95歳男性(童貞処女)「男の子が男の子を好きになるなんて異常と思ってた。ゲイがこんなぎょうさんおるとは知らなんだ」 [377482965]
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“95歳のゲイ”が時代の変化を実感「ゲイの人がぎょうさんいるとは知らなかった」 かつては精神疾患とされた同性愛...差別・偏見の中で生きてきた人生(MBSニュース)
https://news.yahoo.co.jp/articles/acb9d8cda893e541390b826d6033e2b13b47684d
(前略
同性愛者への差別や偏見が広がったきっかけは、100年以上前にさかのぼります。1915年に発表され同性愛を医学的に論じた『変態性欲論』には、同性愛は“治療可能な精神疾患”とされ、一種の伝染病であり、まん延すれば社会を破壊すると考えられていました。
同性愛が病気だと認識された頃、長谷さんは香川県で生まれました。初恋は、小学校の男性教諭でした。
(長谷忠さん)「(Q告白はした?)しない、告白なんて一切していない。そういうことをできない、その頃は。男が女を好きになると簡単に告白できるけど」
長谷さんは戦後、大阪に移り住み、電報配達やビルの清掃員など11もの仕事を転々としました。身の上話になり「なぜ結婚しないのか」と聞かれるのが嫌で、仕事仲間と親密になるのを避けてきたそうです。同性愛者である自分が近くにいると迷惑になると思い、母やきょうだいとは次第に疎遠になりました。
(長谷忠さん)「ものすごく生きづらかった。人と話をすることができない。もし他人から『同性愛者気味の人間やな』と言われたら、『違います』って言う時代や。他人の言葉を遮って、偽の言葉で隠すわけよ」
日本では1990年代まで国が同性愛を病気とみなし、辞書にも『異常性欲』と記されていました。長谷さんは人生の大半を偏見や差別に耐えながら生きてきたのです。
今年4月、新幹線で人生初の東京に向かった長谷さん。
(長谷忠さん)「初めてや。日本という国がこんなところやと見せてもらったのは。東に来たことがない」
渋谷周辺では『東京レインボープライド』というイベントのパレードが行われました。今年は約1万5000人が参加。長谷さんは同性婚の実現を目指すグループと一緒に、虹色の旗を掲げながら車椅子で行進しました。
(長谷忠さん)「こんなん初めて知ったよ。びっくりしたわ。ゲイの人がぎょうさんいるとは知らなかった。ゲイを理解できる人は多くはないけど、少なくもないと思いたいわ」
(後略 ドキュメンタリーの映画になったんだっけこの人
マイノリティの悲しさ 可哀想だけどこういう人はもっとたくさんいたんだろうね かと言って淫獣集会みたいなのも嫌やろ・・・
まあ社会では目立たない普通のゲイなんやろ でも大阪なら昔からいくらでもそんな場所あったわけで、この人結局人とあんまり関わりたくなかったんじゃないの ただの性癖なんだから特別視する事じゃないんだよなあ
刑務所とか女のいない環境に置かれたらノンケでもすぐホモセックスを始めるわけで 77歳(今生きてれば90近い)の市川さんは幸せそうだったな >>11
昔はこいつみたいな奴が多かったってことか >>9
それを過去の出来事として捉えるのか、たまにそいいう人もいると考えるのかで全然違う
この人の若い頃にはそういうことがどれだけ広まってるのかも知らんし 変態の語源はホモなのに?
明治大正昭和もホモだらけだよな
かわいそうメスイキせずに死ぬとか >>10
人と関わらないように生きてきたっていってるし
普通ではない自分への恥ずかしさから
そういう情報も遠ざけてたのかもね
ネットなんてないからクチコミしかないだろうし おとこをすきでも動物でも虫でも好きなのいいけどぜんぜん
体をもとめるのがノーマルな行為ではないということ ゲイは女と結婚してるやつも多い
レズの男落ちより多い 都会にいればゲイ仲間ができてたかもしれないけど、田舎じゃきついだろうなあ >>10
高齢になって大阪に来たような
まぁ地方でもサウナでゲイがノンケに手出しすぎて、廃業に追い込まれる所もあるが ホモは病気ってのも明治以降のブリカスキリカスの概念だよね
昔の性風俗見てると、まあそういうのもいるわくらいの扱いうけてるし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています