3000年前の中国の殷王朝時代の墓が発見される。生き埋めにされた兵士の骨が多数出土 [799215407]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
兵士を「生き埋め」にして権力者を埋葬した中国殷王朝時代の墓を発見
中国東部・河南(かなん)省の安陽(あんよう)市内にて、約3000年前の豪族の墓が発見されました。
墓は中国最古として知られる殷王朝時代のもので、埋葬の際に生け贄にされた兵士や軍馬の遺骨が出土しています。
…
注目すべきは、墓の一部から「冊(册)」の文字が刻まれた甲骨文が出土した点です。
この記録について、同研究所の孔徳銘(Kong Deming)所長は「この墳墓が冊氏一族のものであり、
回収された数々の装飾品から、冊氏一族が非常に裕福な豪族であったことが示される」と説明します。
…
さらに調査チームは、出土した兵士や馬の遺骨について、生きたまま生け贄にされたものと考えています。
というのも、紀元前1600年?紀元前1046年まで続いた殷王朝では、
身分の高い主人の葬儀の際に使用人が切腹したり、生き埋めになることを自ら志願する風習が一般的にありました。
…
権力者や主人の死に際して、使用人および配下の兵士たちは「志願」して共に死んだとありますが、実際にどんな心情だったかは分かりません。
https://nazology.net/archives/103573
生き埋めにされた兵士または使用人
https://cdn.mos.cms.futurecdn.net/9hubpApzznZJff2Y5F2K3D-970-80.jpg
https://cdn.mos.cms.futurecdn.net/YQVyUD2AKMWRHyTVMmqeQD-970-80.jpg
https://www.livescience.com/ancient-chinese-tombs-warriors-buried-alive 生きたまま埋めると暴れそうだから
実際は殺してから埋めたりせんのかな?
やっぱ生きたまま埋めた方が価値が高いとかあるんかな 歴史の悪いところも良いところも明らかにするのが先進国だぞ ジャップがまだどんぐり食ってウホウホしてた頃に文字使ってんだもんな 始皇帝の墓にも墓作った人達と後宮の女が閉じ込められたし
権力者って同じ思考に至るのかね? 殉死自体は日本にもあったし「どんな気分か」は正直、調べようがあると思うけど
現代人の価値で判断するのも大きなお世話なんだろね キングダムの秦国六大将軍の白起が長平の戦いで40万人の趙国民を生き埋めにしたとか >>15
どうせ数字は盛ってるから😄
戦後処理が面倒さを考えたら正しいののですけど、
みんな大好き儒教とか王道からすると受け入れられない 饕餮文かっこいいよね
火焔式土器に通じる何かを感じる 殉死ってこわすぎ
はだしのゲンのあの一歩まえへ出ろみたいな感じだろ >>16
でも意外と出てきてみんなビビってるやん
長平 まだ大昔の遺跡がそのまま残ってて発掘も順調ってすごいな 死後の世界を信じてたからだな
物理学も知らんし
そのまままた会えると思ってた 殉死候補「死にたくねぇなぁ…」
↓
殉死候補「せや!奴隷に鎧とか装飾品付けさせて代わりにしたろ!」 3,000年前って、日本人はやっと光合成とか覚えた頃か? >>9
秦は比較的遅くまで殉死の風習なんかが残ってていわゆる文明の中心地とされてた
中原の諸国からは野蛮人扱いされてたって背景はある
まあそれでも兵士じゃなくて人形にしたのが今に残って発掘されて観光名所になったりしてるわけだけど >>20
>>>16
>でも意外と出てきてみんなビビってるやん
>長平
これで史記はやっぱりすげ〜ってなったんだよな >>18
江戸時代前半ぐらいまで徳川傘下でも残ってる家はあった記憶です
親方さまが戦死したら一緒に腹切るノリは儒教だと美徳にされがちだし
寿命で死んだときあの世まで付き従う部下が多いほど偉人扱いとか各国各時代いろいろです >>25
ということになって殷は生贄狩りとかやり過ぎて
服属してた諸都市国家や周辺民族から恨まれて袋叩きで滅ぼされた
ともされてるね >>30
森鴎外がその江戸時代の殉死事件を題材に小説を書いていたな 2000年前だとまだ漢だよな。殷から漢って1000年位なもんなんだな。 >>27
春秋時代に秦を興隆させた秦の穆公の死後
主だった家臣が皆殉死したもんだから秦は
商鞅の改革までまた辺境国に逆戻り
>>2
志願者なんだから暴れないやろ
日本の志願(強制)とは違うんじゃね これは王様と一緒に行くわ〜、的な感覚で死んでたのか?
平均年齢30代の時代やろ
代替わりした他の若い使用人と働くより、
死んだ方が楽だったんじゃね 特攻隊と同じ気分なんじゃね
ハイかイエスで答えろみたいな 紀元前1000年から紀元前200年の800年間で中国発展しすぎじゃね?
占いによる神権政治&生け贄万歳の蛮族国家から文書行政&中央集権官僚制&法治国家って凄い発展だぞ
ギリシャローマみたいにフェニキア、エジプト、オリエントから先進技術仕入れられた訳でもないのに >>16
盛っているという根拠がない、当時は徴兵制だから基本的に男子は全て兵士
長平は大都市だから相応の人口がいた筈+趙本国からの派遣軍
これらを子供以外は皆殺しにしたとの史実どおりなら犠牲者数十万人は不思議ではない >>45
シュメール文化を持った移民が
インダスや黄河文明の祖なんて説も >>45
シルクロードを超えてオリエント文明が流れてきて
その影響が中国文明にもある
戦車とか写実的な兵馬俑とか >>45
王都から地方に派遣された切れ者の行政官が
その土地に根付く呪術師や祈祷師の類をやり込めたり粛清したりして
迷信を断つ話が春秋時代あたりに結構あるな >>35
山海経に出てくる化け物の名前やな
世界最古の地理解説本って言われてるやつ、まぁ全部作り話なんやが。
天狗とか九尾の狐とかさも日本の妖怪ですって面してるやつらもこの本で生まれてる それにしてもチンギスハーンの墓はまだ見つからないのかな
この手のニュース見るたびに不思議に思う >>52
日本は西暦1000年くらいまで国営で加持祈祷やってたっていうのにな…
中央集権化も明治に入ってようやくだし、乃木希典は20世紀になっても殉死するし
公文書は改ざんが当たり前だから文書行政は現代でも未達成 豊臣秀吉が死んだとき、古田織部の親父が殉死してまよな >>56
人望を集めて歴史に名を残す優秀な君主「だからこそ」
寿命で亡くなっても部下が大喜びで殉死してしまう事が日中(おそらく韓)もありまえます
忠義とか侠の証明とする文化があるから仕方ないのよ
日本の場合、殉死は美徳というより商い腹やろ
親が主君に殉死するから、かわりに子供を取り立てて貰おうという魂胆やな >>62
森鴎外の小説阿部一族がそんな感じだったな
主君の死に際して勝手に殉死した侍はあいつは忠義者だと加増されたのに主君の命令で殉死しなかった侍があいつは不忠者だと陰口叩かれた上に減封されてそれに不満を覚えて屋敷に立て籠もって藩に反抗して自滅するストーリーだったかと >>61
秦はそのせいで優秀な家臣がいなくなり
一時期衰退してる
>>68
乃木閣下は子供を亡くして、単に世を儚んで自殺しただけらしいで 日本じゃいまだにやってそう
戦時中の特攻隊志願と同じだろ 兵馬俑は身代わりだと聞いた
だからもっと古い時代の墓って事なんかね 人骨の数が記載されてないな
案外、直近に死んだ親戚をついでに埋めたとかじゃねーの >>71
例の自殺させられた地方公務員を思い出すのでNG >>75
夏の末裔は匈奴と言われてるがまあ嘘臭くもあるな インって一番最初の王朝だろ
遺跡があるんだな、すげぇわ父の国 インカのミイラにされた少女は
髪の毛の分析から
アヘン漬けにされてたんだろ
>>80
生贄と殉死は違うやん
インカなら時代も2000年違うし インカ帝国って、日本で言えば室町時代なんだが、なんかやたら古い文明みたいに思ってる奴おるよな イン、シュウ、シンの前に
文明ってあったんだっけ
ファンタージなのか現実なのか
境目があんだろ >>84
一応二里頭が伝説上の夏に該当する遺跡ではないか?とは言われている >>83
夏という王朝があったと言われてるし
確定ではないが遺跡も見つかってる >>20
そうだな。数百人分の白骨が見つかったもんな
40万生き埋めは事実だったと証明されたな 殉死の風習は江戸時代まであった
何度禁止しても命を断つ家臣があとを絶たなかったっていう >>88
中国の作った記録は事実として受け入れられるよな
南京大虐殺の人数もまあ正確なんやろ 中国って尚書とか、夏時代からの資料がずっと残ってるのはすげーよな
他の地域だとなかなかそうはいかないからなぁ
>>91
西洋文化が入ってくる前まではそうやな >>1
数千年前の墓が見つかるのは凄いが
なぜ、殷王朝時代のモノって分かるんだ
殷王朝って言い伝えレベルの話じゃなかったん? >>11
現代人から見たら残酷で異常でしかないけど当時の人間の宗教観とか全く違うからな
殉死したら死後天国で酒池肉林言われてたら当時の人間なら素直に信じるだろうし >>96
地層年代測定
炭素年代測定
遺物の文字
遺物の装束
古文書、伝聞との関係性 (捕虜とかの)生贄はまだしも、身内の殉死は単なる損失だからなぁ。
文明が進歩すれば禁止されるのが当然の流れだわ。日本は随分あとまで残ってたけど。 物証ゼロなのに邪馬台国を事実と確定するジャップに歴史を語る資格なんか無いだろ。 >>97
「中国共産党」ならともかく「中国」という国家そのものを侮辱してるので
運営に通報しておきますね >>103
それだけ中国側の記述に信頼性があるってことだろ
なんつうか頭悪いだろ 伝説だと言われてたけどありました、てガラっと変わったよな殷 >>45
>ギリシャローマみたいにフェニキア、エジプト、オリエントから先進技術仕入れられた訳でもないのに
つかむしろ東アジアでのメソポタミアやエジプトみたいな立ち位置なんだろ >>70
あいつはやらかしまくってかっこつけただけ
鴎外の『阿部一族』は糞野郎が持て囃されてるのを徹底的に揶揄してんだよ そもそも殷だって司馬遷の史記からみて1000〜1500年も前の時代で、室町時代の学者が邪馬台国を論ずるようなもの。清末の実証的な学者たちは「嘘くせーな・・・、伝説を歴史っぽくとりまとめただけで殷なんか存在しなかったんじゃねーの?」と疑っていた。
ところが殷墟の発掘と甲骨文の研究が進んで殷の王統や王名がはっきりすると、それが司馬遷の記述とほとんど一致することがわかって、みなひっくり返って驚いた。 生贄ありきの王朝じゃどのみち滅びる運命は避けられなかっただろうな >>106
面白そうだからwillの動画をチェックとって三振目指そうかな そういえば、乃木大将の奥さんってほとんど無理心中だったらしいな。「私は死にたくない」って抵抗したんだけど、半ばむりやり自殺を強要されたとか。 >>112
日本は卑弥呼の時代に文字あって中国と文書のやり取りをしてたほどなのに
その記録は一切日本には残ってないんだよな
卑弥呼の時代の後に作られた神籠石の記録すらない
異常だよハッキリ言って >>116
弥生時代後期の遺跡から硯が出ることがあるので、文字使用じたいはあったんだろうね。ただ、支配者に仕える渡来人やお雇い外国人の専有物で、外交にしか使わなかったのかも。 >>112
秦の最期の公が子嬰
周の公族に「父」称が多かったのと対照的に
シミュラークル的復古なのか、殷の伝統的な公族の名前には「子◯」が多い
子嬰がいかなる経緯で子嬰なのかわからないが、殷とおなじく東方に公族の由緒があるとされる秦が最期にみせた“殷っぽさ”は興味ぶかい >>110
森林太郎先生も脚気で派手にやらかした割にはかなり持ち上げられてるじゃないすかw >>99
春秋期の中原諸国じゃ既に蛮族の悪習扱いされてたけど >>116
結局さ弥生時代の列島王族たちと
古墳時代のヤマト王朝は繋がってないから
弥生時代の王族たちの記録は回収されることがなかったとするのが
整合性があるんだと思う 人身御供や人身供儀はほぼすべての社会に見られた普遍的現象だからなあ・・・
現代の死刑制度への支持や戦死者・殉職者の崇拝なんかは、そういう普遍的人間性の異なる現れなのじゃないかという気もする。 日本の場合は古墳期には王墓で王と共に埋葬される従者のかわりに
ハニワなどの人型が使われるようになったといってもさ
コレ紀元後400年の話
同じく人型を埋葬した秦の兵馬俑はもちろん紀元前のことで
そこには500年以上の差がある >>122
江戸末期の風俗(社会)画も
歴史的な参考になるのは圧倒的に外国人のスケッチのほうだよ
当時の原住民による数多の風俗画(浮世絵)も引き出しかたを工夫すればそりゃ参考にはなるが、大事なところがほとんど常に缺けてる >>89
>殉死の風習は江戸時代まであった
>何度禁止しても命を断つ家臣があとを絶たなかったっていう
殉死したら忠義の臣扱いで子孫が優遇されたからな
逆に主君の命令で殉死するなと言われてその通りに殉死しなかったらあいつは不忠者よなと陰口叩かれた上に減封されてそれに怒って藩に反抗して自滅する一族を書いた小説が阿部一族 >>2
殉死者の間から粗末な杯が出てきた例もあって
毒を回し飲みした説がある >>128
もともと王族皆殺しなんて
五胡十六国からの風習だし
殺し尽くせるわけがないので東遠の一族は残る
それから日本の明治より前の時代のように
嫁さんも姓を残すので、家も残りやすい 殷すの文明度の高さが一発で理解できるのが
中華チャリオットの存在
これがそのまんまの形で発掘されているのだから驚き
使用されている技術は
「車輪技術」「青銅の高度な加工」
こういうのみると、
同時期の列島の縄文時代を文明扱いしているバカがかわいそうになる 日本もあったように言いたくて仕方ない奴がいるが
日本で殉葬の例って一つも出てないからなWWWWW >>9
死は平等に訪れるから、現世の格差と比べて
我慢できなくなるんじゃね
それに何をするにも他者がやってくれるしそいつらが
なんでも言うことを聞くことが当たり前になってるから
一人だけ死ぬということに対して、怖かったり許せなかったり
寂しかったり違和感があるとか色々あったんだろうな 日本もあったように言いたくて仕方ない奴がいるが
日本で殉葬の例って一つも出てないからなWWWWW >>133
戦車はオリエントからの輸入といわれてる
インダスの紅玉のネックレスなんかも出土してる
商の建設地自体、西方との交易を前提に土地が選定されていたみたいよ 日本も一時期追い腹してたしな
何かメリットがあったのだろう 「阿部一族」で有名な細川忠利の廟所には殉死者たちも陪葬されてるが、そういうのは殉葬には入らないのかな >>128
中国清王朝の子孫なら日本で医者やってるぞ >>140
忠誠心の証明とか、宗教儀式としてとか色々です
文化として数十数百年単位で続いたら、最初の動機付けを忘れて「死ぬお作法」が自体が目的になるまである 日本もあったように言いたくて仕方ない奴がいるが
日本で殉葬の例って一つも出てないからなWWWWW >>137
現代でも大阪の事件の様に一人で自殺するぐらいなら他人を巻き添えにして死んでやるって奴がいるしな あと重要なのが
殷は史記の記述だけではなくなんと遺跡から文字が発掘されるということ
紀元前1700年〜紀元前1000年あたりの遺跡から
文字が出る
この殷から更に夏まで遡って、やっと初めて遺跡から文字が出なくなるが
もちろんそれは全く文字が出ないということではなく
それっぽいもの、刻画符号は確認されていて
文明度も青銅器の本格的使用から確認でき宮殿の規模も凄まじい大きさ
ここで中華は紀元前1900年前まで確実に間違いなく「史実として」遡れるとなる
そこで終わりかといえばまだ遡れて
それが三皇五帝の「黄帝」の時代
ここでやっと中国の歴史は神話と繋がり、
その神話の時代と人間の統治の時代の転換期
日本で言えば神武天皇にあたるのがこの黄帝
この黄帝が存在したとされるのが
紀元前2510年〜紀元前2448年
ここらでやっと、「それまじ〜?」といえる >>126
江戸時代も中国だったら徳川王朝だったんだろうな >>139
技術の輸入ね
もちろん現地で大量に作られているんで
殷の文明度の高さは凄まじいよ >>147
憲政がどうであれ天皇制は一応存続してたので天ちゃん王朝のままです 現代人や倭人に欠けがちなのは
「さらに上位の視点」だよな
羌を無数に犠牲にする祭政一致の邑人がみなす世界のありよう
たとえば殷の祭政観においては、おそらく羌は人類ではなかった
それは商の祭司にとっては「上なる帝がそうみなされているから」だったろう 日本もあったように言いたくて仕方ない奴がいるが
日本で殉葬の例って一つも出てないからなWWWWW 宮城谷昌光の太公望おもしろいぞ
主人公チートだけど 殷の時代の列島はとなると
これはもう間違いなくおなじみのドングリ時代の末期
つまりは気候変動によって縄文人の人口が
それまでの1/3にまで落ちていったその最後のあたり
そりゃモース貝塚で人間食った痕跡が出るわというくらいの末期的飢餓状態 >>11
現代でも、昭和天皇が死んだ時に殉死者がいただろ 日本もあったように言いたくて発狂してる奴がいるが
日本で殉葬の例って一つも出てないからなWWWWW >>156
耳塚とか野蛮な風習はほかにごまんとあるからな
人間動物園で日本は首狩り族を晒してたが、その日本は初代司法卿の首を狩って晒してたというね…
アホすぎて己を俯瞰できないんだろう 伊都国歴史博物館だ
あそこの2階の展示室には王族に殉じて死んでる従者がいる墳墓のレプリカがあるよ 日本もあったように言いたくて発狂してる奴がいるが
日本で殉葬の例って一つも出てないからなWWWWW >>164
頭悪いと損得以外の着想点が想像できないんだよ
それを丸出しだと格好が良くないからなんかでかいのをくっつけてみる
が、ろくに何も知らないので騙されたままだったり幼稚な所信表明をしてしまう >>165
いやおまえさw
おまえのレスには「どっしてそうなのか」が一切なくて
言い切って断定しているだけ
そしてその断定が根拠なき侮蔑表現だけ
そんなのどうしろとw >>166
あんたにじゃない
>>162みたいなアホのことだよ 卑弥呼の墓には奴婢が100人ちょっと殉葬されてるはずなんだよな なんかもうヘアプアがさらに頭おかしくなったようなヤツがさ
この手の話にいっちょカミしてみたいのは
わかるよ?
バカでもいっちょかみして根拠のない否定だけを繰り返すことで
なんか知的になった気分が味わえるとかそういうのなんだろうと
でもさ、そういう根拠なき言いきりの断定による上から目線の態度ってのはさ
それしか取れない時点で
ちゃんとソースや論拠を持っている人間の側からしたら
バカそのものの証明を自分でやっている人でしかないワケ
だからさそんなヘアプアモードは自らバカをさらしているだけだから
やめたほうがいいと思うけど
それが自覚できないからそんなことしてるんだよねw 殉死殉葬の禁止を勅令で出すくらいだから風習がなかったとは言い切れないわな
日本書紀はともかく魏志倭人伝での卑弥呼の記述は重い >>168
殉葬の話はそこに直結するのでめんどくさいのさ >>171
三国志魏史東夷伝倭人条における記述はともかく、日本書紀における殉葬の記述は数が多くしかも具体的
信憑性は比較的高いだろう >>142
順治帝の末裔らしいから傍流の傍流だけどな 日本もあったように言いたくて発狂してる奴がいるが
日本で殉葬の例って一つも出てないからなWWWWW >>1これの一枚目って
真ん中のが頭蓋骨だとするとその大きさからタカラガイの中でも大きい、
ホシダカラ貝とかあのあたりのヤツだよね
それが内陸部でこんなにゴロゴロってことだけでも
その権力がすっげぇことがよくわかる 日本の歴史云々以前に、現在の捏造した上にその記録さえ残せない日本の政府が恥ずいわ 権力者や主人の死に際して、使用人および配下の兵士たちは「志願」して共に死んだとありますが、実際にどんな心情だったかは分かりません。
つい最近まで日本でも殉死してたんだw >>96
かつては殷も伝説扱いだったけど殷墟の発見で殷王朝の実在は確定してる >>108
司馬遷が変態すぎるんだよ
チンコの恨みは恐ろしい >>176
いい視座だな
くわえて、殷の宗族ないし枢要を担った邑が東方の沿海と密接だったことも 曹操高陵の発見も面白かったな
まず五胡十六国時代の後趙の将軍の墓誌が発掘されてそこに「魏の武帝陵の西北から西に43歩、更に北に250歩進むと魯潜墓の明堂に辿り着く」と書いてあり、それを元に発見に至った
文章でここまで明確に記録されてるのは凄いわ
同じ時代の邪馬台国が何処なのかも分からない日本とは大違い >>40
多分な
宮廷ごとあの世に引っ越しという感覚だったんじゃないか >>179
明治時代の終わりに乃木将軍が殉死してる 昔の中国ドラマの「東周列国 春秋篇」ってやつの一話の初めに殉葬シーンがあって見るとなかなか面白いよ
YouTubeにあるから 日本の歴史が記録が残っていないのは
あきらかに外部の勢力の人間たちが日本に入り込み
完全に乗っ取り過去の歴史を消し去ったからなのでは?
その末裔たちがいまでも都合の悪いことは記録ごと消したり改竄を平気でする文化になったとか? >>190
文字で歴史を残す文化のほうがまれなだけです
地中海沿岸や中国の日記マニア文化のほうがマイノリティで
中央アジア、南北アメリカ、極東ジャップランドと文字がない文化もたくさんあります >>190
そもそも中国から文字借りる前は歴史記録なんてもんないじゃね?
文字あっても碌な史書残ってなかったけどね >>184
神仙界に転生!って考えたらラッキー以外の何物でもないよね
殉死は偉い人にお仕えする者の特権で役得だったに違いない
靖国神社に転生!には殷の子孫みが濃い
なろう小説も実は直結してそう >>191
>>>190
>日本書紀にその痕跡があるな
蘇我氏滅亡の時にそれまでにあった歴史書がほとんど焼けた!
あー残念だな〜って記事があるのが怪しいなw >>191
日本書紀のような偽書に残ってても意味ない
つーか木簡が7世紀に数十点みつかって8世紀台になると数万点に登るからもうそれまで文字すらない土民たちだったってのがまるわかりだろ馬鹿w >>194
殉葬には犬を用いることが多い
人にせよ多くは首がない。生首切られてんだよ
そしてヒトでは羌が非常に多い。祭祀に人間が使われる例でも羌が大半
羌は殷に属さない異民族であって、その犠牲の多さから羌族狩りが恒常的になされていたとみられる
捕らわれたうえに殉葬に用いられた羌の人たちがそれを名誉と考えたとはとても思えないな >>197
その殷周革命の実態はその生贄にされていた周辺民族が団結して殷を打倒したという説があるな >>156
だいたいテストの選択問題とかで
「〜の例は一つもない」とか書いてるのは間違い選択肢って習った >>197
インの人にとって羌人は牛羊と似たようなもんやし
人であるから牛羊より高級?な感じ
属国の使者を歓待するために何人もの羌人が宴会料理として食われた甲骨文記録があったな >>196
なんで偽書って断定できるの?
安倍が公文書改竄したからだああああああってのは根拠にならないぞ >>196
実務での使いはじめは難波宮あたりよな
アンデスの例もある通り文字が無いから土人てわけでもないが >>203
また歴史観が浅いのに東亜ネトウヨコテがやってきたのか
義経でも会ったな
いいか?
秦の始皇帝の焚書坑儒てのは
具体的には、儒教の中でも易経と呼ばれる占い部門で
専任者の二人が外しまくって、合理主義の始皇帝がキレて責任追及されるのが怖くて逃げたことで
残りのものも連帯責任で罰したに過ぎないんだよ
儒教弾圧の話は、後に創作された要素が多いわけ
始皇帝がそもそも完全に儒教を軽視して無視してたら泰山で封禅の儀なんかやらないわけ
ただ焚書に関しては、かなり史実だけどな
諸子百家で、秦帝国の体制にあわない史書はかなり焼かれた >>205
後の漢の儒家の大物叔孫通とか
始皇帝→胡亥→陳嬰→項梁→義帝→劉邦というエクストリーム仕官してるもんな
別に儒家だからと始皇帝は冷遇してる訳でもない
ただ焚書はマジ物で
そのせいで史記は戦国七国の年代合わせる年表オマケにつける必要が出てきた >>57
何言ってんだ
それどころかB29に連日空襲されながら、敵国調伏法でルーズヴェルトを呪殺できたって喜んでたじゃないか >>207
それでもそれを逃れた書物が出てくるのが凄いな
最近も史記にさえ乗ってなかった秦の始皇帝の
に関する記録が見つかったと聞いたことある >>200
捕虜を去勢するのが宦官の起源という話もあるよな >>192
インドなんか5000年前から高度な文明が存在するのに
歴史記録はほとんど無い
インドには歴史を記録する文化が無かったから
インドで詳しく歴史が記録されるようになったのは
歴史記録を重視するイスラム文化が流入してからなので
インドでは過去1000年ぶんしか歴史記録が無い >>211
西洋でも古代には去勢された奴隷がたくさんいたからな >>212
そのあたりよく知らないが、すくなくともメルッハにも文字はあった
契約もディルムンや西側相手には交わさないと成り立たないだろう
ただ、文字は解読がなかなか進まない >>214
字があっても歴史を記録する文化が無かったら歴史なんか記録されへんで 大阪のビル放火やこないだの医師射殺とか最近やたらと心中事件が多いが
こんな古い時代からあることだから仕方がないよねw NHKでやっていたが殷の国は特定の民族を生贄として徴用していたみたい
謂わば人間牧場があったのだ >>217
それが上の方で話に出てる羌族だろう
俺が見た番組では、先祖の霊と交信する儀式か何かに羌族の頭蓋骨が使われてたと言ってたかな >>218
なるほど今ググったけど秦氏とかもこの末裔なのね
日本へ文化をもたらした渡来系民族か実質今の日本文明はこの渡来系によって確立されてるね >>219
近畿に渡来系の遺伝子が多いって言うから
大和王権を作ったのは渡来系民族だな
まあ昔からこんなん言われてるんですけど 落石の計流木洪水の計などなど
自然を使った人間押し流し&生き埋めなんて腐るほどやってるだろ
ある意味文化だろ
今だって爆破埋没は当たり前なんだし >>221
平安京が出来るころの京都は秦氏勢力圏って言われてるね
大化の改新以前の奈良は葛城氏が最大勢力とも 今ググったけど大化の改新ではなく雄略朝期に葛城氏は没落するんだ
葛城氏は日本の正史の中では歴代天皇の后の一族として出て来るけど
これが天皇に成る必須条件ぽいのに記録が余りに少ないので渡来系と言われてるよね インドの場合、民族性・文化のみならず、高温多湿な地方は記録が残りにくいというのもあったんじゃないだろうか
でも、中国は、史官の存在とか考えると、他国と比べても特に熱心かもしれない インドやギリシアとか同じ時期に一斉に思想が勃興してくるのは不思議だよね
でっ最初の哲学が「無より有は生まれない」というのも不思議
ギリシアはピタゴラス教団は輪廻転生派だけどインドほど輪廻転生は流行らなかったね
天国の様なユートピア思想の方が大勢 記録が少ないのは 当時の渡来系以前から支配者だったからでは 古代史ってフロンティア感があって面白いね
九州に都督(中国の支店)があって継体が攻めて日本を独立させたみたいな説もあるね(磐井の乱) >>226
ギリシャって言うほどユートピア思想かな?
そういうのは英雄がいくエリュシオンくらいで死者の世界は暗いとこってのが一般的じゃね
密儀宗教でも復活のモチーフはあったようだけど極楽浄土的な印象はない どっちにせよ日本も行き成り文明国に成ってることを考えれば何か大きな文明からの影響があっただろうね >>229
そうなんだなんか日本の黄泉の国に似てるね そう言えば手話が出来るゴリラに死んだらどうなるか聞いたら「暗い穴の中に入って寝んねする」って答えたらしいね
現代人も多くが「無」って答えるのが一般的だし天国地獄概念もイスラム教からでキリスト教は基本
復活しない死者は永遠の闇の中で過ごす感じだね >>181
宦官もだけど、切られたのはタマの方な。
チンポ切ったら出血で死ぬだろう。 >>233
玉だけじゃなくてチンポも切って尿道塞がらないように細い竹管突っ込んでおくんやで。激痛と感染症でそのまま死ぬ奴も多数だったとかね。 >>232
美しい答えだと思う
身体は腐敗する病原になるけれど、それとて生命あってのことだ
聖書に言うとおり「神は人間をまっすぐに造られたが、人間は複雑な考え方をしたがる」だ
三位一体だの(ムスリムはだからこれを無視した)地獄云々だの(宗派によってはこれも無視する)もそうだろう >>235
「報任少卿書」を読むたびに心が震える
他人のために皇帝の怒りを買ってチンポを切られ、死よりもつらい恥辱のなか後世のために歴史を廉直に編みあげようとしたその心に >>217
羌族の話は封神演義(漫画晩御飯)でも出たなぁ
太公望が羌の出身で 漫画晩御飯ってなんだ間違えた
漫画版と書きたかった 姬發の嬪とされる邑姜の「姜」(斉の公家)からもそうだろうな
殷の名前の生成規則で、女+族名なのよ※
たとえば、実際に遠征を指揮した記録も残る「婦好」は「子」族の女という意味。この「子」は大邑商(殷)王室出身のこと。つまり「婦好」はリアル姫将軍だった
ここから推察できる通り、羌+女で「姜」
つまり羌の女を武王は娶ったわけだ
ちなみに周王室の姓とされる「姫」から察するに、武王や文王の家は殷王室からは「臣」と呼ばれていたのかもしれない
※漢字の「姓」がなぜ女偏なのか、直接には周の氏族制度が由来だけども殷時代の嬪の字の生成規則からも説明出来るんじゃないかな 生贄文化が復活すればケンモメンも活躍できるのにな。 夏王朝が伝説上の存在にされそうです
ただ夏やインの前から人間は住んでたはずでたまたま証拠が見つかってないだけだと思う
どこから国家でどの規模から王朝かなんてナンセンスな議論だから、ただただ証拠を集めるだけです 中国の土では残るんじゃね
日本の酸性度の強い土だと残るのは稀 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています