結婚して子孫を残すというのはどちらかいえば身分や階層の高い者に限られており、本家ではない傍系の親族や使用人などの隷属農民たちは生涯未婚で過ごした人も多かった。

たとえば、1675年の信濃国湯舟沢村の記録によれば、男の未婚率は全体で46%であるのに対して、傍系親族は62%、隷属農民は67%が未婚だった。

それが、18世紀頃から傍系親族の分家や小農民自立の現象が活発化したことで、世帯構造そのものが分裂縮小化していった。それが未婚化解消につながったひとつの要因と言われている。

つまり、今まで労働力としてのみ機能していた隷属農民たちが独立し、自分の農地を家族経営によって賄わなければならなくなると、
妻や子は貴重な労働力として必須となるからだ。結婚とは、農業という経済生活を営む上で、欠くべからざる運営体の形成のためだったのだ。

このようにして、農村地域の未婚率はやがて改善されていくわけだが、それにしてもまだ1771年時点での男の未婚率は30%(前述信濃国湯舟沢村)もあった。2015年時点の日本の男性の生涯未婚率が23.4%であるからそれよりも高かったわけである。

https://news.yahoo.co.jp/byline/arakawakazuhisa/20211126-00269821