>>899 >自由主義を誤解してるのは貴方です、健全な自由は健全な民主主義に立脚します
政治哲学の教科書レベルの話をすれば自由主義と立憲主義、そして民主主義は必ずしも一致しないし、むしろ最近のトランプ政権が民主的正当性を武器に司法部を攻撃しているように互いに対立することも多い
民主的正当性とは多数決原理でありお前がいうように「みんなで決めたことは守ろう」という手続き主義的概念だが、他方で立憲主義や自由主義は価値に基づく概念でありそのような外的な手続きには決して左右されないものだからだ
(権威論証を駆使すれば)ドゥオーキンが言ったように人権とは「切り札」であり、たとえ全世界の人々がノンと言ったとしても保護されなければならないようなものであるからである
立憲主義あるいは自由主義と民主主義が対立した時どの主義をもっとも優先すべきであるかは確かに答えの出ない問題とはいえ、自由主義者がここで自由を選ぶことに躊躇する理由はない
>この件で言えば「己の望まぬ時と場所で望まぬエロを観ない自由」を侵害してますよね?
まず個人が運営するウェブは基本的に個人が自費で出版する本と同じで誰もがアクセスしなければならないものではなく、したがって「単に見ない」という選択を容易に取りうる以上、「見ない自由」を侵害する強制力がそもそも発生していない
第二にそもそも「見ない自由」なる自由権は観念し得ず、仮に観念しえてもそれが表現の自由を優越するような重要な権利たりえないのは、ワークニの受忍限度論を巡る法議論からも明らか
>クレカ・グーグルの規制が単なる不快感情か否かについては貴方はまだ根拠を示していません
日本語をちゃんと読みましょう
「不快感は規制の根拠になり得ない」という俺の主張は、クレジットカード会社やグーグルが行う規制の正当化理由が自由主義者にとって許容可能なものではないという前提を受けて、いずれにせよ「不快感」は規制の理由にはならないという一般的な主張を行っているものであり、クレジットカード会社やグーグルが単純に不快感を理由に規制を行っていると断言しているものではない