【悲報】江戸時代の下層民 子孫を残せずひっそり断絶していた [682717512]
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結婚して子孫を残すというのはどちらかいえば身分や階層の高い者に限られており、本家ではない傍系の親族や使用人などの隷属農民たちは生涯未婚で過ごした人も多かった。
たとえば、1675年の信濃国湯舟沢村の記録によれば、男の未婚率は全体で46%であるのに対して、傍系親族は62%、隷属農民は67%が未婚だった。
それが、18世紀頃から傍系親族の分家や小農民自立の現象が活発化したことで、世帯構造そのものが分裂縮小化していった。それが未婚化解消につながったひとつの要因と言われている。
つまり、今まで労働力としてのみ機能していた隷属農民たちが独立し、自分の農地を家族経営によって賄わなければならなくなると、
妻や子は貴重な労働力として必須となるからだ。結婚とは、農業という経済生活を営む上で、欠くべからざる運営体の形成のためだったのだ。
このようにして、農村地域の未婚率はやがて改善されていくわけだが、それにしてもまだ1771年時点での男の未婚率は30%(前述信濃国湯舟沢村)もあった。2015年時点の日本の男性の生涯未婚率が23.4%であるからそれよりも高かったわけである。
https://news.yahoo.co.jp/byline/arakawakazuhisa/20211126-00269821 次男以下はスペアインクよ
ただ死亡が多かったから出番が来たり養子の口もかかった 当然だ
薄葬令で江戸時代まで一般人が墓を作るのは禁止されていた
墓があるのは身分の高い人だけ
江戸時代末期になってようやく墓を作れるようになった おまえらは精子の中でも着床できた
一握りのトップエリートだったのに・・・ >>103
普通に考えて世界から孤立してクソみたいな閉鎖空間の中で250年間停滞してただけなのに
素晴らしい時代だと思い込んでるのが多いのが謎
庶民文化がぁというけど逆にそれしか見るべきものがなく
上層の文化は250年間停滞してた訳で 1957年から1972年までの日本は最高に豊かで
明るく平民にも実りの多い季節だった。
誰でも結婚していい家に住みトランジスタや
クルマを持てて子供をたくさんつくったいい時代。 >>54
農村のほうは夜這いとか祭りで乱交があったから困らなかっただろう 古い墓にも名字書いてあるからみんな名字があったというバカが時々現れる
名字があるような上流しか墓を作れなかっただけなのに せっかくアメリカがいい国にしてくれたのに。
日本人が自分でだめにした。 >>99
個人墓→江戸時代に家族墓になったんじゃなかったけ?いわゆる「先祖代々の墓」って奴
墓石も塔のような立派なものではなくて、硯を長細くしたような形で文字が刻んであるタイプ 上級や自民党が目指した世の中が江戸時代なので
今は上級どもにとっては理想の世の中なはずなのに
いざなってみると我先を争って脱日してるという 田分けもの(戯け者の語源)って言われるぐらい次男以降には人権がなかった >>62
幕末に暴れた奴らって次男三男が多いんだよな
余程今の現状に対して鬱憤が溜まってたんだろう https://sobani.net/articles/ohaka-kingendaishi
庶民にも許されるのは1831年
1831年(天保2年)の「墓石制限令」によって、庶民でも墓を営むことが法的に許されるようになります。しかし、例えば東京で、寺に墓地を建てた場合は、2,3年お布施がなかったら墓は倒され撤去され、次の人がその場所を使うといった状況で、すぐに現代に見るようなお墓が整備されていったというわけではありませんでした。 豊臣の残党も由井正雪の陰謀の頃に溢れてた浪人もやっぱり子孫残さず絶滅したんだな
ついでに言うと旧幕府の残党も明治末期には雲散霧消してるし、やっぱり子孫残さず絶滅したんだな >1675年の信濃国湯舟沢村の記録によれば、男の未婚率は全体で46%
そもそもが低いよな
特定の層が若い女を独占してたから 先祖がそんな競争を潜り抜けて子孫残してきたのにお前らで断絶するのか >>119
その記事の「墓石制限令」の説明は根本的に間違ってる
「制限」令と言ってるようにむしろ庶民が勝手に大きな角型墓を建てるブームが江戸時代中期に起きたから
それを制限したもの >>124
法的に許されるというのは法的に許されないのがあったという意味だとなぜ分からないのか >>127
話が長くなるけど養老律令の律と令のうち令の第九で墓には制限があったの
それは江戸時代には形式的なものに成り下がっていていたのよ
養老律令は建前としては明治時代まで廃止されなかったから
制限令で「庶民にも許される」ようになったなんて事実はない こんな話がある こんな禁止令がある こんな税金がある だから江戸は結婚できない だから江戸は酷い時代
でも巨視的に見れば人口は右肩上がりで増えていたというね どこから来たんだ?後進国からの移民かw
建前上は別に何も禁止されてない自由の国なのに毎年右肩下がりで人口が減っている現状が耐えられない奴らが垂れ流す出まかせ
問題の根本解決に対しては無為無策なんで数字弄りと言葉遊びで現実逃避するしかない 江戸時代までは養老律令の「喪葬令」によって、平民は墓を造ることが禁じられていました。
※ 廃止法令は特に出されず、養老律令は形式的には明治維新期まで存続していました。
第二十六 喪葬令 全17条 10 三位以上条
三位以上、及び、別祖(=分立した氏の始祖)・氏宗〔ししゅう〕(=氏の長)については、いずれも墓を営むことができる。
それ以外はしてはならない。
墓を営むことができる場合でも、大蔵〔だいぞう〕(=火葬・散骨)したいと願ったならば許可すること。
そのため、百姓(農民)や町人など一般庶民は、川辺・海岸・山の中に埋葬されていました。
よほどの権力者か支配階級、財力のあるものでなければ、墓石を建てることはありません。
ただし、堺の商人達は、財力に物を言わせ寺院に多額の布施を贈り、院号、居士号をつけてもらい、大きな墓の建立を始めました。 そこで、11代将軍徳川家斉は、寺社奉行松平信順、堀親王らに命じて百姓・町人の院号、居士号使用の禁止と、百姓町人の墓石の大きさを台石を含めて高さ4尺(約1m20cm)に制限しました。
これが天保2年(1831年)4月に施行された「墓石制限令」であり、ここから墓地の始まりとなります。
※ ただし、目の届かない所では大きな墓が次々と建立されていました。
墓の表記は「個人墓」→「夫婦墓」→「先祖代々之墓」に推移していきました。 明治17年以降は「先祖代々之墓」が普及していくようになってきました。 差別戒名の墓石なんてのもあるけど、財力そのものはあったんだろうかね 自民党の某議員
https://i.imgur.com/iWzuqLj.jpg
「貧困の再生産など起きない。彼らは子供さえ持てないからいずれいなくなるだろう」 先祖返りしただけやん
資本主義が人口抑制に働いたな >>129
いやいや、日本も清も人口はある程度まで伸びたらそこからは横ばいだったと思うぞ 日本は途中から間引きして一定化したが清は初期と末期で1億から4億と4倍になった >>122
この世の地獄だぞ
悲惨窮まる日本史上でも最悪 そうそう清は人口増に農業生産が追い付いてなくて流民や小規模な反乱がではじめたりと
人心が荒れていた。そんな時にイギリスがやってきた >>1
そしたら、コルホーズや人民公社から私有化が認められた国々ではどうなった? いまだに中国の土地は全て公有か国有で私有地は存在しない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています