
蜀を強化しつつ、外交で牽制するのがベストだったはず(実際に多人数参加のゲームで同様の状況で膠着した)
孔明も自分の代でどうにかしようと功を焦りすぎた でも蔣琬と費禕の時代は一回も北伐しなかったんだし北伐必須って考え方は間違いだろう
そもそもチャンスもないのにガンガン北伐するって何考えてんのか魏を警戒させるだけじゃん >>488
蜀漢はある意味で大日本帝国になぞらえられてる
アメリカが魏国というわけだな
吉川英治が三国志書いてた頃の時期はもろに太平洋戦争のころ >>493
君は儒教フィルタ強過ぎるよ
史記や漢楚の戦いの方が宗教臭くなく現代的で面白い >>495
儒教的正義で戦ってたから傍から見ると基本頭がどうかしてる 荊州を失った時点で試合は終わってた
後はもう漢帝国復興という大義で他人の家を乗っ取ってしまった手前
嘘でもやってる感でもとにかく北伐せざるを得ない
今更止める訳には行かないという結論に至った >>495
呉は孫権存命中は魏に連戦連勝してて、
司馬懿ですら江陵すら落とせず三路侵攻作戦で呉に大敗してる
蜀の第二次北伐はそのときに魏が動員できるほぼ全軍を呉攻略に向かわせた隙を突いた >>496
?
>>497
いや面白い面白くないはどうでもいいです
漢を簒奪したのは魏です
劉備は漢の簒奪してませんし、孔明も蜀を簒奪してません
貴方の言う簒奪正当性の維持のための北伐、という言葉は意味不明です >>496
大日本帝国は南蛮くらいが丁度いいけどな >>503
前に蜀にいた劉焉親子のことなんだろなたぶん まぁ馬謖は軍事面に於いて孔明の補佐から後継者の1人として直々に鍛えてた訳で
「お前なら孔明の意図を言わずとも判るだろう、前線の軍の押し引きは優秀なベテランの王平に任せて作戦の全般を調整し損害を最小に抑えて作戦目的を達成して来い」的に送り出されてたんだろう
孔明の域にまで到達出来てないから運用担当ベテランの将軍が補佐に付いて作戦の全体を見る事に専念しろとなる筈が、自分で部隊を持って前線の敵に対して自分が前線指揮官やっちゃった訳でやっちまった案件だわな 赤壁やった南部にも荊州あるな
どこが支配していたんだろうか >>508
南蛮は七度敗れて流石に恥を知ったが
大日本帝国は今だに負けてない負けてないんだから反省もしないという態度だからな
人間としては南蛮の方が上だよ >>509
三国志演義で歴史を語るチョンモメン
やっぱり頭悪いんだな
演義は歴史小説の意味と覚えておくといいよ >>506
まあ呉壱だか呉懿だかのかわりに起用したのは判断ミスだったのだろな >>506
儒教的に孔明は聖人だから失敗や罪を擦り付けられた人も多いと思うわ >>476
馬謖が己の才気に溺れてザルな指示を出したんだとしても
あるいは不測の事態にパニックになって兵卒を死地に追い込んだんだとしても
結局処断が妥当という肝の部分はなんも変わらないんじゃねえの?
将軍の権限は不測の事態に対応するためにあって、実際作戦遂行不可能と判断した趙雲は独断で撤退してるワケで
そもそも諸葛亮の見積もりが甘かったって言うなら参謀役の馬謖の見積もりも甘かったんだろ >>516
馬謖の不味いのは敗戦そのものよりもその後の逃亡 >>13
漢王朝に服属しない異民族がいっぱいいる地域だぞ
孫権が皇帝になった後もちょいちょい反乱や侵攻が起きてる
○○族平定の功により都尉に推挙、四姓以外なら呉の武将のキャリアのスタートはほぼこんなのばかり >>487
出師の表の凄い所はクソ真面目なお気持ち表明を後に全部実行してる点にあるから
結局自分が先頭に立って行動するしか無かったんじゃないかな
魏延が優秀なのは劉備自らが前線に立って使いこなせていたからだと思うし
兵権を他人に預けて首都に籠もっても、最終的には姜維と諸葛瞻みたいな関係になる気がする >>517
魏に逃亡する話まであったくらいだからな
軍機漏らす危険から言ってもそら死刑やむなしか >>502
司馬懿を負けさせてるのはでかいわな
ほぼ負け無しやし、あの人 >>5
韓信のおかげで長安取れたからな
魏延も韓信見習ってとにかく長安取れって言ったのにな >>487
漢王朝を建て直すためにちょっと益州を間借りしますねという大前提で蜀が成り立っているので
北伐を停止すると政治的に死ぬ >>521
実戦に強くて政局には弱い
子孫もそうだが陸家のお約束みたいなもんだな >>19
そりゃ今の中国人は実質モンゴル人だしな
洛陽に思い入れなんてあるわけない >>524
この見方をしてる人が多くなってきて嬉しいわ
蜀漢=聖戦士アクバル兄さん >>518
呉が異民族をバリバリ平定してたのに対して蜀はなるたけ異民族を異民族のまま使う方針なのが面白い
南蛮遠征だって、呉だったら1回目孟獲捕らえた時点で終わらせてただろう >394が流石におかしいと思って>>395で言い換えたの?
