朝日新聞の連載「古典百名山」に選ばれた120作品がこちら [122319879]
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海外文学
ウィリアム・シェイクスピア「ハムレット」(1601年頃)
スウィフト「ガリバー旅行記」(1726年)
ジェイン・オースティン「高慢と偏見」(1813年)
メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」(1818年)
スタンダール「赤と黒」(1830年)
ゲーテ「ファウスト」(1833年)
オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」(1835年)
ゴーゴリ「外套」(1842年)
アレクサンドル・デュマ「モンテ・クリスト伯」(1844年)
エミリー・ブロンテ「嵐が丘」(1847年)
ナサニエル・ホーソーン「緋文字」(1850年)
ディケンズ「デイヴィッド・コパフィールド」(1850年)
ハーマン・メルヴィル「白鯨」(1851年)
ギュスターヴ・フローベール「ボヴァリー夫人」(1856年)
イヴァン・ツルゲーネフ「はつ恋」(1860年)
ヴィクトール・ユゴー「レ・ミゼラブル」(1862年)
ギー・ド・モーパッサン「女の一生」(1883年)
マーク・トウェイン「ハックルベリー・フィンの冒険」(1884年)
オスカー・ワイルド「サロメ」(1891年)
ライマン・フランク・ボーム「オズの魔法使い」(1900年)
チェーホフ「三人姉妹」(1901年)
プルースト「失われた時を求めて」(1913年)
サマセット・モーム「月と六ペンス」(1919年)
ヘルマン・ヘッセ「デミアン」(1919年)
レーモン・ラディゲ「肉体の悪魔」(1923年)
スコット・フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」(1925年)
ジャン・コクトー「恐るべき子供たち」(1929年)
ヘミングウェイ「武器よさらば」(1929年)
フォークナー「アブサロム、アブサロム!」(1936年)
スタインベック「怒りの葡萄」(1939年)
アルベール・カミュ「異邦人」(1942年)
テネシー・ウィリアムズ「欲望という名の電車」(1947年)
サリンジャー「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(1951年)
サミュエル・ベケット「ゴドーを待ちながら」(1952年)
ゴールディング「蠅の王」(1954年)
ウラジーミル・ナボコフ「ロリータ」(1955年)
トルーマン・カポーティ「冷血」(1965年)
日本文学
坪内逍遥「小説神髄」(1885年)
中江兆民「三酔人経綸問答」(1887年)
二葉亭四迷「浮雲」(1889年)
森鷗外「舞姫」(1890年)
北村透谷「内部生命論」(1893年)
樋口一葉「たけくらべ」(1896年)
尾崎紅葉「金色夜叉」(1898年)
正岡子規「病牀六尺」(1900年)
国木田独歩「武蔵野」(1901年)
幸徳秋水「兆民先生」(1902年)
与謝野晶子「みだれ髪」(1901年)
島崎藤村「破戒」(1906年)
夏目漱石「坊っちゃん」(1906年)
田山花袋「蒲団」(1907年)
若山牧水「若山牧水歌集」(1908~1938年)
北原白秋「邪宗門」(1909年)
石川啄木「一握の砂」(1910年)
志賀直哉「城の崎にて」(1917年)
有島武郎「小さき者へ」(1918年)
芥川龍之介「河童」(1925年)
岸田国士「紙風船」(1925年)
小林多喜二「蟹工船」(1929年)
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」(1934年)
谷崎潤一郎「細雪」(1936年)
江戸川乱歩「怪人二十面相」(1936年)
堀辰雄「風立ちぬ」(1938年)
高村光太郎「智恵子抄」(1941年)
太宰治「津軽」(1944年)
坂口安吾「堕落論」(1946年)
川端康成「雪国」(1948年)
井伏鱒二「山椒魚」(1948年)
大岡昇平「俘虜記」(1948年)
林芙美子「浮雲」(1951年)
高橋和巳「悲の器」(1962年)
哲学など
プラトン「パイドン」(紀元前4世紀頃)
アリストテレス「形而上学」(紀元前4世紀頃)
龍樹「中論」(150年頃)
親鸞「教行信証」(1224年)
マキアヴェリ「君主論」(1532年)
デカルト「方法序説」(1637年)
スピノザ「エチカ」(1677年)
本居宣長「紫文要領」(1763年)
ジャン=ジャック・ルソー「社会契約論」(1762年)
イマヌエル・カント「判断力批判」(1790年)
ヘーゲル「精神現象学」(1807年)
トクヴィル「アメリカのデモクラシー」(1835年)
カール・マルクス「資本論」(1867年)
ニーチェ「ツァラトゥストラ」(1883年)
デュルケーム「自殺論」(1897年)
マックス・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1904年)
ウィリアム・ジェイムズ「プラグマティズム」(1907年)
ジョン・エリス・マクタガート「時間の非実在性」(1908年)
西田幾多郎「善の研究」(1911年)
ジークムント・フロイト「快感原則の彼岸」(1920年)
マルセル・モース「贈与論」(1925年)
ハイデガー「存在と時間」(1927年)
折口信夫「大嘗祭の本義」(1930年)
クルト・ゲーデル「不完全性定理」(1931年)
カール・シュミット「政治的なるものの概念」(1932年)
ニールス・ボーア「因果性と相補性」(1933年)
ヴィゴツキー「思考と言語」(1934年)
ケインズ「雇用、利子、お金の一般理論」(1936年)
ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」(1940年)
ジャン=ポール・サルトル「存在と無」(1943年)
カール・ポラニー「大転換」(1944年)
ケネス・J・アロー「社会的選択と個人的評価」(1951年)
ウィトゲンシュタイン「哲学探究」(1953年)
E・H・カントーロヴィチ「王の二つの身体」(1957年)
クロード・レヴィ=ストロース「野生の思考」(1962年)
ハンナ・アレント「革命について」(1963年)
バフチン「ドストエフスキーの詩学」(1963年)
ミシェル・フーコー「言葉と物」(1966年)
ジャック・デリダ「声と現象」(1967年)
ジル・ドゥルーズ「意味の論理学」(1969年)
三上章「象は鼻が長い」(1969年)
ジョン・ロールズ「正義論」(1971年)
ジャック・ラカン「アンコール」(1972年)
廣松渉「世界の共同主観的存在構造」(1972年)
井筒俊彦「意識と本質」(1983年)
イマニュエル・ウォーラーステイン「史的システムとしての資本主義」(1983年)
ベネディクト・アンダーソン「想像の共同体」(1983年)
ニクラス・ルーマン「社会システム理論の視座」(1985年日本語訳)
エドゥアール・グリッサン「〈関係〉の詩学」(1990年) マーク・トウェインはトム・ソーヤじゃなくてハックルベリー・フィンの冒険なんや 漱石は坊ちゃんなのか
志賀直哉も暗夜行路じゃなくて城の崎にてなんだな
芥川の河童は好きだからいいとして
源氏物語は入らないんだな
中国の孔子孟子老子荘子あたりも入ってない 古い物の価値を認めるのも大事だが最新が1990では価値半減
古典100+古典になる枠20くらい入れないと
ただの安全なところから有名な書物で殴るだけになる 人文の分野でも確実に親英米、反ロシアの流れが来てるね ウィトゲンシュタインも論理哲学論考じゃなく哲学探究なのか
折口信夫入れるんなら南方熊楠柳田國男宮本常一あたりも入れて欲しかったな >>3
まんま昭和の鼻糞以下のノータリン白痴バカ丸出しでさすがアカヒらしい ドストエフスキーの詩学は入ってるのに
ドストエフスキー本人がないのはなぜなんだ
フォークナー・フィッツジェラルド・メルヴィル・ヘミングウェイ・スタインベックみたいな米文学はしっかり全員入ってんのに
リスト作った奴アメリカ人か? そもそも『ドストエフスキーの詩学』って「いいからドストエフスキー自身の著作をちゃんと読め」ってことを書いてる本なんですよ
バフチンにしてもデリダにしても井筒にしてもこういう持ち上げられ方はまったく本意でないだろうな みだれ髪と病牀六尺と志賀の純文学でイミフすぎるし病牀六尺なんての入れといて侏儒の言葉すら入ってないって、バカが「読んだことがあるもの」を主観で適当に選んでるだけにしか見えないね
そしてなーにが「古典」だよと
バカすらも読まなくなったアカヒそのものって感じ >>13
アホ丸出しのアカヒらしく大東亜戦争の協力者賛美者なんかを排除してるのがまんま丸出しじゃん
の割には左がかりのバカ大江の飼育のような「物書きとしての傑作」なんかは入れてこないのがバカ丸出し
差別用語が入ったものはオススメできないし戦争賛美者はオススメできないのがアカヒらしい
絶望的なノータリン白痴バカしか鵜呑みにしないよこんなん リンク先の記事ちらっと読んだけど平田オリザと大澤真幸の文章の質の差がすごいな
平田オリザはさすがに上手い
大澤真幸はテキトーこいてるだけ 日本文学のところ
教科書に載ってるのをただ順番に並べただけで意思を持って選んだ感が全くないんだが…本当にやる気あんの? 平易な作品だけ選んだのかと思いきや、小説神髄やファウストなど読みづらい作品を入れている
音楽史で例えるなら、バッハ以前を無視してジャズピアノを沢山入れてそうな選出
シェイクスピアの代わりに不思議の国のアリスか、アガサ・クリスティのポアロを入れたほうがマシ >>22
闘将!!拉麵男の拳聖五”歌仙”並みのトンチキだよなあ 戦前の教養主義全盛期に旧制一高の生徒間で流通してそうなリストだな トーマス・マンもない
ドストエフスキーとトルストイはどちらか入れるべきだったろうな 「小さきものへ」も佳品だけど、そんな偉大かなあ? むしろ「生まれいづる悩み」の方が好き
あと佐藤春夫と斎藤茂吉は入れなくていいのかな。江戸川乱歩よりはるかに重要だと思うけど テネシー・ウィリアムズとアーサー・ミラーで前者のほうが評価が高くなりがちなのは、性愛という要素が濃いことが20世紀文学のトレンドにマッチしてたのかな? >江戸川乱歩「怪人二十面相」(1936年)
当時の子供向けエンタメなことを念頭にしないと
万能腹話術でなんでも出来るネタ小説としか思わないだろ トルストイとドストエフスキー抜いてるのは何の逆張りだ? 昭和か?ってぐらい古臭いセレクション
だいたいアジアアフリカラテン文学が無い
セルバンデスぐらいは入るだろうよ
そもそもデリダやウォーラーステインは古典なのか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています