フェミニズムの視点からトランス女性の経験をひもとく 金字塔的エッセイ『ホイッピング・ガール』を翻訳出版したい! - Engadget 日本版
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トランスアクティビズムはフェミニズム運動である。
様々な視点で、性別移行をめぐる経験を分析する。

トランスジェンダーの当事者による本といえば、自叙伝が定番だが、2007年に発表された本作はちがった。著者のジュリア・セラーノはトランス女性かつフェミニスト、さらには生物学者という超ユニークな視点で、性別移行をめぐる経験を分析したエッセイを綴り、世界中に大きな衝撃をあたえたのだ。

それまで性別越境については好き放題に解釈されていた。精神科医はトランスを病気だと考えた。内分泌医はホルモンのせいだと考えた。社会構築主義の学者はすべてが後天的に形成されたと説明し、文化人類学者は「第三の性」を西洋中心主義を批判するためのアイテムとして消費した。一部のトランス排除主義のフェミニストは「きちんと教育されてフェミニズムが広まればトランスジェンダーはいなくなる」と説明した。どうして当事者の話していることを聞いてくれないんだろう。トランスの人生は、あなたの持説強化のための標本ではない。私たちの話を聞いて。そんな思いが本エッセイでは全編を通して貫かれている。

特にトランス女性に対する偏見が女性蔑視(ミソジニー)に基づいたものであることが明らかにされていく様は、圧巻だ。トランス男性に対してはそこまで干渉されないのに、トランス女性に対しては強いフォビアが向けられるのはどうして。男性的だとみなされる性質は「優れている」とか「自然だ」「普通」とかみなされるのに、女性的だとみなされる性質が「人工的だ」とか「劣っている」「演技してる」「セクシュアルなものに由来する」とみなされ、トランス女性はトランス男性よりも攻撃されていく。その根本にあるのは実は、単なる「トランスフォビア」ではなくて、「女性的であること」そのものに対する世間の強烈な女性蔑視(ミソジニー)にほかならないと、セラーノは訴える。

ある人がフェミニンに振る舞うとき、男のためだとか、だますためとか、女性ジェンダーを強化しているとか、わざとらしいとか、いろんな非難が飛び交う社会を、著者はユニークな視点で分析し、問いかける。あなたが排除しようとしているのはトランス女性ですか。それとも「女性的である」とみなされるものがお気に召さないのでしょうかと。

出版されてから今日まで、北米のフェミニズム、クィアスタディーズ、社会学、心理学の大学講義で広く使われている。