大島 それにしても、明松は20代半ばから40代半ばまでを「めちゃイケ」に捧げたんだよな。ADからディレクター、そしてプロデューサーと歴任して。

明松 そうよ。辞めたいとか逃げ出したいとか、1回も思わなかったし。飛鳥さんを中心に、皆で同じ方向を向いてるっていう稀有な番組だった。普通はスタッフがあれだけいると、色んなベクトルが混ざってギクシャクしたりするじゃん。全員が同じベクトルで「これが面白い!」っていうのはそんなにないのかなって。あの純度の高さが好きだったな。

大島 プロデューサーになったのはどういう経緯で?

明松 作り手として、上の人との差は、努力すれば絶対に抜けると思ってたんだけど、「抜けないな。あれ? 広がってるんじゃないの」っていうのが2008~09年頃。2010年に、「プロデューサーをやらせてください」って言うんだけども。

大島 なるほど。じゃあ演出の方向ではもう……。

明松 そう、壁にブチ当たりまくってて。演出家としては、もう限界かなっていうのがあって。

大島 これは世間で思われていることとは違う部分で、なんとなくプロデューサーのほうがエラいっていう空気があるじゃない。でもバラエティ……少なくとも「めちゃイケ」班とかだと違うんだよね。

明松 そうだね。演出部の方が上。

大島 やっぱり演出できてナンボ、みたいな感じだったんだろうなあ。結局、我々の同期もバラエティに5、6人いたけど、プロデューサーとしてブイブイ言わせたいとかじゃなくって、圧倒的な「総合演出」をやりたいっていう感じだよね。

明松 そうよ、演出家として大成したかったっていうのが今でもあるけれども、「いや、ちょっとこれは」っていうのが、痛いほど解って。でも「めちゃイケ」を離れるっていう選択肢はなかったから、飛鳥さんに「プロデューサーにしてくれたほうが番組に貢献できます」って言ったのよ。

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