戦国時代のヤリマン [685821185]
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第9回は宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅうそうじゅつ)の祖・宝蔵院胤栄(ほうぞういんいんえい)。
鉄砲伝来前の戦国時代。戦場では、太刀(たち)を抜いて闘うよりも槍(やり)を主たる武器として武士たちは闘った。騎馬武者も雑兵・足軽もすべて槍を掴んで戦場を往来した。
離れては弓矢、接近戦では槍というのが、普通の合戦風景であった。それは武功のうち「一番槍」という褒め言葉にも残されている。戦場で闘ううちに、槍が折れて初めて太刀を抜いた。
兵法(武道)も、剣術だけではなく、必ず槍術が含まれており、名人・剣豪といわれる人々は誰も槍術を学んだ。
兵法といえば、槍・剣が一体になっていたのである。当然、戦場での闘いを想定すれば、武士は槍にも優れていなければならなかった
兵法のうち、剣術から離れて槍術のみを流派にしたのが、宝蔵院胤栄である。大永元年(1521)に生まれた胤栄は、公卿・中御門(なかみかど)氏に出自が求められるという。
父・中御門胤永は京都・興福寺の檀徒であり、子の胤栄は長じて、その興福寺の塔中(たっちゅう)・宝蔵院の院主となった。
それ以前の胤栄は幼い頃から武芸が好きで、名人・達者といわれる武芸者を求めては弟子入りをした。そうして兵法を教えられた師匠は40人以上もいるという。
念流も極めたし、神道流も免許皆伝であった。槍術も薙刀術も名人・上手といわれるような人物から学んだ。さらに胤栄は学んだ槍術に自らの工夫を凝らして「宝蔵院流」という剣法を抜いた槍術のみの流派を開いた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/75115e4ba7f728c4db9a3e6f2651beb3c25424f4 >>10
穂先は重い方が使いにくそう。
中国の戈みたいに敵の身体や衣服のどこかをひっかけて倒すという使い方は、
平地での戦車や騎馬でだと効果的そうだけれど日本のような山岳戦ではそういう使い方少なかったのかも 本田忠勝、真田幸村、後藤又兵衛、前田慶次、加藤清正etc
戦場で有名な武将が持ってるのはみんな槍
刀なんかメインにしてたら手柄なんかあげられないんだよね ..__
│槍┃ /\
│マ┃/__\
│ン┃( ・`ω・´)
 ̄ /━∪━⊃━━<>
し'⌒∪ >>6
可児才蔵は子供の頃に入門したそうだが母里太兵衛もそうなんかな
可児才蔵の最期はカッコよすぎる 魔界転生だと女を知らんキャラだったが史実でもそうだったんか? 大阪陣や大分信州なんかで極々散見する「らんぼうとり」で強制オマンコを連想してるの、昭和のノータリン白痴バカだけなんだよなぁ
さっさと絶滅してほしいね昭和生まれは 結局リーチだからなw
盾あったらわんちゃん刀だけど YouTubeで甲冑式戦闘術みたいなやってたがやっぱ槍は刺すんじゃなくてメインは槍衾で上から叩く道具だし
叩いて弱った所を取っ組み合いで殺すのは短刀で刀はほぼ使わなかったみたいね 主力武器が弓から槍へ移行したのって足軽=兵士階級の登場が要因なのかね 刀がメインウェポンになったのって幕末の内戦で市街戦メインになった時だけなんだろ? 人間無骨とか蜻蛉斬りとか逸話のある銘品が多い気がする >>42
戦国時代に集団戦で長槍使うようになったみたいだから、
槍が優勢になったと言うより長槍という新兵器の活用が広まったのかも そりゃもう森蘭丸なんて使い込まれた最高の縦割れアナルのトロマンよ でも剣道・弓道は残ってるのに槍道ってないよね?
槍不人気だったのかな >>57
刺すんじゃなくてぶっ叩くんなら
穂先に刃が付いてなくても竹刀とかよりダメージ大きそう 叩くのがメインというか手順だわな
叩き合いで倒れたり潰れて動けなくなった奴を刺して無力化するどっちかだけじゃなくて一連の作業の為にそれぞれの操作を行う
ゼロかイチかじゃない 賤ヶ岳七本槍を従えてた秀吉はヤリマンマスターってこと? >>57
武道って基本的に平和な江戸時代になってから発展したもんだからね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています