弱者男性「現代アートはつまらない。説明を読んでも意味がわからない」←これ [715065777]
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「難しい言葉を使うくせに」ネットに蔓延する“現代アート嫌い”、理由は「特権意識」なのか https://bunshun.jp/articles/-/39498?page=1 「現代アートを批判することが芸術」って言われたらどう反論すんの? 美学とかいう5流学問で権威づけられてる程度の鼻くそ 同人コンテンツみたいなもんだからな 才能は無かったが芸術の仕事はしたいみたいなゴミの集まり ゴミがゴミを作ってるんだ しょうがないだろ、それがその人の評価なんだから 無くせとか潰せとか言い出したら問題だが >>5 これ 馬鹿には理解できないから価値がある まあ逆説的にはアートってのは無知で無学な弱者男性が存在するからこそその価値が担保されてるから弱者男性も気を落とす必要はない ブルーピリオド見て現代アートの意味がやっとわかったわ 親戚に陶芸の学校出て活動してるやついるけどそいつの師匠ですら生活苦しそうだぞ アートってのは馬鹿でも認められるようになったらその時点で陳腐化するんだよね フェルメールの真似を今の時代にやってもpixivの雑魚絵師と大差ないからな 現代アートも数百年後には主流のアートになってて未来の弱者男性から持て囃されるんだろう アンディ・ウォーホルのスープ缶は子供の頃から飲んでいたわ。悲しいけど沖縄で旨い料理はアメリカが持ち込んだものが多い。 そもそもアート自体分かって無い俺が言うのもなんだが 現代アートが叩かれるのは単に叩きやすいだけだと思ってる そもそも芸術家の思想力なんて哲学者に劣るからそのかわり民衆を強く引きつけるようなパッションに訴えかけるような表現で補ってるもんだろ 高尚なこといって劣化哲学者ごっこして見向きもされなくなったら本当のゴミじゃん 一般民衆は顧客じゃないから見向きされなくても全然かまわんだろ 大衆に理解されたらアートは終わり 理解されないということに価値がある >>22 表現の不自由展はすごく盛り上がったろ嫌儲でもw 弱者男性というか大概の人はそう思ってるだろ、現代アートは美術教育しっかりと 受けてきたやつしかわからんし いっても古いのだったら分かるかというと 別に茶器がわびさびでどれがいいとかも 歴史上そうなってるからとしか言いようがないよ 現代アートってたとえるならマインクラフトで◯◯作ってみた!って動画と似てるよな 何となくすごいのはわかるがゲームやってないやつ特に老人からしたら意味不明だろうし ただマインクラフト芸術の良いところは作品を完成させるのにどれだけ苦労したかがコンピュータで全部担保されてるところだよな アート界隈は作品の意味や位置づけの価値を全部内輪でやってるからあれ意味ないわ 日本だと地味なのがわびさびでいいとか言ってるのに 韓国とかだとなんか白いのがいいとか言ってたみたいに ゲームのルールを共有してなきゃ分かる訳が無いよ むしろ経済現象として興味深いよ 合理的バブルとして社会に必要なものなのかどうか 分かったふりしてマウント取るのが正しい遊び方 弱者男性はほんなことも分からないから弱者 わからないということを味わい楽しむ 共感などという同調をぶち壊してクソ溜めに捨てろ 高いカネ出して現代アート買ってるのがつまんない奴ばっかりじゃん 教養もクソも無いIT社長みたいな連中が株の代わりに買ってるだけで 割と面白いと思ってたんだけど皆様嫌ってて困惑したわ 現代アートと前衛芸術の違いがよく分からないんだけど美術モメン教えて クリスチャン・ボルタンスキーの企画展は割と面白かった 日本人だと今道子の写真が意味わからんけど独特のキモさがあって好き 俺らのような一般人が「すげー」と思わない芸術なんてただのオナニーじゃね? 挙げ句、理解できないやつは馬鹿とか言い始めるし、勝手にしろって感じ 骨董品の茶器は素人が見ても汚れた陶磁器にしか見えんが然るべき人が見ればウン千百万の値が付くように 然るべき集団に高額で取引されるような芸術品を正当に評価できるという社会的ステータスの最先端が現代アートだよ 一般モメンごときがスゲーと思えなくて当たり前なンだわ >>50 大衆が気持ちよくなるための作品は「ポルノ」 アートというのは上流階級やエリートだけが理解できればそれで良い お前らは最初からお呼びじゃねえんだわ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A1%86%E6%96%87%E5%8C%96 大衆文化(たいしゅうぶんか)とは、一般大衆に広く愛好される文化のことである。 ポピュラーカルチャー(英語: popular culture)、ポップカルチャー(英語: pop culture)、 マスカルチャー(英語: mass culture)とも呼ばれる。 一般的にアカデミック分野に属するクラシックな文学や美術などの文化を表す ハイカルチャーに対立する概念である。 大衆文化の例 海水浴・プール 映画・テレビ 歌謡曲・ポピュラー音楽・ポップ・ミュージック 大衆小説・時代小説など 大衆演劇・大衆芸能・大衆演芸など テレビゲーム 野球・サッカー・バスケットボール・格闘技など インターネット上のブログ、投稿動画、オンラインチャット 漫画 半年くらい前に見たブンブブーンって番組で見た現代アートは欲しいと思うのもあったが高いよね >>52 >最初からお呼びじゃねえ それはそう 解散 >>42 前衛はアヴァンギャルドとか芸術家発信の社会変革を目的としたもの 現代アートはフォロアーが出て手法が一般に浸透して初めて芸術家と呼べるので、値が上がる前に投機しとこって言う金持ちの遊び 画力が上がる前のちんちん亭が現代アート 画力が向上して普通に抜けるようになりフォロアーもミームも定着したちんちん亭が芸術家 >>57 なるほど全然違うんやな 現代アートと呼ばれてるものが前衛的なものが多かったから違いがわからなかったわ ありがとう ダミアンハーストの輪切りとかヘルンヴァインのボンデージとか単純に痺れるほどかっけーてなるじゃん ああいうのでいいんだよ なんで弱男ってアートなんて一切興味ないくせにちょっかい出してきて文句言うわけ? 辰吉丈一郎が、「絵でも本物は素人が見てもスゴイとわかるやないですか 自分もそういうボクシングがしたい」と言ってた 現代アートがわからん素人でも、カラヴァッジオなら、「なんかわからんけど、すごいことだけはわかる」となると思うわ そういうことや 現代アートの権威づけに関してオークションの話ばかりで美術館の役割を無視してるのはダメだな むしろ美術館の動向の方が重要だぞ >>52 えりーとだけが理解できれば〜ってもうポルノと変わらないな 一般人→理解できない 評論家→曲解 同業者→理解できるが好きではない どのジャンルにも言えるが極まると自己満足になる 昨日も現代アートスレあったと思うけど 昨日はデュシャンレス>>40 あった? 上級国民佐野が言ってたろ 芸術は下級にはわからんって 芸術ってのは何でもそうだけど教養のない者には理解できないものだからね 個人的には弱者男性じゃなくて貧困層だろと思う 金のないやつは教養もないから いま昨日のスレのログちょっと読んだけど 63レスしてた修士のひといる? 「観光」「環境」「体験/体感」を語りながら「メディア」は語らない そもそもスレタイから 「現代アートとは『現代のアート』以上の意味はない」の定義で限定しようとするのは このスレタイがそれでも根強い論理的正当性があることを汲み取りたくないという 無意識の欲望を感じる 63レスをかけたことがその証し 「一般には盛況」を繰り返してるが それこそ昔から「一般」「大衆」を語りたがることが 批判したはずの「批評家」の典型的クリシェ なんでインスタインスタ語りながら メディア論には見向きもしなかったのだろう 批評家を批判しつつ「一般」を語り 自分の批評性だけは「ごめん俺修士」の安全地帯に置く 椹木野衣とかそのあたりそれこそ批判してなかったっけ 昨日の修士だけどMOFって言ってなかった? 芸術学修士はMFAなんだけど 現代アート論でデュシャンデュシャンを語るのは 0年前で時が止まってるということなのだろうか せいぜい歴史的文脈以上のものではないのだろうか 「概念(「観念」だったかな)」を批判しながら「体感」を語ってたようだけど むしろそんな「体感」論への批判をデュシャンが包含しているとしたら そもそもアート以上に「概念」的な文学では 昔から「肉体」を寿ぐ歴史が繰り返された アニメマンガゲームが海外でアート扱いされたら大喜びしてる奴らが批判できたことではないよな 当たり前のことだけど アートが変わったんじゃない 変わったのはまず人間 そして 人間と環境(自然)とを切り結ぶのはメディア 切り結ばれた結果あらたな記号が インスタと体感で盛況はいいけど そんな新たな人間は新しいだけで新しいのだろうか ヘーゲルは言う 「意識(≒即自)→自己意識(対自≒)→理性→」と来て その先にはこんなものがあるのだと すなわち 「理性→『精神的な動物の王国』Das geistige Tierreich/the Animal Kingdom」が 人間に訪れるのだと 嫌儲ではことごとく批判されてる 西さんこと東浩紀は それでもさすがだと思うよ 「観光」にも「体感」にも目配りしてる ただし東は「観光」は肯定的に論じてるけど 修士氏がカッコなし観光と「観光」とを分けて考えられなかったように 「観光」という語は危うさがある (もちろんさすがの東はそれはまず前提だとして「観光」を語ってる) あのエッフェル塔ですら建設当初は大不評で 万博が終わり次第、解体予定だったのにな アートって基本アーティストの自己満足を作る訳で人それぞれの感性じゃないのか? 修士氏はアートの市場性、資本主義にはもちろん言及してる カッコなし観光は市場社会、資本主義の産物 そこから一足飛びにそれこそ「概念」としての「観光」とはならない 資本主義がなんかおかしいことは誰もが分かってる スレタイからこの「なんかおかしい」ことの しかし言葉にできない悔しさを伴った もどかしい批判を読み取ることなしに 「現代アートとは『現代のアート』に過ぎない」とは それこそ自分のアカデミックな批評に溺れてる https://twitter.com/Kawade_shobo/status/1484362265772322816 https://pbs.twimg.com/media/FJmDSvUaAAA4w6X.jpg ゴンブリッチ先生の『美術の物語』が、amazonランキング1位とか…!!! (´-`).。oO(出社したら『美術の物語』のご注文電話殺到でなんもできん…! #原田マハ さん曰く「僕もあなたも、同じアートを愛する人間だよね」と導いてくれると。 まさに! 誰もが美術館で「わあきれい!」の一段上の鑑賞ができるようになります(実体験済)。 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>84 のあたりも修士氏は言ってたっけ デュシャンもウォーホルも最初は批判されたものだ だから現代アートもきみたちには不評でもやがて…と これこそ最も古いかたちの「批評」クリシェではないのか 誰が描いただけでなく誰が所有していたかでも価値が変わるとか別の価値観が付随してわけわからん ちな俺はクラシック音楽スレのひとね そろそろ抜けるけど クラスレではこの手のことも折りに触れ語ってる 昨夜も今夜も立ってなくてびえ〜ん💧だけど よかったらクラスレちょくちょく来てみて 裸の王様って書こうと思ったらもう書かれてたわ 美術評論家もテキトーに評価しているだけだから >>81 訂正 "the spiritual animal kingdom"ね 「精神的な」が抜けた >>87 最後、亡くなったザハに触れていたけれど あれも長年に渡れば素晴らしくなるのだろうか ソウルにある建物は10年経って韓国人はどう思っているのかね 現代アートに限らずアート全体に言えることなんだけど 作品そのものの芸術性とついた値段と好き嫌いを混同して一つの「価値」として語ろうとするから話がこじれるんだよな もう差別化もとうの昔にネタが尽きてるから取ってつけたストーリーで評価すんだよ 作品そのものの価値なんて誰も分からなくなってどんだけ頭良さそうエピソードがあるかどうかのクソみたいな世界だからな チョンモメンが大好きな権威主義だよ そもそも評価なんて常に変わるものだよ 評価が上がるかもしれないしゴミになるかもしれない 現代みたいに多くの人々がそれぞれ好きで自由に創作活動を趣味でやってるような社会 まして日本みたいな物好きな玄人はだしが一杯いるところで 現代アートでございなんて誰もまともに相手にはしないよ >>35 ジャクソン・ポロックはアパレルに マーク・ロスコは部屋の飾りに 使われまくって役に立ってるじゃないか アートって金持ちのマネーロンダリングのためにあるだけで 本当に芸術的価値があるわけじゃないよ まだ絵画や彫刻や書みたいなジャンルに収まってるものは分からなくもないが 変な格好してパフォーマンスする系とかガラクタ並べてるだけとか気持ち悪いもんで不快にさせる系はもうお帰り下さいだわ それアートじゃなくて君がアーティストぶりたいだけだよね?っていう 追記しとく とある日本のマルクス主義系の文芸批評家は 批評、批判は「最低の鞍部で越えるな」と言った スレタイを鼻で嗤うアート論者には 「現代アートはつまらない」という 自分にとっては軽く「最低の鞍部」で越えられたつもりが その最も低レベルの物言いが「つまずきの石」となったことに気付けない なぜか…人間を忘れたからだ 人間に付き合うことなしに人間の変容には気付けない そうして自分は時間を超越しながら人間の、 アートの「新しさ」を語れると思い込む 現代アートでも綺麗とか気持ちいいならいいけど 不愉快なものはいらんね 表現物って人の心を揺さぶってなんぼだよね だからって自分の心に刺さらないから無意味と断じるのも視野が狭すぎる >>105 不愉快な小説や 不愉快な映画なんていっぱいあるで >>95 ザハの作品そのものにこだわるな そもそも建築にはどうやっても抜きがたい存在がある それでいてそのどうやっても抜きがたい存在が どうやっても抜きがたいがゆえに しかもそれは語れば自分たちの負い目を見つめることになるから けっきょくは抑圧するしかない存在が抜きがたくある なんで古今東西 建築には安く使われながら命の危険にまっさきに晒される人間が要るのか そして実はきょうび…この悪しき歴史を超越できるかも知れないとひとは思う テクノロジーはそんな奴隷的人間をもはや必要としない建築を達成できるのではないかと ほんとだろうか >>97 差別化にネタは尽きないよ…だって 資本主義とは終わりなき差別化なのだから とゆうより 「尽きた」「終わった」と語ってしまうこと そんな「批評」が終わらないことが資本主義なのだから 尽きないどころかそれによって延命するのが資本主義なのだから 修士氏も言ったでしょう…いまどき現代アートですぐデュシャンとか、と そんな言説は「終わった」と >>23 一般人を顧客にする努力を放棄してるからこその現在の惨状とも言える 弱者男性パヨクは表現の自由が大嫌いだからな アートなんて天敵だろ なんで俺がクラシック音楽を根城にするか 音楽こそ「アート」のうちもっとも危ういから しかしその危うさに付き合いつつも批判できるのはクラシックしかない ジャズでもだめ いわゆる純文学とクラシック音楽と ここにしっかり付き合えれば 他のアートなるものはそのふたつのあいだにまあ収まるだろうからだいじょうぶ そう考えてのクラスレ、クラレス そして文学だと各自長文読む労が要るけど クラだととりまつべ貼ってみんなで気軽に聞けるじゃない だから一般一般やめろっての みんな自分は一般のひとりで だから一般を語れると思う そんなおのれの傲慢さを「抑圧」しながら批評家を批判する 現代アート集団が人様の同人誌切り刻んで作品にしたり お札偽造みたいな事してたからなー 現代アート=フレーバーアート フレーバーがなくなればゴミだけど、それまでフレーバーを楽しむためのものだと思え 高値で買ってる奴はアホ 作者が作品に自分のナルシズムを入れちゃうと、 俗物感が臭っちゃうんだよね 寝らんないから ちょっとクラシック音楽なレスしてみましょうか クラスレでは何度もレスしてる話だけど ストラヴィンスキーのバレエ(音楽)「春の祭典」 (ワレリー・ゲルギエフconductor/マリインスキー・バレエ+劇場管弦楽団) https://youtu.be/NQQR-GU14sQ とりまクラではこの作品でもって 「現代アート」が誰にも意識されるかたちで始まったとされる 初演が1913年 ちなデュシャン「泉」が1917年 明示的に意識される前から「現代アート」性をうんぬんするなら シェーンベルク、ドビュッシー、リスト、ワーグナーまで遡る論がある シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」op.21(1912) (キーラ・ダフィーsoprano/ピエール=ローラン・エマールpiano/クリスティアン・マチェラルーcond/シカゴ交響楽団) https://youtu.be/bd2cBUJmDr8 ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」(1892) (アンドレス・オロスコ=エストラーダcond/フランクフルト放送交響楽団) リストの「無調のバガテル」S.216a(1885) (シプリアン・カツァリスpiano) https://youtu.be/pdOBd_uqcaA ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲(1857) (ピエール・ブーレーズcond/ルツェルン祝祭管弦楽団) https://youtu.be/hcYjKs_9ov8 それでもこれは意識的な「現代アート」上の「事件」だとして扱われたのは ハルサイを嚆矢とするのは衆目の一致するところ そのストラヴィンスキーがしかし 「絶対的に現代的、永久に現代的」と評したのは 遡ること90年のベートーヴェン ベートーヴェンの弦楽四重奏曲「大フーガ」op.133(1825) (デンマーク弦楽四重奏団) https://youtu.be/JmIr-7z3XdY 逆にストラヴィンスキー以後では シェーンベルクの十二音にはじまりセリーやら「偶然性の音楽」やら とうとうケージの「4分33秒」まで行き着いたりしたけど こんな音楽史のことじたいは実はどーだっていい 問題はいつだって人間にある つまり 人間は「現代」をどういうものとして語りたがっているのか 20世紀前半の「現代人」、20世紀後半の「現代人」、 そしてわれわれ21世紀のうち一-四半世紀の「現代人」は クラシック音楽の世界でおそらく最初に 作曲家でありつつ音楽批評も意識的に行い そのなかでみずからの「現代」を意識的に論じたのは ロベルト・シューマンだろう シューマンの幻想曲ハ長調op.17 (ネルソン・フレイレp) https://youtu.be/lEkQMymyAM0 現代アートは逆に 説明読めばバカでもわかるんだから 間口が広い。 こんにちシューマンを「現代アート」として語る者は皆無だろう むしろ古臭い「ロマンティシズム」と「ナショナリズム」が濃厚な 時代の、歴史の、ひとつの徒花として片付けられるのがオチでは しかし繰り返すけど問題はそんな音楽史ではなくて シューマンにとってはみずからの言論とそしてなにより作品とが かれの「現代」だったのだということ そしてかれだけでなく 周りの多くもそのように自分たちの「現代」を受け取った 弱者に理解されないところまで含めてアートなんですよ しかしそれでもやっぱり シューマンの「現代」とストラヴィンスキー「現代」とのあいだには 明らかな切断がある そしてわれわれとしては ストラヴィンスキーの方に「現代」を感じることは否めない 以上の感性を鈍らにしてるから 「現代アートとは『現代のアート』以上のものではない」などとのたもうて それで「批評」いっちょあがりとなる そして次々と「現代」が更新されてると考え 「インスタ」と「体感」が「現在的現代」などとのたまう しかしポストモダニズムは論理的にモダニズムの下位概念であるように ストラヴィンスキーは(現時点で)「永久的に現代的」であり デュシャンのやったこともまた「永久的に現代的」 >>88 家電だって 機能が増える=価格が上がる が一番わかりやすいじゃん 名画みたいなのだってあれ 蘊蓄格付けみたいな わかりやすい家電カタログスペックなかったら 門外漢リッチおっさんに 希望額で売りつけられないだろ。 意味とかわからんけど見てるだけで気持ちよくなるのあるよな 仕組みが分かれば作品を理解する必要ないだろ 素人は美しい美術でじゅうぶん 上級おっさんは 門外漢向けの 蘊蓄格付けカタログ読んでるだけなのに おしっこしたからほんとさいご おそらく前スレ本スレでもっとも多かったレスは >>134 >>135のようなものではないだろうか そして修士氏もそんな「一般」を肯定すると 対して俺なら例えばこう言おう ひとつには 感情、快不快は、とりあえずの現在地を示す以上のものではないと そしていまひとつには そのとりあえず(瞬間)のものにどう微分計算を与えていくのか そこに時間、人生の変数を含めて 4時…おやすみなさい ファインアートは高尚でいいんだよ パブリックで無理やり共有しようとするから誤解も生むし無駄な物が作られる ナチスは退廃芸術展を開催し、 現代美術を「キチガイ」「俗物」だとして弾圧した 一方でヌード画を中心とする古典画を大ドイツ芸術だとして称揚した スターリンのソビエトは 現代美術を「ブルジョワ的」「エリート小児病」だとして粛清し 一方でわかりやすく具体的な的なリアリズム芸術を掲げた 良くも悪くも現代美術の受容は、その時々の社会の自由度、許容度による 今日、 ナチスやスターリン真っ青な現代美術観を振り回しながら、 一方で「表現の自由」を叫ぶトンチンカンなのが多いこと多いこと 現代アートなんて芸術センスの無い輩がダサイクルで互いにゴミを無理矢理褒めあってるのが殆どだからな 深堀隆介氏の金魚くらい有無を言わさないものを出されれば素晴らしいって答えるけど おいそれと真似できない圧倒的な表現こそ芸術として認められる 現代アートは手抜きに見える 実際に観にいくとだいたい現代アートって馬鹿デカいから おいそれと真似できない、俺にはできないって感想になるんだけどね 写真やWEB情報だけの人は、俺でも出来ると思いがち 思いつくのは簡単だけど、実行するのは難しい、 を地で行くのが現代アートってところある なので、実地に見にいった人たちの間で現代美術は流行ってる もはやアトラクショに近いところあるけどな わかりやすい「技術」なら現代美術から分化したモダンデザイン、商業芸術があるわけで、そちらの領域 雑貨なりガジェット買い漁って楽しむなり 漫画やイラスト読むほうがいいと思うよ 野山でも映画館でも昆虫館でもエロ収集巡回でも 意味を見るためにそこに行ったりそれをする訳でもないだろうに 現代アートの5文字(あるいは芸術の2文字)をスッと置くと瞬でイミガーおじさんになる不思議な症例の魅力 分からないのは自分に素養が無いからと考えられないお方がケチをつける 症例でもなんでもなく、それが現代アートの方向だから 写真が発明され、アートが商品として大量生産、配布できるようになった段階で、 「ひとつ限りの価値」をめざす芸術がとる方向は、 コピーや配布することが不可能な何か、「体験」や「その場」を志向するものになる それが環境芸術だの空間だのへと向かってるいまの現代アートなわけで、 写真やWEB情報では何も言えない、いって楽しんだ人間にしか語れないものになった 原理的に、現代アートに限らず絵画はそういうもので、実物を見ないと見たことには実はならないわけだけれど、 現代アートは特にそういう方向 それを言い出したら現代アートだけじゃなくて、モネもピカソも印象派やキュビズムが出てきた背景を理解してなければ、ただの変な絵でしかないだろ 現代アートだけはやたら敵視されてるよね >>158 モネは実地で絵を描くことに拘った。それが印象派 ピカソは実地での時間と空間に拘った。それがキュビズム どちらも画家の体験の話 なわけだけれど、157で言ってるのはさらに先の話だよ。観客の体験の話だ もともと、商業芸術は大量にコピーされるもので、それによって価値を増す 一方で芸術(ハイアート)はオリジナルにしか価値はない。贋作に価値がない コピーと大量配布と商業芸術全盛の時代に、ハイアートはどうやったらハイアートであり続けられるか、ってな話だよ 川村美術館でロスコとかステラとか 日本の映像作家のインスタレーションとか見たけど 印象派なんぞよりよっぽど現代美術のほうがええぞ みたことないのにくさしてるやつおるやろ >>160 あそこはそれでいてレンブラントの肖像画も飾ってあるのが凄い 19世紀以前の近代絵画からバルビゾン派、印象派への変遷を見るとスゲーってなるぞ 作ってる奴にはなんとも思わないけど見て関心してる奴はぶっとばしたくなるな >>164 ほんとそれ現代アートは買ってなんぼ マーケットすらまともに存在しない日本で現代アートすげえって言われても はははwって乾いた笑いしか出てこない >>159 お前に対してレスしてるんじゃなくてスレタイに対してなんだわごめんな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる