日本史上で最高の政治家→源頼朝らしいな [399259198]
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『鎌倉殿の13人』で石橋山にて源頼朝惨敗! なのになぜ富士川の戦いでリベンジできたのか。関東制覇を果たす源氏と、平清盛を失い木曽義仲にも敗れた平家の都落ち 「合戦」でわかる!鎌倉殿・第2回
22年1月からNHKで放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。平安末から鎌倉前期を舞台に、小栗旬さん演じる北条義時、大泉洋さん演じる源頼朝ら、権力の座を巡る男たち女たちの駆け引きが三谷幸喜さんの脚本で巧みに描かれて人気を博している。
本連載では源平の争いから鎌倉幕府誕生まで、その行方を左右した「合戦」を中心に、歴史をひも解いていく。第二回となる今回は、石橋山で平家方の大庭景親、伊東祐親らに惨敗した源頼朝が復活し、関東制覇を決定づけた富士川の戦いについて。
◆諸国の武士が次々に蜂起!源平合戦はこうして始まった
平清盛による後白河法皇(ごしらかわほうおう)幽閉後、京では平氏への不満が募っていた。
治承(じしょう)4年(1180)、後白河法皇の子・以仁王(もちひとおう)が平氏討伐の令旨(りょうじ=皇子や皇后の命令書)を全国の武士に発した。
この謀反はすぐに露見し、王に味方した源頼政(みなもとのよりまさ)は滅ぼされたが、京の防衛に不安を覚えた清盛は、急遽、安徳天皇(あんとくてんのう)以下、法皇や平氏一門を連れて摂津福原(せっつふくはら=神戸市)へ向かう(福原遷都)。
しかし、平氏の独裁政権に対する反発は急速に高まり、8月に伊豆国(いずのくに=静岡県)の源頼朝が挙兵したのをはじめ、信濃国(しなののくに=長野県)の木曽義仲(きそよしなか)、甲斐国(かいのくに=山梨県)の武田信義(たけだのぶよし)など諸国の武士が次々と蜂起し全国的な内乱に発展する。
治承・寿永(じゅえい)の乱(源平合戦)の始まりである。
◆一度は大敗しながらも勢力を拡大した頼朝
中でも、急速に勢力を拡大したのが関東の頼朝であった。
伊豆の代官を討って緒戦を勝利した頼朝は、石橋山(神奈川県小田原市)の戦いで大敗したものの、房総半島にわたって急速に勢力を拡大。三浦・小山・千葉・上総・畠山など有力豪族を従えて、わずか1カ月で南関東を制圧し、相模国鎌倉(さがみのくにかまくら=神奈川県鎌倉市)を拠点として武家政権の整備に着手する。
事態を重視した清盛は、新都の建設のさ中、平維盛(これもり)を総大将とする遠征軍を東海道に派遣する。
しかし、平氏軍が駿河国(するがのくに=静岡県)に着いたとき、同国の平氏方武士はおろか、石橋山で頼朝を破った相模の大庭景親(おおばかげちか)や伊豆の伊東祐親(いとうすけちか)の軍勢も壊滅しており、遠征軍は完全に孤立してしまったのである。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fd0d878b9a381b9edf78374bf39baa549c910555 スペアの分家と、現代にまで繋がる官僚制度を整備した家康が最高峰だと思うが
頼朝なんて自分の死後わりとすぐに嫁の実家に政権乗っ取られたマヌケじゃん 魔物呼び出すような独裁者じゃん
平景清がいなかったら日本終わってた 当時ってなんでもかんでも京都が中心って世界やん
鎌倉で「日本の舵取り」ってことまで考えてたのかな?
なんか最初は「全国の武士の労働組合は鎌倉でやるからヨロシク」くらいの感覚じゃないのかな
で、全国に守護地頭を置いたら、日本の舵取りって流れになってた、みたいな 桂太郎
対外戦争でロシアに勝利日英同盟から桂タフト協定まで
戦争前後の環境整備きっちり敵が国内とは違うから 足利義満だろ
ただ、源頼朝も足利義満も後々、紛争の種を撒きまくってのしあがった感あるから、の血の人たちは迷惑だっただろな
そういう点も含めると徳川250年創った家康が最高峰だわね 頼朝みたいなチンケな独裁者を最高の政治家って褒めるなら、ロシアでスターリンが評価されてる事に日本のネトウヨどもがイチャモン付けるのは筋違いも良いとこw ヒロヒト
偉大なる国、アメリカ合衆国の植民地に導いてくれた 覇権後も都に入らないというのはなかなかの見識。家康も参考にした…だろうか >>9
それこそ承久の乱がきっかけじゃないの
あれで幕府が朝廷に介入しまくりで南北朝分裂のきっかけにもなったし 鎌倉13人は意外と頼朝の実像っぽい感じが演出できてるよな
なんだかんだ結構面白い
直虎よりは上だわ >>23
やっぱりあれって頼朝がある意味主役だよな
義経と会う辺りや死後がどうなるか気になるなあ >>14
いないよねえ
男子が生き残らなかったのは仕方ないとこがあるけど
大姫・三幡が結婚前に死んでしまったのが大きすぎる
一族が滅亡しても、ふつうなら、ここらで子孫が残るのにね >>22
棟梁なんて大道だけ示して後の細かいことは「よきにはからへ」でいいんだよ。 頼朝「よーし京目指すぞ」
千葉「まず関東を固めろや」
頼朝「……はい」
貴人らしく視野が限定されてて、最高っていうには無理がある (厩戸皇子)
平清盛
源頼朝
北条時宗
足利義満
織田信長
豊臣秀吉
徳川家康
大久保利通
伊藤博文
・・・のいずれかじゃねーの? おかしいな?スレタイに政治家てあるのに安倍晋三の名が一つしか来ないなんて
もっと湧いてるかと思ってた 善政という観点なら
醍醐帝、村上帝
酒井雅楽頭忠直
上杉鷹山
とかいろいろいるな 蘇我氏を真に過去の物とし、平安時代を開いた偉大な男。
藤原冬嗣とどちらが本体かは判然としない。
ついでに弘法大師なる怪人も手下に居る。 >>6
頼朝も家康みたいにもうちょっと自分直属の譜代家臣団いれば違ってたと思う
あまりにも徒手空拳すぎる 平家への追撃が完全に狂気。
なんであんな場所に人が住んでんだよ。 仁徳天皇とか上杉鷹山とかは清貧のイメージだけど最高の政治家かというとわからない 徐々に朝廷から権威権力を奪っていった武士の努力を無にした薩長はゴミクズ 聖徳太子は宗教的なエスニッククレンジングをやらかしてる。 歴史にIFはタブーだけど義経にあれだけの軍才が無かったら
頼朝も雲散霧消してたのだろうか 実績では池田勇人
巨人、吉田茂
知性では石橋湛山
ドンなら岸信介
記録では安倍晋三
だが… >>56
いや、そもそも平家打倒自体範頼が西日本の動員頑張ったりとか軍船調達頑張ったり
とかそっちの貢献も結構あるので時間は余計にかかったかもしれないけど、対して変わらなかった
と思う。ただ下手に義経が目立たない場合、奥州追討の名目がないので奥州藤原氏は生き残ったかも By the 武士 Of the 武士 For the 武士で、
武士は当時の武装農民だとすると、貴族支配を否定し
人民による人民のための人民の政治のリンカーンに通じるところあったかもね。
当時の田舎に拠点かまえて京都の権威を取りに行かなかったのは日本の歴史で他に誰がいたのか >>14
竹の御所(鞠子)が死んで完全に途絶えた
頼朝の直系はいないけど頼朝の実の姪から今の天皇まで続いてる
それですら頼朝の近親の血脈としては貴重 >>62
阿野家の末裔はいるみたいだけど百姓に紛れた説 >>65
確かに
藤原仲麻呂も評価低いよな
やりたい放題したのに 清盛「可哀想だから流刑で済ませとくわ」
頼朝「一族郎党皆殺しで」
あのさぁ 特異な政治家とにしては
古代は弓削道鏡
一介の僧が天皇と同格まで昇りつめたのはスゴイ
中世は北条時宗
大国との戦争を守り切ったのは大きい
近現代では鈴木貫太郎と菅直人かな
国家滅亡の危機に対峙した政治家は先の時宗以外にこの2人しかいない >>68
そう思わんでもない
でも、義満はよく考えると男系男子だからw マジレスするけど戦国武将なる概念自体、東大幕府の洗脳教育だから。
現状に照らして見れば、ヤクザとシマ、みかじめ料の関係。
それを考慮しなければ、信長の比叡山焼き討ちの意図が理解できない。
頼朝だって当時の単なる豪農だぞ。 大江広元の入れ知恵だろうが
義経討伐を名目にした守護・地頭設置はエグい 頼朝にしろ家康にしろ
日本史で関東土人のラッキー勝利がほんま許せん
死んだらいいのに >>40
ロシアでスターリンが人気ってスレ立つと、ネトウヨがキチガイみたいに荒らしに来るぞw
ロシアにとっては、単なる独裁者じゃなく、誕生間もなく世界から孤立してた、貧しく発展が遅れた農業国家ロシアを
近代的な工業国家ソ連に短期間で発展させ、侵略してきたナチスドイツに、ナポレオンの時みたいに撃退じゃなく
完全勝利して亡ぼし、その後アメリカと並んで世界の半分を支配する世界史上でも数少ない覇権国家に押し上げた
歴史上の英雄中の英雄だろ。世界史上でも覇権国家なんて、古代ローマ、モンゴル帝国、大英帝国、米ソ、このくらいだからな。 >>58
似たようなポジションから唐の太宗が玄武門の変で
兄弟殺して貞観の治達成したけど記録盛ってるとはいえ
能力値が違いすぎるな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています