一向一揆「百姓による百姓のための楽園みたいな国を作りてえ…」失敗した理由 [221853281]
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一向宗がカルトだったから
死後極楽に行けると洗脳してるのに現世で極楽のような暮らしをされては困るんですよ 安城のナントカ大河に乗っかりたいけど乗っかれない感が悲しい 実際にはカルト教団の生臭坊主たちの私欲による戦争だから
共産党の暴力革命みたいなもんで市民から胡散臭がられてたのよ というか一向一揆は守護代、国人層の内紛または宗派内派閥(ここでは本願寺派と高田派)の教線争いの要素が色濃いので純粋な農民一揆のドイツ農民戦争とは一線を画す 一向衆も一枚岩じゃ無かったからな
本願寺の坊主も居れば武士も居るし農民も居る
それらを上手く制御できなかった 三河一向一揆の場合は教団主導じゃなく
ローカルな利権対立らしいけどな 不入特権を主張する三河三ヶ寺と教団の利権を解体して三河国統一を目指す徳川家康との対立が始まり
そこに真宗門徒の松平家臣や今川氏残党や三河豪族の吉良氏が加わってぐっちゃぐちゃに >>18
元々清康以降の松平党って内輪揉めばっかしてて敵味方グチャグチャなんだよな >>19
国民国家という概念のない16世紀日本とそれを比較する意味はあまりない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています