1969年9月25日 -RCAビクターより「新宿の女」で歌手デビュー。
1970年
2月5日 - セカンドシングル「女のブルース」が発売され、オリコンシングルチャートにて3月30日から5月18日まで8週連続首位を記録する。
3月5日 - ファーストアルバム「新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて」を発売。同年3月30日から8月10日の計20週に亘りオリコンアルバムチャート連続首位。
4月25日 - サードシングル「圭子の夢は夜ひらく」が発売され、オリコンシングルチャートで5月25日から8月3日まで10週連続首位を獲得。シングル部門で「圭子の夢は夜ひらく」・「女のブルース」が5月25日、6月1日に1位と2位を独占。
7月5日 - セカンドアルバム「女のブルース」発売。ファーストアルバム「新宿の女」と入れ替わるかたちで8月17日から12月7日まで17週連続首位を達成。
11月9日 - 第1回日本歌謡大賞大賞を受賞。
12月 - 内山田洋とクール・ファイブとの混成アルバム「演歌の競演 清と圭子」発売。アルバム「女のブルース」と交替で12月14日から翌1月11日まで5週連続首位となり、圭子のアルバム作品はこの年の3月30日から翌1971年1月11日までの通算42週連続首位を獲得する前人未踏の記録を樹立。
また、3月30日から8月3日迄の19週間はシングル・アルバム両チャートにて首位を独占。この記録は、オリコンチャート開始から現在に至るまで、未だ誰にも破られていない[18]。
12月31日 - 第12回日本レコード大賞大衆賞を受賞。NHK紅白歌合戦に初出場。
この年に第3回日本レコードセールス大賞および、第3回日本有線大賞優秀スター賞の両方を受賞。
1971年 - 前川清と結婚。 前川の地元である長崎県佐世保市俵町教会で挙式。第8回ゴールデン・アロー賞大賞を演歌歌手としては初めて受賞。
1972年 - 8月、前川と離婚。離婚会見は12日に赤坂プリンスホテルで行われた。