【悲報】「源平合戦」について詳しく教えてください🥺 [616817505]
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>>117
一番の手落ちは都落ちの際に後白河法皇の身柄を確保できずに比叡山に逃げられたことだわなあ
知盛が宗盛より先に生まれていたら歴史が変わったかもしれないとも言われている 鏑矢ひゅーん!
おお、見事じゃ!
浮かれて踊る男が射られる 治承・寿永の乱、三河国額田郡の歴史は語るべき話が多い
その三河国額田郡で生まれたの徳川家康
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼を生む 天皇の子供だけど天皇になれそうもない奴が臣籍降下して源氏とか平氏になる
桓武天皇の子が平氏になったのが桓武平氏、
嵯峨天皇の子が源氏になったのが嵯峨源氏、
清和天皇の子が源氏になったのが清和源氏、
みたいな感じで系統が発生する >>150
三河の隣の尾張って、ヤマトタケルノミコトが
関東に向かう時に縁があったという熱田神宮が
あったり、古代にかなり有力な氏族であった
という尾張氏の根拠地であったり興味深い地域
なんだよな。
額田王の時代に近い壬申の乱においても尾張連
大隅の活躍があるとか歴史の端々に姿を表す。
同じように古墳が沢山あり鹿島神宮のある関東と
共通して太平洋を伝う海路の延長線上に有る点も
興味深い。
このあたりって、かつての日本列島の姿を映して
いるんだろうな。 >>155
熱田にある剣は、元々は伊勢にあった
伊勢の前は三輪山
三輪山の大神神社の奥の院は三河国石巻山
社格
石巻山(三河国)>三輪山(大和国)>伊勢神宮(伊勢国)>熱田神宮(尾張パゴヤ)
やはり重要なのは三河国なんだが? 清盛の福原港整備、日宗貿易振興
海外展開
物々交換から東アジア国際通貨である宗銭での貨幣経済導入って
時代を先取りし過ぎてたな
商業・貿易経済振興 >>110
生きるため、領土のため、食べ物ため
に日本人同士が殺し合いをする
権力争い >>160
権力者という悪と悪との戦い
正義がない時代 結局のところ
赤が勝とうが青が勝とうが
奴隷のまま
勝者により悪が祭りあげられた 保元の乱平治の乱の頃から源氏と平氏って敵味方入り混じってるからよくわからなくなるんだよな
結局最後は頼朝と義経の源氏同士争ってるしその頼朝もろくに続かずに北条に乗っ取られて終了
諸行無常すぎる 自民にあらずんばひとにあらず
驕る自民は久しからず
山上の乱
世が世ならこんな感じなんだよなわーくに 義経を悪 しかも怪鳥音発しながら高笑いする基地外としてデザインしたのは当時からしたら凄いセンス 器が小さい運が良いだけの頼朝のせいでみんなメチャクチャだよ てか頼朝は神輿として担がれただけで坂東平氏と平家の争いだから >>134
屋島は香川県だし
「壇」の浦の近くの彦島は山口県だな >>33
壇ノ浦
だからいまだに山口のやつらがのさばってるやろ >>177
適当に代わりのもの作ってOKならもうなんでもありやん 壇ノ浦での平家殲滅戦なんて
残虐もいいとこだわな
天皇まで殺害してるし
後醍醐との対立においた、後醍醐側にも問題あるのに
極悪人扱いの尊氏は、ちょっと気の毒で
頼朝のほうが極悪人だよな >>114
創作ではないやろ
義仲の家来の樋口兼光、今井兼平の妹だの出自は諸説あるが、義仲と子供の頃から一緒に育てられた >>179
安徳天皇は源氏が殺したのではなく、一緒にいた母含めた宮女達が一緒に入水自殺したんだろ。
母の方は源氏方に救出されたが >>179
義経が船頭を射よと命じたのも平家の敗因の一つ。
人道(武士道?)に反するとかで梶原景時が怒って
頼朝にチクったみたいだが シグルイとか葉隠れにホモ描写が出てくるけど一般的に武士ってホモだったんですか? ハイ
戦場には女を連れて行くと戦神を怒らせるので
男同士で性処理してました
我慢しろよと思われると思いますが
戦場で命がかかると本能が刺激されてしまうようです 漫画で海から救い出された建礼門院が
船上ですぐに犯されたのを見たけどな。
実話かどうか知らないけど。まあ
描写はなく「あ〜れ〜」という声が
書かれていただけだけど相手は
大将クラスとだけ記しておこう >>167
義経悪役は手塚が火の鳥でやってるし多分それ以前にも普通にあると思うよ 源平、言うけど結局のところ後白河のひっかき回しじゃね
その後白河が徳子を見舞い現世の非情を悟って(つうかお前のせいやw)「平家物語」は幕を閉じる 6歳年上の姉さん女房をもらった高倉天皇は
十代で亡くなったんだな、上皇になった後だが >>186
ホモだよ
僧侶もホモ(空海が稚児セク文化を唐から持ち込んだ)
公家もホモが多い(後白河天皇も藤原信頼も藤原成親も両刀)
武士もそれを真似てホモ化
室町末期にはホモは完全に武士の嗜み。和歌みたいなレベル。 平氏と平家の違いを教えてくれた中学時代の先生には感謝している ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています