【画像】三国志の蜀の領土、しょうもなさすぎるwwwwwwwww [894539664]
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
そりゃ馬謖も目の前が山だらけなら登りたくもなるわな クラスの女子をすぐに好きになってしまい…
初診時の亮太君は、自分が興味のあることを一方的に話しました。
「僕は三国志が大好きです。 劉備 が好きだったんですが、今は 曹操 が好きになりました。
だって強いし、大きな国を治める力があったんだから」と話してくれました。
自閉スペクトラム症と不潔恐怖が主症状の強迫性障害ということで、母親と一緒に2週間に
1度の割合で通院してもらうことにしました。
通院を始めてから、明らかになったことがあります。
高校入学後の亮太君は、クラスの女子生徒にあいさつされたり、何げない言葉をかけられたり
するだけで、その子のことをすぐに好きになり、「付き合ってほしい」と言っていたというのです。
当然のことながら、相手の女子からは断られてばかりでした。次第にクラスの女子からは距離を
置かれるようになりました。 >>4
関羽に任せた劉備も悪いわ
明らかに人選ミス 蜀の地形は深い山の中に突然平野があるおかしな土地だな
古代では食料生産地だったらしいが運ぶのが大変すぎるだろう 蜀の地から天下取った劉邦凄いよな
まあ、韓信が凄いのと
項羽が天下より地元に錦を飾る方を取ったマヌケ
天下人の器じゃ無かったってのが大きいが 劉姓が漢中王を名乗ることに意味があったんじゃないの >>9
駆虎呑狼の計や二虎競食の計なんかがあるし第3勢力があるってのは怖いもんよ >>10
関羽
張飛
趙雲
劉備の周りは脳筋ばっか 荊州の襄陽に本拠地置いて成都を諸葛亮に任せとけば良かったじゃん >>4
大戦犯なのに祀り上げられて商売の神様みたいな扱いになっているのが
日本の名前を言ってはいけないあの方に似てるよな
アベノミクス
アベノミクス
アベノミクス これ見ると荊州取られたことによって頭押さえつけられてジリ貧になったんやな 中国は土地がデカいからダイナミックだよな
ちっちゃい島国ジャップの戦国時代とレベルが違う 蜀の桟道とか現代でもひでーのにまじで進軍してたの? 董卓とかジンギスカンとかもっと辺鄙な土地から覇者になったやつ多いのに贅沢言い過ぎ 現在のMAPに当時の地名入れただけのいい加減な分布図だと以前のスレでバカにされてたのに・・・ 秦の始皇帝も劉邦もここから天下を伺ったんだよ 巴蜀まさに王者の土地だよ って孔明がゆってた! 中国史って北の人間が南に転生するだけの歴史だからな
三国時代も三国創始者みんな北方出身
北の勢力争いで破れた奴が南では皇帝になれたりする >>27
漢王朝復活を大義名分に他人の家を乗っ取ったのがな
攻めに来ないというか
攻めに行かないといけない立場だったのが悪かった 蜀はなんでこんなに丸くペコっと凹んでるんだろうな
太古の昔に大噴火でもあったのか これ見ると東帝はわかるけど西帝は名乗られても困惑しそう 守りは鉄壁なので、まず攻め滅ぼされることはないんだが
孔明が出征しすぎた。劉禅が無能すぎた。
土地柄一度でしとめないと何度もチャンスはない。 >>38
そら中原の覇者だからな
田舎のカスがイキったところで華北中原押さえてる天下の魏に勝てるわけもなく
曹操が袁紹を倒した時点でもう終わってたのが三国志だぞ
テスト >>47
孫呉ではなく、春秋時代の呉な
中国ではそういう伝承はある
中華王朝は倭国のことをたまに姫氏国と言ったりすることがあった >>38
魏が三皇五帝から連なる中華王朝の正統という位置付けだから 秦も劉邦もって言うけど川の上流だから拡大はしやすかっただろうな 魏への攻めを捨てて守備に走ったら走ったで圧倒的に豊富な資源を蓄え完全武装した魏がやって来るし
第一次北伐がポシャった時点で詰みだよね こんなとこに攻め込まれるのもしょうもない
やっぱ鄧艾はすごいな
長安も洛陽も立地いいな 中国共産党は長安のさらに北の山の中から天下取ったがな >>54
その分、外に打って出るのが難しい
日本と一緒だよ >>9
国をもたないならず者集団が曹操、孫権にそこそこ匹敵する国を持てたんだからすごい作戦じゃん
つーか、孔明も全国統一までは考えてなかっただろ 古代中国で持て囃される中原域は現在だと
所得水準の低い地域だよな 肥沃な大地にも
見えないし…黄河長江の影響は大きいだろうけど 上流にある時点で軍事的なアドバンテージは計り知れないんだけど
素人かなw >>2
せっま
そもそも荊州も離れすぎだな
ここを支配することが前提だとするなら相当無理のある三国構想だろこれ
しかも関羽はバカだから陸遜侮って取られちゃうし 関羽の奇行で勝ち目が消えたのは確かだけど最後の一年のマジで神がかった強さ何なんだろうね なんで孔明は長安ルートで行こうと思ったのか
虎牢関函谷関もあるし襄陽ルートしかなくない!? すくなくとも中華民国は南京→重慶から全土を掌握したからね
中華人民共和国の毛沢東と劉少奇は長沙の南のほう出身だから、荊州~楚出身
要するに現代中国は南や南西の荊州・益州から全中国を支配するに至ってる 馬鹿は知らないんだろうが
成都平原はすごく良いところよ、以下Wikipediaの記述
「成都平原は「天府之国」の異名を持つ豊かな地である。諸葛亮は益州(四川盆地、漢中盆地)を評して、天然の要害で土壌も豊かな天府の地であり漢の劉邦の帝業の基礎となったと述べている(『三国志』諸葛亮伝に曰く、「益州険塞、沃野千里、天府之土、高祖因之以成帝業」)。都江堰市より下流では、戦国時代に作られた水利施設の都江堰により岷江などの川の水で灌漑されており、都江堰建設により平原では水害も旱魃もなく、古代以来の中国で最も豊かな農業地帯となった。」 >>68
めちゃくちゃ肥沃な土地だから騎馬民族に狙われたり戦乱が絶えないのは四大文明の特徴 >>61
中華ドラマで毛氈に包まれて崖をゴロゴロ転がっててわろたわ >>79
周りにおだてられて自分が韓信だと思いこんでたんじゃないか
豚もおだてりゃ木に登るってやつよw >>15
国力で圧倒的に差がある魏相手に長江挟んで長い防衛線を防ぎ切っただけでも大したもんなんだけどな
魏がこの長江ラインに置いていた兵力は常時で10万で呉との戦役の際にはそれとは別に中央軍5-10万を追加で投入
守る呉側は常時兵力5万、戦役時に孫権、陸遜ら中央軍2,3万
呉は多い時でも魏の半分、少ない時には1/3ぐらいで防衛に成功している 人がいないは言い過ぎか
開発も人口も沿岸部に偏ってる 今パンダで観光地化してるよな花花っていうバカかわいいやつがいる そもそも何度も辺鄙な北方の騎馬民族に倒されてるだろ >>88
自分のことを韓進・楽毅に比肩する才能だとほざいてた奴だぞ
自惚れが凄まじい男それが諸葛孔明 司馬炎「晋さんも育ってきたし、息子はガイジだけど怖い嫁と外戚に権力持たせてサポート体制も万全だし、朕も安心して遊べる太平の世になったな!」
グッバイ乱世フォーエバー司馬家〜三国志 完〜 三国志演義だったらそうそうに捕らわれてそうそうのために戦ったりその恩義でそうそう逃したりけいしゅうとられたりえげつない戦犯がおるよな >>2
これマジなの?
全然、天下三分されてないじゃん >>79
当時は長江より南はまだ全然開発されてないからそこを取っても得るものが少ない
つまり領土維持のコストに見合わない >>100
そういや中国の歴史に虎は出てくるのにパンダ出てこないよなあ 孔明だったら守りやすい地形を利用して魏が相手でも赤壁みたいな逆転起こせるだろ。
そこから勝負かけるべきだったんだろうな >>44
普通に造山運動で囲まれた土地なだけでは? 日本で例えたら本州と九州と四国で三つ巴って言ってるようなもんだろ?
四国に諸葛孔明がいたとして全国統一できると思うか? >>107
千載一遇のチャンスを狙って事を起こしたのに馬謖さんがやらかしたから… >>21
襄陽城は曹操支配下
劉備が抑えていたのは江陵
諸葛亮は初めて軍の戦闘指揮を取ったのが南蛮征伐
三顧の礼から益州攻略までは劉備の首席外交官兼兵站担当長期兼人事採用
入蜀後は行政改革担当大臣兼兵站担当大臣兼司法大臣兼益州人材管理大臣 北伐しなければ肥大化し続ける魏に
飲み込まれる。しかし打って出る度に
国力は低下する。詰んでいる まあ何がしたかったと言われたら
領土争いなんか一種のお祭りみたいなもんで
本当に殺し合いしたりは少なかったよ
娯楽がないからこれが娯楽になってただけ いや別に緑の所だけじゃないからな?
線を見ろよ線を >>62
長征ってもっと評価されてもいいよな
現代中華にとって曹操より毛沢東の方が軍事的に偉大まである そんな益州を拠点にした秦は、天下統一したけどね
まあ、他が群雄割拠して争ってたから出来たことなんだね
董扶によると、益州には天子の気があるとのことだし、むあチャンスはゼロじゃなかった 中国最強は北方異民族と結論出てる
何度も何度も国が滅ぼされとる >>108
そらそうだ
浸食でできたと思い込んでいた >>105
パンダがいるような地方が中国になったのはずいぶん後じゃね >>26
実際にはその南側や南西部のチベット高原の一部までが秦の支配地域 >>111
なお死ぬ前の劉備親分「馬謖は口だけだからでかい仕事任せちゃだめだよ」 まじかよ
クソ田舎やんけ
これで天下3分とか恥ずかしすぎるやろ >>5
董卓が殺された直後の群雄割拠の時代に蜀があれば天下統一できたかもなぁ >>80
蒋介石の北伐とか
張学良の西安事件とか
旧日本軍含めた近代三国志ドラマ見たいわ >>109
三好長慶は阿波の守護で、戦国末期に畿内を支配し、事実上の天下人になったぞ >>118
それでも相当時間がかかったからな
始皇帝という傑物が出なければ天下統一はまだまだ先だっただろう 国政を握る偉大な人物に目をかけられているエリートの中のエリートが字もろくに読めない移籍組に「丞相は山頂に布陣してはダメと言ってましたヨ!」なんて言われても素直に従えないよね
兵法書にだって「高所の布陣、ヤバいくらい勝てるマジで」って書いてるんだし >>60
しっかり守ってさえいれば蜀は難攻の地だけどね
鄧艾が成都の劉禅を降伏させることができたのは、姜維が成都守備隊を対鐘会のために剣閣に回していたから
関中方面からの蜀攻略って、奏恵王の巴蜀征服と鄧艾くらいしか成功例ないと思うな >>32
涼州は黄河使って洛陽まで20日もかからず行ける
狭い関中の陸地を大軍の徒歩、騎馬で移動するには時間がかかるけどね これはすでに魏が天下統一してるようなもんだろ
卑弥呼も魏に死者を送るはずだわ
西方のローマ帝国との交易路も魏が抑えてるやん 関羽のせいじゃないでしょ
呉が頭悪すぎただけ
犬の子って言われたことにキレても攻め込んだらアカンサス
あと捕まえたからって関羽の首取るのも頭悪い
関羽の命と引き換えに交渉したら荊州プラスα楽に手に入るでしょ
首とっても恨み買うデメリットしか無いの多少頭が働く人なら誰でもわかるよね >>10
他にいない
張飛しかいないけど張飛よりかはマシだろ なんで最終的に晋とかいう訳わからん国が天下取るんや? >>89
孫皓が降伏した時点で呉は兵23万がなお健在だったそうだから、なお充分に晋と渡り合えたんじゃないかな >>106
魏の北半分は袁紹とか公孫瓚だったもんな 孔明、江東で舌戦する
ttps://youtu.be/-KojA3RMxak?si=Koa5ulTpqyB2oqS3 四川は山間で井戸掘ると塩水が出たため中国有数の塩の産地で
それもあって乾物や保存食が発展し大量生産され各地に輸出された
塩が生産できる広大な平地ってのは強いよなぁ 馬謖と魏延が登山部隊育ててたら鄧艾に勝ててたよな
諸葛亮は地の利も人の利も天の利も弁えていなかった >>58
黄河、渭水の利用で中原への進出速度は一気に速くなるからね >>38
魏は後漢より国力は落ちても一応中原の王朝だろ
正統性は置いといても蜀漢など所詮地方政権レベル >>148
人数なんかほとんど関係ない
曹操が官渡の戦いでシルクロード抑えた時点で勝負は終わり
南側の未開の地に海賊と山賊がいるだけの状態 >>144
どさくさで汝南を獲っちゃって魏の対呉心情悪くしているのもいかんよな、その上速攻で放棄してるし >>150
やはり『三国演義』の唐国强はいい
日本語じゃなければなおいいが >>147
皇帝が司馬家に業務をアウトソーシングして遊んでたら
なにもかも司馬家に聞かないとわからなくなって
ならもうおれやるわとなったため 山に詳しいゲリラ忍者部隊なの想像したらかっこよく見えてきた
毒矢を飛ばしてくる 蜀は長安くらいまでは進軍できたんだっけ?
どっちにしろその後が続きようがなくないかこれ >>159
この吹き替えもよくできてるだろう?
もう一回NHKで放送して欲しいわ >>68
文明の最初の地は栄えた当時に大量の木材伐採がされて3,000年を過ぎると砂漠化が始まる
四大文明の全ての勃興地が現在はどこも砂漠化している >>126
劉備すげえよな
幹部候補とはいえ大して仕事もこなしてない下っ端だった馬謖の本質をひと目で見抜くとは >>159
スリーキングダムより断然CCTVの三国演義 三國志を5行くらいで有名どころと合わせて解説してくれ >>157
蜀や孔明も
司隸長安から北西にモンゴルや中央アジアに伸びるシルクロードを分断しようとはしてたんだよな >>74
三国時代の涼州全域を完全支配していたから劉備、諸葛亮の蜀より圧倒的に地の利があるから全く比較にならないぐらい秦が有利 成都あたりの近世状況
明末期の農民反乱軍の首領で大西皇帝を称した張献忠の拠点となったが、張献忠による人口の9割を超えるほどの殺戮(6億に及んだとは考えづらい)と、清初期の抵抗運動や軍の反乱などにより清前半までは荒廃が続いた。以後、約100年をかけて湖北省・湖南省・広東省などから積極的に移民を受け入れ復興させたという。
パンダどころではなかった >>153
馬で崖降りてくる鄧艾に勝てるわけ無いだろボケが
趙雲が一万人いてやっと追い返せるレベルだよ 成都平原(蜀)は、秦王国に併合された少し後、「李冰」という治水の名人が灌漑施設を整えてそれがあの辺を豊かな穀倉地帯にしたんだね
それが世界遺産の「都江堰」で、それが今に至るもあそこは「天府の国」と呼ばれる豊かな地方となった所以 >>157
孫権存命中の呉は魏にほぼ完勝してる
司馬懿も含めて孫権には勝てなかった
それもあってか、悪評の多い孫皓だけど軍事行動の噂が立つだけで晋の朝廷はビビり散らかしてたらしい >>171
シルクロードに時々出没する山賊という扱いだったんだろう 中央が乱れた時度々独立勢力が蜀に生まれたがまさに格好の地形やな
まとまったらボコられるんだが >>72
呉王の血筋は、遡ると周王朝の遠祖である古公亶父の長男太伯と次男虞仲
だから呉王の王姓は姫姓なのだ
そんで最後の王は夫差だけど、その他の王族は越に滅ぼされる前に海に逃げたとされる 三国志好きはチー牛または発達か否か……どうやと思う
? >>177
武力しかないガチの海賊
シルクロードの交易品という経済力には勝てない 姜維くん最後は友達の鍾会くんと組んで憎き鄧艾のクソ野郎をやっつけてスッキリしたのかな? >>109
室町時代に山名と天下争ってた管領細川京兆家はもろにその四国の覇者なんだが
その後も勢力基盤は三好家に引き継がれたし >>175
でも鄧艾って「ぼ、ぼ、ぼ、僕は、ちちち地図見るのがすす好きなんだな」って人だけどね >>112
一応軍の指揮なら蜀入りの時点でもだろ
そん時は劉備が総大将で孔明は別働隊みたいなもんだが これ人口というか兵力の差どれくらいあったの?
食料生産能力で絶対的に不利な立地だろ
いくら水資源は豊富と言えど >>150
これ1994年版のやつか
全部見たいなあ >>183
中国語だと
「一夫当関 万夫莫開」とか言いますね
一対一万でも守り切れると
あと李白の詩で「蜀道難 難於上青天」とその険しさを歌ってんのもこのへん 三国志新聞でも「わずかに成都から漢中近辺までが税を徴収し、兵を集めることができる地域だった。
王朝と呼ぶにはほど遠く、現在の四川省限定の地方政権と見る方が実態に近いのではないか」と
説明されていた。 >>170
後顧の憂いがあったから南蛮制圧やったんだぞ >>133
>>187
でもそいつら幕府開いてないじゃん >>160
なおやる気出して司馬家から政権トリモロスやったら皇帝ころころされた模様 >>14
終始蜀を拠点にしたわけでもないんよな
秦の故地に攻め入ってそこを拠点にした
項羽が秦兵を大虐殺したことがあり占領が容易だった >>174
明清交代期の李自成の農民反乱とは
別に成都も農民反乱や一揆で農民政府になってたんだな >>191
人口で5倍
どういう計算か知らんけど国力差は10倍らしい
国力差は太平洋戦争の日米位の差だな >>198
荊州に大規模水軍があった頃はギリギリ三分してた >>103
荊州に関しては劉表が支配していた時代に中原からの人口流入が大量に起きて人口は約3倍にまで増え耕作面積もほぼ同じぐらい増えた事で曹操が劉表の後継者である劉jを降伏させた時点では江陵も人口が増えていて穀倉地帯化していたと推測されている
諸葛亮が三国鼎立を劉備に説いたのはその2年前でほぼ同じ状況だったと思われる
諸葛亮の三国鼎立後の戦略は呉とは軍事同盟、魏へは荊州から襄陽、苑と北伐すると同時に漢中方面から長安、隴西、長安のルートでの北伐の同時進撃を目指すとしていた >>196
三好家はそもそも将軍置こうとしなかったからな
室町将軍に依存しない体制作ろうとした意味でもノッブの先駆者と言われてる理由だったり >>5
統一した中国の軍勢をもってしても少数の匈奴に負けて傘下に入りました。
古代から北アジアの覇権国の属州だったのが中国史 >>5
光忠が漢中とったから劉備大喜びで4大将(五虎大将)に任命したわけだからな
それくらい名目としては大切な土地だわな >>169
黄巾の乱起きて群雄割拠
董卓呂布など倒し劉備は荊州を借りる
劉備は呉に荊州返せと言われるが赤壁で一時的に呉と同盟する
張松から蜀の地図を貰い蜀を奪い三国が鼎立する >>178
祁山を狙ったのは山賊どころか魏から西方を遮断する戦略の一環と言えばそうなるけどな >>207
北伐は荊州と漢中のセットで攻めて初めて有効になるからね。
一方だけからだと史実通りの結果で終わってしまう。 山脈に囲われた地でそのまま引きこもり政策してた方が良かったのかもね >>106
官渡の戦いは天王山の戦いではないけどね
あくまで袁紹軍を一時的に撤退を追い込む為の作戦
実際、袁紹の一門を滅ぼしたのは官渡の戦いから7年後でそれまで曹操軍は洛陽を失いかけたり黄河以南まで袁紹軍の侵攻を何度も受け防衛している時期が3年ぐらいあった
形成が逆転したのは袁紹軍が洛陽を攻略する為に大きな別働隊を送ったのを曹操の支配下に一時的に入った馬超が撃破した戦いに勝利した事による >>169
蒼天まさに死す黄天まさに立つべし
これも五行思想だ 蜀て個々では強いけど大部隊を展開できる戦略家がいないから北バツなんか上手くいかないわ >>117
その毛沢東が好きな人物が曹操だったという
毛沢東が曹操を好きになったのは魯迅による三国志と曹操の再評価があったからだとも言われている >>217
一大商業地だよな今でも
関羽が商売の神様扱いされたりする >>202
日本のは30分の一の国力という気もするがな
人口だけは多かったが 勝ち筋は官渡の戦いで魏が疲弊した時にシルクロードを遮断すること一択
当時の中国土人にそんなこと分かるわけないからガチガチに守ってる王都に攻め込んだ この地図も日本地図もそうだけど、地形って重要だよな
白地図でアレコレいう馬鹿らしさ >>118
董扶その人がちょっと怪しい野心家でその言葉を受けた劉焉はもっと野心家だったからその言葉は間に受けたらダメなんだけどな >>220
個々も大した事ないだろ
魏延ぐらいだろ >>217
武漢三鎮は江陵(荊州)より東
昔から要地なのは確かだろが 誤はこれ孫権狂わなければ魏をやれてただろ陸遜も生きてたし 秦の土地は蜀よりはるかに大きい
中央左の函谷関や武関当たりから蜀も含めて左側支配してる >>2
九州より南の稲作に最適な平野が北海道くらい広がって
周囲は天然の要害 >>226
秦は今の西安だからこの絵で言う五丈原の辺りだぞ わけわからん田舎から身を起こして一地方の皇帝に成り上がったんだから劉備はようやっとる >>192
Dailymotionで全部見られます >>140
劉焉だね
当時涼州関中にいた馬騰韓遂や長安の朝廷内の高官らと書簡をやり取りしていて李傕郭政権へのクーデターを狙っていた形跡は史料にはある >>216
個人的に、漢中から関中方面を任せたほうが良かったのは関羽ではないかなと思う
結果的に呉の呂蒙によって無惨に散ったが、それが無ければ樊城はもう本当にヤバかった
この打撃力を関中方面へ、韓信と似たルートで攻め上がればあるいはいけたかもしれない
荊州は張郃も敗走させた実績もあり、拠点防衛に定評のある張飛に任せておけば、維持はできたのではないかと思う
孫権に籠絡される可能性はあるけど、魯粛同様張昭からも張飛は高く評価されていた
パワハラの懸念はあるけど こんなの攻め込まれた時も大した数じゃなかったろうに
やっぱ劉禅の再評価はありえないね 戦略家はいたんだけど皆早死にしちゃったからな。
そうなると孔明が出ざるを得ない。
やはり龐統がやられて、法正が早死にしたのはデカかった。 >>220
一応問題の街亭では登山家ではなくベテランの呉なんとかさんを起用したほうがいいという意見ならあったんだけどな 敵も魏よりも弱いだろ
魏は秦の上半分と楚除く部分が支配地域なんだからそれを蜀だけで倒すのは相手が強い 秦は長安の近くの咸陽が首都やろ
函谷関も押さえてるから国力が全然違う これ農業とか商工面で立地よかったのはどこなの?
やっぱり魏? >>237
秦強さは軍の強さだからな
白起と王翦みたいなガチのチートが居たら辺境からでも天下統一できる
しかも、蜀みたいにちんたらしなかったのも大きいな >>243
成都守備隊は姜維が剣閣に引っ張ってたから 司馬氏が簒奪もくろんで魏将の反乱が相次いだときに
蜀呉が共同で出兵してうまいことやれてればワンチャンあった? 呉だってこれ一見広く見えるけど武陵ー予章ラインより南は未開のジャングルだらけやぞ
魏一強なのに統一出来なかった曹魏が無能すぎただけや 荊州も関羽がヘマ侵したのもあるが、
劉備の方で龐統が殺されたのが一番大きい。
荊州に諸葛亮が残っていれば取られることも無かっただろう。 秦の支配地域は広大だし、他も6か国に分かれて争ってたから連合組まれることもあったけどなんか各個撃破できたんじゃないか >>150
赤壁の諸葛亮めっちゃすき
特に10万本の矢、東南の風を呼んで「軍師たるもの天文や地理に通じてなくてはならない」って儀式のおかげじゃないって示唆するところ 第48話 張松、地図を献ずる
ttps://youtu.be/MKzUVHTvkRQ?si=1qPdsHfklLqpIijG >>255
その頃は川の上流を堰き止められて呉の水軍が無意味化してたから無理 わーくにの無敵皇軍は巴蜀に籠る中国軍を突破出来ずに負けたんだが 北伐は山だらけのとこで戦ってたんだな
疲労感凄そう スリーキングダムの曹操(陳建斌)いいよな
寸分違わずあんなイメージだわ
袁紹もあのイメージ >>258
諸葛亮は蜀が取れた時点で成都に行って行政やる予定だったと思う
そもそも諸葛亮が荊州から張飛趙雲を引き連れて蜀に向かったのは龐統死亡前 >>260
10万本の矢の話さあ、もし火矢を打ち込まれてたらどうするつもりだったのか >>260
舌戦や魏から奪った矢、風の吹く日にちを当てて火を放つ
神がかっていた >>167
口だけだったら結構有能だったのかもしれない
まさに様々な助言をする参謀って感じかも
自分で動いたら理屈倒れになってしまう駄目なイメージ >>257
結局曹操と袁紹の官渡の戦いこそが天下分け目の戦だったのか。
コーエーのゲームで袁紹やると負ける気しねえんだがどんだけ袁紹陣営下手こいたんだよ…。 >>267
軍師連盟の曹操もかっこ良かった。
全体の四分の一くらいの話数で退場してしまうんだが
凄い存在感があったな。 >>264
鐘会はそこから進めずにいたけどね
その鐘会から「オッサンは後ろで大好きな地図見ながら待っとけよ」と言われていた鄧艾は「ここここからなら、い、行けるんだな」って山道を進んだ
たまに転がり落ちたこともあったそうな >>267
吹き替えの方だけど5分に一回は「あぁ!?」って言ってるイメージ >>144
隙を見て長江ラインを確保出来たからこそ
その後にクソみてえな変事いっぱいやっても最後まで生き残れたんやで >>267
スリーキングダムは関羽の背が低いの以外はほんとよかったな >>272
官渡は天下分け目じゃなくて袁紹が天下人になるか曹操が生き残るかの戦いやからな
赤壁での曹操の立場が袁紹で孫権の立場が曹操
戦いの後に袁紹が病死してしまって実質分裂状態になったから各個撃破された >>250
呉は公金の乱などの戦乱の影響が比較的少なくて経済状況は良かったらしい
それと中国南部だから気候的にも地理的にも食糧事情も良かったみたいだよ >>250
商業は昔も今も江南
長江周辺
工業はまだ未発達なので皇帝や貴族や郷紳や地方支配者による独占や専売
これを武力で争う形
日本の戦国時代みたいな農村一円支配とは違うから
農業よりも交易重視だったりするので
シルクロードの交易輸送ラインを抑えるのが一番 なんか交阯のあたりってPS2の三国無双のempiresだとよく呉の土地になってた記憶だけど、地図に落としてみるとめっちゃ建業から遠いね
ほぼ今のベトナムの場所じゃん 明朝末期に農民反乱軍の指導者の一人に蜀の中心地に当たる四川省の住人が皆殺しに遭って、住人が全部入れ替わってるんだよね
この時期を境に文化や言語が全部入れ替わったレベル >>269
創作の話だから全て都合良くいくようになっているんで火矢の心配は杞憂 四川って料理も独特だよね
漢人からみたら半分外国でしょ
其処に引き篭もりしなきゃ生き残れなかった
それを如何に格好良く言い換えて主君を納得させるか
それが孔明の最も腐心したところだ コーエー三国志だと益州は守りやすいし進出もしやすい
そして引きこもりもしやすい >>288
士燮がベトナム人からは尊敬されているだろう というか三國じゃない90年代の演義ほうのドラマが1080でアップされてるの笑う >>166
熱帯地域に雨がふると水分を失った空気が近隣に降り注ぐんだ
そうしてやがて砂漠になっていく 荊州に関しては後で返す後で返す!!!ってずーーーーーーーーーっとゴネて折半すらしなかった劉備サイドに問題がある >>208
匈奴って漢帝国の藩属国に成った部族と
壊滅して欧州まで逃げてフン帝国に成った部族に分かれて
独立国家としてわ滅亡してるけど >>255
どころか蜀攻略直後に鍾会が相方の鄧艾を裏切って姜維と一緒に蜂起してる
鄧艾は後に司馬炎に名誉回復されたけどさ、蜀攻略の大将だった二人とも直後に殺されたのは変わらない 視界悪いほどの濃霧を選んだからもちろん火も移りにくいよ
そもそも火矢は飛距離出ないし色々考えてる ケンモ軍師「蜀は宮崎県くらい、呉は四国、残り全部が魏」
マジ? >>269
濃霧の強い状態でなんで火矢が使えると思った?ということだろ >>145
趙雲とかおるやろ……まあ趙雲は手放したくないだろうが 軍師連盟は珍しく鍾会あたりが丁寧に描かれてたのに最後まで行かなかったのは残念だなあ >>2
これ南の合浦あたりの大平原に移動して新しい国作る勢力とかいてもよさそうなのにな
山に隔たれて守りやすく広い平野と海があるとか最高やろ 蜀攻めの時は位はケ艾の方が上で兵力は鍾会の方が上という
微妙な力関係だったとか何とか。 関羽張飛劉備が立て続けに逝く辺りで読んでるこっちも燃え尽きる >>286
少ないというのか北からの避難民と文化の流入で急激に開発が進んだ状態だろな
そん中には董卓や曹操の蛮行虐殺から逃げてきた奴も多いわけで >>287
商業流通の中心地が江南に移ったのは三国時代、晋を経て六朝時代に入ってからね
三国志の時代に中原から江南への人口移動はあったけどそれでも圧倒的にまだ中原の方が人口は多い
そして何より魏、呉の国境沿いにあたる建業周辺は係争地なので戦禍に巻き込まれたくないから人は増えていなかった
孫権が本拠地にしていた武昌方面の方が最前線ではなかったから人は増えていたし強制的な移住も行われていた >>282
口だけを王朗を憤死させるとはさすがです >>293
屯田兵の家庭育ちで父の名前も伝わってない程度には低い身分で、おまけに吃音、おまけに地図見るのが大好きな偏屈者のせいで周りから嫌われ若い頃は不遇だった
司馬懿に会った時に才能を見出されてそこから急上昇 >>309
趙雲は五虎将の他の4人と比べて身分が低くて
あの方面の総大将になれるレベルではなかったんじゃないかね。 >>220
蜀出身の陳寿さんだから大げさに描写しちゃっただけで
もし魏に居たら埋もれてしまう程度の人材だったんじゃないかなあ まぁ出自というかスタートラインからしたら曹孫劉の中では出世頭ではあるな
没落土豪のチンピラからよくぞここまで成り上がった 出)陳登、陳羣、田豫、徐庶
入)姜維、王平、夏侯覇
大損トレードw よく曹操は後の時代の王朝始祖と比べて雑魚って言われるが大正義漢王朝からの簒奪がハードル高すぎる
後の王朝の始祖たちは曹操を模倣をしてると言えるし、仮に劉備が漢王朝復興に成功していたらハードルが更に上がって現代まで漢王室が残っていた可能性もあったかもしれん >>298
シーカヤップの悪魔と呼ばれていた気がしたのは気のせいか? >>309
史実だと趙雲は劉備の護衛隊長にすぎないからなぁ
信頼はされてるからそのポストなんだけど
護衛隊長には護衛くらいしかさせないよな 肥沃な荊州とか言われてたけど荊州って山がちで平地少なくて微妙な土地じゃね 今朝丁度恋姫無双の呉の御仁でシコったな
今この勢力図を見ると感慨深いものがある 呉も領土大きく見えるけど南部は未開だからなぁ
メリットどこまであったんだろか >>322
魏も全然将軍はおらんかったけどな
だからいっつも曹操が自ら率いな領土が広がらない状態で統一まで行くような奴らとは進行スピードが違いすぎる >>258
劉備から関羽への手切金が荊州だよ
田舎チンピラ3人がなんやかんやでうまく荊州を取った
でも、諸葛亮の登場でぽっと出に関羽はNo.2から追いやられる
張飛は現状に満足してる節はあるが
関羽は曹操とも親密にしてたし、劉備からすると真に忠義を置けるかは疑問符の付く相手
劉備の入蜀を機に関羽とは離れたかったと見るべき
あの年齢ぐらいだと関羽なんて戦力に数えるのは無理があるしな
功労者ゆえに無碍にはできないし、うまく手を切った
関羽が呉相手に自分を王と言ったのは劉備から離れたからだろうし
孫権が荊州を攻めたのも劉備から離れたからだろうよ
妄想だけど、曹操と関羽が組む前に呉が荊州を攻めたと考えるなら
詰む前に無理をして荊州攻めは理解できる
関羽没後に劉備ではなく曹操に首を送ったのも筋が通る 長安の辺りもひどいな
秦はよくこんな場所から中国統一できたもんだ >>303
晋の呉討伐の時も遠征軍司令官がまた反乱起こしたり内ゲバで死ぬみたいなことを警戒されてなかなか討伐に踏み切れなかったつうのもあったらしいな >>298
それは昔の話
今のベトナムの義務教育では交州士氏は教わらないから誰も知らない 夷陵が無謀な逆上作戦(江は下りつつ)扱いされてるけど、
孫権(陸遜)が相手じゃなかったらたぶん勝ってるよあれでも 泰山ってこんな平地にポッカリとある山だから信仰されたんだな
富士山みを感じる なんでか三国志みんな詳しいのな
1ミリもわからんわ 劉禅は最後は警備兵の隊長?
に成り下がったみたいだけど
これって会長から係長に転落
するようなもの? >>323
チンピラ風情ではないけどな
そのイメージに近いのは孫堅
こっちは本当に17才で海賊殺して名前を売ってから官職に付いた三国志中でも異例の人
鈴の甘寧の方がまともな軍人キャリアから始まっている 春秋時代からすでに洛陽など以外でも冀州付近とか経済も農業もハイレベルだったんだろ
無理だろ >>309
史実の趙雲は関張と比べたらまだまだ身分が低い
長坂の阿斗救出劇とか見方を変えると、あの時点でもまだ護衛兵みたいな仕事やってるって事だからな >>322
それそんな雑魚相手に苦戦した晋の高祖の悪口になるからやめた方が >>340
横山漫画読むだけで知ったかぶり出来るからね
あとコーエー三国志ゲームやれば完璧
これで自称三国志博士になれる >>302
それは漢が対匈奴独立戦争を起こして 以降のことで劉邦は降伏して属州として残った。
それ以降も基本北アジアの覇権国が漢族国家を服属させてきた歴史 生え抜きだから自分たちがメインメンバーだと思ってる
関羽、張飛
家柄が良く自分が一番偉いと思ってる
馬超
たまたま漢中を取ったから抜擢された老いぼれなので他から舐められてる
黄忠
基本的に仲悪いっていうね >>340
いやもうみんな正史と演義とゲームと漫画知識がごっちゃになってて何が真実かみんな分からなくなってるよ 三国を日本に例えると
蜀=鳥取島根
呉=九州
魏=日本列島残り全部
ぐらい? >>324
陳羣や田豫とか大国魏すら勝たせられなかったしょぼい人材じゃん
そんな奴が弱小の蜀に居た所でなんの役に立つのよ >>321
何ってんの
あの時代の身分差別なんてエグすぎて関羽も張飛もゴミカスみたいな扱いしかされてないぞ
荊州入りした時に同じ皇室に連なる劉氏だってことで劉備は丁重に扱われたけど
張飛は卑しい身分だから眼前で面罵されて席を立たれて「こんなに頑張ってきたのにここでもこんなかよ!!」
って大号泣してるのを劉備と諸葛亮が「泣くなよしょうがねえだろ(笑」って失笑されてる下りがあってな
それわざわざ陳寿が挿入したんだぜ
「ずっとそういう扱いでした」ってのを知ってもらうためにな 蜀とか今でも日照不足で幼児くる病が蔓延しとる
あんな山奥はミネラルとか補充出来るのか >>316
軍事的な理由よりも経済的な重要性から
係争地になるほどの交易地点だったというのを強調しておきたい ここから天下とった劉邦は偉大よなぁ
部下が孔明や関羽みたいに少し毛の生えた凡才じゃなく韓信や張良や蕭何みたいなガチその分野の天才の取巻がいたのデカいが >>351
正史の話をしている人はたぶん一人もいない >>302
おっとどっこい、於夫羅の息子劉淵が自立して、蜀漢を継いで漢を再興しちゃうんだよね
そして息子達は名前を趙と改め、永嘉の乱で西晋を滅ぼす
結局匈奴に滅ぼされてしまうんですわ
純然たる漢族による統一王朝は西晋で最後なのだ >>328
新野より南で精々南テイまでやな
肥沃な荊州言う奴は
そっから南は街と交易路だけが漢の領土であるいわゆる線の支配しかできてない >>44
四川盆地一体はユーラシアプレートと揚子江プレートの境界付近の堆積平野で、数億年かけてその衝突によって東側に褶曲山脈が形成されてた
数千万年前からこの西側でインドプレートとユーラシアプレートの衝突が起きて、ヒマラヤの造山活動が始まったことでそちら側も山ができて閉じた盆地が生まれたっぽい >>322
実は一番人材がしょぼいのは魏
軍率いて侵略戦争できるのが曹操しかいなかったから曹操が老いたら精彩を欠いて弱小の呉や蜀に押される有様 これ現在の地図やからあんまあてにならんのと
可耕地面積は必ずしも標高に反比例しないのよ
>>321
出自なら関羽も張飛もたいがいやで >>2
逆に肥沃で平らな土地を占拠してたのに北のやつらにボコられ続けた歴代江南王朝は今まで何やってたんだ?😅 >>356
正確に言えば身分というか地位だな。
前将軍関羽、後将軍黄忠、左将軍馬超、右将軍張飛に対して
趙雲は雑号将軍なわけで。 名前書いてるとこがある程度の都市って考えると呉も大概少ないな 中山靖王の子孫は120人もいたんだから劉備の出自だって大して珍しいものではない >>356
武将としては曹操陣営から万人敵とまで称されてる関羽張飛すらその扱いなんだから
その時点で護衛くらいしかしてない趙雲に荊州人士をまとめるのは無理だろ >>365
交易商業がメインなのでシルクロードに接続する輸送ネットワークが経済や資金や権力の源泉なんよ
帝国支配ってのはどこもそうだけど グーグルで上海から揚子江をさかのぼると面白いよ
武漢から三峡ダムへと至って四川盆地にはいって楽山大仏を拝み、はるかチベットの山を登るんだ >>279
当時の長江はまだ開発が進んでないからそんなに農業生産力がない
土地としてのポテンシャルは高いけど戦争しながら開拓するのは限度があるね
まあ長江バリアがあるから守りやすいけど >>364
三国志の本当のオチは自称だが劉備の子孫が最後に勝つというなかなか凄まじいものなんだわな
三国志演義ではこれ漢人王朝じゃないじゃんみたいなことのせいかばっさりオミットされたが >>371
それは中華の歴史そのものだからな
常に経済ネットワークを北の武力によって侵害され続けるという
産業革命や近代化するまで北方遊牧騎馬民族が強すぎる >>328
長江より北側はね
ただその北側は洛陽、許昌、汝南、上庸への移動ルートを川と陸路で繋ぐ重要な幹線で襄陽の対岸である樊城を抑えると魏側の防衛が必要なエリアが大きく広がって大兵力でないと守れなくなる
関羽が先にこちらを攻めていて魏の軍勢をこの地に引きつけていたタイミングで劉備が5万の兵力で馬超、法正、魏延、呉懿らを率いて漢中から隴西、街亭、長安を回るルートの北伐を始めていたら結構長安までは落とせていた可能性はかなり高い
仮に呉が魏に付かず同じ時期に寿春、合肥を攻めていたらこの攻略も可能だったと思う
ただ漢中の人と兵糧は曹操が張魯を降した時に全て持ち去ってしまい劉備は漢中からの北伐は不可能になった
呉はいつまでも荊州を返還しない劉備に対して不満を持っていて関羽は樊城攻撃ので兵糧不足になり呉の領土に侵入して兵糧を奪い孫権がぶち切れし魏と結んで関羽を攻撃 劉邦も秒で関中取りに行ったからクソ田舎嫌だったんだろうな >>360
劉備だって曹操が天子ぶっ殺して雑に天下分配して反乱まつり引き起こした上で
関中の警備をザルにしてくれれば天下取れてたよ 劉備はまるっきり馬の骨でもないが曹操に比べたら遥かに劣るスタート地点には違いない >>358
地中海沿岸は帝政ローマ時代でゲルマン人がじょじょに侵入してる
中東はローマ勢力とパルティア(後に内乱でペルシア)が覇権争い
中央アジアはトゥルク系騎馬民族で三国志にも出てくる
インドは大月氏で三国志にも出てくる
東南アジアは扶南国、ベトナムはチャンパ王国で三国志にも出てくる
北方は鮮卑でそれぞれ烏桓とか部族に分かれて喧嘩してる
チベットは西羌などで三国志に登場する >>373
身分だよ
とにかく俺らはそこが完全に抜け落ちてる
劉備は皇統に連なる血統の人間でありそれが世間に認められていたからこそ
当代屈指の知の巨人・盧植の下で学ぶことができた
でも同じ土地で育った張飛は家の門にすら通してもらえない
それはシンプルに「侮蔑するべき卑しい身分」だから 昔から謎だったがなんでお前ら三国志に異常に詳しいの?
横山光輝の漫画読破してもそうはならんし
コエテクの三国志やってもそうはならんだろ…… 張飛が泣いたこの身分問題、寒門とかいうらしいが
これが漢人王朝が崩壊した八王の乱が起きた背景なんだわな >>400
四書五経と竜馬がゆくぐらいは普通に教養として読むだろう? >>398
海を背にしてるならそうだけど
国外との境界面なら野党とか蛮族とかはいるだろうから、敵がいるよりはマシだけどそこまででもない気がする >>396
劉性なんていくらでもいた
武田という名字の奴が俺は武田信玄の末裔だと言い張ってるようなもんだよ >>401
曹操なんて育ての親はくっそ賤しい身分だもんな >>364
匈奴じゃ無く,漢若しくは前趙な
匈奴わ部族名じゃ無く国号だから >>406
劉備は古臭い儒教的正義を掲げて伸し上がったアレな人のイメージだわ >>407
祖父じゃなかったっけ。
どちらにしても「チ○コなし野郎のくそガキ」と言われてしまうわけだが。 >>382
曹操は始皇帝や劉邦、劉秀と違って一族と実質一族の夏侯家にしか兵権預けなかったからな
そんなかでうまくやったのは曹仁ぐらい >>391
中華思想の中央はあくまで魏のもってる都会だし
そこ占領しないことには王の中の王になれないです
自分を世間に認めさせるには劉邦も劉備も中央侵出するしかねえ >>338
夷陵の戦いで重要だったのは夷陵の占拠とその南岸の夷道の占拠
劉備は夷陵を早々に占拠したけど夷道を守った孫桓が異常な粘りで守り切った
このためこの夷道を包囲したまま前進する事になり江陵攻略に使える兵力が半減
侵攻ルート上に敵地を抱えたまま補給線が伸びた事で兵力の分断をされる可能性を残したまま戦って火計を受けて徹底時に壊滅的な被害を追うリスクも背負った
夷陵の戦いの指揮を取った陸遜は当然優れた戦略戦術家だけど孫桓があっさり負けたいたら江陵まで失っていた可能性も高くそうなると陸遜でも劉備軍を撃退するのは難しくなっていたと思う >>406
三国志「劉備は若い頃から上級国民たちと深く交流した(当然劉備も上流国民なので)」
↓
韓国人原作者「そうだ!!三国志にある「侠(志が高く身分の良い上流階級たちという意味)を
「日本人の感覚でいう任侠」に変更しよう!!
↓
蒼天航路「劉備はチンピラ連中と深く交流するヤクザの親玉で皇統を自称した」
↑
漫画のほうを信じるケンモメン達 魏に比べ、我が蜀の国力は30分の1以下である。
にもかかわらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か? >>410
2項対立じゃないのがいいよな
これが魏と呉だけの争いだとクソツマランし勝ち負けハッキリし過ぎて物語としても単純すぎる >>406
けど信玄に子供が120人居て武田家の末裔なんて珍しいものでも無いとしたら…? >>105
パンダは山奥にしかいないから、見つからなかった
ゴリラとかイッカクとか近現代になるまで見つかってなかった動物は意外と多い >>407
ただ宦官の偉い人だから
金はあるし
英才教育は受けてるし
政界の大物たちと普通に親交持てる
ってのはあるんよな
最上級ではないけど、十分上級国民だと思う 三国志6やると異民族うざさが少し分かった
匈奴、羌、氐、山越、南蛮うざすぎ >>287
完全に意味不明
商業が発達してたのわ趙,斉とか中原諸国 >>372
島流される地域だから日本で例えるなら蝦夷だよ >>423
つか身分も重要だが結局金よな、スタート地点で必要なのは
身分があるから金をいろんなとこから引っ張り出せるか元々めっちゃ金持ってるか >>363
俺は正史とその研究の論文を元にした書き込みしかしてないけど >>324
陳登と陳羣は本貫地から動かない(必要がない)から別でしょう 中国語やってると
基礎知識として知っとかないと話にならない >>416
農業や工業生産量を軽視する訳ではないけど
広大な中華・モンゴルや帝国の力の源泉はネットワークや流通にあるのを留意しておきたい >>421
一応徳川家康は息子に武田家を引き継がせる形となったがまあその徳川武田家は断絶したからな >>359
それは六朝以後な
正史や同時代やそれ以前の研究で黄河沿いより江南の方が中心になっていたという記述されているものがあるなら是非教えてくれ 生まれの賤しさレースなら明のしゃくれおじさんがぶっちぎりになってしまう >>431
特に蜀内は公文書が残ってなかったからな >>393
曹操と項籍じゃ人望や血族の結束が違いすぎるし
歴史ある漢王朝の中枢をそのまま手に入れた魏と、歴史のない秦の中枢を破壊した楚では組織力も全く違うだろう >>419
(ヽ👁ん👁)わーくにには劉王がいる、孔明がいる、安倍晋三がいる、オータニがいる
わーくにこそ正義、わーくにこそ王 >>423
つか曹操のジッジは宦官の中の宦官みたいな超大物宦官政治家だからな
最初から格が違う >>430
韓信が十全に活躍出来たのは劉邦が前面で敵を引きつけたから
劉備にはそれが出来たかもしれんが孫権はどうだろうな >>436
筵や草鞋は生活必需品なのでわりと大きい商売だった説
目端のきく子供だったので小遣い稼ぎにやってただけ説 >>76
そもそも荊州の関羽は蜀の劉備の配下というより、同盟関係にあったと考えられてる。史実では独立勢力として振舞ってた >>421
本当に劉の血筋なら世に出た時にもっと重用されてる
成金になったら誰お前?みたいなやつらが親戚だって出てくるようなもんだよ >>278
将軍は全てでかくあって欲しいな
そうじゃないと武力の裏付けが取れない >>448
物語の演義ですらお茶なんて買ってるもんな >>439
奴隷から皇帝までのし上がった石勒もいるだろ >>424
でも“漢族”は側系統もいいところだからなあ
孫権も碧眼と記録されてる。“漢人”とされているなかに青い目の人が普通にいたんだな
遼河文明の遺跡として有名な牛河梁遺跡では碧眼女神とされる顔面像が出土している。青い目の人はじ 英雄曹操も儒者共が同席拒否られる程度にガッツリ卑しまれてた キングダムで山の民が秦人を平地の民とか呼んでるけど秦もほとんど山なんだな
咸陽が標高2500mとか >>452
演義にそんな話はないです
日本人吉川英治の作ったお話ですそこは >>457
そう言えばそうだった最初の芙蓉姫の導入って吉川英治板やったな >>439
キチガイおじさん好き
中華史上最大の傑物だと思う >>424
少数民族があんなにポコポコ大軍出せるかよってツッコミたくなった >>456
泰は領土は広いがほとんどが何もできないゴミ土地で耕作も出来ず食料不足が課題
って横山漫画で習った >>427
特に後漢時代はなんだかんだで名家出身者は官職の相続がほぼ当たり前でそこから成り上がりは相当難しいからね
朱儁や孫堅はそういう中で袁家の傘下に入りつつ上手くのし上がった稀有な例 >>436
父が早死して貧窮したから説と手広い商売だったんではないか説
ただし劉備は属尽の特権持ちが親族にいて交流してたっぽい
属尽というのは漢代にあった「皇統に連なる血統と認められた人間に対する免税特権措置」
という税制システムのことな
それら親族の支援を得て盧植先生に学ぶという栄誉を得られたのではないとも言われてる
あと江戸期の天皇家や公家衆も貧窮して腐りかけの魚を食べさせられてた時期があったぞ >>430
唯才是挙を掲げる曹操の下に世の様々な才能が集められたわけだしな
韓信一人いたからってどうしようもないほどに国が盤石すぎる
劉馥一人とっても化け物じみた配下がそれこそ雲海の如くいたわけだしな >>420
といっても楚漢戦争は今でも大人気の題材だろ
三国志といったところでメインは様々な意味で魏蜀のイデオロギー対決だし >>457
今文庫本の演義を読んでいるが、劉備が関羽と張飛に出会ってちょっと話したら
すぐ桃園結義になるな。吉川英治と比べて展開が早い。 >>453
石勒は元々部族長の息子だし統一も出来てないしすぐに滅亡してるから朱元璋の足元にも及ばない 魏延の提案したルート、やってみたら案外何とかなったんじゃないかと今でも思うんですよ >>450
大事にはされてただろ徐州くれようとする人とか君と余だとか言い出す人とか荊州くれようとする人とか
ちょくちょく謎の大物スポンサーが出てきて助けてくれる >>437
安定的な交易商業ルートの開拓が帝国を維持する
漢もそれを為せず崩壊分裂する
生産量よりも流通ネットワーク網の構築とそれから上がる収益の方が巨大なんよ
>>444
まぁ隋唐になるまで戦乱になるからねぇ >>464
劉備の生家には巨大な桑の木があったそうだからな
桑は養蚕に必要なんだろ確か 荊州失って、夷陵の戦いでも大量の兵士や将軍失って
それでも何回も北伐やり続けてなかなか滅びなかったんだから、ゴキブリ並のしぶとさやで インドシナ半島を征服してインドに向かえば良かったのに >>469
曹真が待ち構えてそうだけど大丈夫?
何なら更に速攻で曹叡が親征してきそう >>469
それはどうかと思うけど、
すくなくとも正史で成都速攻作戦を龐統が「上策」として献策したと明記されてるからなあ >>457
一応劉備は洛陽に留学してるので茶はそこから話を膨らませたのだろ >>386
自称子孫というか後継って体にしてるね劉淵は
だから劉禅に皇帝としての諱を追贈したし
三国志演義の元ネタ三国志平話では、劉淵による漢復興と永嘉の乱までが書かれている そりゃ孔明も呉と仲よくしましょうねって言いますわ
あのクソヒゲのお陰で全て無になったが >>449
それ素人の妄想の論でしょ?
まともな研究者で関羽は独立勢力っていう内容の論文とか見た事ないぞ
関羽が発給した文書に前将軍以外の称号で署名した史料の一つでも出てきたの? >>4
呉との婚姻って、要するに劉備を裏切って呉に寝返れってことじゃないの?
劉備に相談もなしに関羽のところに直接話持ちかけてるんだし >>473
北伐が唯一の蜀の生存意義で正義だから
戦中のわーくにみたいなもんだ >>439
あのアゴはほんとなんなんだろ🤔
そこらの孤児乞食みたいな生まれから寺だかに入って乱で頭角を表してって意味わからん
乗るしかないビッグウェーブに乗ってたら皇帝になったとかいうレベルなのだろうか >>472
だよなあ
しかも劉備以外の親族って名前も事績もある程度残ってるけど
日本風に言えばもう完全に「地方の名家の一族たち」でしかないもんな
どこをどうきりとったら皇統を自称したチンピラヤクザなの?
良家の坊っちゃんでしかねえだろっていう(笑) >>483
北は曹操を防ぎ、東は孫権と和す。
関羽がこれをきちんと守っていたらどうなったかね。 >>487
猜疑心の塊言う奴は人を見る目もあること多いからな
年取るとえらいことになるのもあるあるやが >>488
筵を売ったなけなしの金でやっと茶を買えるかどうかっていう人が名家のぼっちゃんとは思えないなあ 平地だって人が住んでなきゃしょうがないからな
こういうのは点で見るのよ点で >>470
劉備は傭兵隊長みたいなもので一定の戦力もあれば戦争のノウハウくらいは知っているからな >>471
いやだから漢の時代はそこまで江南に人がいないからそもそも必要な物量が少なくてそんな大規模なネットワークも必要ないって話なんで
根本的にこの時代の知識足りてないんじゃないの?
そして君の主張するような三国時代に関する史書や論文はあるのかないのかどっち? >>469
>>476
長安守ってたのは夏侯楙だよ夏侯楙
魏も第一次北伐時点では完全に油断していた
長安を一時的にでもいいから占拠するのは意味はあると思う
そうすると魏は長安奪還のために、関中方面へ割く兵力が減るから
失敗以降ガチガチに固められた >>483
ヒゲのやらかし以前に劉孫で荊州をめぐる確執があって根深いからな
赤壁で仲良く曹操撃退し万々歳とはいかずその後の荊州争奪をめぐって呉はめっちゃ血を流したが蜀は大した苦労もせず荊州ぶんどったから
魯粛が生きてた頃は荊州にいる蜀を居候ってことでなんとか穏便に済ませてたがその後の呂蒙・陸遜はとんでもないタカ派だからヒゲのやらかしがあろうとなかろうと荊州はどのみち劉孫の争いの地になっていた >>492
早くに親父を亡くして困窮して苦労しようが一応地元の坊ちゃんは現実でもよくいる気もするが そもそも多民族がいる地続きの大陸で中国統一とかここからここまでが我が領土とかやってることがバカ
勝手に決めてんじゃねーよ >>485
まぁそれはある
魯粛と張昭が関羽と張飛を高く買ってたからな劉備以上に >>492
演義ですらない吉川英治の創作を持ち出されても 演義のせいで誤解している人が多いからな。
元々無理ゲーだったしわざわざ攻めてトウイツする必要も無かったわけ
もちろん劉邦の例もあるから最初はそれが効果的に働いたが、初動こけてからはもう見る影もない >>487
その辺の空白期を金庸あたりは想像力膨らませていろいろ書いてみたのだろ この辺の『どうにもならない感』を味わいたいなら
肥の三國志8をオヌヌメする 後半はマジで何やってもどうにもならなくなるから >>492
ということを言う人間のために天皇家や公家衆も貧窮して腐りかけの魚を食べさせられてた時期があった
って言ったんだけどな
じゃあそいつら全員自称か?っていうね
「当代屈指の知識人である高名な盧植について直接学ぶ機会を得られる」
「同じくあの時代の最高峰の知の巨人である鄭玄自身が愛弟子中の愛弟子・孫乾を劉備に推挙する」
「曹操が同格の客将として厚く遇する」
「劉表が同族として厚く遇する」
↑
「上流階級どころか皇統に連なる血統です」としっかり世間から認められている人間じゃないとどう頑張っても不可能だぞ
いくら古代かつ戦乱の時代でもそうそう簡単に自称なんて通用しないわけで >>506
「劉表が同族として厚く遇する」って中国では同姓は厚遇されるし同姓同士じゃ結婚しないよね >>485
その意味でも劉備との調整が必須だったわけなんだろ
劉備の承諾ないと勝手にそんな真似するわけにもいかないし 荊州取られた時点で蜀はほぼ終わってたんだな
山だらけの益州に価値ない 中国からしてみると日本人が異常に三国志好きなの謎らしいな 三国志って史実なのか?
なんか一般大衆に刷り込む娯楽を装った道徳教本のように感じる
儒教色濃いし >>506
他にも劉備は陳紀からも教えを受けてるしな 小前亮が朱元璋書いてるけど読んだ人いてる?どんな感じ?
李世民読んだけど宮城谷昌光臭がして閉じたんだがまさか朱元璋も爽やかな風吹かんよな? 燭って三国志の主役のイメージだけどこんなショボいのかよ
やっぱり滅ぼされるわけ?
三国志って意外とエンディング知らんよな
劉備とか張飛とか関羽って中国だと神様なんだろ >>511
そら当時の漢王朝は国教が儒教でその教えが世間一般上から下までがっつり浸透していた時代ですし
だからこそ曹操という人物の異形さがあちらこちらで取りざたされていた >>511
後漢末から魏晋南北朝時代のことは、民間伝承で語り継がれてきた
その民間伝承を誰かがまとめて作ったトンデモ本が三国志平話
さらにそれを元に、朱元璋や劉基の活躍を織り交ぜて作ったのが三国志演義 >>495
消費地にはなってないが江南が主要な交易ルートになるから
その支配権を巡る争いになるんだろ >>514
神様なのは関羽だけ
オチとしては
魏が最初に滅ぶ(司馬懿のクーデターで晋になる)
次に蜀が晋に滅ぼされる
呉は内ゲバでグタグタになった後滅びる >>510
他の時代の小説とかも読んでるけど
三国志っていい具合に荒れてて、いい具合に筋が残ってるんだよな
他の時代はバランスが悪い
サブカルチャーの力もあるんだろうけど 日本だと岐阜長野取って天下取ったってイキるようなもんか >>515
黄巾賊でさえも鄭玄のいる村には手出ししなかった話 好き >>519
ほぼサブカルチャーだと思う
中国では劉備は不人気らしいし 司馬懿でないと諸葛亮の相手にならんから司馬懿が魏の巨大な軍権握っちゃったわけで、
結果的には魏を間接的に滅ぼしたんだよな >>518
そうなんだ
魏が天下統一するんだと思ってたは >>511
正史として陳寿という一種の孔明信者が書いたのもあるが基本は>>481で書かれている三国志平話という庶民向けのエンタメがベースとなっている
三国志演義は低俗なエンタメでは体裁が悪いと思ったらしいシャクレアゴ時代の当時のインテリがインテリ風に書き直したものなのでシャクレアゴが勝った時の時事ネタもふんだんに取り込まれているとのこと 劉備って出自や受けた教育は確実に良いんだろうけど名士層との繋がりはからっきしだよね
それこそ孔明獲得までろくな繋がりが無さそうなのは儒者嫌いだったのかね
劉邦ほど儒者嫌いではないだろうけど 言うて魏も当時の北の方なんかろくに作物も取れんかったのとちゃうの
スリキンで曹操がそんな事言ってたような >>524
司馬懿って曹操時代はただの文官でそんなに権限ないんだよな
曹丕の代で一気に主流派になるけど
あと孔明が強く書かれてるのも
正史の三国志を書いた陳寿が蜀出身で贔屓入ってるのと
後の皇帝筋の司馬懿と引き分けてるから大物として書かないといけないって歴史的理由なんだと思うわ 移動を想像するだけでもうんざりするようなこの広域内を満遍なくドラマに活用してるのすごい構成力だよな
グルメ情報に乏しいのがやや惜しいけどたまに梅とか蜂蜜とか羹とか出てくるのが光る >>532
袁紹時代の方が良かったって叛乱が日常茶飯事やったからなだけや >>518
蜀漢の滅亡は一応魏より早いが
司馬家は蜀(漢)討伐の功で禅譲され皇帝となったようなもの 中国と呼んでる地域は日本でいう応仁の乱をずっと繰り返してきたような歴史だから
時代時代で編纂された史書は話半分でしかなくて時代小説のようなもん >>524
たしか軍師連盟では諸葛亮の空城の計を見破るんだけどあえて攻め込まずに兵を引いたんだよね。
そこで諸葛亮を殺してしまうと自分が要らなくなるから。
曹一族に対する抑止力として諸葛亮を生かしておくことにした。 >>537
晋代に入っても、袁家の支配は良かったって言ってたらしいな
河北の人たち >>531
田舎に逃げてから田舎の保守派儒者の支援を受けた
中原は腐れ切って儒力が足りないの 『三国演義』の作者とされる羅貫中は
朱元璋のライバルの一人張士誠の幕下にいたインテリ文人だよ
中国ではそういうことになっている イメージ的に
魏は、もうちょっと上なんだよな
呉ももうちょっと上 三国志、漫画もゲームもアニメも知らんのだけど
結局どこが勝ったの? >>531
いやーそれが逆で
「劉備は若い頃数多くの名士と深く交わっていた」って書いてある
そしてその当時に交流したことで得た人脈が後彼自身の人生に役立っていったんだわ
で この名士たちのことを「侠」って言うんだよ
で漫画でこの「名士層」のことを「チンピラヤクザ」に変更してそれが大ヒットしたことで
成り上がりの自称ってのが広まっちゃった >>535
外国である我が国でも神として祀られている事実が。 >>515
曹操が最たる存在だけど、あの時代の君主たちに共通するのは、儒教社会、名士社会からは距離を取りたがっていたんだよ
曹操、劉備、孫権らも名士を重用したが、一番好まれたのは、はぐれ者の名士だったね
酒癖女癖素行も悪くて他の名士から罷免しろと言われ続けていた郭嘉、
董卓やその配下に従い裏切りも厭わない性質ゆえ嫌われていた賈ク、
郭嘉程ではないが素行も悪かった法正、
なんかもう漢王室とかどうでもよくね?意味あんの?もう新たな皇帝なっちゃえば?の魯粛 >>533
司馬懿は名門司馬家の次男で長男は普通に曹操時代の高官だったからな
曹操時代の末期に長男司馬朗が疫病で死んだ後司馬懿が台頭してくる この三国を並べて言うときって大体魏呉蜀だよな
序列まんまだよな >>544
羅貫中って実在した一人の人物だったのかなあ? 孫権はホント頭悪い
荊州欲しさに魏を倒す可能性を捨ててしまった >>558
晋もすぐにボロカスにされるから勝者と言えるのか >>510
俺はやっぱり楚漢戦争だな
劉邦おじさんの派手な負けっぷりと性格の悪さをニヤニヤしながら楽しむ 小学生のころに横山三国志の龐統の話みて
かっけえ・・・っなったのが思い出だな 史記や漢楚の戦いは三国志みたいなイデオロギー臭さが無く人がイキイキしてる
好きな人物は陳平です(^^) ここまで習鑿歯なし
お前ら詳しいようで詳しくないな 三国志はお話が長いよ
お人形遊び延々見せられてる感覚になる >>448
茣蓙とか草鞋の生産は冬季農村の基本だよね
>>510
文明の進展度で見ると周が徳川,秦漢が日帝,魏晋南北朝は昭和で似てるよね >>231
武昌に漢陽に漢口
武漢三鎮っていうのか 物語じゃないから終盤完全に打ち切り展開だしオチなんて人気でないことに作者がキレてヤケクソでぶん投げた感じだよな三国志 三国志は最後までバランスいいからな
同じジャンルの水滸伝なんか医者いなくなってから病気や怪我で物凄い勢いで人死んでどうにもならなくなる >>469
取って維持できるかっていうのがある
魏延の提案を用いなくても第一次北伐に限っては孔明が馬謖を使わなければ長安以西が蜀のものになってた可能性が高い 司馬懿とか最後の最後に出てきただけなのに全部もってったもんな 華北取って南下できない奴らはセンスないよな
石勒も苻堅も口だけだわ
何が同時代なら光武帝とやりあえるだよサンシタが その自滅も敷かれたレールの上だったのだろな
長い目で見ると魏晋の滅亡もなるべくしてなったみたいなものにしか見えんし >>582
光武帝も自ら巴蜀を制してはないけどね
呉漢と岑彭、特に岑彭が神がかってたから統一できた >>570
騙し討ちは高祖からの伝統芸能だからセーフ >>587
劉備をガッツリ人の心のないサイコパス腹黒詐欺師として描く作品とか出てほしいな
関羽張飛すら騙して利用してるくらいの 所詮英雄になりそこねた曹操と儒教的古い権威の殉教者劉備のお話
ノブ秀吉の足元にも及ばん小物 >>586
始皇帝や劉邦も親征してない場所あるけどそれはノーカンなのか?
不思議な考え方するね >>561
孫家は父、兄が早死したときに命運は決まってたな 勝ちとか負けとか、そういう話じゃないんだよ
昔の栄枯盛衰の争いごとも、今やお酒飲みながら笑って話せるねってのが三国演義のテーマだから
一壺濁酒喜相逢
古今多少事 都付笑談中〜 >>591
つか、何でもかんでも自分でやらなあかん程度の体制しか作れてない方がしょぼいよな ストーリーが諸葛孔明死ぬまでだから
最後どうなったのか知らない人が多い 光武帝の凄さはそういう百傑を従わせる仁と徳やな
まさに儒教 諸葛亮の北伐は恐らく攻勢防御というやつだったんだろうな
蜀は天然の要塞とはいえ長安と隴西の二路から攻められたらどうしょもないからとにかく隴西に打って出て開発出来ないようにムチャクチャに荒らして食料が尽きる前に漢中に戻る
あの辺は董卓やら馬超が大暴れした結果生産力がガタ落ちしてたから大軍の運用に耐える拠点化が出来ていなかった
諸葛亮からすれば可能なら併呑したいんだけど無理なら田畑を破壊して元の荒野であって貰いたい
あの辺が拠点化されちゃったら漢中を護っても綿竹方面から攻められちゃうからね
現にそれをやったのが隴西の再開発に成功した鄧艾の別働隊だったわけだ >>584
一番左下の永昌益州より南の部分が南蛮
現代の中国じゃこんなところまで大都市になっててビビる >>595
曹操が統一出来なかった理由がそれだしな
自分は都で待ってても敵国を落としてくれるような指揮官が居るのが優れた君主 加瀬あつしがヤンキー三国志漫画描けば良いと思うんだ
劉備がYAZAWAみたいな奴で曹操が松岡とか そう言えばいつの間にか揚子江って言わなくなったよな
30年前まで長江じゃなく揚子江呼びだった気がするけど何か統一されたんだっけか? >>517
話をすり替えてその主張の根拠となる史料や研究論文すら出せない時点で説得力がないんだよ
知らないなら知らないと返事するかスルーすれば良いのに
すり替えた話もその根拠になる事はまた示さないんだろ?
もう知ったかはやめておけよ 横山三国志の話だけど、劉備が応援来なかったら張魯、蜀獲れたん?
蜀も狭いけど漢中も大概やぞ 日本人は三国もの大好きなんだから
もっと中国語やりゃいいと思うんだけどな
おなじみの逸話とか多くて馴染みやすいぞ >>605
中国政府の正式名称が長江でそれに合わてせNHKが呼称を変えたんだって 日本が卑弥呼どこ?とか言ってる時に
ちゃんと領土争いとか戦争してるのが凄いな >>602
ぶっちゃけビルマというかミャンマーだからなあの辺
援蒋ルートというのかジンギスカン作戦と被るというのか 三國無双2でしか知らないんだけど
面白い作品なんかある? 大陸あるあるやけど広大な土地を支配してるように見えるけど何もない土地が大半でかなりスカスカだし異民族が大量にいるから常に内戦状態で軍や財政はボロボロなんよな
「支配地域が広いから最強!」ってのは半分間違いなんよ >>600
山と言っても日本みたいな険しい山じゃなくて広大な高原だよ
奥地の方は「草木がいっぱい生い茂ってるアフガニスタン」って感じの風景 >>604
高橋のぼるの劉邦みたいなノリの三國志でもいいかも >>610
ありがとうそうだったのね
一切聞かなくなったもんな揚子江呼び どこかが天下取っても結局人口増えてまた乱世で激減ってのを繰り返したのが中国史やで >>605,610
NHKがサイトで解説してるな
揚子江は河口付近のことを言うから、全体を意味する長江に変更したと >>533
文官と武官の違いはあれど
中国では官僚や文官の方が権力持ってたりするのが日本とは違う 中国って統一王朝作るの難しいんだよな
国内を迅速に統一しないと軍閥は離反するし
統一後も四方の異民族が弱い時代じゃないと功臣大粛清を出来ない >>554
本当は旧日本軍と共産党と国民党の近代三国志の方が好き
この魏と呉の地域を一時的・部分的に支配してた旧日本軍が居なくなって第二次国共内戦で共産党が中華統一する話の方が面白い >>150
アニメ三国志では「曹操はまさに破竹の勢い」とか言ってて吹いたわ おまえらが思ってるほど曹魏は強くないぞ
曹操が虐殺やった土地では統治がうまくいってなかったし
赤壁で戦力激減したし
曹操が死んだ後は二代が早死のボンクラで内部は権力争いで対立してボロボロだった
馬謖がやらかさなかったらどうなっていたことかわからなかった >>623
人口減ってるんじゃなく、戸籍を捨てて逃げ出してるんだよ
それで中華の辺境であった呉や蜀への入植が進んだ
たぶん五胡十六国の大混乱時代、日本にも難民来たんじゃないかな
それで急に日本が発展したと推測 >>592
反対
孫堅時代は孫堅自身が成り上がり武官で配下は叩き上げの武官しかいなくて孫堅が亡くなって孫策、孫権は袁術の元で庇護されるしかなかった
孫策は周瑜という名家出身で本人の才能もあるチート人材を得て江東進出への足掛かりを作った
その上で張紘張昭という有名な知識人を味方に引き込み有能な文官達を勢力に取り込む事に成功した
ただ勢力拡大を急ぎ地元の有力者の多くを敵に回しそれが要因になって暗殺された
孫権はその兄の仇でもあった陸氏らも取り込みつつ江南に基盤を築き父孫堅以来の武官を反乱鎮圧に赴かせ支配の安定化を進めた
曹操に対抗するのに劉備との同盟が必要なら劉備と結び、劉備が約束を守らず荊州の返還をしなければ曹操と結んで荊州の主要地である江陵と食糧庫である南郡も手に入れた
その後は魏と対抗するためにまた蜀と同盟し孫権存命中は魏の攻撃を撃退し続けた 山梨から東京を目指すのは厳しいみたいな話
しかも神奈川あたりにも領土があったのに失った >>606
根拠も何も長江流域の交易が一番商売ルートとして大きいのは
誰か見てもそうだろ 鄧艾って大抵の作品で鍔広の帽子かぶってるよね
実際そうなのか? >>631
「エベレスト南西壁を単独無酸素で登頂する!」
三国志で言えば何をすることになるのかね。 こういう地図みてるとやっぱり俺は日本史や日本の文化よりも
中国の歴史文化の方が激しく好きなんだなってのに気付くわ
日本史や文化は中国に比べると一地方のやり取りでしかないように感じる 魏と呉が別にいらねえわって思った土地を取っただけっぽい >>634
それもあるだろうが普通に死んでるよ。
そもそも中国で人口減が激しく起こったのは三国志の時代以外でも普通にある。 横光の三国志って面白いかな?
あれだけ見てここまで日本人がハマるのがどうも理解できない >>649
既に過去の事実
面白かったからここまで広まったんだよ >>649
小学生向け教育漫画の世界史や日本史シリーズの中国版みたいなものよ
入り口として優秀 >>648
荊州出身なのに蛮族なの?
屯田兵だったはずだけど >>649
小難しい会話のやり取りないから読みやすい
ギャーとか驚きの表現でわかりやすい
かといって幼稚でもない 人材集めをしっかりした曹操が後々その部下にひっくり返されるという皮肉 関羽は自分の国を作る機会をずっと窺っていた男だった
平民に生まれたからチャンスが乏しく、やむを得ず劉備の下についただけ
劉備とともに旗揚げしたときからずっと関羽は「劉備とは同じ夢を見れない」と思ってたし
独立のチャンスを探していた
目の上のたんこぶだった劉備が益州に引っ込んでそのチャンスがやってきたら、そら独立するよな なおモンゴル騎馬軍は黄河を迂回するために北から漢中潰して西へ向かい中原に突入し4万に対して15万で包囲された状態で相手一方的に殲滅した模様 横山光輝も有名だけど、あの頃ってNHKでも人形劇で三国志やってたよね >>633
曹叡は北伐への対応だけは適切だったけどな
劉禅と同じ歳だったはずだけど
あと馬謖と郭淮もほぼ同じ歳
馬謖は口先だけで実戦経験ほぼゼロの知ったか采配で敗戦
郭淮は20代後半には曹操の信頼があつく夏侯淵の司馬になって漢中争奪戦では夏侯淵死後混乱する魏軍を張郃を中心に据える事で戦線を維持させた
曹操が直接兵を率いて劉備と戦い後退する際も殿をつとめて本軍が漢中から引き上げるのに貢献している
諸葛亮による北伐への防衛線では常に別働隊を率いて祁山から出てくる諸葛亮を足止めし五丈原での決戦前には司馬懿に決戦の機運が蜀の側にあるとして助言して司馬懿本隊の位置を移動させ簡単に決戦が起こせなくさせた
また屯田政策や羌族の蜀軍への寝返り防止の為の懐柔政策も成功させ諸葛亮は第二次北伐以後なかなか羌族の調略ができなかった >>660
魏の司馬氏による簒奪と、晋の八王の乱というスマブラ状態は、周公旦と太公望呂尚の議論そのままなんだよ
周公旦「才あるものを取り立てて重用していると聞きますが、それではいつか乗っ取られますよ」
呂尚「身内ばかりで要職を固めていると聞きますが、それではいつか分裂してしまいますよ」 人形劇三国志紳助のおかげで再放送出来なくなったやつか
中学生の頃再放送学校で見てたわ懐かしい >>665
早口でレスしてる感じすごいね
がんばれよ 今まさにthreekingdomサンゴ棋士を有ちゅぶで見てるから、タイムリーなスレッドだ >>249
因果が逆
太平の世が続くと権力闘争が激しくなるんじゃなく、権力闘争があるから漢は永く続いた
外戚と宦官、お互いがお互いを監視するから独裁者によるむちゃくちゃな暴政が起きにくい >>665
同じ歳で思い出したけど曹操と黄蓋は同い年?
たいていの作品、黄蓋じいちゃんやな >>660
人材集めといってもあくまで漢の臣下として曹操の下についてたやつも多かったから
漢皇帝に酷いことをしていた曹操に忠誠を誓ってたやつもそう多くなかったんだよ
曹操の親戚が多数要職についていたのも曹操が親族以外は信用できないと思ってたからかもしれない 蜀の左の白い地域って蒙古の国?
この時代だと未開の野蛮人の地域みたいな感じ? >>666
こういう時代や人や場所や時を越えた教訓話が日本史には少ない >>677
羌とか氐とか
要はチベット人の先祖みたいな人が住んでた >>678
創作でしょ
毛利の三本の矢とか信長や秀吉や家康のホトトギスの俳句みたいなもんで後の小説家の創作と思うけどね >>677
チベット
当時はこの地域の人も漢中付近まで移住してきていた
諸葛亮の北伐でよく出てくる祁山の辺りにも多数のチベット系住民がいた
このチベットは南側のシルクロードが通っていて珍しく物品が流通していた >>682
フィクションや虚構でもそれが成り立っちゃうのが中国史の大きさよ >>682
まあ創作も多いんだろうけど作った人センスあるよな
春秋なんか故事成語になるような話多いけどどれも核心ついてて現代にも通用する感じが凄いよね
先ず隗より始めよとか今の人手不足に嘆く経営者に教えてあげたい >>680
大清帝国崩壊で辛亥革命から袁世凱大統領の国民党政府
旧日本軍の侵略統治
国共内戦からの共産党政府の樹立だけでも相当凄い事なんよ
問題は大きく多いけど人民支配や民主政治を確立させた近代中国って 韓信を抜擢した劉邦一家すごいよなあ
ショウカが推してたけど
実戦で指揮とらせたことないのに
将軍にするかね? >>677
いわゆる羌族、今で言うチベット
後漢中期に叛乱起こして長安付近まで侵略したこともあるぐらいお強い >>640
彼の装束はだいたい帽子被ってることになってる
呂布がゴキブリみたいなのを被ったり孔明の格好と似たようなお約束なんだろ 長安は咸陽で秦の都
洛陽は周の都
こう考えるとロマン感じる 実は劉邦も項羽も実在しなかった
秦の地方役人が軍閥の頭目に収まって
それが後世に「劉邦」というキャラの原型になったんよ
同じ時期に揚子江周辺の放牧民族が軍団化して、そのリーダーから「関羽」というキャラが創造された >>688
清で思ったけど中華の歴史ってほとんど宦官が滅茶苦茶にするよな
宦官に特権を与えないシステムの清以前に誰も気づかなかったのかな >>647
パレスチナ見ればわかるとおり簡単に人は死ぬからな >>695
連絡係が強権振るい出すのは最近一平さんがやらかしてるから永遠の課題や >>689
それよりもすごいことは左遷されてからたった数年で巻き返して項籍をぶっ殺したことだよ
項籍は政治的によっぽど無能だったんだねえ >>684
基本的に人間そんなに変わらないなら歴史は繰り返すからな
そら似たような事例も過去に何万回も出てくる >>695
宦官でないと自分の一族で政権乗っ取ってしまう 中国の川に沿ってその土地を見ていくような番組NHKでやってたけど
さすがにスケール感すげえなと感心したわ 曹操が若いうちから権力を持てたのも宦官の孫だったからだしな >>695
日本の歴史は今でも天皇の側近や大臣が実権握って滅茶苦茶にしてきてるから難しいと思うわ 宦官すげぇな
三公とか大将軍目指すより簡単に上級国民になれるじゃん
政争に巻き込まれないし戦争にも行かないから最高じゃん 儒教と科挙とかいう思想的に洗脳された人だけを中央に取り立てるシステム >>705
人間扱いされないけどな
子供や家族や恋愛も奪われた奴隷身分 エリート宦官なんてほんの一握りよ
まず去勢するときの感染症が怖すぎる 曹操のじーちゃん宦官だけど
漢の超名門の曹参の一族だろ?
宦官になる必要あったのかね?
曹操のとーちゃんもなんだかんだ三公の大尉就いてるよね 身分制社会における人生一発逆転枠が宦官と思えば宦官がどんなものかだいたいわかるような気もするがな 異民族と漢族との対立概念が今の国民国家的な安易さで語られがちなのでひとつ“そうではないんだよ”という例を書いとく
>>666が周公旦と姜子牙(斉大公望)について言及してるが、
太公望自体が「姜」なんだよね
ほかならぬ武王の公后とされるのが邑姜なので、かなり可能性が高い。そうだとしたら、周公旦が武王の親族代表で羌子牙は邑姜の親族代表だったのかもしれない
周の公族が「姫」姓なのは今の感覚からするとやや変だろうが、当時の姓をあらわす会意文字の規則は○に女をつけたすものだったらしい
漢字の草創期にまだ近い時代だったから、新しい字も今より自然な発想で造られていた
つまり、「姜」は羌族の女として、「姫」姓と同様に古い氏族婚制度における会意語なのかも 日本も政治家になる条件に「去勢」を入れたらいい
たいして良くはならんか 三国鼎立っていうけど呉も蜀もクソ辺境地方の自立勢力ってだけだからな
鼎の足の大きさがバラバラ
魏:呉:蜀=5:2:1
ぐらいなもんだろ 漢中の反曹操一派の貴族が打ち立てた亡命政権みたいなもんだからな、蜀って そりゃ当時の医療技術で危険犯してでもちんこ取るってんだから相当な優遇措置があったってことだろうよ。 >>710
劉備の劉一族末裔よりうさんくさい曹操の曹一族末裔 >>418
演義の時点で落ちぶれ演出があったからそれはない
まあレスにある通り、それでこのコネか?
とは演義に触れた当時から思っていたが >>619
イメージでは南蛮ってジャングルだったけど
高地なのかよ
木々は生い茂ってるようだけど 荊州って今で言う湖北省か
なんか地域の強みみたいなんは無かったのか? >>718
曹操のとーちゃんは
夏侯の出自だっけ
かーちゃんの出自わからんけど
曹操自身はじーちゃんとは血のつながりないんじゃないかな >>722
上にも右にも左にも行ける交通の要所的な? 何千キロも歩いて更に戦争するとかてなんの罰ゲーム
道間違えたりしなかったんやろか https://i.imgur.com/6YtZ8Bl.jpeg
合肥ってもうちょい海側のイメージやったわ
許昌から徒歩4日か
呉、ここ獲ったら許昌射程距離じゃん そして蜀のほうの皇后が二人とも夏侯氏の血が入ってるっていう >>721
パンダとかゾウとかいるジャングル
アマゾンとは少し違うけど 南蛮は山の僻地
無双で知った頃は東南アジアに近いのかと思ってたがそんなことなかった >>732
そもそも劉備陣営には少なからず夏候氏もいるという罠であり
まさかのお使いの彼が夏候氏には参ったが >>730
曹参一族の家の人間ではあるんじゃないの?
曹仁とかもいるし
曹一門の人ではあるでしょ >>508
頭悪そう
無駄にクソレス連投してるだけあるな >>737
家系図もなければ曹騰が曹参の末裔を自称してた形跡もない 今まで適当に地図見てもピンと来なかったが標高あるとわかりやすい >>738
当時の記録で蜀にパンダいるぞとか有るの? 蜀は今でいう四川省で古代から長く栄えてたけど
明末期にベルセルクのワイアルドみたいな反乱軍が割拠したせいで住民が殆どジェノサイドされて古代からの血筋はほぼ途絶えた
人口300万人都市が1万人都市になったそうな 劉邦も項羽にこの辺の僻地に飛ばされたんだっけ
そっから巻き返した張子房はやっぱレベチだわ >>747
鴻門の会から4年で項羽は死んでるから巻き返しのスピード感がすごい
劉禅ですら諸葛亮が死んでから30年くらい粘ったのに >>750
たったの4年なの!?衝撃w
んじゃ5、6年後に樊噲とか韓信とか主要人物いなくなるのか >>749
水滸伝は三国志演義よりもさらに大衆小説よりで
文章も口語で読みにくいし、アウトロー小説っぽいから倫理観もちょっと厳しいって感じなんだろね
マンガの東リべをケンモメンが読むようなもん >>752
井波律子訳はめちゃくちゃ読みやすいから読んでほしいなあ 楚漢戦争短いんよな
その後の冒頓単于や呂氏専横が漢王朝的には本番なんよね 劉禅
I missed 蜀
Uh I missed蜀蜀蜀 >>561
蜀が荊州維持したまま北伐を成功させたら呉は真っ向きって魏と戦うよりも遥かに危険な自体に陥る
相手が誰であろうと長江の南側に他勢力の拠点を残しては置けんのだ >>747
三国志で例えれば曹操がうっかり戦死して跡を継いだ曹彰が天子をぶっ殺して領地を勝手に分配し始めて
案の定あちこち反乱祭りになった上に関中には夏侯淵と曹真と司馬懿と張郃と郭淮がいないみたいな状態だからな
ここからなら劉備と諸葛亮にも頑張ればワンチャンあるで 四川盆地は16万k㎡、本州は23万k㎡、東北地方が6万7千k㎡だから本州から東北を抜いた、平安ぐらいの日本の大きさ こんな糞広いのにによく拠点から拠点へ移動したり攻撃したりできたな
歩くのや馬にのって長時間進むの嫌にならなかったのかな? >>760
三国志も曹操と戦ったというより司馬懿と戦った印象の方が大きい 三国志の小説読むならなにがお薦め?
ちなみに活字初心者 マチュピチュぐらいの高さ(2400m)の都市は結構あるもんだな 昔、池上遼一の三国志をパラパラっと読んだが
あの広大な中国をあいつら距離無視して瞬間移動するよな >>745
泰恵王の時の巴蜀征服は、まだ未開の土地だったわけで組織だった抵抗なんてなかったろうから、
そうなると、歴史上関中方面からの成都制圧を成功させたのは鄧艾だけとなる
そりゃ武廟六十四将に選ばれるし、蜀漢制圧後有頂天になるよね >>768
覇とかいてロードだっけ
なんか宇宙戦争始まっても不思議じゃないぶっ飛んだ内容だった記憶がある >>752
個別の話は面白いんだけど朝廷に帰順するという部分がね
バラバラの講談をまとめたものだから一貫性みたいのがないのは仕方ないけど 三国志興味あるけどなにから始めるのがええの
小説でもゲームでも漫画でも史実でも演技でもなんでもええ これ実は左下の見切れてるところの領土が糞広かったりしねえの?
孟獲が割拠してたあたりだけど >>774
三国志だけ必死になってるタイプ多いな
もっと他の時代も楽しめばいいのに ここってスレタイに三國志ってあるから三國志の話してるだけなんだが、なんで三國志しか詳しくないって思うんだろうね
他の話したいならそういうスレ立てればいいのに >>779
幽州や上谷辺りじゃないの
てか詳しいんだからいいじゃん
ムキになるなよw >>779
劉備たちの出身地である琢県(現涿州市)が北京のすぐそば 諸葛亮の死にかたって過労死っぽいよね
部下を信用しないで自分でできることは何でも自分でやろうとしてたし まぁ暴論だと日本vs岩手+宮城みたいな感じだろ魏vs蜀
蜀は記録なさすぎて具体的に語れないが、蜀が存続できた大義名分は漢室再興、打倒魏だから根本は軍事国家なんだよね
その上で考えると30年くらいこの規模で国力削りながらも魏と戦い続けた蜀はやっぱり凄いと思うよ
孔明も国の存続の為に戦い続けただけで魏を倒せるとは思っていなかったと思うし
一方で孫呉は人材豊富で国力もあったのに大義名分失って内部で泥沼化してボロボロになったな
蜀や劉備が好かれたのは三国時代終了後の乱世で蜀漢正統論とかを大義名分に掲げて戦う将軍とか現れたからだし >>776
俺は1ゲーム2アニメ・ドラマ3小説だな(1と2は逆でもいけそう)
劉備が主人公の戦記物みたいなものだから劉備を知っていけば自然と流れの全体像がつかめる(後半の主人公は孔明)
演技も史実も細かい部分がちょっと違うだけで大差ない
にわかでもスレで話してる内容が何なのかくらいはわかるようになる >>671
劉備が日本人で超雲が女というギャグ漫画だから許してやれ >>2
蜀は天然の要害だからセーフ
なお普通に攻め込まれた模様 蜀勢は一種の宗教聖戦士だから一歩引いて見るとキチガイに見える >>772
最後だけらしい姿になった関羽張飛にはワロタ思い出 魏…東北地方
呉…関西地方
蜀…関東地方、ちな成都は今でも東京ランク
こんな感じなので国家三分の計が成立する 三国時代ってまだ科挙なかったと思うけど各国に政府機構は存在していて官僚もいたはずだよな?
