色即是空 <= わかる 空即是色 <= わからない [399583221]
觀自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし時、五蘊皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまへり。
舍利子、色は空に異ならず、空は色に異ならず。色はすなはちこれ空、空はこれすなはち色なり。受想行識もまたかくのごとし。
舍利子、この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、淨からず、增さず、減ぜず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も聲も香も味も觸も法もなし。眼界もなく、乃至、意識界もなし。無明もなく、また、無明の盡くることもなし。乃至、老も死もなく、また、老と死の盡くることもなし。苦も集も滅も道もなく、智もなく、また、得もなし。得る所なきを以ての故に。菩提薩埵は、般若波羅蜜多に依るが故に心に罜礙なし。罜礙なきが故に、恐怖あることなく、一切の顚倒夢想を遠離し涅槃を究竟す。三世諸佛も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまへり。故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神咒なり。これ大明咒なり。これ無上咒なり。これ無等等咒なり。よく一切の苦を除き、眞實にして虛ならず。故に般若波羅蜜多の咒を說く。すなはち咒を說いて曰はく、
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶
般若心經
1. 認知の仕組みと「空」
現代心理学では、私たちのものの見方や感じ方は「認知のフィルター」を通じて行われていると言われてる。
たとえば:
• 経験や環境によって作られた“思い込み”(スキーマ)
• 瞬間的な感情やストレスによる“バイアス”
こういうものが組み合わさって、「現実」を判断している。
仏教の「空」は、この“認知のフィルター”が常に働いているからこそ、「絶対的な固定された真実」は存在しないと教えているとも言えるね。
2. 認知の歪みと「色即是空」
メンタルヘルスの領域では「認知の歪み」って概念があって、
• 極端な一般化
• 白黒思考
• 自己否定の強化 など
こういう偏った思考パターンが心の不調を生むって考える。
ここで「色即是空」を当てはめると、
“自分の思い込み(色)は、思考のクセや環境によって形作られたもので、絶対的なものではない(空)”
って視点に立てる。
この気づきは、自分や他人への過剰なラベリングから少し自由になれるきっかけになる。
3. 事実に目を向ける力と「空即是色」
一方で、正しく状況を判断できる人は、
• 自分のフィルターに気づきつつも、
• 客観的な情報や柔軟な視点を持って「今ここ」の状況を把握できている
これって「空即是色」に近い。
**“空(固定観念がない状態)だからこそ、目の前の現象(色)をそのまま正しく捉えられる”**ということ。
つまり、
• 思い込みに執着しない=空
• だからこそ事実をありのまま見られる=色
という流れになる。
4. 虚無ではなく“柔軟さ”を保つ
「すべては空だから意味がない」となるのではなく、
「すべては空だからこそ、柔軟に捉え直せる」という考え方は、メンタルヘルスでもとても大切にされている。
たとえばマインドフルネスや認知行動療法でも、
• 「いまこの瞬間」に気づき、
• 固定観念や偏見に気づいたうえで、
• 優しく自分や現実を受け入れる
というアプローチがある。まさに般若心経の精神に通じる部分だね。
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まとめ
✅ 固定化された“真実”はなく、すべては条件や心の状態によって形を変える(色即是空)
✅ その理解があるからこそ、目の前の出来事や事実をクリアに受け取れる(空即是色)
✅ 柔軟に捉えることで、自分を苦しめる偏見や思い込みから解放されやすくなる
チンパンも棒を使って高く吊るされたバナナ取ったりするが
それが空即是色だわな
棒に対してバナナ取る為の道具とゆー新たな意味付けを創造し得るには(空即是色)
棒が持つ既存の意味、例えばこれはアリ塚に突っ込んでアリを食うための道具である
みたいな思い込みから離れないといかんのよな(色即是空)
>>162 いいね
色即是空が歪んだ認知の破壊なら
空即是色は歪んだものにしろそーでないにしろ新たな認知の創造だと思う
コギトエルゴスムとかゆって
どーにも疑い得ない自分とゆーものに対する認知を改められるなら
それに対してただの表面的な思考ではなくハラに落ちるぐらい深く納得するなら
それは悟りよな
色即是空ってあれでしょ?
骸骨が剣持って襲ってくるやつ
>>162 筋肉みたいなもんで意念もほぐせば柔らかくなるんよな
瞑想は心のストレッチでやってると心がどんどんねるねるねるねみたいに練られて柔らかくなる
そしたら他人見て石みたいに心が固いなぁとか達人だと水みたいな心だなぁとか分かるね
>>53 鳩摩羅什が書いた呪詛だから般若心経はあまり縁起が良くない
体験から腑に落ちるような形でわかる物なのでそれを似たような言葉で説明しようとすると相手には違う意味で届いて上手く伝わらないの
>>3 おっさんおばさんはアンルイスの歌で覚えた人も多いと思うわ
骨折をして痛くて辛いと感じているなかで、痛みという感覚があるがただそれだけだと思い始め、まるで感覚を感情から切り離したように「痛みという感覚が発生している」ことを認識しているだけで、自身は辛いとも何も思わなくなった、という事象は色即是空、空即是色に当てはまりますか?
>>162 それは大事だが結構な知識と自覚や周囲からの指摘がないと認知バイアスは修正難しいぞ
そもそも人間は性能的な問題でクリアに物事を認識できん
色即是空
この世の全ては実体のない空だ。絶対の物なんてないから不変の絶対的な物を求めてもそれを手に入れることは不可能だからそんな物を求めるな
空即是色
この世の全ては実体のない空だがその空は虚しい無意味な空ではない。刻々変わる実体のない空こそこの世の姿だと確信してそうした空を肯定すれば意味のある空となる
色即是空
色即ち是れ空なり
色とは俗世における食欲・物欲・性欲等のあらゆる煩悩
この世における全ての執着は仏道には意味のないものである
空即是色
しかしながら、その無意味なものに執着してしまうことが生きると言うことでもある
色即是空だけではあまりにも厳し過ぎるから、空即是色でかなり譲歩してくれている
要は無理せず着実に仏道修行に励めと言う意味だろうな
漢文の参考書だが漢和辞典だかにそう書いてあったな
>>181 空手でも必死で殴り合ってる時とか痛くねーんだよな
ぢゃあそれが色即是空空即是色かとゆーとちょっとね
明晰夢が一番わかりやすい
夢の中で起こっていることは確実に有るが
それは夢であるから確実に無い
唯一、夢を見ている己はあるが
夢の中の己であるため
目が覚めたら己も消える
私は悟ったと言いながら宗教教祖になって信者に献金させるやつは疑ったほうが良い
おまえら明晰夢見てる最中に金集めるか?
空が縁起をいってて内容はギリシャの王様がきた時の話で縁起が説明されてるわけだから、そうすると何でもないことが連なって今目の前に馬車があるというありかたというわけでそうするとこりゃあ数学の勉強してる時の徐々に空間が分解していくような感じなのかというとちょっと当たってるかもしれずあのような感じでわれが一時存在しているのかなみたいなふんいき
>>179 俺の場合は導き感覚だったねえ
神に導かれて救われたってやつね
字面だけ見れば空となんも関係ないぢゃん!って思われるかもだが
自分ぢゃない何かによって導かれてきたってことは本当は自分はなかったってことなんよな
ぢゃあ神による導き、救いと空の何が違うかとゆえば
結局は勝手になるよーになったとゆー事実、その現象だけに着目すれば仏教の空になるし
なるよーになったとゆー現象の背後に神を想定すればキリスト教になるってだけなんよな
で、神がいるかいないかなんて人間には分からんからどっちでもよくて
現象の背後に神がいる、或いは神はいない
どちらのよーに考えるにしてもそれは結局信仰なんよな
妄想してたら現実になる言う事や
おまえらにも練炭自殺を止めに来てくれる幼女が来てくれるぞ
般若心経ってなにもかも空
一切皆空な感じだけど
空についての説明が無いからそれだけだと何が言いたいのかわからんし
空=縁起、諸法無我なんだから言い換える必要もない気がする
それに色も五蘊の色は物質的要素
六識の色は視覚のことだから紛らわしい
>>195 だってバカ向けにウケがよくなるよう要約しましたって体裁の偽経だもん
中身なんてあんべえ
ちょっと聞きたいんだがこういう真理を悟るのはIQ低いと無理とかある?
勝義諦が理解できなくとも悟ることは出来る
周梨槃特でググって
>>202 IQは悟りと何も関係なし
関係あるとして人と合わなくて生きづらい分析の数値として使うならいいけど
人より上と思いたくて驕るためにわざわざ高い数値を出そうとするのは逆効果だし