回教徒だけの特別な飲み物
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 初め珈琲は回教徒だけが飲んだ。西暦九〇〇年頃のアラビアの著名な物理学者ラーゼスの記録に、バンまたはバンチャムと書かれ、アラビアの医王、アビシェンナは珈琲を薬用としているそうである。

回教徒の珈琲は果実または核を火に焙り、または錫でいり、木製の篦[へら]でこがさぬように褐色になるまでいり、それを乳棒で砕いて熱湯をそそぎ、その粉末まで全部飲む。

今日でもトルコ人の珈琲は舌にザラザラするくらいのを美味とするのはその余風だろう。「紅毛本草」にも「また豆殻を用いる方あり、トルコ帝これを用いシュルタン流という」とある。

粉糖を入れることは一六〇〇年頃カイロで始められ、ミルクを加えることは一六六〇年駐支オランダ大使ニイホフなる者が始めたといわれる。

トルコにコーヒー店が開かれる
 一四五四年頃アデンの回教解説官シェーク・ゲマレディンはアビシニア旅行中珈琲の価値を発見して、アラビア・フェリクスで一般人の飲用を許可したのが、メッカ・メジナにまで伝わり、一六〇〇年頃回教の巡礼僧ババ・ブダンによりセイロンに伝えられた。

またトルコ帝セリム一世が、一六一七年エジプトに遠征のみぎり兵をペルシャまで進めた。その時エジプトからコンスタンチノープルに珈琲が伝えられたといわれている。

トルコ各都市に珈琲店が開かれたのは十六世紀の初め頃といわれ、これは我国の足利氏の末期でポルトガルの商船が初めて豊後に現れて大友氏と交易した頃にあたる。
一五一一年にカイロにはじめて珈琲店ができて、同三〇年にはダマスカスに、三二年にアジアトルコのアレッポに、コンスタンチノープルには少し遅れて五四年に開業した。

アウグスブルグのドイツ人医師レオナルド・ラウヴォルフが一五七三年にアレッポの町に多くの珈琲店があったことを一五八二年版の著書に「立派な飲料として一般に高く評価されているのは、チャウベとよばれているものだ。

それはインキの様に黒く胃にたいへんよいものである。またブンネットと呼ばれる珈琲の実について、これはアラビアの学者アビシェンナのいう、ブンコオまたはラーゼスのいったというものだろう」と記述している。

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