「無料」の教育が実際には無料ではなく、みんなの税金で賄われている
<入手可能なファクトに基けば、(教育費無償化という)大学財政の仕組みは非効率かつ不公平である。学生から授業料を取ることで、もっとうまく、そしてもっと公平性を高めることができる。この考えは、先進国でも発展途上国でも、どんな国でも当てはまる>

<高等教育を「無料(無償)」で提供することは、多くの人にとって魅力的です。ただし、「無料」の教育が実際には無料ではなく、みんなの税金で賄われていることを説明するのはもっと難しいです。そして、最も難しいのは、「無料」の教育が実は不公平であること―金持ちも貧しい人も同じ(ゼロ円)の価格であることを説明することです>

<票を失わないために、政治家は無料教育の誘惑に負けてしまう>

<「無料」の高等教育が実際には無料ではなく、社会経済的に悲惨な悪影響を及ぼす可能性がある>

学費を徴収することで、カジュアルな学生による入学の需要を減らす
<学費を徴収する主なポイントのひとつは、学生に経済的な責任を持たせることである。学生たちは、経済的なリスクを十分に知らされ、親とともにそれに従って決断を下すべきである。学費を徴収することで、カジュアルな学生による入学の需要を減らすことが期待される>

 もう結論は明らかであろう。

 教育無償化(全額税負担)は、教育の質にとってデメリットがあり、国公立もきちんとイギリスのように民営化も視野に入れつつ、税金の投入は極力抑えていくべきだ。

 そもそも、伊藤塾長の国公立大の授業料値上げに反発している人に問いたいのだが、いったい今現在、低い負担で済んでいるのは、まったく大学とは関係のない人たちから納められた税金が原資なのである。

目の前のお金が増えるからといって、社会全体のコストは増す
 いったん国民から税金で奪い、政治家、官僚、大学とが非合理的な部分が大部分と推測されるやりとり、無駄な資料づくりを経て、学生へとたどり着くものだ。そんなことをせずに、そもそも税金を取らずに、受益者が支払うようにしたほうがコストも安い。

 お金がない家庭については、別途、補助する仕組みにつくりかえていくべきだろう。

 目の前のお金が増えるからといって、社会全体のコストが増すような仕組みにするのは、あまりに非合理的な行動だ。