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■紀元前660年が「元年」になったワケ

現在の日本では、元号や西暦が使われていますが、明治時代に正式に採用されたのが、「皇紀」という暦(こよみ)でした。

「皇紀」とは、神武天皇が最初に即位した年を元年とした暦のこと。紀元前660年を元年として数えられており、東京五輪が開催される2020年は皇紀2680年にあたります。

なぜ、紀元前660年が神武天皇即位の年になったのかというと、そこには少し複雑な経緯があります。

まず、古来から日本の暦は「甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)」を表す十干(じっかん)、「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)」
を表す十二支を組み合わせた、十干十二支で表していました。

そして、両者を組み合わせた数字である60(10×12÷2)が、一つの周期になります。60歳を「還暦」と称するのは、60年という周期が一度巡ることで、また「暦が還る」から。
そして、還暦の人に真っ赤なちゃんちゃんこを贈るのは、「赤子に戻って、もう一度人生を生まれ直すから」だと言われています。

■中国由来の「十干十二支」

さて、十干十二支には様々な組み合わせがありますが、その中の58番目の組み合わせである「辛酉(かのととり)」は革命の年とされています。
これは、中国由来の考え方で、漢の時代に生まれた儒教の考え方をまとめた書物『緯書(いしょ)』で唱えられた予言「讖緯(しんい)説」に由来するものです。

「讖緯説」によれば、60年に1回の辛酉の年には、何かしら革命が起こる。
さらに、60年が21回続いたときの辛酉の年には、ただの革命ではなく、とてつもない大革命が起こると言われていた。
60年×21回ということは、1260年に1回のペースで大革命が起こるという計算になります。

その説に基づき、明治初頭の歴史学者たちは「前回、大革命が起こった辛酉の年はいつだったのか」を検証します。

そして、「聖徳太子がいた頃に起きた辛酉が、大革命の年だろう」と結論づけたのです。

なぜ、聖徳太子がいた頃に、大革命が起きたとされたのか。
その理由は、当時の日本では、日本の基礎を作ったのは聖徳太子だと考えられていたからです。

近年の研究では「聖徳太子は本当にいたのか?」という論争もある上、日本という国の基礎ができたのは、天智天皇や天武天皇の時代だと考えられています。

ただ、明治当初、彼は、十七カ条の憲法や官位十二階の制定、遣隋使の派遣、仏教の普及などに貢献し、日本の基礎を作った人物として、非常に重要視されていました。

■「皇紀」を生んだ辛酉大革命という思想

だからこそ、「聖徳太子がいた時代こそ、日本という国ができた年である。

日本ができた年こそ、辛酉の大革命が起こった年である。

では、そのもう一つ前の辛酉の大革命の年とは何だ? 

聖徳太子クラスの人物の関与ということであれば、こここそが、神武天皇が即位した年次であるに違いない」と、明治の歴史学者たちは考えた。

わかりやすく言うと、1回目の辛酉の大革命では神武天皇の即位があり、その1260年後となる2回目の辛酉の大革命で、聖徳太子が国を作った。

そう当時の研究者たちが結論づけた結果、神武天皇即位を原点とした「皇紀」が誕生しました。

逆に言えば、この辛酉大革命という思想を受け入れていなかったら、皇紀というものは生まれなかったとも言えます。

その結果、紀元前660年1月1日こそが日本建国の日になりました。

ただ、これは太陰暦の日付なので、太陽暦に直すと2月11日です。
そこで、明治6年となる1873年に、2月11日を「紀元節」とし、日本の建国記念日として定めました。