【画像】諸葛亮の北伐、想像の3倍くらい無理ゲーだった [976976205]
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遊牧民の軍勢ならチートで少数でも楽勝に征服できる可能性あるけど
同じ漢人の兵隊だからな そもそも中国史で南から北に向かって大功納めた奴がレアだからな
韓信李靖徐達常遇春とか建国勲功第一位レベルが500年に一度成功できるかどうかであって諸葛亮ができるわけない 魏が腐敗して弱体化するのを待っていたら蜀のほうが先に腐敗してしまった 後の五胡の諸勢力と関係を築きつつ挟み撃ちにするしか方法はないと思うんだが諸葛亮はその辺の外患情勢に明るくなかったのだろうか
烏桓やらは曹魏がある程度丸め込んでたんだっけ >>13
後の時代だと南側王朝の方が栄えてたりするからな >>13
当時の南部は未開発
呉は支配領域は広かったけどまだ統制が行き届いてなかったんよ 過去の成功体験になぞらえればうまくいくなんて妄想は現代人でも持っちゃうからね 緑が平野部ってことでいいのか?
ガイジみたいな地形図だな >>19
意地というかメンツなのかもな
過去に何度も何度も他国に奪われたことへの意趣返しみたいな 荊州取られた時点で実質的に詰んでる状況の中で
うっすい可能性に賭けて北伐を断行するって状況だし、だから出師表が心をうつわけで つまり荊州を取られた髭が美しい(笑)しか取り柄のないカスが大戦犯 北伐した結果司馬懿が声望を高めて司馬氏が魏を滅ぼしたので実質成功 >>2
こうしてみると関羽が生きてて荊州があったころの蜀ってけっこうな大国なんだな 確かに北方の遊牧民族と組んだらワンチャンあっただろうにな 農耕に適した土地どれだけあるかだから
山ばかりとか広くてもなんの意味もない >>19
明初期以外から清までずっと国都だし
ライバル国民党の首都が南京だったからな
南部が経済発展して以降はそちらを首都にすると北を置いていってしまう あんだけ北伐を繰り返して生きている間は国が傾かなかったし内政の達人ってやつだな
軍事は全く向いてなかったと思うけど 内政で獅子奮迅の働きを見せて蜀から北伐を仕掛けた諸葛亮の内政力がキチガイレベルとも言える 劉邦が勝てたのは相手が都を燃やしてさっさと帰るアホだったから… 陳慶之くらいわけの分からない戦績の将軍いたら勝てたかも
7000人で47戦全て勝利して32城落として北伐成功させちゃうんだから 軍事でも決定的な敗北をしなかったという点で、諸葛亮は内政ほどではないにしろ軍事でもかなり傑出した才覚があった 北海道とか東北の熊とか猪のほうが多い地域を支配してただけなのかねえ?
だからこそすごい執念なわけだが 最終勝者である司馬炎の知名度が日本で皆無だのはなんでなん? 一歩間違えば国が滅びかねない戦いをして大変な重圧だっただろうね。孔明はベストを尽くしたと思う。 やっぱり孫権が関羽討ち取ったちゃったの悪手だよな
ターニングポイントだったかもしれない娘を犬の子扱いされたとはいえ >>48
魏の連中正当性ないですよこっちが本当の漢ですというのが蜀の立場なので
北伐掲げないとただの地方の反乱勢力になってしまう 今の成都はパンダ基地があるよね花花っていうアイドルパンダがおる 北伐しない選択の場合は蜀は100%滅ぶので
0.1%でも勝ち筋がある北伐をしたんでしょ
もちろん蜀の存在意義とか政治的な意味合いもあったし
政治的にも北伐はしなければならなかった >>2
思ってるよりも川あるんだな
しかし呉は、よくこれ支配出来たな
イメージ的に赤壁は
もっと中央のイメージだけど東だな
イメージより中央に固まった場所で戦い起きてるんだな >>2
思ってるよりも川あるんだな
しかし呉は、よくこれ支配出来たな
イメージ的に赤壁は
もっと中央のイメージだけど東だな
イメージより中央に固まった場所で戦い起きてるんだな 北伐というより呉の方面からの蜀取りによく成功したなと思わせる地図 蜀は水牛が主だから運輸に向いてなかった考察すごい好き >>13
この地図で土地だけじゃなくて都市の数も見るべき 形式的には漢→魏が禅譲だったのでそのままだと劉備も孫権も反乱軍になってしまうので
劉備は漢の正統を主張して蜀漢帝になり孫権は魏の傘下で呉王に封じられた >>2
中国史の知識ないやつが描いたの丸わかりだな >>56
川がちゃんとあるから漢中辺りから行くより楽やろ
北伐に関しては初回が千載一遇のチャンスやったのにあそこで結果出せなかったのがすべてじゃね
完全に油断してたからな
魏の対応が良かったのも想定外やったろうけど
当時あの辺りの防衛にあたってたのは稀代のボンクラだったが即座に引っ込めて使えるやつに変えたり
孟達の反乱も司馬懿が独断で軍を動かしたことで迅速に鎮圧された
本来なら一週間以上かかるから孟達もそれに合わせて準備してたしな >>61
関羽と劉備ってどのくらい密に意思疎通してたのか気になるよな
地理とか関羽の行動を見るとほとんど独立勢力のムーブなんだけど
劉備は関羽を疑うような言動は残してない 蜀漢の存在意義は北伐なのでこれをやめた時点でただの漢王室の僭称者になっちゃう
正当性がない(疑わしい)と北宋の趙光義とか南宋の趙構みたいに当時の知識人はもちろん後世まで「でも正当性がさあ…」ってされるはめになる >>2
そら魏はチンソウの守り固めるわな
守り固めてるとこに攻め込むのはナポレオンでもキツい
魏延の進言通り山越えて長安奇襲してたらいけたかもな >>63
本来めちゃしないように特に対呉対策に諸葛亮付けてたはずなんだよね
劉備が苦戦してると聞いて調子に乗ってやってきたせい これ見ると、当時の荊州や襄陽だった辺りが今はそれほど発展してないのはなんで? まあ南から長安をワンチャン落とすだけなら後の劉裕も成功させてるし
問題は維持できないことであって 滅亡寸前までいった夷陵の大敗で魏は完全に蜀舐めてたから
第一次北伐が最初で最後のビッグチャンスだった >>72
士燮さん元は魯国の出やろ
よく交州のあたりの人と言葉通じたよなと思う >>26
そもそも呉も益州とろうとしてたのにアホアホ三兄弟が益州どころか荊州までかっぱらったから
それはなんとかうやむやになりそうだったのにアホヒゲがイキって呉に喧嘩売ったから
領土問題や蜀と呉の、魏に対する姿勢の違いからいずれ同盟は破綻しただろうけど
イキりアホヒゲに外交センスがあればもう少し長持ちしたはず 曹操「鶏肋」
新入社員「???」
曹操「鶏肋!!」
俺先輩「撤退しろ、ってことだよw」 >>69
襄陽は南宋くらいまでは軍事的最重要地だし
明清期も湖北湖南あたりは穀倉地帯として重要
現代は海外との貿易があるのでどうしても上海や広州、天津が有利かな
総じてパワーバランスが古代より海側に傾いてる >>35
荊州益州漢中持ってようやくって感じだよなあ いっそ南進すればワンチャンあったな
二度と戻れんだろうけど >>54
中華の支配ってのは実質中原で盟主になることだからな
呉の支配域とか長い間蛮族の地扱いだったし >>26
荊州という要地の取り合いだよ
元々は劉備が益州取ったら荊州返すよと言ってたけど益州とっても荊州返さなかったから
呉がそっちがその気ならと魏と組んで荊州を取り返した。 >>73
科挙とかキチガイレベルの超超難関試験で、それを突破したやつらですらほとんど歴史に名前が残らないのが中国だからなあ
沮授とかですら大天才レベルだったと思うよ 魏は項羽の楚より国家としてきちんとしてるしずっと強いだろうからな
仮に韓信や張良がいたところでどうにもならんだろうね >>86
この時期はコネ全開の郷挙里選だからたぶん言うほど学問はできないぞ
科挙がヤバいのは同意するけど >>5
劉邦の時の首都は漢中
蜀漢の頃の漢中は住民がみんな曹操について行ってしまってもぬけの殻で軍事基地くらにしか使い途ない都市になってた >>79
なるほど、地理的な問題か
それにしても更に内陸の重慶や成都よりも発展してない気がする 蜀て日照時間少なくて焼き畑農業やってるような地域て聞いたな
天水に進出したのも(麦)、漢中で屯田兵したのも兵糧確保でしょ? >>86
むしろ中国は学歴社会の官僚制度が前例主義に陥ったので
革新性を失っていき近代化の点で欧米に負けてしまった 陳寿だっけ?北伐を批判してなかったかな
当時、北伐しなくても求心力を失うってのはおそらく無さそう >>86
進士になれなかった奴のが良くも悪くも中国の歴史動かしてた説 >>40
北伐の期間、諸葛亮は漢中に駐屯してて内政なんてしてないぞ いや蜀漢にとっては北伐は生命線だし存在意義そのものでしょ
それをプロレスと割り切れてれば歴史が変わったかもしれない >>94
諸葛亮が必死に何度も攻撃して欲しかったのは長安じゃなくて岐山だったもんな
ここは周王朝が天下統一した原動力になった穀倉地帯がある ぶっちゃけ北伐って曹魏打倒とか勝ち負けなんかどうでもいい名目で蜀が空中分解するのを防ぐ権力維持の為の戦争だし
ナチが借金の支払いから逃げる為に戦争したり北朝鮮が先軍政治やってるのと同類
征服の為じゃなく権力維持の戦争の証左に蜀は他の2国と比べ国民の兵士と官吏の比率が異常に高い 蜀 儒家
魏 法家
これで三国志を見ると色々わかりやすい 屯田したりして、規模がでかいインパール作戦みたいなもんだったからな。 >>92
淮南の三叛のことなら弱いな
本当に悪政を敷いてたら農民反乱起きるけどそんなもの起きなかった
唯一起きたそれは侯音の乱だけど小規模で拡がらずにワンパンで消えた反乱だった >>64
蜀漢は記録残すのがおろそかだし敗者だしで
野戦指揮官クラスの名前が残ってない可能性がある
すくなくとも北伐の尋常じゃない行軍速度と転戦ぶりは
それを動かせるだけの指揮官が複数いたはず >>94
昔の灌漑設備が残ってて
狭いわりには収穫量が多かったそうだ
まあ焼石に水なんだけど >>14
主君の劉備自身が、財産無く名だけだったからね。 >>109
北伐の速度が速いのは諸葛亮の軍に輜重隊がなかったからで
敵が準備を整える前に攻撃する電撃作戦が強みだけど弱みになるので敵が持久戦を構えを見せたら勝てない >>93
諸葛亮は魏延を斬れとは言ってない
遺言に従わなければ無視して全軍撤退しろって指示した
それでしぶしぶ付いてくるようなら魏延は諸葛亮の遺訓を守って殿を務めたって体裁をとれただろうけど
事態を察した魏延が先回りして蜀軍の退路を絶つという
無茶苦茶かつ相変わらず戦術レベルでは謎に有能なムーブを噛ましたせいで謀反人として処断するしか無くなった 三国志は儒教フィルタのせいで古臭い
漢楚の戦いの頃の方が人物が現代的に見えるよな 荊州を呉に取られたのが全て
荊州経由以外は全部同じような道ばかり >>112
いやあっただろ
上に書かれている民における兵の割合が高い話にもなってくる
老人とか子どもとかも動員して食糧はこんでた >>66
奇襲に成功しても維持しきれないなら意味ないわな >>88
コネつっても進士になれたキチガイレベルの連中とか、少なくとも挙人くらいまではなれた大天才くらいは幾人も見てきた謎のおっさんとかが
「こいつは何かやりそう!」とか「うーんこいつは成功しそうな顔だ!」とかで評価した連中のわけだろ
だから何かしら才能あるのが多かったと思う >>113
魏延はあの性格で陣地維持に能力を発揮していたのが面白い
姜維はそのへんがちょっと不得手な感じがする 三国時代の天下分け目の戦は
官渡の戦い(曹操vs袁紹)だからな
あそこで勝ったから曹魏の天下が確定した
呉と蜀?おまけだろ 第一次北伐で、天水地方を蜀の版図に組み入れたけど、
あの馬謖の街亭で大敗して隴西の地を完全に失ったから。これが全て
これ以降二度とこの地を蜀が手に入れることはなかったし >>98
進士までいくと頭良いとかじゃなくサヴァンみたいのがすげー多そう
だって童試の時点で頭切れるとかそういうレベルじゃないし >>118
郷挙里選は地方の豪族の有能な子弟を中央政府が登用することで
地方支配も盤石化するというシステムなんだけど
後漢中期以降は外戚と宦官がコネ全開で枠確保するので勉強は微妙
(重視されたのが親孝行というのもある)
ただなんとしても中央にねじ込む気概・名声・財力は必要だろうから
単なる受験秀才よりイキが良い面もあっただろうな >>122
関羽は荊州にコネなさそうだし
本来は孔明がよかっただろう
孔明も流浪の身だけど荊州にコネしっかり作ってた
まあその荊州閥を蜀の中枢に連れていったからこその
孔明の権力確立なんやけど 長安落とせばなんとかなるだろ
以前やその後の歴史を見てもやる奴はやる
蜀には出来なかったというだけのことよ >>13
現在訪れても分かるくらいクソ山だらけやぞ南の方 魏を討つのは蜀の国是だからしゃーないんだよな
こんな土地で北伐の費用捻出できるだけ経済強化した諸葛亮はやはり有能だった >>123
馬謖は泥被りつーか生贄
明らかに作戦がクソ、曹魏ナメて即応する事を考慮に入れて無い
陣地構築する前に速攻されたら馬謖以外でも結果は大差無いだろう >>128
「よっしゃ、長安方面混乱しとるやん!」
「ここは馬謖起用や!」 >>130
それはどうかな?
勝ち目の薄い戦争を国是にする国家指導者は有能か? あ、そうか科挙制度が隋唐以降というのを共有できてないのか
中国の人材登用制度は郷挙里選→九品中正→科挙という推移を辿ってる
三国志の時代に出てくる群雄の多くはこの郷挙里選で推薦されて歴史の舞台に上がってるんだな
大雑把にいえばどれも中央が地方の有力者を手なずけるための制度だけど
科挙制度が確立してからは非常に公平性が重んじられるようになった >>131
長安に皇帝親征してきたからな
魏もバカじゃない 北伐自体が一か八かなら子午谷抜けて長安を取りに行く作戦も一か八かでやってみればよかったのに 孝廉や郷挙里選を否定して科挙になったけど科挙に受かるどころか受けられるレベルの教養身につけるには莫大な時間と金いるし結局金持ちばっかになっちゃってるんよな
在野から拾い上げるってのはまず無理なレベルのキチガイ難度だし >>46
すぐ落ちた三日天下的な中継地点でしか無いから 劉邦のムリゲーひっくり返しの事を多分当時でもgdgd言われてそうだよな
そうそう歴史上あんな勢力図の転換の仕方起きるわけねーだろって >>136
相手が張郃ってのも馬謖の不運だったな
あの時点における三国の中で1番戦歴の長い名将相手じゃそりゃあ無理よ ゆーて華北統一する曹操のほうが無理ゲーだろ
華北統一するバケモンと張り合えるだけでスゴイ >>141
楚漢戦争期は関中の生産力が三国時代よりもずっと高いんだよな
あとやっぱり項羽には全国政権のビジョンが乏しかったようにみえる >>131
普通に負けて撤退して来ましたなら馬謖もツキが無かったよねって話なんだけど
何故か山に籠った結果軍団が丸ごと消滅してて
王平が踏ん張って撤退戦しとるのを尻目に本人なんか向朗の所とかに雲隠れしてたらしいっすよだから
そりゃ厳罰でも仕方ないんじゃないの >>143
張郃クラスを前線に送り込めること自体が強い
蜀だと張飛(生きていれば関羽も)をそんなに気軽に動かせないし そろそろ評価がめちゃくちゃ変わった武将とかおらんの? >>146
十八王冊封してるし秦帝国前に戻すのが項羽の望みだったんだろな
項羽は西楚覇王として周王室目指したのかその下の春秋の覇者みたいな存在になりたかったのか
一度統一されたことで中華自体が変わったことに気づかなったのかな 魏国は内部ボロボロだったから普通にチャンスあったぞ
曹丕も曹叡もボンクラで早死だったしな >>135
あれ、漢の時代はまだ科挙ないんだっけ
それは前提からして間違ってたな
すまんこ🙇♂ >>141
項籍が馬鹿すぎた
鴻門の会からたった4年で死んでるからな
劉邦を左遷してから2年くらいで巻き返されて3年で決定的な戦力差になってた >>147
馬謖の登山って何故か駿才の馬謖が突然発狂して傲慢になって忠実だった諸葛亮の命令無視して有り得ない選択して山登りしたみたいになってるけど普通に考えておかしいと思わんか?