滅茶苦茶やな
そんじゃ匈奴の劉淵は「漢民族」になっちゃうじゃん
山川世界史用語集レベにケチつけてるの?
それとも「漢民族」もおかしいと思って「漢人」て書いてるわけ?
ソース無しで難癖つけた挙句がそれなのか?
そもそも異民族を中華国内に済ませて、農耕させたり、軍を担わせたりって話から始まってんだけど?
なんやねん。漢民族の戸籍を与えて、軍籍持たせたら「異民族」じゃなくて「漢人」て。
アホ話やな 自分を光武帝だと思い込む精神異常者
君は光武帝どころか管仲や楽毅でもないんやで 荊州の交渉で呉に返すなら返すで
軍事拠点として使えるよう交渉すれば良かっただけなのに
劉備が荊州交渉失敗したせい
呉も蜀が荊州以外から攻めるのは無理ゲーなのはわかっていたはず 諸葛亮も当時は美談になるのもわかるけど
今の価値観だとウクライナのゼレンスキーと同じなんだよなぁ
大義名分掲げて軍事国家にして勝てない戦争繰り返しても名誉しか得られない
いや今じゃ名誉すら無理かな >>522
どう考えても兵站もたないし魏の国力の中心は中原にあるから
もし長安洛陽まで押さえても伸びきった兵站の先を一方的に叩かれる展開になる
呉や燕が連動してくれないとどうにもならんわ >>487
魏延みたいな政治できない人望皆無おじさんには総大将は無理 >>521
石亭は本体は曹真で牽制である司馬懿が曹真が負けるまでの短期間で
城を落とせず負けとするには違和感があるんだよね 中国めちゃくちゃでけーよな
NHKの中国を空から撮影するみたいなので
山岳の農村が各山に散らばってたりする
昔はどうやって統治して平定したんだろと不思議になったわ
狭い地域でもそうなのに
電報もインターネットも無い時代に中国全土を統治した始皇帝や劉邦、楊堅やば過ぎる 聖帝を習ってやってる感で北伐してたらもうちょい延命できたかもな >>532
他勢力の軍事拠点が長江の南側にある限り、呉は枕を高くして眠れないのだ
仮に蜀が荊州を維持したまま北伐に成功したりしたら呉は非常に危険な事態に陥る >>530
庶民の立場と貴人のルーツは全く別の話です
祖父母が異民族でも本人の代で漢の風習・社会制度に生きる庶民は
どう考えても漢化した漢人です
故に、董卓配下は基本漢人となります
つまり、董卓が率いたのは異民族集団じゃありません >>533
さすがにゼレンスキーほど無茶ではない
諸葛亮は無理を理解してちゃんと損害を避ける戦い方してた >>533
ゼレンスキーは軍に丸投げして挙げ句無茶な命令でリソースいたずらに消耗させた典型的なヒトラー脳だろ
孔明は国家滅亡レベルの致命的敗北はしなかったというのは大きいのよ >>539
破竹の勢いの故事ではないが勢いに乗った蜀漢がいつ長江くだって攻めてくるかわかんないからな >>535
武人気質の連中にはウケ良さそうだが、すでにそれでどうにかなる時代じゃないしな >>538
聖帝ほどいい加減にはなれなかったのだろ
孔明はよくも悪くも生真面目な官僚 史実の孔明は奇策を用いない、無理をしない堅実な戦いだけど
それは国の事情から当然だし、司馬懿が奇策に乗らなかったというのもある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています