
被災地を視察した昭和天皇をめぐる衝撃
深川区内を歩き回り、9時過ぎに富岡八幡宮に来てみると、光景が一変した。「小豆色の、ぴかぴかと、上天気な朝日の光りを浴びて光る車のなかから、軍服に磨きたてられた長靴をはいた天皇が下りて来た。大きな勲章までつけていた」(同)
それは間違いなく昭和天皇だった。天皇は空襲の被害を視察するため、この日の9時に皇居を車で発ち、永代橋を経由して富岡八幡宮前で下車した(『昭和天皇実録』第九)。堀田が見た警官や憲兵は、彼らの車列を警備するため動員されたのだ。
人々が集まってきた。「これらの人々は本当に土下座をして、涙を流しながら、陛下、私たちの努力が足りませんでしたので、むざむざと焼いてしまいました、まことに申訳ない次第でございます、生命をささげまして、といったことを、口々に小声で呟つぶやいていたのだ」(『方丈記私記』)
天皇の戦争責任を考えていた堀田にとって、まさに目の前で展開されたこの光景は大きな衝撃だった。「責任は、原因を作った方にはなくて、結果を、つまりは焼かれてしまい、身内の多くを殺されてしまった者の方にあることになる!」(同)
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