>>289
ヒトラーは、階級闘争に終止符を打ち、人間の最も大切なことを生産における重要要素として復興したかった。独逸は産業への資金投入を金(ゴールド)なしで出来ると彼は信じていた。いずれにせよ、独逸は破産しており、手持ちの金などなかった。ほかのものが産業投資に使えるだろう、そしてそれは見つけられるだろう、しかし、「働くこと」は産業にとっても経済にとっても不可欠な基盤だった。労働者は独逸の社会から疎外されていた。と言うのは、労働者は伝統的に蔑みと侮りで扱われていたからだ。ヒトラーは、祖國に労働者の信頼を取り戻すには、これから先、労働者は社会的に劣る「生産手段」としてでなく、平等に扱われるべきだ、と信じていた。ヒトラーは、以前の所謂民主主義政府に於いては、政府を動かす人間が、國家的価値の階層構造の中で「働くこと」が當に人生の本質であるという事を理解できなかったのであると議論している。単純な問題だ、鉄であろうが、金であろうが、どんな種類の金銭であろうが、それは、手段に過ぎないのである。

ヒトラーが目論んでいたのは、完全な革命であった。彼は次の様に言った。「人民は、経済の為にこの地上に送られたのではなく、また経済は、資本のために存在するのでもない。逆に、資本は、経済に仕えるものであり、経済は、見返りに人々に仕えるべきものだ。」何千と言う閉鎖した工場を再開するだけでは充分ではない、人々を仕事に戻し、通常通りに業務を続けることだ。物事を徹底的に変えない限り、労働者は、以前と同じままでいるだろう、つまり、単なる生きている機械に過ぎない。顔もなく、替えが利く。ヒトラーは、労働者と資本主義の間に新しい道徳の均衡を断固打ち立てようとしていた。彼は断固として、その適正な機能に於いて、資本は、労働者が労働で生み出す物を手助けするために使われるべきだとした。「それは私の人生の誇りとなるであろう。結果として独逸の労働者を取り戻し、ライヒの相応しい立場に復帰したと言えるならば。」とヒトラーは言った。

ドイツ悪玉論の神話049
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