『幕府』百姓は米を喰うてはならぬ!→全国で取れた莫大な米は一体誰が喰ってたの? [175786485]
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ほとんど備蓄にまわして大半を死蔵してたよ
飢饉を何度も経験してるから幕府だけは絶対に飢えないようになってた 7%のうちの更に上位が飢えないようにするためだけに死蔵してたんだろ
数年前、四年前の米喰わされたと相撲取りが虐待だと大騒ぎしてたが
備蓄の古い米を武士が喰うわけないやん 米問屋が買い占めていて大名さえ逆らえなかったんだよなぁ
やり過ぎて打ち壊しあったりもしたけど基本1番金持ってた >>2
先祖って倍々的に増えていくんだからどっかしらに武士しても不思議ではないけどな
米を死蔵するにしても入れ替えが必要で
そこで放出されるはずだが
無限に備蓄は出来ないから ヒエやアワや大麦など雑穀の方が健康的だし
最近全然米食ってねえけど何の不満も問題もねえわ 米作れない藩も多数あったしな
松前なんて石高なかったんだけど領地替えされて酷い目にあって幕府に圧力掛けて旧領に戻させてる 最低限の量しか作らせてないからだよ
一戸当たりの畑の割り当てがぎりぎりで
家族も増やせない、贅沢も出来ないようにしてた
その中で税金で持って行ってかつそれを大都市圏に売りさばくから
ちょっとした凶作でも死屍累々 当時の1番足りない嗜好品てのは砂糖
白米の甘さをみんな求めてたわけよ 年貢ってどれだけあって江戸時代に一年でどれだけ消費されたのかの記述がないの? 江戸は全国から米が集まるから普通に食えた
ただ白米はさすがに高価なので庶民は玄米や芋などを混ぜた米を大量に食っていた
ん、85%の百姓が生産した米の行き先だよ?
武士には喰いきれんだろって話だよ。 江戸だけは下々に至るまで白米バカ食いしてたらしいじゃん >>2
大陸のアジア人の遺伝子遡ったらフビライハンに行き着く人が1千万人いるんだぞ
日本だって遡ったらみんな源平だよ 石高換算であって米の生産量ではない定期
野菜とか魚とかも米に換算されてただけ 白米じゃないのか?
玄米は食ってたはず
コメは売ったら金になるから他のもの食ってたというだけ >>24
海原雄山「和菓子の甘さは柿の甘さを超えてはいけない。」 幕末の頃、新田開発に成功した藩はお込めがいっぱい取れて裕福になった(例:長州藩37万->実数85万)らしいぞ
もともと全然足りてなかったんだろ 今の日本政治の非効率さ考えたら
活用できなくて無駄にしててもなにも驚かない
>>35 おもしろいw マジレスすると兵士
庶民=女とジジイ
兵士=若い男
参勤交代の為に米は備蓄
米は通貨だから🥺 >>21
その代わりやっすいパスタ食ってんだろお前は まず精米って今でこそ機械で簡単に出来るけど、当時は物凄い重労働だよ
籾殻取るだけで一苦労なんだからそこまでして食べたいほどの代物でもなかった
あと年貢に米を取られて江戸に配送されるから地方にはそれほど米も残ってなかったしな
江戸では庶民も米食ってたよ 田畑勝手作禁止令が厳しかった頃は商品作物を作ったら処罰されるって頭おかしい世の中だった むしろ米しか食ってないよ
食いすぎて脚気になりまくってた
>>50 禁止して農村に縛り付けた 個人税率→最高55%
消費税→10%
その他贈与税 相続税 固定資産税等々
今と変わらなくね? 石高制に戻そう
年収1億円より1万石取りとかの方が偉そうじゃん 昭和初期でさえ米食えなくて芋ばっか食ってたろ
単純に機械なくて手作業だから生産量が少なかっただけ >>50
相続できない長子以外はその家の下人になるか
町に出て奉公人になるか
とにかく悲惨な人生 >>52
江戸時代は税の捕捉が緩やかで非課税な部分が大きいけど
今はなにをしても課税課税課税 出エジプト記と同じだろ
ろくに飯も食えず朝から晩までくたくたになるまで労働に縛り付けて反乱を起こす気力と体力を奪うことが目的だから 冷夏で不作だった時は農協が溜め込んでて、輸入米すらも溜め込んでたから、その後農家に泣きついて買い取ってもらったんだよな >>54
里芋って忘れられてるよな
麦と並んで主力食料だったのに 知ったかだけでレスしあう謎ルールでもあんのかこのスレ >>59
全く理解できないんだがこれ訳せる人いる? >>13
武士の世の中で庶民は従わされてるだけやから、大商人とか、米余りで市価が低迷してたら幕府から強制的に米買わされたりとか、しょっちゅう幕府にたかられてたみたいやで、諸大名に莫大な金貸し付けて、商人身分に過ぎないのに調子に乗ってた、有名な日本一の米問屋は、幕府にお家お取り潰しされて、全財産没収、大名への貸付金全部チャラにされてたし。 >>30
無農薬で化学肥料無しだと小さな田畑しかもたない貧乏農民は自分の食う分×2くらいしか作れんぞ 今でも確定申告ごまかしまくってる農家が江戸時代にきっちり納税してたわけがない >>36
長州は元々江戸時代の藩の中でも屈指の金持ち藩だったんよ
日本海と瀬戸内を繋ぐ下関を持っとるし、山間にたくさん田畑もあったから
あと関ヶ原の後、毛利の膨大な家臣団を抱えながら防長二藩に押し込められたからやりくりするために産業育成を徹底して農業だけじゃなくて当時貴重だった和紙、塩、蝋燭の日本でほぼ専売状態で独占していた
だから長州は幕末の頃は実高100万石を超えていて加賀藩を上回る一番の金持ち藩だったんよ
それで貯め込んだ金を「撫育方」と呼ばれる特別会計で隠し財産を作っていた
この撫育方の資金が幕末の頃、討幕のための資金に使われる
有名な坂本龍馬の海援隊が薩長を繋げて運用していた船を手に入れた時もその船は名義は薩摩、資金は長州という形で購入しとる
その後の戊辰戦争なんかの武器の資金も長州が揃えとるしね 昭和時代でさえコメってクソ不味かった思い出
平成以降劇的にレベル向上したけど
現代の味覚からしたら江戸時代のとか吐くレベルだろ 人口で見ると新潟とかの農村が人口多くて
江戸はそんなに人口多くない 流通も知らないのかただ煽って遊んでるたけか
NG入りだな 冷蔵庫も無い時代だったからコクゾウムシは生きやすかったろうね >>68
山から流れてきた栄養たっぷりの清水で育てて手で刈って天日干しした米だけど
ドブ川の汚染水でコンバインで刈って乾燥機で乾かした米のほうがうまいかね >>50
江戸の街には農村から出てきた人間で溢れてたりしたらしいから、時期によっては可能だったんじゃない?
人返しとか言うて、江戸にいる農村から出てきた人間を、一斉に農村に返した事とかあったみたいやから、幕府が本気出したら、強制的に農村戻されたみたいやけど。
江戸時代に隅田川とかで花火打ち上げて有名だった鍵屋は、もともとは奈良の農村に住んでたのが、江戸に出てきて花火を作って売り出したらしい。 こういうピラミッド型になるのって人間の本能なのかなってレベル >>9、>>12
昔は古々米の方が値段が高かったらしい、乾燥してて炊くと膨らむから 東北で米取れるようになったの明治維新あとだろ?吉村8号だっけ? >>67
長州が裏帳簿で金貯め込んでたから他の藩が苦労してたってコト? 江戸と大阪の札差が換金したあとは市中にあふれてたから
都会では下級民でも米飯を食ってたんだよ
脚気にならんようにわざわざ蕎麦を食うぐらい 肥料っつうてもこの時代人糞しかないぞ
旨くできたノウハウも全国に広まらないし 作り方もいい加減でみっちり植えてたんだろ
よく収穫できてたよな 農民も米は食べてたぞ
隠し田とか作ってたくらいだしな
江戸時代の飢饉はほとんどが人災
米を換金作物に据えたことで飢饉になると高騰した米を買い占める
商人や大名のせいで地方の農民が飢えて死んだ どこの国でも中世封建制は領主が剰余価値として農作物を収奪して
農民を縛るためにウソの防衛に当ててたんだよ
マルクスやモースがそう書いてるだろう 江戸時代は凶作が普通にあって米とれない年があったから備蓄してた
だから農民まで回らなかったという話
ちなみに東北みたいな米しか主産業のない地域は不作時でも外貨稼ぐために
米を売らないといけなかったから農民はその度に餓死していました 東国は百姓も米食ってた
西国は百姓が米食えるのは死ぬ直前くらいだった
この格差も西国の庶民が維新に協力する原動力になった 兵糧として備蓄してたんだから
近場で戦争があればその都度捌けるでしょ。
捨てるまで死蔵ってのはそれだけ平和が続いた証。 今みたいに効率化も機械化もされてないから言うほど取れないんじゃないの >>81
違うよ
長州は普通に下関っていう地の利を活かして商売してただけ
江戸初期の長州、山口って今日大阪に並ぶ人口を抱えてたからとにかく食っていくために金が必要だったから
撫育方は飢饉や戦という危機に備えての非常用
それが江戸時代260年の間ずっとコツコツ貯めていたからとんでもない額になってただけ
幕府が長州を危険視していたのも諸外国が長州に協力したのも長州がすげー金持ちだったからなんよ 今は納税すれば貧乏人には公共サービス/社会福祉で100%以上還元されるし☺ええ世の中やでありがとう安倍さん 年貢率で言うと六公四民とか四公六民とか、時期とか場所によって年貢率は様々だけど、作った米の大半を持って行くことはしてないんだから、自作農以上であれば普通に米食えたんじゃないかと思う。
でも小作農だったら米は贅沢品で食えなかったかもね。
んで小作から地代として巻き上げた米は、地主が集めて持ってても余るだけだし、大坂とかの米市場に運んで売却して金に替えて地主が贅沢したり蓄財したりしてたんやろな。
そんな米や諸大名の売却米なんかが全国から集まってきて大坂は米の一大集積地、市場になってたみたいやし。
ほんで、そんな米が入ってくるから、町人達は米なんて作ってなくても、金で米を買って米が食える市場経済。 適度に飢えさせた方が統治しやすかった
文句あるヤツ前に出ろって言っても百姓モジモジだしな
今とあんまり変わらんな >>67
日本海側の塩の大部分は三田尻地方から送られてきたものが多かったというくらい長州藩の専売製塩事業は儲かっていた
播州赤穂とともにカルテルを結成して日本全国のシェア8割を占める十州塩田で生産量を統制していたのが大きい
そこに目をつけられて樟脳・煙草とともに大蔵省専売局に利権乗っ取られたわけだが・・・
長州藩撫育局は官製ベンチャーキャピタルみたいな部門で
長州藩が山口県となったあとに精算された。このとき撫育局剰余金100万あり、
明治政府に返納されて山口の近代化ではなくなぜか東京の近代化に流用使われているのはあまり知られていない
それを主導した当時山口県官吏は笠井順八という役人で
後に小野田セメント(現在の太平洋セメント)を創業している 備蓄技術が現代のレベルじゃないからな
乾燥も天日だし
腐ったり虫が湧いたりネズミに食われたりして
ロスも多かったろう
そして繰り返す飢饉で
江戸時代は餓死者が多かった。
貧乏藩ほど無理な新田開発をするからね。
外国から入ってきた
サツマイモが救世主的だった。
備蓄技術が劣る上に
鎖国で食料貿易がないから
それくらい食料が不安定な
暗い時代だった。
当時の餓死者は徳川の上級利権の犠牲だよ 東北はジャガイモ栽培をもっと早くにやってればね
ヨーロッパもジャガイモのおかげで民主革命が起きたくらいなのに ライン工はクルマを買ってはならぬ
トヨタで作られた莫大な新車は一体誰が乗ってるの? 高級ホテルの受付は高級ホテルに泊まってはならぬ
ホテルにはだれが泊ってるの?
なんでもそうじゃね 米はなかなか取れないから
イモや白菜、大根がメインの輩も 当時は米作は大変で3000万人口の1/3程度の食べる量しか取れなかったはず
石高は他の産物も合算されてる
だから武士と裕福な上位1/3が米食ってた >>68
昭和時代の米がむしろ不味かった原因は
保存と精米方法にあると思う。
機械化し始めた頃の精米機が特に劣悪極まりなかった。
平成時代に入ってからも昭和中期の超大型精米機を使ってる米屋が近所にあって
その精米機使う所まで確認して食べ比べてみたから、酷さはよく認識してる。
その機械通すと、猛烈に熱い白米が出てくるんだよ。熱い時点で最悪 当時の技術じゃ二期作不能な米では全人口分賄えなかった。
米本位性は時限があるっていうのが素晴らしい。 >>99
長州藩は村田清風が儲かる事業は藩が取り上げて専売しそれまで非課税だった穀物にもなんでも課税していって財務を改善させた
まるで大蔵省の先鞭だなw
さらに借金を37年返済すると免除される仕組みをつくったり、安い時に買い込んで荷留して
大阪で物価が上がると売り抜けるという越荷方を設置して儲けた
しかし借金免債で商人たちに反発され失脚。
代わりに安倍の先祖の坪井九右衛門が改革を主導したが公内借捌の法が大失敗して後に処刑されてる
甥の佐藤信寛は藩の御蔵元本取締役、大検使役から島根県知事になりあがる。これが岸信介・佐藤栄作の曽祖父 江戸時代に飢饉が何度も起きたのは主に輸送技術の問題だよ
今みたいに東北が不作だからとトラックで西日本から米を送る訳にも行かないからな 輸送技術ではなく藩が実質国家の封建制度のせい
今だって飢饉の国があるのと同じ 脚気が江戸患いなんていうほど食えてたんだろと思ったら江戸の民は百姓じゃないか 明治になっても人口に対して必要な量の米を生産出来なかったんだから
元々コメ作りは大変なんだよ >>75
当然不可能だよ
丁稚という名の奴婢,奴隷身分行き
武家7%
聖職1.3%
商家6%奴婢18%
職人4%雇人4%
農家20%農奴40% >>91
それホロモドールじゃん、外貨って何を買ってたの
> 東北みたいな米しか主産業のない地域は不作時でも外貨稼ぐために米を売らないといけなかった >>122
江戸は原則としては賃金が米で支払われる仕組みなので白米が集まっていた特殊な武士の都市だな
だから江戸患い >>2
徳川時代前期→後期で百姓の下半分の99.9%が断絶してる国だから
先祖が有力農家と武家しか居ないのわ当たり前 これだけ圧政しても日本で革命が起こらなかったのは
幕府が刀狩りをして農民から牙を抜き取ったからなんだよ
ちなみに今の日本でも銃刀法違反がされてるのはその名残で、国民が政府に歯向かえないようするためなんだよな >>123
玄米で食べたら脚気になんてならずに済んだのに当時誰も、その事に気付けなかったという 江戸時代はすごい豊かな時代だったんだよ
農民が苦しんでたとかいうのは反日サヨクのデマ >>125
武家の支出の半分は交際費
手土産,賄賂,飲み会
上級は何も変わって無い 石高は年貢を決める上での課税標準であって米の取れ高とは関係ない
そうでないと漁港や商業都市は年貢ゼロになってしまう >>128
外国の干渉がないってのが最大の要因だろ
陸の国境を接する国は、外勢からの軍事、政治、思想、宗教まであらゆる干渉を受けて騒乱になる
日本は鎖国でそれを防いだ
しかし世界との相対的実力の差が広がり、外勢を防ぎきれなくなったのが開国→維新 あべし…クソッ…
江戸時代じゃ長州批判も出来ねえ
クソスレが! >>130
苦しんでた農民を救ったイメージを作ったのは明治政府なんだが 日本で庶民が米をいつでも食えるようになってきたのは1960年代に耕運機とかトラックとか化学肥料とか使えるようになってから
それ以前は今の3、4倍高かった >>137
ある程度近代化が上手くいっただけで政府が積極的に何かしたなんてのは戦後までないだろ
徳川も明治以降も市民を市民と見てないのは変わらんよ
何なら今だって憲法の要請があって嫌々貧民救済してるだけだからな、日本人の支配層はずっとそんなレベル まじの山奥とかに住んでたやつは年貢とか納めてなかったりしてたんだろうか 米は貨幣の代わりだから
そりゃ貨幣食うと減るから困るのよ >>140
山に住んでたって生活物資は必要なんだから
完全に人目に触れない生活なんて少なくとも日本本土じゃ不可能だよ >>132
江戸詰めの藩士が幕府の役人を接待するための費用ってこと?
>>139
憲法の要請っていうより外国や国連に批判されないためだな 憲法なんてプログラム規定っていう一言で守らなくてもいいものになってるじゃん また貧農史観かよ、これいつになったら払拭出来るんだよ >>30
この話のはずなのに皆していない
バカしかいないのかこの板は >>149
バカウヨちゃんかわいそでちたねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>144
違うよ
私的な接待と社内政治
何も進歩して無い まあ江戸時代の農民は、領主の所有物だからね
いわゆる農奴ってやつ
自由な移動すら禁じられてるからな
そいつらを間接的に統治する農奴の頭が庄屋
ロシア並みの非文明国だって認めたくないからか教科書にもそう書かれてないのがセコい
挙げ句にそんな農奴ですら食っていけない奴らは奴婢や奴隷身分になる
親がやる人身売買だ
下男、丁稚、遊女、などなど
開国前の日本の歴史は、暗黒時代以外に形容できない >>153
その割にはお伊勢参りやお遍路やら自由でしたねえ 先祖が武士の人間も先祖が百姓の人間も、ずっと遡って行けばみんなアフリカ人に行き着くし。 >>152
藩の武士の間の交際で、他国の特産品なんかをやり取りしてたってこと? 領民が飢饉で苦しんでるのに >>154
え?お伊勢参りって引っ越しだったのか?
知らなかったわ >>156
武家なんて領民が餓死しようが心底何とも思って無いよ
で,東北は後進地域で貧民だらけ都市も無いから地元で金銭に替えられ無い >>154
そんな事可能だったのわ世襲氏族の上位20%だけな >>142
昔は人別帳に乗ってないやつなんていくらもいたし
検知してても隠れ里なんて近代になるまであっただろ
大体狩人なんつーのは漂泊の身の上で穢多非人扱いだし納税してないでしょ テレビのイメージとは違って農民も割と食ってたとか聞くけどな
締め付けすぎて一揆や強訴されると直轄なら代官は切腹、外様は改易の世界だから、言うほど過酷でもなかったとか
集会禁止だけど講や祭りは見て見ぬふり、越境禁止だけどお参りなら許可、とか抜け道だらけだった
雑穀しか取れないところは米は食えなかったかもレベル >>159飢饉になると米が高く売れるから
大名はこぞって米を買い占めたっていうしな
むしろそれをやめさせようとしてたのは幕府側だった
飢饉が出ると難民が一気に江戸に押し寄せてくるから幕府は何度も帰農令を出したほど >>161
完全に幕府の支配が及ばなかったのは蝦夷地だけ
松前藩はそれをいいことにアイヌ人を捕まえて奴隷として強制労働させていた こういう薩長史観の江戸時代ってどんどん見直されてるのに
ケンモメンの知識はアップデートしないままなんだね
農民を重税で苦しめると逃げられるから一部の藩をのぞいたらそこまで厳しい制約はなかったってのが今の解釈だよ 収量が今の1/3とか1/4くらいだったんやろ
籾貯蔵だろうから鮮度は悪くなかったんじゃないか >>166
実際逃げる農民が大量にいたから幕府は旧里帰農令を出してたんだろうが 米=通貨
北朝鮮でいうところのチョコパイに相当する >>153
その領主ですら徳川幕府に縛られて、江戸と領国を往復されられる世界。
貴族は天皇のいる京に縛り付けられてるし。
でも経済は原始的な、領主が全てを支配下におさめ従わせる世界じゃなくて、金がモノを言う資本主義世界。
農民でも土地いっぱい持って小作人を大勢働かせていれば、米を税金として納める義務はおっているものの、金持ちだったし。 >>171
渋沢栄一なんかは豪農だしな
百姓から慶喜のお付きになったんだから百姓でも相当な地位だった >>166
年貢未納で逃げたら確定で斬刑
年貢納めて逃げたら領内立入禁止,伝手が無いから都市でも雇われ無い >>163
それわ上位30%側の農家
ムラの上級構成員
下2/3はギリギリの生活 >>163
一揆や強訴わ参加者皆殺しだからやれない
御参り出来るのわ極限られた一部のみ >>78
保存環境も今以下やろ
精々蔵に入れておくくらいしかできない
臭くて食えたもんじゃないと思うけどな
籾殻残したまま保存してたんかな? 普通に捨ててたよ
民衆を飢えさせるのが目的の管理だから 天領と譜代はクソゆるなのに
御三家がアホほど搾り取ってるのほんま >>32
男性の4割は源平藤原の直系子孫だっていうしな。
10代さかのぼれば皆親戚とかな。 >>15
人は皆起源を辿ればアダムとイヴやな
日本神話の場合は人と神は別だから
イサナギ、イザナミとは限らないのが糞だわな >>178
御三家って今の茨城、愛知、和歌山?
和歌山は知らないが、茨城と名古屋はタフな県民性が似てるな >>2
直系はともかく先祖に武士がいないやつなんているの? >>181
尾張 六公
紀州 八公
水戸 九公
暴れん坊将軍や水戸黄門のお膝元の実態がこれ >>180
エホヴァがアダムとイブを作る前に中国には黄河文明があったんだけどそれは? >>2
農民は生かさず殺さず
子供が残せず絶えたところを足軽の次男三男が収まった 当時の米の生産量なんて今よりずっと少なかった
品種も技術も未熟だし さんざん税金搾取して使途不明
江戸時代も今もやってることは同じだなジャップって >>6
相当頭足りてないんだよなぁ、エタ非人かなんか? 農民にとっても手間がかかって収穫高の少ない米よりイモとかの方が楽に作れる
江戸時代にさつまいもが入って来ると地質もあって鹿児島とか長崎ではさつまいもの栽培が爆発的に増えた >>24
昆虫ばりに砂糖砂糖言ってるエタ非人みたいなボンクラなんなの?
絶望的に頭悪いってお前 >>9
5年前の米とか相当臭いがキツだろなぁ
1年ちょいでも嫌な臭いするのに 九州がいち早く米経済から脱出したのはサツマイモのおかげ
貨幣流通も西国の方が海外貿易の関係上ずっと進んでた >>176
当然籾で保存、精米なんかしたら保存がきかない
蔵米を直接支給してた時はコネの無い下級武士にはネズミのションベンが染みついた
臭い米が渡されて上級には良い米が渡されたとか >>178
天領なんか緩くねえし普代だろうがなんだろうがとんでもない課税せざるを得ない地域もあったわけで
中卒レベルの脳味噌しかないここのゴミ糞キチガイ共にそもそも知性なんか期待しちゃダメなんだろうがそれでも酷すぎるよなぁ >>165
地租改正までは隠田、忍田なんつーのもあって
今で言う脱税なんて昔からあったって事だろ
藩ぐるみなんてぇのもあったんじゃないかね? >>199
竹島事件みたいなことを割とどこもしてたと思うぞ 吉宗時代末期
幕府直轄領での米収穫460万石
このうち年貢徴収は180万石
これが年貢の最高記録だという
ユルユルの幕府直轄領
もっと搾り取れば財政豊かになり薩長にも負けなかったのに 暗黒時代なんてバカなことほざいてる低能がまだまだいるんだな
なんで江戸時代だけそこまで貶されるのやら
それ以前の時代や同時代の他国は農民庶民にとってバラ色だったというのか?
ただ前政権を貶めるためだけの恣意的な薩長史観に洗脳されっぱなしで呆れるわ >>203
税率↑40%(実効なら以と↑)で緩々とか地獄かよw 市民革命以前の世界が暗黒時代
一握りの支配者と大多数の奴隷が暮らす世の中 >>204
戦後暫くするまで庶民は腹一杯食えなかったんだよな 米は単なる食料ではなくて通貨でもあったからねえ。米本位制。 単なる紙に書かれた記号にすぎないお札のかわりに米を通貨にしよう!というのは
確かに農本主義的な発想であったが、商業の発達の前にその矛盾が露わになっていったわけであるねw 豊臣秀吉の時には通貨となってたんだっけ?米本位制
でも秀吉は金本位制みたいな方にしようとしてたみたいなイメージ
徳川家康はそれ(上方の商業本位)を嫌い農本主義に戻したという >>204
いや江戸が普通に北朝鮮だったのは事実だろw
明治がそれに比べ良いとも俺は思わんけど 腹いっぱい食えるかは人口にもよる
江戸時代の日本は世界的にも空前の嬰児殺しをやっていたそうで子供を殺すことで人口調節し比較的豊かな社会を維持していた 産業の増大に対して貨幣鋳造が全然追っ付かなかった
それどころかアホな幕府はデノミ実行してどんどんデフレ化させたっていう
資本主義の概念そのものがない農本主義ではどのみち行き詰まってたんだよ >>2
比較的長い文章でやり取りするしリベラル色強いから
文盲レベルのガチ底辺は弾かれるだろう
下級武士の末裔で真面目に育てられたのに国策で切り捨てられて
子孫断絶確定の末路を迎えた氷河期世代が多そう >>214
江戸時代は戦乱の後の平和という最大の人口増加ステージであるにも関わらず実際は・・・というね
よほどうまく締め付けたのよな、神君は >>214
平均寿命39才だからな,死亡率の高い乳幼児期を除いてすら
日本人の下半分はこの世の地獄 >>208
超重税と平和な大量餓死わ我が国の伝統😤 >>213
なんで「いまの」北朝鮮と比較するの?
それ以前の日本社会や同時代の他国と比べてどうだったかのほうが評価として公平だろう
現代の知識で後付けの批判ならいくらでもできる
産業革命期のイギリスの下層民は江戸時代の農民より幸せだったか? 藩の大きさにしろ、侍の給料にしろ、農民に対する年貢にしろ、全部米の量、すなわち
石高で表示されていたわけであるねw その米を売り買いして他の生活品を賄うわけであるが
そこで手数料とってた商人が、大名に金を貸したりして栄えていったわけであるねw あたらしい日本の歴史は江戸時代は自然豊かでリサイクル経済でエコロジーで文盲はいなくて教育水準が高く、関所はゆるゆるで犬でも伊勢参りが出来た平和な時代だからね
その基盤になってる風景が昭和の戦後に整備した姿だっての >>220
当時でも鎖国やってた国家はどれだけあったか 実際は明治の徴兵試験で検査すると8割は実質文盲だったと言うね 別に普通に食ってたけど商品作物なので米は高く売れた方が百姓は喜ぶので
米価が高いときは自分らでは米を食わずに出来るだけ売ってた 普通には食わないな
米は保存性が良いので村でも飢饉に備えて保存に回す
だから正月とか盆とかのハレの日に食うくらいになる
種籾は無論のこと 元禄時代の商人の社会進出はすさまじく、儒者の荻生徂徠が、天地開闢以来
日本にも外国にも無きことなりと呆れたそうであるねw やはりモノを右から左に流して
手数料とる商売が一番儲かるわけであるが、江戸時代でもそういう商人は敵視されて
改革のたびに一部の例外を除き、幕府は商人を抑圧しようとするわけであるねw >>224
まあそんなもんだろうな
ネトウヨは、江戸時代は日本人の識字率は100%とか言ってたんだっけ 江戸時代の識字率が相当高かったのはいろんな記録に残ってるねw
小説や滑稽本などを一般庶民の読者が読んで、ベストセラーになったりしてたわけだねw >>223
明も清も海禁政策とってたし17〜18世紀の東アジアの潮流だったという説もある
そもそも東アジア一帯は古代の遣隋使遣唐使を見てもわかるが航海が難しく
海上貿易の発展はヨーロッパと比べて限界があった
日本海や東シナ海が地中海のように年中穏やかなら古代からもっと交易が盛んだったろうがね >>229
糖尿病は当時病気として識別されていなかったが当然いただろうな
江戸病、と言われる脚気はそれとはまた別の白米食いすぎ病の一つ 江戸時代と江戸を区別するね
武士と武士のための商人が多い江戸は特殊
幕末人口3000万のうちの100万だから まぁ商売は卑しいって考え方だからね
資本主義社会以前の世界では
今でも客商売で下げたくもない頭を下げたり
笑いたくもない愛想笑いすることに抵抗を感じる人間は少なからずいるだろ
それが卑しいってことさ 江戸時代も出版文化はかなり栄えていたからねw これは文字よめる読者がいなけりゃ成立しない文化であるねw 明清はシルクロードとかで散々西域ヨーロッパとの交流はあるわけで海上交通がなくても困らない >>231
日本というかアジアには欧米から来るまでまともに竜骨を持った船(外洋航海船)がなかったんだよな
竜骨を作れる堅牢な木材も手に入りづらい環境ではあったかもなんだけど >>233
まあその区別は必要だ
江戸という話をするのに、それこそ江戸と上方だけで話をする人も多いからな
それは当時の人口5%に満たない特殊な環境だったという話だとはやはり前提 百姓一揆の連判状でも、みんな自分の名前を連判状に書いてるわけで、あれは少なくとも
自分の名前の読み書きができないと無理であるねw >>237
竜骨は特に意味無いから
外洋航行船は中国の方が造られた時期も早いし
ジャンクの方が巨大で速度も安定性も操作性も上 寿司は元々庶民の食べ物だったとかいうけど庶民=大多数の農民ではなかったろ
とりあえず今の回転寿司ほどの一般的なものじゃなかったはず
港区スイーツみたいなものだったんじゃないの >>210
年貢が米で、幕府も諸大名も収入として上がってくるのが米で配下の武士に支払われるのも米やったからなあ。
でも、庶民は家康が始めた貨幣を使ってたし、武士も報酬として貰った米を市場で換金して金に替えて使ってたわけだから、支配層の武士が収入を得る手段が米、市場では家康の貨幣が流通してたけど、
米は人々の主食だったから需要が多く、年貢米として徴収され膨大な量集められてくるから、色んな商品が流通してるなかで米の存在価値は高く、諸大名が必要な現金を手に入れる手段として貯蔵してある米を市場で売ったりしてたから、貨幣経済だけど、米を中心に経済が回っていたって感じやな。
諸大名や幕府にとっては、貯蔵米を必要な時に金に替えたり、配下の武士への給料に当ててたわけだから、実質、通貨と同じようなもんだったのかも。 >>238
出版はないけど記録はある
入会山の絵図とかその裁許状とか
こんな感じでの連番状はいたるところに残ってるだろ
https://i.imgur.com/59fjvVh.jpg >>242
いや、外洋航海に竜骨構造の船は大事でしょ
中国が外洋航海船を作った記録もあまりない 実際にこの星の海のかなりの部分を航海するには平底船では無理
ましてや木造なら当然だよ 幕末に日本を訪れた同時代のヨーロッパ人が当時の日本社会を絶賛していることからも
当時の日本社会が同時代のヨーロッパや中国朝鮮と比較して必ずしも悲惨とは言えなかった
どころか訪日ヨーロッパ人から見たらかなりマシに見えたのは誇張や管見を考慮してもまずまず間違いないだろう
飢饉だの何だのは当時小氷河期だったという外的要因もあるし
そもそも熱帯植物であるコメを至上価値においた古代日本大和朝廷を批判することから始めなきゃ公平でない
東北でのコメ作りは江戸時代になってからいきなり始まったわけじゃないぞ >>249
中国は唐代にすでに東アフリカまで航海してた
宋の時代には南洋ルートが既に開拓されてる
マラッカ海峡に今でも磁器を積んだ船が沈んでるって話聞いたことない? >>252
それは外洋航海ではなくて沿岸航海貿易でしょ? >>251
1850年代のヨーロッパ人って植民地主義真っ盛りだけど
>幕末に日本を訪れた同時代のヨーロッパ人が当時の日本社会を絶賛している >>253
お前のいう外洋の意味がわからんが
インド洋は外洋じゃないっていうならそうなんだろうな >>255
沿岸航海と外洋航海の違いが分かってない? 陸地に近くて必然的に陸地沿いになる航海と、風と海流に乗ってそこから飛び出る航海は全然違うんだけど >>10
鉱夫、船乗り、漁師、大工、鍛冶、林業とかとか、米を作ってなかった百姓も相当な人数だよね >>258
それいったらヨーロッパも沿岸航海になるけど
アフリカ伝いにインドまで行ってたし まま、あんまり相手煽ったりしないで
読んでて面白いスレなんて久しぶりだし >>239
江戸は飯を炊く燃料の方が貴重で逆に白米しか食えない世界なのに地方出身者は明治になっても白米が貴重だったり地域格差は幾らでもあるさ >>260
喜望峰とかいう狂った海域を超えるのに竜骨なしの船で出来たとは思えない >>262
江戸でも白米(おまんま)にありつけたのは本当に一部だよね
嫌儲でもさんざ出てる吉原の飯の話があるけど >>263
紀元前のフェニキア人がアフリカ大陸を船で周回してる 風と波は、地球と言う星の動きの関係上緯度が上がると恐ろしい荒れ狂い方になることもある
南極方面では特にそうのようで
Roaring Forties 吠える40度から始まる南洋深部の風 >>266
ソースある?
本当に出来ていたのかね、それ
フェニキア人の時代ならやはり全ては地中海の動きだったと思うけど >>268
いやググってみれば出るじゃん
古代エジプトの時代にフェニキア人がアフリカ一周したわって記録を
ヘロドトスが伝聞で伝えてる
当時でさえ嘘と思われてたが天体の動きの証言を見るに本当だという説が有力 >>241
ちょっと関係ないけど、大河ドラマ作るべきならジョン万次郎、尾崎幸雄、あと光明皇后だとは思う >>269
仮に冒険的にやれてたとして、交易ルートとしてはなにもないだろ
ヘロドトスが伝えるということはそれこそ英雄的な例外の事象だったのでは? 竜骨なしの船じゃ希望峰を越えられないとか
アホなこと抜かすから反証を挙げただけだよ >>261
江戸時代のスレなんかこないだやったばっかだよ、
五公五民=税率50%の嘘は何度も解説してやってんのに
相変わらずの貧農史観垂れ流すバカが多くて辟易としてんだよ >>272
実際ほぼ無理だよ
ついでに言うと、それが本当だったかも分からない >>274
江戸の新田の歴史みてると息苦しくなる
畑も田も全て、基本無理な量で年貢設定されてた >>150
ハーバーボッシュ法が発見されるまでは化学肥料ないしそんなもんだろとしか こういうのね
納税の歴史は、本当世界のいろいろな歴史のほぼ全てより多く残る
https://i.imgur.com/SiTZwF0.jpg >>154
自由じゃないだろ
それこそ村の権力者のプチ大名行列 干鰯や鰊粕を肥料に使って増産してたろ、
このレベルだと学校の教科書にすら載ってんだから
お前授業寝てたな >>222
それで言うとこれは昔からだけど江戸時代=江戸の街だけの切り取り偏重も嫌いだわ
同時代の豊かなのから貧しいのでも農村はオミットされてるし
京都大阪の上方さえ省かれてるから地方のそれ以外の街なんてまず取り上げない
あの時代隣り合ってても山向こうや支配層が違うだけでも全然違うのに
取り扱うのは江戸っ子は脚気でファストフードでこぶし大の寿司食ってとかそんなんばっか
楢山節考や吉村昭の破船は創作だけどあれに準じた光景はどこにでるあるわけでさ
江戸っ子江戸っ子言う割に表層的な時代劇的なところしかなぞらず
実際のところは臭いものに蓋してるのも違和感ある
安倍晋三仕草だわ >>283
増産してても全然地方では食えなかったんだぞ、米
それは教科書には書いてなかったよな >>260
ピガフェッタによるマゼラン艦隊の航海記読んでみ?
南米からフィリピン、香料諸島から喜望峰、完全に未知の海域を大洋横断して直航してるから。喜望峰からカーボヴェルデ諸島までは既知の航路だったが、敵対するポルトガルの勢力範囲だったから、やっぱり数千キロを直航してる。
やはり大航海時代のヨーロッパの航海術(地理学、造船技術などをひっくるめて)は異次元だし、東アジアの伝統的船舶じゃ太刀打ちできるレベルじゃないよ。 遣唐使って九州から上海にほぼ直行してたんでしょ
南西諸島沿いに行った方が安全そうなのに マジレスすると農民でも米は食っていたと考えられる
ただ、すべての主食を米でまかなうには量が少ないので雑穀を混ぜて食べていた
ちなみに米食を禁止したというのは後世の歴史家の創作
贅沢はするなというお触書はあったものの飢饉の時を除いて米を食べてはいけないとまで書いた史料は存在しない ナミビアの砂漠に港町がないだけで、わりとザンジバルあたりの船主はケープタウンあたりまで
行ってたと思うぞ。 >>30
明治初期の統計による米生産量と、米を常食とした場合の一人あたり消費量、酒や菓子製造に消費された分などを考えれば、人口の大半が米を常食できたはずがない。以上。 >>288
寧波まで、うまく行けば行ける
だったんだよ。基本海流まかせ片道航行のギャンブル
おそらく同時代でもポリネシアンが風上に行く三角帆とスターナビゲーションで経験蓄えててたのと比べるとその辺は本当雲泥の差じゃないかとは思える >>290
七草がゆは一番うまいものじゃないかな
今はなにも取れないけどね とりあえず、報復として、華族・貴族・皇族の
子孫を根絶しておくほうが無難だろうけどね〜 >>297
キャラックあたりじゃないと厳しそうだね
でも土地柄そのあたりの船主はジーベック使ってたのかな? すでに江戸時代の日本の米作レベルは世界最高で面積あたりの収穫量がすごく多かったんだよね
でもなにを主食とするかはその地方ごとに変わっていて別に米が主食じゃなかったとして
それでもって貧しいとかそういうもんではない
>>155 名前の知らない微生物 米で税金払えるとか良心的やな
今は米も換金しないと税金払えない >>300
そもそもこれが疑問なんだけどなあ
なんのデータ、エビデンスを元に?
>すでに江戸時代の日本の米作レベルは世界最高で面積あたりの収穫量がすごく多かったんだよね >>299
船主なんていう言葉がで来ると13世紀以降?
保険のシステムが出てきた 日本の開国時の収穫量は戦後1945年当時のインド、フィリピン、インドネシアなどなどと比べてさえずっと多かったと言われてるね
そんだけ進んでたんだよ >>295
でもNHK歴史探偵で往路は9割成功したって言ってたよ >>305
1986年頃のインドネシアやフィリピンの農村って土人レベルじゃね うろおぼえだけど確か60年代初期でもまだ東南アジアやらは江戸末期の収穫量に追いついてなかった
日本が指導した台湾朝鮮だけはわりと進んでた コイコイの人々はヨーロッパと交易していたとあるな
https://en.wikipedia.org/wiki/Khoekhoe#Arrival_of_Europeans
ポルトガル人の前には交易船はいない、と考えてしまうのは初歩的なミス >>310
これが特に嘘だな
>日本が指導した台湾朝鮮だけはわりと進んでた >>306
補陀落渡海、というイメージと現状も知ってればなおさらな >>313
老眼じゃねーよ
開国の頃に土人レベルの地域と比較するなよ 古いソースだが手元にある論文だと
水田面積164万町歩、百姓人口2400万人、収穫量1反歩あたり1石で
その他の人間500万人、その消費量を一人当たり年間コメだけ1石とすると
18世紀初頭の百姓は年間75sほど(現代日本人だと50s)の
コメを食っていたと考えられる
んで当時の記録において百姓がどんなもん食ってたかを調べると
半分はコメ以外の麦や雑穀を食っていた
普段はコメ6雑穀4くらいで行事の時はコメだけみたいな
ただ当時の精米具合からするとかなり黒い飯だったと思われる 家康が言ってただろ
百姓は生かさず殺さず
たくさん食らってたのは江戸の町人や
なにもしてない武士や商人 >>317
その論文挙げてよ
かなり大事なやつだろそれ >>320
毎日主食しか食ってないからそれくらいになるだろうな
味噌汁ついたらいい方だったろう >>312
ガマの艦隊は地元の水先案内を雇ったりしてるし、中短距離航路のネットワークがすでに存在してたんだろうな。初めて通しで航海したのがガマ、沿岸に要塞や商館を築いて航路を軍事的に支配したのがポルトガル人だった、ということか。
>>317
米だけ常食としてる人(都市民)は米一石では当底足りない。一石を365で割って、精米時のつき減りも計算すると(石高は原則玄米表示)、1300キロカロリーにすぎない。飢餓線を下回ってる。なので百姓の口に入る米はもっと少なくなる。
百姓身分の中にも貧富格差があって、富農豪農なら米を常食してただろうことも考えると、平均的な農民の普段の食事はいいとこ米3混ぜもの7ってあたりじゃないかな。酒造や菓子に消費される分もあるしね。 >>320
え?
読んだけど基本カテと砕き米の話では? 水田でお米つくるぞ〜
うぎゃ〜 苗代が全滅じゃ〜稗に切り替えじゃ〜
とかあるからな、豊作凶作とか言う前にコケることもある >>322
ルネッサンスから大航海時代までの構造転換考えるとね 江戸時代もコメ余りマンセー化して、現金化しても思ったほどの金にならずに税収下がって
色々特産品作りまくってたろ >>249
鄭和の乗ってた船って宋代以降の標準的な大規模外洋船だよ >>264
アワヒエみたいな雑穀は余った土地で作って自家消費するもんそもそも大都市に流通してないし燃料も買わなきゃならないので高いしじゃあ何なら流通してたの? >>271
だから何だよw
現実に喜望峰回ってアフリカ周回してるよね >>322
水田稲作してる農家ならベースは米だよ半分以上は米 >>329
粟とヒエはそもそも言うほど救荒じゃないけどなあ 上から下への意味の無い、なんなら自分の首も締める嫌がらせ 最近リベラル論客でさえネオリベ批判のついでのつもりなのか
江戸時代は良かった的な発言が目立つけどそんなことあり得ないから >>317
粟稗を別に育ててたのか
水田に生える粟稗を除草しないで食ってただけなのか気になるね 正確には
「年貢がなくなるからあんまり米食うな。稗や粟食ってろ」だからな
つまり百姓も普通に米食ってたからこんなお触れを出す必要があったんだよ >>335
江戸時代が良かったとは思わんが
徳川が中世以前は東アジア最凶最悪のウォーモンガーとして恐れられてた日本人を300年間調教してたのはすげえと思うわ >>29
江戸時代、米が集まるのは江戸じゃなくて大坂。義務教育で習う知識だぞ? 日本の父たる中華の文明はそもそも粟とヒエ
小麦でも米でもない >>340
>中世以前は東アジア最凶最悪のウォーモンガー
遊牧民じゃね? >>339
アワとヒエばかり作られると米の量減るから生産量制限されてたとも聞いたが >>337
水を落とした乾田で裏作で作れるけど、裏作なら麦を植えたかもね。粟稗なら焼畑とかでも作れるし。 >>16
巨大なバケモノに食わせてたとか物語書けそうだな 領地によるでしょ
天領とかなら口で無い無い言いつつ溜め込んでる
勝海舟の父親の自伝で知り合いの旗本の窮地を救うって
領地に取り立てに行った時の話にそんなことを書いてたのを読んだような
逆に取り立てに雇われた乱暴者の捕り物をしたって話もあったな
あの時代はなんだかんだ言って荒っぽい >>23
最近の研究では農村そのもので餓死はあまり発生していなかったのではないかと言われてる
今まで餓死者が大量発生した「村」とされてきた地域は実質的には地方の街に相当していて食糧生産能力を持たず逆に食料の大量消費地だった
飢饉が発生すると農村そのものを維持する程度の食料は維持できたが実質的な街に相当する「村」への食料供給が真っ先に断たれそこで大量の餓死者がでた >>352
城下や街の奴が飢え死ぬまでおとなしくしてるわけないだろ
農村への強制徴収を乱発する >>352
そういう調査は寡聞にして知らないけどちょっと疑問は感じる
確かに農村は種籾は保管するものだし野生のものを入手するのにも有利
けど城下町でもない武士もいない地方の街っていうのが良くわからない
もしそんなところで多くの餓死者が出たら記録に残って普通に常識になるくらい有名になるんじゃない? >>299
ザンジバルなら普通にアラブ伝統のダウ船つかうだろjk
オマーン海洋帝国だろ
ダウ船も大した船じゃないが香辛料貿易、イスラムの東南アジア伝播に寄与してる 今だと自民党関係者、安倍友、竹中平蔵が持っていってるから。 国力が衰退したのも江戸幕府のせいみたいなもんだろ
明治政府もクソだしまさにジャップ >>357
野党もそれを国民に返しますと言えば選挙に勝てたのに
スリランカ人やLGBTに配りますだから勝てるわけがない >>234
転売叩きも8割が百姓の出によるジャップしぐさよな
そもそも江戸時代は今と違って庶民が財物をホイホイ買えなかったワケだが 既出だけど年貢以外のコメは高く売れるから自分では食べず売るわけよ
同じことは着物でもあって自分で織った布は売って安く買える布を着るとか当たり前だった 江戸幕府に関する謎
なぜ海運大型船舶の規制を廃止しなかったのか?
海運、大型船舶を幕府の直轄管理するだけで
物流コストは大幅に下がって
さらにばくの収入にもなったのに 江戸幕府は事実上
米の年貢を担保に通貨発行をしてたんだけど
先物相場によってその価値は大きく変動して
財政を混乱させていた
江戸幕府は塩、さつまいも、唐辛子、砂糖、他にも木材など
あらゆる現物を分散担保にして通貨発行するべきだったのでは? 船舶規制って知らなかったけど大藩が勝手に大きな船作って外国交易するのを嫌ったからでは? >>366
水戸光圀が蝦夷地探検する大型船作ったのに
幕府に壊せって言われて激おこしたくらいだしな
以来光圀と綱吉は犬猿の仲だった >>366
それを防止する為に
大型船舶と海運を幕府直属にするわけ
規制緩和と国営と歳入ね 小説では幕府の隠密が全国に張り巡らされてることになってるけど現実には一律禁止しないと取り締まりきれなかったんじゃないかなあ 支倉常長なんてローマ教皇に面会したし
東南アジアには日本町作ったりアンコールワットに日本人の落書きが残っていたり
戦国までの日本人はかなり自由な渡航が可能だったことがわかる
江戸時代ってのはそういう自由と引き換えにして平和を手に入れた時代だった 食うとか食わないとかどうでもいいんだよ
搾取したり苦痛を与えることに快感を覚えるド変態民族だから 江戸には米があふれまくってるのをみて、これなんかおかしくね?って思った奴いなかったのかな
アホの子国家かわーくには? そりゃ江戸は今で言えば半分が公務員とその家族が住んでいる異常な都市だからな >>2
うちは名字帯刀御免のガチ大庄屋だった
親父は赤子の頃はねえやが付いてた
すぐ終戦、農地解放で普通の農家になったが >>364
海外への渡航が容易になるからとか
竜骨の禁止も >>375
プーシキンからドストエフスキー、トルストイを経てチェーホフぐらいまで読んでるとロシアも同じだ >>352
ヨーロッパだと街は兵を得る場所のひとつだからな
食いっぱぐれが多い 大型船の運用がペイするためにはまず港に大型船を直接つけられるように海底を掘らないといけない
都市はだいたい河口に作られて河口は川から土が流れてくるので、ずっと掘り続けないといけない
人が替わると政策が変わる社会でこの手の巨大インフラ維持するのは無理だろ >>380
鎖国以前の堺にはポルトガルの大型船を停泊できる港があった 貫高やめて石高にしたような幕府だし
そりゃ色々問題あるわな 幕府「米は凄いんよ。米さえあれば飢えないし人を雇って仕事させる事もできるしお酒にもなるんよ」←分かる これだと江戸時代は一反(30m×30m)の米収穫量140kgで現在は540kgとかだしほぼ1/4だぞ
そりゃ百姓が大量に必要だわ
https://i.imgur.com/OpPQ4V4.png
https://i.imgur.com/CRa0vSe.png このスレ以前の江戸時代スレと違って
ガイジ貧農史観垂れ流す教育の失敗作多過ぎる、
いくらジャップジャップしたくてもこの点で言うのは
嫌儲の面汚しだぞ、ネトウヨ以下の知能 江戸時代は多少の抜け道はあったが基本的に肉食禁止が良く守られた時代
だから一人当たり米をたくさん食べないと生きられなかった
よって生産量に対して米を食える人は少なく薩摩なんかさつまいもが栽培されるようになって人口が倍にも増えた >>365
中世近世の銭貨不足は日本だけにとどまらず欧州でもあったことからして
膨らんでいく経済に対して最後まで銭貨の生産力が追いつかなかっただけじゃね これ人類の貨幣信仰の問題だろうけど金1グラム1円を明日から1グラム10円にしろとおふれを出しても誰も従わないんだろうね >>388
一人当たりのコメは今の日本人と大差ない(地域によるのはもちろん)
それと同じくらいあるいはそれ以上の量の麦だの雑穀食ってたんだよ >>2
祖母の実家が結婚時に興信所で祖父の家を調べた書類がこの前出てきたわ。「水田は持たない畑作農家だが代々善良」という評価を下されててワロタ。畑作農民は水田持ち農民より一段落ちるんだな。 >>389
最後の方は独自の藩札を刷ってそれを領内で流通させてたくらいだしな
産業の増大に対して通貨発行数が全然追いついてなかった >>389
スペイン帝国に因る大量の貴金属強奪が産業革命の主原因だしね >>391
https://kogotokoub.exblog.jp/amp/26050331/
『文政年間漫録』に記されている大工の一家の場合、夫婦に子供一人で、年間に米を三石五斗四升食したとある。これを手がかりに算出してみると、江戸では大人一人あたり一日に四合近くの米を食べていたことになる。
杉浦さんは、一日五合と説明。 >>397
意味不明
今のような小麦を大量輸入してパンだのパスタだの豊富に食ってる時代と当時の米の一人当たり消費量が同じだとしてなんの意味があるんだ? >>396
幕末維新時にアホみたいな値段で武器買ってて
まずそれと、殖産興業時代の技術者や設備の導入費
内戦やってなかったらもっと苦労なく殖産興業できてたろうけど
日清戦争はもっと苦労してたろうから明治維新の評価は難しい
殖産興業と内地の要塞化を進める方が
破滅的だっあ15年戦争起こさない確率上がりそうだけど >>399
幕末の時点ですでに幕府に金なかったじゃん >>396
徳川綱吉の代には鉱山収益がほとんど枯渇して新しく貨幣を鋳造することが困難になってしまった
そこで綱吉は貨幣改鋳を行ってインフレ経済にし幕府の財政を建て直したんだが
その結果インフレによって武士達の生活は困窮し、不満を溜める要因になったため
綱吉の死後にインフレを嫌った新井白石はデノミに切り替えたが今度は幕府が財政難に陥った
石高ありきの農本主義の元では貨幣鋳造でさえ自由にはできなかった 蔵前に蔵があって年貢米はそこに集められる
そして武士の給料になるわけだがそんなに米貰っても食えないので商人に売って金にする
その米は巷で売られる
百姓は米全部取られるんじゃね? >>398
今の人らがパスタとか小麦をたくさん食ってるのと同じで
江戸時代の百姓は麦や雑穀をたくさん食べてたということを言いたかった
見直したがある地域では150sのコメを食べていたという記録もあり
その場合雑穀はコメの半分程度というくらいだったということもあった
時代と地域で変わるけども近世後期はそれぐらい食ってたのは確かだ
訂正する >>402
四公六民とかあれはウソだっていいたいのかw
全部米巻き上げられてたら農民は一揆か離散しまくってるわいw >>407
百姓が作った米を武士が年貢として取る
年貢米を殿様は配下の家来に配分する
その米を商人が買い取る >>407
札差しという米買い取り且つ金融業者(金貸し)が
武士の自家消費を除く扶持米を武士から購入してたし、それでは足りない武士に対して高利でカネ貸し付けてた
武士は米だけ貰っても自分で売るわけにもいかないからな
しかし現金は必要だた
だから専用のブローカーがちゃんといたって話 >>400
雄藩は金持ってたし幕府も国内最大規模の西洋式軍構えるくらいには金あったよ
海軍やら産業導入やら留学やらを1番充実させてたのも幕府だし 昔の米が今と違って多分ボソボソで現代人からしたら食えたもんじゃないというのは想像できる
でも昔の人は宮沢賢治の時代でも1日何合も食ってたわけだろ?
果たして美味いと思って食ってたのか気になる
白米がご馳走の寒村もあるだろうけど少なくとも三都の町人は白米食ってるわけだし
でもそれでいてドイツみたいに食事に全く興味ないって風土でもなかったんだよな?
ボソボソ米でも塩辛いのと一緒に食うと気絶するぐらい美味いとかそいうことなのか >>397
都市民が一石より遥かに多く米を食べていれば、それだけ百姓の口に入る分は減る計算だから、結構関係あるとお思う。
この話題だと「一人が一年で食べる米の量は一石」とか「十万石の所領で取れる米の量は10万石」みたいな思い込みを前提に話す人が多いしね。 >>352
まぁあれだろ?
羅生門みたいのがあるわりかし立派な街なんだろうな >>412
江戸時代でも、定められた法があって、それに従って、米を納めさせてるわけだから、都会の町人が多くたべるから百姓はもっと寄越せなんてことは言えないよ。
百姓の身分が低くても納める分納めたら、それ以上は取られることはない。
その場合、割りを食うのは都会の町人で、
一定量の米しか入ってこないのに、消費だけ増えたら必然的に需要のほうが高いわけだから、それに従って米価が上昇し、
その値段でもたくさん食べれる収入のある人は、気にせず米を多く食べ、
そんな値段では無理という人は食べる米を減らしたり、別の安い食べ物に代えたりとか、市場原理で、一定数しかない米が経済力に応じて分配される仕組み。 無慈悲に容赦なく農民から収奪
尾張徳川家
紀伊徳川家
水戸徳川家
薩摩島津家
陸奥盛岡南部家
餓死者多発 >>414
×都会の町人が多くたべるから百姓はもっと寄越せ
○都会に売り付けて儲けるから百姓はもっと寄越せ、出さないと拷問な 江戸時代の人口推移の研究では
農村は常に年に1~2%程度人口が増えて行き
余剰人口の次男、三男などは江戸や京大坂などの都市に奉公人として流れて行った
近代以前の都市は衛生環境が劣悪で常に人口減が基本
農村からの人口流入人口を維持してた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています