嫌儲ってやたら仏教詳しい奴多いよな。仏教の勉強したいんだが何の本読めばいいのか教えてくれ。 [373226912]
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>>1
「人間革命」って本があるんだけどマジお勧め 仏教は只の堕落思想
こんなもんにハマるやつは卑怯者
どうせみんな手塚治虫やろ 大乗はばったもんだと思ってたけど
意外と行ってる意味は分かる、親鸞聖人とか まず手塚治虫「ブッダ」
次に中村光の「聖お兄さん」 それなら岩波から出てる「ブッダのことば」と「ブッダの真理のことば」 仏教ってもう仏陀の手を離れて一大産業だよね
近所の寺にポルシェとかベンツ置いてあって不愉快だわ 仏教の教義には興味ないけど瞑想の手法と認識の分析の部分は興味あるわ
まとまってる本ない? コード書きながら気が付くとお経唱えてるわ
対面のオッサンがビビってる >>21
俺もコロナ禍が終息して休みが取れたらヴィパッサナー瞑想の講習受けたいわ 要は宮崎哲弥と苫米地英人のファンが多いってことだろ? 知識って空しいな
暇にあかせて溜め込んでも最期は抱えたまま闇に消える 最近スマナサーラ長老が変な団扇持ち出して残念
あの人はただの仏教理論勉強しただけの知識人の一人と認識してる
おだてられると変な方向に進むね人間は >>21
瞑想とかクソ上座部かぶれになってもなんもわかんないでスリランカ人あたりの奴隷になるだけだぞ >>30
昔読んだけど当時はなんか凄そうとしか分からなかった
今もう一度読みたいわ >>19
観無量寿経がキラキラ過ぎて笑ってしまう
まあ十八番とかもここから来てるらしいし一度読んでおくのはありなんだろうな 以前ここで仏教語ってたやつが幸福の科学信者だったのはビビったわ
カルトラマン発覚の時に発狂してた >>36
幸福の科学はどうか知らないけど仏教ってくくりならかなりの日本の宗教に当てはまると思うよ
解釈の違いだから 仏教自体はずっと変わってない教科書みたいな物
それを使って授業する先生をお坊さんとか尊師とか色んな呼び方で呼んでる 日本仏教の基本経典
仏教は便利な構造だから新宗教やオカルトや心理学とか色々な所で使われている 仏教のことは何もわからんが
この前ケンモメンが張ってくれた芥川は勘違いをしたまま蜘蛛の糸を書いているって論文は面白くてつい読んじゃった もろこし我が朝に諸々の知者たちの沙汰しもうさるるかんねんのねんにもあらずー 読んだり勉強したりする必要なんてねえよ
お前の一挙手一投足に仏性は宿ってる 学ばなくてもただなむあみだぶつと唱えればいいんだよ 無量義経
法華三部経
だけどユーチューブ見たほうがいい
さいこうの法華経講座
NHK法華経に学ぶ
いま自民党が70年以上も政権をとっている独裁状態で
もうこれは見たい永劫変わらない
おのれの欲深さ執着が原因で成仏できずこの六道の中の三悪
(地獄・畜生・餓鬼界)を輪廻しているからよそから人間界に来た
ものは必ず自民党に出会ってしまう
それでも自分が成仏して六道を離れればいいが 欲に駆られて
(車が欲しい 金が欲しい いいものを食いたいなど)しまい
またこの六道に輪廻してしまい自民党に出会ってしまうわけだ
だったら悟りを開いてしまえばいいということ >>16
いいよね、どれだけ日本仏教が別物かよく分かる ケンモメン文庫には中村元先生の龍樹も並んでいるという なぜいつも問うのに学ばないんだろうな適当なこと言って楽しいか? 宗教は独学だと理解が偏る。
特に仏教は原始仏教がどうだ、上座部仏教じゃないと、初期大乗仏教が唯心論が禅が浄土だ密教がとなりやすい。
カルチャースクールで良いからきちんとした宗教者や宗教学者に教わるのが良い お経って要するに原典を訳したものだよね
その訳が本来釈迦の教えとされているものと同じなのか比較してみたい
龍樹とかだっけ今のお経の元になった漢語にしたのって
その前が知りたいなあ 一遍上人語録だな
南無阿弥陀仏の7文字の名号の中に
お釈迦さまの悟りも何もかも詰まってる お釈迦様の仏教の勉強をしたい人は、まずはスマナサーラ長老の本を読むことだな
そこから深めていけばOK
キリスト教やらゾロアスター教などの影響を受けて、
後になって捏造された経が良いなら、適当に読んで気にいる世界観のを信じればOK
この2つのルートは、同じ仏教を名乗っていても全く違う宗教へ到達する 自力他力が一遍上人でひとつになった
一遍上人マジすげえ ネトウヨを仏教的な解釈をすると
<十二因縁>
前世で間違えた(考えや行動の)まま現世に生まれてきた(前世の二因)
ゆえにその判断も愛するとか憎むとか良いとか悪いとか二極でしか
考えられず差別をする(現世の五果・現世の三因)
その結果来世でも不完全なまま生まれ死んでいく(来世の二果)
これを繰り返しているのである 人の心には仏様の種があって
努力と行動すれば(善行 勤行や学習)
誰でも仏さまに成れるらしい 鎌倉時代後期に登場した日本仏教史上の最大のスーパースター
乳もまんこも丸出し尼さんダンサーズを率いて、アツい念仏ステージを全国に届けたカリスマ一遍上人
庶民も武士も貴族も被差別民かららい病患者に至るまで皆が上人のダンスシーンに熱狂した
一遍上人マジ、リスペクト 真実の仏陀の教えはこうだ―幸福の科学の会員よ聞きなさい! 単行本 ? 1991/9/1
麻原 彰晃 (著) いくらお前らが政治に対して発言しても何もならない
それは先の選挙でわかったでしょ 宗教にだまされるな! (麻原彰晃の世界) 単行本 1991/9/1
麻原 彰晃 (著)
https://i.imgur.com/24NSXnW.jpg
内容(「MARC」データベースより)
第3次宗教ブームと言われる現在、私たちの周りには宗教があふれている。
そしてそのほとんどが、教えに間違いや矛盾を含んでいたり実践することが
無意味であったりする。霊障、水子、先祖供養、心霊治療など氾濫する
精神世界の嘘に麻原彰晃の鋭いメスが入る。 >>73
オウムも元は原始仏教やチベット仏教で
日本の葬式仏教でない本来の仏教をアピールしてたんだっけ これおすすめ
馬場 紀寿
初期仏教――ブッダの思想をたどる (岩波新書) 初期仏教の教えで十分じゃないのか(諸行無常、一切皆苦、執着を捨てる。ほかは知らん)
あの世がどうとか、まるであの世を見てきたように語る仏教者は、他宗教のそれと同様に胡散臭い。
仏教者からすると、あの世が有って救いもあると説かないと信徒が増えないし檀家も付かないし金にもならない。YouTubeを観ると、スマナサーラが四半世紀前に説法でそう言った趣旨を語っていて納得した。
しかし、今のスマナサーラは輪廻転生とかあの世を語っていて耳を疑った。世間に迎合すればそうなるのか スマナサーラの四半世紀前の説法を聴くと、死んだら無になるだけと説いていたが、今は何か違う 仏教っていうか前に瞑想にめちゃくちゃ詳しい人は見たけどその人かな スマナサーラは人格的にはダメだね
仏教をとにかく勉強してる大学の講師みたいなものとして参考にする程度がよい 間違っていることもあるんだろうけど『ゆかいな仏教』は全体を知れるかなと あの世の事なんか誰も分かりませんよ、だって帰って来た人いないんですから
と、この時点で全ては終了なんだけどね
輪廻転生は大衆を導くためとか色々言い訳はあるのだが
もともと仏教がそういう二枚舌なのでスマナサーラが二枚舌でも仕方ない部分はある >>83
「死んだら無になる」は断見って言って
仏教では邪見扱いになるみたいよ
上座部とか大乗とか関係なく、それは仏教の説としてあり得ないとしか 誰にも分かりません
を受け入れましょう
それが最終的な解答ですから
それ以外必要なし 青空文庫 般若心経講義(無料)
宗派の差はあるだろうけど大体の要点はまとまってる
彼岸とか仏教由来の言葉の解説も出てきて 全く仏教を知らない人にも面白い 「無花果の樹の林の中に花を探し求めて得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なものを見いださない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。」『スッタニパータ』
もともと「生存」という状態で維持されてる個体は何一つないと見抜いたら
この世とあの世っていう「生死」から解脱する(一切は不生不滅である)
↑
原始仏典にはこう説かれてる 「耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。(旧き)信仰を捨てよ。」
↑
初転法輪の始まりの釈迦の言葉
「旧き信仰」ってのはバラモン教の輪廻転生の教えだろう
釈迦の悟り(解脱)とは、不死に至ることと
この言葉では解釈できる 不死というか入滅でしょ
入滅しないならあの世とかの世、つまり輪廻転生がありますよ
と言ってるようには解釈できるよね
仏陀がそう言ってるのが厄介なんだよな
原理主義者は常識的な思考より原典を絶対視するからね >>94
「常識的な思考」ってのは注意が必要で
現代の俺ら日本人の思考や世界観は
西洋で宗教を否定した物質や経験実在のものを学校教育とかで刷り込まれて与えられてる
「死んだら無」とか唯物論は、六師外道
の順世派とされてるね
俺ら現代日本人の「当たり前」の考え方は、仏教からすれば外道になるんだろう ワイは天台宗やから
一隅を照らすことを信念に生きているやで
https://ichigu.net/about/index.php
お前らも是非照らしてくれ 死んだら無
ではなくて
誰にも分かりません
で思考を終了して納得して欲しいのよ
それが全て
他に何も分かりようがない
これは腑に落ちるでしょ?
それなのに原典で仏陀が輪廻転生を前提に説法してるから〜
と言うのは原理主義以外の何物でもないよ 「生を明らめ、死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」『正法眼蔵』
「生死」とは何なのかを明らかにするのが仏法者の最大の目的である
「有漏路より無漏路へ帰る一休み雨ふらばふれ 風ふかば吹け」
一休さんは「生死」を「一休み」と表現したね(これが一休って法名の由縁) 「死んだらどうなる?!」が法を説く仏法者を試す言葉として最も有効だとはされるけど
対して、これから修行する者には「無記」として死後のありようとかの疑問には答えないとも示されてる 正法眼蔵読んだら修証義がパチもんだったことがわかってワロタ 過去の坊さんがこう言ってるから輪廻転生があるのだ
とまでは確信してないのでしょう?
あなたは賢いからね
あなたは今も、分からないからさらに仏典を求めている
しかし仏典を求めても確信には絶対に至らない
それはあくまで過去の生者の発言に過ぎないのだから
分かりようがない、という地点からはどうやっても動けないでしょうに >>101
こういう仏教が進んでる進んでない
という煽りで誤魔化さないように
死後の世界は分かりようがない
という地点からなぜ進めるのか
とその一点だけを解答してください 生死や来世とかについて、「分からない」としたのは
これも六師外道でサンジャヤ・ベーラッティプッタがその説を説いてたらしいね
十大弟子の舎利弗と目連がその教団にいて後に釈迦の弟子となったらしい >>104
「死んだあとはどうなる?」については釈迦は毒矢の喩えで「無記」と直接答えを与えることはなかった
代わりに、生老病死は苦である、苦は煩悩という原因で起こり、その苦を滅する方法があると四諦を示されてる
つまり、方法だけを示して「自分で確かめなさい」というのが釈迦の教え 「門より入る者は是れ家珍にあらず、
縁に従って得る者は始終成壊す」『無門関』
見たり聞いたり(六根門)して得たものは家珍(悟り)ではない
誰かから(仏教でもお釈迦様からであっても)聞いたり理解したものは「苦」なんですよとされてる 分かりようがない
という地点から進める理由は解答しません
なぜならあなたが自ら確かめるべきで答えると「苦」になるからです
という主張であってますか?
なんか相手にするのもバカバカしくなって来ました
それで仏教が進んでいるつもりになってるのがびっくりです 仏教ってかこういうことは「進む」ものでも「得る」ものでもないからなあ
バカバカしく思うならそれ以上は他者から語ることもないだろう
「バラモンは正しく知って、妄想分別におもむかない。見解に流されず、知識にもなずまない。かれは凡俗のたてる諸々の見解を知って、心にとどめない。──他の人々はそれに執著しているのだが。」『スッタニパータ』
「生とは?」「死とは?」とかそういう知識(哲学的宗教的)や見解、答えを滅するという教えだから あなたに対する仏教的な示しとしては
「分からない」「知りようがない」という見解を一度捨ててみなさいよ
↑
こういうことになるかと思う 「生とは?死とは?」とか「死んだらどうなる?」とかの問いに対して
禅僧たちは、「喝!」、指一本を立てる、「乾屎橛(トイレットペーパー)」と示した 死んだら、何かには輪廻するんだよ
でも、無常だから人格は維持されない
これが現代の科学とお釈迦様の共通解で良いんじゃないか
お釈迦様の時代は、原子とか分子とか知識がなかったから
お釈迦様は正確に答えることは出来なかったけど、
腐って土壌の肥やしになったり、他の生物に食べられその血肉となる姿を観察して
無常や輪廻を思いつくことは可能だった
お釈迦様を神仏にする必要はない、時代を大きく超えた天才というだけ この世でもう何も学ぶことがないってなるまで
何度でもこの世に生まれる必要があるので
パヨクなんかやってる場合ではない >>83
自己レス
スマナサーラ師のことを悪く言い過ぎたなあ。
この人の本や説法によって救われた部分もあるのに恩知らずだわな
さっき聴き返したら、死後はどうなるのか分からないと説かれてるのであって、無になるとまで言及したわけではなかった 小池龍之介の著書読んでからの>>16これにたどり着いた
これだけでいいと思う。あとは瞑想するだけ >>114につけくわえると、無常であり無我だから、実は固定した自分の人格などそもそも存在しない
なので、死んだら自分はどうなるというのも実はナンセンスな問いで
自分に執着するのをやめ、変化し続ける無常をただ受け入れるのみ >>111
( ^ω^)それ臨済以外もそうなんかお
( ^ω^)日本だと道元とかそういうノリ全く無い感あるがお 仏教では生老病死の苦しみは和らげることができると説いてると思うんだけど、肉体的な病の痛みや苦しみはどうにもならない。
この点はさすがに救いは無しかな?
心頭滅却すれば…なんてことも無理だし。
健康問題は人間関係などの悩みとは 一線を画す >>2
オウムの信者なんかほとんどおらんやろ。
仏教各宗派、創価、霊友会系あたりが多いやろ ブッダ→スッタニパータでおk
ゴータマ王子がいかにしてブッダになり、弟子が増えていったか分かる。
以降蛇足。 >>66
仏教をそういう風に他人を攻撃したら、自分を正当化するために使うのは良くないんじゃないかな。 訃報スレでご冥福ってレスしたら
そいつは仏教じゃねえってツッコミされたことがある 救済だ、悪人でも成仏できるだ、死者を弔うために読経だ、葬式だ、墓だ、法事だ、と言うのが日本的な仏教
釈迦の教えに忠実なのは小池龍之介。小池龍之介は東大卒のイケメン坊主で女性受けしそう 諸行無常とか万物流転みたいなのを知ったら、それで終いでしょ 仏教は最初は本で良いんじゃないか
釈迦の教えが経になり、経は書籍化されてる
ダンマパダが一番好き 創価なら法華経学べるのが羨ましい
なかなか若い時には読んだり唱題する機会ないしな 仏陀が残したのは仏道であって、仏教ではない。
仏教と名前のつくものはすべからく道から外れている。
仏道は、禅がもっとも純粋。禅、修験道、クンダリーニヨーガ等もまた仏道。
"母に逢うては母を殺し 父に逢うては父を殺し 仏に逢うては仏を殺せ"
ただひとり、犀の角のように歩め。といい残した仏陀の道とは
あらゆる我執と妄念を自己の内から忘れ消え果て殺す道であり、そのメソッドが禅。 仏教てバラモン教のアンチで当然輪廻転生も否定して今を生きろって教えだったのが、バラモン教のない国で仏教を教える時に輪廻転生の話出したら現地人にそういうのがあるんだと思われたのは皮肉だよな 釈迦「バラモン教が輪廻転生言ってるが気にせず今を幸せに生きよう
アジア人「輪廻転生があってそのしがらみから解かれる教えが仏教かあ 仏教は宗教たけど釈迦は哲学者だったと思う
弟子が素晴らしい教えって事で宗教化してったような気がする
釈迦自体は神様なんていなくて前世も来世もなくて
じゃあ生きてる意味はこの世の真理とはを考え続けて弟子に教えてたんじゃねえかなあ
般若心経だってあれ基本問答だろ 小池龍之介って還俗したんだよね
「ブッダの足跡を追って悟りを開こうというなどという考えがおこがましかった」とか言って >>31
あの人に反出生主義について聞いた動画見たが
相手にされてなかった
三千世界に八千門だし別にいいけど 日蓮主義とかいう日本版マルクス・レーニン主義
教条主義は現実の複雑さに対応できない 般若心経見てたら後半に呪って文字が結構多いけど普通に思ってるような意味じゃないよな ケンモー的に南直哉の評価はどうなん?
本よんでるんだけど >>148
呪文のことだよ
明呪は真言(マントラ)の事で明確
般若心経そのものが呪文として作られているとの解釈もあるけど多分ホントにそう
内容理解だけだと他のお経のが全然解釈しやすいし 呪文というのはそれを読んだだけで内容を理解しなくてもなんらかの霊的な効能がある文のこと
坊さんが読誦するのはその霊的な効能を期待してのものだよ >>145
見たけど一応それなりに回答してたぞ
生命が細胞分裂する理由が分かってないのに
なんで分からないのに苦があるからってそっちの方が重大だと分かるんですかね?
って話かと
生命を産むことは賢い子、新しい希望が産まれることでもある、とも言ってるね
要するに現代理論で分かってないだけで決め付けんなよ、って話だと
理論より生命が先ですしね 思想・哲学は歴史に落としこまないと流れが理解できんよ
まず講談社学術文庫の村上重良『世界宗教事典』『日本宗教事典』読んでからだな >>129
ご冥福って言い回しを嫌うのは真宗だけだな >>155
違うやつかな
自分が見た動画では歯牙にもかけてないような
ある意味普通の人みたいな反応だった記憶
反出生主義の構造的批判みたいなところもなく 瞑想による変性意識は脳内麻薬による覚醒なのか
あるいは任意の部位の機能低下による意識障害の一種なのか
どうフィードバックするかが重要だからまあどちらでもいいか 魚川裕司と佐々木閑
とりあえずはこの二人がいいだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています