ブルースの精神に初めて異常が認められたのは、32歳のときだった。
その夏、彼はクルマで友人とニュージャージーからロサンゼルスへ向かっていた。テキサスの人里離れた場所を通ると、そこではイベントが行われていた。バンドが演奏し、男女が抱き合い、星空の下で誰もが楽しそうだった。ブルースはその様子を少し離れた所から眺めていた。そのとき、彼の中の傷口が突然開いたのだ。
その時、彼が“観察者”として生きていた人生、つまり「生活をすること、そして人を愛すること、といった日常の雑事から距離を保っていたこと」が、「どれだけ自分に負担を課していたのかを実感した」のだと言う。
彼は精神分析を受け、自身を真剣に見つめ直した。それが、彼のその後の人生を変えてくれた。自分が抱える問題について他者と話すことの重要性を、ブルースは主張する。その考えはもちろん、「スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ」でも貫かれている。そこではひとりの男が弱みをさらけ出し、それによって観客の心は、深い所から揺さぶられるのだ。
テキサスの夜からおよそ10年の月日が経ったころ、ブルースはロサンゼルスの自宅にいた。
隣には妻のパティ・スキャルファがいて、第1子エヴァンの出産は目前に迫っていた。早朝、ドアをたたく音が聞こえたので行ってみると、そこには父親がいた。ブルースは彼を招き入れ、ふたりはテーブルで向かい合った。すると父親はこんなことを口にした。「お前は、私たちにとてもよくしてくれたよ」と。ブルースは言葉を失った。父親は「だが、私はお前に優しくしてやれなかった」と続けた。
ブルースはこのときのことについて、ステージ上でこう明かしていた。
「人生の中で、最高の瞬間だった。まさに俺が望んでいたことだったんだ。あと何日かで、父親になるというタイミングで親父が訪ねてきて、自分が犯してきた過ちを繰り返さないように息子を諭してくれた。これから生まれてくる子どもを、罪の連鎖から解き放ち、彼が自分の人生を生きられるように…」
父親の晩年になって、ブルースはその父親についてある事実を知った。
キッチンの暗闇の中に座り、静かに物思いにふけっていた彼は、妄想型統合失調症を患っていたということだった。このことを聞いて、幼いころに経験した数々の出来事について説明がついた。そして同時に、「自分も父親の精神状態を受け継いでいるのではないか?」という新たな恐怖がブルースの心に影を落とした。
20年以上前の春、ダグラス・スプリングスティーンは73歳で世を去った。彼は、生前ブルースに対して、「アイ・ラブ・ユー」という言葉を口にしたことがなかった。それを聞いて私は、ブルースにこんな質問を投げかけた。
「お父さまから、今聞きたい言葉がありますか?」
https://hips.hearstapps.com/hmg-prod.s3.amazonaws.com/images/mc1903-liftb01-5-1549963354.jpg
ブルース・スプリングスティーン ― ロック界のボスが、人生を歌いあげる
https://www.esquire.com/jp/culture/interview/a26300172/songs-of-hinself-190212/