それでは日米開戦問題を本書はどう解いているのだろうか。

 日本の真珠湾攻撃で始まった戦争であるから、問題はどうして日本は攻撃を仕掛けたのかということに尽きるが、とりわけ日本と米国の国力差が圧倒的なことは明白なのにどうして日本は戦争を始めたのかということになる。

 その場合、この圧倒的な国力・経済力の差を日本の指導者たちは知らなかったという見方がある。
しかし、開戦の決定をしたリーダーたちは本当にこれくらいの判断すらできない「暗愚で非合理的な」リーダーたちだったのか。この視点に立ち、開戦の適否判断の根拠となる国力=物量・経済の立場から真実を明らかにしたのが本書である。

 著者は開戦決定の際の判断のもとになるデータを扱う陸軍の経済力調査機関を調査した。
その結果、陸軍は有沢広巳という第二次人民戦線事件で検挙され保釈中のマルクス主義経済学の元東京大学教授をリクルートして調査機関(秋丸機関)の中枢に据えていたことがわかった。

 有沢は、戦後「自分の作った調査報告では、日本は米国に負けるという結論だったので陸軍に都合が悪く採用されず焼却された」という趣旨のことを言っていたのだが、著者はその発言を突き崩している。

 1941年の夏に米国と日本の国力差を20対1とすることを基本にした報告書が出されているが、それは焼却されてはおらず大部分は残っており、著者により初めて発見されたのだ。
驚くのはその内容の大部分は当時の雑誌などにも掲載されており、秘密でも何でもなかったということである。それらは誰にでも見ることができたのである。

 総力戦研究所というところから出たこうしたレポートを唯一無二のように書いた人がいるが間違いだったわけであり、これや有沢レポートの破棄を追認する内容のものがあればそれらは疑問なのである。

ということは、当時の日本の指導者は誰でも国力差を知っていたのであるから、問題はその認識を共有していながら、なぜ開戦に傾いたのかということになる。
「開戦すれば高い確率で日本は敗北する」からこそ「低い確率に賭けてリスクを取っても開戦しなければならい」という思考になって行ったのだと著者はいう。「必ず3000円払わなければならない」か「4000円払わねばならない可能性が8割あるが、1円も払わなくてもすむ可能性が2割ある」という選択肢の時、多くの人間は堅実な前者よりも損失回避性志向から後者を選択するという。

 これは、行動経済学のプロスペクト理論というものによるのだが、「合理的」に考える多くの人間が行うことであり、日本の指導者たちもそうしたのにすぎないと、著者は言う(プロスペクト理論の適用については慎重を期さなければいけないこともあるようだ(猪木武徳『経済社会の学び方』<中公新書、80〜83頁参照>))。

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