孔明が「泣いて馬謖を斬る」理由とは? [663766621]
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今回のテーマである「泣いて馬謖を斬る」は、そんな魏との戦の一つ、「街亭の戦い」で生まれたエピソードです。この戦において、孔明は若手の有能な部下である馬謖を指揮官に任命しました。これは抜擢人事であり、実績のない馬謖に経験を積ませるためとも考えられています。
馬謖は頭脳明晰で、孔明にも優れた進言をしてきたとされています。孔明は、ゆくゆくは自らの後任にしたいと思っていたのかもしれません。しかし、この馬謖の起用が事件を引き起こしてしまうのです。
指揮官となった馬謖は、山頂に軍勢を敷くという、孔明から「絶対にしてはいけない」と言われていた戦術を部下の忠告も聞かずに強行しました。当然ながら山麓を敵に抑えられ、水源と兵糧を絶たれてしまいます。飢えに弱り切ったその軍勢は脆くも敵勢に一網打尽にされてしまいました。
失った兵の数は1万5000にのぼると言われています。この馬謖の失策により、孔明の陣営は一気に不利な状況に追い込まれてしまいました。
孔明は馬謖を斬首刑とします。そして自らも帝に三階級降格を申し入れ、処分を受けました。
「なぜ貴重な人材を処刑したのか」と問われたとき、孔明は涙ながらに、「規律を守るためには仕方がない」と語ったとされています。これが、「泣いて馬謖を斬る」という逸話になりました。孔明は常に法を重んじ、公明正大に法を適応することを何よりも優先したのです。
https://agora-web.jp/archives/240518045212.html 馬謖を任命したやつが悪いだろ
馬謖は一生懸命やったただの被害者 まあ馬謖が助かったとしても蜀の滅亡は免れなかったがな 自分で人選してやったら詰むと言われたことをやって敗北したのだから
選んだ自分も悲しいしルール無視した馬謖に対しても複雑な気持ちで斬首するだろうな なんで馬謖はそんなアホなことをしてしまったんだろうか 馬謖はなまじ兵法を齧ってたのが不味かったけど、それが無ければそもそも育てもしないから難しかったよな
孫子の兵法でも陣は高い所に作るのが良しとされ、逆に攻める時に登る状態になる所は攻めるなという教えもあるからこそ自己判断勝手にやったわけだしさ 笑いながら仲間を切り捨ててる人たちがいましてね
自民党っていうんですけど 言うほど泣くポイントあるかこれっていつも思ってる
独断専行するアホとか軍に一番不要だろ お調子者のイエスマンを可愛がってたらどでかいミスをやらかしたでござるの巻 責任を取って私が斬られれば良いというわけでは無い
とかなんとか言いながら任命責任から逃れた 孔明が三国志ドンジャラでよこどりで泣いた後に馬謖の牌を切る様 >>22
お前の推しのアニメが爆死して周りが叩きまくってたらお前も泣きながら叩くだろ 昔やってた出社が楽しい経済学の解説だと
モラルハザードになるから嫌でも切らないと
いけなかったんだとか ヒトラーも信長もナポレオンも敗戦を理由に処刑はしなかったんだよな。 なんでって
劉備の言うことまともに聞いてればって後悔したんでしょ 昔QMAで答えが「泣いて馬謖を斬る」の並べ替え問題出たんだけど「泣いてる馬謖を斬」って回答の奴いて噴いたわ >>16
銃火器が完全普及するまでは飛び道具は弓矢なので高所を抑えるのが有効射程距離も伸びて有利というのがまず大前提としてあり
更にこの時代の戦みると赤壁の時の病人大量に出した魏軍みたいに遠征先での病気のパンデミックが結構あったのよ
それで長期戦になるなら陽当たりも良く健康的に過ごせて見渡しが良い事で奇襲も避けられる高所に陣を敷くことは兵法の基本だった
ただ、ここは地形的特徴で普通は高きから低みに流れる水源がこの山には無いなど陣を敷くには悪条件の例外パターンということを経験の浅さで理解出来てなかったのが敗因 >>37
机上ではやたら強いてのは戦国時代にも例がある
チョウアツだったか忘れたが まあ石原完璽は処刑されなあかん奴だったかもわからんな 抜擢したのは自分なのに自分への罰が降格っていう名目だけの意味なしペナルティだけなのなんなの(´・ω・`) 腕か足かチンコの一本も落とすくらいのことはしなよ 一万五千人も兵を失って有能は無理がある
生かしてたら残りの兵や遺族にも申し訳ない 劉備にすら「馬謖ぜってー大事な局面でやらかすから気をつけろよ」って言われてたのにな 斬首したけど代わりの人いないから人材不足に拍車かかったよね 自分が失脚したら北伐政策崩壊するので下の者に詰め腹切らせた >>30
負けたから処刑されたんじゃなくて命令違反した上に部隊を放って逃げ帰ったから
これはナポレオンやヒトラーも処刑不可避
助命嘆願も出たと言うがこれを許すと軍規が乱れる ケンモメンみたいに口だけの無能だから重用するなって劉備に言われてたんでしょ? >>26
大日本帝国を見習ってほしいよな
牟田口も山本も失策したところでナァナァで済まされてる優しい帝国☺ >>30
塙直政って武将は敗戦して戦死したら、信長によって一族厳罰に処されたよ 自民議員が法律守らないなら下級国民も守る必要ないよね >>63
王平は低学歴どころか今のグエンみたいなもんだろ 中国の将軍って負けたら処刑だし勝っても危険視されて粛清対象とか
何が楽しくてやってるんやろ 孔明「馬謖を切れ」
武将「馬謖は有能な人物、規律は分かるけど今後の働きで返させるべき」
孔明「そうだな じゃあ斬首中止」
兵士「斬首終わりました」
この流れなんだけどね >>70
魏に逃亡試みた説もあるんじゃなかったっけ >>68
ガチの戦乱期はどこの国も似たようなもんだよ >>70
馬謖は知らんけど劉封がそのパターンじゃなかったかな いや、普通に馬謖がとんでもないミス犯した責任だし当たり前だろ
昭和生まれのノータリン白痴バカってこんなくだらないコトワザ化したものを知ってても同時代ののり素晴らしい詩や言葉には見向きもしないの、ノータリン白痴バカたる所以です 笑 >>76
負ける国の共通って意味じゃ孔明の処遇もその典型だわな
軍律に厳しい健全な軍隊なら孔明が失脚しなきゃスジが通らん >>79
演義はこのパターン多めだよね 間抜けっぷりが好きだけど >>7
任命責任もあるかもしれないが、指示を守らなくて敗北した責任が馬謖にはあるから >>70
そう言えばそうだったな
泣いたのは首が来てからだった 人治国家の日本においてはどれだけ裏金を作ろうが無罪放免 >>87
孔明が丞相の地位を返上したら誰もその仕事をこなせなかったからな >>3
蜀…いや、劉備玄徳は関・張と3人でこその劉備玄徳
法はこの三兄弟で天下を取る為の道具に過ぎないのだ
取れたかどうかは別の話 >>95
法に厳しい事を尊びながら代打が居ないからってシレっとそれに甘んじてるのが孔明のクソな所
隠居隠遁でもすりゃ筋が通るだろうに 作り話を真実だと思ってる奴が多い点で演技の罪は重いよ
ソースの確認もしないバカが悪いが >>48
つかまんまあの趙括の例なんだろ
あれも確か包囲されて水の手断たれて戦死だし
>>87
そんなわけで孔明も降格して一時期実質丞相で通した
隠平郡を制圧した功績で丞相に戻ったが >>54
つーかまだ下っ端当時の馬謖をそこまで見抜いていた劉備がヤバい 結局好き嫌いなだけ
一方的に疑われて殺された魏延が可哀想 >>101
それで君が皇帝だったとして、他に人材がおらず孔明が辞めたままだと国が滅びるとなったらどうする?
自分も皇帝やめる? >>101
孔明が失脚したらそら魏も遠征してくるだろ
実際孔明がいても反転攻勢みたいなので曹真が遠征してきたし >>107
命令違反して戦線拡大させたクセして一軍団の規模で軍集団以上の兵站を要求するキチガイ >>109
これよな
今昔も国が違っても組織は変わらん 蜀の国力的に北伐ムリなのでごまかすためのスケープゴート >>109
魏延は孔明死後の内ゲバで死んだようなもんだろ 長安以西の制圧がほぼ確になってきたところで同じ荊州閥の馬謖に簡単でデカい手柄になる仕事を任せたら大変なことになった
泣いたのは数年かけて緻密な計算通りに事が成就しそうだったのを台無しにされたから。そして今後こんなチャンスは2度とやってこないと分かっていたから 五虎将軍亡き後、蜀には魏延しか一流の将軍いなかったのに >>110
>>111
マトモな統治者なら一個人の才覚と一蓮托生な国家なんて事にさせない、どんなに才覚有って忠を尽くそうが亡国の臣だよ >>54
劉備があんだけはっきり忠告するぐらいだから実の無いお調子者的なキャラクターが見え隠れしてたんたろうな
一応勉強は出来て議論も出来て献策っぽい事言って俺は解ってるアピールしてたら諸葛亮のツボに嵌まって、気に入られたけど経験不足と認識不足で大損害
所詮頭でっかちな口先だけのお調子者で終わってしまった
この損害がもっと小さく済んでれば、馬謖もこの後経験を積むチャンスが有って大成してたかも知れない >>29
裏金やってもお咎めなし→モラルハザード
みたいな感じか 山上「泣いて安倍晋三を撃つ」
山上ってほんとは安倍晋三のことを誰よりも評価してたんだよね >>123
頑張ったけど1.8流くらい
一流でないものがトップを張るしかない蜀の人材不足は深刻 >>78
打線を組んでみた(´・ω・`)
1番 兵は神速を貴ぶ
2番 白眉
3番 三顧の礼
4番DH 泣いて馬謖を斬る
5番 呉下の阿蒙にあらず/男子三日会わざれば刮目して見よ
6番 水魚の交わり
7番 泣く子も黙る
8番 破竹の勢い
9番 危急存亡の秋
ピッチャー 鶏肋、伏竜鳳雛
外国人枠 说曹操,曹操就到(曹操の話をすると曹操が来る)
監督 髀肉の嘆 こんなガイジムーブかますやつは有能な部下ではないだろ
どう考えても見抜けなかった俺がバカだったて涙 馬謖って本当に頭脳明晰だったんかな?
単なるアホじゃね? >>57
その辺仙石秀久に似てるな
仙石さんは改易で済んで処刑まではされなかったけど >>121
孔明が内ゲバで失脚しました
奴にはもう権限はありません
俺が魏でも喜んで蜀漢攻めに行くわ >>126
鄧艾は武廟六十四将に選ばれるくらいだから明らかに一流レベル >>15
足止めが目的なのに撃破を狙って山上に布陣したら水が確保できず詰みましたっていう敗戦やで >>16
実戦経験が無くこれからの蜀の中枢を担うのに武功が皆無だと説得力が無いので孔明の言い付けを守らずに功を焦った
弁は立つけど軍事才能的には机上の空論者だった
劉備もその辺は見抜いていたようだし >>122
極悪すぎて後ろから矢が飛んで来なけりゃいいがな 無能を理由に責任を押し付けてられるって今の日本でもよくあるよな >>136
なお同格は関羽張飛の模様
これが良いことなのか悪い事なのかは知らん 「手足を切り取るのは確かに痛いでしょう、ですが、切り捨てられた手足からみれば、結局のところどんな涙も自己陶酔に過ぎませんよ。
泣いて馬燭を切るか。ふん!
自分が犠牲にならずに済むなら、いくらでもうれし涙が出ようってものでしょうな!」 頭の悪い女の子の家庭教師やってた時にこれを問題に出したら、ゆーて馬謖を斬るって答え書いてあった
元気にしてるかな >>124
人の才覚に求める所が如何にもジャップ的っつーかなんつーか
曹魏と人材の厚みの違いばかり言われるが蜀に足りない弱みと決定的な差は組織化よ
>>135
だからソコがクソだと言ってるべ
国力と人材に劣る国なら尚更システムや組織を強化せにゃならんのに孔明は逆に事実上の独裁敷いて組織を腐らせたからクソなんだよ 話しが合って地頭が良さそうでそいつから慕われてたとしても絶対やるなって事をやって
1万5000人失った時に孔明は絶望したんだろうなと思うと親近感わく マトモな人材育てられなかった時点で孔明って言うほど大人物じゃなくね?
自分だけ凄くても下を育てられなきゃ無意味やん >>139
つか兆候はすでに対南蛮というのか越儁あたりで見えていたらしいからな この話の不思議なところはそんな惜しまれる優秀な人材が命令に背いてまで勝手にアホな行動を取ったところ この人武器を発明するダ・ヴィンチだと思う😄ドラマだとわざわざ煽りに出かけるけど縦横家成分は低め🤔
諸葛亮(孔明)は中国三国時代の蜀漢の軍師であり、彼の能力を古代中国の思想家たちの流派に基づいて採点するのは興味深い試みです。以下は、各流派における諸葛亮の能力を10点満点で採点したものです¹:
- **法家**(法律と秩序を重視する思想): **8/10**
諸葛亮は法律や規則を重んじ、厳格な管理と統制を行うことで知られています。彼の治世下での蜀漢は、法によって秩序が保たれていました。
- **儒家**(倫理と道徳を重視する思想): **9/10**
彼は儒教の教えに深く根ざしており、道徳と倫理を重んじる政治を行いました。また、人々に対する仁愛の精神も持ち合わせていたとされます。
- **縦横家**(外交と策略を重視する思想): **7/10**
諸葛亮は外交においても優れた才能を発揮しましたが、彼の時代の他の縦横家の思想家たちと比較すると、やや劣るところがあったかもしれません。
- **兵家**(軍事戦略を重視する思想): **10/10**
彼は兵法に関しては非常に高い評価を受けており、その戦略と戦術は今日でも学ばれています。
- **墨家**(平等と非攻を重視する思想): **6/10**
諸葛亮は墨家の思想とは異なる部分が多く、特に「非攻」の原則には従っていなかったと考えられます。
- **道家**(自然と調和を重視する思想): **7/10**
彼は道家の思想にも通じる部分がありましたが、彼の主な関心は国家の統治と軍事にあったため、道家の思想を完全には実践していなかったと言えるでしょう。
これらの採点は、諸葛亮の歴史的記録や伝説に基づいた主観的な評価であり、彼の多面的な才能を完全には表現しきれないものです。しかし、彼が中国歴史上で非常に重要な人物であることは間違いありません。😊 >>54
馬謖は太守時代にその地域で反乱が起き城を放り出して成都に1人逃げ帰ってきた過去があったから劉備は馬謖が口だけの奴だとその時点で見切っていた
諸葛亮は馬謖の兄馬良とどうやら義兄弟の契りを結んでいて馬良が夷陵の戦いで戦死したため馬良の弟である馬謖の後見人のような気持ちがあったかも知らない
ダメな部分はあるけど馬良の弟だし何とか馬良の代わって活躍させたいという >>149
その国力上げるためのシステムと組織強化はどこの誰がやんの?ということだろ >>153
結構あることじゃね?
実務経験の無いエリート育ちが現場の忠告無視して大損害って >>70
日本だったら優しい世界だったのに・・・
牟田口「陛下へのお詫びに自決したい」
藤原参謀「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、 一応形式的にも止めないわけには参りません、司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。
誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。今回の作戦(失敗)はそれだけの価値があります」
牟田口「そうだな自決中止」
こうして牟田口は余生を全うしました 抜擢人事なので妬まれて嵌められたのでは?
連携をミスるよう仕組まれたとか >>153
そこよな
普段は忠実なのにいきなり傲慢になって突然慕ってる師の命令違反する怪異さよ 劉備「馬謖は口だけだから重用すんな」
やっぱりこいつ見る目あるわ >>69
姜維は軍人としては間違いなく有能
実は佞臣だった費禕の工作により前線で孤立する立場に追い込まれたのが痛かった >>153
戦略目標の遵守より敵の撃破の優先
ミッドウェーほかでよく見た光景だろ 三国演義のせいでここらへんめちゃくちゃだよな
劉備や孔明は所詮、中原から落ち延びて僻地に蜀を作っただけなんだよな
荊州失って以降はなにが三国だよっていう >>167
自分の才を過信して俺のオリジナルで行くぜ!→実は才無く大失敗!
良くある事 馬謖って紙上談兵、生兵法野郎なの?権力もたせたら駄目な人間なのかしら 中国で「紙上談兵」というと
こいつか元ネタの趙括だからね
頭でっかち無能インテリに任せちゃったおのれの不明を恥じて泣いてる 日本で三国志が有名なだけで孔明って中華史全ての英雄で考えるとそこまで有能ではないよな お友達だからって特別に減刑すれば組織のモラルは崩壊する
ここで馬謖を斬れないものは上に立つ資格がない >>179
有能かどうかはともかく
知名度では中国でもかなり上の英雄ですわ >>162
そりゃ他ならぬ孔明の仕事よ
だが、自分で何でも仕切ってしまった
国家的視点に立って孔明には如何にサボって自分の出番を無くすかが求められたのに孔明は自分の仕事を増やした
>>176
いきなり過信キャラに化けるのが不自然だっつーの 有能でもない規律破った人材を笑いながら活かしてるのが令和時代だよね 山の奥深くに入り込むと敵を見つけるのは難しいしすり抜けられる危険性も高い
後の北伐でも双方がさんざん何百kmも追いかけっこしたり予想外の遭遇戦で数万人が全滅したりやらかしてる
街停みたいな奥まった場所でしかも北側にも道があるのに街道封鎖なんて出来る訳がない 孔明を詠んだ詩で一番有名なのはこれかな
蜀相 杜甫
丞相祠堂何處尋
錦官城外柏森森
映階碧草自春色
隔葉黄鸝空好音
三顧頻煩天下計
兩朝開濟老臣心
出師未捷身先死
長使英雄涙満襟 >>182
いきなりじゃなくて元々才が上(目上)の人には爪を隠してただけじゃねえの
いるだろ現実にも
ドラマ三国志とか見てもその辺を連想させる様な演技してて面白い >>3
ほんこれ。あとパワハラ張飛も黙認してたしな >>116
費禕による情報操作で魏延は命令違反をやった
その始末をした楊儀が成都に戻ると楊儀ではなく蒋琬が諸葛亮の後継者となり楊儀、費禕は主要ポストから外れた
これに不満を持った楊儀が愚痴を言うと費禕はその事を告げ口し楊儀を官職追放に追いやった
この功績で費禕はメインポストをもらった
蒋琬と姜維が北伐で成都を留守にすると劉禅に蒋琬と姜維の北伐は成果が見込めない等と讒言を繰り返し蒋琬と姜維をを中心とする北伐軍首脳の足を引っ張る
蒋琬は北伐の成果も出ず劉禅からの信頼も薄くなるのを感じてストレスから心身の不調が始まると費禕が蒋琬からポストを奪うように出世した
宦官の黄皓より費禕の方がガンだった >>171
むしろミッドウェー海戦のGFや山本と孔明が重なるわ
無論悪い意味で >>130
いや姜維だって有能だぞ
それ以上に鄧艾がバケモンなんだよ >>7
孔明ってこの件の後に自ら降格を申し出たと思ったが 勉強は出来たけど仕事は出来ないみたいなやつだったんだろ
それが見抜けなかった孔明も無能 やめろと言われて
現場で部下にも止められてるのに
なんで馬謖はやったんだろうな 孔明に張良と蕭何の役をおっかぶせるのは無茶振りだった >>190
そらまあ孔明も56も似たようなもんだからな
むしろ吉川三国志自体が掲載時期が太平洋戦争の時期ともろに被る代物だ 安倍晋三は笑って規律を乱し政治家のモラルを底辺まで低下させ裏金を横行させたよね パリピ孔明では
レギュラーメンバー使ってもいいけど後身が育たない
どうなってもいい場所だが責任を取らさなければいけなくなった
て解釈よな なので孔明の艦隊などという意味のわからない架空戦記が出てくる >>172
それでも第一次北伐だけはチャンスはあったよ。長安以西を制圧したらその後どうなったかは分からん
第一次だけは呉、西方異民族、孟達、魏が無警戒とあらゆる要素が揃ってた 部下が勝手にやったこと
責任を取らせたのでもう済んだこと
私は山に登るなと言いつけた、アイツが勝手に勘違いしただけ 馬謖「何か云われたけど、こうした方が勝てるんじゃね?」
↓
馬謖「うわあああやばい大敗だぁ!俺のせいになるぁ」
↓
大敗した上に孔明のとこに戻らず責任放棄逃亡
↓
孔明「これさすがに...斬るしかねぇわ」 >>197
神格化されてるが個別事案を掘り下げるとクソさが先に立つ、その後死ぬまで無反省っつー点でも共通やな
>>201
志茂田w >>179
内政に関しては晋の時代から評価されてる 呉に負けて有能な人材いっぱい死んだからこんな駒も大事だった 孔明のみならず長嶋巨人軍まで出てくるからな
志茂田景樹先生のは 高地に陣取る方が有利なのは古今問わず戦の常識
しかしここはアフガンのような崖だらけの難所で登るも下るもルートが限られていた >>195
元々口先だけのカスやら馬家のオマケやら孔明のお気に入りだから出世した、だのな扱いだったから自分自身の功績に餓えていたんだろ
安倍そのものだよ、完璧に >>195
思い込みやこだわりが強かったんだろうな
有能そうに見えて人の話を聞かないのは発達障害っぽい >>189
軍死は費偉陳祇の次だからな
そらまあ小物だわ 90年代の仮想戦記ブームって何だったんだろうな、紺碧の艦隊とか反吐が出るくらい嫌いだった >>171
ミッドウェーと共通するのは
敵主力の誘い出し作戦なのに
逆落とし喰らってる所だな
本来なら武田信玄が徳川家康を城から誘きだして野外決戦で撃滅したようなのをしたかったんだろうけど >>172
呉と同盟を堅持しつつ荊州を失ってなくて漢中と江陵から同時北伐なら諸葛亮の漢中からの単独北伐よりは可能性はかなり高かったと思う
ただ前提は龐統、法正、孟達、馬超、黄権、馬良、張南、張飛らが史実のように早く亡くなったり魏に降らず残留している前提になるけど
扶風郡出身の法正、孟達と涼州で圧倒的な威名を誇る馬超がいたら漢中から祁山、隴西、街亭までの進軍は調略もし易く諸葛亮の時の北伐より遥かにスムーズに展開できたと思う
龐統、馬良は出身地でもある荊州に戻して関羽が孫権と対立しないように外交のサポートと兵站担当をつとめ、上庸は黄権に任せて関羽の動きを川沿いのルートから支援させる
陣容的にはそれでも魏に比べれば手薄いけど馬謖を護軍参謀にするような事態にはならない 正直処刑まではやり過ぎだよな、馬謖はこれまでの功績がデカすぎる
李厳みたいに庶民に降格して二度と重用しない程度で良かったろ >>214
失策じゃなくて命令違反な
それも国家存亡の危機クラスの 正史だと馬謖は敗北後にバックれて隠れたっぽくて草生える >>202
シルクロードの交易路抑えればまだ全然チャンスあったよな >>211
戦略の主目標はシルクロードの分断なのに
高地占領するのは意味ないという
ただ何万もの兵士を指揮してたら取り敢えず有利で安全な箇所は確保して置きたいのも理解できる >>216
だいたいは湾岸戦争のせいなんだろきっと >>146
鄧艾はいうなればハンニバルやナポレオンのようなことをやってのけたからある意味関羽や張飛よりすごい 蜀は劉備の遺言通りに孔明が王になってたらまだ維持できたかもな >>222
郭淮が有能で第二次北伐以降は羌族達を上手く囲い込んだのが大きい
諸葛亮の北伐の防衛に当たった中で魏側の功労者に順位を付けるなら
曹真、張郃、郭淮、司馬懿 >>219
負けただけじゃなくて部下を捨てて逃げた。馬謖の逃亡を助けた奴も処罰されてる >>184
長安に続くシルクロードを一時的塞いで
敵主力を誘きだして撃滅するっていう乾坤一擲のギャンブルなのに
蜀の主力率いる馬謖が高地で包囲されるという失態 孔明も、最初の北伐しかチャンスがないことを知ってた
だからこの一回に賭けてた
でも馬謖のせいで失敗に終わった
責任を取ってもらう以外に方法がない >>225
高地占領でも良いけどそれは水源確保できているという戦争の大前提ありき
水源がなければ何が起きるかは明らか
更に当時の街亭周辺は密林地帯であった事が考古学調査から判明していて張郃の兵は何があっても山の麓の道を通らないとそれより西には進めない状況だったのが分かっている
王平と同じ様に街道沿いに縦深陣地構築しているだけでも十分に足止めは可能だったと考えられているけどな >>228
孔明が本当に帝位継いだらたちまち蜀漢が滅亡したゲームがあってな 笑って斬ったら後世でひどい人みたいに言われちゃうから >>241
なるほど
そういや嫁さんも超ブサイクだったんだよな そうじゃねえんだよなあ
あの戦いで文字どおりの惨敗して隴西地方を完全に失ったから。
ただの局地戦の負けじゃない。第二次大戦でいえばDデイみたいなもん
太平洋戦争のミッドウェー海戦とも言える 「やるな!」
「やるなよ?」
(ポチッ)
「なんでやるんだよ!!(激昂)」 組織の規律を保つため
軍にあっては他の部隊の命に関わる >>153
死人に口無しだからわからんけどな
孔明「俺言ったよな?!山頂には軍を敷くなって!!俺言ったよな??!」
馬謖「はぁ…そう、かもしれません、、」 ワンミスで殺してたらいくら人材がいてもたりませんよ孔明さん >>229
曹操でさえ苦戦して鶏肋で撤退した狭隘な漢中に誘きだされて負けたからその教訓なんだろうな プラスマイナス岩橋と同じ病気じゃね?
やっちゃいけないと言われるとやりたくなるやつ 山に布陣すんなと固く言いつけたのに山に布陣するという逆張りやらかして水を断たれて敗戦するというクソ
そら劉備親分も「あいつ口だけだからでかい仕事任せたらあかん」と遺言残すわな つか手伝わない王平が悪いよね
あいつ字も読めないし立場が悪くなったから亡命してきただけだし いやいやいや
普通に考えて一万五千もの軍隊を山の山頂に集められるわけないじゃん
しかも山の水源を絶つって水源って山の上から下に流れていくものだけどどうやって麓で
水源を絶てるの?
なんかこの話おかしいことだらけだよね だが、結局のところ、あなたたち権力者はいつでも切り捨てるがわに立つ。
手足を切りとるのは、たしかに痛いでしょう。
ですが、切り捨てられる手足から見れば、結局のところどんな涙も自己陶酔にすぎませんよ。
自分は国のため私情を殺して筋をとおした、自分は何とかわいそうで、しかもりっぱな男なんだ、というわけですな。
『泣いて馬謖(ばしょく)を斬る』か、ふん。
自分が犠牲にならずにすむなら、いくらだってうれし涙が出ようってものでしょうな。 毛沢東は隴西攻略を馬謖に任じ孔明が主力を率いて街亭で迎撃すれば勝てたのに逆をやった孔明はアホと評してる
実際その通りで隴西は孤立し主力を率いる程の敵軍勢は居ない、一方街亭は魏の主力軍が救援に来るのは明白だった
そもそもの作戦がクソ >>259
歴史と規模がしょぼすぎて語ることないもん >>254
劉備が見込んだ実戦指揮官はほとんど陸遜に燃やされちゃったから まぁいいじゃんそういうの
責任は取ればいいというものでは無い! >>205
同じ大失敗やったセンゴク許して帰参させた秀吉甘すぎるよな >>259
卑弥呼が占いで政治やってた頃にこんなんやってるのが中国で孔明だろ >>234
長安包囲の一角でシルクロード封鎖の主力だから
街亭で無理やり山登って門神するより誘きだした魏軍をもぐら叩きみたいに削ればいいという発想にはなかなか至らないんだろう
水源切られて逆に包囲されるのは
孔明が長安に対してやりたかった事なのに 言うて相手はあの張郃だぞ
パニックになるのも分かる 魏は当時三国最強の「張郃」を布陣するガチっぷり
しかも大軍で曹真、郭淮と主力オブ主力
蜀は馬謖、王平に少数の兵士と完全な戦略ミス
指示通り布陣しても負けるわ いじけて鉈振り回して子供のごとくばしょう切ってたんだろ >>261
長征をやってクソ田舎から中華統一した毛沢東の説得力ズルいわ >>256
山の上に布陣してたので水補給するために麓まで降りていって水汲んでた
魏軍は兵を配置して蜀軍が水源に近寄れないようにした ワロタw
まさに泣いて馬超を斬るを地で行ったわけだなw >>261
毛沢東が言うならそうだろうな
てか毛沢東って中華を統一してる時点で孔明より圧倒的に格上の偉人じゃね? しかも麓までの道が狭く全軍で降りるに降りられないのだろ
そらまあ詰みだ >>264
安倍だったらお友達がミスしても絶対にかばうからなあ >>1
「なぜ貴重な人材を処刑したのか」って、
命令無視して暴走して1万5000人も兵士失ったりしたらまあ妥当な処分な気がするが >>280
統一後にやったことを考えなければ毛沢東の方が上だと思う 「この SPAらしい イッポンノ馬謖を 世界に 広めようでは ありませんか チョーゼバ イターキマス」 >>271
張郤には時間がなかった
馬謖は隘路を塞いで時間を稼げばよかっただけ >>280
中華人民共和国の太祖だからその人は
比較するなら始皇帝とか漢高祖とかその辺 >>288
その「隘路」って幅1kmって言われてるんだが >>271
そもそも正面から戦っても勝てない
北伐のメインは主力はなるべく温存しながら長安を包囲し
西のシルクロード利権を掌握すること
旧日本軍が太平洋戦争でハワイ包囲や米豪遮断作戦やるのに近い フラッシュメモリのセーブデータ消えてそう
「街亭の戦いで馬謖が撤退しており、馬謖の罪を許した」のならば、劉禅からの帰還命令が出た際に、謀反を起こすことも可能。 高所に陣を置くという兵法の基本を守った結果だから諸葛亮がちゃんと理由言ってればこんなこと起こらなかったんじゃないのと思ってる >>297
諸葛亮は最初から防衛指示してて、篭もるなら近くの廃城にしろよ!って言ってたのに山から逆落としで勝てるから!で山に籠もっちゃったんでしょ >>297
馬謖は優秀だから別に言わんでも俺の真意を察してくれるだろなぁって思ってたんだろな
馬謖の取った行動は短期決戦なら正解だったと思うけど孔明の考えとは真逆だった >>250
そうそう
そして曹操が漢中から撤退する時に殿をつとめたり漢中の西側にいた氐族を涼州に移民させる事を提案したのも当時20代後半だったと推定される郭淮
若い頃から超絶有能な軍人
これが馬謖とほぼ同じ歳っていう事実 劉備「あいつにでかい仕事任せたらダメだ」
司馬懿「あんな奴を起用するとか人を見る目なさすぎ」
張コウ「もしかして蜀って馬鹿の集まりか?」
王平「丞相のお使いもできないパワハラクズ」 孔明の作戦が根本から間違っていたなら馬謖がどうしようと馬謖は単に孔明の作戦が間違っていたからで済むのだろがな >>22
でも命令が絶対で融通効かない無能将軍のせいでナポレオンは大敗北したりしたし… >>291
ん?そんなに広くないと思うぞ
現在のGoogleマップの航空写真ではかなり木が減っているけど当時の街亭を含む秦嶺山脈はカナダの針葉樹林帯のような森林で街道以外は通行できず当時の中国の街道は幅が20mもない
長蛇の列しか組めないから縦深陣地組まれたら軽騎兵ではまず突破できない
だからこそ街亭は守り易く攻めずらいから実戦経験がそれほどなくてもしっかり守備していれば守れた
これが諸葛亮が魏延、呉懿を使わずに経験値を積ませるために馬謖を送っても大丈夫という判断の理由にもなっている 死せる孔明生ける仲達を走らす
これ三国志知らない人は絶対意味勘違いするよな >>304
>>306
そもそも劉備がとち狂って呉に攻め込んで大惨敗して人材も多く失ったから少ないコマでやりくりしないといけなくなった事情なのによく言うよな 劉備につけあがる馬謖を重用してはならないと忠告を受けていた
北伐にとって糧道を絶たれた時の絶望さを一番理解していなかった
人材乏しい蜀にとって信賞必罰は無くてはならないものだったため >>309
装輪車でもあるまいに
開けた歩兵の進出可能な稜線間の平坦部が約1km 任命責任はなし、まさにジャップみたいな国だなw
真っ先に滅んで当然だと思います
本当に泣いてたのか? この戦争時代で死罪に値する罪であること、処刑対象が複数人であることを察するに、記述からしても敵前逃亡したと考えるのが妥当なんだよね
(ただ戦闘に敗北したから死刑、なんてしてたら戦争続きのこの時代はあらゆる指揮官が死刑になってしまう)
トップの馬謖が逃げたから王平が仕方なく敗走した部隊をまとめる始末 >>227
能力はあっても自分を客観視出来ずに身を滅ぼす結構いがちなタイプだとは思うが 第一次北伐で長安以西を切り取ってれば蜀はワンチャンあったので
第一次北伐で馬謖がやらかした命令違反と(一部史書で書かれてる)逃亡は許されないし斬首も当然
ただ諸葛亮の作戦にも無理はあったし
百戦錬磨の張郃の優秀さが諸葛亮の作戦の間隙をついた面は大きい
魏延に任せていたとしても、あれだけ早く張郃が到着してしまえば
第一次北伐の結果は変わらなかった可能性は高い
魏延なら命令は守りきちんと戦っただろうけど >>322
正史から読み取れる諸葛亮の人柄だと死罪を伝えたあと1人で号泣してそのまま倒れてそう
軍事能力に関しては批判する人がいた諸葛亮だけど、内政手腕とその人柄に関してはほぼ全員が絶賛している
何より正史を記述した陳寿と正史の内容を精査し注略を付けた裴松之が諸葛亮信者か?っていうぐらい人柄だけはまず疑いなく三国志随一というような評価をしている
中国や日本の後漢、三国時代の研究者も劉備の人柄には辛い評価をしても諸葛亮に関してだけは最高の評価をしている
多分中国の歴史上の人物で諸葛亮と同じくらい人柄を賞されているのは周の周公旦だけじゃないかな? >>60
自分でなんでもやっちゃうタイプの人なんだよな >>327
平田篤胤
「孔子のあとには諸葛あるのみ」 弛緩した空気が軍全体を覆っていたのでこの辺で締めとくか的なやつ 諸葛亮に軍事の才能がない、みたいなこと言われるけど、
それは「内政は蕭何レベルだけど軍事面は韓信には及ばない」だけであって軍事面も三国志の中では化け物レベル
蜀の国力で何度も北伐をして魏と競り合って撤退時にも夷陵の劉備みたいな大損害は出さず綺麗に撤退できている
仮に司馬懿と諸葛亮を入れ替えたとしたら、魏軍を率いた諸葛亮なら余裕で蜀を滅ぼせるだろう >>333
圧倒的格上の大国魏を倒せなかった事実を以て諸葛亮に軍事の才能が無いという事なら
その圧倒的大国に居ながら弱小の呉や蜀を倒せなかった当時の魏の軍人など才能のかけらも無い無能しか居なかったという事になるね 劉備の諸葛亮への遺言「馬謖は口先だけのやつだから信用するなよ」 >>327
儒教の宗教的聖人だから失敗は全て人のせいにされる 細胞が潰れることで発生した硫化アリルが鼻や目の粘膜を刺激するから >>326
そうなると第一次北伐を成功させた功労者として魏延の発言力が大きくなるというジレンマ
政治って難しいわ >>333
作戦目的を完遂できなかった以上そこまで評価される事はないと思うけどな
河西回廊を抑える最後の詰めで負けたのが街亭の戦いでその時に人選ミスをした
しかもその人選は劉備の残した言葉、人選をした当時の丞相府諸将の反対を押し切って諸葛亮の独断で決定した結果だからね
最も成功率が戦った第一次北伐でのこの独断による人選ミスをやってしまったから軍司令官としての能力に関してはマイナスの評価は妥当だと思う
反対に司馬懿は第四次北伐からこの防衛を担当したけど郭淮らの意見を聞いて兵糧の確保をしたり布陣する場所を変更して五丈原でも優位な状況を作り諸葛亮の決戦誘発にも乗らずに守り切った
司馬懿個人の見解だけで布陣していたら五丈原では魏軍も食糧不足から撤退するか決戦に引き込まれて大きな被害を受けていた可能性は高かった
諸葛亮と司馬懿の軍事司令官として出した結果からすると君の主張は史実とは反対だと思うよ >>340
蜀にはもうまともな将軍がいなかったんだから魏延を主力にしても良かったのに 諸葛亮のミスを被って馬謖が死んだなら面白いけどな
丞相の作戦上のミスがバレたら蜀の瓦解は決定的だから
そうなっても不自然ではない >>147
俺もシェーンコップのこれが思い浮かんだ >>342
現状維持の防衛するだけならこの時代呉も蜀も誰でも出来てるから指揮官としてな評価に値せんのよ
諸葛亮は成功させれば一大功績だが司馬懿の防衛は成功させて当たり前の事
司馬懿も呉や蜀を攻撃した時にはなんの功績も挙がらず撤退するだけのつまらない武将 指揮官となった自民党は、異常金融緩和という、海外から「絶対にしてはいけない失敗する」と言われていた戦術を部下の忠告も聞かずに強行しました 法を重んじるなら馬謖が勝手な動きしない様に何故縛らなかったのか 格下国から防衛しただけの司馬懿曹真満寵が物凄い名将なら格上の魏からの防衛に成功した朱然朱桓徐盛費禕王平などはどんな凄い名将になるのかという話よ
この時代は侵略を上手くできる奴が居ないから魏側が防衛の戦績を誇張してるにすぎない >>343
まぁその判断でもいいけど
北伐前から既に歯向かって独自の主張しだすのに
いずれ韓信のようになるのは目に見えてる訳でね 街道を守れよと3回念を押したら山に登る振りだと馬謖に思わせてしまったから つか馬謖がダメというより
使えないケンモメンみたいのしかいなくて
その中では馬謖がマシな方だったんだろうな とりあえず降格して牢屋に入れとくじゃダメだったんか。 馬謖は食べるところが少ないけど斬るのは惜しいから泣く泣く斬ってる copilot に蜀軍陪審の評決作ってもらった😊
我々、蜀軍の陪審団は、馬謖の行為を慎重に審議しました。馬謖の命令違反は、軍の規律に対する重大な違反であり、その結果として街亭の戦いでの敗北は蜀軍にとって大きな損失でした。しかし、馬謖の若さと将来性を考慮し、彼の行動が経験不足から来たものであることを理解しています。したがって、我々は馬謖に対して、死刑ではなく、軍務からの一時的な除名という判決を下します。これにより、馬謖は過ちから学び、将来的に蜀軍に貢献する機会を持つことができるでしょう。 実は孔明の策が失敗したけど蜀のために漢のめに良くないから代わりにこいつを斬ったのかもってずっと思ってた 今でいうひろゆきみたいなやつだったんだろうな
それらしいこと言ってデキる風を装うのは上手いけど不利な状況になるとすぐ逃げ出すっていう >>297
いやいや孔明は山の上に行くなってちゃんと言ってるやん
だけど先生の策の上をいって褒めてもらうぞーっつって破った >>368
実戦じゃ無能だからひろゆきとは微妙に違うだろ
ひろゆきは論から間違ってるんだから 現場向きじゃないのに現場で兵を率いさせるから、孔明の話し相手だけやっていればよかったんだよ 水原も240万円盗んだだけなら大谷も許してくれただろう(歯治療に900万円くれる仲だし)
24億円はダメだわ ・蜀軍は長安一歩手前の
龍山、龍右まで奇襲に近い形で進撃し
趙雲の軍が長安に最も近い位置にいた
馬謖は長安から一番遠い街亭を押さえ
以西に魏軍がおらず
魏にとっては無視できない存在だった
孔明の軍は馬謖と趙雲の間に位置し
どちらにも増援できる形にしつつ
長安を牽制した
・長安にプレッシャーをかけたものの
蜀は圧倒的に兵力が少なく
魏は長安の守りはなんとかなるが
街亭以西は魏軍が僅かなので
緊急に張郃に大軍を預け派遣する
・馬謖は街亭を落としたばかりで
張郃迎撃のための拠点整備が
間に合わないので
南の山に陣を展開して包囲される
おそらく趙雲と孔明に長安を攻略させ
張郃が引き返したら追撃するつもりが
そうならず殲滅され蜀軍は撤退 高台に陣取るなよって言われてるのにいや高台に陣取ったろとはならんだろ
泣いて惜しむ価値も無い、今で言うネット軍師タイプが馬謖 >>378
キシオより俺のほうがいい政治できるって言い張るケンモメンにやらせたら取り返しつかない事になりそう >>3
関羽を切るって事は劉備も張飛も切るって事だから仕方ない
飽くまで劉備軍だからな劉備の意志が絶対 人を見る目だけはある劉備
人を見る目だけはない諸葛亮 >>359
魏延か呉懿に任せるよねって皆に思われてた >>383
劉備は戦争も強いよ
劉備が負けたのは曹操と陸遜ぐらいか 孔明は自分が書生上がりだから馬謖に期待したのだろうが、
本来書生上がりは馬謖みたいな人間が多いんだ
城の中で書類仕事してるなら良いが、実戦には向かない
孔明と寝食を共にしたと言われている劉備は、
馬謖とも何度か話す機会があったのだろう
それで「あ、こいつ口だけの人間だわ」と見抜いた
劉備はヤクザの親分と言われる事が多いが、
あれで結構学が深い方なんだ 政治家だとドリルとか小泉の倅が役柄にピッタリのイメージ 泣いたのは実質魏攻略が無理になってしまったからな気がするが 戦国時代のジャップ民は我が子だろうが親だろうが保身のために斬りまくってたんじゃね 林会長
「横山やすしのクビ切らなアカンか...しゃあないな」 孔明「上司になんか言われたけど無視して弟子を重用してやろ
幼常「上司になんか言われたけど無視して手柄をあげてやろ
子は親の背中を見て育つ >>303
荊州失陥、蜀呉同盟崩壊の大戦犯だぞ
主君に許可とらずに軍事行動起こして孫呉との同盟を勝手に破棄して戦闘仕掛けて挙句敗れて荊州失って呉を敵に回した
蜀の戦略の破綻はここで決まったといってもいいくらいのやらかし >>385
史実だとそうなんだっけ
演技しか知らんから蜀入りするまで各地を敗走して転々としてるイメージしか無いや
Koeiの三国志でも劉備は統率低いしな 劉封の処分といい損得勘定で割とばっさりいく人でしょ 史実だったの?魏が書いた孔明アホエピソードだと思ってた >>359
馬謖の副官についた王平で十分だったレベルの任務なんだけどね >>384
あらためて二人とも名前が悪すぎるな
その点馬謖は蜀を養生するからめでたいんだ 昔から苦労している劉備から見たら本当に青二才だったんだろうな >>131
『梯子を外される』も劉琦と諸葛亮の逸話からじゃないか >>403
山頂からヒャッハー!しながら戦いたかった >>404
三十六計の「上屋抽梯」ってのがそれやね >>403
孫子を流し読みするともろにそういう記述がある
必要なときは君主の命令を破っていいとも
なおそれを補足する諸条件はないものとしたもよう >>402
無理
街亭の戦いで張郃退けたとしても長安落とせるとは思えんな
曹叡がそもそも超優秀だしイケメンだし >>403
メインウェポンの弓は高所を取るのがセオリーだから 孔明の期待を超える形で大勝しなければ到底魏を倒せないから
みたいなイベントが三国志大戦であったな >>392
それ斬る必要無いじゃん
斬られちゃうし >>402
長安を包囲しつつシルクロード交易路の分断を長期間出来るならっていう条件付き
魏に取ってはゲリラ戦しかけられるのがウザイので対応せざるを得ないという立場 >>411
勲功上げるなら多少の命令違反は黙認されるあれだろ
なお致命的惨敗した場合については処罰されても文句は言わせんみたいなもので >>403
高所を占領するのは野戦のセオリーではあるけど
本来馬謖に課せられた任務は街道を封鎖しつつ敵主力を引き止めて邀撃するという奇策だったから
それを理解してなかった可能性 >>389
逆
どっちが勝ちそうか分からない場合は
兄弟や父子で仲たがいしたふりをして両方につく
そして勝った方についた奴が負けた側についた奴の助命を願う 孔明の指し図に従わず
王平の忠告も聞き入れず
失策によって遠征軍撤退の原因を作ったのだから処分は仕方ないわなあ 魏延の長安奇襲策はとうなんやろな
成功してただろか >>179
出師の表を後世に遺せただけで主君に対して司馬一族百人分以上の働きをしてる
朱熹くんとか何とか今からでも蜀漢の方が正統王朝って事にならへんかって泣いとったで >>367
大元の作戦が駄目だったとしたら諸葛亮の参謀で日夜色んな相談してた馬謖もやっぱ無能って話になるんだ
文盲ですら不味いと思ったら諫言して対案出すと言うのに >>424
元々の記述だと魏延案は潼関で合流しようって所までで長安急襲とかまでは書いてないとか
おそらく「夏侯楙が無能らしいから長安を急襲するチャンスだ」ではなく
「結果的に夏侯楙無能だったから」これ逆算して話盛る事できるなって考えた奴が後世にいたのでは? 劉備は魏延を評価し要所の漢中太守に抜擢した一方で馬謖には軍を任せるなと念を押した
孔明はその逆の評価をした
少なくとも馬謖については劉備の目が正しかった
そうなると蜀好きとしては魏延の策には夢がけど孔明との相性が悪すぎた 楽しみにしていた食後のデザート用のプリンを食べたから つまり諸葛亮は自身が天才すぎてコーチとしては無能だったわけだな。
野球の天才選手は自分が普通にホームラン打てるんで人にそのコツを教えることができないみたいな デザート食べて殺されたのは楊修
デザート食べられなくて自殺したのは荀彧 >>434
空になったプッチプリンの容器を渡されたのが荀彧 戦いに負けただけで死刑になることは通常はありえないから、やっぱり馬謖に重大な命令違反があったんだろうね >>419
実は歴史書には馬謖の命令違反というのが何なのか不明
孔明がどんな司令を与えたのかは分からない
そもそもこの時の魏軍のが小部隊だったから狭い街道に布陣するのは蜀軍に不利だったりする
なお趙雲も適当な理由をつけて敗戦の責任を負わせられて降格させられた 馬謖は賢いかと思って任せたら指示も守らずにきちげえムーブする無能だとわかったら斬られて当然だろうな 麓でも敗けは確定的だったから山麓で時間を稼いだって記事もみたな
本心は馬謖のみぞ汁 馬謖なんて生きてても死んでても歴史的には大差ないけど
馬謖の起用から処刑までの一連の流れは諸葛亮の人事がグダグダだと明らかになっただけな気がする
さすが法正の個人的なリンチを見逃してただけあるぜ >>394
劉備って明確に裏切ったと言えるのは曹操だけ。中原であちこちで戦争に負けて追い散らされたのも大体曹操が相手。曹操の部下には大概勝ってたりする
余程曹操には相容れないものがあったんだろうな劉備的には 馬謖程度を惜しまなければいけないほど蜀の人材不足は深刻だったんだな いつもながら兵数盛りすぎやろ
失った兵数1500くらいだろ
それでも多いか 劉備「馮習とかいうやつ総司令官に大抜擢して呉に侵攻するわw」→三国志史上最大の大惨敗
「李厳とかいうやつに後事託すわw」→兵糧の輸送に失敗し責任を諸葛亮に押し付けようと工作してクビに
こいつが人を見る目がある事になってる理由は? >>447
劉備が勝った曹操の部下って王忠と夏侯淵くらいでは
徐州では楽進に打ち破られた
夏侯惇は副将の李典が駆けつけたから劉備軍はちりじりになって逃走
張コウには劉備みずから精鋭部隊を率いて攻めたが攻めきれず諦めた
曹仁や曹純には敗退 命令違反で死罪
何もしなければ死罪
失敗すれば死罪
これもう半分詰んでるよな そこいらの兵数や戦死者数は主催者側の発表そのまま記載されてるケース多いから
実数は1/10以下だと思えばええ~って大陸の学者が言ってた 劉備って馬謖は重用するなっていってたんじゃなかったっけ
で孔明のアホがやらかしたって話やろ
内政はできるが戦と人の見る目はからっきしやな孔明 魏延普通に有能だったんちゃう?孔明とは合わなかっただけで >>461
史実の記述を見ても周囲のあらゆる人間から異様に嫌われてる
技術はあるけど滅茶苦茶粗暴で直情的な職人のオッサン、みたいな扱いだったんだろう >>7
軍令無視して違反とか負けて無くても懲戒食らうは
况て馬鹿みたいな用兵して大惨敗とか死刑一択 >>46
本隊が山上に布陣しないのなんて常識中の常識 荀ケ「魏なんて建国したら後世じゃ簒奪者としてフルボッコでっせ」
↑曹操は荀ケの言うことを聞くべきだった
電波の後醍醐天皇を都から追っ払った足利尊氏も
江戸時代や戦前は逆賊扱いされていたらしいな
楠木正成が忠臣扱いなのも
糞みたいな主君でも忠節を尽くしたかららしいし >>461
劉備が生きていたら活躍したかもしれない というかこの時点では趙雲がまだいたのに何故使わなかったのかと
若いからとか経験積ませようとかで書生上がりの官僚に戦略上重要なポジション任せた時点で負け
個人的には孔明の政治力は評価しても人事面はあまり評価してない
依怙贔屓はどこの世界で見ても失敗する事が多い >>470
趙雲は別働隊で大規模な陽動をやっていた
史実を確認して自説がおかしくないか確認してから話をしようね
馬謖並に何も見えてないよ、君 >>464
馬謖は本隊じゃなくて先遣部隊です
ちなみに姜維の時代にも山を守っていた句安が水を絶たれて降伏してる
魏軍はこういう手法に長けてて逆に蜀はそこらが杜撰な傾向にある >>472
馬謖が率いたのは街亭防衛という任務に関しては本隊だよ
北伐軍の本体は諸葛亮率いる軍だけど
蜀にとっての街亭の戦いは長安と三郡を分断状態を完成させる守備戦
魏にとっては蜀軍に降った二郡と包囲を受けている一郡の奪還の為の強行突破作戦
街亭周辺の地理と分断のライン設定からして街亭の守備は一月守り切れば成功した
実際には張郃の兵糧事情が悪くて15日ほど守り切れれば張郃軍は徹底せざるを得ない状況だったから更に難易度が下がった作戦だったんだけどな
大きな戦役では何度も局面が代わりその度に戦略目標を達成するための目的別の戦術戦が繰り返される
街亭の戦いはその戦術戦の一つでそれが戦略達成の区切りになる重要なものだった
その戦術戦に負けたのが馬謖で馬謖を選んだのが諸葛亮 孔明の緻密な戦略を台無しにした。せめて逃亡せずに踏み止まってればね 孔明の責任逃れだよね
なんなら山頂布陣は孔明の指示だったまである
口封じだよ ミッドウェーも米軍は万全の迎撃態勢どころか実態はかなり危ない橋だった模様だからな
それでもやれることは全てやったようだが 身体の相性はバッチリだったのに
己の叡智を持ってしても取り返しのつかない失態で
それを失うのが悲しい、恐ろしいという思い >>473
建興六年、亮出軍向祁山、時有宿將魏延・呉懿等、論者皆言以為宜令為先鋒、而亮違衆拔謖、統大衆在前、與魏將張郃戰于街亭、為郃所破、士卒離散。亮進無所據、退軍還漢中。
あくまで諸葛亮が到着するまでの先鋒隊だよ
先鋒隊を本体とは普通は言わない。
あと諸葛亮伝でも馬良伝でも張コウと戦わせて負けただから蜀軍の認識ではすでに張コウが来てたから馬謖に襲撃させたという無謀なことさせたくさい ある領域を奇襲、占領しようと軍を動かし、その領域を救援する為に派遣された敵軍に対し軍の本隊で敵軍を撃滅せず支隊を送って防御させ
支隊が防御してる間に本隊が領域を占領した後で派遣された敵軍を撃滅しようなんて計画がウンコ
順序が逆、支隊の指揮官がクソだったから計画が破綻したんじゃなく元の作戦計画がクソだったから破綻した 馬良と馬謖ともう一人くらいはたしか結構有名だけど
残りはどうなったの? >>479
馬謖は諸葛亮の参謀なんだからどっちにしてもクソだぞ 風呂上がりの贅沢レモンサワーうまかった🍋🍺😋 そろそろ🛌 >>3
この頃のトップは玄徳だから
馬謖処刑の頃は孔明
劉備生きてたら馬謖処刑もなかっただろうな >>478
戦略的な分割だから馬謖の部隊わ別働軍の本隊
抑々兵書にも山頂に布陣するなって有るからな >>485
抑々馬謖は軍官として無能で有害でしょ
文官としても本当に有能だったのか怪しいわ >>485
陽動はそこに存在し続けることにこそ意味のある部隊であって敵を引きつけ続けるのと全滅しない両方やらなくちゃならない辛いとこだが
要するに馬謖だとまた敵撃破求めて突っ込んで結果惨敗陽動の役割にならないまで見える いずれにしたって第一次北伐失敗における原因は孔明の立てた作戦と用兵の誤りにある
魏の救援軍を始末すればその後の占領なんて如何様にもなったのに敵軍を後回しにして占領を優先した事が原因なのは明らか
それが証拠に囮部隊、街亭守備隊は任を果たせずとも敵軍に作用してたが侵攻軍本隊は遊兵になってた >>363
また調子に乗って懲りないタイプだよ馬謖 >>492
このまま郿の要塞に突撃して曹真討ち取ったら俺ヒーローやんっ!になりそうな奴の匂いはメッチャするなw >>495
それ演義の創作
曹操軍は割と粛々と荊州北部に引き揚げてて孫権、劉備の攻勢はそれを見届けた後に始まっている >>377
張郃は狭い街道を塞がれてたら無理に攻略しても時間がかかりすぎてその間に長安は落とされると考えてた
とは言え命令は命令なので一応現地に向かいその状況を確認したらすぐに長安の救援に向かうつもりだった
しかし何とびっくり蜀軍は街道を塞がずに山の上に布陣してるではないか
待て慌てるなこれは孔明の罠だ
いやしかしこの状態でどんな罠があるというのだ
ここは一か八か内側に入り込んで蜀軍を叩くか
こうして作戦は根本から崩壊した 馬謖だけじゃなく趙雲も高翔も負けてるからなこの二人は指示に背いたという記載ないのに >>384
長安まで行った時魏の援軍が来ることに備えて戦力温存したかったんだろう >>498
それ演義の記述じゃん
正史だと先に張コウが街亭着いてたとも解釈できるし何とも言えない >>392
そもそも主君に申し開きする前に戦死しとるやん >>138
足止め無視
めちゃくちゃな布陣
残当に負け
3アウトどころか命令無視の時点で殺してよくないか >>411
条件があるとするなら、一流中の一流の将軍に限る >>502
張郃が先についてたら呑気に山に布陣してない >>493
ただ祁山や三郡での包囲解いてしまうと補給路が遮断される可能性があるから北伐軍全部を街亭に移すと全方面包囲されるリスクが高い
祁山がすぐ落とせない、三郡の調略はある程度進むという前提で北伐は開始されたと思う
想定外だったのは新城孟達の早過ぎる壊滅
孟達があと半年籠城できていれば荊州にいた張郃は長安方面に回す事はできなかった
諸葛亮の当初の作戦では新城の孟達が荊州の司馬懿、張郃を荊州に縛りつけている前提で蜀軍は趙雲の間道からの陽動で長安方面の魏軍を郿に集めている間に祁山、隴右方面の占領と羌族との連携成立を行い本軍で街亭周辺で魏軍本体と交戦撃破だったと思う
孟達が半年持っていたらそのタイミングで呉は史実と同じタイミングで石亭の戦いを始めるので魏軍は長安防衛と長江沿いの皖、上庸と荊州から揚州まで同時に戦線を抱える事になっていた
まあ孟達への充分な援軍まで出せるほど蜀軍が大軍を動員できなかった事、孟達自身の備えが遅かった事が一番の失敗の要因
本当は河南伊だった黄権も調略の対象だったと思うけどこの調略は距離的に遠くて実現できなかったかしたけど失敗したかなと想像する 赤壁で逃げてきた曹操見逃した~って思いっきりフィクションやん
実際にそんな不始末やったらヒゲ全部むしった後晒し首や >>501
戦力は馬謖を出しても魏延、呉懿を出しても一緒
その指揮を誰が取るかが重要だった
呉懿、魏延は実戦経験豊富で初歩的な過ちはまず犯さないと諸将も思っていたからこそ諸葛亮が馬謖を指名した時には呉懿か魏延を行かせた方が良いと反対したんだと思う
正史では諸葛亮への批判が少ない陳寿がわざわざこの一件を書いているのは正史編纂の時点でこの人事が悪い結果だったと諸葛亮贔屓の人からも評価はれていた事の現れだと思う >>501
孔明は荊州の名士だからね
そういうのもあったと思われるよ >>504
ある程度の変更は許容されても失敗したら事後の報告の中でその変更がダメと言われたらそこで責任は取らされるね
特に北伐の成否が掛かった重要な戦いでの命令違反で諸葛亮は他の人の反対を押し切って馬謖を選んだから諸葛亮ももう後には引けないし
馬謖敗戦を聞いた時の本営の様子は正史では全く描かれてなくて諸葛亮個人の話しか残っていないけど、みんなは「言わんこっちゃない…。あんたのゴリ押しの結果やで」と言う諸将のどんよりとした空気が見える 張郃の進軍が神だったので経験の差
敗戦は仕方ないとしてもその後逃げ回ったのがよく無い
李厳の件もあったから馬謖に甘くはできないね 孔明は融通利かないガチガチの規律脳だから
名君はやらかした武将にも挽回のチャンスを与えた >>516
祁山の戦いは兵糧不足で撤退することになったけど、兵糧輸送を担当していた李厳が不手際で前線に送れていなかったので、
諸葛亮から責められることを恐れた李厳が逆に、諸葛亮が悪いんです的な言動をしたので、さらに責められて官職剥奪されて庶民に落とされた
そのうちほとぼり冷めたら復帰させてくれるだろうと思ってたけど、その前に諸葛亮が死んでしまった
>>513に関しては時系列が逆 >>518
その事は知ってるよw
正史、魏略、を含む文選とそれらに関する論文も読んでいる
>>513がわざわざご高説仰ってるんだから俺が知らない李厳の話があるなら是非ご教授願いたいので本人にレスを楽しみにしている この時代は教養を深めるために論語や戦国策を読んでいたと思うが
現代で言うところのそれはなんだろう? 第一次北伐までは西方が蜀に期待してたからな
異民族も蜀に連動して兵を起こしたし南安安定天水の3郡は魏から蜀に乗り替えた
呉も兵を起こしたし荊州と益州の境にいた孟達も蜀に寝返った
これが馬謖の失敗で全部パーになり、当然蜀に協力した勢力は戦後に魏によってガッツリ叩かれて次以降の協力を望めなくなった
孔明なら当然今後こんなチャンスは来ないと分かってただろうから泣きたくもなるだろうよ >>506
馬謖が何故山に登ったかの問いなどシンプル
街亭到達後防御陣地を構築する前に数的優位な魏軍が寄せて来たから、追い立てられたと言っていい
孔明の作戦がガバガバで魏をナメた作戦だった証左 泣いて馬謖起きるのAA好きだったけどもはや見つからんくなった >>509
魏延は多分、直前に進言を退けてるから起用しにくかったんだと思う
魏延からしたら勝てば丞相の見識が正しかった事になり、負ければ責任だけが残ると碌なもんじゃない
過去に同じような状況で負けて曹操に降るしか無くなった将軍がいるんだ張郃って言うんだけど
じゃあ呉懿はどうなのって言うと「丞相が魏延の策を退けた上に呉懿を起用した」ってなると増々良くない
魏延のプライドは繊細なんだ
結局、丞相府肝煎りの作戦だから、で格下の馬謖を起用するのが一番角が立たない感じだったんかなって >>497
むしろ劉備が周瑜の指揮下に入って共同攻略してるのよな しかしここまで行くと馬謖とはとにかく突撃して撃破命の猪武者かなんかなのか?と疑いたくもなるな
>>522
いや包囲されてなんで登山できるの?ということだろ >>512
あれも漢中攻略後も余勢を駆って突入の上に呉が荊州攻撃しなかったおかげだろ
呉との戦いは容量の問題上カットされてそうだが >>526
突撃はしてない
むしろ包囲されてからの経過が謎で、陳寿には指示が意味不明とかダメ出しされて
向朗の伝には馬謖が逃げたと書かれているので
まともに指揮をとって >>526
何でそういう発想になるのか意味判らん
陣地構築する前に敵が近くまで来てたから山に逃げたって意味なんだが >>529
気付いたら囲まれたから山に逃げたのか
そこまで何やってたんだ?という話になるだろそれ >>530
ガキみたいな問いをするなよ
お前には哨戒とか偵察とか斥候とか見張りとかの概念が無いのかアホ 街亭の戦いが遭遇戦だったりや張郃が想像以上に早く到着したような記述は見た事がないけどな
北伐に関する論文でもそういう推論をしているものは見た事がない
史料や論文で街亭の戦いの時に馬謖が慌てて山頂に向かったような話が出ているものがあるなら是非教えてもらいたい 王平の地位が低くて責任者に出来なかったのが痛い
実戦経験豊富な王平なら張コウ相手でもそれなりに戦えただろうが >>502>>522
いや張郃伝に,馬謖は拠点の城に籠らず南方の山頂に布陣し
水源への道を遮断されて惨敗したと書かれてるよね >>524
意味不明
呉壱を起用すれば善い処ろを
見る目が無く贔屓で馬謖を抜擢して致命的失敗犯しただけ >>532
そりゃ文字だけ見て中身を理解してないからだろ
明帝記の記載を見れば太和2年1月に孟達が斬られ、2月に曹叡が長安親政して4月に洛陽に帰還し論功行賞してるが記述順で見ると曹叡が長安に到着する前に張郃が街亭で大勝してるんだから蜀軍の街亭進出から日を置かずに大破してる事になり如何に速戦即決だったかが見て取れる >>501
長安に行かないよ
諸葛亮の目的は寝返った天水・南安・安定の3郡だから
馬謖は諸葛亮が祁山を抜けて天水・南安・安定の守りを固めるまでの間の時間稼ぎ
郿に向かった趙雲は囮と魏の部隊をひきつけるのが目的 >>537
祁山から街亭に馬謖が向かった日は確定日出てないから分からんし曹叡の長安到着前に張郃が街亭で勝利したような記述も見た事がないよ
曹真、張郃の派遣が長安に到着する前だというのは史料から間違いなく分かるけどね
そして街亭の戦いの日も特定できる史料もない
君は史料にハッキリ示されていない日を全く史料的裏付けなく自分の想像だけで確定してるの? >>537
いや,その明帝記に書かれてるじゃん
張郃が街亭で蜀軍を『攻撃』し大勝したって
>>542
いい加減諦めないと
馬謖は何故か拠点の砦を放棄して山へ登り水源への道を遮断されて惨敗 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています