中江兆民先生 「わが日本、古より今に至るまで哲学なし」 なぜ日本では哲学が生まれなかったのか? [157470334]
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「無血虫議員」と兆民先生怒る
中江兆民は江戸時代の末に、土佐藩(現高知県)で生まれた。郷里の先輩坂本龍馬にかわいがられ、
「中江のニイさん、たばこを買うてオーセ(買ってきておくれ)」とよく使いを頼まれたという
▼明治の兆民は、フランスの民権思想を国内に紹介したことで「東洋のルソー」と呼ばれる。
加えて、第1回総選挙で選ばれた衆議院議員...
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/824439/
わが日本、古より今に至るまで哲学なし。
そもそも国に哲学がないのは、あたかも床の間に掛け物がないようなものであり、
その国の品位が劣ることは免れない……哲学なき国民は何事をしても深い意味がなく、
浅薄さを免れない。自分自身で造った哲学がなく、政治には主義がなく、政党の争いも
その場だけで継続性がない、その原因は実にここにあるのだ。
(中江兆民著『一年有半』より) 奴隷制じゃなかったからじゃね
奴隷がいないと暇人=学者がいない 思考能力がない
おそらく前頭葉に根本的な欠陥がある 国は違えど異民族から虐殺された歴史がなかったからかもしれんな
海は偉大だ 中野信子
法華宗が教典とする法華経には、たとえばユダヤ教のタルムード(律法)などと違い、服装や食べ物、行動の規範や規律などが書かれていないところが興味深いですね。
たとえ話と「ああでもない、こうでもない」ということが延々と書かれている。 ジャップ行動は日本の哲学によるもの
周りに合わせないと死ぬ病気ともいうが 大多数を占めるバカジャップに理解できないと「和を乱す!」として村八分にされるからな 哲学とは人が考えてこれがいいなと思ったからできていった >>1
そもそも東洋に哲学はないだろ。
東洋にあるのは思想。 西洋的な哲学という物を、一人の人間が自立して物事の本質に迫ろうとする知的活動だとしたら
中江はその時代に支配的だった儒教を哲学とは認めるわけにいかなかったのだろうね
儒教は支配者と被支配者の関係を前提とした社会秩序維持のための学問で、それが教育制度の根幹に食い込んでいるのだから、西欧留学でもしないとそこから脱するのは難しい 猿の子も猿🐒ジャッァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーップ❗❗ 歴史を通して哲学を持たず、宗教も捨ててしまった日本人
世界一薄っぺらい民族 奴隷とかいないとあんまり暇がない
基本文明文化思想全部大陸から持ち込み
貴族は哲学より異性のことばっかり考えてた 文字を自前で発明できなかったからに決まってるやろ
知恵の蓄積がないから全部中国頼み 少なくとも欧米の政治家は、中国に数千年間の政治哲学の蓄積、インドには数千年間の宗教哲学の蓄積があり、それが未だ欧米が到達していない成熟度にあるために相互理解が難しい事を
社交辞令ではあるけれど認めるよね
東アジアに哲学がないというのは無学な人の妄想に過ぎず、政治哲学や宗教哲学は厳然と存在する マジレスすると民族の衝突が無かったからだろう
コンテクストを持った人と関わるなら普遍的である必要はない
多種の文化がぶつかるところだと論理性や普遍性が求められる >>28
自力で文字を開発した民族がどれくらいいるんだよw
もうちょい勉強して 「マジレスすると」で関係ない話しをぶっこむのは
一つの事を集中して考え抜いて哲学に到達する事のできない統合失調患者の特徴 >政治には主義がなく、政党の争いもその場だけで継続性がない
まぁ今の欧米の政治にも一貫した哲学や長期的視点なんかないけどな 目の前に広がる世界の外に
真なるものを想定してきた西洋
何処まで行っても結局は
この世界の内で思考が終わる日本 >>36
欧米には市民革命によって国が成り立った歴史があって
自由とか民主主義のような根本的な理念があるから、
常にそこに立ち返ろうとするけど、日本にはどんな理念があるんだろ パクリで成り立ってる国
パクリをやめてホルホルしだしたら何も残らない >>39
欧米が常に立ち返ろうとしている根本理念は帝国主義だろw ぜんぶ儒教と仏教の解読だね
本居宣長というアホが必死に探したがしょ〜もない文学止まり 目上の人間や親の言うこと、前例
これに従うのが善で従わないのは悪
これだけの国 日本最初の哲人政治家、それが偉大なる聖徳太子であるねw 日本に哲学者がいないという小文
https://www.rs.tus.ac.jp/makita/stellung/stell_phi_japan_j.html
この人の指摘はごもっとも
哲学と科学哲学と科学と客観的中立性の区別もつかない山形の知恵遅れ天羽のような人物が、
哲学を科学的アプローチで進めようとすると
歴史解釈に拘泥して哲学研究に終わり
その先で本来行うべき哲学の思索にいつまで経っても到達しない
これが日本の西洋哲学の現状かもしれない 欧米の哲学もだいぶ劣化してる感じだが
神学関係はまだキレがあるけどイスラームや仏教の方が勢いづいてる印象 そもそも哲学=西洋哲学だから
西田幾多郎は西洋哲学の文脈で評価されたけど、親鸞とか道元とか東洋哲学の文脈で見直そうって動きもあったりなかったり まあこの手の話は、日本にはITの天才が出現しないとか、ITベンチャーの大成功事例がいつまで経っても出現しないという話に似ている
現実にはたとえばスパコンGREEN500の分野で
圏外からいきなりトップに迫る大天才も出現した
しかし彼は、本来どうとでも言い訳し調整できる
産業育成のための補助金の使い道が違うというだけの理由で投獄され2年間の自由を奪われ
それどころかGREEN500上位入賞記録の取り下げまでさせられる状態になった
潰しているのは日本社会の側の問題だ
そして日本社会を離れれば、哲学はできる 俺も哲学はあんまり知らんな
ギリシア哲学すら勉強不足
カントもわからん
ニーチェとか近代哲学もわからん
現代哲学に至っては全くわからん
つまりなんにもわからん >>2
でも江戸時代の武士は昼には勤務終えて帰ってたらしいじゃん ワクチンを打たないと信頼関係が維持できないレベルの人間が大半だからな
そんなの本当の人間関係築けてないだろ
本当の意味でつきあってないんだから哲学なんか生まれるわけないじゃん
必要ないしな 流されるままに生きてるんだよ 半分異常トートロジーだけど、対話的な言語活動にこだわるものを哲学とするなら
西洋というかギリシア以外生まれなかったしむりそなんでギリシア人にそういう考えがでたかのが
問題意識としては筋がよさそう ただ、
哲学を学んだことがない俺でも
経営には哲学が必要だ!的なことを言ってる
ビジネス系雑誌に出てくる薄っぺらい経営者たちが実は哲学を全く勉強してないのはなんとなく察してるわ 九鬼周造みたいな本物が随筆家扱いされて西田みたいな大風呂敷が格上にされてるからな
九鬼の若い頃のいきの構造はよくお勉強しましたね程度だが晩年のは本格的
西田は現象学的大風呂敷で根源根源言って無意味なブラックホールを作ってる 仏教界隈ならたくさんいるよ
他平田篤胤なんかはかなり深いし視点が面白い >>22
世間のしがらみや常識や机上の知識から距離をとり、
現象や認識の中に身を置いて世界観を再構築して
人間誰しもが持ち得る脳の器質的制限や思考規則から時間をかければ到達できる「考え方」に到達する作業が哲学だとしたら、まさにその方法の事かもしれないね >>61
宗教が哲学って矛盾してるな
宗教に依らないで世界を捉えるからこそ哲学なのに
哲学に対する日本人の認識がおかしいのか 鎌倉室町の武士まではガチもんの宗教支持者や支援者いるけど
戦国期になるとその手の武士はキリシタンばかりになるんだよな
キリシタン弾圧した結果クソ儒学者とそれに盲目的な御侍さましか残らずこの有様さ 客観だけではなく主観の世界にもその活動領域が広がる哲学で、
効率がとても悪く、有限時間で解が得られる保証のない客観的方法ではなく主観的方法で思索を積み重ね
それでもなおかつ他の人にとっても理解可能な合理性ある考えをまとめるのであれば
人間の脳の構造や思考上の暗黙の制限を熟知して、それを人間の共通アーキタイプとした思索をするのが一つの方法なのだと思う
それは科学的真実追求とはアプローチが違うが
科学を整備する以前の人類が長く親しんできた方法 >>63
あなたの話は、根拠もなく自分の思い込みを絶対真実だと規定し、それに合わない現実世界の方が間違っていると喚く負け犬の遠吠えだね
とてもではないが実務を任せられない夢想家 無駄飯食いの中からそういうのが出て来なかったからな。庶民は生きるか死ぬかでそれどころじゃ無かったろ。陰陽師あたりが変な呪術やってる片手間に哲学ぐらいしとけば良かったのにな。 >>67
それなら宗教と哲学が矛盾しないとでもお思いなのか? ずっと疑問に思ってることがあって、
東洋思想史とか詳しいモメン居たら教えてほしいんだけど
欧米の場合はさ、思想の根っこがハッキリしてて
「哲学」って神との対話がスタートだし、
「法律」って神との契約がスタートだろ、
って形で、始まりが一般に根ざしてるし
ちゃんと人の心の中心から出てきた物だし、って
そこに住んで息して暮らしてる人間と地続きなのが
分かりやすいだろ
けど東洋の場合はどう生まれてんの?
どう「一般」と結びついてんの?
ってとこが分からない
「ただひとりの神」って信仰を持たない社会なのに、
つまり「約束事を守るための根拠」がないのに、
どうやって「哲学」や「法」を
広く人民のあいだに了解ごととして
動かざるひとつの解として支持できるまでになったの? >>73
> 「法律」って神との契約がスタートだろ
どういう意味なの、それ?
たとえば、近代法の起源は古代からの自然法が基盤になっており、自然法とローマ帝国の
国教となったキリスト教は関係し(後者の倫理的側面が前者に取り入れられた)てた、
という意味では「神」との関係はあるにはあるが
そういう意味じゃないわけでしょ?
なんなのそれ? >>73
> 「哲学」って神との対話がスタートだし
これもわからない
たとえば、古代ギリシャのソクラテスはプラトンによれば「内なるダイモーン」の声
に従ってた、とされる
これのことですか?
あるいは古代ギリシャ期のプラトンアリストテレスの思想を受け継いだキリスト教神学
のことだろうか? 哲学とか科学って大半は実社会ですぐには役に立たないものだからな
すぐ役立つものにはちょっとお金出すけど役立たないものには金を出さないという文化が昔からある
それは西洋の騎士道と武士道の違いとかにも現れてる 仏教の国には西欧の哲学はいらんというかそれに替わる教えがあるからでは
具体的にはしらん >>1
> わが日本、古より今に至るまで哲学なし。
たとえば、古代中国では思想家が輩出される時期というのがあった
おそらく古代ギリシャにおいてソフィストが輩出された時期は、上記の中国と近似する
状況だったと推測できる
他にも、キリストが活動した時期も、キリストの他に多くのユダヤ教のセクトがあった
とされる。これも上記に類似した社会状況があった
で、日本史でそれらに当たる時期はいつだろうか?
政治が混乱し、世相が乱れ・・みたいな時期はあったはずだが? >>73
儒教的には天や理や性の概念が普遍的なきまりごとじゃね
インドでも天則やダルマの概念があるし仏教ではさらに法身仏をつくりだした >>70
宗教ってのは人としての生き方の指標を表した教えが多く
仏の教えを通して人とは?を問う僧侶は少なからず居た
他者からの教えを鵜呑みにして盲信するだけが宗教家ではないからな >>78
古代ギリシャではソフィストたちは「思想」自体を商品とし、実際それが「売れ」てた
わけじゃん?
古代中国の春秋時代もそういった現象が起きてた
それと科学についてだが、近代に入って以降の西欧における科学と産業と結びつき
とその成果はいうまでもないでしょう? >>39
> 欧米には市民革命によって国が成り立った歴史があって
(西欧において)なぜそれ以前に市民革命が起きなかったのか?と問うてみるのも
ときには必要なんじゃないの?w
市民革命が起こるための十分条件ってのがあるんですよ、必要条件でなく
だからこそ、のちに、「民主主義」という政治の原理が世界中に広がっていった
その十分条件とは経済システムの変化
市場経済が市民革命の条件を整え、政治システムにも変化をもたらした 日本では答えの出ない問いは『病題』とされ、封印または仏閣に奉納された
その中には当時和算ではない西洋数学と同様の壁に当たったものも在ったという 頭使うの苦手だからだろ
うちの国は先進国様の本を翻訳してただ記憶するのエライ学者なんだよ >>85
一見似てるからこそ、違いを見るべきじゃあないですか?
ユダやキリストイスラムの神概念は、この世界の外部、という観念の発見であって。
「天」の観念は、↑とは違い、自然の観念に近いじゃないですかね
自然=この世界そのもの、じゃないかな >>80
古典期ギリシャと諸子百家の時代の中国が似てるってのはわかる
君主の権力が弱かったし都市の自立性がたかくて比較的自由な言論がゆるされただろう
けどイエスの時代のパレスチナはだいぶ違わね
ローマっていう超強力な権力が厳然としてあったしエッセネ派や旧約偽典を生み出したセクトは
人々にまじわって教えを説くという態度じゃなくて自分たちだけ義人であって
世間の罪人はそのうち滅ぼされるから待ってようって態度だった
逆に下手に民衆に支持されたらイエスやガリラヤのユダみたいにローマにぶっ殺される状況 >>90
「森羅万象」というのは、万象という字のごとく、すべての現象って意味でしょうたぶん
ならば森羅万象=この世界、ということになる
一方、ユダヤキリストイスラムの神概念は、その森羅万象を生じさせるなにか、を指し
この観念の獲得は、数学のゼロの発見に近い >>92
当時、正統のユダヤ教に対して、猛然と批判する諸セクトがあったんじゃないかな?
キリストが率いた貧民集団もそのひとつである、と
まあ十代のころ読んだ本のうろ覚えですが >>92
> 古典期ギリシャと諸子百家の時代の中国が似てるってのはわかる
やっぱ似てますよね
ある地域で起きた社会現象は、同じ条件が揃えば他の文明圏の地域でも似たような現象が起きる >>1
空気という得体のしれない宗教があるから必要なかった >>86
奴隷は国外から連れてきて労働力にする、という意味ではたしかに「奴隷はいなかった」
でもおっしゃる通り、奴隷労働はふつうに制度化されてありましたよねw
古代文明での奴隷も、べつに囚人でなく、結婚もでき・・だから近代以降の奴隷のイメージ
とはちがいますね 日本ってヨーロッパの国々が11世紀から作った「大学」にあたる学問の機関ってなかったの?
各地域の学者が論文を書いて発表して精査してそれを蓄積し後進に教育していく場所 この言葉は、西洋の科学や民主主義、それの基となった西洋哲学にショックを受けて
それに比べて日本や東洋は…って嘆きだから >>98
日本の知の集積は時の権力者が行っていたから
後進の教育という事なら各家の帝王学がそれにあたる >>91
「天」とか「天命」とかは
儒教では本性として語られてる
観察対象になる万物、自然の本性
他にも「道」って言葉も
「形而上学」っていう訳語の元となったのは『易経』繋辞上伝の「形而上者謂之道」 形而上学のWikipediaの説明が分かりやすいね
↓
『易経』繋辞上伝にある「形而上者謂之道 形而下者謂之器」という記述に依拠すると、「道」は、世界万物の本質、根源であり、形のないもの。その形のないものがいざ実体のあるものに変遷した場合、『易経』はその状態を「形而下」とし、その状態にある物質を「器」と呼ぶ。「道」は「器」の根源であるに対して、「器」は「道」の発展形。 >>100
その時の日本の学者の発表した論文って今でも残ってるの?
あと各家に配布された論文の査読の記録とか >>98
> ヨーロッパの国々が11世紀から作った「大学」にあたる学問の機関
これも、イベリア半島がイスラム帝国に編入され、他のヨーロッパ地域を尻目に経済的に
大繁栄し、険しい山脈から漏れ出た富や情報からフランスで市場経済が発展し、
同時にイスラム世界から知識や技術の体系を少しづつ受容しはじめた
そういう時期だからこそ「大学」が小規模ながら設立されだした
ヨーロッパ中世の「暗黒」を終わらせたのは、イスラムとの関係だねやはり >>76
で、それを使ってた側は暇なのか?
そこだろ 「中江のニイさん、たばこを買うてオーセ(買ってきておくれ)」とよく使いを頼まれたという
ただのパシリでは?? >>101
たとえば旧約を読むと、ヤハウェとの対話が頻出し、たびたび類似的な話が出てくる
「神の名を呼ぶな」「神の姿を想像するな」「偶像をつくるな(神の姿を人の姿として想像するな)」
みたいな
こういうことは論理的には記述不可能な論理であって、観念の外部、言語の外部、理性の外部、
概念の外部、意識の外部(外部は外側out of~)への言及なんで、たとえばハイデガーが
存在者(人間)に対して存在の概念を措き、その存在の概念の説明のために分厚い本を書き、
何度も繰り返しパラフレーズしながら書いてもつねに書き足らなくなるような概念化不可能な
概念であって
だから儒教の本にこういう一節がある、ってだけでは一神教の神概念と同じか否かの
判断はむずかしい(たぶんちがうと思う) >>2
違うよ
学問は古代から支配者のお抱え
哲学者にもパトロンがいたんだよ >>105
そりゃ「暇」が出来るでしょう?
で、彼らは村の取りまとめ役(政治的な)であることができた
これ、たとえば古代ギリシャの「市民」と似たとこがあるでしょう?
生産活動は奴隷が担い、政治や軍事は市民が担う、というこの分業制に似てる >>107
ソクラテス、プラトン、アリストテレスの流れで大成されたギリシャ哲学の形而上学(metaphysics)
「meta physika(自然・後)」が語源なんだけど
つまり観察対象になる自然の背後にある
自然をあらしめてる普遍の真理(イデア)の探求の学問
これがキリスト教神学に採り入れられて
イデアは神や霊と等しいものとして扱われた 西洋文明の「発展」は、むしろそういう現象の背後にある真理の実在とかを「宗教的妄想」「独断のまどろみ」とか言って退けて
観察対象のものを実在として探究する科学やその方法にシフトしたことによってる セックス以外にやること無いから常時賢者モードだったんだろ
スッキリしちゃうと人生とはとか難しいこと考えないからね 仏教はお経をもとにして
どう救うかの思想はあるけど
それだけだね
まあ、その果てに親鸞が死ぬ間際にお経唱えたら救うしとしたのは
かなり素晴らしい発想で
宗教家としての行きつくところを見極めたとしていいだろうね
宗教の役割とは何かを極めているね 現象の背後にある真理の探究は、だからむしろ非西洋であるインドや中国の方がずっと熱心にやってきて
その反対方向の科学はそれで生まれなかった
インドでは法(ダルマ)って概念が、イデアとほとんどいっしょだな
現象してる宇宙を保持し秩序付けるもの 東洋的な哲学は物とかにも魂みたいなものがあるというような感じで西洋とはちょっと違うかなぁ あとは東洋思想のうち、すっごいのがやっぱり
儒教の性善説と性悪説や
荘子の胡蝶の夢だね
性善説性悪説は現在の倫理学と同じ射程を持っているとしてよいし
胡蝶の夢はデカルトの認識論に繋がるね 西洋的な見方をすると
現象の背後の真理っていう人の知性に由らない宗教的な見方にとどまった東洋と
人の知性に根拠をおいて科学的方法で世界をとらえなおして文明を発展させた西洋
だから日本人や中国人は19世紀に西洋の学問に触れると
「今まで自分らが学んできた学問は詐欺じゃないか!」と書物を投げ捨てたみたいな話も聞く 日本の場合は、というか
コレを騙るときに注意しないといけないのが
西洋と東洋を倒立的概念として捉えるように
和と洋を最初から倒立したものとして捉えてしまう所作ね
例えば日本人はムラ社会の集団主義で西洋は個人主義とか
日本人は風景を見てから人を見るが
西洋はいきなり個人から描写するとか、
和と洋が倒立した対立概念であるかのように最初から見てしまうと
何も見えなくなる
その意味で和辻哲郎やルース・ベネディクトは捨てることから始めるべきだね この時代は思想に限らず、科学、美術、習慣その他あらゆる物が
西洋が模範で日本はゴミという時代なので間に受けてはならない >>120
ま、実際にゴミだけどね
だってさ明治とはそれまでの日本文化を破壊して山のようなゴミをでっち上げた時代だからね >>119
対立概念というよりもっとまずいのは
「優劣」で見ているところ
西洋文明を「優」、東洋文明を「劣」と最初から優劣と分けて見てるともうその見方の枠組みの上でしかとらえられなくなる 本居宣長「日本人は何よりも中国より優れていて謙虚で慎ましく中国のように儒教絶対主義のように自己中心的に生きずもののあはれが分かり二元論が存在しないそしてそれを持つ唐心を持つ中国は悪」
江戸時代からこういう民族だからジャップヒトモドキは またその反発から
西洋文明を物質中心の文明として「劣」と見て東洋を精神的に優れた「優」と見る見方もある
これもちょっと注意しないと ジャップヒトモドキに必要なのは哲学ではなく鏡だろう
ジャップは自分の容態を相手に投影して詰る狂った指桑罵槐の使い手 まああれだ
日本という文脈で哲学について語れることがあるとしたら
日本列島はさ「文字の使用が遅すぎた」のさ
先行した文明圏が発展して行く中で
日本列島では文字が発展せず
大陸から半島を経由しての文字文化流入も酷く遅れてしまった
文字なしの口頭だけで思想哲学なんて無理だからね
そりゃもう気が付いた時には先行する文明の高度な思索がてんこ盛り状態だったり
わけわかんないけど有り難そうな教典が目白押しだったと
>>1に関しては
そりゃそうだろとしか言いようがない >>122
俺がしたのはバイアスの話なんで
まあそういうのも含まれるかな 監視、弱い者いじめ、我慢
コロナに勝って史上最強の哲学になったな 優劣、善悪という枠組みありきで見ることの引っかかり
そしてそれは「学術」やその「発展」を「望ましいもの」と見る見方にも潜んでる
「発展」とか「進歩」自体も、善悪優劣の価値判断が既に潜んでるから 自分の中にある、既存の価値観、概念を当たり前のものとしてる
それを自覚して解体していく作業はやっぱり必要になるのかもしれんね あとさケンモ的にはコレくぎを刺しておかないとね
差別主義なんてものに捕らわれてしまうほど論理的思考ができないようなやつ
そんな奴には最初から思想哲学の素養がない
まずは差別主義なんてものに捕らわれている自分と向き合え
その時にまたもや妄想に支配されてしまうようなら
死ぬまでお前は思想哲学から最も遠い存在だ 「西洋」と「東洋」っていう対立概念についても話が出たが
これを別れた実体のある不動の前提としてみるとこれも固定された価値観の枠組みの中で捉えてしまうことになる
だからと概念否定を単純にやってしまうと
これも単なる一元化の価値観となる
自分の中の価値観の解体ってのは、なかなか難しい地道な作業だな 真面目に哲学をやってる人には申し訳ないが
俺は思想や哲学とかは、そんなに必要ないもの
ろくでもないものって風にすら見てる
ろくでもないものだけど、それらによって自分や多くの人が色んな価値観に染まってお互いを誉めたり侮蔑し苦しめたりしてる
その根拠になってるものを知るために思想哲学を調べてる >>121
日本独自の思想なんてないよ全部中国の借り物
故にお前らジャップは無価値のゴミだ
殺されとけ >>121
日本独自の思想なんてないよ皇国史観、侵略戦争正当論以外には
他は全部中国の借り物。文字、暦、食物、水戸学なんて儒教を改悪したジャップ産廃
故にお前らジャップは無価値のゴミだ
殺されとけ >>131
お前ら南京大虐殺の鬼畜の日帝子孫が繁殖したジャップレイシストネトウヨ障害者に学なんてないよ。要は白人コンプのいう哲学なんてただの生産性のない言葉遊び
マルコムxが既に看破している
武田鉄矢のように聞き齧った生半可知識で俺こんなこと知ってるけど賢いだろ?的なマウントを取る道具にしか使ってないまさにネトウヨ池沼を隠そうとするお前w
その末路が東のようなネトウヨ豚が育成される
殺されとけレイシストジャップヒトモドキ
お前はまず人間から程遠い
猿みたいなもん >>47
このlkhみたいな厚顔無恥な嘘つきが日本文化のレベルを一段と下げてるんだろうな
・中学受験したと言い張るが一つも具体的なエピソード無し(筑駒受験したとは言い張るが御三家の存在すら知らない)
・受験レスに負けそうになると緊急事態宣言中の19:45に『焼肉デートに行く』と謎の退出、ディナーは60分で済ますと食べ放題以下の時間設定
・国立大学医学部中退を自称するが一切理系知識がない。受験英語の知識もなくDeepLの訳を貼り続ける
黒瀬深のクソ劣化コピーでしかない、死んだ時に何一つ痕跡を残さない生き物、それがlkh
そりゃ日本もダメになるわ、屠殺しなきゃ、こういうのは 長いものには巻かれろ
って人生哲学を超える哲学が出てこなかったからな
この国には >>73
ハンムラビ法典とかそれよりも300年ほど前のウルナンム法典では
「もし人が○○したならば、その人は××されるべきである」って形式で書かれたもので、人の社会の中での「この場合どうすんの?」が書かれたもんでしかなくて神とか出てくる余地ないと思うんけどもね🤔
あと哲学が神との対話とかよくわからん
「それってなんなん?」が哲学なんでないの? >>134
日本独自の思想はあると思う
だって儒教にしろ仏教にしろそのまま受け入れずにローカライズして日本風に改造してるじゃん >>73
中国の場合「ただ一人の神」に相当するのが「天」 古代ギリシャは奴隷で労働から開放されて暇になって無駄なこと考えるようになった
あとは一神教とかがでかいんだろうな 勉強しないくせに外出たら勉強した面しようとするlkhみたいなウンコ以下の人間が多いからな
知識と教養の差が分からないから多少検索しただけの知識を教養と勘違いしてるバカが本当に多い
マジで何の価値もない人間だと思う >>139
クソコテを大量に使い、激しい受験コンプレックスを持ち、理系を称しながら理系知識がほとんどなく、英文が読めず自動翻訳を貼る
ってそれ山形の天羽ソックリだな
あいつも理系教員でありながら英語論文をまともに読めず、読んだふりして平然と妄想を語ったり、自動翻訳のめちゃくちゃな訳を何の疑問も持たずに判ったフリをしたり、実名で相当やらかしている
このスレで何度も出てくる固定観念的な
西欧科学絶対優位の権威主義や
査読論文が無ければ学問ではないと言わんばかりの
知性の乏しい発言ばかりする有名な愚民 仏教教学があまりに高度だったから、西洋式の哲学の必要性が無かった。 頭が悪いから以外の答え必要?
それとも頭悪いってことからは目をそらしたいのか 仏教も儒教も統治のために主に国主導で受容したからとか? 哲学らしきものはあったけども
定量化する幾何学と論理的な学問のバックボーンがなかった >>1のようになんらかのお題があれば
自動機械として各人それぞれに勝手にことばがうろうろ湧いてくる
それをあんたらは転記しもっともらしければ安心する
言葉遣いがどうあれあんたらがやってることは笑点の大喜利と同じなんだよ
なんでそのようなことばが湧いてきたのか
勝手に湧いてきたことばがそもそも何を意図しているはずなのかを考えない >>156
大喜利スレで何言ってるんだ?ここは嫌儲だぞ。深くやりたいなら専門板にでも行けとしか。 >>148
日本ではその禅問答も自分たちが人間のクズなのを開き直るための道具となってしまった。 哲学と思想を混同するのはやめよう
そして哲学を含む思想同士の優劣を語るのもやめよう >>134
日本人は他所から思想を借りてきて、それを勝手に解釈し、自分たちが人間のクズなのを開き直るための道具にしてしまう。 そいつは言ってる事がデタラメだからとっくにNG済みだな 現代の自動機械は
最重要キーワード: 日本&哲学
要約: 中江兆民「日本&哲学→ネガティブ」
程度にはまとめる仕組みがある
要約のうち最重要キーワードだけ保持してほかを入れ替えた
(1) who 「日本&哲学→ネガティブ」
(2) who 「日本&哲学→ポジティブ」
保持しているテキストだかwikipediaだかから(1) (2)にパターンマッチする
文(s)を抜き出して適宜「要約」して出力することもできる
これこそ人口知能でござい!と言われたら
あんたらは「んなものは知能じゃない。人工無能だ」と応えるだろ
でもああんたらがやってることはこの人工無能と変わらない 兆民知ってるジャップなんてもう一割もおらんのとちゃう つまりあんたらのレスそのものがまさしく>>1の中江兆民のお題の例証になっている >>2
でも24時間暇を持て余してるケンモからは何の思索も生まれないじゃん >>159
それは滅茶苦茶宗教だろ。
ちなみに「東洋思想」というように東洋人のものはインドを除き「哲学」の領域にすら達しなかった。
厳密に言うと東アジアは「哲学」を生み出せなかった。
儒教は「信仰」だよ。 倫理の漫画で先生が日本独自の倫理観は日本の清流と結びついてて
清い汚いのような美的感覚から来てるみたいな話してたな
だから禊とか祓いで汚れを水に流すみたいな
この混じり気の無い清廉さを信じすぎると異質な者に不寛容になることも
あるので注意が必要なんだと、まあ感情論みたいなもんだからな 1730年大阪の堂島米会所の先物市場常設は
1637年オランダのチューリップバブル崩壊を乗り越え
先物市場取引を管理可能にし
潜在的には江戸幕府体制の根幹部で商取引の「経済的効率性」を体現した
中世西洋で宗教的制約により疎外された商工業が
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
に言及されるように宗教を乗り越え資本主義を切り拓いたのと同様に
近世上方の大商人階層には先進的な商業哲学が存在しだと考える事ができる 西洋において全ての学問の根幹となる「哲学」は
日本では富裕商人階層の自由人の思考、
たとえば千利休の茶道の中に見出す事も可能なのかもしれないし
同様に武芸と戦争と政治を極め、統治者リアリティを以って高い境地に達した戦国武将の成功者の周辺にも哲学の片鱗が存在し得る
だからこそ、戦国武将は今も日本の人々を魅了し
茶道の場合日本のみならず世界の好事家の一定の関心を呼ぶ形になっているのではないか つまり日本における哲学的思考は
形而上の抽象的思考にとどめず
実践適用し目に見える形而下の結果を出して
初めて批評や評価の対象となる傾向がある
だから形而上の問題に専念するピュアな哲学は
日本ではその事例を探すのが難しいのかもしれない >>173補足
> 近世上方の大商人階層には先進的な商業哲学が存在したと考える事ができる
近世上方の富裕商人階層は戦国時代から世のいく末を見極め、商人にとり望ましい平和で商取引の活発な世の中を実現するために
その能力(天下統一だけではなくその後の治世能力)のある人物にのみ、結果的に協力する行動をとったと言える
その意味で、徳川家江戸幕府の軍閥支配ですら
上方商人の商業革命の1ステップに過ぎず
それを軍閥支配の皮を被った
商工業者主体の市民革命と捉える事も可能だろう
それらを成し遂げた上方商人には、思想を超えた哲学が存在したように思われるが
その根幹にある哲学そのものを洗練し外部化(学問化)する試みが不充分だったか、現代の我々には認識しにくい形で行われたから
「日本には哲学が存在しない」(キリッ
「日本には哲学者が存在しない」(キリリキリッ
という自虐的で自暴自棄な発言が飛び出すのでは無いか そういや中国みたいに孫子や孔子や孟子みたいな「思想家」は日本から出てきてないよな。
なんでだろ?(´・ω・`)? >「無血虫」とは「血の通わない虫けら」を意味する
そのまんまジャップじゃん
結局、今も変わってない
日本人は思想や哲学なんて無い
反射と渇望だけで生きてるBOT、NPC 日本に哲学は存在しない
日本人は思慮が欠如していて浅薄だから
会話しても食い物と恋愛、お笑い漫画アニメについてしか喋れない連中ばかり
幼児以下の品性
問題解決をひたすら避ける事なかれ主義
議論になると質問から逃げ、壊れたラジオになるか大声を張り上げて醜く地団駄を踏む
それが日本人という生き物だ
東洋にはもちろんインドや中国に偉大な思想家、哲学家がいるが
日本は昔もいなかったし、これからもいない、いるのは欲ボケ無血虫だけ 正義感がないよな
むしろ露悪的で幼稚なヒーローを望んでる はいNG
鬱病のお薬ちゃんと飲みましょうね
次回はカウンセリングしましょうね
ネットは控えめに、お大事に >>176
何かあっても学問にせず秘伝化してばっかだからな
個人が頑張るだけで社会が学問に向いてない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています