🧔♂幕末の外人「なんで君たちの国には馬がいるのに馬車が無いんだい? もしかして馬鹿なの?」🐎 [526594886]
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日本の馬って小さいからな
広い道路も無いし
荷物ひかせるぐらいで十分 人力の方が安いからだろ
省力化を拒むのは日本の伝統なんだが?
職人技(笑) というか昔から牛車はあったしな
車輪が作れないとか嘘もいいとこ そんな時代に江戸から赤穂まで4日半で着いた早駕籠はすごい >>8
これもだし
>>10
これ
要はジャップが馬鹿 江戸幕府「馬車禁止!」
自民政府「機械による効率化禁止!」 馬が馬車を引けるのは平地
山道なんて無理
雨でぬかるんだ道も無理 馬に車ひかせたら人間の仕事が奪われる
一生懸命働いてる観出すには人間に運ばせないといけないし一生懸命働いてる観出してないやつは怠惰とみなす 去勢を知らなかったから
牛車に命懸けで乗っていた歴史 パンピーの移動手段をなくすために馬車どころか牛車ですら規制されてたからね
100年後には
未来の外人「なんで君たちの国にはメールがあるのにFAXで手送信しているんだい? もしかして馬鹿なの?」 ローマ帝国が重要性を見抜いて即座におこなった街道の整備を
遂にジャップは1600年経っても理解できなんだw https://i.imgur.com/O8eJexd.jpg
江戸時代転生モメンが馬車運営しようとすると、こいつらが襲ってくる(´・ω・`) 鉄の加工技術低かったんじゃ
木製だと摩擦やばいだろうし つまりジャップは諸外国のような道路を作る技術が無かったって事でいいんだね?
あっ日本は山ばかりって言い訳はするなよ?
世界的にも有数な広さと人口を誇る関東平野も海沿いの街道も昔からあったからな 馬車が使えるほどの平地無いだろ
何割山岳地帯だと思ってるんだ 馬車にかかる車軸の回転数と牛車と大八車の車軸にかかる回転数はぜんぜん違うからな
馬車に耐えうる耐久性のある車軸を作る技術がなかった
牛車や大八車に馬をつないで走らせたら1kmももたずに壊れるわな どうせ変なメンツとかプライドでやらなかったんだろ
わからんけど多分そうだわ 車輪も水車もまともに作れなかったから仕方ないね
日照りが続くと坊主生き埋めにしたり病身踊りしてたキチガイ民族だし >>49
同じ時代に秦の始皇帝も街道の重要性を見抜いて車軸の長さを統一させたな >>44
馬に乗せての軽尻という移動手段はあった
馬早飛脚もあった
だから去勢が原因ではない
だいたい利権のせい >>1
何でお前はキチガイで馬鹿なのに生きてるの?
早く死ね 道路のインフラ整備されてなかった
雇用対策
これが原因やろ 道路がガタガタ、山だらけなんで明治になって陸軍が散々苦労することになる 日本は昔も今も一緒さ
人間の方が安いからだろ?
賃金よりもやりがいや絆で働いてくれるしな 道がガタガタすぎて
車輪に乗って移動するって発想が無かったんだろう
たぶん
西洋のように石畳の街道が無いからな どうして馬車は牛車に比べ、あまり日本では発達しなかったのか。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000028343
交通史、日本史の資料では、膨大な資料で手がかりの予測がつかないため、件名「馬」より検索して調べる。
『馬たちの33章』早坂昇治/著(緑書房)第22章「轍の文化・馬車の謎」に、同じ質問と回答(著者の考察)が記載があり。
なぜ「日本には馬車文化が入ってこなかったのか、なぜ馬車が出現しなかったのか」という疑問に対し、主に以下の理由があげられている。以下、要約
@日本に伝ってきた馬文化は、朝鮮半島経由で伝わった騎馬民族郷土の文化で、ヨーロッパの戦車中心の文化とは違い、騎馬を中心に勢力圏を拡大した文化であったこと。
A日本には野生馬を含めて馬の数が少なく、非常に貴重な動物であった。それゆえに「神馬」というように権力者の象徴となり、これに荷を牽かすという発想は生まれなかった。
B日本は多湿の海洋性気候のため、年間を通じて雨が多く河川も多い。また火山列島のため山地が多く、江戸時代に街道が整備されたとは言え、馬車を自由に走らせるスペースは少なかった、という気候と地形の問題。
C時代が変わっても高価な動物であることに変わりはなく、平民の乗馬は明治まで許されず、牛−公家、馬−武士のものとされていた。また江戸時代には戦略上の理由から、馬や車の使用について厳しい規制があり、馬車の登場する余地はなかった。
このような理由から、比較的早い時代に万が一馬車文化が入ってきたとしても、普及する余地がなかった、と記載されている。
『日本大百科全書18』(小学館)p704「馬車」では、「日本における馬車の出現は幕末になってからで、明治2年(1869)に横浜〜東京間の乗合馬車が日本人により開業、1882年には鉄道馬車が開通。しかし馬車の普及と並行するように鉄道が開通し、路線が延び、また電車、自動車の急速な発達などによって、大都市周辺や主要街道を中心として馬車の短い歴史はおわる」と記載があり。
ほかに関連書として以下の参考資料を紹介。
『図説・馬と人の歴史全書』(東洋書林2005) 、『図説・馬の博物誌』(河出書房新社2001)、『図説・馬と人の文化史』(原書房1997)第11章:農業、輸送、探検と戦争におけるウマ科動物、の項で、世界における公共輸送のための馬車の使用は1564年からと記載。
『乗り物はじまり物語』(東洋経済新報社1986)「馬車と牛車、速いの強いのどっち?」の項目で人と牛馬の関わりについて触れられている。 >>70
日本の馬が小さいからだよ
馬車を引く力なんてない何頭建てにするんだよって 参勤交代でカゴに長期間も乗ってる大名は拷問だったろう
カゴの乗り心地は最悪らしい 牛車があって馬車がないってどういう事なんや
馬が非力だったって事なんかな >>74
その当時は革靴も履いてたし
革のベルトもしていた
デザートも食べていた
全部退化してるから気にしなくていい >>11
チョンモメンの教科書ではそうなってんの?🥺 牛車も都の中の移動がメインであれ乗って遠いところいくもんじゃないしな 特にここが重要
意外と歴史は浅い
>世界における公共輸送のための馬車の使用は1564年から 舟運が発達してたから要らないとか川や峠が多いから向いてないとか災害が多いから道を整備しても維持できないとか日本では馬が育たないとか色々言われるけど全部言い訳だよね >>88
今でいう
工場の全自動化をせずに派遣を使うようなもん >>80
なんだ
単純に馬が貴重だったってだけじゃん そういや昔の日本にいる馬はポニーみたいに小さい馬だって聞いたな
日本の馬じゃ牛に比べて力が無かったから馬車が発達しなかったのかもな 韓国の高校に留学してたけど
海外の教科書って本当にキレッキレだから面白いぞ
日本はたまたま海外の技術を手に入れただけでポテンシャルとしてはアジア最低クラス
ろくにパンも焼けずに発酵の炭酸ガスで3割近い工場を爆発させたなんてコラム面白かったわ >>83
サスペンションもないしな
隣を歩く家臣のほうがずっとマシだったろう 古代ギリシャ人の戦車を考えることもでなかったんだよ >>58
暑さ寒さに弱い上にすぐヘバる馬が至上と思い込んでるエタ非人以下のノータリンだらけの中でこういうごくまともな頭もってる奴が本当にまともに見えるわ
始皇帝より遥か前から牛には荷物曳かせてるわけで
ノータリンの馬車バカは9世紀頃までヨーロッパじゃ鐙さえなかったことも知らない、江戸時代に車石があったことも当然知らないというボンクラだらけ
どれだけ道路に影響あるかもわかってないし、そもそも英国なんて1万人未満しか騎士いなかったわけで >>90
馬車は紀元前の中国からあったけど
コストが高いからそこまで使われなかったとか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています