源頼朝はなぜ日本人に人気がないのか? [565880904]
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筆者は歴史関連雑誌等の編集に関わっているので、「歴史上の人物で誰を記事に取り上げてほしいですか?」という、読者アンケートの結果などを目にする機会がある。
頼朝が上位にランキングされたのは、見たことがない。
歴史ファンの声を拾っても芳しい印象はあまりない。むしろ否定的なものが多い。
例えば―。
・源義経を殺した男
・猜疑(さいぎ)心が強く陰険、かつ冷酷
・鎌倉幕府の創始者というが、武士団に「神輿(みこし)」として担がれただけ
・戦(いくさ)に弱い
・3代で源氏の血を途絶えさせた、先を見通せていない
などが主な意見だ。
専門的な書籍を読む歴史好きの意見は異なるだろうが、一般の日本人が抱く頼朝像は、概してこのようなものだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/81a83b95567518a4f312d8992f54f456926c7572
https://i.imgur.com/rvXRutB.jpg >>196
こいつイケメンキャラなのにモブみたいな惨めな死に方してたな >>527
そりゃー恨みの歌ではないよねそれw
道真を大怨霊にしたてあげたのは、道真の不遇な運命に同情した当時の世人であろうw >>701
頼朝は苛烈な独裁を行って一族の誅殺はもちろん、部下も容赦なく殺害して所領没収
源氏の傍系の家々にも苛烈な所領没収を繰り返して滅茶苦茶恨まれていた
だから頼朝死後に御家人たちが即座に反乱起こして将軍はお飾りに >>694
義経が鞍馬の山で修行してたとか言うけど
そんな馬鹿な話誰も信じないよ
都なら孤児でもホームレスで糊口をしのげたってだけじゃないの?
当時は武士なんてそんなもんでしょ
数百年続いた幕末の旗本でもなんでもないんだから >>48
義経ごと天皇ぶっ殺して天皇になるか、大人しく天皇派に迎合するかすればいいのに
どっちつかずの武家体制作ろうというのがそもそもの間違いでは? >>710
天皇に迎合しても平家の二の舞になるが、源氏から遠い土人はいまだに天皇を権威の象徴だと思ってること
おそらくそれで出た折衷案がこれです
GHQが天ちゃん殺さなかったのに近いかもしらん >>710
平家と源氏で対立してたのはまさにそこじゃないの?
朝廷権威のもと、蔑まれがちだった武官の序列を上げて武家の地位、特に土地所有の権利を確立したものにしようとしたのが平家
関東は元々朝廷にあまり依存せずやってきたんjだから、いっそ独立の権力になっちまおうとしたのが源氏
ただ、朝廷ぶっ潰すまでやると色々軋轢も大きく手間暇被害が見合わないので、朝廷は権威として残し実権を武家が握るというところで手打ちにしたと 当時の武士なんて教養も何も無いでしょ
特に義経なんて放浪生活に近かったんだからギリ健上等
朝廷から勲功受けても「もらうもん貰って何が悪いの?」ぐらいの理解しかしてないはず 後白河法皇から位階受けたんだっけ?義経。それで頼朝の逆鱗に触れたんだねw
義経が逃げ回ったおかげで、頼朝は守護地頭設置の口実ができたわけであるねw 義経は奥州から頼朝のところに参じた時にめっちゃ厚遇されてるからな
なんで厚遇されたかってバックに奥州藤原氏がついてたからなんだけそ >>715
大胆な軍事作戦展開できたのも、おそらく奥州藤原氏のバックアップあってのことなんだろうな 義経は頼朝を通さず官位をもらったのも問題なんだけど、どっちかというと西国武士で編成された別働隊で、東国御家人を中心にした範頼を出し抜いて美味しいところを全部持っていった挙げ句、頼朝が後白河との駆け引きに使うつもりだった三種の神器を失ったことの方が大きい
範頼についていた御家人からは苦情が出まくるわ、対朝廷での武器を失うわで平氏滅亡なんて優先順位が低かった頼朝からしたら踏んだり蹴ったりの結果だからな >>677
中国での始皇帝に当たるのが日本だと秀吉なんだよな >>718
お外から見ると天皇を排除してないから、また別だと思う
主体は天皇のままで政権交代してるだけに見えるはずです 非情に徹した事で源氏による政権を後々まで維持できていれば
その非情ぶりを含めて必要であった事として評価されるが
維持出来ていないので単に非情なだけの人になってしまう >>719
いや、スペインやポルトガルの外交文書には、秀吉をもって「皇帝」と称する記述が残ってる
実際、宣教師らが謁見するのも、「皇帝候補」だった信長から秀吉、家康ってラインだった
ちなみに江戸時代において外交文書で「皇帝」と称されたのも徳川将軍
対外的に天皇=皇帝となったのは、明治以降 源氏によるじゃないんだな
頼朝にとって最大の敵は平氏じゃなくて源氏なんだよね
頼朝は全国を幕府で制圧したいとかそんな考えもなく、父親がもっていた源氏の統領の座を取り戻して東国に君臨できればそれでよかった
晩年粛清しまくったのも自分の血統を源氏の嫡流として固定するため。まあ失敗したんだけど >>706
そうだよ、怨みの歌じゃない
だから「誰」がどういう「理由」で道真を「怨霊」として扱ったの?って最初から尋ねてるだが
世人→抽象的過ぎる
同情→同情ではない
それらの答がその歌に詠われてるって教えてあげてるんじゃん >>723
道真怨霊伝説は道真の死後も長く伝わってきたわけで、それを伝えてきたのは世人としか言いようがないだろうw 頼朝の話なのにずっと道真の話してる奴なんなんだよ
なんも関係ないじゃねーか 義経は奥州に逃げて、最後に藤原秀衡を頼ったが、秀衡の死後に子の泰衡裏切られて衣川の戦いになるわけであるねw
そして泰衡も結局頼朝によって討たれて滅ぼされたわけで、裏切りの報いはやはり裏切りと死であるねw >>725
なんかずっと話引っ張るやつがいてさー。目障りなら以後無視するわ。 頼朝が個人の性格や権勢への執着から弟達を殺したと思い込んでる人が多いけど
西国の朝廷や摂家からは武士階層に対して熾烈な切り崩しがあったんだよ
義経は現に取り込まれてしまったし
頼朝の舅の北条時政も自立の噂が立てられて失脚寸前までいった
頼朝が強烈なカリスマと締め付けで東国武士団の結束を守ったから
東国に武士による半独立国を築くことができた
これはカリスマにして天才政治家の頼朝なしではなし得なかったこと >>728
必要不必要でいったら絶対に必要だったことだけはわかるのがツレエな
世襲ズブズブの天皇とお貴族さまに任せたら民草が衰退し続ける予測までは正しいですし 義経が後白河法皇から頼朝追討の院宣をもらったのも、後白河法皇が唆したからだろうねw
それで頼朝に詰められたら、逆に義経追討の院宣を出したわけで、このあたりはさすが日本一の大天狗であるねw >>729
民のこととか考えざるを得なくなったのは承久の後だよ。それまでは自分達の利益だけ考えていた東国の御家人たちが畿内から西にも利権を拡げたことで、まったく縁のない土地の人間を手懐けるためにそうせざるを得なかった >>721
外国からも権威の頂点としての天皇という存在は認知されてたけど
関白とか将軍っていう強力な実権を持った為政者を的確に翻訳する言葉がなかったんじゃないの >>732
外人から見たら天皇って法皇ポジションだったんじゃないの?
政権運営してるようにはまったく見えないだろうし >>732
どうやらスペインやポルトガルら、大航海時代のカトリック視点からは
戦国時代末期以前→日本は地方で小競り合いで統一されていない内乱状態
秀吉以降→統一された「帝国」
と認識されていたみたい
ていうか、戦国時代(世界史的には大航海時代)以前、日本がまともに国交持ってた外国なんて、中国や朝鮮はじめアジアの近隣くらいだったろ
中国とかは日本のややこしい事情よく理解してただろうが、スペイン辺りにしてみりゃその当時がほぼ初見の未知の国だったろ >>697
嘘でも貴種であることを主張しておけば何かの役には立ったんだよ
例えば隣村との境界争いが起こった時に
系図を捏造して偉い人に金払って本物だとお墨付きを貰って
昔に恩賞で貰った土地だと言い張れば
訴訟の時に有利な証拠になった >>733
明とか唐は正しく理解してたし日本も朝貢関係を理解してたように見えます
皇帝(の概念も東西で変わっちゃうけど)と宰相の関係も間違いはしないです >>732
戦国時代に明国から派遣された特使は都から追放されていた足利義輝の代わりに
後奈良天皇と交渉を持つんだけど
天皇を将軍と勘違いして源知仁と会ったと書き残してるから
明国側は天皇は既に存在しないと思ってたかも
あちらでは実権が移ると王朝も交代するのが普通だから >>737
戦国時代の明国の特使は日本の王は源だと勘違いして後奈良天皇を源知仁と呼び
傍で補佐していた三好長慶を日本の宰相と書き残してる
宰相にあたるのは関白だったんだけどね >>366
元軍って2度の戦いどちらも日本側との戦力比1:2以下で少ない戦力だったから
日本側が内乱やってるとかでもない限りは誰が指揮してても日本が勝ってたよ
日本側は次々と増援がやってきて時間が経てばたつほど数で元軍を圧倒する有様 橋弁慶の説話は義経記に載ってるそうで、あれは虚構だろうが、義経の幼名が牛若丸であったという話は義経記以外にもあるんだろうおそらく。 >>740
元としては宋や高麗の敗残兵を
殺処分するのが主要な目的だし。 命助けてもらったくせに一族皆殺しにしようとしたから いまだに日本は象徴の天皇いて政治外交を取り仕切る首相がいるからな
蘇我氏〜藤原氏〜幕府と変わってない
その首相もコロコロ変わるし古代から日本との外交ってややこしかったんだろうな 宗教総主から権威をもらわないと王さま(=皇帝)になれない国とか
禅譲(歴史ねつ造上等の正当性)で王さまが決まる国とか
貴族の中から筆頭が選ばれて決まる国とかいろいろです
お互いバカじゃないから配慮はしてたと思うし、尊重ってそういう事でしょうね だってこれから幕府盛り上げっぞてときにポックリと死によるから・・・ >>643
たとえば義経を想う歌を歌った静御前に怒った頼朝を北条政子が説得するという有名なエピソードは
北条によって編纂された吾妻鏡にしか記述されてないんだよな >>746
有名なのは倭寇を取り締まるように明や朝鮮の使者が来た時の話だな
九州の親王、朝廷、幕府。結局誰に言えば対応してくれるんだよ!っていう状態だった >>752
だから近隣の李氏朝鮮なんて、脇の対馬国の宗氏とダイレクトに朝貢関係結び国交持つ形式にして共同で倭寇に対抗したりしたんだよな
おかげで宗氏は朝廷/幕府の臣下であると同時に李氏朝鮮の官位も持つ朝鮮臣下なんてややこしいことに >>750
まあぶっちゃけ時政だけ「北條殿」とか思いっきり書いてる歴史書だからな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています