太平洋戦争末期、機体トラブルなどで帰ってきた特攻隊員を次の出撃まで収容した旧陸軍施設「振武(しんぶ)寮」(福岡市中央区薬院)跡地でマンション建設が進んでいる。振武寮を巡っては戦後、元隊員らが「収容中は生還したことを上官に激しく非難され、暴行されることもあった」と証言している。
日本が無謀な戦争に突き進んだ日米開戦から8日で79年。惨禍を語り継ぐ体験者が少なくなる中、戦争遺跡の保存・継承を求める声は各地で高まっている。専門家は、埋もれた特攻の歴史を語り継ぐ必要性を訴える。

振武寮は1945年、特攻作戦を主導した旧陸軍第6航空軍が福岡女学校(現在の福岡女学院中・高校)の寄宿舎を接収して創設。生還した特攻隊員約80人が収容された。特攻部隊の名称「振武隊」が名前の由来とみられる。公的資料が見つかっておらず設立経緯は不明だが、死んで「軍神」になったはずの隊員が生還していることを隠すため隔離し、次の出撃で特攻を成功させるため再教育していたとされる。

振武寮の存在は旧陸軍の元幹部や元特攻隊員への聞き取りを重ねた記録作家の林えいだいさん(2017年に死去)の著書「陸軍特攻・振武寮 生還者の収容施設」(07年)などで知られるようになった。林さんは同著で、軟禁状態の隊員らが軍の参謀に「突入した軍神に恥ずかしくないのか」などと面罵され、軍人勅諭を延々と書き写させられたり竹刀で殴られたりした日常を明らかにしている。

https://mainichi.jp/articles/20201206/k00/00m/040/004000c