江戸時代のニートや無職って何をしてたの? [121769341]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
現代みたいに娯楽に溢れてるわけでも無いし絶対退屈だっただろ 江戸時代の無職は川の砂利の所で
寝ころんで石投げてた
これマジ 今ほど息苦しくない社会だから日雇いで稼いで宵越しの金持たないで気楽に生きてただろな 武家の次男以下は長男から金もらって
女買いに行ってた 都市部だと日銭を自分で稼げば文句言われつつもなんとかなるが
地方や田舎でニートモメンみたいな事をすると就寝中に急死する >>6
それは働いてるのでは🤔
現代の世でも自分で生きていく能力のない無職たちの江戸時代版のことだろう 今は賞金がついてないけど2ちゃんねらーが世に蔓延る悪人を叩いてるんで一緒だな
ただ斬れない時代だから無視すれば良いってだけだが 何かすごい面白い江戸時代の絵あったよな
どっかの建物の部屋の中でみんなが酒飲んだり暴れたりしてるやつ >>21
相当裕福でないと無理だろ
当時の武士なんてみんなカツカツの生活してた むしろ働いても高い年貢を納めなきゃいけないから流れ人になりながら日銭稼いでた方が利口だろ >>22
そもそも農作業サボっても暇つぶしなんかないから
サボる奴も少ないだろう 現代はサラリーマンも農家みたいなもんだな
働かなきゃ死んじゃうよって脅されながら働いてもなんもいい事ないからな
年貢を奴隷のように収め続けるのみ 朝から飲み屋で世間話でしょ
八百屋の娘がいい女だとか🤔 10歳で仕事やらされるのが当たり前の時代ぞ
その日暮らしはいたろうが現代のニートや引きこもりみたいなのは庄屋や豪商の倅ぐらいだべ 昔の中国だと孟嘗君などが食客を何百人も置いてたっていうが
その食客になってみたい 農村だとニートなんて無理だ 部屋住みで長男の下働きで一生終える 大根玉ねぎ、がんもにちくわ煮えてなんぼのおでんに候
って言いながら踊ってたんだろ? 江戸時代の方が上がまともだったのは高い年貢でぼったくれたからわざわざ悪さする必要が無かった ある程度の過酷な環境でも寝る以外の空き時間が1時間なりありますよね
娯楽はなにをしていたのでしょうか 江戸時代ってマジで今の日本と被るんだよな
上層部は政治ごっこして下々が力をつけるのを阻止することに全力を注いでる 黄表紙にそういうのあるけど
家が裕福以外まんまモメンやで
以前その手の本の現代訳をしてたサイトあったんやけど
無くなってもうたわ マジレスすると釣り
アジとかキスとか釣って干物作ってた
女湯覗き 庄屋の息子とか可愛い百姓女をやりまくってたんだろうな youtubeに精神疾患者が閉じ込められてた
隠し牢や屋根裏部屋の動画集めてるのあるけど
ケンモメンもそこに押し込まれてそう ニートでも畑作ればどこでも生きれた時代だろうな
農作業は大変だけど 普通に死んでたよ
今の世の中生きてる俺らはこれでも上級の末裔だから生きながらえてるだけ いいとこの武士の部屋住みは遊郭と町で喧嘩沙汰じゃなかったっけ >>65
勝手に誰かの土地開墾したらぶん殴られるぞ 毎日チャカポンで一生を過ごす
でも運命の悪戯で大老になった人もいるけど 散歩とか釣りだろ。土手とか神社で寝転んだりもしてたはず(時代劇より 幕末にやって来た欧米人は、日本人が混浴する姿を見て驚愕した。国辱と感じた政府は、銭湯での混浴禁止に本腰を入れて取り組んだのだった。
◆明治政府は国の面目をかけ混浴禁止に躍起となった
https://www.excite.co.jp/news/article/BestTimes_8146/ >>4
武士の小普請組とか寄合とかは全部ニートだぞ >>75鳥のモノマネがうまいだけで食客になってた人もいるんでしょ 江戸時代に、宿駅、渡し場、街道筋を舞台に、荷物の運搬や、川渡し、賀籠(かご)かきなどを生業とした、住所不定の道中人足をいう。
https://kotobank.jp/word/%E9%9B%B2%E5%8A%A9-56099
ここで、ゴロゴロ寝ころんでいたり、博打(ばくち)を打ったりしている人足を、アゴで使っていたのが人足指(にんそくざし)と呼ばれる部屋頭です。
賭場(とば)は四六時中開いており、部屋頭直属の者が掛け金を貸す代貸元(だいがしもと)の役や壺振(つぼふ)り役を務め、人足たちの労賃を吸い上げていました。
大部屋(おおべや)(人足部屋にんそくべや)
https://www.city.mishima.shizuoka.jp/mishima_info/amenity/rekishi/mishimashuk/misimajjuku.htm 僧形で旅に出ると当時の人は信仰深かったので
食糧とか喜捨してくれたり1晩泊めてくれたりと生活できた
ただし、病気などで歩けなくなくなると行き倒れになる
うちの田舎は街道筋で行き倒れの供養塔があったので
そういう人は多かった様子だ 長屋の家賃が9000円だっけ
テキトーに遊んでても生きていけそう 朝5時ごろ始業で正午には仕事終えて風呂や寄席を楽しんでたようだぞ あの時代、金があっても使う物があんまりなかったからな
今は色んな物が溢れすぎて、欲しいものないけどとりあえず金を稼ぐ
辛い辛い言いながら金を稼ぐ 無職の士族まぁ浪人は芸で日銭を稼いでいたり
それで非人の本職が芸で食べてた人たちと揉めてたりする 今より仕事は沢山あった時代だからある意味セーフティネットが機能してたよね >>95
沢山というか今ほど難しくないイメージ
鍬を降ったりカゴ編みはアホでもできるけど
今はコンビニバイトですらありえない程複雑だし 昔の人って銀行口座とかないのにどうやって金を管理してたんだろ
盗まれ放題じゃん >>99
【通い帳】
昔の買物では、ふだんお客は店に「通い帳」という帳面を持って行き、何を買ったかを書きこんでもらうだけでいちいちお金は払(はら)わず、お盆(ぼん)や年末(ねんまつ)にまとめて代金を支払(しはら)うことが広くおこなわれていました。これを「掛(か)け買い」といいます。 居候 って言葉があるぐらいだから何とかなってたんだろ 非人システムってのがあって税金払えないやつはそこで強制労働。 >>101
キャッシュレスやな
サザエさんも三河屋に配達させるときいちいち代金払ってないしな >>99
>宵越しの銭を持たないことが粋とされた背景には、お金に執着するのがかっこ悪い・災害が多くいつ全てを失うかわからない・人口が多い江戸では仕事にあぶれることがなかったなど、さまざまな要因が考えられます
https://intojapanwaraku.com/culture/102379/
しかし、その800両を隠す場所に困ってしまった。葛籠(つづら)の中の古着の下に隠したが心配になって、神棚の中に隠した。
http://ginjo.fc2web.com/74mizuyanotomi/mizuya.htm
石川五右衛門とか鬼平犯科帳(時代劇)だと、商売やっている人の蔵をおそうとかあるだろ
https://www.rieb.kobe-u.ac.jp/research/publication/newsletter/column_back-issues/file/column183.pdf >>83
四国八十八ヶ所はモロにそういう文化だわ
しかもお遍路を断ると洪水起こされて村が滅ぶんだぜ >>99
そりゃたまには盗まれたけど今君が陥ってるような知らない人間への不信感はなかったと思うよ >この預金は、一般の人ではないです。主に、別家、通い別家であるとか番頭とか手代、自分の親族、鴻池屋が住んでいる町の懇意者、飛脚屋さん、そういうところのお金を預かって、利子を付けているのです。
>一般の人がよく両替屋に、現在なら銀行にお金を預けると言いますが、あれは嘘だったのかということになりますが、嘘ではないのです。
>それは、鴻池新十郎家の帳簿で、萬金銀当座請帳という、そういう帳簿がありまして、そこには多くの人からお金を預かっていると推察しています。
http://moch.daishodai.ac.jp/tanbou/ryogae01_04.html
こんなシステムが広く使われていたのなら「水屋の落語」が成立しないから
両替商の預金が使えるのは今でいう「社内預金」みたいな関係者だけだったんだろう >夜鷹とは、本所・吉田町や、四谷・鮫ヶ橋あたりに出没した下級遊女のことです。
そば一杯の値段で身を任せる「夜鷹」
https://intojapanwaraku.com/culture/135130
昔は昼に時代劇の再放送ばかりやってたから、子供の頃家に帰ってTVをつけてたらこういう知識は自然に入ってきてたわ 江戸時代の生活を知るのに良い時代劇って何か無い?ドキュメンタリーじゃなくてドラマとか映画で🥺 今の時代と違って生まれた時に
身分と職業が決まってて、就職活動とかないしな
親の仕事を手伝って、そのまま引き継ぐだけ >>78
禄をもらっている旗本・御家人だからニートではない。戦時には軍役
平時には普請の義務が課せられる。 元禄御畳奉行の日記でも読めば
無職じゃないけど出勤日が月3日しかない暇人 高貴な上級ならともかく下々の民なら食べられなくて死んでただけじゃないの 40くらいでもう隠居だろ?
短く太くって感じでいいやん >>122
相当裕福な家でないと次男や三男はよそに追いやられて終わりやぞ 江戸時代でも武士の次男三男は厄介者と呼ばれて長男が
家督を継いだ後も部屋住みで一生を過ごした 既出だが街道で人足
「わが住む村」の東海道藤沢宿あたり湘南の良いとこでも
あちこちの農村からあぶれた人が人足になり、真冬でも服が無く筵で寒さをしのげず凍死しまくり
地元民ですら水子の墓は踏めば踏むほど功徳がたまる...が良い諺になるという世界 大店の若旦那とかそうだろ
店は番頭が切盛りしてるんだし 外国の映像で何をするでもなくただ座ってる汚いおっさん一杯おるやん
あんな感じで過ごしてたんやろ 昔でも長生きする人はいるけどな伊能忠敬なんて50歳で隠居してから測量の勉強はじめて73歳で亡くなるまで全国を歩いて測量してた 洒落本だの滑稽本だの歌舞伎とか言うほど娯楽に事欠かなかったよ
田舎は知らんが 交尾しているハエに「こやつめ!虫ケラの分際で!」と妬みながら、シコって寝る >>12
江戸時代の武士の次男坊・三男坊は嫡子である長男のスペアであり
何事もなければ部屋住みのニート
>>45
武士は自動的に年貢が入ってくるからいいけど
百姓だと子供が一家で養えない数になったら
食い扶持を減らすためにそいつを丁稚奉公に出したり
遊郭に身売りしたりとかしてた >>152
「月給取り」自体明治ぐらいにならないとないからね >>1
早ければみんな30代で死んでたから関係ないでしょ 当時は海が豊かだったからな
釣れる魚の種類も数も多く、カニやエビ、貝や海藻などもいくらでもとれた
今は海が死んでしまって何も取れなくなってきてる
自然を破壊して高いビルを立てて「どうだ!これが文明だ!」と現代人は胸を張ってるが
自分たちの愚かさに気づくべきだ >>123
戦時なんて存在しなかったし普請義務つっても自分で行くわけじゃない
まあ侍としての教育は受けてただろうけどそれでもやっぱり親方徳川家のゴクツブシよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています