「川」を中心に栄えたジャップの街、存在しないwwwだから欧米に劣る文化しか発展しなかったんだ… [779857986]
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日本の平地なんてどこも川沿いだろ
川沿いじゃない土地なんて無い 欧州はいいけど
アメリカはいれるなよ
あいつらインディアンの国を乗っ取っただけだろ 徳川は江戸の治水の為に川沿いに屋台並べて人々が堤防を踏み固める事で強固にしたって話は凄いと思うけどその知恵を出した人は誰なのか気になる 鉄道ができるまでは船の輸送が主流だった
どこの国も海沿い川沿いに街建てるしかなかったぞ 大阪とか海運だけでなく川沿いの輸送とかもあったので
わかりやすいかもしれませんね むしろジャップランドは島国、海運の国なのに平野部で海につながる川が無く栄えたのは盆地の京都と奈良くらいだろ むしろ主要都市はほぼ河川敷や三角州しか無い気がするが
多摩川はわりと好きだに むしろモンゴル帝国とか川あったのか気になる
内陸部でよく発展できたな 川後まで船で物送ってたみたいだけど、あんな小さい船で送るとか気が遠くなるな 日本は馬車も無かったし船の依存度は高かった
船以外だと人力輸送しかない スレタイ共感できないからボコボコやな
稲作だから文化言い出したら都市部だけやないし >>19
これ
船使って物流なんとかしてた
おわり 姫路に暫く住んでたけどあそこも水運が盛んだったような気がする >>38
馬車とか水運に比較したら効率100分の1以下のゴミやで
あってもなくても変わらんから
イギリスは運河作りまくった 北海道の地名の由来を見ればこのスレタイが的外れなのかが分かる 日本は谷になってること多いから発展の必須条件が平野と海だね 川から水を得られないと街以前に農業すら厳しいぞ
青梅街道の田無・箱根ヶ崎間は今でこそ良好な宅地だが江戸時代の途中まで「難所」扱いだった >>38
江戸時代後期とかだと牛車用の石畳とかを坂に設置してたりしたぞ 欧米文明に触れる前なんてほんと暗黒・野蛮でしかないよな 外国は海が無いから川沿いになっただけでは
日本は海に囲まれてるから海運で都市が発展したろ >>52
ローマ帝国ならとっくにできてたことができてなかったんや 中近世は千葉の関宿が今では考えられないぐらい重要拠点
江戸川の名もここでローカルで使ってたのが下流部にも広がった 山居倉庫とか潮来とか‥いや日本橋
護岸とか下水処理とか今の技術でやれる事あるよね
南水北調の情報がいつからか入って来ないんだけど?どうなってるのアレ 東武野田線とか水運の代替として作られた路線でしょ? 「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」
ネトウヨが韓国をバカにするときにコピペするこの言葉、全東洋に当てはまるよな 川がないと水は井戸か湧き水だよりか
そんな街あるか 橋渡し程度の軽さなら行けるけど針葉樹の木材で物流担える様な船造れなかったんじゃね >>63
木材利用とか重量物の運搬が致命的に出来なくなるから無理じゃん
欧州でも無理無理無理無理 朝廷「松平?三河の山猿に官位与えられるかよ」
家康「困ったな・・・利根川沿いの徳川から来た事にしよう」
朝廷「そなたを三河守に任ずる」
やがて征夷大将軍へ 昔は流通網が水運に頼るところが大きかったから川沿いが栄えてたわけでこれは当然日本も例外ではない
関東の利根川や見沼代用水も水運はあったけど文化的には貧相なのは間違いない そこそこの河川沿いじゃ無いのに割と大きめの街というと神戸か。 島国と大陸の川は意味合いがかなり違う気がするな
島国の川はいうてめっちゃ短いが
大陸の川ってめちゃくちゃ長くてあるとないとでは大違いやん こうやって書いとけばツッコミと訂正でスレが盛り上がるだろうな~の奴 甲府とか長野各都市とか
そもそも内陸の平地が少ないから 内陸の長野県ですら松本と長野市を結ぶ船のルートあったのに 濃尾平野の肥沃な土地と豊かな社会は川が作ったもんだろ
まあ大体戦争で文化もろとも焼け野原になってんだけどなー 日本は結構戦後に川埋めちゃってるから昔の姿がわからなくなってるよね
東京の外濠とか大阪の長堀とかは有名 そもそも関東平野は利根川扇状地だし大阪は淀川扇状地でしょ
川を中心に栄えた文化だよ 都内だと石神井川気になってるんだけど、嫌儲的にはどういう評価なん? 日本は大河がなくても、細くて短い川が毛細血管のように張り巡らされてるから
農業用水に困ることはさほどなかった気がするな この何がいいたいのかよくわからないのスレなんで定期的に立てるの 川が浅いから内陸部まで船が入らない
外国の大河はパリやスイス、四川盆地にも船がはいる ジャップは基本的に川が街の境になるからな
祇園の遊郭だって川越えた所にあるわけだし
福岡の中洲だってそう
風俗街は都市の外にできる 馬車も牛車もそうだけど餌が馬鹿にならんから運ぶコストが馬鹿みたいにかかる
蒸気機関が発明されてやっと陸路のコストが抑えられるようになった 川中心で世界レベルになったのが名古屋じゃね
織田信長の時代から戦国のキーパーソンの領土で
港町としても栄え
豊田佐吉以降は世界レベルの工業の街へと発展 >>32
駅の語源とも言われる、馬を管理してる場所が無数にあった
走っては交換の連続で中国国内どこまででも駆け抜けることができる素晴らしい仕組み あったけどだいたい滅びた
氾濫で自滅するし鉄道に持って行かれ だって地形と気候で全部攫われるじゃん😭😭😭
川の周りは難易度高すぎて限られた人しかすめなかったじゃん😭😭😭
無理やりマンションや住宅整備しても定期的に水浸しになるよ😭😭😭 常陸利根川とかわりと凄いのとどうも昔の玉縄城が水運利用してて面白いらしい
是非現地調査せねば 石神井川は今回初めてチョロ見したら
数千年単位の侵食で流路が変わって
縄文海進より後の縄文時代に便利な場所として争奪戦があったとか
割と自然発展的に人の住む場所になったみたいね、中央線ずっと南の微妙な人口密度の場所だけど
玉川上水整備や荒川の流路大変更みたいな治水作業でできた川なのかと思い込んでたわ 岡山県の吉井川水系に「福岡」という中国地方有数の商業地があったけど川の氾濫で滅びた
福岡県の福岡は黒田官兵衛がここを偲んで付けられた地名 インディアンの政治体制は部族合衆制度で
その合衆システムや安全保障システムはアメリカ合衆国の基盤として採用されてるから
もしアメリカが国ならば
インディアンも国だね 東京大阪名古屋、あと古代の京都と奈良も全部川が作った平野がベースだろ >>110
インディアヘナでいえばアステカ王国やマヤ王国
インカ帝国
はい国あった〜 >>1
東京大阪名古屋全部そうやんw
何言ってんだこの知恵遅れ 海で栄えたのか川が寄与しているかで言うと
濃尾平野は上流山間地の木材輸送と、それを生かした産業があって、川中心経済の名残っぽい感じがあるね ジャップは昔から洪水が多い上に土壌が酸性のカスで
川の近くに畑を作ると肥料撒いても雨で栄養が全部流されちゃうの🥺 >>11
アメリカこそ川を中心に街づくりしてたよ
インディアンなんて土人は街もクソもない生活してたんだから議論に値しない
そもそも弥生ジャップだって縄文土人から国を収奪したでしょ 海運で栄えた頃の名残が残ってる街かなあ
柳川とか栃木市とか
米国はそんな歴史ないだろ
進化はやばいが 一方、ソウルのど真ん中を流れる漢江
なぜ渡来人は世界基準の文明をもたらしてくれなかったのか >>128
ボリビアの首都ラパス(標高3500m)
インカのマチュピチュ >>12
でも明治維新政府が全部埋め立てた
馬鹿な奴ら
残しておけば東京は水の街として発展したのに >>17
そもそも踏み固めるのは武田の前例があるし 旭川、深川、滝川、砂川、岩見沢の川シリーズが全て石狩川だって事は常識だろ?
まさか知らんアホはおらんよな? 江戸じゃん
わざわざ運河や水道まで掘りまくってたし >>44
今の嫌儲はアフィカスとアフィチルが中心なのに
何を今さら 江戸
というか降水量多い日本では基本的に大きな川の近くは栄えないだろ
川の交通の便を利用しようとして江戸を大開発して発展させたのはむしろ少ない例 >>136
浪華の八百八橋やね
江戸の八百八町に対応した言葉だから江戸以上に水の町って認識されていたんだろう 栃木市はそうじゃないのか
旧市街地は大雨の時に水浸しになるぞって言われたな 現代の町はだいたい城が中心だから防衛ライン的な意味で川の近くになる 天下普請の対象になった江戸城、名古屋城、大坂城は全て高台の縁にある平山城
これらの近くには葛西城、清洲城、野田城などの平城もあり戦国期には重要拠点だった城もあった 水なしで発展した都市って世界中見てもないんじゃないかな
砂漠でさえ必ずオアシス中心に街ができてるし >>154
大阪城ってもともと石山本願寺だからなぁ。城塞都市 >>155
水資源枯渇が原因で放棄したといわれてるのがメキシコのテオティワカン・デ・アリスタ 八百八橋の大阪
京都との水運は淀屋橋を基点として京都丹波橋まで繋がってたわけだけど
京都ー大阪はマジで河川水運によって栄えたラインだぞ >>141
大事なのは「どうして」という点ね
今は陸運が主になって下総のほうが近くなっているが、海運時代は上総のほうが都に近い 素人は川を地域の境界と思いがちだが昔は船運、今も橋さえ掛かれば頻繁に交易して一体的な地域になるからそれほど明確な区分にはならない
逆に尾根は川より幅が広いし険しいしトンネルも橋より通行する人の数は希薄で両側の地域の繋がりは川のそれより薄い
町田が神奈川の色が強いのは当然のことと言えるし、大井川上流が静岡県として山梨や長野に食い込んでるのも平面地図しか読めない奴には不思議に思うのかもしれんが地形図的にはごく自然なこと 明治開通の鉄道とかは川を避けて作られてたりするよね >>10
川を使って水運やってたんだから邪魔ってことはないだろ 日本中で河川の水運で栄える町があったののじゃ
ところが山が荒れて川は浅くなり洪水が増えた
幕末から明治の山林荒廃で土砂流出が進み
淀川から大阪港の水運までオワコンになったのじゃ 基本的に川上から川下へは米や木材などの産物を船で流し
上流には布や重さのわりに高価な品々が人や馬で行く
奥山の峡谷でも一時的にせき止め水かさを増して木材を運ぶとか
人件費が安いから無茶もできた だから>>16だって
島田と金谷は日本のブダペストな 備後の福山藩が山林荒廃対策をやったのは農民のためでもあるが
年貢米を領内の川で運んでるのに砂で埋まるからという側面があった
今では浅い川や天井川化してる川でも川船で馬や人より安く大量に運べた
そして河口近くの港町で集積して江戸大阪に大船で送り出す 川なしで栄えたって言うとマヤの都市。あそこは石灰岩質の地形で大きな河川ができにくく水の貯まる窪地や地下水なんかを利用して発展したとか >>135
明治政府はまだ利用してたぞ
大きく埋めたり改造したのは昭和初期と戦後だ
特に戦後は路面電車網とその後の道路整備で埋め立てが増え
ダメ押しでバブルの土地高騰で計画立てて平成に埋めたのが多い
荒川放水路工事は大正初期に始まったが、その時の大工事は不十分で
結局、今の整備は戦後〜昭和の間はずっとやっていた
そこで以前作った支流の埋め戻しや暗渠化も行われ平成まで続いた
そもそも城東地区の川は江戸以前からの埋め立てで作られたものも多く
そりゃ本流を大きく変えたり埋立地を増やしたら都度変える必要があるだろ
他も玉川上水の関係で作ったり繋げたり流れを変えたのばっかで
未だに整備や暗渠化が計画されてる
その意味では未だに川に左右されてるのが東京だよ >>26
昨日まで行ってた
立派なホールが出来てた 利根川や信濃川ですら世界の川と比べると小さすぎるし、海外の川って桁が違いすぎるからな
とはいえ日本でも川がないと飲み水や灌漑用水が確保できないからほとんど川沿いだと思うけどな
上流からの水運も期待できるし 荒川西遷事業は秩父の材木を江戸に運びやすくするための事業
ただこの繋ぎ変えは江戸の洪水リスクを高めるから江戸の治水のためにやったは嘘 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています