江戸時代のニートや無職って何をしてたの? [121769341]
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>>99
>宵越しの銭を持たないことが粋とされた背景には、お金に執着するのがかっこ悪い・災害が多くいつ全てを失うかわからない・人口が多い江戸では仕事にあぶれることがなかったなど、さまざまな要因が考えられます
https://intojapanwaraku.com/culture/102379/
しかし、その800両を隠す場所に困ってしまった。葛籠(つづら)の中の古着の下に隠したが心配になって、神棚の中に隠した。
http://ginjo.fc2web.com/74mizuyanotomi/mizuya.htm
石川五右衛門とか鬼平犯科帳(時代劇)だと、商売やっている人の蔵をおそうとかあるだろ
https://www.rieb.kobe-u.ac.jp/research/publication/newsletter/column_back-issues/file/column183.pdf >>83
四国八十八ヶ所はモロにそういう文化だわ
しかもお遍路を断ると洪水起こされて村が滅ぶんだぜ >>99
そりゃたまには盗まれたけど今君が陥ってるような知らない人間への不信感はなかったと思うよ >この預金は、一般の人ではないです。主に、別家、通い別家であるとか番頭とか手代、自分の親族、鴻池屋が住んでいる町の懇意者、飛脚屋さん、そういうところのお金を預かって、利子を付けているのです。
>一般の人がよく両替屋に、現在なら銀行にお金を預けると言いますが、あれは嘘だったのかということになりますが、嘘ではないのです。
>それは、鴻池新十郎家の帳簿で、萬金銀当座請帳という、そういう帳簿がありまして、そこには多くの人からお金を預かっていると推察しています。
http://moch.daishodai.ac.jp/tanbou/ryogae01_04.html
こんなシステムが広く使われていたのなら「水屋の落語」が成立しないから
両替商の預金が使えるのは今でいう「社内預金」みたいな関係者だけだったんだろう >夜鷹とは、本所・吉田町や、四谷・鮫ヶ橋あたりに出没した下級遊女のことです。
そば一杯の値段で身を任せる「夜鷹」
https://intojapanwaraku.com/culture/135130
昔は昼に時代劇の再放送ばかりやってたから、子供の頃家に帰ってTVをつけてたらこういう知識は自然に入ってきてたわ 江戸時代の生活を知るのに良い時代劇って何か無い?ドキュメンタリーじゃなくてドラマとか映画で🥺 今の時代と違って生まれた時に
身分と職業が決まってて、就職活動とかないしな
親の仕事を手伝って、そのまま引き継ぐだけ >>78
禄をもらっている旗本・御家人だからニートではない。戦時には軍役
平時には普請の義務が課せられる。 元禄御畳奉行の日記でも読めば
無職じゃないけど出勤日が月3日しかない暇人 高貴な上級ならともかく下々の民なら食べられなくて死んでただけじゃないの 40くらいでもう隠居だろ?
短く太くって感じでいいやん >>122
相当裕福な家でないと次男や三男はよそに追いやられて終わりやぞ 江戸時代でも武士の次男三男は厄介者と呼ばれて長男が
家督を継いだ後も部屋住みで一生を過ごした 既出だが街道で人足
「わが住む村」の東海道藤沢宿あたり湘南の良いとこでも
あちこちの農村からあぶれた人が人足になり、真冬でも服が無く筵で寒さをしのげず凍死しまくり
地元民ですら水子の墓は踏めば踏むほど功徳がたまる...が良い諺になるという世界 大店の若旦那とかそうだろ
店は番頭が切盛りしてるんだし 外国の映像で何をするでもなくただ座ってる汚いおっさん一杯おるやん
あんな感じで過ごしてたんやろ 昔でも長生きする人はいるけどな伊能忠敬なんて50歳で隠居してから測量の勉強はじめて73歳で亡くなるまで全国を歩いて測量してた 洒落本だの滑稽本だの歌舞伎とか言うほど娯楽に事欠かなかったよ
田舎は知らんが 交尾しているハエに「こやつめ!虫ケラの分際で!」と妬みながら、シコって寝る >>12
江戸時代の武士の次男坊・三男坊は嫡子である長男のスペアであり
何事もなければ部屋住みのニート
>>45
武士は自動的に年貢が入ってくるからいいけど
百姓だと子供が一家で養えない数になったら
食い扶持を減らすためにそいつを丁稚奉公に出したり
遊郭に身売りしたりとかしてた >>152
「月給取り」自体明治ぐらいにならないとないからね >>1
早ければみんな30代で死んでたから関係ないでしょ 当時は海が豊かだったからな
釣れる魚の種類も数も多く、カニやエビ、貝や海藻などもいくらでもとれた
今は海が死んでしまって何も取れなくなってきてる
自然を破壊して高いビルを立てて「どうだ!これが文明だ!」と現代人は胸を張ってるが
自分たちの愚かさに気づくべきだ >>123
戦時なんて存在しなかったし普請義務つっても自分で行くわけじゃない
まあ侍としての教育は受けてただろうけどそれでもやっぱり親方徳川家のゴクツブシよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています