「戦国時代末期の日本が世界一多くの銃を保有していた」という説は有名ですが、歴史的に見て正確かどうかには議論があります。この説の根拠や背景を詳しく見てみましょう。
説の背景:
1. 織田信長と鉄砲隊:
• 織田信長は鉄砲の大量運用に成功し、特に「長篠の戦い」(1575年)では数千丁の鉄砲を用いたとされます。この戦いが「日本で鉄砲が大量生産され、広く普及していた証拠」として注目されることが多いです。
• 一説には、信長の配下だけで3,000丁以上の鉄砲を揃えていたとも言われます。
2. 堺や国友の生産力:
• 日本国内では鉄砲の生産が盛んで、堺や国友といった地域が中心地となりました。これにより、戦国時代後期には日本全土で数十万丁規模の鉄砲が流通していた可能性があります。
3. 比較としてのヨーロッパ:
• 同時期のヨーロッパでは、鉄砲は火器革命の一環として発展していましたが、戦争の主流武器は依然として槍や弓、騎士による戦闘が多かったと言われます。そのため、ヨーロッパ各国の軍が保有する鉄砲の数は、日本と比べて限定的だった可能性があります。
「世界一」の根拠は?
「世界一」とされる理由は、日本の鉄砲保有数が推定されている以下の規模に基づきます:
• 一説によると、1580年代には日本全土で30万丁以上の鉄砲があったと推測されています。
• 当時のヨーロッパ諸国では、軍事組織が中央集権化されつつありましたが、鉄砲の保有数は国ごとに数万丁規模であり、日本の分散型戦国社会と比べると少なかった可能性があります。
議論点と反論:
1. 推定値の信憑性:
• 「30万丁」という数字はあくまで推測であり、実際の保有数を正確に示す資料が不足しています。
• 鉄砲の製造・流通データや当時の在庫を確認できる記録が少ないため、議論の余地があります。
2. 世界との比較が難しい:
• ヨーロッパ諸国では鉄砲の普及状況が地域によって異なります。軍事用に集中管理されていたため、日本のように武士や農民層にまで鉄砲が広く普及していたわけではありません。
• ただし、ヨーロッパでは火砲(大砲など)が戦術上重視されており、総合的な火器保有量では日本が勝っていたとは断定できません。
3. 質の違い:
• 日本の火縄銃はヨーロッパの鉄砲に比べて射程や火力では劣ることもありましたが、日本の戦術(密集隊形など)に適した運用がされていました。そのため、保有数だけで単純比較するのは難しいです。
結論:
「日本が戦国時代末期に世界一多くの鉄砲を保有していた」という説は、一定の根拠があるものの、推測の域を出ません。ただし、当時の日本が短期間で鉄砲を大量生産し、戦術的に活用していた点は他国に比べて非常に優れていたことは間違いありません。