「会社の待遇や社会のシステムに不平不満があるから暴言吐いても仕方がないという論調のコメントを見かけますが、
仮にそうだとしてもやっぱり相手が弱者だからと言ってその本人のせいではないのに暴言を浴びせるのダメというのが当たり前の基本です」

このコメントの通り、正当に乗車した乗客を批判するコメントには与しない。しかし、暴言の遠因に社会構造があるとするならば、
それはリベラル的な発想でも理解を深める価値があるものだ。リベラルこそ、相手が犯罪者であっても包摂を試みる

「謝罪しないまま当該運転手は退職したとあるところからすると,運転手側が『どうせ会社に説明しても聞く耳を持たず,時間の無駄だ』と考えた節があるならば,
同様の根は他の運転手にも芽生えていることになるが,運転手の感情を無視して上が押し付ける『指導教育』にならなければ良いけどな。」

このコメントから考えるならば、運転手は会社側(運輸部門の上司や事務部門)に不満を抱いていた可能性も否定できない
そこに構造的問題があったとするならば、単に運転手を責めるという発想こそが「斎藤とか石丸支持」のような新自由主義的なものである