それとも日本の戦国時代よろしく武力こそが正義って時代だったのか? >>785
劉禅を奉じた漢(前趙)が西晋を滅ぼして、しかも蜀本国も別の勢力ではあるが自立して三国化したんだよね 土壌が肥沃で人材も吉川三国志に豊富と書いてあったの嘘? >>785
岩手から政権交代した奴なら現実に一応いることはいるがな >>765
歴史の教科書に載るような出来事は曹丕の代で起きてるからな >>794
蜀で自立した勢力が八王の乱で疲弊したとはいえまだ討伐軍出せる状態ではあった晋(西晋)を完全に圧倒してるから
地力は間違いなくあるよ >>792
陳羣が作った九品官人法が試験による採用制度
とうがいはこれで出世できた 現代でも中国て崖に鉄骨刺して鎖を横に渡しただけの観光地あるからすごいよな
落ちたら死ぬとかじゃなく落ちたら見えなくなるレベルの高さ >>798
三国時代についてのあまりの無知を恥じ入ったうえで詳しそうだから聞くけれど
とうがいって人は誰なの?
あと魏以外は官僚採用制度は整備されていたの? ケ艾の凄さは蜀落としもだけどなにより魏の運河事業して収穫量をさらに上げたのが凄い
それを任せた司馬懿の先見の明も凄いが こういう地図だと必ずしも人口の多さを表す訳じゃないから何とも
董卓みたいに西方出身でも時運が良ければ一時的には天下取れる訳だしなぁ >>242
張飛って伝承だけじゃなく実際優秀だったのか >>801
農業の神なんだっけ
吃音でバカにされながらも努力奮闘した 皇帝や大貴族に仕える奴隷(宦官)の方が庶民や底辺よりよほど金も権力も持っている
古代ローマでも去勢はともかく、皇帝の私的な奴隷が行政を構築したって聞くし
どこもそんなもんだろう >>811
重慶(巴)がいまの直轄市(日本で言えば東京特別区クラス)扱いで行政的に独立してるから、併せれば日本と変わらない人口だよ。しかも日本より広大 >>810
いや違うよ
ローマ帝国の支配がざるで行政技術が未発達だっただけ >>792
地元での推薦があると中央にいけるみたいな制度
曹丕の代で様変わりする >>553
ちょっとワロタ
>>556
あっそうなんや
皆疲弊して共倒れか 孝廉や郷挙里選が駄目だからキチガイ難度の科挙にするのは振り幅デカ過ぎよなあ
しかも科挙受かるにはめちゃくちゃ時間と金かかるし結局上級しか挑戦できないっていうジレンマな その蜀領も
ちょい下のようわからん連中に度々反乱されてる >>792
文系エリート同士の横のパイプ的なもんがあってそっから芋づる式で引っ張ってきてたとかだった記憶
荀ケが大量に引っ張ってこれたのもこのつながりがあったからと言われてたはず お前らもっと教養ないと思ってたのになんでこんな中国史とか大陸の地理に詳しいの
なんかむかつく >>792
前漢から地域の「秀才」を推薦する制度があった。
後漢の光武帝劉秀の名前と被るので茂才と改称された。 天下を伺う地としては悪くないやろ
やる奴はやるよ
劉備や諸葛亮にはできなかったというお話 >>818
科挙が凄かったのはわかるがそれで中華に何かもたらしたのだろうか
宦官も科挙もなんかした? >>40
プレートの衝突とそこにできた湖への堆積・湖の消滅によるものだから日本でいえば都城盆地なんかと似たような成因ではあるけど、規模と形成時間の長さが全く違うからなあ >>824
李靖や劉基みたいな統一王朝建国の元勲生んだこととかかなあ…
まあ不合格者に黄巣や洪秀全生んでるからおあいこかもしれんがw 川堰止めれば魏も呉も水不足で皆殺しにできるじゃん、川勝が軍師なら中国統一できてたな >>2
もう劉備は何も気にしていないとお伝えください。 >>824
貴族制を終わらせ皇帝専制を実現した
中国における中世と近世の画期はそこってことになってるし
中国が世界一の先進地域になったのは科挙を完成させた宋代だし
後世の弊害はアレだけど極めて重要だったのは間違いないだろ なんで呉と戦っちゃったの?赤壁で一緒に魏と戦おうって言ってたじゃん >>832
劉備がガチキレしたから
公明は止めようとしたが無理やった
その時に言ったのが法正が生きていれば止められたかもしれないのにというやつ 劉備から見れば関羽の北進は呉のためでもあったからね
それを背後から襲われたんだから怒りはいかばかりだったか… >>766
北方版がほどほどの長さで読みやすいかも? >>836
背後から襲われて怒るのはかまへんけどさ
襲われてる拠点の指揮官が無血開城とかどう思ってんの?
ぶっちゃけ関羽が戻ってくるまで守りきれたよね 青洲とか徐州とか平地広いからもっと国力高くなければおかしいよな
ゲームだと小国扱いだけど >>839
関羽は認めた相手には敵であっても丁寧だったけど、
目下には傍若無人だった
張飛がその点でよく指摘されるが、むしろ関羽のほうが酷かったくらい
ただ、そういう横柄な人柄ではあっても表裏は無い性格だったから、そのへん理解して仕えていれば馬鹿な反逆心も起こさなかったろうな >>839
人望が終わっとたからしょうがない
目下特に文官に当たりがめっちゃきつくて恨みしかかってなかった
演義で高圧的で傲慢にかかれがちな周瑜が
人当たりがよく腰が低かったのとは対照的
当時の荊州に関羽のために命を投げてもいいと思ってたやつはごく少数やったろう >>807
蜀犬日に吠ゆ、の字面通り雲が多くて
日照量が不足して作物が育ちづらいので
食料生産率は低かったって書いてある解説本もあるんだけど
どっちが本当なん? >>841
逆だろう
反骨の人なので目上に厳しく目下に甘かった
善人が騙されるのは歴史あるある >>766
吉川三国志もいいぞ。青空文庫で無料。たぶん日本で一番有名な三国志。
今読んでも普通に面白い。
しかし鍾会が反乱おこしたことからも蜀の地ゲットすりゃワンチャン天下狙えるみたいなのはあったのかもな。 大規模ギルド戦シナリオ「赤壁大戦」後の拡張パッケージとして急いで実装された追加コンテンツっぽい >>818
振り幅じゃ無く純粋な進歩でしょ
郷挙里選とか九品官人法とか腐敗の温床でしかなかった悪法だし
貴族政も無能と汚職の温床 >>832
荊州を半分返すという約束を関羽が反故にしたから仕方ない >>788
普通にではないだろ
三国志屈指の名将である鄧艾がいたからこそできた偉業
それが故に本人も増長しちゃって最期はアレだったけど >>839
煽り全一の虞翻先生によると南群投降時に何らかの陰謀を阻止してるみたいだから
糜芳は偽りの投降を図ったけど虞翻先生に看破されて本当に降るしか無くなったとかなのかもしれねえ
士仁が悪いよ士仁が~ >>826
中華こそが天下の中心なんだ
中華の外に行けば行くほどランクの低い蛮族たちの住処になっていくんだ
気候も風土も文化も違う南蛮どもの土地を制圧してそれでなんになると言うのだ
そんなに兀突骨になりたいか >>850
荊州が無いと一々秦嶺山脈を越えて補給もままならん僻地から攻め込まないといけなくなるんだ スリーキングダム相当見やすい三国志だったけど
出来がいい分使いまわしの部分が悪目立ちしちゃってんだよなあ スリーキングダムはこの手のスレでよく見かけるけど
三国志スタンダードの一つになってる感じだね
今度観てみようかな >>747
項羽が曹操なら
劉邦勝ててないだろうな
韓信も曹操側に居るままだろうし 項羽が曹操みたいな戦下手なら章邯に鎮圧されて終わってた
劉邦はその章邯倒して天下取り >>861
勝てないね丸め込まれちゃうんじゃないかな 何故か劉邦は弱いみたいな風潮あるけど秦の討伐軍や群雄に普通に勝ってるからなあ
中華史上最強候補の項羽と冒頓単于相手に負けたからって評価下げ過ぎだわ
冒頓単于も耶律阿保機や完顔阿骨打と並んでチンギスハンのワンランク下にいるような傑物なのに
華北取って皇帝手中にあるのに田舎侍すら征伐できない曹操がどうにかできるわけあらず >>682
そんなこと言ったら神話なんか完全創作で日本の歴史は全て捏造だな >>851
孫権の娘との結婚話を蹴らなければうまくいってた
孔明が荊州にいたら無理やりにでも結婚させてた 劉盆子くんかわいそうすぎてかわいい
更始3年(25年)、関中に侵攻した赤眉軍は、更始帝の兵を各所で破り、華陰(弘農郡)に至った。ここで従軍していた巫が神懸かりして劉氏宗族を天子に立てよと語ったので、更始帝に殺された方望の弟の方陽は軍の正統性を確保するためにも劉氏宗族に連なる者を擁立することを勧めた。
樊崇ら赤眉軍諸将は協議して、信奉していた城陽景王に一番血筋が近い者3人から籤で選ぶことにした。年齢順で籤を引いた結果、最後に引いた15歳の劉盆子が当たり籤を得た。
この時劉盆子はざんばら髪に裸足で破れた衣服という姿だったが、諸将が急に自分に平伏するのを見て驚き恐れて泣きそうになった。そのうえ兄から「その籤は皇帝の証だから大事にしろよ」と言われると気が動転し、籤を噛んでへし折り牧童頭のところに逃げ帰ったという。
同年9月、赤眉軍は、更始帝に反逆した張卬らの手引きにより、長安を攻め落とし、更始帝を降伏させて璽綬を入手し、その政権を滅ぼした。しかし樊崇らの支配は乱脈の限りで、長安やその周辺で略奪狼藉を繰り返した。劉盆子はどうすることもできず、ただ宮中で泣くのみだった。
建世2年(26年)の元日の宴会の場で、状況を見かねた長兄の劉恭が「劉盆子を庶人に戻して他に賢人を皇帝に立ててほしい」と訴えたが、赤眉軍諸将は「お前が口を出すべきことか」と取り合おうとしなかった。
すると劉盆子は玉座から降りて皇帝の印綬を外しその場にひざまずくと、「今の我々は盗賊同然だ。皆から見放されている。私が皇帝の器でないのが悪いのだから、どうか他の賢聖を立てて私の一身を守らせてくれ。
赤眉軍が敗れたら、諸君はどうせ私を殺して責任を取らせるつもりなのだろう。どうか私をかわいそうと思ってくれ」と泣きじゃくった。諸将もこれには困惑し「分かりました、もう好き勝手はしませんから」と口々になだめ、劉盆子を抱え上げて玉座に戻し印綬をかけた。しかし劉盆子はなおも泣き続けた。 >>871
相手が劉秀じゃなかったら間違いなく殺されてたなこれ 呉はその後の江南の発展みるとまだ粘ればワンちゃんありそうだけど蜀はなぁ というか、元も蜀の釣魚城落とせなかったりと、守りには硬いので魏が案外蜀に手を焼いたのも
そんなおかしいかんじなしない これだけの土地を1カ国で治めている中華人民共和国やべえな 蜀の位置から天下統一目指すとかヘルモードすぎねーかこれ
開けた道がないじゃん >>872
兄貴の劉恭のが悲惨な末路だった気がする しょうもないとかいうけど
日本より領土広いやろ
知らんけど >>879
九州から山越えて関東攻めるのを繰り返したのか、孔明 , -、‐、=、 /
/ヾ ヽ_ヽ_ヽ /
ゝr >''_,, ゚-;;゙;;;-,,,、 / 映 目 あ は
|♀ツ __ ,.、゙'! l
f;;;ll;;>/ ,,≧. i'≡ i ゝ り に. な は
l;.、lll. l. ! ,. `
/l.ヘll ,,. " ,, l / .ま は た は
i;;;ヘ._ll ハ ̄ ̄ハ l ,,, l
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ヾ;;/ヽ. ヾ、 ,// / ハ !
,.イ///ヘ. ((ン" ,.' ,/ / ,l. ', か う. の
,,. < ヾ///\/゙,' . ,' / ,'l! ゝ、
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/, ', ヾ;i i ! i ,/ / /ハ ノ
/ l__,l__,,!,,,.l、,/ / // ト、 /´ ̄` .,,_,,. 、 ,,
ヽ. i l' i i i i' ,!゙i'Kノン i ; i!  ̄ ¨¨ ̄
ヽ! ゞl.l.i i. / ! i ツ ! |、
゙i , -ゞ=⌒ヽノノ1 / | | ヽ
、! / ー゙─--゙ニ;lノ/,.-、| l ヽ
V >! ,.ノヽ;;;;;;〈'゙i. l ヽ
,,. ≦三! )-‐'ャ、;;リ.イ ノ ヽ そうすると巴蜀韓魏を持ってた劉邦よりも斉趙燕代を持ってた韓信の方が肥沃な平地持ってて強いんじゃね? >>883
その理屈も正しい
ただし、劉邦の土地って「秦」だからね
蕭何も有能だけど、行政資料もあるし、秦の兵制での動員もできるわけで
まぁでも理屈抜きに本気で
韓信が楚兵を率いて反乱とか(楚王を頂いたりしてな)
斉を拠点に軍をあげたら、劉邦死んでると思うぞ
まぁそうさせなかった時点で、劉邦が強いんだけど >>885
お、えっちな蘭陵王か
イケメンパラダイスな斉に逝きてえなあ >>880
前線基地が漢中で長安落とすのが目標だから岡山から大阪くらいの距離だな
まあ成都と許昌なら九州関東くらいの距離あるけど魏の首都(帝都)は洛陽らしいな
曹操の時代は鄴で曹丕の時代に遷都された >>869
この申し出って親戚なら荊州そのままでいいよっていう
呉の最大限の配慮だったのにね
好き嫌い以外で断る理由ってなんだろうな >>865
劉邦が強いんじゃなくて
項羽がザコいの間違い
戦略眼0だもんこいつ >>889
劉邦に三秦あっさり負けたのそういうのが理由でもありそうだな
考えてみたら生き埋めにされて章邯達が育成した将や部隊長いないんだし 街亭って蜀敗北を決定付けたけどあんまり重要そうな位置じゃないんだな
漢中と長安がクソ重要だわ >>893
確保しておかないと後ろからツンツンされちゃう
確保後は東進かダメでも蜀に戻ればいいくらいで
徹底抗戦で兵が壊滅するのは孔明も想定外だったろうね >>895
俺は春秋戦国から元末期にかけての期間すべてに、ある程度に詳しいけど(細かく詳しいまでは言えない)
三国時代を詳細に詳しい奴が多すぎることにいつも驚いてるわ
連中、何の書物読んでるんやろかって 蒼天航路を基準に話してるやつは信用できない
デタラメが多いからな 敵前逃亡したと言われる馬謖の失態さえなければ祁山を落として西側丸ごと魏への脅威となっていた
異民族系のやつらの強さは言うまでもないし 三国志13プレイ蜀でプレイしたけど曹操強すぎやろ
蜀は不毛の地すぎる 漢民族ってモンゴル人や満州人に国を奪われたりアホなんやろね
三国志とか史記とかで凄い将軍だったり政治家だったりの描写があるけど実際はアホばっかりやったんやろなぁと思うと途端にしょぼく感じる >>605
もとをたどれば「江」は長江(揚子江)を指す固有語
おなじく「河」は黄河を指す固有名詞
河を「かわ」とこちらで訓読みするとおり、後世に一般語化した
河内(日本)のように「河」が黄河以外の大きな川に充てられたり、黒竜江や漢江(朝鮮)のように「江」が長江とは別の大河に用いられるのは後世の用法だね
メコン川の上流域は「瀾滄江」︰下流は中国では「湄公河」:河口付近はベトナムで「九龍江」と、「江」「河」両方で呼ばれてる
ちなみに「漢」は漢水を指す固有名詞だった。殷の時代の河川や邑はそれぞれが一文字で表現された
その邑や川のために造字したわけね 曹操「鶏肋」
新入社員「???」
曹操「鶏肋!!」
俺「撤退しろ、ってことだよ(笑)」 >>880
出撃しているのは漢中からだから、ちょうど秀吉の中国大返しの距離だな >>903
漢民族は軍人の地位が低いんだよ
でも結局中国征服民族はみんな中国化されてしまう
恐ろしい仕組みだ 楊修も超有名人だからあんなちょっとしたエスプリが有名になってしまってボケの曹操に逆恨みされたんだよね >>886
蘭陵王「おーい!救援に来たぞー!おーい!」
城兵「くそー!このままじゃ陥落しちまうー!くそー!」
蘭陵王「おーい!って乱戦だから全然救援に来たこと気付いてないな、しゃーない、おーい、俺だぞ!」兜脱ぎ(京劇では仮面)→超絶イケメンフェイスピカー!!
城兵「あ!あれは!蘭陵王高長恭サマ!救援に来てくださったー!!」
ギャグでしょ 何か色分けおかしくねえか?
魏と呉の境界線がよく分からんぞ 南蛮征伐の七擒七縦ってあからさまな尺稼ぎだよな
南蛮の奇抜な戦術と諸葛亮の対応は面白いけど >>901
装備もボロくて訓練も微妙な蛮族兵が強い訳無いじゃん >>903
その代わり商業工業の才能には長けている
だから現在世界一の輸出大国になっている 孔明~姜維までの北伐で多分10回くらいあるが大敗もあれば小さい勝ちから魏の将を討ち取ったり住民移住させたり大勝している時もあるからね
孔明は無理ゲーな中で戦争しながら国力維持したりまじで凄いし頑張ったとは思う「絶対正義!うおー」みたい姜維を内部で誰を止められず弱体化してついに滅びたけれど
司馬懿と鄧艾が有能すぎたね
鄧艾も結局、蜀漢滅亡戦で魏の内部にある権力争いに巻き込まれて蜀の地でころされちゃうから虚しいな 蜀って険しい山の中にあるイメージだけど
成都のあたりは広い平原になってたんだな >>915
モンゴルが異常なまでに強かっただけだしな
後金(清)のヌルハチも名将だったが、それ以前に明がヌルハチを東北部の安定のために後見してた。秀吉の唐入りがなければヌルハチの自立はもっと遅れていたか、無かっただろうよ >>915
歴史的には中国は内部で全部完結するタイプの国でしょ
いま輸出大国になってるのはむしろ経済的な発展が遅れたからみたいな >>919
華僑はサンフランシスコにも神戸にも居る >>893
重要都市というよりシルクロードの中継地点なんだわ
長安よりこの交易拠点を抑える方が大事 日本の国土のが山ばっかで驚愕するぞ
貧しいわけだわこりゃって >>919
唐,宋,明,清いつも大幅輸出超過じゃん中国 >>922
歴史的に「華人は経済活動に長けている」といわれることの揺るがぬ証拠だ
「日本」号の「じっぽん」「にっぽん」読みも、後世のEnglish風の“ジャパン”も、それぞれがそれぞれの時代の華人由来だ。大航海時代の「ニフォン」(日本の自称)などではなくジーペンが“日本”を呼ぶヨーロッパ人には耳に馴染んでいたわけだ。交易相手が華系ばかりだから当然だな 19世紀前半の清は清だけで世界のGDPの1/4だった 中国は昔から特産品として
絹織物、茶、磁器を輸出してましたわな
で蜀の「蜀錦」は高名な特産品でしたので、成都は「錦城」と呼ばれとりました >>925
明清がちょくちょく海禁ぶちかましてるように
中国は別に輸出志向してないよ >>903
アホみたい陽気で文字を持たない武力メチャクチャ高い遊牧騎馬民族が最強すぎるんよ
漢民族が万里の長城を築いてもそれを越えて侵略や略奪してくるから
華北辺りの混血を中華皇帝にして中華文化に馴染ませるのを繰り返してる >>928
あんま関係なくね
チャイナタウンって食い詰め移民でしょ? なんか宋あたりから洛陽、長安見向きもされなくなったな スイングステートや関東の小豪族、あるいは対馬なんかでもそうだけど
狭間の住人たる江陵人とかクッソ大変だったろうなこれ >>927
そりゃシルクロード交易の為の要衝だからな
生糸交易が海運になる近代は要衝じゃなくなる 前近代は地大物博、うちはなんでもあるから別に外になにも依存する必要はないけど少しはわけてやるって思考の国だし
近代の大半工場なんてやれてなかったと思うんだが… >>934
東南アジア諸国の華僑は大昔に海外進出した富裕商人のが多いよ 冷兵器の時代は馬こそがすなわち武力だったので
北方遊牧民族が強いのは当たり前なんです
中国史上でも経済的には目覚ましかった北宋が武力的にクソ弱かったのも、馬の産地の北方西方を契丹や西夏に抑えられてたからなんですね >>939
それも要は結局人間多いだけの気がするんだけどね >>941
根本的にアンチ商業思考なんですよ
特に明 >>938
それは乾隆皇帝とかいう思い上がった爺さんの戯言なんですわ
現実にしっぺ返しされるのはその直後だしね >>933
それらの諸属の人たちも、父祖がある時期にはもっと中原寄りに住んでいたのに、
夷夏(華夏)によって北方に(もっといえば四方や山間部に)放逐された過去があったりするからね
それらの視点で言えば、中原に居座ったのこそ「占拠した狡猾くて強い人たち」だった。これも当然だわね。誰だって住みやすい地域が佳いもの >>944
地大物博ってのは特に皇帝の個人的な主張ではなく
伝統的な物言いよ 歴史を見れば、蜀から統一した勢力はないのだから、諸葛亮は無能と言えよう。 >>935
宋ぐらいになると江南経済が発達するから
シルクロード交易の比重が下がる
というよりモンゴルとかウイグルの北方騎馬民族と漢民族の帝国が別れて
チンギス・ハーンの元の後にシルクロードの長安より北京に都を置くのが明の永楽帝 >>935
唐も後期に成ると長安より南部の港湾都市の方が交易規模5倍10倍だもんね
ジャンクが大型化高機能化して馬使った陸路交易わ斜陽に >>943
自由貿易しすぎると帝国経済壊れちゃうからな
同時期のオランダやスペインなんかも銀の流通しすぎで逆に不安定になるという >>947
ほかならぬ中華民国が重慶から他の地域に再進出したわけで 南方のお米を運河で長安に送るにしても
途中の連結点の開封のが大発展しちゃったら
もう長安までわざわざ行く必要ないからね >>951
重慶って位置的に荊州あたりだと思った
蜀なん? >>945
漢民族っていうけど割と中華大陸内で民族移動とか移民とか頻繁にしてるんだよな
人数多過ぎて把握できないだけで
近代の清の時代でさえ禁領の満州に移民してたりとか >>947
毛沢東の長征が一番ヤバい
国民党に追われて山奥に潜んで旧日本軍にゲリラ戦して
日本軍いなくなってから国民党倒して中華統一してる 日本も本土決戦まで持ち越して長征すればアメリカに勝てたかもな >>953
殷周時代には巴と蜀は別々の有力な邑(地方)だったが、
https://i.imgur.com/50eH8Q5.png
>>2の巴は益州に属する蜀の領域。重慶も元は四川省 昔、中国の秦の恵王が蜀を討とうとした時、蜀に入る道がなかったので、石で牛をつくり、黄金の糞(ふん)をすると偽ったところ、蜀侯がこの牛を得ようとして道をつけさせた。恵王はこの道を進んで蜀を討ったという
こんなアホみたいな作戦で征服されたという古蜀国
欲に目がくらむと人間ダメなもんですな >>932
朱元璋が日本に「倭寇どうにかしてくんない?」って使者送っても、日本が全然相手してくれないし、しかもオレオレ詐欺に引っかかってるフシもあるし、
そんで業を煮やして海禁だからね >>961
国民党に僻地に追われて敗走しまくって山奥這いずり回ってからの逆転劇だからな
西安事件が無かったら壊滅してた
なんかここに画像貼れないのが悔しいけど 熊野峰高血食祠,
松根琥珀也應肥。
當年徐福求僊藥,
直到如今更不歸。
朱元璋がジャップの禅坊主に「徐福伝説」を聞かされ詠んだ詩とされる
昔からこの怪しい伝説はあったという >>966
その坊主って、日本の使者を装った、倭寇の特殊詐欺だと思っている
要は受け子だよね現代風に言うと >>963
蜀の水牛が戎(秦)人には珍しかったんだと思う。内容はどうあれ蜀と北方との関わりでは牛にまつわる説話がみられる >>950
金銀など日本で両替すればボロ儲け出来るしな 初代皇帝ってだいたいそうじゃね?
朱元璋とか乞食坊主からまさか皇帝になれるとか思ってもなかったろうな しゃくれさんの成り上がりは現代目線で考察してもわか分からなくて好き >>824
儒教に詳しいやつだけを登用する制度は
つまり儒教の思想に染まった人だけを登用するということで
それは、徳のある人(皇帝)による統治が最上であるという思想に染まった人だけで政務を行うということ
つまりは独裁体制の維持に役立つ 中華史ってRock54くらいまくるのかな
何がダメなキーワードなのか知らんが何度も焼かれて書けんわ >>975
詩経は周が犬戎の圧迫や内訌により東遷する頃の詩が多くて、それだけに政治への義憤や社会不安や生活の苦しさについてのものが多い。「節南山之什」のなかの「小旻」は出だしから「旻天疾威,敷于下土」(天の怒り激しく あまねく下土[≒地]を覆う)
およそ当時の主権者への忠誠を鼓舞するような内容ではない。むしろ義憤に満ちて正義を果たすよう奮い立たせるような内容だよ 陶謙「劉備殿、徐州を治めてください!!」
劉備「嫌だ!」
曹操「イエーイ! 徐州もーらい!!」
劉表「劉備殿、荊州を治めてください!!」
劉備「嫌だ!」
曹操「イエーイ! 荊州もーらい!!」
↑まあ天下取れるワケねぇーわな・・・ 自軍兵士穴埋めくらってオメオメ生き延びた奴を王に冊封する馬鹿項羽
それで民心安定するわけないだろって
案の定漢軍にボロカスにされてるし >>974
毛沢東も天下取ったら功臣粛清しまくったのは初代皇帝の伝統だよね >>979
でもお前も滅びそうなタイミングでくれると言われても困るだろ >>981
すごすぎる
國民黨との後々の成都の戦いまで込みで中国史上最大の偉業だな
あと、銀河英雄伝説の「長征1万光年」はこれが話の種だね >>831
なるほど
現代でも東大生の親は収入高めなんて言われてるのに当時はどんなもんだったんだろね
蛍雪の功的なやつで貧民から頭脳ひとつで成り上がった人もいたんだろうけど大多数は上級国民の子弟な気もする🤔 そろそろコーエーも後半の人材不足解消の為に五胡十六国のシナリオ入れようや >>986
そらそうよ
でも安倍や麻生みたいなんは金持ちの家でも受からんからな あの時代で一番豊かな土地って袁紹が抑えてた土地なんかな。
官渡の戦いの時点では曹操もそれなりの支配地域もってたけど動員できた兵力にめちゃくちゃ差があったよな。 >>989
魏志劉廙伝には
權備之籍不比袁紹之業
とあり
「孫権・劉備の実績は袁紹の事業と比較になりません」と和訳されています。
つまり袁紹が抑えてたところは相当潤ってる穀倉地帯だったんじゃないかな >>947
玄宗皇帝は一応蜀に逃げてその後に持ち直した
鎮圧まで大分時間はかかったがな 邯鄲って超大都市なイメージだったんだが三国時代にはもう存在すらしないんか >>992
玄宗は本当に避難してただけだから違うんじゃないか たぶん>>2の趙国ってのが邯鄲
趙王が邯鄲にいたから趙国になっているんだろう 邯鄲ちゃんと存在してるぞ、袁紹VS曹操バトルで名前出てくる このスレッドは1000を超えました。
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