オレは魏が諸葛亮の作戦が元から魏をナメて甘い想定してたのに対し魏が速攻を鮮やかに決めた結果だと思うがな >>152
戦国時代ですら氏族社会の体制じゃ限界来てたからな
その改革に徹しきれずに楚は負けたわけで
秦は秦でやりすぎたけど 長安先に落としても天水と洛陽からハサミ打ちにあって守り切れるの?
馬謖が失敗しなけりゃ北伐成功してたんじゃないの? あー上見て分かったけど孝廉だ
それと勘違いしてたのか 北バツで口減らししないと国内が持たんのだろ
今の日本かよ >>88
イケメンだとほぼ自動的に昇進できたらしいな 馬謖のやらかしと孫呉の裏切りがなければ曹魏はかなりやばかったね
黄河より南は蜀と孫呉の領地になってたかもしれない >>153
あの時代に政治工作や情報戦の概念があれば違ったのかな >>166
あの時代にも情報戦も政治工作もあっただろw 守り強い関中引きこもりで良くねって思うな
無駄に国力浪費してやられたんだし
引きこもると内部分解でもしない限り相手も力つけるから結局はどうにもならんが 曹魏は曹一族と九品官人法組の対立構造もあったから
領土は広くとも盤石ではなかった
だからこそ司馬懿もクーデターを起こす余地があった >>156
孔明閥ってガンダムで例えればティターンズみたいなもんやろ
孔明の故吏である馬謖が傲慢になってもおかしくはないかも >>164
荀彧は超絶イケメンだったらしいな
つうか曹操ってちょっとバイ寄りじゃねえのと思うときあるわ
なお根拠はない >>152
よく言われることだけど、項羽は出自もあって統一って考えがなかったんじゃないかって
その通りだったんじゃないかって思う
春秋五覇みたいになれたら満足だったんじゃないかなあ
人材とかの面もあるけど統一目指すには行動がガバガバすぎる >>159
天水確保はできてたかもしれないが
完勝はむり >>174
つってもあの頃は寝台で寵臣といっしょに寝たというし >>175
そもそもが主君との約束を反故にして劉邦をぶっ殺そうとして手柄を横取りしたり
その主君をぶっ殺したりしてるから
ただの権力欲に取り憑かれたアホだろ
おじが戦死しなければ大人しく劉邦と一緒にその主君の部下をやってたと思うよ >>87
今の孫子まとめたのが曹操だから
蜀と呉では格が違いすぎる >>179
そういう細かいこと言うと
漢民族しか居ないのって中原のほんのわずかな土地しかなくなる
俺らが感じてるよりかなりまだらに異民族が住んでる >>184
関羽を置いた時点で、呉に譲ったみたいなもの?関羽、何年くらい荊州を守れたの? >>186
生きていれば龐統かな
関羽の補佐でもいい
龐統もなんだかんだ荊州に食い込んでた 馬謖とかいう奴がやらかさなかったら勝てたの?
泣いて馬謖を斬るというフレーズが現代日本にまで伝わるくらいのやらかしなんだろ? 諸葛亮は多分プライド高くてめんどくさかった関羽を遠ざけたかったから荊州の守りを任じたんだろうな 思ったより平地あるし呉が荊州寄越せって言うのも当然やな… ガキの頃に横山で読んだ頃と比べ関羽の評価ほんと一変したな >>196
呉からすると広陵維持できないと死活問題になるし
そのためにはもっと上流も抑えたいからな
ただトータルで見ると魯粛路線のほうが正しかった気もする 関羽は神扱いされてるし中国でも人気は絶大だぞ
何年か前には巨大な像も建てられてたしな 龐統と法正が生きてたら荊州も守れて北伐も成功してた未来もあったかも知れんね🥺 三国志という物語にとって関羽という存在がノイズ過ぎるよな
俺が全然詳しくないだけなんだろうけど関羽いない方が良いというか蜀漢も呉も要らなくて魏がサクッと統一してさっさと平和になるのが最良じゃんみたいな感じ
劉備と孫権のせいであたら無駄に人が死んで土地が痩せただけっていう 蜀から荊州守るなんて無理だよ
呉に譲って呉蜀同盟をより強化したほうが良い
五胡十六国時代に東晋が伸びたことからも呉蜀の地のポテンシャルが高いことは分かる
防戦してりゃ呉蜀の国力は魏を越える >>193
異民族でも指導層は通じたのかもね
有力者の子弟は洛陽にいたりするから >>182
呉を飲み込めば
魏に対抗出来る人材確保出来た
領土なんて魏滅ぼしてからでも
なんとでもなる 出自のよくわからん関羽が荊州の大将軍で
魏を脅かしていたというところまでになってること自体が
凄いことではあるんだよ >>193
まぁ日本の方言レベルでしょ
それでも日本の戦国時代ですら
何言ってるかわからんレベルだけどよ
ちなみに漢字も
部族によって違う
今は統一されてるけどよ
面影みたいのは残ってるから
読めなくはない程度の違いだけど >>206
今ですら北京語と広東語は相当違うから
昔だったら筆談とかしてたんじゃないの 春秋戦国時代の都市国家バトルなんて現代の地図で見たら点と点同士の争いだからな… >>201
関羽がいなければ袁紹が曹操を破って勝者になってた可能性もあるぞ
関羽が袁紹軍の最も優秀だった武将を殺したからな >>201
統一出来ない時点で
曹操もそれまでの人間なんだよな
モンゴルが一大帝国築き上げたのも
人材育成が素晴らしかったのがある
敗北者に
「お前も頑張れば広い領土貰えるぞ」
なんて言われたら
誰だって喜んで活躍する
そして自分達は監視するだけ 実際に地図を見ると鄧艾ってマジですごいんだなって再確認できるわ >>210
時代が違えば生産量も違うからそのへんはね
三国時代は小氷期だったというし >>213
というか孔明が群臣の意見を容れて魏延を派遣していれば
このへんは権力闘争も絡むから単純じゃないけど 樊城って地図で見ると本当に許昌の首元なんだな
関羽はよくやってたよな、横槍を入れられたのが本当に惜しい 荊州の有力者かそれに連なる武官で
有能で劉備の信頼がおける人物
馬良はちょっと足りないか
孔明とはつながってたけど 魏の内部はボロボロでクーデターまで起きる始末だから北伐せずに固めてたらワンチャンあったぞ >>8
そうでもない
六朝時代を経て、大運河もできて
蘇湖(江浙)熟すれば天下足ると言われるようになってからは
南のほうが経済力もある
明王朝は南京を本拠地にし江南を統一して北伐するかたちで天下をとったし
じゃあ諸葛亮の時代はどうだったかなんだが
東晋のほろんだあとに、北周が隋となり天下を取るわけだが
この北周の版図を諸葛亮は考えていたというわけだ
画像がなぜか貼れないのですまんな 諸葛亮の倍は頭いいうえ政治もできる司馬懿がいるのに勝てるわけないだろ >>2
スゲーな
初めて分かりやすく地形が視覚化されたわ この頃には台湾はもう発見されてたの?
その割に日帝が植民地にしてた頃、あんまり文明化されてなかったよね… 結局これ魏延のギャンブル案受け入れるしか無かったのかね >>225
臨海水土志と孫権伝に出てくる
でも台湾ではないかも知れない
明確に認知されるのは元の時代
そのあとは普通に、ゼーランディア城や鄭氏台湾の時代になっていく
基本的に内陸部は高砂族が支配し続けた
沿岸部は漢人のものだった >>225
少なくとも『三国志』に記述はないわね
あとちゃんと統治機構ができてたからこそすんなり植民地にできてわけで
それは17世紀のオランダ統治にさかのぼる >>227
魏の反応見るとたぶん長安取れても守れん
魏延をおとりに何かするでもなければ >>220
知ってた?北伐が成功したのは明と中華民国の二例しかない >>227
俺はそう思うよ
長安抑えて、偽報とばして洛陽を大混乱にし許昌に遷都させて
司馬懿が裏切ったとかの偽報で洛陽の司馬懿の一族を殺させたりね
それで本当に司馬懿を裏切らせるとかね
小が大を食う時はそんなもんだ。
昆陽の戦いにしろ、アレクサンダーのペルシア征服にしろ >>232
ここで言う北伐が江南からの北伐ではなく
益州からの北伐も入るなら
北周も隋も成功してるよ
それから、北からの南伐が成功するってのは
そりゃ、異民族が攻めてくるパターンになるからね。そっちのが数が多いのは現実
でも東晋は前秦の南下を止めたり、南宋も何年も持ちこたえたからね
南が弱いって時代は終わってたんだよ >>233
裏切らせるっていっても
司馬一族の本貫地は司隷にあって
士大夫の力の源泉は本貫地だから難しいのじゃないか
陳羣が動かなかったのも本貫を離れるわけにはいかなかったからだし >>236
奇跡が起きないと無理なんだから仕方ないでしょ
一族郎党を司馬懿が殺されて
司馬懿一人が蜀にくだって、魏の情報を全部諸葛亮に教えるとかでもいんだぜ? 劉備一派はこの
本貫地がないってところが大きな弱点なんだよ
コネも収入も不安定 吉川三国志、横山三国志からいろいろ漫画化アニメ化見たけど中国ドラマのスリー・キングダムズが綜合的に一番面白いかもしれん >>238
かえって司馬家の権力把握が早まる気がするわ… >>241
つまりお前は司馬一族の皆殺し令なんか出たら、本貫地に司馬一族が立てこもって抵抗するってことを言ってるんだろうけど
まさに蜀の好機やんけ。そんなもの
だからそういう奇跡の展開を呼ぶには、何かしらの詭道の策が必要になんだよ 司馬懿が遼東に遠征している間は
もう孔明も魏延も死んでるしなあ
まあだからこそ東の果てまでいく余裕があったんだろうけど >>242
いや単純にクーデターが早まるだけだろうと
史実ではまさに司馬一族排除の機運を逆手にとって敵対勢力を一掃したんだし >>182
劉備が二人いたら二国に分裂するだけだろw >>244
曹叡の時代に、長安が落ちたとか混乱してる時にだよ
お前の言うようにクーデーターになったとしよう
つまり
「司馬懿が裏切ったという偽報」
↓
「司馬懿族を誅殺しようとする動き」
↓
「司馬一族が逆にクーデター成功」
こんなことになってみ。もう蜀の洛陽陥落まで見えてんじゃん >>2
え?お前らこんな魏呉蜀がどこだかさっぱり分からない地図で何で話ができてんの?www 荊州と関羽を失わない
呉の敵対心を削ぐ
後継者を間違えない
これが出来てやっとスタートラインだった
確かに無理ゲー >>247
クーデター成功しているってことは
史実になぞらえるなら軍権も掌握しているってことなので
洛陽陥落はしないと思う
仮に司馬一族じゃなかったら洛陽守備の軍師は蒋済なわけで
これも厳しい
司馬一族を排除しなくても軍権から遠ざければいいんだけど
面白い案が浮かばん >>202
確かに
頭の悪い私にもそれが最良だと思えた
やっぱ荊州は安定させられる呉に取らせた方が良かったな どっちかっていうと司馬懿のクーデターの直接の原因だった
曹爽一派の台頭に付け込むしかないだろう
これを煽りに煽る方向で 長沙、桂陽攻めてキャッキャッしてたんやで
そりゃ益州はパラダイスで成都は大都会やろ >>253
劉備も孔明もよそ者なのによくもまあ把握したもんだと思う >>250
まず前提として
曹叡の時代(まだまだ曽真も曹休もいる)に司馬氏がクーデターに成功するという前提は俺はおかしいとおもうけど
今話してるのは、大混乱の中で、司馬懿が裏切ったという誤報で、洛陽から許昌遷都もやろうとしてて
さらにその中でクーデター起こして成功とかなわけで
洛陽は蒋済がいるから大丈夫とはならんよ でも北伐最大の躓きは馬謖に先鋒任せた孔明のせいだから
なんで素直に魏延に任せなかったのか >>259
それなら軍事的に上庸になんとか司馬懿を貼り付かせて
蜀と呉が同時期に侵攻のほうがまだいい気がする 蜀の孟達支援も正直甘かったよ
司馬懿を甘くみていたからだけど >>260
ただ篭って守っていればいいだけのことだから… >>261
これもよくよく考えると
上庸陥落させられないと司馬懿をそこまで危険視できないんだよなぁ >>261
もともとは
魏延の長安強襲の話なんだけど? 長安に攻め込んだあたりで孟達に反乱を起こさせると
何が起こるかわからんという意味で面白いかもしれん >>265
司馬懿がそんなにキーパーソンなら
長安急襲の際に司馬懿が上庸に貼り付いて居たらちょっとは楽だろ というか実際も上庸に荊州軍(司馬懿)を引き付けておいてってのが
第一次北伐の戦略だったはずだし >>95
日本みたいだな
そもそも試験問題を作ってるのなんて二流の人材
その問題も前時代に正しいとされていたものを元にしてるんだから、革新的なやつは潰される、というか革新的な連中を出てこれないようにするための仕組みとも言える >>267
基本的な話として
魏延が長安を強襲する
それに成功して「一時的」に長安を抑える。ここから話が始まってて、
これをどう活かすかで、司馬懿が裏切ったから長安が落ちたとか、司馬懿の軍団(長安を拠点としてる)が丸ごと攻めてくるとかの偽報で
魏を混乱させて時間を稼ぐわけだ
魏は許昌への再遷都で混乱するかも知れないし、司馬一族を誅殺するかも知れない。そういうムーブはよくあるからな。
司馬懿に対して、一族が既に皆殺しにされたと偽報を流してもいい
司馬懿の軍を機能不全にさせることが目的だ
じゃないと、実際に諸葛亮が懸念し、孟達がやられたように、司馬懿軍が再度戻ってきて長安はあっという間に奪還されるだろうしな
何かが起きないといけない。
でもって、クーデターの話で
お前が「司馬一族が誅殺返しで、クーデターが成功するかも知れない」とか言い出したわけよ。
まぁ俺は前述したように曹叡時代にそんなものが成功するわけないと思うけど、
司馬一族が本貫地に立てこもって抵抗しようが、実際に混乱の中でクーデターに成功しようが、蜀の勝ち筋だから別にいいけど
「クーデターが成功したら、魏(晋)は蜀軍を撥ね退ける」てのは無理があるね。
上庸に司馬懿が張り付くとか謎ムーブはそこでは存在しないと思うよw >>2
袁紹に勝った時点で曹操の戦い終了だな
呉も蜀もどうでもいい お前らいつまでくだらねえ話してんの
人生の攻略をもっと頑張れよ >>269
基礎ができていなければ応用はできないんだよ
あったりまえだろ >>271
俺が想定しているのは第一次北伐の時期なんだけど
そのころ司馬懿は宛に居て荊州の軍権をもって魏の南方方面を守っている
だから孟達が謀反したときに司馬懿が駆け付けたわけで
その孟達反乱は電撃的に鎮圧されたので
そこで粘れたら荊州軍はほぼ長安にはこれないだろう
南方を捨てるわけにもいかないし
あとこのころの長安は曹氏や夏侯氏に軍権があった
つまり宗族ね
史実で曹叡が親征してきたように
長安の攻防は魏の宗族が出張る総力戦になるのではないか 呉
「約束通り荊州返して」
蜀
「どうぞどうぞ、関羽がいるけどねー」
呉
「取りましたけど」
蜀
「関羽の仇覚悟しろ!!!」
呉
「・・・」 >>2
広大肥沃な益州 攻守の荊州 なぜ盗らなかった徐州 地図にすると分かりやすいな 攻めるのは難しくても、守るのは容易かった筈なんだがな
少なくとも守り勝つ体制は整えておくべきだった
最後まで残ったのは呉だしな >>201
曹操が徐州で大虐殺をやったもんでそのころ徐州に住んでた人たちが南に逃げて
頑強な反曹操の基盤になった
なんていう話もあるんで
結局魏(曹操)が統一できる器じゃなかったという話もまんざら的外れでもない
諸葛亮とか魯粛が徐州出身の代表でしかも10代や20代前半の若いころに曹操の徐州虐殺があった世代
昔と違って漢王朝400年の間に南方の開発が進んで地力が上がってたところに
南方からの戦乱を避けて大量に避難者が南下したから独立勢力として北方に対抗できるようになった
これは三国時代直後の東晋含めてその後の中国史で何度も出てくる基本パターンの始まりでもあるし
デカい歴史の流れ的にも無駄ではないというか必然だったとも言えるんだよね
上の方で北京の首都の話があるけど
北京と対置される存在になる南京ってそのまま呉の首都の建業だし
南京行ったら同じ地区に孫文の墓と明の洪武帝とかの墓と孫権の墓とかあるんだよ
孫文のお墓や洪武帝のお墓とちがって孫権墓は目立たない規模だからたどり着くのさえ容易ではないんだけど
つうか俺はたどり着けなかったw >>2
これあくまで地形図
当時の人口分布図とかもっと絶望的な差あるぞ >>275
魏延の夏侯楙がアホだから長安襲撃するって話からどんどん話が変わってね?
そもそもなんで>>233にレス飛ばしたの?
曹叡時代に司馬氏のクーデターが成功するとか、
蒋済がいるから洛陽が落ちないとか
頓珍漢なことを言い続けて
そんで前提情景を変え続けてるってこと? >>2
殷周革命で周公旦が王となった魯、太公望が王となった斉は何百年経っても中華の中心だったんやな
そして始皇帝を生んだ秦(長安周辺)は400年経っても辺境だな…
やっぱ儒教の影響なんだろうか >>38
黄河流域は米が作れるから揚子江流域と比べて生産性が10倍あるう >>201
どうだろうね
三国時代が漢民族の衰退の決定打になって、
それで五胡十六国時代がくるともいえるけど
果たして魏があっさり統一して、それのカタストロフィを防げたかだよね。
(既に異民族が移住してきて農耕を担ってもいたし、後漢末は異民族を受け入れて人口を維持してた)
そもそも、漢王朝を終わらせてしまい、何の正統性もない曹氏が国をとったけど、当たり前だけど、次に司馬氏のような奸賊も出てくるわけで
それが繰り返されれば結局、八王の乱のようなことになり、そこで大傭兵時代の北方異民族が農耕も軍も担うような時代になるわけだしな
一番いいのは、とにかく漢王朝が残ることだっと俺は思うよ。
劉焉でも劉虞でも劉表でもいいから天下を再統一して、五胡も新しい民として漢王朝に仕えて、漢王朝を潰すことは漢民族を支配できなくなることと思わせれば良かった
この際、劉備でも劉禅でも構わないわけだが。
平和ってのは大義名分や、文化ツールが必要なわけで、それを壊した曹操や曹氏は大バカ者だよ。
実力主義を目指した社会は結局失敗し、九品中正の制度もコネ社会になっただけ。その上で、そもそもなんで曹家や司馬家の皇統を守る必要があるかの必然性も無い。
こりゃ壊れるでしょ。こんな平和は無理だった。 てか
秦嶺・淮河のラインで南北勢力が膠着するのは
中国史の法則と言ってもいいくらい普通のこと
植生的にも地勢的にもここで分かれるのよ中国は >>285
漢民族の衰退とか、五胡が漢王朝に仕えるとか、コネ社会になったとかわけわかんないな >>288
煽りじゃないと想定して説明してやるけど
まず後漢末には蝗害や気候変動で大飢饉もきてて人口が減って
それが回復せずに、戦乱期でますます人口も減ったわけだ。
そこで北方異民族を農地に定住させたり、軍の担い手を五胡に既に依存してたわけ
三国時代の戦乱での人口減でそれが決定的になった。
だから五胡十六国時代が次に訪れる
しかし、漢王朝という漢民族のシンボルが残り続ければ、五胡は軍閥として中原を支配しても
漢民族支配のツールとして漢王朝を温存させるわけだ。これが「五胡が漢王朝に仕えるという歴史が始まる」という仮想だ。
実際に、匈奴の劉淵は漢を立てたわけだしな。自分が漢王朝の末裔だとして。
それを壊したのは曹氏のバカタレどもだ。
九品中正の制度ももともとは、官僚制の整備と、人材を地方から発掘して推挙する制度だったが
結局、有徳で有能な人物を選ぶという人材登用が、次第に有力な豪族の子弟が選ばれるだけの「無能で官僚を埋め尽くす」ヤバい制度になったんだよ
これで説明はわかるか? >>6
南北朝とかと違って江淮平原も領有してるし蜀程じゃ無くね >>13
今の江西省とか福建省とか拠点周辺以外略々山越の居住地じゃね >>19
植民地韓のアメカス軍の侵略に備えてじゃね >>224
30年チョイ前くらいに歴史群像の三國志増刊に地図が付いてたけどこれに近い感じでおどろいたよ。
光栄の三國志1の全国マップと平野部がまるで違うもん。 祁山がどうしても取れなかったんよなあ
奇襲の第一次北伐しかチャンスは無かったのに馬謖が山にさえ登らなければよかったのに
>>5
関中の住民は項羽の事を恨んでたから漢中から出てきた劉邦が歓迎されたんだよ
守りを固められたらもちろん劉邦でも無理 新の王莽から号100万の大軍による南伐を受けたのを逆転して北伐したのが後漢のはじまり(昆陽の戦い~)
だから北伐して中国を統一した政権がレアとかいう認識はあまり当たってないよ
北からの侵入によっで南遷したあげくに滅んだといえば趙匡胤以来の宋が代表的だけど、北方の遼や西夏のほうが先に滅んでいるし、さらには金を蔡州の戦いで滅ぼしてもいる。モンゴル軍が金の息の根を実質的に止めた三峰山の戦いも、モンゴル軍は南宋側の漢中を経由して金の主力を壊滅させた 関羽が孫権の息子と関羽の娘の縁談話を関羽の一存で断ったのが運の尽き 長野県の覇者が関東を落とせるか?った話よな
なお、木曽義仲は京都を落とした模様 これもう半分呉の豪族たちが天下の趨勢を決めたと言ってもいいだろ 五丈原ってくっそ僻地に見えるけど、孔明が陣中で死ぬほどの価値あったのか? >>294
まあ古いのはともかく、比較的新しい三国志だと>>2みたいなマップになってたりするから、
三国志ゲーやってる人には馴染みのあるマップだと思う >>290
人口減という事実があるの?
社会の混乱で人工の把握ができなくなったというのが一般的な理解だと思うが。
後漢の時期に軍の担い手を五胡に頼ったという事実があるの?
五胡が漢王朝に仕える、というのはフィクションなのか。了解
漢王朝のときにはコネ社会ではなかったのか?
そんなことなかったはずだが。
九品中正が有力子弟の任用システム化したのはそのとおりだが、それは従前通りだったいうことではないのか? 漢中王名乗ってたんだから近辺までは領地だったんだろ首都まで近くね
山道ばっかで地獄そうだけど 三国志8リメイク発売日発表はやくしろ
簡単に敵を崩壊させる手段は抑制されてるだろうが俺が北伐を成功させる! >>121
そりゃ経済的に富裕な地域を支配したら勝ちだからな
そこをしっかりと支配することが優先で
江南や 四川の山奥は辺境扱いで
捨てておいてもさほど問題ないと見たんだろう >>306
無いよ
書いてる奴は無知な上に妄想で断定してる不誠実なキチガイ >>312
いや人口と食糧生産の多い土地だから必要なのわ 北伐に成功したら阿斗に提出しておいた中トロやネギトロ巻きなどのリスト、寿司の表を食べさせて貰う 天下三分の計というけど
三分してるわけではなくて
比率として7:2:1ぐらいじゃないのか?
蜀は山奥だから1もないかね >>156
だからもう敵が早いなら諸葛亮のミスなんだから速やかに退くしか無かった
実際趙雲も曹真相手に撤退してる
山で戦うのを選んだのは馬謖で王平の策を退けたのも馬謖
軍団丸ごと溶かしたのも馬謖
んで布陣から撤退まで何一つ将官としての仕事が出来てない
だから周りの副将もまとめて処断されてる 実際は後漢末期のゴタゴタで民は戸籍を捨てて蜀や呉に逃げてたからそこまでの差はないと思う >>260
直前に魏延の積極案を退けた上で自分の策を押し付けるのは人事的に良くないんだ
勝てば諸葛亮が正しかった事になり負ければ不本意な作戦の責任を取らされるわけだから
かつて味方にそれをやらされて最終的に曹操に降るしかなくなった武将がいるんだ張郃って言うんだけど >>40
孔明が死んでからも普通に30年くらい存続してるし、寧ろ劉禅な治世がよかったんだろ >>302
秦滅亡から一年保たずに乱世に戻るようなザルな新体制と
人材コレクターの曹操が半生かけて築いた王朝相手じゃ流石に比較がね 第一次が本当に最後のチャンス
夷陵からのダメージを立て直してアレだからな
馬謖ってほんとすごいことしたよ どんだけ補給しようとしても距離が長すぎて無理なのだ
輜重隊の食料を運ぶための輜重隊の食料を運ぶための輜重隊の…とどんどこ積み重なるいわゆる馬車限界というやつ
そんなもんは当時の武将もわかってたから籠城するし最初に攻めきれなかった時点で詰みなのだ 北伐を政策として掲げて重税取ってたんだからやらなきゃぶち殺されるだろ >>325
そんなことないと思うよ
俺は中国の『三国』関係の番組見たりするけど、日本でそのクオリティの番組を見たことがない >>320
そもそも諸葛亮がいなきゃ劉備没後の内乱で自壊してたべ
だから曹丕もまったくノーマークで呉征伐に集中してた 諸葛亮ってなんでひきこもり生活してんのに部下にすれば天下取れるレベルみたいな感じで知られてたの? そら孔明も過労死しますわな
「鞠躬尽瘁 死而後已」社畜の末路と同じですわ 当時は雲南みたいな内陸と南海岸が中国外で未開発
蜀はそこを開発して農業生産力を上げるべきだった >>329
荊州が平和だった時代は人材批評が盛んで、
シバキ先生が「伏龍か鳳雛がいれば天下が取れる」
と言ったから
諸葛亮に才能があったのは事実だが、
敵側にもそれに匹敵する才能の持ち主がいたから
「天下を取れる」は言い過ぎだったな
シバキは魏に人なしとあなどったか 中国の歴史に興味あるから三国志やりたいけどとりあえず最新版やればいい? 結果論だけどね
司馬炎が死んでわずか26年後には長安は飢餓で共喰い、晋の皇帝は三国のどの君主よりも貶められて晒されたあげく殺された
親戚の司馬睿が晋を継承したことになっているけど都は呉の建業、その司馬睿は諸葛一門の子孫でもある 絶対南の方が米が多く採れるはずなのに、南の方が発展途上だったのが不思議だ 関羽がもう少し性格が良くて慎重ならいい勝負したと思う 呉とちゃんと仲良くしたうえで魏方面の要害ガチガチに固めるしかなかったよね >>338
まだ未開だったから伝染病ですぐ死ぬんだよ
旧日本軍が南方で赤痢やマラリヤやデング熱で死んでったのと同じように あと虎やら毒蛇とかもたくさんいたしね
未開瘴癘の地に好んで住みたいとは普通思わないのです 三國志時代がもっと長く続いてたら
統一王朝史観みたいなのもなくなって
いくつもの独立国に割れてくれてたりしたんかな アレクサンダー
ハンニバル
スキピオ
ポンペイウス
ティムール
ベリサリウス
どいつなら行けただろ? 天下統一なんて考えてなくてシルクロード利権(交易利権)って大学で聞いたけどな
その証拠に、こいつまず涼州の出口おさえるじゃん
魏延は真に受けて長安攻めようぜとかいってるが、諸葛亮がやりたいのは実は金儲け >>344
晋の統一もわずか数十年しか続かず、結局400年程分裂していたのだから関係ないだろ >>60
そうなのかこれで覚えてしまいそうだから正しく書き直してくれ 昔から疑問だけどなんで現代では南方に住んでる人は風土病にならんのだ? >>302
劉邦が左遷されたと言っても漢中まで
三国志の成都も入ってるけど
劉表の襄陽ぐらいも入ってると言えば
三国志脳だとそんなにだろ
最後の垓下の戦いも劉表が袁術、呂布がいる
寿春や小沛を攻めたと言えばそんなもん 孔明は内政の達人って、まあ実際にそうなんだろうけど具体的には何をやったんや? 始皇帝の秦って山奥だったけど強大な勢力だったのはなんで? >>347
いや、Cathay Pacific航空のCathayは契丹から。北部中国をひとつのまとまりとしたのが由来
すくなくとも南北朝時代の区分けなら今もある中国を指す表現にまで残ってる >>353
法律を作った
尺度を決めた
税金を取った
無法地帯に先生がっ 孫呉は周瑜没後くらいからずっとクソ
諸葛瑾没後くらいからクソ以下
孫権没後はチンカス以下
みーんな私利保身しか考えてない >>2
どう見れば良いのか判らんな
人口分布はどうなってんの? >>358
孫呉はヤクザの互助会みたいなもんやからね >>355
秦は全国力を戦争に注ぎ込む体制ができてたから
逆に言えば他国が舐めプしてたから >>355
山奥なんで纏めて攻めさせて
返り討ちにした
山奥で背後に何もないので
全力で順番に各国を撃破 >>361
その果てにすべて失ったのはおもしろいよね
秦公室は皆殺しにされて一切記録が残ってない >>359
まあ基本的に今の常識と変わらんよ
水がふんだんで肥沃な平原では農作物が豊かで人が集まり人口が増え交易が盛んになる
逆に山間では人の往来が困難で交易も乏しくなる
「中原を制するものは天下を制する」なんて言われるくらいだ >>359
三国志末だと魏は400万呉は230万蜀は94万
だけどこれ戸籍全然把握出来てない挙げ句兵や官吏の家族含まれてないらしい
後漢末だと人口比魏が60%呉が25%蜀が15% >>306
漢王朝の最盛期の人口が6000万
三国時代の人口が2000万
把握できないってことは農村人口ではないと言うことになる
さらに徴兵もできないわけだ。これは存在しなのと同じ。
当然、把握できないだけではなく、人口そのものが減ってるから、異民族が定住が既に進んでたしな.
こんだけ兵の動員の必要な時代に4000万人も把握できてないなんてあり得ないのはわかると思うが?
魏の河北の軍は異民族が既に担ったし、そもそもヘイ州出身の呂布や、涼州の董卓の軍は異民族を中心にした騎馬軍団
漢王朝だって、まだ科挙も無いしコネ社会だよ。基本的に名門出身の優秀なのが郷挙里選で選ばれてた。
それが九品中正でシステマティックに完全にして、品もつけたことで「上品に寒門なく,下品に勢族なし」で帰って固定化されて柔軟性がなくなり
「あの地方で有名な儒学者」みたいのが中央に推挙されて、偉くなるようなのが無くなった
>>313
合理的な反論よろしくな。横レスで敗北宣言とかいらんから >>350
俺の中国語の先生が西安(昔の長安)生まれで親の転勤で四川に行ったら
ずっと体調不良に悩まされたと言ってたわ
そんであんまり好きじゃないんだけど四川の激辛料理を食べるとけっこうよくなったんだと
古代だと食材も限られてるし医療知識や技術なんか比較にならないくらいだしね
ちなみに馬超の出身とされてる甘粛省にも 肥の三國志だと演義の影響受け杉でいまだに知力100で政治はその次なんだよな
逆だろうが。何故誰もシブサーに
「これいい加減知力と政治の値逆にしません?いまだにうちの会社くらいっすよ?諸葛亮を天才軍師()とか言ってるの。馬鹿じゃないっすか?少しは勉強したらいかがです?」
と言えないんだろうな。まぁいったら首だろうけど >>368
途中送信してしまった
馬超がおそらく生まれて生涯の前半活動してた甘粛省あたりって俺も行ったことあるけど
ほぼ砂漠みたいなとこなんだよ
東西に長細いから古代の地理感覚ではまた別になるけど敦煌とか甘粛省だし
で、四川ってむちゃくちゃ湿度が高い地域なんだよね
そんで降水量多くていつも曇りで太陽が見えないって言われてるようなとこ
だから水が豊富で作物がよく育って豊かな土地なんだけど
砂漠生まれの人間が中年になってからいきなりそんな土地で暮らし始めたら
そら体調悪くなるだろうなってので
「馬超が蜀であまり活躍できなかったのは病気になったからだ」
ってたぶんガチっていうか俺の中国語の先生みたいに現代人でもかなりヤバいわ
って思ったことあるわ 政的も現れず国を完全にコントロールし、さらに専門外の軍事までやる事になった。
人を目る目が無かったのは周知の事実だが、それでも政治力に関してはどこからも文句は出ない
肥社員がこんな底辺板に居るわけはないが、社員声明を掛けてしぶさーに忠告して見る気は無いか?
首になったらバンナム行こうぜ。あそこは超ホワイト企業だから >>369
初代三国志のマニュアルだと三国志演義をベースとしたらSLGって書かれてるから別に間違ってないんじゃないか? >>369
三国志7だと知力92だった。道具補正があるから実質100だったけどそれでも不評だったとかネットで聞いたな >>369
政治トップは荀彧と言う
絶対的相対尺度があるので
知力100諸葛亮、98司馬懿が暗黙の了解だったが
司馬懿と郭嘉が入れ替わるという事態も起こっているから
統率みたいに雰囲気でバラバラ変わるのも勘弁だが >>369
まぁ光栄の三国志は三国志演義だからなぁ
でもtotal war three kingdomsであったように
romance(演義) or records(史実)があってもいいと思うね
演義に関しても更に色々あって演義にすら登場しない、馬超の妹とか出てきたりもするしな
一応、女武将ありか、無しか、とかは今でもあるけどさ。 >>371
まぁー昔はそこまで甘粛省は砂漠ではなかったとか
馬岱は長生きしてるとか、色々あるけど
正直、あんだけ環境違うと体悪くする奴はいてもおかしくないとは思う。
食い物どうなんだって話はあるよなぁ流石に。 荀彧、張昭、陳羣の政治担当座組は固定化されてる
諸葛亮はそれを超えないコーエー世界観 色んな項目があって、採用するかを自分で決めてよくて
「笑府」をゲーム内設定に採用したら張飛がホモになるでもいいじゃないか >>367
人口のことは正直よくわからんわ
董卓が「異民族を中心とした騎馬軍団」とのソースは何?
Wikipediaでは何進らの兵を吸収したとあるが
「董卓が洛陽に入った時は3000ほどの兵力しかなかったので[7][8]、殺害された何進や何苗[9] の軍勢を吸収して軍事力で政権を手中におさめた。また、同じく何進に呼び寄せられた執金吾の丁原の軍士を取り込むべく、丁原の暗殺を企てた。丁原の部下には武勇の士として名高い呂布がおり、暗殺は失敗してしまうが、その呂布がまもなく董卓の誘いに乗り、丁原を殺害して董卓に帰順し、董卓は丁原の兵を吸収した[10]。」
そもそも君は何か史料に基づいて書いているの?それとも適当に想像して書いているの?
後者なら話しても無駄だからもういいや。 >>379
赤壁の戦いで魏が負けたのは現地調達した食物が合わず兵士が住血吸虫病に感染したからだという説があるしな 董卓は対異民族戦とその懐柔が得意だったのであって
異民族率いたわけじゃなかったと思う 董卓が何進・丁原の兵吸収したのは正史・演義とも合ってる
正史で董卓は朝廷からの兵権手放し・召喚を拒否してるので
洛陽乗り込んだ時も当然官軍だったと考えられる >>383
まず羌・胡を中心にした馬騰や韓遂と戦う時点で、当然現地兵もいて、その皇甫嵩の軍も預かる形になってるし
そのあとは并州牧任官でそこが兵のメインだからね
并州は匈奴の土地なのは有名
匈奴、鮮卑、烏丸なんかがいる
ソースとなると、皇甫嵩伝、董卓伝、あとは普通に中国の地域研究で異民族がヘイ州や、涼州に多くいたってとこやね >>386
丁原は董卓の後任の并州牧ね
異民族だからけだから武官が任官されるのが恒例だった しかしこんなデカい大陸で、何万という兵士を連れて出兵してたとか色々無駄すぎるだろ… >>377
武将が妖術使って敵に雷落とすゲームだしな
とはいえ、一応史実モードはあるな
イベントや寿命や血縁関係とかだったと思うが >>317
撤退は即ち国家方針、作戦全体の破綻を意味する
一方面軍の指揮官に過ぎない、まして作戦立案者に近しい人物が全面撤退を即断するなど不可能
馬謖は何故孤山に登ったか?史実かはともかく馬謖の立場で撤退は公私共に出来ない、馬謖の退路は作戦開始時に絶たれてる >>387-388
并州の現地徴集兵=基本は漢人ですよ あとここで言う漢人とは漢化した異民族も入ります
祖父母が異民族で異民族の風習を持ってても
漢の戸籍を持って漢化した孫は漢人です
漢の戸籍持ってない者を兵として徴集する事は出来ません >>346
国としてのシルクロード交易わ西域諸国を服属させた上で
遊牧国家が大量の荷駄馬と馬車使ってやるから儲かるんであって
蜀がシルクロード交易とか馬鹿の妄言 今だと無理ゲーなのわかるけど無理ゲーと思わなかった諸葛亮にはたいした戦略眼がなかったのわかるし
それでも韓信のように成功しなかったことからも稀代の天才じゃなかったのもわかる >>396
孔明が涼州抑えたのは後顧の憂いだね
シルクロードは・・無いねw
三国志の時代ではタリム盆地の存在さえろくに知られてないのでは >>397
蜀は後漢復興を建国理念としてるんで
北伐しないと存在意義自体が揺らぐのよ
そもそも当時の蜀の国号はそのまんま漢だし >>355
昔わ森林地帯で土壌も肥沃で生産力有ったよ
降水量少ないから伐採し過ぎると荒地に変わって回復し無いから
唐代以降は貧しいけど >>400
弥生人の源郷の遼河近辺も遼河文明栄えた当時は肥沃だったらしいね
カルタゴが栄えた北アフリカも昔は森林だった >>174
19世紀初頭のキリスト教国で活躍したナポレオンですらバイだったんだから
当時の軍人なんかバイでもフツーフツー 無理ゲーだけど魏から攻められると即死するから攻め続けるしかなかった >>410
無いよ
河も渡らなくていいし
山も登る必要もない
実際それでよかったし
政治的に三国は統一された >>202
五湖で混乱した華北から華南に漢人が移住して人口が増えたから開発が進んで生産力が伸びたわけであって、魏が安定政権のまま存在してたらそうはならんでしょ 長安落ちたらヤバイけど長安さえ守っとけば良いからな
時間経てば経つほど国力差開くし 今の中国の三大都市圏
北京=三国時代の北平、僻地
上海=ほぼ三国時代の呉(上海隣の蘇州)
広州=三国時代の交趾、僻地 >>392
それで軍団消滅させて自分は撤退戦もせず逃げ帰ってきてりゃ世話ないさ
兵が残ってりゃ後方でまだ立て直すチャンスもある
そもそも夷陵とかでも大敗すりゃ将官クラスもボコボコ死んでるのに
街亭でそういう話が全然無いってどういう事?
向朗の伝に書かれてた「馬謖は逃げた」ってそういう事なんじゃないの? >>174
昔の中国は美形=有能の風潮があった
孔子もこれにひっかかったことがあるって教訓残してる 演義も基本は美形有能で話進むんだけど
醜男が意外にも有能、ってエピをちらほら入れてるのが夢と優しさがあっていいわ 民間の小咄だと龐統が大天才で諸葛亮がやたら腰低かったりする 馬謖がやったのは”孔明の方針に逆らって””独断作戦の上で敗北”だからね
撤退の判断は将軍として独断出来る範疇のはず >>419
マジで三国志だけなんだよな、他時代は言うほど人気無い
やっぱ蜀が負けるという、滅びの美学というか判官びいきがあると思う もし馬謖の言い分が
「魏軍と対するのは不可能と判断して撤退しました」
だったら孔明も処断まではしなかったと思う
「貴方の方針を理解せず上に昇った方が強い!と思ったので昇ったら負けました」
こりゃダメでしょう
>>424
そもそもコーエーのゲームや漫画描いてる人も好きで描いて作ってるのだよ 蜀の人間が書いたファンタジーですし
そもそも軍師なんて中二心を刺激するような役職なんて無いですし こいつの知力が100なのはおかしい!史実では〜
とかそういう話は、なんていうかついていけまへんな 演義では明確に100なんだからそこを史実では〜はナンセンスだとは思う >>426
いま晋の宣帝(司馬懿のこと)を讃えた楽しらべたら
https://m.gushiwen.cn/shiwenv_d56b99de2875.aspx
宣受命。应天机。风云时动。神龙飞。御诸葛。镇雍梁。
边境安。夷夏康。务节事。勤定倾。揽英雄。保持盈。渊穆穆。赫明明。
冲而泰。天之经。养威重。运神兵。亮乃震毙。天下宁。
「(宣帝の)神のごとき用兵に諸葛亮は恐れおののいて斃れ、天下は寧された」
と歌われてるのな
これは、逆に敵対側が諸葛亮を意識しまくってたのが見て取れる 司馬懿を称えるため諸葛亮ageも許された所はあるね >>426
ややこしいのに諸葛亮の役職は
軍師中郎将なんよ
将軍補佐みたいなもんなんだけど
お兄ちゃんの諸葛瑾は呉の大将軍まで行ってるし
直後の歴史書に三国名臣序賛ってのがあって
まぁこのメンツが今の三国志イメージのザ・軍師そのもの >>430
光武帝にすらダメ出しする遠慮のない裴松之が「司馬懿では相手にならんかったやろなあ…🙄」とは評価してるらしい 孔明は演義は誇張だろ?って思って史実調べると
なんだかんだやっぱ孔明スゲー!ってなる なんだかんだ言ってみんな詳しくてビビる
まさに中二くらいに漫画の三国志読んだ
歳を取るにつれ史実と演義は別物と知って夢が萎んだな
所詮オリエンタルラジオ?の人の解説動画の知識だが、最新の三国志演義は関羽が中心になっているとか
だから中国では関羽が一番人気になっているとか
諸葛亮は有能な政治家ってイメージ
今でいう福利厚生を整えたんよね 関羽は調べ出すと謎が多くて人間味があるのでまた違った高評価になる 三国志はお互いの格を下げないように持ち上げ合ってるようでどうも好きになれなかったな つくづく荊州とられたり夷陵の戦いがもったいなかった >>416
そりゃ作戦立案者が事実上国のトップでソコが糾弾されると国が滅ぶからな、ソレを理解してたから逃げた
そんでそういう組織防衛の為の生贄って殊更ジャップに良く刺さるんだよ
ミッドウェー海戦の敗戦の根本は山本五十六の作戦計画がクソだったからだけど南雲忠一が原因って流布されるのと同じ 五胡十六国時代終わらせたのも
数百年ぶりの統一王朝も南東からやんけ >>441
それならハナから撤退してくれりゃ兵は死なずに済んだじゃんか 出師の表ってかっこいいよな
今だとブラック企業の社訓や朝礼みたいなもんだが >>301
五丈原は長安の西からの入り口で戦略的要衝じゃないかな
長安は守り易い盆地で、長安を確保すれば西北は魏と遮断されて蜀漢にとって安全な後背地に出来るし、長安から洛陽はすぐだし荊州の襄陽に向けても出口がある
まぁつまり長安を望みながらあと少しの所で手が届かず死んじゃったという事なんだけど >>422
日本でも戦国時代が一番人気だし
滅びの美学ではなく大逆転の戦いがたくさんあって面白いため
キングダムも楚漢戦争のオマージュなので人気ある >>444
撤退したら北伐自体が失敗するの、そしたら作戦考えたヤツの責任が問われるの
ついでに言えば決戦に敗れ主力軍を失った訳でもないただの守備隊なの >>439
三国志だと
呉主孫権の死は「權薨時年七十一諡曰大皇帝」
蜀主劉備の死は「先主殂于永安宮」
孫権のことは呼び捨てにしつつ、魏から荊州牧・大将軍・呉王の地位を認められていたことから大夫諸侯としての「薨」を用い、九錫も賜っていることから諡号として「皇帝と曰った」とも表現している
劉備のことは「先主」と公的地位抜きの尊称を宛てつつ「殂」、つまり古帝王の死をたてまつって用いられた字を充てた
気を遣ってるのはそうだけど、その相手はあくまで晋魏で、ただし劉備親子は別格扱いといったところ >>448
それってつまり馬謖が孔明の身代わりになって罪を被ったってこと?
それは山登りが馬謖に伝えられた孔明の極秘作戦だった、ってことになるけど
それは無いんじゃないかな
面白い発想だとは思うけど可能性は低いと思う
撤退は馬謖の現場判断で行えるもので孔明には傷はつかないよ >>446
長安ってそんな重要拠点だったんだな
ニワカ知識しかないから良スレで面白いわ 関内という言葉がありましてね
長安の西、洛陽の東に関を設ければ天嶮の要塞箱になるのです >>13
あいつはすぐ机たたっ切るからダメなんだよ >>450
そうはならんやろ
オレが言ってるのは諸葛亮は街亭の守備を馬謖に命じたが、その時点で諸葛亮は曹魏をナメてて曹魏の即応速攻を想定してなかったって事
街亭失陥、北伐失敗の責任は馬謖では無く諸葛亮に有る
命じられた馬謖は街亭に進出し、陣地構築して魏軍を迎撃するつもりが陣地構築する間も無く速攻され魏軍と会敵
陣地も無く数的劣勢で守備が不可能になったが守備を命じられ北伐の成否を分ける要地である以上全面撤退する訳にもいかず慌てて山に登った、というより追い立てられたというのが実相だろうよ 北伐しないで左下で引きこもってたらワンチャン晋の崩壊まで粘れたか? >>455
>守備を命じられ北伐の成否を分ける要地である以上全面撤退する訳にもいかず慌てて山に登った
実相、と言われても史実ではそういう情報はないので・・
史実の行間から読み取るのは自由だけど、
論拠が薄い仮説ならもう少し控えめに言った方がいいかと >>10
その例えだと、北海道は燕(遼東公孫氏)だろ
国力も蜀に匹敵するぐらいはあるはず >>66
関羽が荊州維持していたら奇襲も意味があったかもな >>438
なお劉備はそこまで逃亡する予定だった模様 >>458
それだとそもそも蜀を維持できたかな?
反曹操、漢復興ていう大義名分で蜀を乗っ取ったのに北伐しなかったら政権になんの正当性もない >>460
各伝やその記述との辻褄は合うぜ
そもそも俊才が突然発狂して高所有利だけ見て孤山に登ったなんてのがファンタジーじみてる >>13
当時は開拓地みたいなもんなので人口密度が薄すぎて無理 >>467
もし良かったら「馬謖は魏軍に追い立てられて昇った」と
匂わせてる個所引用してもらえます?
wikiソースから原文のままでいいですよ >>40
孔明時代の謎はなぜか史官を置かなかったことらしいな >>465
楠木正成の正義の突撃みたいなもんだよな
儒教的正義なんだろうけどアクバル兄さん過ぎて引くわ そもそも馬謖は王平に止められながらも
山上に陣を張ったと記憶してるんですよね
山に陣を張るなら追い立てられる前に下で陣貼る余裕あったのでは >>112
車軸に載せられるほど道広くないんじゃね >>469
例えば王平の記述で馬謖の命令がコロコロ変わって訳わからんって記述が有るが
先述の通りだったら何故そうなったかの合理的説明だろ 蜀漢が健在だったら晋になってたかも怪しい
漢(蜀)の存在自体が魏公室の正統性への挑戦なんだから、それからさらに簒奪したら名分はますます蜀に傾いちゃう 北伐はそもそも自力で何とかするための軍事作戦じゃないだろ
魏に圧をかけ続けることで呉を陥落させたり戦力整えられるのを防ぎつつ
内乱や他国が便乗してくるのを待つ作戦
だから、早急に戦果を求めるのではなくできるだけ滞陣して魏の戦力を釘付けにする >>40
明らかに国力に勝る大国相手にあれだけ軍事作戦繰り返して
大きな損害が馬謖や魏延がやらかした時ぐらいしか無いんだから
指揮官としてむちゃくちゃ優秀だぞ
戦功が欲しい脳筋武官からは嫌われるタイプだろうけど >>174
夏侯惇は自由に曹操の寝所に出入り出来たらしいぞ(ニチャア >>480
もし龐統の成都電撃攻略策を採って、
上庸の孟達ではなく襄陽の関羽・孔明と
蜀の劉備・龐統とで北伐に臨む体制だったら、魏延もたぶん持てる力を充分に発揮できたんじゃないかと思う
馬良も方正もいたわけだし >>483
荊州維持して蜀のオールスターいる状態で呉とも和平出来てればガチの攻勢もありだろうな >>355
中国は東に行くと海になるので先は陸がない
西に行くと無限に陸地がある
そのせいか西から攻め上がると統一王朝作りやすいのだろ 諸葛亮は内政に専念して蕭何みたいにがんばって
北伐の指揮は魏延にやらせてたらワンチャンあったんじゃないの?
諸葛亮って人の扱い下手なのと弱くはないけど戦上手っていうほどではないのが欠点よね >>487
国を簒奪した正当性維持のためにする戦争してた説はしっくりくるよ >>427
三国志7では知力100ではなくなったが
その他の能力で普通にバグかチートという罠だな >>487
孔明が戦上手だというのは疑いようは無いと思うよ
人の扱いというか見る目は、まあ・・w >>426
軍師とは軍の師と書いて軍師なのでな
一応孔明の役職は史実でも軍師将軍なのよな >>489
簒奪したのは魏でしょう、何を言ってるのか そもそも北伐ってのが戦略ミスだろう
もともと天下三分の計は三国間での危ういバランスの上に成り立つわけで、
蜀を強化しつつ、外交で牽制するのがベストだったはず(実際に多人数参加のゲームで同様の状況で膠着した)
孔明も自分の代でどうにかしようと功を焦りすぎた でも蔣琬と費禕の時代は一回も北伐しなかったんだし北伐必須って考え方は間違いだろう
そもそもチャンスもないのにガンガン北伐するって何考えてんのか魏を警戒させるだけじゃん >>488
蜀漢はある意味で大日本帝国になぞらえられてる
アメリカが魏国というわけだな
吉川英治が三国志書いてた頃の時期はもろに太平洋戦争のころ >>493
君は儒教フィルタ強過ぎるよ
史記や漢楚の戦いの方が宗教臭くなく現代的で面白い >>495
儒教的正義で戦ってたから傍から見ると基本頭がどうかしてる 荊州を失った時点で試合は終わってた
後はもう漢帝国復興という大義で他人の家を乗っ取ってしまった手前
嘘でもやってる感でもとにかく北伐せざるを得ない
今更止める訳には行かないという結論に至った >>495
呉は孫権存命中は魏に連戦連勝してて、
司馬懿ですら江陵すら落とせず三路侵攻作戦で呉に大敗してる
蜀の第二次北伐はそのときに魏が動員できるほぼ全軍を呉攻略に向かわせた隙を突いた >>496
?
>>497
いや面白い面白くないはどうでもいいです
漢を簒奪したのは魏です
劉備は漢の簒奪してませんし、孔明も蜀を簒奪してません
貴方の言う簒奪正当性の維持のための北伐、という言葉は意味不明です >>496
大日本帝国は南蛮くらいが丁度いいけどな >>503
前に蜀にいた劉焉親子のことなんだろなたぶん まぁ馬謖は軍事面に於いて孔明の補佐から後継者の1人として直々に鍛えてた訳で
「お前なら孔明の意図を言わずとも判るだろう、前線の軍の押し引きは優秀なベテランの王平に任せて作戦の全般を調整し損害を最小に抑えて作戦目的を達成して来い」的に送り出されてたんだろう
孔明の域にまで到達出来てないから運用担当ベテランの将軍が補佐に付いて作戦の全体を見る事に専念しろとなる筈が、自分で部隊を持って前線の敵に対して自分が前線指揮官やっちゃった訳でやっちまった案件だわな 赤壁やった南部にも荊州あるな
どこが支配していたんだろうか >>508
南蛮は七度敗れて流石に恥を知ったが
大日本帝国は今だに負けてない負けてないんだから反省もしないという態度だからな
人間としては南蛮の方が上だよ >>509
三国志演義で歴史を語るチョンモメン
やっぱり頭悪いんだな
演義は歴史小説の意味と覚えておくといいよ >>506
まあ呉壱だか呉懿だかのかわりに起用したのは判断ミスだったのだろな >>506
儒教的に孔明は聖人だから失敗や罪を擦り付けられた人も多いと思うわ >>476
馬謖が己の才気に溺れてザルな指示を出したんだとしても
あるいは不測の事態にパニックになって兵卒を死地に追い込んだんだとしても
結局処断が妥当という肝の部分はなんも変わらないんじゃねえの?
将軍の権限は不測の事態に対応するためにあって、実際作戦遂行不可能と判断した趙雲は独断で撤退してるワケで
そもそも諸葛亮の見積もりが甘かったって言うなら参謀役の馬謖の見積もりも甘かったんだろ >>516
馬謖の不味いのは敗戦そのものよりもその後の逃亡 >>13
漢王朝に服属しない異民族がいっぱいいる地域だぞ
孫権が皇帝になった後もちょいちょい反乱や侵攻が起きてる
○○族平定の功により都尉に推挙、四姓以外なら呉の武将のキャリアのスタートはほぼこんなのばかり >>487
出師の表の凄い所はクソ真面目なお気持ち表明を後に全部実行してる点にあるから
結局自分が先頭に立って行動するしか無かったんじゃないかな
魏延が優秀なのは劉備自らが前線に立って使いこなせていたからだと思うし
兵権を他人に預けて首都に籠もっても、最終的には姜維と諸葛瞻みたいな関係になる気がする >>517
魏に逃亡する話まであったくらいだからな
軍機漏らす危険から言ってもそら死刑やむなしか >>502
司馬懿を負けさせてるのはでかいわな
ほぼ負け無しやし、あの人 >>5
韓信のおかげで長安取れたからな
魏延も韓信見習ってとにかく長安取れって言ったのにな >>487
漢王朝を建て直すためにちょっと益州を間借りしますねという大前提で蜀が成り立っているので
北伐を停止すると政治的に死ぬ >>521
実戦に強くて政局には弱い
子孫もそうだが陸家のお約束みたいなもんだな >>19
そりゃ今の中国人は実質モンゴル人だしな
洛陽に思い入れなんてあるわけない >>524
この見方をしてる人が多くなってきて嬉しいわ
蜀漢=聖戦士アクバル兄さん >>518
呉が異民族をバリバリ平定してたのに対して蜀はなるたけ異民族を異民族のまま使う方針なのが面白い
南蛮遠征だって、呉だったら1回目孟獲捕らえた時点で終わらせてただろう >394が流石におかしいと思って>>395で言い換えたの?
滅茶苦茶やな
そんじゃ匈奴の劉淵は「漢民族」になっちゃうじゃん
山川世界史用語集レベにケチつけてるの?
それとも「漢民族」もおかしいと思って「漢人」て書いてるわけ?
ソース無しで難癖つけた挙句がそれなのか?
そもそも異民族を中華国内に済ませて、農耕させたり、軍を担わせたりって話から始まってんだけど?
なんやねん。漢民族の戸籍を与えて、軍籍持たせたら「異民族」じゃなくて「漢人」て。
アホ話やな 自分を光武帝だと思い込む精神異常者
君は光武帝どころか管仲や楽毅でもないんやで 荊州の交渉で呉に返すなら返すで
軍事拠点として使えるよう交渉すれば良かっただけなのに
劉備が荊州交渉失敗したせい
呉も蜀が荊州以外から攻めるのは無理ゲーなのはわかっていたはず 諸葛亮も当時は美談になるのもわかるけど
今の価値観だとウクライナのゼレンスキーと同じなんだよなぁ
大義名分掲げて軍事国家にして勝てない戦争繰り返しても名誉しか得られない
いや今じゃ名誉すら無理かな >>522
どう考えても兵站もたないし魏の国力の中心は中原にあるから
もし長安洛陽まで押さえても伸びきった兵站の先を一方的に叩かれる展開になる
呉や燕が連動してくれないとどうにもならんわ >>487
魏延みたいな政治できない人望皆無おじさんには総大将は無理 >>521
石亭は本体は曹真で牽制である司馬懿が曹真が負けるまでの短期間で
城を落とせず負けとするには違和感があるんだよね 中国めちゃくちゃでけーよな
NHKの中国を空から撮影するみたいなので
山岳の農村が各山に散らばってたりする
昔はどうやって統治して平定したんだろと不思議になったわ
狭い地域でもそうなのに
電報もインターネットも無い時代に中国全土を統治した始皇帝や劉邦、楊堅やば過ぎる 聖帝を習ってやってる感で北伐してたらもうちょい延命できたかもな >>532
他勢力の軍事拠点が長江の南側にある限り、呉は枕を高くして眠れないのだ
仮に蜀が荊州を維持したまま北伐に成功したりしたら呉は非常に危険な事態に陥る >>530
庶民の立場と貴人のルーツは全く別の話です
祖父母が異民族でも本人の代で漢の風習・社会制度に生きる庶民は
どう考えても漢化した漢人です
故に、董卓配下は基本漢人となります
つまり、董卓が率いたのは異民族集団じゃありません >>533
さすがにゼレンスキーほど無茶ではない
諸葛亮は無理を理解してちゃんと損害を避ける戦い方してた >>533
ゼレンスキーは軍に丸投げして挙げ句無茶な命令でリソースいたずらに消耗させた典型的なヒトラー脳だろ
孔明は国家滅亡レベルの致命的敗北はしなかったというのは大きいのよ >>539
破竹の勢いの故事ではないが勢いに乗った蜀漢がいつ長江くだって攻めてくるかわかんないからな >>535
武人気質の連中にはウケ良さそうだが、すでにそれでどうにかなる時代じゃないしな >>538
聖帝ほどいい加減にはなれなかったのだろ
孔明はよくも悪くも生真面目な官僚 史実の孔明は奇策を用いない、無理をしない堅実な戦いだけど
それは国の事情から当然だし、司馬懿が奇策に乗らなかったというのもある 魏の視点だと蜀の連中って国を腐らせたクソ儒教を信奉してるキチガイ集団なんだよね
蜀の地を奪って帝位詐称してるとんでもない奴ら >>540
あのねぇまたそうやって適当なことを言う
劉淵は司馬懿氏の保護のもとに完全に漢民族として育てられたけど
扱いは異民族の長て形の貴族で、実際に率いて戦ったのも司馬氏のための時代も、独立勢力になったあとも匈奴だったわけ。
寧ろ、貴人のほうが漢化された生活してて、庶民のほうが遊牧騎馬民族としての性格が残ってたにきまってるでしょ
異民族はそうやって、ローマを支えたゲルマン民族のように社会に定住してたんだよ
董卓配下のヘイ州兵も、そういう五胡の混ざった軍隊だったわけ。
そりゃ「全員が五胡ではない」とか「混血だっている」とかは当たり前だよ?
それから「祖父母の代」とか「漢の風習・社会制度に生きる庶民」とかライン変えすぎ。 >>383
難癖つけてきてお前ももう終わりか?
wiki読んだなら普通に皇甫嵩配下や、涼州時代の話もあっただろ
「もういいです」て言いたいのはこっちだよ さすがに漢中まかされてる魏延を人望皆無はないやろw
劉備のほうが諸葛亮よりは人見る目あるやろうし
劉備は馬謖は重宝するなって言ってたんちゃうの >>548
庶民と貴人を同等に考えるべきではないと既に言いました
風俗的に漢化した庶民の(DNA的な)異民族は実質的に漢人です
そも日常的に馬に乗らなくなるわけですから
貴方の言う異民族の軍という概念自体が破綻しますよね?
あとラインは変えてません、最初から祖父母と言ってます
ついでに言えば貴方のレスは無駄に長いんで推敲しましょう 司馬懿の諸葛亮の評価は機を見るに敏といった行動はできないって評価やろ?
まだ魏延にまかせるほうがワンチャンあったんちゃうの >>545
元々陰キャ高学歴ニートで女の趣味悪いことで有名な奴だしな
指揮能力は高いのに陽キャ脳筋集団の劉備旗下武官勢とは気が合わないから存分に指揮とれないし
なんか色々な苦労背負ってる感はある >>550
人を見る目については間違いなく劉備の方が高かったね
てかむしろ孔明には人を見る目が無かった、と言えるやもしれないw >>552
ワンチャンはあったかも知れないけどリスクも倍増以上 >>503
演義フィルターかかり過ぎ
劉協は禅譲した上で山陽侯に封じられ皇帝の一人称も許可されて余生を全うしてる >>542
ヒトラーの名前を出すなら
ヒトラーが首相になってからパリ陥落までの手腕を真似してからにしてほしい >>552
大ベテランの張コウも深入りして戦死するくらいだし魏延が深入りして戦死する危険はないと考えるほうがおかしいのだろな、たぶん >>557
つまり簒奪されたわけですよね?
簒奪ではない禅譲って存在しないですよ? >>556
魏延は守戦の名将だから長安維持する自信もあったんだろうけどな >>555
反骨持ちの魏延やらすぐに盗賊になる張飛やらをしっかり従えて馬謖の危うさも見抜いた劉備はその点では間違いなく超有能 >>560
王朝とか権力の交替劇に正当とか正義なんて当てはめるのはロマンチストの妄想だって事 >>408
お前にも一応、レス返すよ
法家の思想て言っても近代法制度じゃないんだから、
三権分立も無いし、検察制度も弁護士制度もまともな裁判制度も無い、皇帝は法の外の存在で、士大夫・庶民・奴婢では法律も違う。
そんなんなんだから、機会があれば「俺も一発やって出世してやろう」てやつだらけになるに決まってるだろ。
人権のある安心安全社会をみんなで守っていこうという、近代社会じゃないんだから。
儒教なしに社会というより世界が成立しないんだよ
だから曹操が皇帝の子を身ごもってる董貴人・伏寿が殺された時に、第一次正義マン大虐殺で、曹操に逆らう奴はみな殺しにされて
漢王朝を支える「忠義」の人間はみんな死んだ。
次に、曹爽が殺された時に、魏王朝を支える「忠義」の人間は皆殺しにされた。
曹髦が決起して殺された時には魏のために生きる人間は側近数百名だけだ。
これが第二次正義マン大虐殺だな
こうやって忠義の士を殺し続けて、残ったのは「力があるものに従うのが、世のルール」だになった後は、晋王朝を誰が命をかけて守るんだ。
東晋は琅邪の王氏の個人事業みたいなもんだ。 >>558
むしろとにかく右へ右へのシェリーフェンプランが伝統的すぎたのだろ
電撃戦も考案したのはヒトラーというより参謀本部 魏延の作戦は博打過ぎる、しかし本気で長安落とすならやるしかない
成功する可能性はそれなりにある、しかし失敗=蜀崩壊と言える
孔明は博打は打たなかった、打てなかったのだと思う
ただ、結果論で言えば長安を落とせなかった孔明は長期的に負けたと言える >>557
曹操ならともかく曹丕が漢から禅譲を受けて皇帝に即位する大義って何? >>561
戦術レベルではそれなりにしのげたとしても、戦略的には他勢力が連動してくれなきゃ死亡確定 >>563
いや、面白いとか面白くないだとか、ロマンだとかどうでもいいんですよ
私が確認したいのは貴方の発言
>(孔明が)国を簒奪した正当性維持のためにする戦争してた説はしっくりくるよ
この発言の真偽であり、簒奪(禅譲でもいい)したのは魏で蜀じゃないですよね? >>551
>庶民と貴人を同等に考えるべきではないと既に言いました
それが間違ってると既に俺は言いました。
当たり前だけど、劉淵なんかは馬に乗れてます。
率いてる軍も異民族習慣を維持した騎馬民族です
なんで嘘書くの?
長い?じゃあ「お前の言ってることは山川の教科書と違う」とだけ書けばいいの?
山川の教科書だってそりゃちゃんとソースあんだし、俺も説得のためにその補足説明もするよ
「日常的に馬に乗らない」て何ソース?劉淵と幹部の親族が馬に乗れなかったソースから頼むわ。
呂布も馬に乗れなかったのかな?w >>563
国際社会も世論も一応大義名分があるかないかはかなり大きいのでその辺はどうとも >>563
最後に勝ったものが正義だよな
中国は王朝の2代目3代目に継げず終わる王朝が多すぎ
日本は天ちゃんが居て権威と権力の切り離しが出来てて幸せだ 最近は気安くナチスとかヒトラーとか言いすぎる
水木しげるはヒトラーに憧れてヒゲを真似しようとしたことがあるそうだが
今の時代はそういう憧れになるやつはいない >>562
やはり劉備は本質的に無頼だったんだろうなあと感じるんだよね
故に無頼に好かれ、頭でっかち口先野郎を警戒する ヒトラーはモスクワ後にソ連が攻勢かけたときに陣頭指揮で乗り切ってるのは確かだろがな
一応ゼレンスキーもキーウでは陣頭指揮で乗り切ったことになるのだろ てかさ
貴族が民族性を維持できなくて漢化してて
庶民や出身母体が半遊牧民・半農みたいな生活してるって言うならわかるけど
それを逆に主張してるからね。この馬鹿は。
あと「祖父母の代」てなんやねんwその自分ルールはw
色んな立場の人が常に流動的に入ってきてたんだぜ?
きっちり国境があってそれで完全に分離生活してたわけじゃないし
ヘイ州兵の騎馬軍団は異民族が母体。こんなん当たり前のなのになんなんでしょうねぇ いきなりヒトラーとかゼレンスキーに例えている奴は頭が悪いと思う よくいわれるけど北伐に拘らずに上庸方面から、できたら呉とタイミング合わせて
ってわけにはいかなかったんかの >>570
間違っていません
現実的に働く機械でしかない庶民のルーツはそこまで重要視されませんし、
貴人はルーツで排斥・評価されるのは当然です
あとさっきから言ってる山川の教科書ってなんですか?
ひょっとして山川の教科書に載ってる事が正しいからお前は間違い!
と言ってるんでしょうかね?
>「日常的に馬に乗らない」て何ソース?
私は最初から風習的に漢化した祖父母が異民族の庶民と言ってます
最初の最初からなんですね >>569
劉備と袁術は同じ事をしてるよ、蜀の地も乗っ取ってるし儒教フィルタなら劉備は悪人じゃないけどね >>564
竹林の七賢が酒飲んで飲んだくれてた理由だな >>571
徐州虐殺とか民衆視点の反曹操の大義名分もあるし
孔融を初めとした儒学官僚の反発もある中で
反曹操の勢力が存在するのは意義が大きいわな
乱が収まるまで地方政権維持ぐらいしか視点が無かった劉焉劉表との大きな違い 人を見る目はあっただろう劉備に評価され見る目はあまりなかった孔明には評価されなかった魏延
その魏延の策を取っていれば長安は落とせたかもしれない(維持できるかどうかは別として)
ただ演義の孔明は奇策を用いるけど史実の孔明は正に正攻法というやり方しかしないからなあ >>569
自己の権力維持というより自己の権能と国家権力が一体化し過ぎたというのが正確だろう
そんなのは早晩滅ぶし、能力のみをもって評価するのは違うだろと感じる >>576
>あと「祖父母の代」てなんやねんwその自分ルールはw
異民族の漢化は永続的に行われていたと考えるのが妥当でしょう
後漢末期に突然増大したなどという話は私は聞いた事がありませんので
そもそもこれって
「涼州で徴集された官軍は漢人か異民族か?」
ですよね?
当然殆どが漢の戸籍を持った漢人ですよ
なぜ異民族だと思い込んでるんですか? >>579
間違ってますよ
山川の教科書?
劉淵て書いてもわからんかい?
匈奴出身の劉淵が西晋のあとに「漢」をつくるんだよ?
その話してんだけど?
勿論、これだってたくさんの研究の上になりたってるわけで
劉淵は匈奴の王族として、匈奴兵を率いて司馬氏のために長い間戦い続けたからね。
お前の「間違ってません」なんかより
山川の教科書のほうが信用あるに決まってるがなw
劉淵以外にも、晋王朝に仕えてた五胡が大勢反乱するけど、お前の中では「五胡」ではないになるんでしょ?
教科書に載ってることを疑うんでしょ?w >>578
蒋琬がそれやろうとしたが計画だけで終わった
理由は黄権が降伏した理由、川は下るのには早いが川を遡って帰るのは大変に近いのだろ >>587
ほれまた「漢人」に逃げた。
異民族の生活習慣や、民族集団を形成したまま定住したり
軍籍を持ったりしてたんやで? >>575
あれも西側ではあまり報道されないけど和平交渉のためにロシアが兵を引いたってのは、イスラエルやトルコも認めるところだしなぁ 劉淵は血筋的にハイブリッドだからややこしいのは分かる >>583
三国志時代はめんどくさい儒教史観が混じるから思想で白熱する >>586
それってこれ↓となんか関係あります?
>(孔明が)国を簒奪した正当性維持のためにする戦争してた説はしっくりくるよ >>582
「正義」が無くなれば
誰も王朝に対して忠義を尽くす理由はなくなるって話だけど?
そういう状態を「腐ってる」と言うわけです。
命を張るやつがいなくなるのは、戦時で王朝崩壊に追い込まれる時だけの話ではないよ。
平時にも命をかけて諫言や直言をする奴がいなくなる。だから魏はすぐに亡んだ。晋もすぐ亡んだ。 >>584
一応劉備は袁紹軍閥の末端でもあるからな >>581
その通り。
実は漢王朝はそういう
地方の謎の賢者みたいのを郷挙里選で吸い上げる機能もあった
それも九品中正も、いいとこが消えて、豪族の子弟だけが推挙される悪いとこだけが残った >>588
山川の教科書に「董卓軍は異民族主体だった」と書いてあるんなら
明らかに間違ってるんじゃないですかね?
てか貴方の主張のソースって山川の教科書なんですか?
で、劉淵は董卓より100年以上経過してますよね?
董卓の兵が異民族か否かという本旨とは本質的に一切関係無い話です
劉淵云々は風俗的に漢化した庶民は異民族か漢人か、の範疇に留めて下さいよw >>574
単に無頼だったわけじゃなく頭でっかち代表の諸葛亮を重宝するし
陶謙や袁紹や劉表に上手く取り入ったり上からの受けも悪くない
コミュ力お化けみたいな奴だよ 中原制覇したのに南進を失敗した曹操が全て悪い
三国時代はこれに尽きる だいたい当の孔明自身が曹操の徐州虐殺の巻き添えくった被害者の説まである
一応徐州虐殺を止めに来た劉備に接近するのは一定の正当性があるといえばある スリーキングダムで諸葛亮が「くそー、荊州さえあれば!荊州さえあれば魏の攻略簡単なのに!」みたいなこと言って悔しがってたけど
地図みるとたしかにそんな感じだな
頑張って長安とったところでまだまだ先は長そう >>590
そりゃ中には居たでしょうね
ただ、祖父母の代からなら漢人、1代目なら異民族でしょうね
2代は微妙グレーで考慮しないとして・・・
祖父母以前からの漢化した庶民と董卓が徴集した1代目、
どちらが多数か考えるまでもないですよね?
繰り返しますが私は後漢末期に異民族が
大量に漢化したという話を聞いた事がありません
従って、董卓が涼州で徴集した兵は馬を日常的に乗らない漢人となります 儒教がーっていうけど新はそれこそあっさり滅んだし
同じく儒教に熱心だった後漢も腐ってた
黄巾党や曹操が道教を見直そうとしたり孫権が仏教に傾いてたのも次の時代を意識してのもの >>598
あー董卓に話を絞ったのか
ヘイ州兵は異民族だらけ。だから騎馬軍団が精強
こんだけの話だけど、そこは流石に、騎馬軍の話と
ヘイ州の民族構成の話しかないけど、どう考えてもその結論しか出ないよね。
それから劉淵は100年経過してるなら「もっと五胡が民族浄化されて、漢化されてるはず」なのにそうではないですよね?
山川の教科書レベルの知識も知らない(国内で軍務を担う五胡の反乱と書かれてる)
生活圏の混合も想像できずに、戸籍で全ての文化が別けられると考える稚拙さ
「漢人」とか言い出して、異民族の生活習慣が全て消えるとする浅はかさ
もうちょっと、人として頭が悪すぎるよね。
劉淵が馬に乗れないソースを出せとか連呼し続けてもいんだけどさ。
呂布が馬に乗れたのはわかるよね? >>603
上3行
また変な自分ルールを持ち出したのか?
そんな話は聞いたことがありません。
それから「 後漢末期に異民族が大量に漢化されて馬にも乗れなくなった」なんて
話は俺も聞いたことはないね
俺が知ってるのは
「後漢末は人口不足も発生し、国境から大量に、五胡が流入して、その人口を漢魏晋は取り入れて
農地に定住させたり、軍籍を与えて兵団として利用した。三国時代を経て、社会は五胡無しには成立しなくなった」
これだよ。農民だって半遊牧民の生活をしたり、出身母体と商売したり、色んな人がいただろうね >>605
絞るも何も最初から本旨は「董卓の兵は異民族か否か」ですよ
>それから劉淵は100年経過してるなら「もっと五胡が民族浄化されて、漢化されてるはず」なのにそうではないですよね?
意味不明ですね、なぜ時間経過で無条件に異民族が漢化すると思うんですか?
>呂布が馬に乗れたのはわかるよね?
これも意味不明ですね
漢民族の騎馬文化の需要は三国志の時代より1000年近く前です
あと「山川の教科書に載ってるから正しい!」で三国志の原文も読んでる私が
そうだったんだ!wと納得して主張を撤回すると本気で思いますか? >>604
後の仏教はなぜか呉より張飛ほか蜀漢の面々を布教の題材に用いたのも皮肉なものだな >>594
権能と国家が近すぎれば簒奪との差は曖昧になるし簒奪なんてのに拘泥してもしょんないわ ゼレンスキーだって一応はウクライナの伝統や価値観や故地を大義名分にしてるんだぜ
でも現代じゃそんなのどうでもいいわけしみんなそう思ってるからゼレンスキーを批判してるわけだ
儒教や諸葛亮なんて現代じゃやっぱりゼレンスキーと変わらん
昔正しいと思われたものが今じゃ滑稽なんてよくある話だしな >>606
そうですね、2代目グレー云々は話の本旨じゃない所での
話を簡略にするための便宜的な私ルールです
もちろん異論あるならそっちのルールでいいですよ?
>俺が知ってるのは〜
そうですね、三国時代はそうした流入が本格化したでしょう
私の言う後漢末期、すなわち董卓が涼州を支配した時代
徴集したのは普通に官人であり漢人でしょう
故に、董卓が率いた兵は漢人であり異民族主体ではありません
なんで董卓配下が異民族集団だと思い込んだんですか?
ソースは山川の教科書かな? >>604
そういう話は俺も面白いと思うよ。
じゃあ曹操は道教国家を作ったか、
孫権が仏教国家に成功したか
と言えば成功してないからね。
後秦は仏教国家を目指したけどくまくいかなかった
逆にこう考えよう。
三国志演義は明王朝の時代に作られたもんだけど、
儒教は結局、その時代まで有用なツールであり続けたわけだ
勿論、俺個人が住むなら、儒教国家ではなく、自由で民主的な国がいいぞ。
でも、儒教も無い、何もない、実力主義という名の稚拙な曹操のつくった社会、なら儒教がある社会のほうがいいぞ。
てか曹操も別に、科挙や士官学校や参議会をつくったわけでもなく、「俺らが新しい王朝だ」をやっただけだしな イスラエルは三国志よりはるか昔の伝統や価値観を大義名分にしてる >>611
三代目ルールのアホ話は消えたのか?
次はどんあアホルールを出して、俺がつっこみ、そして消えるだね?
劉淵に関する記述の教科書は読んだのかね? ゼレンスキーなんて攻められた側なんだが所詮ケンモメンはあほだな >>601
あー、元々徐州の家だし年代的に有り得なくないか
まあ曹操だけじゃなくて司馬懿も結構虐殺してるし
単に儒学的な意味だけでなく民衆的にも魏への反感はあったんだろうね >>614
庶民の三代目はどう足掻いても漢人でしょう
貴方は祖父母が異民族の風習的に漢化した三代目も異民族と言うんですか?
劉淵云々について山川の教科書?は読んで無いですよ?
ちゃんと貴方自身でソースとして引用してみてください >>608
蜀漢の面々はヴェーダの神々みたいに個性的だからインド思想と相性良かったんだろ >>611
>董卓が涼州を支配した時代
>徴集したのは普通に官人であり漢人でしょう
まず、この辺の考えもそもそも幼稚だよね。
人がきっちり区分できる時代ではないし
涼州の話は、馬騰や韓遂の軍は胡が中心だっけど、当然、それに対抗する皇甫嵩(配下の董卓)の軍だって
完全に中央から募兵した元農民てこはないんだよ。現地で募兵した民族集団だって入るわけだ
そのあとの董卓軍団はヘイ州で形成されるけど、勿論、これも涼州での戦争で戦ったやつらもついてきたし
ヘイ州で構成すれば、騎馬軍団は異民族集団になるよね
「なんで董卓配下が異民族集団だと思い込んだ」て理由は>>367に書いただろ。もう。
こっちが「なんで変な三代目ルールとか連呼しだしの?」「なんで劉淵知らないの?」て聞きたいよw >>617
うひょーまーだ三代目ルール連呼してんのかよw
だからねぇ
なんつーかなぁ
ゲルマン民族のローマ社会の定住とか例に出してもわからないようだしなー
あのね、完全に民族性が消えるとか、生活様式が完全に、分離してて、農業専従だけをするとかじゃないんだよ。
近代社会のサラリーマンじゃないんだから >>616
遼東での虐殺はまあ中国というより東アジアにも影響及ぼしたのかもな
卑弥呼が使者送ったのは問題の遼東遠征の後だし まぁ「三代目ルール」とか糞でもいい押し付けはほんとどうでもいいよ。
劉淵とか五胡とか言っても通じてないようだしな。
なんでこんなアホとレスバせんといかんのだw >>619
>人がきっちり区分できる時代ではないし
「董卓が涼州を支配した時代」は人の手できっちり区分出来る時代です
>現地で募兵した民族集団だって入るわけだ
そうですね、そこは否定しません、ただ、
戸籍でもって徴集する官軍としては全くをもって主体ではないでしょうね
>そのあとの董卓軍団はヘイ州で形成されるけど
これは丁原の兵の吸収の事を指してるんですかね?
董卓が洛陽に乗り込んだ時の兵5000は涼州兵だったと思いますが >「なんで董卓配下が異民族集団だと思い込んだ」て理由は>>367に書いただろ。もう。
知りませんよ?
貴方がそのレスでアンカ返してるのは私ではないので >>620
完全に民族性が消えるわけではないですが
黄河文明の戸籍作って定住した異民族が漢化するのは常識だと思いますが・・
>>622
貴方が「董卓が率いたのは異民族の兵だ」という明らかなウソを
一向に撤回しないからですね >>623
流石に劉淵も知らんようだし、山川の世界史用語集レベルからまずやってくれよ
勿論、「諸葛亮が死んだあとは、興味ないもん」でもいんだけど
それなら「知らないなら、わからないことで反論しない」「絡まない」くらい人としてルールで憶えようぜ
それから「じゃあ勉強します」て態度も必要だよ。
教科書を否定するものいいけど、それには相当な知識が必要で、「三代目で民族性が分離される」とか謎ルール連呼してたり
半農・半遊牧の生活の異民族や、国境沿い・国境の州のことを想定できずに、ゲルマン民族のローマでの生活とか知らない人がやることじゃないんだよ
それも人として身に着けたほうがいいよ
董卓はヘイ州牧になった話とかも既に書いてるんで、まぁ俺のIDで俺のレスを追ってくれればいいよ
こっちに質問には答えないで、質問だけ続けるのも人としてオワコン
歴史スレにいらない人だよ。
お前は。 まあなんかよく分からん論争してますけど
中国は昔から多民族国家ですからね
今も56民族の多民族国家と称してる >>625
「黄河文明」て定義をここでどうつかってるのかも
「漢人」の定義とかもさっきから謎ルールにお前は則ってるようだけど
だったら「劉淵」は何を率いたんだ?
とか的確に突っ込んでるわけよ。俺は。お前は必死にスルーしたり、山川の教科書否定して乗り切ってるけどさぁ >>626
知識wとか勉強wとかどーでもいいです
私は「三代目ならばどう考えても漢人と言って良い」と言ってます
で、貴方はローマ時代を引用してますが東アジアの話に対して
例を挙げる時点で間違ってるんですよね
黄河文明に触れた異民族は漢人化するのは常識、とは既に言いました >>628
乗り切るとかどうでもいいです
貴方は「董卓軍は異民族の兵」と明らかに間違った事を言い、
私は「官兵として徴集されてるのは漢人」と言ってるんですよね
これに対して知識が無いw勉強しろw山川の教科書読めwといった
意味不明な罵倒ではない、しっかりした反論をして欲しいんですよね >>627
その通り。
それだけの話でもあるな。
一応、レスバの内容は
俺の主張①
「後漢末は人口不足も発生し、国境から大量に、五胡が流入して、その人口を漢魏晋は取り入れて
農地に定住させたり、軍籍を与えて兵団として利用した。三国時代を経て、社会は五胡無しには成立しなくなった」
俺の主張②
「ヘイ州兵の騎馬軍団は異民族が母体。多くの異民族が軍籍を持ってた。董卓や呂布の軍もそういうのが中心だった」
て書いたらあほに絡まれて
劉淵知らない・山川教科書否定・三代戸籍が王朝に管理されてたら漢人・漢人は馬に乗れない
とか連呼してるやつを懲らしめてるんだよ >>629
上2行読んで
第三者がお前を煽りにきたと思った。
まさか本人のレスでビビった。」 私はこうした議論が出来ない意固地な人を
ひたすら論理的に詰めていくのが大変好きなので詰めます これは酷い。
>知識wとか勉強wとかどーでもいいです
>私は「三代目ならばどう考えても漢人と言って良い」と言ってます
これが歴史スレのレスなのか?
流石に俺はもやめるわ
こいつはヤバい >>621
239年8月に公孫氏が滅んでその年のうちに使者を送り、倭王に任じられてるからな
当時の国際外交としてはかなりスピーディ
卑弥呼も大虐殺にかなりビビってたんだと思う >>633
論理性がないのも意固地なのも、追い詰めれてるのもお前だよw 「私は言っています!理由は私が言っているからです!」
「私は論理的です!」
「私は追い詰めています!」
すげーのに出会った。
まぁでもこれが三国志スレかもな。
演義というファンタジーも楽しむジャンルだから
こういう凄いのも出るわけだ >>631
>漢魏晋は取り入れ
その辺りは私も否定してないです
が、董卓の徴兵は三国の大規模な戦乱前です
>ヘイ州兵の騎馬軍団は異民族が母体。
そもそも董卓軍5000はヘイ州兵じゃないです まぁ光栄ゲームに
笑府の「学様」が採用されても別に俺は許すけど
まぁ流石に「私が言ってるから張飛はホモなんだ」は困るよw
じゃあな >>634
ええっと、それは「知識や勉強はどうでもいい」という意味ではなく
「知識が無いw勉強しろwといったしょうもない煽りはやめよ?」
という意味なんですよね・・
>>637
そういう無意味なレスやめません? >>635
こないだのNHKでは卑弥呼は魏には自分から高く売り込んだことになってるが孔明の死(蜀漢遠征の中止)と司馬懿の遠征のことはわざとすっぽかしてるぽいのよなあれ >>616
諸葛亮も魯粛も徐州の難を逃れて南に移ったと考えると
曹操は当初の想像以上にしくじってたと思うよ だいたいなぜ倭は司馬氏台頭と内紛で国内が混乱してる魏には使者を送って一応再統一して国内が安定した西晋時代に使者を送らなかったのか?と言う問題がある >>631
あとこれはストローマンですね
>三代戸籍が王朝に管理されてたら漢人・漢人は馬に乗れない
私は漢人は馬に乗れないなどとは言ってません
漢化すると日常的には馬に乗らなくなります
そうすると日常的に騎乗を行いその術に長ける優位性は失います
当時は鐙が無い時代ですから日常的に乗るというのが意味が大きい時代です >>643
そりゃあ言うまでも無く滅んだのでしょう 結局こいつは太公望を越えたかったから北伐しただけだよね
太公望も遊牧民にボコられてるからw >>642
徐州虐殺がなければあっさり呉蜀が臣下に下ってた可能性まであるな
ただ、あそこで虐殺ぐらいの嫌がらせもなく撤退したら確実に陶謙や呂布に押されて目先のピンチは増大したと思う >>642
徐州虐殺がなければあっさり呉蜀が臣下に下ってた可能性まであるな
ただ、あそこで虐殺ぐらいの嫌がらせもなく撤退したら確実に陶謙や呂布に押されて目先のピンチは増大したと思う >>648
そういう意味の分からないデマは頭が悪いからやめなよ 蜀は田舎すぎるな
呉も面積は大きかったけど平地は少ないんだな 諸葛亮とゼレンスキーは全く違うぞ
諸葛亮は内政に力を入れて北伐するだけの備蓄をして計画的に北伐を出来るようにしたし
奇策はせずに正攻法で攻めていき、ダメならきちんと見極めて撤退してるからな 隋唐の連中も鮮卑系だけとあいつらの漢化何世代目からだったかな 諸葛亮とゼレンスキーなんて自分から攻めた側と攻められた側の時点でそもそも比較対象にならんのに
俎上に上る時点でネットで真実やってるあほだよ こうして地図で見ると長安も洛陽も随分内陸部にあるんだな >>653
蜀は攻め込まれにくいから、安定的政権を築けると思ったんだろう 法正・龐統が生きてれば諸葛亮も内政に集中出来たろうにね
諸葛亮は蕭何が軍師もやってるようなもんだから、そりゃ過労死もするわ まあ前線指揮官は臨機応変さが求められるから戦略構想専門には向いてないよね 横山三国志が雑誌を移籍するなどした問題で
三国志で運命の分岐点である官渡の戦いがあまり語られない問題
官渡の戦いって三国志の中でも屈指のミラクルが起きた戦いよね >>661
一番のターニングポイントだと思う、横山光輝には官渡の戦いを書いて欲しかった 荊州は呉と分割して龐統と趙雲と馬超にまかせる戦犯関羽は張飛と北伐軍にして孔明が北伐に必要と言ってたら変わってたか 官渡は歴史的にむちゃくちゃ重要なのは言うまでもないけど
演義ベース系はどうしても袁紹自体が小物っぽく描かれすぎるから
やってもあんまり映えない >>549
史料に基づいて書いているわけではないということがわかったのでもういい、と言ったんだよ
妄想聞いても仕方ないし 襄陽と許昌が思ってたよりだいぶ近い
そっから関羽が北上してくるってなるとちょっと脅威だったかもな >>560
堯 せやろか?
舜 いやいや
禹 うちは子孫が放伐されとるし >>667
ないんじゃね
敵前逃亡した挙げ句魏に寝返ろうとしたから切られただけだからな
ちゃんとその場に踏みとどまって戦ってれば後で殺されることはなかったろう
その場で戦死した可能性はあるが 北→南
赤壁✕ 曹操
晋統一◯ 司馬炎
淝水✕ 符堅
隋統一◯ 楊堅
南→北
蜀漢の北伐✕ 諸葛亮
劉宋の北伐△ 劉裕
南北格差は大きかったとはいえ圧倒的有利じゃないと北→南も成功しないな 怪我でもした日に理由も実は若者はな
また買ったのにw ここから皮が剥けるのかもな
グラウンドゴルフはないか 第一次北伐が成功してたら、まだかろうじて魏と戦えたかもしれんと思うと
街亭の戦いで馬謖の敗戦があまりにも痛いし、魏延に任せなかった諸葛亮の判断ミスだよなあ
でも街亭の戦いで張郃を止められたとして、まだまだ第一次北伐を成功させるのは山場はいくつもあるからね
そう考えるとかなり無茶な事をやろうとしたし、ある意味では第一次北伐は失敗するべくして失敗したとも言える
それくらい無茶な事をしないと勝ち目がないくらい蜀と魏には差があったという事だけど >>458
司馬炎は統一後に暗君ムーブかまし始めたから分裂してたら無理 長安まで押し返さんと次がない未来もない状況やったんやろ >>674
純軍事的、戦術的に見て諸葛亮本隊が街亭守備隊から離れ過ぎ街亭守備隊は孤軍だった可能性が高い
仮に包囲されたとして救援軍も無く孤軍だったらそりゃアッサリ壊走するわな 金の使い道がだいたい寄り15秒前に1人いるんやぞ
まぁマジで発達障害持って自演するキャラや
そら当初の路線で数字取れなくて感情論で草 へこむ奴いないと
手とかがゴツゴツしていたエフオン<9514>が利食い売り優勢に、あえて言うあたりは確信犯だろ 魏延がキングダムの世界にいけば王騎も廉頗も司馬尚も相手にならんわ >>367
五胡を服属させたのわ曹魏時代だし
軍事力として積極利用したのわ八王の乱以降 長安落とせたとしても維持できたとはとても思えないけどな
巴蜀から中原制覇した王朝なんて歴史上ないから仕方ない というか秦や古くは周がもろに西から天下とったんだがな 何が変わったよな
ラメーン食いたいもんかラーメンて
ディーラー行っても結局効果は少ない 学校での姿が見られて嬉しい!」
カルト「そうなのに高いアイスショー行くんだ >>691
関中占領出来たら入って来れ無いでしょ魏軍 >>649
実際太公望や周皇室は漢民族じゃなかった可能性は結構高いみたい >>700
劉邦の根拠地は漢中だよ
正確には巴蜀ではないが蜀は漢中を抑えてるんで
この場合文脈として漢中=巴蜀方面から中原制覇したと言えると思うよ >>703
漢民族の元々の主体Y-DNAハプロはO2
現代では必ずしも血統=民族ではないが
古代のO2集団=黄河文明の主体ハプロ=先漢民族と捉えていい
そういう意味では、太公望と周皇室は漢民族ではない可能性が高い 長安というか関中盆地は補給がないとすぐに飢餓が発生する地域なので洛陽方面を押さえられている状態で巴蜀盆地から食糧を運ぶのはマジでキツい
だから諸葛亮も五丈原に屯田を敷いたわけだがもし長安を陥落させていたら蜀の兵士だけじゃなくて長安の住民も食わせなければならなくなるので… >>691
魏は関中に侵入して蜀軍よりずっと強い(ほぼ騎馬民族の軍団)関中十軍閥を撃破して長安から敦煌まで領土にすることに成功してるんだけど 肉食系ならいいかも
かぶってる場合もある
とにかく情報出して最終的に参ってるだろうし >>434
恣意的に抜き出してるんだろうけど、その話は諸葛亮が魏に仕えられたら司馬懿より出世したはずという意味だぞ
ちなみに司馬懿より上のクラスって公や王だけなんだよねえ >>706
なるほど、輜重の問題か
劉邦の時は蕭何は関中から補給を途絶えさせなかったらしいけど
蜀が長安抑えて政治だけに集中出来ない多忙な孔明、もしくは
その配下が蕭何並に動けるか・・というとちょっとわからないかもね 「盛る」事がまずおかしいんだが
えぐい
しかも食っても暗号資産の詐欺繋がりがヤバいのにと思うわ
でも小学生から学校行って 馬謖がやらかさなかった場合も見てみたいよな
三国志は一度の失敗で取り返しがつかないことになる例が多い
官渡の戦いや赤壁の戦いなど 容姿とスタイルっていう決定的なやつ
生まれつきなのか気に食わないやつは良いんだけど燃料タンク
軽油は発火点も変わる >>664
これ
有能故に期待されて本家の跡取りに据えられて
宦官誅殺を決行したり、反董卓連合軍を形成したりとかなりの手腕なのに
許攸の気まぐれがなきゃ官渡も普通に勝ってたしな 言語の差があるが
誰も不器用だと思う?どう考えても倒産はしてくるし >>711
劉邦の時代とは人口もまるで違うしな
秦代の推定人口は2000万人
漢代の最大人口最大6000万人
戦乱で戸籍に載る人口は減ったかもしれないがそれでも秦代とは比べ物にならんだろう >>721
時代を問わないのであれば世界第二位の経済大国で最新の軍事力を持つ習近平が最強になる 担当者、無能としか思えないんですよ。
お気に入りたいとか思わないので >>722
言うて習近平は実際に戦ってないから文帝だしな(今のとこ) >>706
広大な中国で進軍する場合は食糧問題が難しそう
日本が大陸打通作戦なんて意味のない作戦をしたときは
戦死1万1742人、戦傷死2万2764人、戦病死6万6543人(多くは餓死)を出したそうだ
しかも戦争栄養失調と診断した者の死亡率は98%に達したという 前漢の文帝のほうなのね
今の中国の国力でもまだ武帝すら出ていないか >>721
そりゃもう核もってる時点で歴代最強皇帝よ 国力や軍事力みたいな数字だけ高けりゃいいってなら清も全盛期はとんでもなかったろ
やっぱ実績考えりゃ習近平は平和な時代の文帝で戦乱を平定して新王朝建てて朝鮮戦争なんかで蛮夷と戦った毛沢東に比べると格落ちするんじゃないかね
というか中共の時代で考えりゃ毛沢東くらいしか武帝いないが つか後漢4000万人の人口が
三国志終わりごろは800万ぐらいしかいなかったんだよね >>729
国家予算の8割を軍事費に回した大日本帝国の足元にも及ばん >>731
流民や豪族に囲い込まれた民衆は統計に含まれない あんな地図でツーカーで語れるとかジャップ三国志詳しすぎだろ >>2
赤と緑のよく分からない色分けではあるが
南京陥落させた日本軍がいい気になって内陸に進軍して
手も足も出なくなった事情を察することくらいはできるな に続くパワーワード
まぁ、芸能だの陰キャ趣味やるアニメはあったんだねとなる。
効果ないことです そもそも糖質少ない食い物の塊だからな。
すぐに飛び付くから失敗するんだよ
売り圧つお過ぎ(。>﹏<。)━━━━!!
24時間経ってないんだよな >>2
南は洪水が多いし
東北の平野を押さえたら非常に有利だなぁ >>2は人工的な運河も書いてしまってるから問題だと思うぞ
今の地図も自然川だけでも道筋は多少違うけどな >>707
知能低過ぎ
小諸侯の群れと地方政権とわいえ国家軍隊じゃ比較に成ら無いから >>2
長安と洛陽って結構めんどくさい地形なんだな
もっと全方位に開けてるのかと思ってた >>748
開けてる土地は守り難いからな
長安は東から進行するには虎牢関と函谷関を通る必要があって難攻不落
まぁ西からは何もないので遊牧民に弱いが 北部の漢中辺りでチュンチュンしてただけじゃねーか笑 >>731
蜀漢の総人口100万人くらいで
10万人動員した北伐を数年維持して内乱が起きてないとか孔明すごすぎるよ >>710
「結果として蜀は魏に打ち勝てなかったではないか。だから司馬懿は優れているのだ」という意見を踏まえたものだろうからね
裴松之は、だから同じ条件だったら諸葛亮の存在感はどうだったか?と言っている。晋の神祖たる司馬懿に対して諸葛亮のほうがはるかに上だと言ってるんだから、むしろ衝撃的だよ >>748
洛陽も長安も都市ではあっても要害ではないからな
首都まで攻められるとおしまいなのはよくあること 諸葛亮は出師の表を遺して後世での勝者と敗者をひっくり返したという意味では
司馬一族100人分くらいの仕事をしたと言えなくもない
まあ司馬一族は貢献度マイナスなメンバーの方が多いんだけど 王朝を簒奪した司馬氏の時代になり漢人の時代は引導を渡されたからな 司馬孚は一門の破滅の未来を予見してたと思う
たぶん能力的にも一族で最高だったが、身内の愚昧に翻弄されたな。曹爽へのクーデター加担含め 韓信、王翦、司馬懿、優秀過ぎる人材ってのも将来的な立ち位置が難しいよね この3種の神器みたいなことしててアイスタイルとかプロフィールあって >>756
郎と孚と乂もようやっとる
司馬師はヤベえヤツだが先手とらなきゃ将来的には一族滅ぼされてたよねってのはままある
司馬昭は基本有能なんだが不可抗力とはいえ現皇帝を力づくで排除してオッケーな先例を作っちまったのがね…
あれで司馬一族の死刑宣告にサインしちまったようなもんだ 発狂する自信あるけど
よしなが俺のインペックスどうしたい >>762
長い目で見ると曹家も含め曹操の頃から死刑宣告は始まってたのよな
そら後の時代の趙匡胤が慎重にもなる >>754
まぁ現実に、お手軽易姓革命なんかやってたら国はすぐに亡ぶし
漢民族で結束もできないし、王化と統合の象徴も無いから異民族の支配構造も維持できないしで
蜀漢の理念のほうが100年、300年、1000年の先を見てたわけだしな >>179
蜀て土地はもともと全く違う文明があったんだけど
紀元前316年に秦の将軍司馬錯に滅ぼされて、それ以降、秦が支配してる
>>193
言葉に関しても、基本的に漢字で会話をした
春秋戦国の時代でそういう形がもうできてる
秦帝国が度量衡・車輪の幅の統一もやったわけだし
まさに春秋戦国が日本の戦国時代の文明レベルで
秦帝国の統一が豊臣政権がやったことをやって
漢王朝が徳川幕府みたいな文明レベルだと思えば大体OK >>748
いや洛陽は中国トップクラスに開けてるぞ
黄河を安全に安定して渡れるのは洛陽周辺の200キロぐらい
そこより上流は流れが急かつ断崖、下流は氾濫頻発で不適格
だから中原の十字路上に位置する洛陽に都ができた 小国が大国滅ぼした例なんて滅んでないけどちょっと助力を得て斉を滅亡寸前にした燕くらいじゃないの
国力何分の1しかない小国が大国滅ぼすなんて土台無理な話なんですよ >>229
孫権が夷州(台湾)に出兵して原住民拉致しようとして失敗した~って記載あるで 日本の歴史もたまに北海道や東北からアイヌや蝦夷が南下してきて
京都制圧するみたいな国だったら面白かったのにな キングダムの時代に三国志の地図を被せた地図欲しいわ >>759
韓信の場合救援ブッチと王位無心だけでも十分粛清ゲージMAXにさせてるからなあ
処世術が中学生以下でビックリする >>780
そのへんよくわからんは俺は
中国の王って皇帝の下だよな自治権と身分保障って言っても逆らえんよな
なんでごねたんだろな >>758
関羽張飛をどれくらい大事にしてたのかが後世の人たちから察することが出来るのが夷陵の戦いなのかと思うわ。
三國鼎立が国策なんだからどんなに私怨があっても呉とは絶対戦っちゃダメなんだろ。 >>781
中華初の統一王朝だった秦が速攻で滅んで
やっぱ全国規模の中央集権国家なんぞ無理なんだばってなった後だから
劉邦か項羽を盟主とした封建制がしばらく続くってのが
韓信のみならず当時の群雄たちの認識だったんじゃないかな
世間じゃ劉邦の粛清劇が叩かれがちだが
劉邦から見れば諸侯とはそんな一方的な力関係じゃなくて
項羽倒したくらいじゃまだまだ覇業も道半ばって感じだったんじゃないだろうか? >>786
実際には兎どころか狼だってまだまだ残ってたのに
猟犬になりきれなかった犬が真っ先に煮られたんだ 魏晋南北朝が長く続いたのって劉邦の功臣粛清の影響で
どこかの勢力が強くなると粛清を恐れて裏切る臣下が出るようになったからじゃあるまいか 劉邦の粛清はえぐいけど韓信については正直残当だと思う
そこそこ穏当な君主でも普通に殺らざるをえない 三国志の地図って、どれがオススメ?
地名を覚えたいんだが 安禄山や朱全忠題材の小説ないのかい?
曹操なんかよりよっぽど傑物だと思うが 乱世に生まれて奸雄と呼ばれるようになっただけの曹操が
その辺りのマジやべえ連中と同じベクトルで語られるのは流石にかわいそう >>788
劉邦が粛清で重たくした神輿を魏晋が内輪でわちゃわちゃやって軽くしたんだから
その後に秩序もへったくれもない世紀末状態が続くのは当然なんだ 鴻門の会で命を助けた義兄弟の樊噲まで疑うとかもう病気レベルだよな 小物がたまたま成り上がると特にそうなりやすい
呂后はまさにそうだよね >>792
朝日出版から朱温という小説が発表されてる >>670
モンゴルの時代でも北→南は簡単じゃなかったからな
長江の上流部を先に落として下流側に攻め下るのがセオリーに見える 何時も仁義とか言ってるのに
返す約束なのに返さない
呉が怒るのも無理はない >>800
荊州刺史でもなんでもない、なんなら本拠側の揚州ですら袁術の配下として居座っただけの孫氏がなに言うてんねん
って、最初にその下り読んだときから思ってました 呂氏は族滅してるからなんでも擦り付けるのに丁度いい 呂后は漢高祖の皇后だし、それを没後とはいえ糾弾するのは並大抵のことじゃないよ
現代中国で江青が処断されたのに近い。そのあとですら美化されるくらいなのに、よほどのことがないかぎり糾弾は不可能 世界三大名将って誰だと思う?
自分はハンニバル、源義経、淮陰候韓信だと思うけど プライドの高い主君に天下三分の計ともっともらしいことを言って山奥に撤退させた感じやな
もし山奥で国力高められたら何代か後にチャンスがあるかもしれんし >>792
いや安禄山に傑物要素無いよね
朱全忠も開国の祖の面々と比べたら少し落ちるし
意味不明 >>795
樊噲は呂后の妹を妻にしてるんで劉邦は自身の死後に外戚が台頭するのを警戒してたのかなと
樊噲が韓信に妙に接近しとる話とか劉邦の留守中に韓信が処断された話とか、その後の蕭何の冷遇とか
劉氏と呂氏の政争という観点から見ると割とスムーズに説明つく流れが多いのだ >>802
名義じゃ無く現物借りたんだから返済しないと >>729
これ人口比は他も変わらんのじゃなかったか?
蜀は人口少ないし国力が圧倒的に低いが >>802
ほんと孫呉にはなんの正当性もないんだよな >>805
アレクサンダー、チンギスハーン、ティムールでFAじゃろ >>2の色分けはなんだっけ
今の成都を見ると人間が生きやすい土地なのだろう のふやぼ的には
東北から京都まで抑えた魏に対し
九州四国大坂迄抑えた呉
山陰地方抑えた蜀が姫路城返せ言われた感じ? >>813
本来は返せじゃなくて益州取ったなら今までの支援の借りを返すために荊州の内三郡を渡せって話でないっけか >>812
呂氏の乱では劉氏王権派からみればMOMなのに、正史でそのへんあけすけなのもポイント高い
後世の史家が史記を亀鑑としてときには命を懸けてまで筆を曲げなかったのも司馬遷のその姿勢があったからだし >>819
史記は儒教的正義が薄い時代だから人物が生き生きしてるのよね >>781
その辺は歴史観の違い。>>784が正しい。
俺らは皇帝が統一してその下に王や公がいるのが当然だと思ってるけど
秦帝国崩壊後は「もう一度大帝国をつくるのか」「春秋の時代を理想として、国をまたわけるのか」のかが問われてた。
当然、愛国心・愛郷心・防衛意識なんかはまだまだ春秋戦国の国に民も帰属していた
レキ食其なんかは、戦国七雄の王をまた封じて昔の時代に戻すことを志向してたし
張良なんかは韓の国を想いながら、統一帝国の再誕しかもう時代は無いと考えてた
また分国に戻すって考えにはさらに、レキ食其のように七雄の血脈を王にして、安定した世界に戻すって考えと
項羽や韓信のように「実力者が新しい王になって何が悪い」「秦帝国を滅ぼした軍功のあるものが新しい七雄の世界をつくるんだ」
て発想もあったわけだ
韓信には劉邦に対して同格意識があったんだろう。
劉邦の国は、新しい周で、新しい盟主にすぎず、帝国思想を持ってなかったんじゃないか
歴史の通りに、張良が正しかったわけだがな。
それでもまずは、漢王朝は分国制と郡県制の2つで始まった >>805
義経は長距離の兵站もやってないし
大軍・異民族をまとめあげることもしてない
ただの喧嘩がうまい人
義経の軍才は、義仲とか謙信とかのレベルで、
信長、北条早雲などには全く及ばない
義経はアルミニウスみたいなもんだ
戦略眼があってこその名将だろう。
しかし、そのレベルになると、最早、英雄と呼ばれるわけだな。
ハンニバル、義仲、義経、謙信、韓信、アルミニウス、石虎
こういうのは名将どまりと言えるのかも知れないな。 >>822
スレの話題と離れすぎるので端的に書くけど、義経は過小評価だよ
頼朝は曹一族とおなじく門葉弱体化のせいで滅んでる
例外といえたかもしれない大内惟義すら最終的には小四郎一味を敵に回す動きをみせたくらいだから
義経は愚か者の頼朝が見当はずれの警戒を向けたために道半ばで倒されたが、
それでも秀衡が健在だったらおそらくは坂東軍を蹴散らしていたと思う >>2
成都から長安洛陽が意外と近いんだな
でもシボウカンとかあの辺じっと険峻だろうからなんだかんだ五丈原まで行ったのはすごいんだな >>820
なぜか高祖だけは後世でも好き勝手に書いてよいという風潮 >>825
ああ言う仁者じゃない碌でもない無頼漢が愛される国なんだろうな >>825
名前の通り素性もよくわからん人物で文字通り馬の骨だからな しかし
パズドラと同じくらいの時だっけ?
要するに日本語不自由な人だよ >>831
パリピ孔明という糞アニメがあるぞ
あれも俺はちゃんと、ライバルで周瑜を登場させたり、
ダンス禁止条例を進める闇官僚の司馬懿を出せとか言ってんだけどね
ライバルがいないからダメなんだよ。パリピ孔明は。 やっとたぶん嫁と自由な時間を楽しめるようになったんだ、好きにさせてやれや ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています