【議論】なぜ中国で「大学(universitas)」が生まれなかったのか?受験文化が盛んな割に学術が貧弱な謎の中華文明について語ろう [851881938]
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中世大学[1](ちゅうせいだいがく、英語: Medieval University)は、中世に創立された大学(高等教育機関)。神聖ローマ帝国はストゥディウム・ゲネラーレ(ラテン語: Studium generale)という名称を用いた。現存しない大学や、創立年に議論の余地を残す大学もある。中世大学は西ヨーロッパと中央ヨーロッパに限られたが、近世にはアメリカ大陸など世界各地に大学が設立されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%B8%96%E5%A4%A7%E5%AD%A6
大学って中国語だろうに
一応中華にも「太学」「国子監」という最高学府はあった
科挙についてよく言われるのは、試験勉強がまず第一で学術研究が疎かになっていたっていうところ
宮崎市定先生の本面白いからお前らも読め
>>2 わざわざ括弧書きをつけた理由と
>>1に中世大学を貼り付けたことからルネサンス期にできた現在に繋がる大学形態の話をしているって察してもらえませんかねぇ?👊😡💢
条件反射かなんかで書き込んでんのかお前は
昔の中国には翰林院ってのがあって、それが今の大学に近い役割をしてた
わーくにでも大学受験ありきの試験勉強だとか言われた時代もあったけど、職業(公務員)試験ありきの科挙試験時代に比べたらだいぶ緩い感じだよな
東亜同文書院大学が上海にあったけど戦争で無くなった
中国の学術論文数・被引用数は今や世界トップだけど研究不正と中共の工作で実際にはわーくにのほうが格上だと閣議決定
>>4 はぁ?
何で中国で欧風大学が出来なかったのかって聞いてん?アホなの?
現代の大学入試に繋がる科挙制度が欧州で生まれなかった理由も答えられんの?
universityはuniverseから来ている
万物を扱い研究してるところ、とかいってる語源を勘違いしているおじさんいるよな
正しくはunionが語源で、教授と学生の組合だったという大学の起源通りの語源
>>5 東アジア全体に言えるけど、全体的に民より官の色が濃ゆいんだよな
宗教の弱さが原因なんかな?国-世俗の二項対立故の民の弱さとか
権力が皇帝一人に集中していたからというのは関係あるんじゃね
あと、儒学の価値観だと、神学、論理学、自然科学は発展しなさそうだよね
諸子百家、鄭玄あるいは朱子で止まっちゃってる感じ
>>11 科挙制度がフランスの公務員試験制度に換骨奪胎された話と学術研究の場がいかにして西欧で華開いたかは全くパラレルな話題だろうがボケ。
中世大学の歴史とか考えたらなぜ中華王朝にそれに近いものが出来なかったのかっていうのは誰でも思うところだろうが。
死なすぞコラ
>>14 日本に関して言えば、まずはとにかく生産力が貧弱だったからじゃね
律令制を施行しても、それが首都周辺で維持できたのはせいぜい200年とかそんなもんでしょ
北虜南倭とかいうてる割には士官学校みたいなもんないイメージ。どの王朝も韓信待ちか
一つの文明がすべてを生み出せるわけではないからな
融合シタリ影響を与えたりしながら発展していく
>>7 出来た当初はそれなりに機能していて
勇早文継なんて言う官僚試験合格した庶民出身の公卿も出たりしたんだが
蔭位(家柄採用)が制度化されてからは有名無実になった
>>13 実際のところ学術の場が花開かなかったのは歴史的事実だろうが
ルネサンス期以降だと法律学に関しては信じられないくらい差があるからな
ていうか清王朝まであったそれらは一旦リセット状態になったんじゃなかったか?
科挙制度はあっただろ
自然科学じゃなくて四経五書の暗記と詩作みたいなのが重視されてただけ
今の日本の大学入試もほとんど意味のない過去問周回と数字パズルだから似たようなもん
だから滅びた
あと西欧が多国乱立で死ぬほど殺し合いしてたってのもデカそう
基本的に白人って殺し合いじゃなくても争い事好きだし、戦争にまつわる自然科学以外でも司法制度とかも成熟しやすい環境があったのかな
>>26 多数の国が殺し合ってた時代が長いほど文化や制度も成熟する疑惑
>>16 中国の科挙制度そのものの中に進学制度と小中大学に相当するものがあるんだけど、そこ知った上で言ってる?
>>29 訳の当て字があるかどうかで議論に参加できると思ってるのが最高にネトウヨって感じ
科挙ってなんだよ
馬鹿じゃないかと
ただし中国の最大の弱点は自然科学にまるで興味が無かったことだぞ
>>27 芸亭や綜芸種智院とかちょこちょこ出来て来たけど
直ぐに廃れた。
自然科学に対するアプローチが弱かったな
人文科学が異様に強かった
>>30 じゃあ科挙制度に基づく中華の学術と中世大学にて華開いたアカデミズムとの間にとてつもなく大きい格差ができてしまったことについてなんか語ってみろよ。レスバやってねえでスレに参加しろ
中国の学問は実用性があるかどうかが最も重要視されたからな
>>33 人類史の大半の時期で技術の先頭走ってた文明が自然化は学に興味がないって本気で思ってんの?
東欧っていう西欧のすぐ横のくせに謎に暗い地域
>>23 誰がそんな事言ってるんだよ
モンゴルも満州も常に支配した側のはずの文化に飲み込まれる漢化への抵抗に必死だった
>>37 うさぎが寝てる間に亀が追い抜いたからってうさぎが亀より足が遅いとでも信じてそうだなお前
>>39 「〜の?」とか相手の反応に期待したレスバ技法でスレ荒らすのはやめろよ
反論の仕方も知らない人間ができる議論なんてこの世にはないからな。
さあ自分の知見をもってスレに参加してください。
>>42 罵倒にしかなってない比喩なんて意味のないレスポンスだよ。高い向学心を持て
羅針盤や火薬を発明した中国が自然科学に興味なかったわけないだろ
西洋文化に駆逐されて跡形もなくなったからそう見えるだけで実際は科学も盛んだった
>>44 ノーベル賞が持ち上げられてる意味がむしろ分からんよ俺は
どう合う基準で選ばれてるのかちゃんと説明できる奴いんのか?
欧風な大学が導入されるまでの中国の学術世界も西洋に遅れを取らない素晴らしいものであったと言いたいなら、他の人のレスにやたらと噛み付くよりもそれを自分で説明するべきなんだよね
それができないのは結局「何も知らない」からだろ
あーあ、せっかくのスレが台無しになっちゃうなぁ
科挙は公務員や大学入試レベルで学問とはまた別もんかな?
数値による観測や計測を中国では力入れてなかったのか?
>>48 お前の文章って大体最後に「?」がついてんのな
反論したいだけで言いたいことがない典型だよ
ヨーロッパは哲学的に真理を追及する土壌があったからかもな
儒教や仏教の思考が科学へと発展しなかったのはなぜだろね
>>51 過去問を見る限り、歴史書とか権威ある文書に基づいて考える能力を見ているものだと思うし、新しい知見を得ようとする類のものではない
ギリシャ・ローマっていうお手本があったのもデカいんかな
>>55 やっぱ身分の上下が厳しいってのが障害だったんだろうな
議論ができないと学問は発展しないから
科挙の影響が強い地域は学術的探究より既存知識の叩き込みに重きを置いているイメージがある
中国然り日本や朝鮮半島然り
だから今もPISAみたいな学力テストでは東アジア諸国はわーくにですら高いスコアを叩き出すが高等教育は昔も今も欧米の後塵を拝し続けてる
>>53 お前のそのレスこそ中身が何も無い難癖つけたいだけのレスに見えるよ?
ちゃんと自分の頭で考えて会話して?
中世のヨーロッパの大学なんて
神さまがどうたら無意味な議論してただけだろ
>>61 どこに?
論理的に全く矛盾してるキリスト教を正当化する為の機関が大学だろ
だから中国みたいな科学と有理が世界中で一番重視された地域では不要だった
それだけだろ
学歴コンプやばそうなネトウヨだな🤣🤣お前
中国に大学が無いなんて
ケンモメンは何でも知ってるんだな
学問と言えど儲け(宗教含む)に繋がるかどうかな所はある
中国で科学が発展しなかったてことはないんじゃないかなあ
それでも墨家が天下取ってたらまた違ったかも
>>62 まーた「?」つけてら
中華の学術研究が西欧にも引けを取らないって言いたいならさっさと説明しろよ
>>58 なんでもネトウヨといえば済むと思っているお前がいわばまさに
むしろ逆で、なんで中世後期の西ヨーロッパにだけ大学が生まれたのかを
知った方が良い
他の文明にはどこにもなかったんだからさ
周の時代(3000年前)にはすでに学生や博士がいたけど…
西洋人がナッツ食ってウホウホしてた時期
>>60 年功序列の儒教が悪い側面もあった
年上絶対だと有能な年下が埋もれがち
そいつが年上になっている頃はすっかり組織によって腐ってる
現在の公務員制度がまさにこれ
>>72 ペストで人口激減して神様への信仰がゆらいだ
>>72 ヨーロッパのような人の行き来と知の高まりがなぜあれほど豊かな中原で起きなかったのかが不思議でならんのよな。
>>1 低学歴の学歴コンプ、ガチでアホやな🤣🤣🤣
最終学歴は統一教会か?🤣🤣
>>70 西洋様が中国追い抜いたのなんてつい最近のことなんだけど?
鄭和の大航海が何年の出来事か知ってんの?
私立文系の極みが中国の科挙的な暗記試験
現代中国ではSTEMも重視するので理系もカバーした科挙の進化バージョンになっているともいえる
>>54 なわけねえだろ
哲学は儒教
宗教は道教だよ
科学は唐の時代で止まった
古代中国では天文学が最も格が高い学問だった
そして医学は最下層の学問だった
天文学の学生の身分>>>>医学の最高権威者の身分くらい差があった
ちなみに日本にも平安時代くらいから大学はあったはずだぞ
>>79 そんなに中国がすごいならなんで今の学術研究はヨーロッパ式に支配されてるんだ?っていう話よ
スコラ学なんて今の法律学にまで通用する手法じゃん
なぜ中華文明にはそれがなかったんだと思う?
>>63 慧眼モメンやな
大学が本格的に知的生産活動の場になるのは近代になってからだからね
答えが「なぜ中国ではイギリスと同時代か(あるいは先んじて)産業革命を起こせなかったのか」と近似してそう
>>72 中世はアラビアの方がはるかに文明水準が高度だったので
特に錬金術や数学は錬金術師のあこがれだった
ただアラビアの学問はモンゴルに徹底的に破壊されてしまう
その直前に十字軍がアラビアの学問を輸入したことが大きい
ザナドゥ砲(てつはう)は錬金術師が改造して魔導砲にした。これが火縄銃の事
>>85 中世大学には近代科学の萌芽とも言えるような、その下地としてなくてはならないものがあったと思うんだがな
>>84 近くにイスラム教があったからだろう
今の欧州が使ってる学術なんてほとんどがイスラム学者のパクリだぞ
>>84 今支配してるから何?
500年くらい支配し続けたら認めてやらんでもないよ?
>>90 それ権威主義だろ
答えありきの議論がしたいんならふたばにでもいけよ同類のバカいっぱいいるしさ
アカデメイアを作った偉大なるプラトンが中国にはいなかった
ヨーロッパの大学が自然科学に力を入れたのは近代以降だろ?
それ以前の科学者は貿易商だの貴族がスポンサーになって支援してた
大学ってのは神学のためのもので
まあ、要は「文系は国を亡ぼす」んだよ
特に儒教なんて言う「文系バカ」は
日本は戦国時代に洋学(後の蘭学)にシフトしてよかった
共産党の上に共産党なし
共産党の下に共産党なし
なので
蒋介石が中国の覇権を握ってたら中国が世界のリーダーになってただろな
ジャップの中国侵略によって共産主義政権になってしまったから中国の発展が停滞してアメリカの覇権が続く結果になっている
スコラ学の議論をするにあたっての(聖書に対する)アンチテーゼの設定なんかはまさに科学と宗教が分離していった近代科学の産声とも考えられない?
>>93 んなことない
パラケルススなんて中世末期で薬学の祖だぞ
実質まだ魔術師の段階だが
中国父さんの文学の方が上なんだから大学作る必要がなかった
数学と思想を組み合わせるというのは、古代ギリシャ特有の伝統であり、のちの西欧思想はそのDNAを受け継いでいるねw
ガリレオが地球が丸いと言い出す1000年前にはイスラムの学者は地球の円周を正確に計算し、世界のどこからでもメッカを拝めるようにしてた
つまりその時点で1000年の文明差が付いてた
我々が真に敬うべきなのはイスラム教とそれに影響を与えた天才民族インド人
>>86 イギリスの産業革命は植民地搾取によってそれまでの手工業では処理しきれないだけの資源を抱え込んだからだし
植民地拡張の起因になった大航海は中国の生産する茶や陶磁器や絹等によって金銀が流出が止まらずそれを外に求めた結果だよ
合格倍率3000倍とも言われた難関の試験では、どのような問題が出されたのでしょうか?
唐代の科挙には進士科(詩を作る能力を問う)と明経科(儒教の経典を暗記する能力を問う)がありましたが顧廷Yたちが挑戦した宋の時代では、科目は進士科のみとなり、試験科目は経義(けいぎ・儒教経典の解釈)・詩賦(しふ・詩を作る)・論策(ろんさく・論文)の3科目となりました。論策では政策立案能力が試されながらも、論文の中には古典(経書、史書)からの引用文を披露することも求められ、かなりの難易度だったことがうかがえます。
各時代によって異なりますが、こののち複数の試験を受け、合格となった天才たちは、皇帝の前で受ける最終試験の「殿試」を受け、上級官僚としての未来を勝ち取ることとなります。
>>103 やっぱりヨーロッパの下地としてギリシャ・ローマ帝国があったのがデカいんだよね
中世の大学のテキストなんかモロにその時代のものを使ってるし
>>91 結論ありきな話をしてるのはお前だろ?
文明も文化も違えば違う形態のものが生まれるのは当然のことであって、そこに優劣をつけたあのであればどこかの時点で切り取るのではなく長い歴史の中に答えを求めるしかないんじゃないかな?
日本も漢文で武士を教育して官僚を量産できたから、割と良い
漢詩いいぞ~
>>94 文系 安倍、小泉、麻生、菅義偉
理系 鳩山(笑)菅直人(笑)志位(笑)マルクス(笑)
これでも理系(笑)を崇めるの?
>>108 議論しない人がなんか言ってる
レスバ中毒者が多くて困る
ドーパミンドバドバで射精してそう
>>105 蒸気機関って4大元素の1つであるウインディーネを殺して純化して復活させるという
まんま魔術の発想だぞ
蒸留酒もそれで出来た
イギリスの奇跡よ
ニュートンだって魔術師だし(微積分の祖)
ただ、当時のイギリスって国営海賊集団だぞ。免許持って敵国の船を襲うんだし
>>107 偉大なるプラトンはすべての西欧思想家に影響を与え、西欧哲学の歴史はプラトンへの注釈に過ぎないと言われるくらいだからねw
>>110 こういうのをサラッと出してくれる人がいるから嫌儲は面白いんだよな
>>112 最初から答え決めてるやつと議論して意味ある?
>>107 まぁその偉大なギリシャ文化を否定しまくったのがキリスト教でそれによって欧州は1000年くらい古代の暮らしをしていたんだけどね
これ面白いやん
パリ大学に学ぶ学生が居酒屋で店主と喧嘩 になり,店主とその仲間に殴られた.これに対して翌 日殴られた学生が他の仲間を集めて仕返しをし,
さら に町に出て乱暴狼藉を働いた.今度はこれに対して, 市の警察が張本人ではなく,関係ない学生を襲い,一 部の学生が殺されるという事件が起こった.
これに対 してパリ大学の教師たちは,抗議のため授業を停止し た.しかし,適正な措置がとられないことから,教師 団は,1ヶ月以内に市が適正な措置を講じなければ,
6 年の間大学を解散する,さらに,6年が過ぎても十分 な補償が得られなければ,6年がすんでもパリに帰還 しないと宣言し,
実際にパリを去った.その教授団の 多くがイギリス王ヘンリー三世に請われて英国に渡 り,オックスフォードの地で講義を開いた.これが,
オックスフォード大学の誕生のきっかけとなった.さ らに,オックスフォードでも同様な事件が起こり,教 員団はオックスフォードを離れてケンブリッジに移 り,
ケンブリッジ大学の基礎を築くことになった.
中国の理系特に医学なんて薬師という街の薬局扱いだった
>>121 医学はまじない師が幅を利かせてたからね
博士クラスでも身分低かった
でも近世ではそんなこともないはずだよ
「なぜジャップランドは受験文化が盛んな割に学術が貧弱なのか」が現実なんだよね
>>37 それじゃ話の主題がunversitasからacademiaにすり替わってんじゃん
差が開いたってのもお前の主観で中世大学で教えてるのは所詮は法学、政治学、神学など
それらが端的に反映される文明のレベルを考えたらこの時代はまだ中国の方が上だろ
そもそも学術という言葉が本来表しているのは儒学と琴棋書画
これらが2000年以上しっかりまさに学術研究され継承されていたからこそ訳語に学術という熟語が当てられているんじゃないのかね
なんか中華文明の営みや実情を意図的に無視してるよね
あとヨーロッパの科学振興における宗教の影響も無視して制度の問題に単純化しようとしてる
>>121 中国は昔から医者と薬屋は分業してたよ
水滸伝の西門慶は薬屋だが医者じゃない
>>120 科挙を受ける天才にはこのような集まりはなかったのかな
官僚になったら集まりはあるけど自由度はないかもね
中国の大学は「カレッジ」なのよ
儒教単科大学
間違ってもユニバーシティー(総合大学)じゃない
天文学なんかは国家の最重要機関として人材育成してたよ
気象情報の正確さは皇帝の権威に関わるからね
古代の中国の王が火事によって学生や資料ごと暦を焼失したときなんか、大人数でインドに教えてもらいに行ってた
>>100 パラケルススは大学で活躍してないじゃん
自然科学の研究が大学できちんと行えるようになったのはニュートン以降、いや、啓蒙主義以降でしょう
>>88 近世の科学者といって思い浮かぶ偉人を考えてみればわかるけどだいたいは大学所属じゃないよね
まあ小林秀雄は孔子と儒教に科学が欠けていたからといって儒学が無価値ということにはならないと孔子と儒教を擁護したけどさw
>>128 時代によるがそんなことねえよ?
あらゆる分野の研究やってたけど…
>>123 宇宙戦艦ヤマトと三国志で戦争活劇を好んでしまい、学術は遠くなった説
ユニバーサルって全宇宙って意味だぞ
中国の大学が全宇宙を解明しようとしてたか?
やっぱ古代ギリシャ=ローマの哲学がデカイんだな
儒教でどうやって暦を作っていたんです?
儒教でどうやって日蝕の日を予言できたんです?
皆ライバルだから関係者だけにしか知識継承しないのに国主が変わると焚かれて放逐されてリセットかかるからじゃないの?
優越に話題が集中するのも、宇宙戦艦ヤマトと三国志から来る心情なのかもね
>>135 してたけど…
「宇宙」って文字は中国由来だけど…
>>98 もともとがお役所主導なら共産主義になったところで似たようなもんだろ
陰陽道という下位の階級だぞ暦を司るのは
もちろん日本にも輸入された
より「魔術化」されたw
イスラームって1000年前くらいは科学も数学も最先端行ってたろうになんで土人宗教集団になったんだよ
化学なんて
「ありふれた物質から貴金属を作りたい」
「不老長寿の薬を作りたい」
ってことで、怪しげな連中が発展させたようなもんだからな
西では魔術師とか錬金術師、東だと方士とか神仙家とか呼ばれてた連中
宇宙大将軍・侯景はAC500年代の人だけど…
その頃には中国には宇宙って概念あったけど…
易経の原理は近代科学の因果論を超えているとユングは言ったりしてたよねw
そもそも宇宙は仏教用語だし、古代インドが東洋的な宇宙の起源です
>>145 あれって占いと宗教がメインのカルト専門校だぞ
>>122 まあまじないも捨てたもんじゃないからね
プラシーボで治るときは治るし
>>134 ジャップは金になる学術には強い関心を抱くがそうではない学術には何の関心も抱かない、エコノミックアニマルだからかね
>>73 こういう紀元前何世紀何時代には中国は既に〇〇していた系のレス見ると、
俺はいつも「日本が新幹線、オリンピックで戦後経済復興を世界にアピールしていた頃に、なんで中国はその日食うにも困るほど困窮して人肉食うような土人国に転落したんだろう」と不思議になる
さらに不思議なのは、その偉大な中国を土人国にした張本人の肖像画を現在でも飾ってることだ
というか大航海時代のせいで交易による収入が激減し
現代の石油発見まで中東は科学が1000年分衰退した
オスマン帝国は除くぞ
>>142 権利の保障が弱いから、企業が生まれにくいかも
>>98 蒋介石がリーダーだと漢族レイシズムを抑えきれずに中国分裂してるよ
そのくせ主張する領土は中共より広いからまず戦争が終わらない
もっとも今のイスラム圏の科学はカタールとかUAEが引っ張ってるから大丈夫
オイルパワーで無敵
>>142 バグダードがモンゴルに破壊されたのがでかいかも
>>153 単に「文明の中心地」が移りゆくものだからだよ
人類文明発祥期にはインドだった「中心地」が西へ西へと移動して、大西洋を渡りアメリカへ、そして太平洋を渡りアジアへ
日本のアカデミズムは律令制とともに一度崩壊してる
江戸時代になってようやく少し復活した
>>152 島耕作読み返してみようかな
海外の文物にどれだけ興味があったのかチェックしてみたい
日本は西洋文明のコピペのために必死で120年で頂点に上ったけど
コピペするものが無くなったとたん韓国や中国の大学に抜かれた
日本の近代・現代の大学なんてただのコピー機だよ
特に21世紀以降の日本の大学の衰退は悲惨
>>158 イランの科学力舐めすぎ
すでに日本以上の科学力あるよ
>>104 結局全部コーカソイドなんだよな天才を産んでるのは
近代科学の系譜は18世紀のイギリスドイツフランスの啓蒙主義でしょ?
なんでプラトンとかソクラテスみたいな紀元前のギリシャ人の話になるのかわからん
時代も場所も全然違うのだが
>>104 今のインド人とその時インドに居た人間て近い民族なの?
やはり政治的権威と学問が分離されなかったことが原因だろ
>>2 マジでこれ、大学って言葉自体が中国語なのに
>>1が中華の歴史なにも知らない知的障碍者すぎて笑えるわ
日本の官僚試験とかも全部中国からパクったもんなのに
西洋もキリスト教が強かった頃は客体側の自然や物質的現象を探究する科学的な学問は卑しいものとされる傾向だっただろう
中国でも儒学は人文学的なもので同じように過去の聖人の経典を学んでくのが主な学問のあり方だった
中国の学校って官僚を育てることしかしなかったよな
文化とか学問とか一般向けとかそういう感じじゃなかった
金持ちの息子や娘の教育場所でしかなかった
その閉ざされた学校が底力を奪って西洋に負けていた
>>172 中国の学問の中心である儒学がそういうものになるから
聖賢である先人の経典を学んで自己修養し
それで身を立て国に仕えて天下を治めるために役に立とうとするっていう
西欧文明はルネサンスによって古代ギリシャ思想を再び復活させたわけだが、そんなこともしらんやつがいるのかw
中世はイスラム文明がギリシャ文明の遺産を受け継いでいたという話もあるけどさw
>>169 政治家と学者の区別が無いのは確かに中国独特の傾向かも
ある意味プラトンの理想とした哲人政治に近いとも言えるが学究そのものを目的とする傾向は弱くなるわな
てか紀元前の戦国時代の斉国にそんなんあったよ
稷下学宮っての
諸子百家はそこで論争したり著作してた
>>172 え?紀元前に韓非子がいた国で文化も学問も育ててない・・・?
本当にこういうエアプで中国語ってるアホばっかだよな、知恵遅れのクソアホチョンモって
前近代の段階で比較するとお役所学校で官僚養成する東アジアと同業者組合で専門職を養成する欧州みたいになるからこの段階で比較してもという感じはするけどな
>>153 これは普通に自然を本来性のようにみる共産主義の思想、毛沢東の思想が
文明や知識人を支配的なものと批判し攻撃してたからだろう
国の権力やそこでの思想が文明や知識を破壊することやってたらそりゃ未開人のようになる
>>172 うーん、金持ちが有利だったのは確かだけど試験自体はオープンだったろ
イギリスでもドイツでも全部ラテン語だった西洋の教育より遥かに庶民にチャンスはあったはずだよ
イギリスで自然科学中心に現代のような学問をする場になる16,17世紀以前のヨーロッパの大学ってのは、あくまで神学を研究するオタクが集まるサークル程度のモノだろ
>>168 インドには色んな民族が流入してるけど、逆にインドから大量の民族移動があったって話はあまり聞かないから
受け継いではいるだろうね
たしかに西洋の大学が当初どういったものなのか知らないなと思って調べたが古くは市民が集まって学ぶためのギルドだったんだな
市民から始まったのか政府から始まったのかの違いという点も後の性質に大きく影響してそう
>>104 >ガリレオが地球が丸いと言い出す
なんかもうこの時点で相手する価値ない知的障害者だってわかる
遊牧民が悪い
中東も中国もヨーロッパ内陸部も、学問を醸成する雰囲気が出てきたタイミングで遊牧民にボコボコにされてリセットされる
>>19 古代の話は知らんが、武科挙という武官を登用するための試験はあったよ
>>44 文化大革命で、半植民地化されていた時代に西欧の素養を身に着けた知識人が根こそぎ刈られて、大学から追放されたから。
右翼がバカみたいに称賛したりするが、焚書坑儒などもあり、漢籍の書物は日本がもってたりとかあって、文革後、日本に大量に留学して、技術や学問を吸収して、帰国。
そのへんの人たちが今やっと活躍してる感じ。
団塊世代で大学教授とかしてるやつは、文革で生き延びてるので、はっきり言ってバカかヒラメみたいな奴らだらけで、それより下の世代がそいつらにやられて、大学教員になかなかなれないとかの問題も生じていたよ。
古代中国では太陰暦という精密な暦をつくりあげて、日本も江戸時代までずっと太陰暦を使ってたが、明治維新になって日本は太陽暦に切り替えたよねw
江戸時代の国学者本居宣長は幕府の天文方との論争で、西洋の太陽暦のほうが太陰暦よりもより正確であるが、それでもどうしても数学的に完璧な暦は作れないといい、わが国古来よりある真暦が一番素晴らしいと力説したりしたよねw
ハリボテだらけだからな
いくら日本を引き合いに出したところで数字からボロが出まくってる事実は覆せない
>>180 そもそもの話、九品中正とか推挙に頼っていた昔ながらの方法だと貴族間の依怙贔屓やコネ合戦になるから
それを改めるための科挙だしね
西洋のような、主観側の合理性と客観側の観察をあわせて探究する科学のようなものは
宗教による信仰から、人の知性理性で思弁的に世界を探究しようとする哲学的な形而上学を経てってのが必要になるんだろう
中国でも単に先人の聖賢の経典の注釈に腐心する訓詁の学問から
宋明の性理学、朱子学のような思弁的な学問に発達はしてたけど
西洋のようなそこからさらに実証的科学的なところに踏み込むところまではいかなかったみたいだな
>>167 どこに反応してるのかわかんないけどそりゃヘレニズムの遺産→中世イスラム・ビザンツでの継承・発展→大翻訳時代→科学革命って流れがあるからでしょ
>>183 多くはキリスト教の修行場だったと思ったが
ミッションスクールとかモロにそれだし
日本もそういうの聞かないな
西洋社会独特のシステムなんだろうな
キリスト教が分派しすぎないよう
統一的な解釈をする目的があったのでは
司祭の育成も兼ねてたろうし
中国の大学って空海とかが行ってたんだから昔からあるんちゃうか
>>156 逆に華人が多い東南アジアの地域を中心に統合してるでしょ
東アジアで日本だけ太陽暦に切り替えたのは多分光学のせいであるねw
明末清初あたりから、朱子学とかの思弁的な学問からさらに実証的な方向に向かった考証学は起こってはいたが
近代大学システムと歴史上の大学ってまったくことなるよな
イスラムのマドラサ?とかいうのもかなり前からあるが大したことはなく
イタリアやらヨーロッパ諸国にあった大学もただのギルドや金待ちクラブ、宗教学校でしかなくなにも生み出さなかった
光学じゃない国学ね。
偉大なるプラトンは哲人王の思想を打ち出したが、その夢は果たせぬまま終わったよねw
真の哲人王は極東の列島に出現して、その哲人王によりアジアを解放した偉大なる文明が創造されたといえようw
>>193 近代科学は、スコラ哲学や中世神学の形而上学的な手法を否定して、科学的な手法で置き換えることで生まれた
それなのに、プラトンからの系譜を語るのはおかしくない?
方法論としては断絶してるんだから
方法論的な断絶を許すなら、イスラム圏の科学が黄金時代からの系譜にあり、東アジアの科学が宋代からの系譜にある、って主張しても良さそうだが
宗教や道徳思想のような主体側の心の、現象を超えた彼岸の真理を探究しようとするものと
科学や法律のような客体側の現象やこの世の効率的な統治を追求しようとするものっていう
人間の探究の営みってものは、こういう二つの方向に分かれてあるのよね
>>205 別に分かれてないよ
宗教も科学も自然の脅威に立ち向かうために生み出された人類の知恵であり、その目的は真理の追求
法と道徳は古代世界においてどちらを重視して国家を運営するかで激しく争ったがそれは政治の話だ
ちなみに道徳を重んじたのがキリスト教や儒教で、法を重んじたのがイスラム教や法家
ジョゼフ・ニーダムの業績を全否定するスレはここですか?
近代化はぶっちぎりで人類を進歩させたけどそれは中国じゃ起こらなかったんだよなあ
日本も所詮は東洋だしね
フロンティアスピリッツが足りないのが原因だと思うわ
受験といっても少数のエリートがやってるだけだしな
結局はエリート主義がずっと続いたから発展しなかったんでしょw
日本でも江戸時代には朱子学が正当な学問とされたが、民間の学者はそれに飽き足らず、近代科学的な実証的手法を駆使して孔子の思想の原点に立ち返ろうとしてたよねw
ルネサンスだって原理は同じであるねw
そもそもルネサンスという言葉の意味が「復活」とか「再生」とか言う意味で古典古代の再生を意味しているわけであるねw
中世の伝統のうず高く積まれた堆積を払って古代の伝統を復活させるという発想、これはルソーなどにも共通しているといえようw
そもそも大学の定義って何よ
日本でもたとえば足利学校とかは大学じゃないわけだろ?
幼少の頃から四書五経を丸暗記して
いかに達意の詩文を書いてみせるのかが
最難関のテストなんだろ
そりゃあ学問じゃねえな
線形代数の初期みたいなのは紀元前から中国であったよな。だけど体系化されなかった。その代わりガチめに魔法が研究されてた。知られてないけどそっちの遺産が中国はやばい
官僚機構は近代国家にも取り入れるくらい優秀なシステムだったのにな
>>211 ジャップランドのは方法が間違えていたから科学なんて全然発達しなかったね
「大学」はもともとは漢籍の題名だろう
どうすんだよこのクソスレ
>>218 それが教育機関の名前になってるのもおかしいよな
>>206 主体側の心や精神の探究
客体側の物質的現象や実学的なものの探究
この二つを「一つ」にみるっていう
もっとものように思えるがこの「一つ」とみるその立場ってものの問題があるのよ
安易に「一つ」にみるのは、どちらかの立場に偏った視点でもう一つを従属させる考え方になりかねない
西洋は錬金術が有名だけど、中国は運命を真剣に取り扱ったんだ。現代的にみても変態的な帝国だよ
>>217 んなーことはないな?w 江戸時代は和算がかなり高度に発達したのは有名な話であるねw
蘭学という西洋科学の輸入運動もあったし、明治維新が可能になったのもそのような積み重ねが会ったからであるねw
>>221 西洋の錬金術も最終的な目的は永遠の命でしょ
なんなら科挙に落ちた組が文化をリードした時代もあったしな
>>224 それをいうなら古代ギリシャの学問たってつきつめたら金持ちの道楽にすぎないねw
>>212 学者が教授兼ねてて民衆が話聞きに行くところ
で、民衆は一定の話聞いて試験に合格なら称号を得られる
だから入学が金払えば簡単で出るのが難しい海外の大学が正しい
簿記は確かイタリアだけど日本の商家に伝わる秘術が簿記のようなものだったという説もある
事実だったとしても江戸時代にそんなもん広まらんか
>>223 そう。それはそれで夢があった。それに現代科学に通じることとなった。その場合でもというか中国の場合はその領域はあるにはあるけどまた皇帝を巻き込んだ騒動とかもあるけど、その皇帝の行動を北斗七星の動きから事前に割り出す(例えばよ)などを主たる目的として何百年も研究した。それが残っててまだやってる
火薬以来イノヴェーションを産んでいないのはたしかだな
どうすんのこれ
西洋的ユニバーシティはスコラ哲学の伝統から生まれたリベラルアーツを教えるものだから、欧州史に依存した存在としか言いようがない
やっぱ儒教のせいだろ
徳を備えた君子が上に立つべきなので
工人(技術者)階級は下に見られて差別されてた
金持ちの道楽だからって学問の価値を否定したら、残念ながら近代的な大学と言う存在自体が成立してないわけであるねw
偉大なるプラトンも知性と学問の自律性のためには余暇、スコレーが必要だと言ったしw
余暇を持って学問するというのはつまり金持ちの道楽であるねw
中世のスコラ哲学だって、スコラの語源は古代ギリシャ語のスコレーだろうw
ルネサンス以前の欧州の大学なんて神学以外は学問の婢女みたいな価値観の未開な状態だろ
中国とヨーロッパの科学力に大差がつき始めたのも実験科学が急速に普及した17世紀以降だし
>>214 でも漢詩ってプログラミングみたいなもんだからな
伝統的な知識に加えて抽象的な思考力や高度な表現力が必要だから知能を測るにはピッタリのテストだと思うけどな
江戸時代にはあらゆる道楽をやりつくした金持ちの道楽者が最後に行き着いた道楽が学問だったという話があるよねw
これは学問こそが究極の道楽ということを意味しているといえようw
>>221 西洋は啓蒙哲学とかで自律=近代制を確立していったけど
東洋はいまだに他律的な世界観だもんな
>>233 中国はその時どきの王朝によって思想が変わるから全ての王朝が儒教重視したわけじゃないよ
まぁキミの意見にも一理あると思うけど
1700年ごろ、農業革命で世界的に生産力が上がった時、日本や欧州は資本家を野放しにして革命が起きたけど、中国は皇帝の権威で商人の台頭を抑えてその結果近代化遅れたからね
>>204 自律的な人間や市民を造り出す近代の大学教育は
古代ギリシャや大陸中国みたいな他律的世界とはちゃんと区別されるべきだよな
>>241 政治的な儒教の重視具合は異なるけど、南宋に生まれた朱子学は、以降の時代を通して中華の自然観をずっと支配し続けてきた
そういう意味じゃ、12世紀から近代化までの二十世紀初頭まで、ずっと中華は儒教(正確にはそのうち朱子学)に支配されてきた
現代にも日本語に名残あるぞ
日本で、自然科学と同義語として使われる「理学」って、元々は朱子学の理気論に由来する用語を明治に借用したもん
大学がいくら真理と学問の府であるといっても、維持していくためには他の組織同様やはり金がかかるわけで、維持していくための資金は授業料なり国の補助金なり寄付なりで賄うわけであるねw 金が必要である以上、大学と言えど完全に社会から自立してるなどと言えるはずがないわけであるねw
>>245 メガテンおじさんやたらとハッスルしてるやん
>>246 そうか? だいたいいつものペースでやってるつもりだがねw
>>244 理気二元論って現代日本だと全然知名度ないけど
俺は東アジアの自然科学の発展を妨げた元凶だと確信している
幕末の朱子学者も実験科学の結果と理気説が相違してたから親の仇の様に自然科学を嫌ったし
日本の古学派の儒学者たちは、朱子学の理気二元論を批判するところから学問を出発させたよねw
>>228 簿記いうても
複式かどうかが超重要なのね
>>249 西欧では自律的な人間を育成して商人階級が金儲けして大学維持してたからな
>>247 メガテンおじさんって自閉症って診断されたことある?
>>253 そんな診断受けたことないな~?精神科医にかかったことも一度しかないし、そのときは正常って言われたよw
遣唐使の知識人は中国の寺に勉強しに行ったんじゃないの?
ヨーロッパだって大学は教会から派生したようなものだろ?
中国は官僚機構と寺が知識の集積の場に思えるけれど?
幼稚園に入園するとき、多動症じゃないかと言われたことはあったよね~そういえばさw
>>255 そうだよ
仏教が数学とセットだったからこそ、日本人は平安時代に九九使えるようになった
>>204 問題はなぜ「ヨーロッパで近代科学が生まれて、なぜほかの場所ではなかったのか」ということではないのかな
そういう意味では、経験、観察、仮説、実験、検証、理論化といったものを旨とする西洋近代科学は
古代ギリシア的なロゴス観とキリスト教神学が結合したことによる
「神によって造られた世界は矛盾のない一貫した理論によって説明できるはずだ」という世界観があったからこそ
それを検証するための手法としての、中世イスラムに萌芽を持つ自然に介入していく実験的手法が結合したことで誕生したわけじゃん
無から近代科学が生まれたわけじゃないんだから、
古代ギリシアからの影響だけがすべてを決定としたわけではないにしても、関係ないことはないでしょ
>>248 まあそういう側面はある
理気二元論を絶対的な原理とし、そのモデルに当てはめるというかたちで自然を分析するというスタイルは、実証的実験など、西洋科学の核をなす要素の導入を妨げた
だから、中国は、科学革命以前には世界トップの「技術」を持ちながら、それを「科学」に昇華できなかった
近代科学って何それ美味しいの?
19世紀前半までGDP世界一は中国(清)だしイギリス産業革命は素晴らしい技術が原因というより自国民の労働者を機械と組み合わせて家畜のように使うことができる道徳観によって達成された
科学自体はイギリスよりフランスが進んでいたが市民革命を経たフランスでは労働者をイギリスのように酷使することはできなかった
>>255 遣唐使は留学僧も多かったけど他のことも学んでる
例えば吉備真備は陰陽道(天文学)や儒学を学んでいたし、留学僧も仏教だけじゃなくて酒造りとか学んでた
>>260 俺は朱子学は旧日本軍に利用されるなどもあって
もうどうしようもない有害な思想だと思ってるが
孔子に直接由来する朱子学に汚染されてない儒教の経典は先進的で現代でも通用する普遍性があると思ってんだよね
古代の思想家なのに
子、怪力乱神を語らずは凄まじい先進的な思想だし自然科学とも敵対してない
南宋の人間はなんであんな馬鹿みたいな思想を世に広めたのか謎だわ
初期キリスト教と中世カトリックみたいなものかもしれないが明らかに朱子学は思想が劣化している
>>1 実力主義だから肩書きではなく実績のある師に教わるからな
科挙のせいで暗記ばっかの官僚が増えて大変やったって聞いておもろかったわ
>>265 わあ国なんて小学生から暗記詰め込みやん
>>266 詰め込み自体は悪かないと思うんだよな
知識は思考の材料だし
>>263 北宋が金に破れてそこから中華の概念だとか異民族に対する認識など色々拗らせてしまったのが悪い
もし北宋が続いてたら西欧とは違う形かもしれないけど産業革命的なとこまで辿り着いたかもしれん
出世競争の道具という側面が強すぎたのではないかと
中世以降の中国が権威主義的になりすぎて、
科学のような合理的学問からの文明発達がだんだん欧米より遅れていったという
つまり科挙の登場は秩序の安定化に役立った反面、中国を少しずつ弱体化させた感じ
中国初の「大学」って王莽が建てたんだろ
北郊南郊の祭祀も王莽、儒教経典整理したのも王莽
頭おかしい統治者として描写されることの多い彼だが、後世への遺産は結構あったりするんだよな
>>268 確かに徳富蘇峰とかは陽明学者だしな
陽明学は行動を重視しそれが侵略と親和性があったのは事実だ
ただ性理学は教育勅語の元ネタだし忠の絶対性やら国家神道のパクリ元でもある
その中国に明治維新まで全てを学んで来た国があってだな
中国はでかいから、内乱に弱いな
ステップも近いから、戦争に弱い
資本の蓄積が実はムズい
そもそも
中国が巨大船作れるようになりアフリカまで航海する
ヨーロッパが中国の造船技術をパクり世界中に植民地を作って富を奪い資本を蓄積する
という順序だからな
>>276 欧州のダウ船は、イスラムから伝来した技術で、そこから大航海時代に独自発展していったもんだぞ
ちなみに、中国がアフリカに到達したのは、イスラム商人の後で、ダウ船じゃなくジャンク船
中国独特の構造で、西洋船とは構造が異なる
>>279 中国の船舶技術も影響してるよ
1782年、ベンサムはシベリアルートを経由して中国へ渡り、キャフタとその中国領ナイマッチンを訪れた後、国境の河川都市ネルチンスクに1ヶ月以上滞在し、特にジャンクを中心に中国の船舶設計を研究した。ヨーロッパに戻ったベンサムは、水密区画の導入を訴えた。このアイデアは、シベリアで中国の大型船舶を目にしたことから得たものだと彼は認めている。
>>278 中国が広く学問を奨励してたらとんでもない国になってたな
結局一部の天才が居るだけで後が続かないんだよねw
>>280 部分的に参考にした部分はあるが、西洋が中国丸パクリして航海技術得たというのはさすがにおかしい
直接的には、(当時は地中海世界で繋がってて欧州文化とはほぼ融合してた)イスラム商人の造船技術から大航海時代に発展させたもので、構造レベルで別物だし、アフリカ到達からの航海の発展もやはりイスラムからの影響(ていうか大航海時代はイスラムへの対抗から始まったというのは世界史の教科書に書いてある通り)からで、中国はあまり関係ない
>>280 >1782年
大航海時代っていつだっけ?
>>4 じゃあ日本では生まれたの?ソレ(´・ω・`)
>>282 ダウ船が西洋帆船の起源という情報は検索しても出てこないな
逆に中国船からは
羅針盤の使用
舵(スターンラダー)
ジャンク船は船尾に中央軸に取り付けた固定式の舵を持っており、これも西洋の舵の進化に影響を与えたと考えられています。
中世ヨーロッパでは、これより以前は側舵(ステアリングオール)を使っていたため、これは大きな革新でした。
などの大きな影響があるとのこと
>>285 高校生向けの世界史解説サイトの定番、世界史の窓に書いてあるぞ
https://www.y-history.net/appendix/wh0901-003.html すでにインド洋ではイスラーム商人がダウ船という三角帆の帆船を使って遠洋航海を行っていたが、おそらく十字軍時代にそれを知った地中海の船乗りたちの間でも帆船が用いられるようになったと考えられる。しかし、14世紀までは一本マストで船室もない、簡単な構造の物が主流であった。
大型帆船の登場
15世紀の大航海時代になると、ポルトガルで、船舶形態は大きく変化した。1415年以降、西アフリカ航海に進出したポルトガルは、もっと軽快な小型船を開発したが、それはバルシャ(バルカ)船と呼ばれるもので、大型ボートに帆を張った程度の信じられないような小さな船であった。1440年頃、三本のマストに三角帆を張ったカラベル船があらわれ、遠洋航海の主力となった。これはムスリム商人の用いたダウ船の帆を取り入れた新型船で、これによって風に逆らってでも航行できるようになった。
中国やイスラムが土人だったというより
ルネサンスが人類史上で異常だった
あの頃人類史最強レベルの超人が次々とヨーロッパで生まれた
理由は不明
現代文明なんかルネサンス期の貯金を食い潰してるだけだからな
>>286 胡散臭いな
Chat GPT
可変帆(バタン帆 / ラグ帆)
ジャンク船の特徴的な帆は、竹の骨で補強されており、風の強さに応じて簡単に調整可能でした。
西洋ではこれを「Chinese lug sail(チャイニーズ・ラグセイル)」と呼び、一部の西洋船(特に探検船や小型商船)で採用されました。
Chat GPT
ラグ船の西洋大型帆船への影響は限定的
ラグリグは大型船(戦列艦やガレオンなど)では主流にはならなかったが、小型帆船の設計に大きな影響を与えた。
操作のしやすさから、訓練用や民間用の小型帆船に長く使用された。
つまり西洋小型船にしかラグ船は影響与えていない
ポルトガル人はレパントの船から三角帆を取り入れたし、アラブ人のほうもポルトガル船から竜骨と肋骨を先に作ってそこに外板を張っていく工法を取り入れた
文化交流こそが大切なのに、どちらが優位かとか一昔前の発展史観じゃねえんだからさ
大航海時代の前は船は中国とイスラム圏が西洋より進んでいたとは言えるんじゃないの
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