【三国志】曹操って言われてるほど有能じゃなくないか?あの人中華の北半分占拠して終わっただけじゃん [782112767]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
大事なところで大ポカをやらかしてしまうタイプの人間だと思う
無能ではないけど天才的な有能ではない
個人的な能力で言えば根無し草から皇帝になった劉備の方がすごいだろ
http://Jamaica.com >>387
傅士仁はじめとする関羽が負ける契機ともなった
裏切りも関羽からの処罰を恐れてってのが通説だしなあ
義の人と呼ばれてるがヤクザの仁義よろしく
他人の不義にも厳しかったのは想像に難くない
というか劉備の古参は完全にヤクザ上がりだしな 曹操の凄いとこは
天下取りに失敗しても国家が崩壊しなかったことだよ
苻堅とか江南平定に失敗して、崩壊したからね
そういう意味では袁紹も官渡で負けたことで終わったでしょ?
まぁ江南がその時代にはそこまで豊かでは無かっただけとも言えるけどさ >>239
まぁそうなのよね
ようは荀彧とかを最終的に軽視したし
己の自己実現しか考えず、漢王朝の機能を軽視し
最終的な大きな国家ビジョンを持たずに
個人の才能に頼った個々の策をやってただけだからね
曹操が己が王になる、皇帝になるみたいな野心・私心を捨てて
立憲君主制と、その下での、個々人の才能が発揮される社会とか作ってれば
偉大な人物になったろうけど
やったことは、後に石勒にバカにされる程度の「恥知らず」だからね
司馬懿と同じで、「自分の代のことしか考えてない」「考えても孫のことまで」
まぁ華佗を簡単に殺したり、曹操はその程度の人間だよ 詩とか書もそれまでの儒教的価値観から離れて成立させたからの評価なんだよな
だからそっちの王道を行ってた荀彧が粛清されてしまうんだが >>400
儒教を否定して
法家に心酔してても、それによる新しい社会を作ったわけではない
荀彧のほうが漢王朝の政治的な意味をきちんと把握していた
まぁそれを壊せば
当然、王朝転覆の連続からの五胡十六国になりますよ >>398
袁紹に関しては
帰国後にすぐに田豊殺したり
もう終わってたよ
沮授もいないし、各地で反乱はおきるしな
ただ、それは鎮圧はしてるし、民衆には善政をして、慕われてたしな
まぁ袁紹が75歳まで生きるとか
袁紹が反省してどんどんパワーアップする家康型とかなら
変わったかも知れんけど、帰国後、田豊を殺すような奴だしなぁ >>59
ただの詐欺師&毒殺疑惑が引っ掻き回しただけなんだよなあ・・・ >>402
漢王朝は黄巾の乱か董卓の時点で壊れてたけどな
まさに儒教によって壊れた >>403
史書に残ってる情報だけだと理不尽そのものだけど
別の理由があった可能性もあるぞ
敗者の歴史は悪いように脚色されるのが常で
袁紹勢力に関しては疑わしい記述がけっこう多い >>399
袁紹は劉虞を軸にしてある程度具体的な漢王朝復興プランがあったっぽい
だから劉表あたりも協力姿勢だったわけだけど
肝心の劉虞が拒否しちゃったから長期戦略が破綻したんだよ
あげくに袁術が皇帝僭称したりとグダグダになりまくって
どうしようもなくなったところで曹操が「もう献帝でもいいじゃん」で
場当たり的というかその場しのぎで天下への野心を出しちゃったんだよ
袁紹がグダらなければ曹操も石勒に馬鹿にされるような動きを
しなくて済んだし、そもそも三国分立や五胡十六国ほどの無茶苦茶はなかった 王族とか漢王朝とかさ
元を正せば、ただの平民だよ
建国しては滅び、合併しては離れ、統一しては別れる
そこで王や皇帝になるのに過去の血筋なんて重視しても仕方あるまい
そういうのは安定した政権でやれば良いよ
こんな乱世で過去の血筋を持ち上げる場合は大義名分か利用する為だけよ
劉備含め本気で漢王朝復権させようと思ってたやつなんて居ないでしょ
担ぐ神輿が必要だった時に体よくそこにあったのを担いだだけの話で
勝った負けたにまで神輿持ち出しても仕方あるまい 無理にまとめただけで本来三国時代なんてないのよ
史記から続く紀伝体というのは本「紀」と列「伝」のことで本紀(皇帝の記録)がメイン
劉備本紀も孫権本紀もない。あれは本質的にただの魏書で、後漢書→魏書→晋書→宋書
巴蜀政権は五胡でも五代でも出来るけどそんなもんは大した意味はない 日本でいえば近畿から関東抑えたようなもんだろ
美味しいところは全部とった
もうほかの国は詰んでるじゃん
つっても長江渡って呉を攻めるのは難しかったんだろうけど
まあ攻められても防ぐのは容易っしょ >>407
同意。劉虞は俺も本当にもったいなかったと思う
劉虞が同意してれば漢王朝は続いたと思う
>>408
10年20年で見ればそうだよな
100年でもそうかも知れない
易姓革命でうまれた王朝は、まぁ三代は持つだろうからね
しかし200年、500年、800年、1000年を考えれば
「正統」を続ける意味は間違いなくあるんだよ
それによって世の中は安定した改革ができるからな
五胡十六国時代が生まれたのは
漢民族の人口減や、兵士不足・労働者不足だけが原因ではない
漢王朝が滅んだことで、政体の継続性・正当性が失われて「無限闘争」に突入したからだよ >>411
劉虞自身の身の安全のためにも天下万民の為にも
皇位に就くのが正解だったと思えるね
つか、わりと近くに公孫瓚なんて危険人物がいるのに
袁紹頼らないとかよくやるよ
まあ劉虞を説得できなかったあたりが袁紹の
人望の限界だったということかもしれんけど >>412
劉虞は曹操とは逆に、まさに儒の人過ぎたんだよ
「皇帝がちゃんと擁立されたのに、自分がなるわけにはいかない」てね
まぁそれならそれで、ただの王として、劉協の解放だけ目指して
皇帝を輔弼するとかで良かったと思うんだけどね >>14
普通に秀吉の方が凄くね?
農民だか足軽の子からスタートして関白だぞ 俺の言う事は正しい。俺の為す事も正しい。
俺が天下に叛こうとも天下が俺に叛く事は許さん。 演義では勘違いで伯父さんの家族と使用人を
ジェノサイドして口封じに伯父さんも消した。 >>96
「玉無し親父のクソ息子」的なかなり強い侮蔑の意みたいね >>416
これを誰だかが、勘違いで無実の人を殺めた自らを自らが叱咤する言葉的な事言ってて、曹操好きになった 徐州虐殺とかやらなけりゃもっと早く統一できたと思うんだよな >>420
あとは表面だけでも皇帝を尊重して
ちゃんと漢王朝のメンツを立てれば良かったんだよ 漢朝はどのみち滅んだ
前漢後漢北宋南宋がだいたい200年ずつ
唐明清みたいな強力な王朝がほぼ300年
そのあたりが王朝が維持できる限界 >>420
多分あれは食糧不足で青州兵が暴走したんだと思う
于禁が裏切ったとか青州兵にデマ流されたけど弁明を後回しにして守り切ったみたいなエピソードとかあるでしょ
エン州ほぼ全部に背かれたり意外と曹操の統治はうまくいってないのよ >>422
俺はどうしても曹操時代に立憲君主制に移行できたようなロマンを見てしまうんだよね
それだけ曹操の時代は逆に革新的な時代で
詩が儒から自由になったり、法の再編もあったしな
ただ、信長が個人の才能を重んじながら
家制度に代わる長期統治の思想を持たずに暴走してああなったように
曹操は、儒に代わる時代の構築をできなかった
だから曹家王朝が実質三代、司馬家王朝が実質三代で滅んでるわけだ
そしてそのあとは無限の闘争に入っていく
あとやっぱその後の中華の歴史て、単に繰り返しではなく逆に保守化したり
東洋専制君主色が強くなっていくからね
五胡十六国からの王朝が異民族王朝の隋・唐に至り、安定支配のために儒教を強化して
民族諸軍閥を、中心民族の軍閥の長である皇帝が全てを仕切るような形にますますなるし
文治で産業革命の可能性があった宋も、軍事を空白にすることで問題を解決しようとして、金や元に勝てなくなるし
明・清も元の皇帝システムの「超越した強権」を保持するしな
中華は皇帝を制度的に「君臨すれども統治せず」にする構想も生み出せずに
皇帝をただ強権にすることで王朝・統治を安定させようとする東洋専制君主世界にどんどん没入してくんだよ
異民族王朝が漢民族を名乗ったり、異民族王朝が漢化することで、儒教的妄念もどんどん強化されていくしな 圧倒的な国力ありながら、呉や蜀に撃退されとるわけで、
逆に無能なのでは?それか孫権や劉備が英雄すぎた? >>403
曹操にしたって荀彧を用済みになったら始末したろ
功臣の粛清はどんな名君でも最後は避けて通れない道
まあ袁紹の場合は大負けした直後にそれやっちゃったから過剰に悪く書かれてる気がするけど… 結局既存の中華王朝乗っ取っただけだしな
劉備の方がすごいよ普通に >>430
張飛があんまり可哀想すぎて著者がわざわざ張飛伝だかに記したあの時代の
すさまじい身分差別のくだりを読めば「あそこまで頑迷になるのはある程度しょうがないな」
と思うしか無くね?
もちろん関羽も士大夫ですらないゴミカス以下の犬畜生レベルのクソクズの身分として
何十年も蔑視されつづけてきたキッツい人生だったんだぜ >>426
攻めるのは難しいからな
ロシア見てもわかるが
今ウクライナが西側の支援受けて善戦してるが
この勢いでロシアに攻め込んじまえってなると
ウクライナが勝つって言うやつは皆無だろ >>426
新末後漢初なら
公孫述とか董憲とか延岑とか
残敵掃討レベルなんだけどな >>433
>この勢いでロシアに攻め込んじまえってなると
>ウクライナが勝つって言うやつは皆無だろ
日本のテレビ舐めんな
おととい山口真由がモーニングショーでそれ言ったばかりだw >>435
悪い
「一定以上の知能を持つ人で」って
入れるべきだったわw >>96
まあだから賢帝劉協を立てて自分が存命中は譲位要求しなかったんだし。
対して袁紹の袁家はメチャクチャ名家、だから官渡の戦いのあの戦力差。よく勝てたな。
だから黄巾賊の残党を吸収して青州兵としたり、唯才是挙とか言って人材を求めたんだろうな。 >>426
蜀は山岳地帯。守りに易い地形で、攻め込むのは大変。
そして攻め込んだところで土地から入る実りは少ない。北伐してくる目障りな敵ではあっても、
北に向けてる蛮族対策の戦力を差し向けて全力で攻め込む価値はなかった。
中原(現華北平原)の肥沃な大地さえ確保出来てればOKみたいな部分はあるから。 >>426
魏の最大稼働兵士数が二十五万ぐらいだからな
地の利を活かしたら蜀みたいな弱小国でも撃退できる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています