「ジェンダーより経済」との風潮に反論する 今こそ長期的な取り組みを



 衆議院選挙が終わりました。選挙では若者や市民団体などが各政党の政策を問うアンケートの取り組みが盛んにおこなわれました。

既報のとおり、ヒューマンライツ・ナウも選択的夫婦別姓やLGBTなど性的少数者の問題、気候変動問題などのアンケートを実施しました。



 今回の選挙で、ジェンダー問題は特に関心を集め、選択的夫婦別姓導入に反対する議員を落とそうという「ヤシノミ作戦」も展開されました。



 ところが選挙の結果、人権やジェンダー問題に前向きな公約を掲げた野党の議席が後退すると

「やはりジェンダーや人権より経済が優先」「ジェンダーや気候変動は余裕のある人の課題」「人権は『意識高い系』の課題」などという議論が幅を利かせています。果たしてそうでしょうか?



「余裕のある」課題ではない

 まず、ジェンダーは「余裕のある」課題であるとの認識は何の根拠もありません。相談支援の現場では、コロナ下での女性の貧困の深刻さを痛感させられる事例があふれています。



 非正規雇用で収入が減少し、家を追い出されそうになって困窮している女性たちがリアルに存在します。

食べるものにも困るシングルマザーや子どもたちの貧困問題も待ったなしです。女性の自殺も急増しており、女性の貧困は今や生き死にに関わることです。

また、女性に対する暴力、性暴力はコロナ下でさらにまん延しています。人口の半数を占める人たち、特に若い人口が差別、暴力、性暴力によって生きる力を奪われていることが社会全体にとって深刻な課題であることは明らかです。



 もちろん、非正規雇用などの男性の貧困問題も深刻になっています。それは、「生存権」という人の生き死にに関わる人権問題です。

人権やジェンダーの課題を「余裕のある人の課題」という政治家や評論家は、現実の苦しみを体験したことがあるのだろうか、果たしてそういう現場に足を運んで支…



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https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20211126/pol/00m/010/003000c