源頼朝はなぜ日本人に人気がないのか? [565880904]
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筆者は歴史関連雑誌等の編集に関わっているので、「歴史上の人物で誰を記事に取り上げてほしいですか?」という、読者アンケートの結果などを目にする機会がある。
頼朝が上位にランキングされたのは、見たことがない。
歴史ファンの声を拾っても芳しい印象はあまりない。むしろ否定的なものが多い。
例えば―。
・源義経を殺した男
・猜疑(さいぎ)心が強く陰険、かつ冷酷
・鎌倉幕府の創始者というが、武士団に「神輿(みこし)」として担がれただけ
・戦(いくさ)に弱い
・3代で源氏の血を途絶えさせた、先を見通せていない
などが主な意見だ。
専門的な書籍を読む歴史好きの意見は異なるだろうが、一般の日本人が抱く頼朝像は、概してこのようなものだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/81a83b95567518a4f312d8992f54f456926c7572
https://i.imgur.com/rvXRutB.jpg 義経ってちょっと調べると殺されて当然のガイジムーヴかましまくってるよな 義経の事執拗に追いすぎで怖い
落馬とかしょーもない事で死ぬし嫁に子供殺されて血筋絶えるとかさすがにアホすぎん? 源はよく知らないから何とも言い難いけど、大久保利通とか徳川家康とかは好きかも >猜疑(さいぎ)心が強く陰険、かつ冷酷
源氏て身内での殺し合いがクソ多かったの知らなそう
人間不信になって仏教マニアにもなるわ 戦国時代よりもこの時代の方が陰惨で冷酷な感じがするわ
北条時政、北条義時も含めて >>27
確かに頼朝に同情したくなる
頼朝に話通さず勝手に朝廷から官位もらってたりムチャクチャだったんだろ 身内粛正しまくった挙げ句に、嫁の実家に家乗っ取られて
身内粛正しまくってなければ乗っ取り防げたかもしれないのにという
陰険な割には何とも間抜けな男だから 日本人の国民性とやらを表す判官贔屓とやらは義経から来てるけど、実際には当時の日本人の多くは頼朝に靡いて義経を見捨ててるし、後世で安全圏から義経側に肩入れしている今の日本人だって当時生きていたら頼朝に媚びて義経を切り捨ててただろうな
今も昔も判官贔屓とか、弱きを助け強きを挫くとかとは対極 家康は頼朝をリスペクトしてたよ
東照宮には家康と共に頼朝も祀られてるんだぜ 鎌倉時代の名残がなさすぎる
旧鎌倉郡側の横浜市民くらいでは全く鎌倉感がない >>48
しょせん血縁があるだけのよそ者だからそういうのはわからなかったんだよ 「女にだらしない」も追加で
頼家も実朝も政子の子じゃないしな >>29
日本三悪人に数えられてるな
貰った進物を片っ端から家来に与える優しい人なんやが >>60
ちょっとヒャッハーが過ぎただけで戦は鬼強いしな >>47
甲斐善光寺にある頼朝像が最も近いと言われてるね 平景清がぷるいやなる異次元の者からの布施により復活して三種の神器を集め、平家の仇敵源頼朝を討ち取るべく鎌倉へと東上する >>48
後白河法皇の離間の計だけどな
結局、頼朝も謀略に引っかかって弟を殺して一族を衰退させただけ 清盛に助けられた癖に平家滅ぼして
さらにそれを理由にして、自分は敵を赤子だろうが根絶やしにするという辺りか 本人は平家と戦うより源氏の粛正ばかりやっているからな >>57
鎌倉時代ものって、その辺の話をやるためのものよな
承久の乱か、奥州征伐までやらないと収まりが悪いから、頼朝や義時を主役にしてるだけで >>29
尊氏は知れば知るほど不思議な魅力のある男に見えてくる
室町幕府をあれだけ不安定な政権にした原因は尊氏にあるけど、後の時代を考えるとあの混沌は必要だった あの時代の死生観で義経の墓が無いのは異常らしいな
祟りが怖くて怨敵でも手厚く供養するから
信心深い頼朝が墓作らないとかありえんみたいな こいつの「即座に義経に追手差し向けてどこまでも追って殺す」って判断は正しかったよね
たぶんすぐ殺してなかったら割と危険なことになってます >>38
正成嫌いは結構多いぞ
朝敵だった期間が長すぎて
侮蔑の対象として定着してた感がある 昔から頼朝のイメージは悪いよねw 陰険で猜疑心と嫉妬の塊。これは義経が文学作品で悲劇の英雄扱いだったのとは対照的であるねw >>61
そりゃ単に維新後に南朝を正統とする史観が公式になったせいでしょ てか
北条家って凄すぎないか
糞田舎の伊豆の土豪が上皇追放して武家政権確立するとか過小評価すぎない??? この人徹頭徹尾政治家なんだよね
家康や足利尊氏の方がまだ武人らしさがある 日本人ってのは戦いに強いやつが好きだからね
北条に監視されて関東から動けない弱虫が好きなやつなんかいないよ
とにかく勝つ人間が大好き >>62
義仲単体なら田舎のヤンキーの総長だけど巴御前のおかげでちょっと印象よくなってる >>99
たしかに
家康と尊氏は自ら指揮を取って、しかも強かったものな 中国だと劉邦ポジションだから
中国では人気でるかもね 近松も判官ものたくさん書いて義経を酒事項にしてるからねw だれも頼朝を主人公にして劇を書こうとは思わないわけであるねw
それが判官贔屓というものであるねw 家康は武田にビビってうんこ漏らしたのを絵に描かせて戒めとするくらいだからな凡人には無理 >>104
マブいレディース侍らせてるとハクがつくな >>36
実際制作中に源平プロで災難だらけで
大久保さんなんかバイク事故であわや片足切断まで追い込まれたから
慌ててスタッフ総出でお参りとお祓いをしたとか 自分の力で幕府を作れなかったゴミカス
結局死んだあと幕府を北条に乗っ取られたゴミクズ 源平討魔伝スレか
Switchでもプレー出来る時代になるとはな 滅びし平家の怨み忘れたわけではあるまいな
行け、そして頼朝を討て入道相国の加護のあらんことを... 鎌倉幕府や室町幕府の違いがわからない
独裁政府みたいなもんだよな?支配してる血族が違うだけ? 語源通り判官贔屓のせいです
ライバルになりそうな人の粛正なんて古今東西の政治家がやってるし、既存権威からの独立を狙っただけすごい人です >>81
これ。頼朝主人公で義経が完全悪な創作てあまり見ない気がする >>119
黒瀬は頼朝も知らずに日本語ってたのかw 戦乱の中政治特化の軍事雑魚がトップに立って子孫即断絶
人気になる要素が少ない 戦功のあった源氏を戦後に殺しまくる
藤原泰衡への仕打ちがグロい
あっさり北条に幕府を乗っ取られててダサい 戦後は義経があまりに持て囃された反動で、義経を悪役にするドラマもあるよねw
手塚の火の鳥でも義経はクズ扱いであったねw
司馬も義経を書いたが、政治的にあまりに拙劣だった義経のことを白痴的と批判したりしたねw >>122
おまけに武士の棟梁のくせに落馬して相模川に転落して死ぬ
この死に際のカッコ悪さがどうにも演出しようがなない 北条氏って乗っ取っても幕府はそのまま鎌倉に置いたの何でだろう >>146
禅譲ポーズ
正統な後継者のふりしないと源氏のバーサーカーがさわぐ 東北に平家の者が多数隠遁しましたな
怨みが凄すぎて妖怪伝記まであるそうな 劉邦と韓信に似てるけど
劉邦は韓信の命は奪わなかったからか >>132
鎌倉幕府は北条得宗家に権力を集中させて独裁体制を作り上げたけど
室町幕府は管領や地方大名の力が強すぎて権力を振るえた将軍なんてほとんどいなかった >>130
歴史的に人気なのは司馬懿な
中国では三国が武力でもって争ったが武力のない司馬懿が晋として統一した
ちょうど戦国七雄が項羽も含めて武力統一しようとしたが一番雑魚の劉邦が統一した
という武力最強≠統一が中国だと歴史的に評価されてる >>151
劉邦は漢帝になって総責任者になったけど、
頼朝は天皇と距離とっただけで断絶まではしてないです
「将来、調停筋から悪人と思われても仕方ない」って目を残しちゃった >>151
奪わなかったというか奪えなかった
追手は差し向けた アニメ化してイケメンにするか美少女にしたら人気になるんじゃね
日本人のスペックだと 義経はまだしも範頼も死に追いやってるのがドン引き要素 弟の女(静御前)とっ捕まえて踊らせるという狂った性癖
なお女は弟を慕う歌を唄ってそれを聞いた頼朝は激怒するという狭量
怒り狂って生まれた弟の赤子に八つ当たりで殺すという鬼畜野郎だぞ頼朝 どんな国のどの年代の話でも
その後よっぽどの善政でも敷いて民の敬愛を独り占めする存在になったんでもない限り
乱世の最終勝者はだいたい不人気なんだわ >>159
やった事もやり方もえげつなさすぎて無理です
司馬懿と同じで正論botとか合理botみたいなもん 義経頼みすぎの雑魚
平氏も源氏も天下取った期間短すぎる 義経、弁慶、静御前、このあたりは今でも日本で人気あるよねw
ドラえもんのヒロインも、静御前から名前来てるのであろうしw >>146
一族の基盤が伊豆とか相模のあたりなんだから動かす必要ないだろ
関東が武士の本場でもあるわけだし 名古屋の熱田生まれっていう要素ちょっと黒歴史になってるよね
ダサいイメージ付いちゃうからかな >>29
割と人間臭くて好きだわ
鎌倉幕府倒すまでのみんなとの共同戦線の後に
みんなと戦う羽目になるっていう流れも良い >>54
源氏の家系図買った手前の血縁アピールでしょ 平氏は琵琶湖運河を考える程度には日本を発展させる政事をしてたけど
こいつらはヤクザ者の仲裁くらいしかしてないだろ 『平治物語』は「年齢より大人びている」とし、平治物語絵巻断簡には頼朝と見られる若武者の姿が残る。『源平盛衰記』は「顔が大きく容貌は美しい」と記している。
老け顔で顔がデカイ >>167
その上毒舌家だからな
自分に反抗的な御家人に対して公の場で容姿や性格を上げ連ねて痛烈に批判する小物だぞ ていうかこの時代自体好きになりようがない
同時期にサラディンとリチャード獅子心王がイスラム世界とキリスト世界の命運を賭けた大戦争やってることを考えると余計に >>1
徳川家康だって芳しい評価ないじゃん
それこそ、判官贔屓で負けた方の評判は良くなるんだよ 戦争しなかったから
これに尽きる
これが理由で北条家も不人気 【尿路結石予防の四ヶ条】
@十分な水分を摂る
食事以外に1日2L以上の水分補給をすることで大幅にリスクを減少できます。
(コーヒー、紅茶等シュウ酸を多く含む飲料及びアルコール類や清涼飲料水は飲み過ぎに注意!)
A動物性脂肪・塩分・糖分の過剰摂取はNO
腸内のシュウ酸濃度や尿中のカルシウム濃度を上げてしまう原因になります。
また、過食そのものによる肥満も結石のリスクを上げるので注意。
B寝る前に食事をしない
食後2-4時間で尿中結石形成促進物質の濃度がピークになるため、可能なら就寝4時間前までに夕食を済ませるのが理想です。
C軽い有酸素運動の習慣を
階段の昇降運動やジョギングなど、体が上下に動くような軽めの運動は結石が砕けて自然排石されやすくなります。
適度な運動は結石が小さく症状が出てくる前に排石される効果が期待されるのでおすすめです。 >>173
無能なくせにやる気とへこたれなさだけは歴代最強という後醍醐を敵に回したのが運の尽きよ 頼朝と義経の関係は、尊氏と正成の関係に似てるねw
頼朝と尊氏は勝者で、義経と正成は敗者だが、敗者のほうが後の世に人気が出るので、これを判官贔屓というわけであるねw >>184
天皇(既得権益)と距離とって自分を独裁者にしたから
あっち(既得権益)側にみえる人と将来ライバルになりそうな人を粛正しまくってる そもそもあの肖像画って源頼朝じゃないかもしれないんだろ?
それで今は教科書にあの絵載ってないんだとよ >>48
日本人は活躍したのに官位もらって何が悪いの頼朝ケチすぎんって考えだから
不正した側より追及した側を叩くから >>196
まぁ、戦争が上手いやつって大体は屑だし 義経がとんでもなく極悪に描かれてるけど頼朝に比べればなんだよな源平討魔伝
https://i.imgur.com/XKS7itz.jpg >>176
家康は吾妻鑑を座右の書にしてたくらい頼朝大好きだったんだよ
幼少期の境遇が似てるってとこにも共感を覚えていた
反面教師にもしていて源氏将軍が3代で滅びた理由を研究して徳川幕府のシステム設計もしたのだろう 人気ないとか以前に知らないんじゃねえの?
黒瀬は「よりあさ」と読んでいたがあの程度の知識しかない人間は世の中にいっぱいいる >>171
大河の主役になるやつだいたい愛知県出身
源頼朝
織田信長
豊臣秀吉
徳川家康
前田利長
山内一豊
山本勘助 >>196
手塚義経はハンサムでモテモテなんだけど、性格はクズで下衆で、最期は自慢の顔を丸太で叩き潰されて死んじゃったねw
アラバスターのロックみたいに。 義経はずっと京都の鞍馬育ちで部下や仲間も関西の奴ら
平氏倒した後も京都の朝廷を中心とした畿内思想が当たり前と思っていた
伊豆育ち鎌倉拠点で北条と関係が深かった頼朝と合うはずがなかった >>197
天皇から独立した軍隊+政治集団をこれから作ろうという時に
あちらにもらった権威をありがたがる時点で義経は問題外の政治センスです
これ放置したら頼朝のまわりは誰も納得しなくなる >>193
楠木正成が人気になったのなんて南朝が正統とされてからでは
南朝が正統なら尊氏は逆賊ってわけで幕末に尊王志士が尊氏の木像の首をはねて晒したりしたもんだ 江戸時代に儒学者たちが非難するまでは総じて評価は高かったんだけどね
儒学者視点だと朝廷をないがしろにしたとか弟殺しとかが良くないということらしく
源頼朝はまだいいが足利尊氏なんて英雄から一気に逆賊にされちゃって悲惨 実際、戦国時代を題材にしたゲームはたくさんあるが、鎌倉時代や平家物語を題材にしたゲームや漫画はあまりないような。
俺も源平討魔伝しか思い浮かばん。弁慶みたいなキャラは創作物にたくさんいるがw 清盛に命救われておきながら「馬鹿めその甘さが命取りよ」
とばかりに平家を滅ぼす
平家を滅亡させた弟の義経を朝廷に担ぎ上げられる危険があると見るや
執拗に殺しにかかる
匿ってた藤原氏を脅して義経殺害に成功するが結局藤原氏も滅ぼす
為政者は仕方ない部分も多いがサイコパスだな
それでいて目立つエピソードや活躍ないからな 頼朝とか地味だし人気以前の問題
空気といってもいい >>192
やる気無さ過ぎなのに軍事最強の尊氏を敵に回した後醍醐の無能さよ 頼朝の死因って女装じゃなかったっけ?
頼朝が女装して、浮気相手の家に侵入しようとしたところに警備していた御家人に切り殺されたって覚えてたんだが
名誉のために落馬にしたよね?それでもダサいけど >>209
南朝が正当とされたってのはそれいつからの話だ? 水戸光圀の大日本史でも南朝正統論だったぞw
まー正成人気が高まったのは、太平記の人気が出たのと軌を一にしていたというのが一番ありそうであるねw >>213
そらたったの三代で終わるもん
敵もいなくなったのによっぽどのサイコじゃなきゃどだい無理な話だよな >>213
天皇から独立した権力機構を作っただけで充分ですもの
物理的に遠いところに建てたのもよい
古代中華とか勉強してたんじゃね、家康もですけど >>54
家康は幼い頃に雪斎なんかの教育を受けたせいか、学問好きの読者家で歴史もよく知ってそうだけど、
秀吉はどうなのだろう
頼朝も尊氏も名前しか知らんわとかそんなレベルだったりするんだろうか >>217
大日本史は南朝正統論だけど幕府の公式な史書というわけではないし
公式には大日本史に影響されて尊王思想になった連中が幕府をひっくり返した明治維新後でしょう >>221
出世してから勉強したか、商習慣をそのまま持ち込んだ、信じられないほどIQが高かったのどれかじゃね
銭に汚い人は合理主義の権現です 来週から三谷幸喜じゃん....
俺が昔っから日本歴史史上最高の政治家と言い続けてきた北条義時
真似された 落馬して死んだとかいうのも北条のねつ造だからな
ほんとは毒殺
傀儡のゴミだった 義経だけじゃなく、数少ない弟従兄弟みんな滅ぼしてるからな
北条政子の入れ知恵ってのが俺の見解だけども >>227
まあ、ずっと昔に「草燃える」で義時主役はあったし
総集編しか知らないけど、あの頃のマツケン、まじイケメン >>103
その理屈なら義経はもっと人気ないはずだが 吾妻鏡に出でくる頼朝の長女が狂死した話とか好きだけど >>225
大日本史よりも太平記の成立のほうがはるかに早かったわけで、太平記の影響はやはり大きいよねw
大日本史と水戸学も影響あったが、白石の読史余論でも正成の功績をたたえて尊氏を貶してるし、頼山陽の日本外史も同様の立場であるねw >>233
大姫?
義仲の息子と婚約してた奴だっけ
武田信玄の娘にも似たようなエピソードあったな
北条氏政に嫁いでたけど、信玄の今川攻めで離縁された娘 子供の頃に牛若丸にヒーロー的なイメージ持ってしまうからかな
実際はやべえらしいが >>203
誰も地元に居着いたり回帰してないな
よっぽど見込みのない土地なんだろうな 栄枯盛衰だよな
平清盛や源頼朝は英傑なんだが、滅亡の道を辿っていくのが皮肉
そこがまた面白いのだけど 大河ドラマ北条時宗は面白かったなぁ
渡部篤郎が良かった >>237
沖田と義経はただの殺人マニアだった可能性はあるわな >>236
そう、大姫
頼朝は息子や娘絡みのエピソードがあるから義経よりも人間味があって面白い 助命してもらったっていうけど平治の乱は信西と藤原信頼ら二条親政派の争いで、頼朝が死罪までいかないのも当然という意見もあるぞ >>241
伊東四朗の何役か忘れたが(北条政村だっけ)
「いっそあの世に追放してはいかがかな」
のセリフはよく覚えてる >>246
あの化かし合いみたいな鎌倉のドロドロが良かったわ
あの役良かったな >>243
義経は剣客じゃなく武将だから、殺人マニアってより戦争の天才だろ
まあ殺人マニアかつ軍事的天才でも矛盾しないが 藤原氏から離れて独自の政治をやったからだよ
頼朝は偉大 >>248
嫌儲的評価はよくわからんが、自分的には義経になりそこねた残念な人 自分は平家の温情で殺されなかったのに
義仲の子の義高はあっさり殺して
政子に怒られたら義高を殺した自分の家臣を打首にする非道ぶり 義仲の人生には悲哀が詰まってる
本当に日本人好みなのは、義経よりもむしろ義仲の方だろう
頼山陽か誰かそんなこと言ってたけど >>252
義仲は芭蕉が好きでねえ〜w
木曾殿と背中合わせの寒さかな
なんて俳句を詠んでいるねw
それと平家物語二大美女のひとり巴御前は義仲の妻だったねw >>241
ピーターの北条実時が良かったな
文化人かつ切れ者っぽさがよく出てた >>241
時輔のラストがぶっ飛び気味だったけど、全員キャラ立っててストーリーもメリハリあってかなり良かった わらってー わらってー
わらってよりともー
はははははははは
戯れは、終わりじゃ 面子を潰されただけで東北まで追っかけていって殺した挙げ句に一族ごと途絶えさせるとかとんでもないジャップ仕草 >>1
現代日本も 非情な上司多いから ウンザリするん天塩 なのよ >>199
歴史的傑作っぽいな
面白そうすぎる
1192年。源氏の棟梁である源頼朝が、魔族に魂を売り渡し闇の力をその手中に収め、
怪物の軍勢を従えて平家を滅ぼした。
そうして訪れた暗黒期を憂いた帝の命の下、三途の川の渡し守・安駄婆の手引きにより、
平家の武将・平景清が地獄より復活。
プレイヤーは、滅ぼされた一門の怨みを背負った景清となり、打倒頼朝に必要な三種の神器を探し求めつつ、
壇ノ浦から一路、鎌倉を目指す事になる。 まあクズだからだよな
義経があまりに可哀想だから尚更ヘイトが溜まるわけ
日本人はリアルだと弱者いじめが大好きな割に悲劇を好むから悲惨な方に同情する 平清盛に助けてもらって生きながらえたのに
自分はまわりの身内や子分を片っ端から討殺だもん陰湿すぎる >>264
道真本人がどう思ってたかは、道真が英雄神もしくは怨霊として扱われたという話と直接の関係はないねw
道真もまた最後には大宰府に左遷され、敗北者として生涯を終えたわけで、敗者への同情、判官贔屓は義経正成同様に道真に向けられたと言えようw
で、頼朝と尊氏という伝説における悪役に該当するのが、道真伝説においては藤原時平であったといえようw
菅原伝授手習鑑においても、物語の構造はやはり判官贔屓が基になっているねw >>268
説得力あるなあ
まあ、でもそれだとなぜ信長は好かれるのかという気もするが >鎌倉時代末期〜南北朝時代における「悪党」とは
>「わるもの」という意味ではなく、強大な経済力と武力を背景に、
>旧体制である荘園領主・幕府に反抗した新興勢力のことである
>(よって、山僧や神人など「邪悪」ではない者も「悪党」には含まれる)。 >>1
この肖像画、どアップで見るとミキプルーンの人だよな 頼朝が戦下手だと言われるが実際に見てみるとそれほどでもない。
負けたのは平治の乱と旗揚げ直後の石橋山の合戦ぐらいで、
その後房総で味方を集めてからは鎌倉入り、富士川、佐竹ら関東の敵対勢力討伐と勝ち続けている
範頼、義経に平家討伐を任せたのは戦下手ではなく鎌倉政権を創り上げるため関東から離れられなかったと見るべき 弟の方がすごい→頼朝「弟数したぞ!」
嫁の方がすごい→頼朝「ですよねー(昇天)」 頼朝直系は3代で消えたが、幕府と将軍という統治システムは、室町江戸と明治時代までずっと続いたわけで、そのシステムの基礎を作った頼朝は歴史的な影響力はデカいよねw 義経千本桜見ちゃうと
狐より下級扱いだし仕方ないかも 義経がいなくとも平家を滅ぼすことはできたんじゃないのかね
もっとじわじわ行く感じになったかもしれないけど
むしろ頼朝はそうするつもりで、義経があまりにも早く平家を滅ぼしてしまったので、政治的計算が狂ったという話を聞いたことあるな >>277
ん?
つまり怨みを抱かずに亡くなったのに道真は「怨霊」になったという見解かい?
全然ダメだね、君w
怨霊信仰というものが全く判ってない
聞くだけ無駄だったか 幕府創設に際して武功有りまくりの兄弟である九郎判官も蒲の冠者も最後は誅殺する辺りがウケないンだわ 真田幸村の人気と同じじゃないかなぁ
次の世の庶民は頼朝の偉業よりも、反体制の義経を英雄視するってこった 判官贔屓って日本人の国民性を垣間見れるから好き
ジャイアントキリングを期待しつつも、
「負けても仕方ないよね」「頑張る姿が美しいんだよ」という予防線を常に張って心の安定を保つ
その際たるものが「判官贔屓」 >>262
わかるわ
しかもあの鎌倉では割と良い人だった
>>265
なんかこう革新的な大河ドラマだったよね
赤マフラーの前も後も時輔は好きだわ >>289
怨霊伝説ができたのは道真の死後で、道真本人が怨霊伝説を作ったわけではない。当たり前の話だろうw
おまえが本当に怨霊の実在を信じているというなら話は別であるがw >>48
そもそも頼朝も内紛ばかりでセンスないなあ
清和源氏って義家も為義も為朝もみんな身内の争いばかりで立ち回り下手よね >>295
独裁者はいつの時代もそうだし、文字通り希代の改革者で創業者になった頼朝ならなおさらです
壊滅的に政治センスがなかった義経には同情する 義経みたいにエピソード盛ってキャラ付けすれば後世の印象も違ったのにな >>301
弟の範頼と義経のリモコン操縦者。なお二人とも狡兎死して走狗烹らるになった模様。 昔の日本は親子兄弟で殺し合うのがよくあることだったからな >>297
怨霊になるには条件があってな
当時の人たちが「あの人なら怨霊足りうる」と思わなければ怨霊として恐れられことは無いんだよ
そこに「道真が怨霊とされたのは死後27年」という事実が効いてくるんだけどね
オレは「当時の人は間違いなく怨霊を信じていた」と信じているよ >>307
よくあるけどそういう家はすぐに途絶えるよね
河内源氏は義家の頃から殺し合いし過ぎ
一時的には敵味方にわかれても争い終われば、阿吽の呼吸でお互いかばいあえばいいのにガチだからなあ
摂関家に家の中常にかきまぜられて憎しみが凄いんか知らんが >>309
死後27年ってその頃はまだ藤原氏が支配してる時代だよねw
それで道真の怨霊を鎮めるために死後に贈位して、道真は太政大臣にまでなったわけだが
そこには藤原氏の政略的要素もあったという説があるわけだねw 頼朝の命を見逃した平家を滅ぼしたからだろ
当時としてはそんなもんなんだろうけどさ 俺は好きだぞ
戦争の才能がないことへの見切りの速さ
政治はまぁまぁだし 源氏が再興したわけじゃないんだよ
頼朝は北条家による謀反に使われただけ
平家を裏切ったんだから全員殺して滅亡させるしかない
日本最初の武家政治は叛逆者の建てた幕府が始めた事実 >>49
秀吉も同じだよ
秀次事件が無ければ徳川幕府は無かった やっぱ儚さだよ
人気がある歴史の人物には大体儚さがセットになってる
夢半ばで潰えた人物じゃないと人気が出ない 義経も範頼も頼朝の意思でどうこう出来るもんじゃない
死後も息子二人ともを殺されて根絶やしにされただろ >>74
やらなければやられる大陸の他民族なら当たり前の判断なんだけど
おてて繋いで徒競走ゴールするような虚弱民族には永遠に理解できないだろうな 北条家は被差別部落地域の出身だからね
そもそも姓なんて無かった
伊豆の北条村の政子ってことでしかない
平家方では見下されて恨みが積もってたんだろう
執権の家に姓が無いと格好つかないから後に北条家ってことにしたんだろうな
あの頃のあの辺にそんな家は無いんだよ >>29
大河の太平記だと色々とかわいそうな人って感じ
まぁ登場人物みんな悲劇的な最後で勝者誰もいないんだけど >>29
戦前日本だと悪人にされてたからそれが今も続いてるんじゃね? >>312
え?
怨みを持たずに亡くなった道真を藤原が怨霊として鎮魂する事の政略的要素って何?
相変わらず滅茶苦茶だな、君w 「判官びいき」に対して「日本人特有の」って枕詞つけたがるやつが割といるけど
「歴史の最終勝者」より「奮闘するも力及ばず散っていった敗北者」の方が
英雄譚の主人公に選ばれやすいのは、どの国の歴史物語でも大体一緒の傾向よね >>328
今だったら弱男ケンモとか怨念の塊だからすごい悪霊になりそうなんだけど
供養しようとか誰も思わないよね 太平記の尊氏は人間臭くていいじゃん
ぐう聖の正成はケンモメンに人気なさそう でも明治になってまた日本はかなりひどい国になってしまった >>332
道真に対して死後に追贈するだけなら、財政敵負担はなにもないし、藤原氏にとって政治的にはノーダメージってこと。
むしろ道真に贈位したことで藤原氏はそのあとますます栄えたわけで、つまりそこには何らかの
政治的計算があったのではないかと、逆算して考える人もいるわけだよw 義経だけならともかく、一条忠頼暗殺したり、上総介広常殺したり割と有力者の
粛清がしっかりしすぎているんだよなぁ。 源頼朝は単なる無能力者だ。
アンチ平家の旗揚げとして祭り上げられただけの存在。
なんせ八幡太郎義家の血を引く(武家の)名門の御曹司だ。
頼朝はおかしな死に方してるだろ?
用済みだから始末されただけ。
実朝の死後、政権は順当に(執権)北条氏が握った。 日本史一番の政治家だろ
保守じゃなくて革新だからな 忘れ去られたネトウヨインフルエンサーが
とんでもない読み方してたよな?
バカじゃねーの?wwwwwwwwwwwwwwwwww >>343
最後は日本史上最凶の暗愚といわれる高時のせいで滅亡したけどな 菅原道真伝説では、菅原道真は善玉であり、藤原氏は悪玉なわけだが、菅原道真は左遷されて失意のうちに死去し、藤原氏は栄耀栄華を極めるわけで
善が滅んで悪が栄えるのが人の世であると、このような物語は人を教育するわけであるねw >>340
それ道真が「怨霊」である必要無いじゃんw
君の言ってることっていつもそうだけどスポットスポットのつまみ食いで、一連の流れの中での辻褄が全然合って無いんだよね
聞くだけ無駄(二度目w)だったか
ま、道真の話はそもそもスレ違いだし、これ以上は君には無理っぽいからこの辺にしておくよ
邪魔したね 頼朝直系にしてもそうだけど、武家ってすぐ滅ぶよなぁ。北条も血筋はともかく家としては
族滅状態だし、室町の支配層だと足利将軍家もなくなるし、三管領家も滅びるしで。
一方で公家はまあまあ長続きなんだよなぁ。五摂家とかちゃんと乱世を生き抜いているし。 >>348
まぁそんな物語作ったところで藤原北家は現代に至るまでなんだかんだで国の中枢に座り続ける訳だけどね >>188
判官贔屓ってやつもつまるところ強い奴が好きって話だからね
強い奴が負けてしまう話を自分に重ねてるという あっという間に北条さんに乗っ取られてるからじゃないか? >>351
細川の生き延びかたは公家レベル
現代で総理も出したし >>349
怨霊を鎮めるためという口実でもなけりゃ、大宰府に左遷されて死んだやつを太政大臣にする理由がないだろ?w
そんなこともわからんくらい頭の回転が鈍いお前に、これ以上懇切丁寧に解説してやる気力がちょうどよいことに俺も失せたよw >>348
失意?
元々君に尋ねたのは
「謫居春雪」
盈城溢郭幾梅花
猶是風光早歳華
雁足黏将疑繋帛
烏頭點著思帰家
「九月十日」
去年今夜待清涼
秋思詩篇獨斷腸
恩賜御衣今在此
捧持毎日拜餘香
このふたつの漢詩からは道真の失意も怨念も感じないのに何故「大怨霊」として認識されたの?ってことでしょ
道真の失意なんてのは君の都合の良い思い込みでしかないじゃんw >>352
へー、国政の中枢にいる藤原北家って誰のこと? >>355
ただ、細川の場合は残っているの分家筋で主家の管領家は滅んじゃったけどね。 >>356
つまり藤原が自分たちの陰謀を認めたということか?
それ、かえって政略的に不利なんじゃ?w
ほらね、どんどん辻褄が合ってこなくなるw 夫婦別姓で妻の方が有名だから
昔からウヨに人気が無い
足利義政も同じ >>357
それは道真が読んだ漢詩だろ?そのような温厚な人格者であった道真が無実の罪で配流され、その血で失意のまま没したという事実が
世人の同情をよんで、落雷で政府の上級が死んだのは道真の祟りに違いないという伝説が生まれたわけであるねw >>360
馬鹿なお前のほうこそ、だんだんガタが来てるようだが大丈夫か?w 武家社会の鎌倉幕府がなければ日本は蒙古に滅ぼされてたからな
日本を守った時点で役目は果たしたと言える
今日では中共の危機が迫っている
源氏の血の者が再び表舞台に現れ日本を守ることだろう 源頼光ブームとかこないのかな
俺の祖先渡辺綱イケメン 吾妻鏡読んだらこいつ泣きすぎだろってくらいすぐ感動してなくし人情味溢れるおっさんだぞ頼朝は >>366
いやあれそもそも北条時宗とかいうアホが仕切ってなかったら戦争になってないから
貿易しようぜって国書を宣戦布告と読み間違えたのが発端 鎌倉というなんにも無いとこを政権の中枢に選び、関東の有力平氏を残らず味方に引き入れ、支配体系の基礎を作り、戦の弟たちに的確な指示を送り、折を見て守護地頭を認めさせ全国支配の方法を編み出し、一族の義仲、義経、最大の御家人上総広常、奥州藤氏を滅ぼすなどをほんの数年でやってしまった有能ぶりなんだが >>369
わざと斬ったに決まってるやん
日本は武家社会だよと
舐めるなよと
わからんかねんなことも だから道真が大怨霊とされたのは、道真のような人格者を無実の罪で陥れるのは酷い、この怨みはらさでおくべきかという世人の感情が反映しているといえようw >>369
とはいえ高時以前の得宗家、それを補佐する分家の北条氏は無茶苦茶有能なのが揃ってた
時宗始め安達ら評定衆の果断で一気に西国の支配体系を一枚岩にした
もし摂関将軍が実権握ってたらほんとに支配されてたろう >>151
劉邦は秦を倒したし項羽ともバチバチやりあったからな鎌倉で北条に背中支えられてた頼朝とは全然違うだろ
言うとおり韓信を殺すとこまではやってないらしいってのもあるし 統一王朝創設者でこれだけ不人気なのは中国史だと晋の司馬炎くらいしかないな
すぐ外戚に乗っ取られて三代で滅んだのも似ている >>370
「平家追討編」に続く最終章のラスボスに相応しい攻守最強ぶりですね
逆に主人公には全く向いてませんけど 最終的に北条も御内人に実権乗っ取られているのなんでなんだろうなぁ。 弁慶外伝はSFC版が良い
ラスボスが頼朝なのも(´・ω・`) >>369
油断していた中国はモンゴル帝国に乗っ取られたじゃん。
僅か50万のモンゴル兵にw 別に社長なんて誰でも良い
組織が存続すれば
中国は伝統的にそんな感じだろ 血筋がいいだけで、御輿に乗せられただけのボンボンでしょ 頼朝は政治の天才
流人の徒手空拳の身から天下人になる
御家人ひとりひとりにコソッと
「お前だけが頼りだ」
と言って感激させる
関東に史上初めて非合法軍事組織を
政治の駆け引き合法化させて
日本を支配した >>299
戦国時代が可愛く思えるぐらい室町以前は身内で血を流しまくってるよ >・鎌倉幕府の創始者というが、武士団に「神輿(みこし)」として担がれただけ
>・3代で源氏の血を途絶えさせた、先を見通せていない
これ半分あの人だろ 明らかに自立の動きがあった義経より範頼だろ
範頼にやったことは畜生にも劣るわこいつ 義経に先こされてキレて下がらせたくせに
後から戦だけには利用しやがって 平清盛に命を助けられたのに反乱を起こして平家を滅ぼした恩知らず 部下の知名度が異様に低いよね
伊達政宗における片倉小十郎、上杉景勝における直江兼続ポジションって頼朝氏だと誰になるん? 三嶋大社だと毎年芸能人が頼朝なって旗揚げ行列やってる
数少ない頼朝メインイベントじゃないかな 後家人の子孫がいた
239 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 53d1-lS5m) 2021/12/27(月) 21:55:03.92 ID:flew4qxh0
鎌倉幕府の梶原家の末裔の俺が言うのもなんだけど
対馬低すぎだろ >>410
御家人の子孫はそりゃいるでしょ
全国の畠山さんは畠山重忠の子孫って話だし マジで頼朝はどのエピソードでも気が小さくて器が小さい
現代では金正恩が一番近い
すぐに粛清するゴミ 鎌倉時代はちょっとロマンがあるな
頼朝はかなり好きだわ 征夷大将軍なのに戦に弱かったし平家との最後の一連の戦いは弟任せにして自分は出陣しないとかじゃね?
役職名とやってることがあってない >>413
宗盛だな
平氏じゃなければ平凡に生きられただろうことが気の毒 平清盛も初期の源氏も物流を牛耳っていた武装商人やね
因みに源頼朝も足利尊氏も源義家の子孫
河内の羽曳野市に今も源頼信、源頼義、源義家の三代の墓が残っている
大阪旅行の目的地として面白いよ源氏の痕跡を辿る旅 鎌倉時代の内紛同族殺しを始めたのこいつだろ
元寇の前後ですら権力争いした挙げ句に滅んで南北朝→戦国時代へ
なーにが鎌倉武士だ 蛮族の集まりじゃねーか 扇を弓で射抜いたあと、舞を披露しようとした女性を射殺す人でなしども 王朝倒すわけでもなく、平家の後釜に座るわけでもなく、幕府とかいう謎のシステム作ったのってもしかして天才じゃね? >>427
このまま朝廷に媚びてたら平家の二の舞と気付いたところはすごいです 武家の棟梁という立場と評価との落差がほんとひどいよな
神輿として担がれて身内殺してまわって最後は自分も子供も殺されて断絶
幕府は北条に掠め取られて終わり 北条ら東国武士が神輿として源氏ブランドが必要で担ぎ上げたにすぎないからな
だから活躍しすぎた義経が邪魔者となりあっさり追い出された 朝廷と距離を置いて鎌倉に幕府作ったりしたのは才あると思うわ つか日本の歴史って天皇家内部の権力闘争しかないからな
身元不明の人間で帝位につこうとしたのは道鏡とKKのたった2人しかいない >>208
周りを納得させるために殺したんじゃなく単に取って代わられるのを恐れて殺しただけだろ
須磨、屋島、壇ノ浦まぐれじゃ説明つかんわな どう考えても後世の捏造だろう
源義経に同情的な言葉である「判官贔屓」の初出は
江戸時代だという
鎌倉時代の吾妻鏡などでは
頼朝は立派な人のように描かれている
江戸時代中に天皇を尊重する風潮が高まった結果、
天皇から権力簒奪した頼朝は評価が下がったのだろう 読んだことないなら吉川英治の新平家物語が面白かったよ >>380
司馬懿と司馬昭のおこぼれに与っただけの奴だしな
もし司馬攸だったらなあと思うよ >>227
にわかではあっても政治センスが日本史上最高峰の義時にスポットライト当たるのは嬉しいな
不比等もやってくれないかな つうかお前等無職が多いのに何でこんな歴史を語れるの?
マジで不思議なんだが
無職は言い過ぎにしても学者でもないのにスラスラ語れるヤシ大杉久美子 >>427
平家と同じシステム…
すなわち「下級軍人上がりが上位官職を独占」は
反発が大きいから「下級軍人の身分のままで権限を委譲する」
というスタイルにしたんだろう
後世、平家と同じ事をした豊臣政権が短命に終わったのも
そのことを裏付けた >>392
乱もショボいし同時期の藤原純友の乱の方が厄介だったし
何で将門が人気あるのか分からんな >>443
一番えらいのに大佐止まりのカダフィみたいなもんか 貴族ルート 自前の戦力がある→それを使って天下取れる
成り上がりルート 戦で頭角を表す→有能だから重用される→自前の戦力ができる→天下取れる
頼朝ルート 自前の戦力はない→頭角も表せない→血統だけある→神輿化 来年の大河ドラマは頼朝の義弟の北条義時だけど
小栗旬でガッカリだよな 命を助けられた清盛を討ったことや、
庶民にとっては藤原氏より平氏政権のほうが
良かっただろうという予感だろう。 >>456
義朝の子じゃなかったらわざわざ鞍馬寺に預ける必要ない
沢田ひろふみの漫画みたいに赤の他人と入れ替わってたというなら知らん >>458
実質的に首都も権威機関も鎌倉に移してしまったわけですから
京には歴史と伝統があるとか神秘パワーがあるなんて信じてた人に嫌われる
ただそのシガラミがジャップを弱くさせてるわけで >>460
ロックフェラーの犬のどこが強いのかわからんな。 >>308
なんか北条時宗の字が
モンゴル文字っぽいなと思ったら
蒙古襲来もこの頃だっけか キャラクターとしては義経や義仲、何なら範頼や義平何かの方がよっぽど魅力的だもんな 鎌倉に関しては神奈川県という中卒率全国一位の
アホしかいない左翼県のイメージも最悪にしてる理由のひとつだろうな。 >>363
判ってないねぇ
その「失意」を道真自身が感じてない証拠がその漢詩だって言ってるんだけど
「失意」すら感じてない道真を君の言うところの「世人」が勝手に「道真さんは怨霊だ」ってでっち上げたの?
しかも27年後に?
全然辻褄が合いませんけどw >>455
本当これ
もう一年、吉沢にやって欲しいぐらい 源頼朝
徳川家康
大久保利通
政権作った奴は大抵面白くない。敗者の方が面白い。日本人特有の判官びいきよ(´・ω・`) >>445
平将門を大河ドラマにしたら現場で何が起こるかわからないから怖すぎるだろ 北条政子の手腕が大きかっただけだろ
ほぼ北条政子の入れ知恵だと思うわ 結局裏にいた北条家が有能だっただけだろ
義経を倒したのは源氏の力が強まることを恐れた
北条家の陰謀だろ >>270
そんなストーリーあったんだ
単純に当時は大きなキャラを操作出来る横スクロールゲームで人気あった 当時の鎌倉武士にとって義経は前線で共に命懸けで平家と戦い勝利した大将だからなそりゃ扱いが違うわな 北条時政って将軍二人暗殺してるんだよな
どこでその権謀術数身に付けたんだ >>477
後妻の陰謀とされること多いよな
まあ、これとて政子・義時が作った歴史かもしれしれんが >>241
人生で一番まともに見た大河ドラマやな
そして結構ファンタジー入れてやっているのも初めて知った そら昔からだろ
「判官贔屓」って言葉もあるくらいだし なんであんなにあっさり嫁さんちに乗っ取られちゃったんだろうな >>484
秀吉もなのですけど優秀な直系以外は将来のライバルになるから不要といって
優秀なスッタフになるかもしれなかった人達まで排除してからとか?
兄弟親戚でモメてほろんだ中国帝国は腐るほどあるし心配したのでしょう
嫁さんのほうは中華でいう外戚バリバリで最初からコネ縁故採用も全力です 同時代の海外は英雄ばかりだぞ
イングランド=リチャード獅子
フランス=フィリップ尊厳
神聖ローマ=フリードリヒ赤髭
エジプト=サラーフアッディーン
モンゴル=チンギスハーン 三代目実朝で将軍いなくなったのになんで鎌倉幕府つづいたの? いなくなってない
摂家将軍とか朝廷から呼んで置いてる >>480
確実にトップ3には入る
新しい試みがたくさんあったのにうまくできてた
見飽きない そもそも日本人の好きな歴史上の人物ってほぼほぼ戦国、江戸、幕末でしょ
フィクションの数が段違いだし
義経ですらベスト10に入るかかなり怪しいと思う 江戸時代の武士には「まるで鎌倉武士のようだ」が最高の誉め言葉だったのはプチ >>484
言うほど、あっさりでもないだろう
最終的に北条義時が勝利したけど、権力闘争の激しさから言えば北条氏が脱落する可能性もあったわけだし。
尤も頼朝が流人で基盤を持ってなかったから、源氏直系はどのみち傀儡になったろうけど >>493
未だに定説がない
大きく分けて2通りあって
農民が自分の土地を守るために武装を初めたのが武士の起りとするのと
中央から派遣された軍人がそのまま地方にいついて勢力を持ったのが武士の起りとするものがある >>493
系譜を信じるなら天皇の子孫が地方に行って
武装化したもの 吉川英治の新平家物語読むと、こいつと梶原景時と源行家の3人に胸くそ悪くなる >>497
源氏平氏だけちゃうの
まあみんな大きくなったら自称しだすけど 義経は百歩譲って殺されるのは分かるけど
「俺がいるから安心して」って言っただけの蒲殿は可哀想だろ
頼朝は頭おかしいわ >>152
京から離れて権力基盤作ろうとした鎌倉
京の公家とかに媚びて鎌倉幕府倒したから
初めからムリやったな 弟の義経が鬼滅で言うところの縁壱
黒死牟の頼朝は劣等感の塊だったろう 曽我物語での頼朝の印象に引きずられた高祖父世代の頼朝の扱いを受け継いだ現代人
わざわざ持ち上げようとしないと浮上することはございませんわな 源頼朝の墓を以前見に行ったことあるがびっくりすぐらいしょぼい
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kids/jh/kjh_ma02.html
死後すぐの状態とは違うらしいが鎌倉市はもうちょい観光資源として整備してもよいのに >>443
清盛は天皇の子だから太政大臣になれた説は? 鎌倉は御家人を次々と粛清したから維持された
恐怖政治だよな 頼朝公は宗教的側面から再評価して差し上げるのが正しいだろう
熱田神宮、箱根権現、観音信仰辺りから 鎌倉時代のことになるとデタラメ書く人が多いんだな
戦国時代含めて中世はデタラメ信じてる人多いけど >>493
ヤクザの源流が様々なように地方によってルーツは多種多様
西国の武士団は渡来系のカーストだったり
東国では藤原氏が家領を守るために編成した私兵集団がルーツだったり
ルーツも地位もバラバラだった武士を大きな一つの階層にまとめあげてその長に成り上がった頼朝はとんでもない大天才 頼朝は平氏は割とどうでもよかったというか、別に滅ぼすまで徹底的に叩く気はなかった
三種の神器を回収して後白河との交渉に利用しようとしていたので長期戦で圧迫して降伏を促すつもりだった
頼朝が真に警戒していたのは義仲や甲斐源氏の武田、佐竹氏などの源氏一門の方。こっちの方が源氏の棟梁の座を脅かす存在だったから そういえば来年の大河って後半は御家人殺しまくるんだよな
成立からしてどうにも鎌倉幕府と豊穣執権体制って明るくないのも人気がない一因じゃね? 敵・親族・家臣を粛清しまくったから、個人的に好感は持てないが
あの状況から天下を獲って、世襲できたということから、有能だろうなというのはわかる >>468
道真自身がさほど恨みあるようには見えないというなら、道真を大怨霊にしたてあげたのは
道真以外の世人と考えるしかないじゃんw 論理的思考能力ないの?w >>455
義経のときは北条に追い落とされる役だったのが
立場が逆転するんだな 原本に近い平家物語では頼朝の酷薄さと同じくらい源義経の鬼畜っぷりは割と強調されてる
戦の邪魔になる町を即断で焼き払ったり
那須与一の的当てに喝采する平家の舞手を撃ち殺させたり
非戦闘員とされていた馬や船の漕ぎ手を狙わせたり
静御前も嫌われ者の義経に添い遂げようとした奇特な女扱いだし おっさんは1192って習って
今の子たちは1185って教えられてるらしいな
いい箱作ろう鎌倉幕府 清盛に助命された恩を仇で返したから
これを教訓に後代一族皆殺しになったケース増えたろ >>520
ん?失意のうちに亡くなった道真を慰撫するために云々ってのが君の主張じゃないの?
主張がコロコロと変わるねぇ
では、道真は怨み無くして亡くなったとして、それを「怨霊」にでっち上げあげたのは「誰」で、いよいよ本題の
>それらを踏まえて太宰府行き我決まったときに詠んだとされる歌
> 東風吹かばにほひおこせよ梅の花
> 主なしとて春を忘るな
>をどう解釈する?
に繋がるわけだけど
どう解釈する?w 鎌倉時代とか古すぎて実際どういう人物か不明なとこあるしな 征夷大将軍の喜びを知りやがって、頼朝許さんぞ!
征夷大将軍の喜びを知りやがって自分たちばっかり、殿にもさせろよ!グギィィィ!
殿の戦功を剥奪しやがって。 殿の官職を剥奪しやがって。
許 さ ん ぞ !!
そうしてこんななんだ。後白河法皇に頼朝追討の院宣を得たと思ったら、義経追討の院宣出して朝敵に転向しろかい。
バカじゃねえか。朝敵ってえのはいっつも言うようにな、
朝廷の言うことに従えないという、病気なんだよ。なんで殿がそんな病気になると思う。殿は朝廷大好きだよ!
何言ってんだ。シィッ。
謀反なんか、出来るわけないだろぅ!
近頃はもうそういう奥州でも行かないと寝られなくなったじゃないかぁ。落人になった完全に。
通れないんだよ。殿を棒で打ちすえないとどっか関所が。
奥州なんてあんな田舎なんかいて殿が満足出来るか?
義仲じゃあるまいし。チクショウ。何が奥州平泉だよ。バカじゃねえか。
いい歳した殿が奥州のそんな田舎いて興奮するわけないだろう。
チクショウ何が奥州だ。馬鹿馬鹿しい。
奥州ですって・・・馬鹿すぎる!
クッソゥ
自分たちは、お前たちは当たり前のこと、殿はやっとらんがな!ふざけんなよ!
年末までには奥州滅亡させようと思ってるくせに。
北条のお神輿の癖に。北条のために色んなことをするんだ。
ああでもないこうでもない。あんなことこんなこと、清盛みたくやっとんだろ。あんなことこんなことやっとんだろお前。
あんなこといいな こんなこといいなって言いながら。政子とやってんだろ。
Weekend Lover で。
んで、月曜日のマンデーに、裏切った泰衡が、衣川の館に襲撃にくるんだ! >>520
ちょっと言葉が足りなかったか
失意のうちに死んだのではないことを知っている(つまり道真は怨霊だとは思っていない)藤原が道真を「怨霊だ」と騒ぐ必要ないし、ましてや贈位して慰撫する必要もないよね
それを踏まえて>520ね >>502
武士の家柄なんて元々は適当だろ
公家の荘園治める番犬でしかなかった
今で言えば単なる反グレだからね
伊豆のあの辺は被差別地域で
それを治めてた有力者ってことしかわからない
韮山から南へ下って北条南条中条
単なる地名だからね そこの出身ってこと そのうち意識高い系の人たちが「忠臣蔵の吉良はいい人」みたいなこと言い出すだろ 義時が江間義時なのも江間の出身だからでしょ 北条の隣地区
実際に執権やってた時は苗字なかったんだろう
歴史なんて何百年あっても改竄は10秒できるからね 頼朝の独裁への不満から息子の代であっという間に将軍は実権失い
一族皆殺しにされてしまうからな 実際 頼朝はどのぐらい実権あったんだろうね
平家討伐は北条の差し金だろうな
裏切った後ろ暗さから根絶やしにしたんだろ 昔なら1mmも興味なかったが、今なら大河ドラマで北条時宗とか観たいな。 頼朝の軍隊も北条とか坂東武士のもんだし。頼朝は飾りだよ。将軍なんて源氏である必要もない。 >>504
人気ない頼朝のための作り話の可能性も高いよ、曽我弟の助命
結局殺してるし
子どもの頃は毎朝、起きろ祐経!って起こされてたなあ 殆ど無かったと思うよ
頼朝が本拠を置いた鎌倉も「三方山、一方海で天然の要害」なんて言われてるけど、逆に言えば北条が傀儡の頼朝を「逃がさない」のに都合が良いからだしね 中世ってのは私権と公権の境界が曖昧な時代なんで
身内同士殺し合うってのは仕方ないことで
そこに感情の入り込む余地はほぼないよね
頼朝と義経・範頼なんてお互いに身内の情なんて皆無でしょ 義経は逃避行であちこちに伝説残してるから人気がある
やっぱ芸能人は地方ドサ廻りが必要だってことだ いよいよスタート!「鎌倉殿の13人」「スリルと興奮の幕府誕生物語」
[総合] 2021年12月28日 午前10:40 ~ 午前10:43 (3分)
1/9(日)大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送がスタートする。
脚本家・三谷幸喜が贈る鎌倉幕府誕生の物語。北条義時(小栗旬)
が英雄・源頼朝(大泉洋)の右腕となり新しい世を求め戦う。
ドラマの放送を前に豪華キャストが彩る物語の見どころを紹介する。
https://mobile.twitter.com/nhk_kamakura13
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 鎌倉って守るのに良くない土地だよな
逃げ場がないんだから
なんであんなところを拠点にしたんだ? >>546
義経と仲たがいさせたのも北条なんじゃないかな
ちなみに母方が北条で 使えないのか 上層部と折り合いが悪かったのか
鎌倉に連れて行かれずに伊豆に残った方
あの辺に詳しい人間は姓が北条とか江間と聞いたら
「それは単なる村のもんで姓無いじゃん」ってすぐわかる 北条が平家方全てを裏切って敵に回すなんて
日本史に例を見ないような大それたことをしたのは
日頃から見下されて恨み骨髄に至ってたからだろうし
なんなら鎌倉に行った連中が集団自決した時も
伊豆に残った連中は「ざまあみろ」ぐらいだと思うわ 頼朝を東国の武士団の傀儡と過小評価する人いるけど
平家のやったように特定の家系の武士団だけを栄達させるのではなく
武士という階層全体の地位を引き上げるという革命を起こした頼朝は
間違いなく日本史上屈指の英雄だよ
その後の承久の乱での政子の活躍で武士の地位が確定するんだから
頼朝夫婦が遺した歴史への影響は絶大 鎌倉幕府はどうやって勢力を広げた?
関東を支配する地方勢力にすぎなかった鎌倉幕府。
どうやって全国の武士を従えるようになったのか?
歴史資料デリバリー会社≪レキデリ≫の資料をもとに読み解きます。
https://www2.nhk.or.jp/school/movie/bangumi.cgi?das_id=D0005120527_00000 >>115
あいつが立ち回り失敗してたら皇統途絶えててもおかしくなかったよな >>554
頼朝の立ち位置を最も上手に著した比喩って「商店街の会長」だと思うよ
彼はその商店街の老舗ではあるけど 中央政府から独立した組織が武力で実効支配した言う悪人では 歴史の連続性って意味で
源義仲が法住寺合戦で後白河と比叡山の軍勢を木っ端微塵にして
天台座主明雲を殺害したってのも革命的出来事
もちろん平清盛が歴史の転換に果たした功績も絶大
この時代は後の日本の原型が出来上がっていく過程で本当に面白い >>558
源氏は藤原氏と累代結託して東国に大きな影響力を獲得してたから
そんな小物じゃないよ 白河法皇との政争で敗れて中央での影響力を削ぎ取られた藤原忠実は
東国の荘園を積極的に経営することで失地回復を企み
その実働部隊として活躍したのが頼朝の父の義朝 >>1 汗かいてないからな。
最前線にいないから楽してるように見られがち。 >>547
平氏は身内で仲良くやってるイメージがある
源氏は身内で殺し合いしすぎのイメージがある >>468
道真が神として祀られるようになった最大の出来事は
平将門の乱の黒幕が八幡神の遣いとなった道真の怨霊だったと信じられたから
道真を左遷した後政敵だった藤原氏は京に残った道真の家族を襲撃して暴行を働いたり徹底的に辱めてなぶり物にした
道真の個人的な思いはともかく藤原側には道真に祟られても仕方ない位酷いことをしたという意識はあった >>553
新田義貞の鎌倉攻め以降は
あっさりと陥落している。
歩兵中心の戦に成った影響も有るかも。 >>567
清盛の平家は中央政界出身の堂上平家との連合体で半貴族のような特殊な家だったから 無能 弟 嫉妬 仕方なかった 生きるため 仕方なかった 本物の頼朝はキチガイ義経にぶっ殺されて中身が替わってたから
キチガイに人気が出るわけない
で遮那っていう義経の妹が義経になって弁慶とセックスしてジンギスカンを産む
こっちは大人気
最近漫画で読んだから間違いない >>493
貴族が地方の領地(荘園)から徴税したり防衛するために派遣した代官が
勝手に領地の徴税をピンハネして経済力を付けて勝手に現地豪族をまとめて武装勢力になって独立してしまったみたいな感じ >>561
源氏という家に関してならその通りかもしれないけど、それは頼朝の資質とイコールではないからね >>569
相手方の意識(後ろめたさ)だけでは「怨霊」にはならないよ 謹慎してた時代も密通したりとか割とやりたい放題だったし、
元々人間性に難有りの人という印象
というか源氏の棟梁の血筋はそんなのばっかりやな
自身が天下取っても結局短命政権だし、平氏筋の北条に乗っ取られるしで
政治家としてもさして有能とは思えない
歳経る毎に猜疑心の塊みたいになったのは自身が恩を仇で返してるもんだから
いつ応報になるか判らんものな 歴史的なifとしては、もし平治の乱で義朝・悪源太義平の親子が勝って源氏政権になってたら
どういう政権になっていたかという所かな
その場合、義経はどうか知らんけど、三男の頼朝などは全く日の当たらない人生だったかもしれん 義経の戦術は当時の戰場のマナーを完全に無視した同時攻撃だったから、当時の武家は皆嫌ってた。
義経が血統上は源氏の嫡流でも棟梁になれなかったのは他の武家の支持があまりにも少なかったから。 鎌倉殿
という朝廷以外の日本国の支配者となった政治的天才
頼朝disり書き込み多いが
後白河法王との互いの政治的駆け引きの息詰るさまは
戦争よりはるかに面白い
義経のことも院から政治的譲歩を引き出すカードにしてるし
頼朝は政治の天才 頼朝追討の院宣を出した院の弱みにつけ込んで義経捕縛の口実に
日本国総追捕使・総地頭という日本国の実質的支配者の地位を勝ち取った
政治的闘争劇はすさまじい >>531
頼朝は自ら陣頭に立つべき時は立ってるよ
関東を固めて源氏の棟梁になることが第一だったから畿内まで進撃して関東を空けることをしなかっただけで >>561
ただ独自の力は長年の流人生活で全部失っちゃってたからね
関頭で旗揚げした時に有力な武士が頼朝についたのは自分達が平氏方の武士に自分達の権益を侵食されつつあったからであって義朝様の恩に応えるとかそんな殊勝なもんじゃないからね 朝廷から独立した権力統治機構設立に
人生をかけた頼朝が
晩年に
大姫入内、天皇の外戚になる
という話にコロっとノセられて
朝廷内の幕府シンパの九条兼実と関係悪化させたのは
やはり血統を誇る武家貴族だったから >>577
頼朝にとっては自分の血筋を源氏の棟梁として継承させることが第一だった
だから自分や息子に取って代わり得る源氏はどんどん謀殺していった
息子には朝廷から官位をもらって箔付けさせ、血縁の北条と比企氏に力を与えて支えさせる形を作ったわけだが、その北条が自分の息子と比企氏を滅ぼして乗っ取ることは考えなかったんだろうね
なんせ政子の息子なわけだし、政子が息子を始末するとは思わなかったんだろう >>586
権威の魅力というか権威主義の不可視の魅力はそこまで強いのです
「俺の死体を神にして対抗するぜ!!」とかやったクソもらしが異常 >>587
頼朝の政治体制は源氏の親戚は門葉として御家人より上に置いてる
門葉の下に頼朝親衛隊である家子
その下に御家人という体制
幕府権力を簒奪した北条義時は親衛隊員である家子で北条家の分家の江馬家当主扱い 江馬義時という政治的天才頼朝のそばに長年仕えて鍛えられた男が
北条本家を乗っ取り、幕府も乗っ取った >>52
今の日本人「義経の自己責任。自助出来ないのは甘え」 義経、為朝、義仲、巴御前、弁慶
源氏パイ強キャラだらけすぎない? 義時は策謀家というほどでもなくて、わりと棚ぼたで執権になった人って誰か言ってたな
本郷さんだったかな >>594
守りたかった子どもは幕府そのものであって
血筋ではなかったんじゃないの
とはいえ頼家はさすがに気の毒だけど実朝暗殺には北条はさすがに関係ないだろうし
実朝暗殺現行犯の公暁は殺されても仕方ないだろうとは思う >>563
谷垣禎一「加藤先生は大将なんだから! 独りで突撃なんてダメですよ! 加藤先生が動く時は俺たちだってついていくんだから!」
大将が動いたら負けなんよ >>576
でも商店会の会長ってのはだいぶ違う
義仲も平家の衰退後に瞬く間に大勢力になり得たように源氏の御曹司の潜在的なネームバリューは大きかった
>>578
菅公は自分の意思で怨霊になんかなってないのは分かってる
死後に怨霊になったとされ神に祀り上げられたという事実があるだけ
>>585
旗揚げ直後はそうでも後に義朝をはじめ源氏累代の遺したものが大いに頼朝を助けてる >>599
自分の意志で怨霊にならなかった(なる必要のなかった)道真が何を目的に怨霊なったとされ、それは誰の意図によるのか?という話をしているんだけどね
君とオレとでは「怨霊」に対するだいぶ違うようだから噛み合わないかもしれんけど
「源氏の御曹司」のネームバリューが大きかったのは事実
だから「平氏(平家ではないよ)の内輪もめ」に利用されたんだし
しかしそれは頼朝個人の能力とは違うし、様々な史料や状況からむしろ義仲の方が人柄が良く、「大将」足り得たんじゃないかとオレは感じている >>258
訪ねてきた公家にどんぶり飯出してドン引きされててワロタ >>598
前線で戦わない大将なんて無線通信ができるまで全世界にほぼいない >>593
義時ほどの陰謀家はおらんぞ
側室の子で北条分家だったのを
嫡子が継ぐはずだった北条本家を
親父も親父の本妻も追い出して乗っ取ってる
さらに後鳥羽上皇も義時追討の院宣なのに
幕府全体との敵対にすり替えて
関東御家人を扇動
源氏の名門門葉も一緒に葬ってる >>600
源義仲は朝日将軍と称されるくらい鎌倉時代から江戸時代に至るまで人気で良き武士の手本とされていた
松尾芭蕉の墓が義仲寺にあるのもその反映
だけど大将としての器は頼朝が圧倒的に大きいと思うよ
関東武士団をしっかりとまとめあげて
魑魅魍魎の摂家や院庁と渡り合って武士という階層まるごとを支配者層に引き上げる政治力はバケモンとしか言いようがない >>603
覇王は覇の王である項羽を念頭にしてます
天皇を存続させたまま行政権、政権をもらった頼朝はまた違うかもしらん
鎌倉殿は難癖つけて地方政権(覇)を叩き潰しまくってます 頼朝と結婚した政子の出身の北条家は弱小土豪に過ぎない
同じ伊豆の伊東家の支配下と言ってもいいくらい弱小。
石橋山旗揚げ時の動員力は20騎くらい
相模の三浦や土肥の方がはるかに強大 >>604
戦に弱い頼朝に英雄も覇王も似合わない気がするな
現代で言えば田中角栄とか小泉純一郎みたいに政治には天才的な才能はあったんだろうけど
そういうのをあらわすうまい言葉がないよな >>613
何百年か続いた既存の天ちゃん政権と手を切って、なんて政治家がまず出て来ないからねえ
しかも根本的にはヤクザの親分で狂犬軍団のリーダーでしかない >>607
君が頼朝リスペクトなのは判ったよ
それを頭から否定するつもりも無いけど、頼朝が時政らに軽んじられていた最も端的な証拠は鶴岡八幡宮の裏手にある「頼朝の墓」
この墓、頼朝の死後580年経ってから(1779年)に頼朝の血を引く島津重豪によって建てられたんだよ
それまでの頼朝の墓の所在地は未だに不明
そもそも頼朝が稀代の政治家で関東武士団から重んじられていたなら、わざわざ自分が不利になる鎌倉なんかに拠点を築かなかったと思うし
「鎌倉幕府」にとって頼朝の存在なんてその程度だったんだ(とオレは思ってる) >>616
最後の一言で自分で書いてるとおり、ただの妄想じゃん
バカじゃん >>617
その一文しか読めなかったんだね
その前にそう思う根拠(純然たる事実)を書いてあげてるのに
もちろんその根拠を読んで君がどう感じるのかも自由だよ 繰返しになるけど北条分家とか本家とかっていうのは無いんだよ
北条も江間も地区名だからな
苗字を持てない階層の出身だったから家名は無いわけ >>616
北条の本拠地は伊豆やないの
河内源氏の源頼義の本拠地が鎌倉
北条が逃さないために頼朝を鎌倉って
意味不明
そもそも石橋山の挙兵時の北条は総動員力20騎の土豪 逆に清盛とか子供助命(嘆願あったにせよ)するなんて人気でそうだよね >>621
北条本家は正妻である牧の方が産んだ嫡子政範 天皇(既得権益)と武士の接点を頼朝一人にして誰が権力者なのかはっきりさすシステム
人事権も天皇から奪って誰がリーダーなのかわかりやすくしてます >>621
武士の苗字って自分の所領名を名乗るもんやんけ
地名を名乗るってるのは武士たるあかしやん
血統は源氏とか平氏とか藤原氏なんやから >>624
>>626
北条家は源でも平でもない
苗字を持てる階層じゃないわけ
足利尊氏は源〇×だけど
北条政子とか江間義時はなんでもない
北条に住んでる政子だし
江間に在所の義時ってだけ 韮山が北條 下った長岡が南條 中をとって中條
隣が尋常小学校があった江間
この辺は狩野川が氾濫しまくる度に部落が流されてた地区で
母方がここの出身なんだが昭和まで被差別部落も残ってた
そこの元締めなんだよな 北条家とかって後からつけただけ
京都の北条家と関係あるわけない
そんな良いところに敵を流すわけないから誰もが嫌がる地域にするわけ
北條にある蛭ケ小島とかいうヒルがうじゃうじゃ住んでる
忌み地みたいなところに追い込められた 命を助けてくれた平家を皆殺し
平家と戦って武勲があった義経を殺す
ついでに奥州藤原家も滅ぼす
うーんガイジ そら北条はやっきになって平家滅ぼそうとするよ
だって裏切ったんだからな 残しといたら必ず後の禍根になる
そもそも長年見下されてきたのか冷遇されたか
大将の平家に対して根深い恨みがあったから頼朝擁立したんだ
執拗に全国規模で掃討作戦するのも怨恨あっての話だろう >>622
鎌倉は元々「大庭の御厨」と呼ばれていて鎌倉権五郎影政という人が開墾した土地でね
その後「鎌倉党」と呼ばれる製鉄業に携わる人達が住んでいたんだけど、頼朝の父義朝が国衙の連中と共にそこで乱暴狼藉を働いたという過去があったんだよ
そして頼朝の時代
当時、相模界隈にはわりと有力な豪族がひしめいていた(大庭、土肥、梶原、三浦、和田等々)んだけど、誰一人として頼朝を自分の領地に呼ぼうとはしなかった
そこで頼朝は父親が散々痛い目に合わせた鎌倉党の連中を押しのけて(鎌倉党の人々にはトラウマもあっただろうから)鎌倉に入らざるを得なかった
当時の鎌倉は鶴岡八幡宮(今の元八幡)辺りも酷い湿地帯で、とても暮らしにくい土地だったようだよ
そして鎌倉の地は頼朝を傀儡せんとす北条にとっても「頼朝を逃がさない」地の利があり、思惑が一致したというのが頼朝鎌倉入りの真相だと「オレは思ってるよ」
これをオレの妄想だと思うなら聞き流してくれて結構 >>558
どっちかというとコンビニのフランチャイズの社長。 基本ずっと鎌倉にいて源平合戦で指揮してないからじゃね? >>632
妄想ひどすぎ
鎌倉は平直方の居館があって、娘婿になった河内源氏の源頼義に譲って以来
八幡宮も鎌倉に呼び寄せた
鶴岡八幡宮はそれが起源
頼朝も父、義朝も鎌倉に屋敷があった >>635
鎌倉権五郎は実在するし、元八幡の辺りが酷い湿地帯だったのは頼朝鎌倉入りの際に参拝せずに源氏山から遙拝するに留めたという逸話からも明らかだし、銭洗弁天の存在や鶴岡の「つる」という地名から製鉄業が営まれていた(砂鉄が取れた)のも事実なんだけどね
ま、妄想だと君が思うならそれはそれで尊重するよ
歴史なんてのはそんなもんだし ネトウヨ史観によると義経は判官びいきというけれど朝廷寄りだったから人気。
頼朝は武家至上主義だから不人気ということらしい。そんなことあるかw 判官贔屓のとおりお話しを作ってもらえたから義経が人気者で頼朝は悪者
忠臣蔵が忠義の士で話しを作ってもらえたから内蔵助は人気者で吉良は悪者
わからないではないです
忠臣蔵も桜田門のアレも国家にケンカ売るテロリストに見える まあ徳川家康他有名戦国大名たちに比べたら人気はないけど
足利尊氏と同程度の人気じゃないの?
尊氏は南北朝のアレのせいで悪者にされたりドラマにあんまりならんかったりの不利があって
頼朝の場合は義経弁慶が主役のドラマが多くて悪者にされちゃう
家康も悪者にされることは多いが
なにせ戦国時代のドラマは圧倒的に多い あと吾妻鏡って幕府が編纂した割にやたらと義経びいきに描かれてるんだよな
源氏から政権を奪った北条氏が自身を正当化するためなのか
頼朝や景時を必要以上に悪く書いている
創始者の直系が早々に途絶えてしまい
将軍を暗殺したとされる外戚連中に実権を完全に握られてしまい
あろうことが外戚による実質的な政権簒奪が案外うまくいってしまったというレアケース
結果頼朝は鎌倉幕府公式で冷酷漢のクズ兄貴にされてしまいましたとさ >>638
天皇を見殺しにしてる時点で後白河ですら本心では見限ってるでしょ。 >>643
北条のプロパガンダは有るだろうな
畠山重忠に対する訳わからん因縁つけての討伐だの
泰時が体調不良で実朝と同行できなかった日にちょうど実朝が暗殺されるという不思議すぎる偶然 >>616
中世の人は今の人みたいにお墓を大切にしなかったんだよ
藤原道長の墓だって没後しばらくしたら荒れ果ててどこだかも分からなくなってた
そんなのは全く基準にならないよ 今のわたし達はぬるぬる世襲政治になれてしまってるからアレですけど
本来なら権力者は身内にこそ厳しくないといけなくて、冷酷ではあるけど人格破綻者ではないです
坊主にして政界引退させるルートも、それで失敗してる政権がすでにあるから無理です >>647
魏の曹氏みたいな身内敵視策をやると藩屏が無くなってクーデター起こされ易いのもあるけとね
身内優遇し過ぎる西晋もダメだったけど >>628
同時代人からは人気あったみたいね
少なくとも後醍醐天皇よりは 島津家ならこの人
島津 修久(しまづ のぶひさ、1938年(昭和13年) - )は、 島津氏の第32代当主。島津義弘から数えて15代目にあたる。株式会社島津興業代表取締役会長[1]。 島津顕彰会会長。鶴嶺神社宮司[2]照国神社宮司[1]。平松神社宮司。社団法人茶道裏千家淡交会鹿児島支部長[3]。元・鹿児島経済同友会代表幹事[1][4]。薩摩古武道影之流顧問。元・鹿児島県公安委員(長)[1]。元・西郷南洲顕彰会会長[2]。元・薩摩琵琶同好会会長[2]。 頼朝は王法も仏法も絶え果てた末法の世紀末覇者として
日本史上最高の国民文学たる平家物語に登場するから
庶民に人気がないのはまあ仕方ないです >>641
時代や社会的な問題であって家康の時代では源平が歴史モノでは一番人気だったし
現行体制が大きく変革して次の時代が来たら今度は戦国よりも幕末維新のほうが人気が出るんじゃないか 頼朝坊伝説というのがあって、頼朝(らいちょう)という僧侶が日本全国を巡礼したという。この頼朝は伊豆で生涯を終え、伊豆長岡には頼朝塚という墓がある。そして、この頼朝坊こそ、六十六部、日本廻国巡礼の元祖であり、後に源頼朝として生れ替ったという・・・ >>654
家康は清盛と頼朝の成功と失敗から学んだと思う 現代で言うと安倍晋三や原辰徳みたいな人間性だから好かれるわけがない >>627
君、北条時政が大番役で京都勤務してたとか知らなさそうだな
土豪とはいえそれなりの存在ではあるぜ 鎌倉の場合、「幕府」とか「武家政権」とかそういう解釈になってるのは
承久の乱で天皇方を破ったからであって
頼朝以下3代の時代は源氏という貴種を
平氏に不満な東国武士が担いだ単なる地方軍閥でしょ
同時代の奥州藤原のほうがよほど地方政権としてまとまっていたのではないか 鎌倉殿の13人か当時はほとんどヒャハーのノリで動いていたらしいから脈略つかなくて大変だな 北条時政 北条義時 梶原景時 比企能員 和田義盛 足立遠元 安達盛長 八田知家 三浦義澄 大江広元 中原親能 二階堂行政 三善康信 大卒の黒瀬先生も興味無かったみたいだし
日本の歴史的にはどうでもいい存在だな
功績も無い 中国では王朝の創始者(実質も含める)は人気あるけど
日本だと創始者はいまいち人気ない
むしろその創始者に負けたほうが人気出たりする >>661
1185年に北条時政が1000余の軍勢を率いて上洛して後白河に守護地頭の補任権を認めさせてるから
院庁と同様に朝廷と補完競合関係の全国規模の政権です 鎌倉時代がややこしいのは守護地頭がいるけど平安貴族の荘園も残ってる事で、多分同じ土地にいくつも支配権が重複してたんだよな 戦が弱かったけど全国統一をきっちり果たし
反乱分子も全滅させたって
矛盾してない? >>675
荘園は室町時代もずーっと続く
太閤検地まで 頼朝みたいに政治力の高い人間をもっと評価するべきなんだよ。 >>662
出生地は母親の実家の尾張熱田の可能性があるけど
子供の頃から京都で宮仕えをしてるから熱田の記憶はほぼないんじゃないか 平氏はすぐに滅亡した!って印象あるけど
源氏もあっちゅうまに権力喪失してるんだよな🥺
直系は3代目まででそれ以降は傀儡だし直系がそもそも暗殺だらけでまともに機能してない >>675
しかも守護地頭の権力も地域によって全然違ってくるんだよな
東北だと大名みたいな感じで領主なんだけど中央に近いと領主では無くて単なる役人みたいな 高河ゆんの「源氏」
あれにおいては義経よりハンサムでいい人という扱いになってる
それ以外では主役感あるの見たことない >>682
かわぐちかいじのジパングかな
あれも義経がほぼ主役だが >>683
もう一個別のジパングがあるんだ
なんか勘違いしてるのかと思った >>660
ちょっと参内したぐらいじゃないの?
そんな記録あてになるのかな
土豪と言うか被差別地域の元締めだよ
母方も北条だから その辺の人間は皆知ってる
そもそも その頃の朝廷なんて権威無いでしょ
部落も貴族も一緒だったんだよ
武士だって今じゃ祭り上げられてるけど
その頃は乱暴な連中が手を付けられなくなって
朝廷が半ば嫌々 存在認めて官位を渡したようなもんでしょ
鎌倉時代なんてサムライもくそもない
為朝も酒呑童子も同レベルの荒くれた階層の人間だったんだよ
歴史なんて後から幾らでも聖人にできるからな 静岡の三島は頼朝が三嶋大社で旗揚げしたから毎年祭りやってる >>686
北条時政は1185年に鎌倉からの全権特使兼進駐軍司令官として院庁と交渉して守護地頭の補任権を認めさせてる
時政は京都守護となりその権能は後により拡張された六波羅探題に引き継がれる >>680
長崎円喜で再度平氏政権に変わっちゃうのが面白いよな >>675
平安末期と鎌倉時代は訴訟ばっかしてるイメージがある
下総の相馬御厨とか千葉氏が開拓して寄進したのに
佐竹氏が勝手に伊勢神宮に再度寄進して佐竹の物になるとか
ここら辺の予備知識がないから意味が分からない この時代でも朝廷は摂関と院庁と補完しあいながらも政治の実権は喪失していない
実効性については施行者に任されるのが中世の倣いではあったけれど
その補完関係の中に鎌倉幕府が加わったのが鎌倉時代
さらにその中で主導的な立場に立ったのが承久の乱の後 >>688
わけのわからない人間でもできる役職だったんだろうね
という感想しかない
その頃の朝廷なんてそんなもんだったんだね >>690
幕府の権能が主に訴訟の調停だったからその記録が多く残っている
この時代の訴訟は当事者同士が有利になるような証拠を揃えてなされるので
有力者が有利な証拠を捏造して勝利するなんてことはザラにあった >>663
そのヒャハーの代表が実は義経なんだけどね。
行動パターンに思慮深さの欠片もない。 具体的に何が評価されているのかわからないけど恐るべき大政治家って評価もあるよな
多分貴族から権力を奪い取って武士に与えたからなんだろうけど えっ、あんだけ頑張って天下とって
嫁の北条に乗っ取られるですか?
とか嫌やん >>646
しかし田舎にやたらある平家の落人の云々とかは何なんだろう
勿論、話半分で受け取ってるが
むかしむかしの人達も名物とか観光名所のノリだったのか…
と、「敦盛蕎麦」の地元民は思うのであります >>695
天皇を存続させながら権力構造をそのまま作り替えてしまいました
世の流れとか蛮族同士の綱引きがあったにせよ、この構造改革はそうそうできるものではないです 残虐非道で糞だから 普通さあ、敵という理由で相手の門に切り落とした首の額を釘で打ち付ける? No.1にならなかったのも何代も続いた理由なのかもね 乗っ取られるも何も東国武士団に担がれてただけだろ。北条が司馬氏で頼朝は曹操じゃなくて強化版献帝 乗っ取りであってるよ
政子には乗っ取ったという意識はなかっただろうけど
鎌倉殿という貴種の下で御家人は平等だったはずなのに結果的に北条が1つ抜け出た存在になったんだから >>686
なろう系で一発逆転だな
「オヤジが死に一家離散で流された先で姫にベタ惚れされて、有能な味方が将軍に持ち上げてくれました」みたいな >>196
こいつイケメンキャラなのにモブみたいな惨めな死に方してたな >>527
そりゃー恨みの歌ではないよねそれw
道真を大怨霊にしたてあげたのは、道真の不遇な運命に同情した当時の世人であろうw >>701
頼朝は苛烈な独裁を行って一族の誅殺はもちろん、部下も容赦なく殺害して所領没収
源氏の傍系の家々にも苛烈な所領没収を繰り返して滅茶苦茶恨まれていた
だから頼朝死後に御家人たちが即座に反乱起こして将軍はお飾りに >>694
義経が鞍馬の山で修行してたとか言うけど
そんな馬鹿な話誰も信じないよ
都なら孤児でもホームレスで糊口をしのげたってだけじゃないの?
当時は武士なんてそんなもんでしょ
数百年続いた幕末の旗本でもなんでもないんだから >>48
義経ごと天皇ぶっ殺して天皇になるか、大人しく天皇派に迎合するかすればいいのに
どっちつかずの武家体制作ろうというのがそもそもの間違いでは? >>710
天皇に迎合しても平家の二の舞になるが、源氏から遠い土人はいまだに天皇を権威の象徴だと思ってること
おそらくそれで出た折衷案がこれです
GHQが天ちゃん殺さなかったのに近いかもしらん >>710
平家と源氏で対立してたのはまさにそこじゃないの?
朝廷権威のもと、蔑まれがちだった武官の序列を上げて武家の地位、特に土地所有の権利を確立したものにしようとしたのが平家
関東は元々朝廷にあまり依存せずやってきたんjだから、いっそ独立の権力になっちまおうとしたのが源氏
ただ、朝廷ぶっ潰すまでやると色々軋轢も大きく手間暇被害が見合わないので、朝廷は権威として残し実権を武家が握るというところで手打ちにしたと 当時の武士なんて教養も何も無いでしょ
特に義経なんて放浪生活に近かったんだからギリ健上等
朝廷から勲功受けても「もらうもん貰って何が悪いの?」ぐらいの理解しかしてないはず 後白河法皇から位階受けたんだっけ?義経。それで頼朝の逆鱗に触れたんだねw
義経が逃げ回ったおかげで、頼朝は守護地頭設置の口実ができたわけであるねw 義経は奥州から頼朝のところに参じた時にめっちゃ厚遇されてるからな
なんで厚遇されたかってバックに奥州藤原氏がついてたからなんだけそ >>715
大胆な軍事作戦展開できたのも、おそらく奥州藤原氏のバックアップあってのことなんだろうな 義経は頼朝を通さず官位をもらったのも問題なんだけど、どっちかというと西国武士で編成された別働隊で、東国御家人を中心にした範頼を出し抜いて美味しいところを全部持っていった挙げ句、頼朝が後白河との駆け引きに使うつもりだった三種の神器を失ったことの方が大きい
範頼についていた御家人からは苦情が出まくるわ、対朝廷での武器を失うわで平氏滅亡なんて優先順位が低かった頼朝からしたら踏んだり蹴ったりの結果だからな >>677
中国での始皇帝に当たるのが日本だと秀吉なんだよな >>718
お外から見ると天皇を排除してないから、また別だと思う
主体は天皇のままで政権交代してるだけに見えるはずです 非情に徹した事で源氏による政権を後々まで維持できていれば
その非情ぶりを含めて必要であった事として評価されるが
維持出来ていないので単に非情なだけの人になってしまう >>719
いや、スペインやポルトガルの外交文書には、秀吉をもって「皇帝」と称する記述が残ってる
実際、宣教師らが謁見するのも、「皇帝候補」だった信長から秀吉、家康ってラインだった
ちなみに江戸時代において外交文書で「皇帝」と称されたのも徳川将軍
対外的に天皇=皇帝となったのは、明治以降 源氏によるじゃないんだな
頼朝にとって最大の敵は平氏じゃなくて源氏なんだよね
頼朝は全国を幕府で制圧したいとかそんな考えもなく、父親がもっていた源氏の統領の座を取り戻して東国に君臨できればそれでよかった
晩年粛清しまくったのも自分の血統を源氏の嫡流として固定するため。まあ失敗したんだけど >>706
そうだよ、怨みの歌じゃない
だから「誰」がどういう「理由」で道真を「怨霊」として扱ったの?って最初から尋ねてるだが
世人→抽象的過ぎる
同情→同情ではない
それらの答がその歌に詠われてるって教えてあげてるんじゃん >>723
道真怨霊伝説は道真の死後も長く伝わってきたわけで、それを伝えてきたのは世人としか言いようがないだろうw 頼朝の話なのにずっと道真の話してる奴なんなんだよ
なんも関係ないじゃねーか 義経は奥州に逃げて、最後に藤原秀衡を頼ったが、秀衡の死後に子の泰衡裏切られて衣川の戦いになるわけであるねw
そして泰衡も結局頼朝によって討たれて滅ぼされたわけで、裏切りの報いはやはり裏切りと死であるねw >>725
なんかずっと話引っ張るやつがいてさー。目障りなら以後無視するわ。 頼朝が個人の性格や権勢への執着から弟達を殺したと思い込んでる人が多いけど
西国の朝廷や摂家からは武士階層に対して熾烈な切り崩しがあったんだよ
義経は現に取り込まれてしまったし
頼朝の舅の北条時政も自立の噂が立てられて失脚寸前までいった
頼朝が強烈なカリスマと締め付けで東国武士団の結束を守ったから
東国に武士による半独立国を築くことができた
これはカリスマにして天才政治家の頼朝なしではなし得なかったこと >>728
必要不必要でいったら絶対に必要だったことだけはわかるのがツレエな
世襲ズブズブの天皇とお貴族さまに任せたら民草が衰退し続ける予測までは正しいですし 義経が後白河法皇から頼朝追討の院宣をもらったのも、後白河法皇が唆したからだろうねw
それで頼朝に詰められたら、逆に義経追討の院宣を出したわけで、このあたりはさすが日本一の大天狗であるねw >>729
民のこととか考えざるを得なくなったのは承久の後だよ。それまでは自分達の利益だけ考えていた東国の御家人たちが畿内から西にも利権を拡げたことで、まったく縁のない土地の人間を手懐けるためにそうせざるを得なかった >>721
外国からも権威の頂点としての天皇という存在は認知されてたけど
関白とか将軍っていう強力な実権を持った為政者を的確に翻訳する言葉がなかったんじゃないの >>732
外人から見たら天皇って法皇ポジションだったんじゃないの?
政権運営してるようにはまったく見えないだろうし >>732
どうやらスペインやポルトガルら、大航海時代のカトリック視点からは
戦国時代末期以前→日本は地方で小競り合いで統一されていない内乱状態
秀吉以降→統一された「帝国」
と認識されていたみたい
ていうか、戦国時代(世界史的には大航海時代)以前、日本がまともに国交持ってた外国なんて、中国や朝鮮はじめアジアの近隣くらいだったろ
中国とかは日本のややこしい事情よく理解してただろうが、スペイン辺りにしてみりゃその当時がほぼ初見の未知の国だったろ >>697
嘘でも貴種であることを主張しておけば何かの役には立ったんだよ
例えば隣村との境界争いが起こった時に
系図を捏造して偉い人に金払って本物だとお墨付きを貰って
昔に恩賞で貰った土地だと言い張れば
訴訟の時に有利な証拠になった >>733
明とか唐は正しく理解してたし日本も朝貢関係を理解してたように見えます
皇帝(の概念も東西で変わっちゃうけど)と宰相の関係も間違いはしないです >>732
戦国時代に明国から派遣された特使は都から追放されていた足利義輝の代わりに
後奈良天皇と交渉を持つんだけど
天皇を将軍と勘違いして源知仁と会ったと書き残してるから
明国側は天皇は既に存在しないと思ってたかも
あちらでは実権が移ると王朝も交代するのが普通だから >>737
戦国時代の明国の特使は日本の王は源だと勘違いして後奈良天皇を源知仁と呼び
傍で補佐していた三好長慶を日本の宰相と書き残してる
宰相にあたるのは関白だったんだけどね >>366
元軍って2度の戦いどちらも日本側との戦力比1:2以下で少ない戦力だったから
日本側が内乱やってるとかでもない限りは誰が指揮してても日本が勝ってたよ
日本側は次々と増援がやってきて時間が経てばたつほど数で元軍を圧倒する有様 橋弁慶の説話は義経記に載ってるそうで、あれは虚構だろうが、義経の幼名が牛若丸であったという話は義経記以外にもあるんだろうおそらく。 >>740
元としては宋や高麗の敗残兵を
殺処分するのが主要な目的だし。 命助けてもらったくせに一族皆殺しにしようとしたから いまだに日本は象徴の天皇いて政治外交を取り仕切る首相がいるからな
蘇我氏〜藤原氏〜幕府と変わってない
その首相もコロコロ変わるし古代から日本との外交ってややこしかったんだろうな 宗教総主から権威をもらわないと王さま(=皇帝)になれない国とか
禅譲(歴史ねつ造上等の正当性)で王さまが決まる国とか
貴族の中から筆頭が選ばれて決まる国とかいろいろです
お互いバカじゃないから配慮はしてたと思うし、尊重ってそういう事でしょうね だってこれから幕府盛り上げっぞてときにポックリと死によるから・・・ >>643
たとえば義経を想う歌を歌った静御前に怒った頼朝を北条政子が説得するという有名なエピソードは
北条によって編纂された吾妻鏡にしか記述されてないんだよな >>746
有名なのは倭寇を取り締まるように明や朝鮮の使者が来た時の話だな
九州の親王、朝廷、幕府。結局誰に言えば対応してくれるんだよ!っていう状態だった >>752
だから近隣の李氏朝鮮なんて、脇の対馬国の宗氏とダイレクトに朝貢関係結び国交持つ形式にして共同で倭寇に対抗したりしたんだよな
おかげで宗氏は朝廷/幕府の臣下であると同時に李氏朝鮮の官位も持つ朝鮮臣下なんてややこしいことに >>750
まあぶっちゃけ時政だけ「北條殿」とか思いっきり書いてる歴史書だからな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています