じゃあどうすれば江戸幕府って崩壊させないようにできたんだよ! [781276113]
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本気で長州皆殺し
西郷が江戸テロやってたのも捕まえて断固さらし首で良かった 毛利と島津を断固潰しとけばよかった
家康もそこが甘かった
250年後を予見しろなんて言うのも無理な話やけどな 長州派公卿を粛清して
天皇を江戸に連れてきて囲ったら
それで終わりだったろ。
長州が朝敵確定なら薩摩はダンマリだろうし。
公武合体とかヌルいことやってるからやられるんだよ。 薩摩は名門島津と煽てて史実通りに縁戚深めて
連携は可能だった、
坂本龍馬が薩長同盟言い出すまでは佐幕側だしな
問題は長州、こいつらが日本近代史上最大のガン、
吉田松陰という侵略的帝国主義テロリストを崇め
明治には汚職三昧の連中ばっか、
尊王攘夷といいつつ御所に砲弾打ち込む禁門の変や
国益損ねてもお構いなしの下関戦争と害悪の塊、
根こそぎなんとかした方がいいレベルのクズ 清や朝鮮、琉球などと同盟
山口藩を改易
睦仁の処刑
アヘン戦争の勝利
ロシアを滅ぼす 幕府が崩壊せず近代化できてなかったら未だにちょんまげファッションとかになってたんか? 仏植民地になってみんなドレッドヘアーにTシャツジーパンだよ 尊王思想が誕生した時点であとは時間の問題だから新井白石あたりからなんとかせんと 徳川の体制で近代化していても結局アメリカにぼこられてそう 日本列島が南半球の端っこに位置するくらいじゃないと無理
英米からしたら中露牽制と東アジア開発の拠点補給地として日本以上に理想的な土地もない
天皇信仰を強めて内部から支配すればいいだけ 実はただ単に武断的に開国を宣言すればよかった
そもそも鎖国したのは幕府の決定で天皇など関係もない
更に天皇を強引に江戸に連れてでもくれば幕府の権威は絶対的なものになる >>5
実は死の直前、西国大名に警戒を怠るな的な言葉を遺している 歴史ってそうなるべくしてなってて
そこに行き着くまでには物凄い分厚い前提があるんで
何が変わってたらとか論じるのも馬鹿馬鹿しい話と思いますえ 家茂が健康で長生きしてればワンチャンあったんじゃないか?
薩摩が完全に倒幕に傾いたのってやっぱ、慶喜が久光をコケにしたからってものあるだろうし
人徳があったと言われる家茂が実権を握るようになってれば、薩摩はじめ諸大名の造反も防げたかも
あとは、家茂は皇女和宮をヨメにしてたから余計に、弓を引きづらいってのもあったろうし 幕府の後ろにも海外からの協力はあったからな
勝ってれば
そのバックアップしてくれた勢力のために
徳川は開国することになった
あるいはそれが嫌で逃げたのかもしれないが
どの道、あそこで日本は開国するしかなかった
明治維新なんて代理戦争みたいなもん
勝った方が都合良く歴史を書くから
ヒーローの物語に仕立て上げてあるだけ >>22
そりゃあ西国には有力な豊臣系が残る形になったしな
だからこそ福島や加藤は改易になったが幕府としては島津毛利に手が出せなかったのは痛かったな 結局都合悪いからあまり語られないけど
長年の政権下で下らない罪で逮捕される議員みたいなのが続出して
組織が腐って求心力もなくなって崩壊したんだろ? 欧米列強を前に封建制なんて続けていけるわけ無いだろ 忍者が闇夜に潜入してペリーを暗殺すれば良かったんだよ 慶喜が大阪で踏ん張ればワンチャンあったろ
あいつが江戸に一目散に逃げてからが総崩れやろ もっとガッチガチの鎖国を続けてたら良かったんじゃね?
住民が日本列島の外に人間が住んでるのも知らないレベルで みんな賢くて現実が見えてるからこそ
幕府が時代遅れで不要になったのもわかっちゃったんだろうな もともと幕府は戦を起こさないことで武力ではなく権威による統治を行っていた
黒船が来て戦の時代になると「あれ?幕府ってガチでやったら弱くない?」
って関西の野蛮人どもに思われてしまって制御できなくなるのは避けられん 天皇ぶっ殺せば良くね?
尊皇の大義名分なんぞに遜ってるから薩長に舐められるんだぞ
最後に頼れるのは純粋な暴力って事を幕府の連中は理解してない 称光、後花園、後土御門、後柏原、後奈良、正親町、後陽成、後水尾、明正、後光明、
後西、霊元、東山、中御門、桜町、桃園、後桜町、後桃園、光格、仁孝、
第121代孝明天皇が悪いわけじゃない。
また幕府が悪いとも言えない。
江戸幕府の基本コンセプトは権力(武力)と金の分離にある。
権力(武力)を持つものは金を持たない。
戦国時代をまた起こさないために。 すべては慶喜が鳥羽伏見のあとで大阪から逃げたから
その原因となった玉の取り合いで岩倉に匹敵する幕府側の公卿がいなかったことが致命的だった 戦国時代をまた起こさせないために権力(武力)と金を分離したことで
結果的には日本全体の軍事力は落ちる結果になった。
もとより日本には資源がない。鉄もない、硝石もない。
江戸幕府が悪かったとは言えない。 参与会議を潰したのは痛かった。
継続してれば徳川を有力諸侯の
一員として存続させられていた。 三浦按針がいた頃に幕府直属で世界情勢の調査部や
技術開発を行う部署を作るべきだったな。 >>41
アホか
慶喜は既に大政奉還で全面降伏したんだ
戦う理由が無い 割とマジな話、吉宗が将軍にならなければよかった
今では中興の祖みたいな扱いだが、幕府滅亡の遠因になった政策も多かった
特に御三卿の創設はその後に幕政を乱した 開国して幕府維持は無理だろ
グラスノスチペレストロイカしたって独裁恐怖政治は絶対に倒される 蘭学を蘭学者に任せたのがな。
世界情勢の調査の名目で蘭学を幕府が研究すべきだった。
あとは、イギリスと外交は持つべきだったかな。 1600年のあの段階で鎖国して
そのままで将来まで大丈夫と
思えたのが理解しかねる。 >>41
>>45
不勉強
岩倉は慶応4年1月2日=幕軍が大坂より出兵した報を聞く寸前の段階で
慶喜への待遇を減封・辞官返納取消のうえ議定として新政府に迎えることを決定していた
もちろん大久保への相談なく独断でな >>49
直ぐに鎖国なんてしてないし、
当時は外国=中国(明)だしその明国はガタガタになってて日本はもう得るものが無かったし
南蛮は思想的科学的になんか凄いけどキリスト教持ってきて地方の大名を洗脳するし
そもそも中央集権体制じゃないし やっぱり幕府直属で世界情勢の調査部や技術開発の部署を作って
軍隊と情報機関を充実させる以外に方法ないな。 安倍晋三に悪政するなというようなもんだろ
無理なものは無理、能力が足りない ジャガイモがすでに伝わっていたなら北海道の開拓も
もう少し早くできなかったのか。 まあともかく国内的には錦の御旗、「孝明天皇」だよ
孝明天皇は死ぬまで長州藩を許さなかった
孝明天皇がナゾの死を遂げ、元服前の子どもの満14歳の明治天皇が即位、1867年10月14日ウソかどうか分からん「討幕の密勅」が薩長に出され同日大政奉還、
そして12月王政復古の大号令=「天皇親政」宣言→いろいろあって1886年「機務六条」で伊藤博文「天皇は政治に口出しスンナ」
長州幕府設立完了
あとは国民を弾圧しつつ敗戦へと一直線
そしてGHQは賊軍の福島出身鈴木安蔵の「憲法草案要綱」をもとに現在の憲法を書き上げる
それゆえ岸信介を始めとした長州出身者は「何が何でも改憲!」「一文字でもいいから改憲!」となる 幕府というのはつまり軍事政権だが、
軍隊は食糧とエネルギーの確保が重要だ。
そのための部署が幕府にないといけない。
それに情報機関もだ。 情報機関を作って調査をしていれば、
ロスチャイルド家の代理人であるペリーが来ても
慌てることなく、また朝廷に聞く必要もなかっただろう。 孝明天皇院政開始
伏魔殿の御所から出て水戸やら会津やら桑名やらを北面にずらずら揃えて二条城あたりに
住み着く。なお英仏戦争になる模様 >>1
天皇・皇族・宮家一族を皆殺しで終いだろ
これやれば万一の生き残りも天一坊扱いですむ 徳川幕府が頑張っても
よくてメッテルニヒが権力握っていた時期のウィーン体制下ドイツ連邦ぐらいの集団にしかならんよ 開国しなかったら今頃どうなってたんだろうってたまに想像する
現代のテクノロジーを取り入れつつ街並みは江戸のままだったのかな着物きて 家斉の50年間が無駄だったな
安倍ちゃんが50年総理、大御所やってるようなもんだったろ 大政奉還のタイミング次第では幕府崩壊してもその後も徳川家が実権を握れてたかもな フランスじゃなくてアメリカと手を組んで置けば良かった あれで中央集権には程遠い体制だったからな
別物レベルに構造を相当変えないと存続不可 >>39
これがまず最初の一手となるね
天皇だけではなく皇族はすべて根絶やし
でもそれだけでは尊王攘夷論を止めることしかできないため
毛利、長州、島津を骨抜きにし
海外との交流を幕府が独占し
近代化を勧めなければならない >>60
ここで見ると思わなかったwww
青天を衝けといちげきで今年は幕末維新が楽しかったよ >>66
それいままさにまた同じ事が起こってる
ガラケー持ってスマホを鼻で笑ってたど底辺にもやっとスマホ普及してインターネット使えるようになったのに
ど底辺だからまたとりあえずAIブロックチェーンEVメタバースなどは鼻で笑って全否定
せっかくコロナでテレワークやワーケーションなどと言い出したのにいまだに紙FAXに不要不要の会議と大声の電話仕事してる感は出さないといけない風潮は消えない
日本は世界からみたらレトロ感を散りばめたテーマパークのようだから旅行する分には楽しいかもな 今も世襲の身分制だからある意味封建社会だからある意味崩壊していない 金銀貨を廃止して紙幣と銅貨にする
金銀貨は幕府が強制徴収する。開国前にこれをやる。 >>66
実は文明開化は江戸幕府がもともとやろうとしていた事
例えば太平洋横断の航海技術も無かったところオランダから咸臨丸を買い上げ幕府海軍の練習艦とし遣米使節団で渡米し米軍ブルックに航海術を教えてもらう
それから江戸幕府の勘定奉行小栗忠順の進言によりフランス人技師の指導により横須賀造船所などを開設
幕府は当時はフランスと付き合っていた(長州はイギリス)
明治維新後もその幕府御用のフランス人たちはお雇い外国人として国家建設に重用される
フランスがダメになるのは1870年普仏戦争に敗れるから
そこでフランスに勝ったプロイセンの軍制を取り入れそれ以外は英国様式に切り替えていく
幕府も近代化策を推し進めていた事は明治政府に都合が悪く、「幕府悪イヨー!」と宣伝されただけ 鯛尾金山や石見銀山の財はもう相当前から流出してたから古くは天草四郎の頃まで遡らないとなかなか難しい
平戸長崎山口あたり抑える為に維新よりも200年前ぐらいに幕府を福岡に移してたら勝てたかもな
でも日本人特有の超強力な正常化バイアスがあるから早すぎるとスペインオランダ抑えて喜んでるだけでイギリスは押さえられなかっただろう
それかもっと前に予め毛利元就を撃って置けば良かったかもだがそれより毛利を広島から山口に移すんじゃなくて広島から群馬あたりに移してたら良かったかもだが >>78
幕府の御庭番スパイ活動が弱まったんだろうな
もっと早くに長州藩の反逆精神や外患誘致を掴んでいれば或いは >>69
当時のアメリカは南北戦争やってたから日本に構ってられなくなったんだぞ それかもう維新前夜みたいなギリギリまできてしまってたら
やはり幕府はアメリカと手を組んでおけば良かったのにな
せっかくジョン万次郎というアメリカ東海岸にかなり精通した人物を江戸まで連れてきてたのに厚遇して幕府中枢に迎えれば良かったのにあろう事かスパイ的に扱ったのは悪手だったろ
で結局それから150年ジョン万次郎の教えを受けた岸田さんが首相になってるいまを徳川はどう思うだろうね >>69
南北戦争中なのに?
さらには東アジアへの興味もなかなか
育たなかった連中だが 播磨を徳川家直轄にして壁と西日本の動向を探る様にしてれば良かったのでは無いかな? >>79
反逆精神はそれこそ毛利まで遡らないとだめだから結局吉田松陰一人抑えたところでダメだっただろうしな
300年もあれば幕府と全く思想が親子何代にも渡って育つわな でも江戸幕府の日本があんな感じで世界の産業革命から相当取り残されてたからこそその後昭和あたりまで一気にジャンプできたというのはあるかもね
これまさにフリップフロップてやつだろ?
これからはアフリカや東南アジアや南米でフリップフロップが起こって日本はまた数百年単位で取り残されるかもしれないがさらに数百年後にまたフリップフロップで追い抜けるかな まあ幕府が開国したのはイギリスが次狙ってるのは日本だぞ、って教えてくれたのはアメリカ初代総領事のハリス
その結果日米修好通商条約が生まれ1940年破棄され開戦 オランダじゃなくてイギリスと組むべきだった
イギリス人も家臣に迎えてたのに間抜けな選択 >>85
毛利家は関ケ原の西軍総大将となり減封されたのを根に持ち「臥薪嘗胆」を藩の秘密家訓とし恨みを忘れぬよう江戸城に足を向け寝るとかなんとか
嘘かホントか知らんが隠密スパイが機能してればまた別な策があったとも >>94
いやフランスの軍制だよ
当時のヨーロッパ陸軍1,2を争うのはフランス
維新直後、普仏戦争でプロイセンに負けた
ゆえに日本陸軍もドイツから教官を招聘してプロイセン式に変えた >>92
南朝の後醍醐天皇の墓の向きなどもあるしそういう家訓は受け継ぐ国民性があるからとんでも説でない
吉野の南朝を守護した末裔とも言える十津川郷士が天誅組おこしたのが維新の口火とも言えるのも興味深い
結局は室町鎌倉自宅あたりからこうなる運命は決まってたのかも あれ?
待てよ、日本と西洋じゃ文化の面でもの凄い格差是正だからね?
分かりやすく言うと電気生み出した国と電気持たない国の差だから >>96
そう、だから維新後旧西軍へ有利な政策ばかりやって(財閥育成や太平洋ベルトなど)東軍をないがしろにして格差が猛烈となり昭和維新が起こり、
(普通ならここで共産革命だが共産=国体破壊だから出来なかった)
軍事独裁政権、国家社会主義、挙国一致総動員体制となり戦争へと突き進む
全てはこの関ケ原の「恨み」から来ている 政府癒着の利権格差こそあらゆる国内対立の原因
コレが国民の許容限度を超えた時、「戦争」が始まる >>101
財閥の成り立ちなんて調べてみたらいい
一方で食う飯さえ確保できず役所の斡旋で自分の娘を女郎屋に身売りさせていた
その惨状を陸軍宿営地へ配属された新規兵が将校に訴え現地将校が義憤にかられ右翼と繋がり血盟団事件や二・二六事件など昭和維新を引き起こす
戦争から敗戦と関ケ原は離れているようで一本道で繋がっている >>95
自前の技術無いから金で買うしか無いってことになると金もないからな日露戦争の軍費は80年ぐらいかけて返済してたわけだし
明治のはじめ頃には新品の小銃を作る技術も買う金もないから戊辰戦争で売りつけられた時代遅れになってる銃をこつこつ改造して使ってた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています