【悲報】日本史最強の名将・豊臣秀吉「明国を攻めるぞ!まずは手始めに属国の朝鮮を潰せ!」→ボロ負け撤退 これ何だったんだ・・・? [661852521]
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まず冒頭から疑問なんだがこいつ本当に最強の名将なのか? そんなに気軽に海越えて攻められるなら日本は鎌倉時代ぐらいで終わってるんじゃね? 朝鮮人に勝てるわけねぇだろw
身長体格すべてに劣るのに 日本統治時代がどうとかいう半島はたくさんの島であって北極圏の北方諸島や南極圏の南方諸島の諸勢力だぞ。 日本の侵略がどうとか日本に統治されたかどうかという漢字圏は北極圏の北方諸島や南極圏の南方諸島の漢字圏の諸勢力だぞ。 貿易のため明人を配下に置いていた薩摩が乗り気じゃなかったしな 誰か春秋戦国か楚漢戦争か三国志に例えて教えてくれ
日本の戦国時代のはいまいちよく分からん いつも思うんだけど
なんで加藤清正はあんな北東に向かったんや?
北京はそっちやないやろ 御褒美不足やろ。朝鮮半島切り取り放題って言っとけば遠征軍も張り切っちゃうぞ! 日本って歴史上韓国に勝ったことあるの?
古代から何回もボロ負けしてるよね? 朝鮮の民衆の支持を得られなかったのが痛いな
耳とか鼻とか削いだりとかそういうのはやらないほうが良かったんじゃないか? 統治とか絶対無理だし派遣された武将もモチベーション低そう
腕試しと名声上がれいいな位じゃない 徳川家康を遠征させられない時点で
武将の戦闘力を落とす策
みたいな説も無理筋だよな 朝鮮は明と同盟してるんだから
仮想敵がおらんからね
内乱もないし
軍事力をそろえておくだけ無駄 対馬「朝鮮はうちの服属国です」
秀吉「じゃ連れてこい」
対馬「お願い来てください」
朝鮮「天下統一のお祝いでよければ」
秀吉「よく来た、朝鮮に明攻めの先鋒を命ずる。道案内いたせ」
朝鮮「なんだ?攻めて来たぞ」 ヌルハチからの協力要請をのんでいれば、
史実よりもあっさり倭猿軍を叩き潰せたろうに余計なプライドが邪魔したな 総大将が宇喜多と小早川の時点で統率とか支配とか無理だろ
秀長死んでなくて総大将になってれば少しは違ったかもしれんが
その場合出兵自体止めてたかもしれんし 石田三成あたりの官僚的な武将もやる気なかったからなあ 20日で首都落とされるとか
いくらなんでも弱すぎて朝鮮ヤバい
ちなみに今ググったら公安の役は
約2ヶ月かけて博多湾上陸失敗
普通はこうなるよな しかも負けた相手が明王朝最低と評される万暦帝だからな 直接寧波に侵攻する計画もあった
補給の関係で朝鮮経由となった 朝鮮支援の為の戦費調達で増税したから国が疲弊して
女真族の侵略を許して滅亡したので
秀吉の出兵が結果的に明を滅ぼした >>35
当時の資料みる限り割と本格的だったと聞くが 朝鮮は攻略したぞ
明の援軍が来てからグダグダになった 朝鮮出兵と名付けて
なんとなく道の朝鮮を落として成功したような印象操作してるけど
作戦目標は明侵攻なんだから完全に失敗だよ 秀吉があと1年長生きしてくれたら
朝鮮を完全に滅ぼせたのに
もったいない
家康みならえカスゥ >>1
>>22
どっちかつうと朝鮮が侵略失敗してる回数のほうが断然多い。
朝鮮側が勝てたのは中国の支援がついた時ぐらいだな。
当時の明は万暦帝が引きこもってしまい国内が混乱していてチャンスだったが
何故か朝鮮が日本に負けたら、突然、奥から姿をあらわし朝鮮支援を命じた後、また引きこもった。 つーか晋三みたいに種なしなのが一番の欠格事項
こんなもん天下人目指しちゃいけない
死んだら荒れるにきまってる 何で、国内に置いておくと裏切りそうな強い武将を最前線に配置しなかったの?
家康を最前線に置いておけば良かったじゃん? 文禄の役では明とポーランド分割のように別けあえなかったんかな? >>2
少なくとも当時最強と見なされていたのは事実じゃないかな 何で占領しながら戦わなかったの?
奥へ奥へと戦い続けてもいつかは力尽きるのに いくら何でも明とは国力違い過ぎるしな
でも皇帝がケンモメンとかいうくっそ異常事態だったからワンチャンかけたのかもしれない >>21
ボケてないやろ
フロイス日本史によると
倭寇から「中国兵が弱い」という情報を得たので
秀吉は野心を持ったように書かれている
しかし倭寇が戦う中国沿岸部の中国兵と
最前線で騎馬民族と戦ってる精鋭である中国東北部の中国兵とを
同一視したのが間違いだったようにフロイスは指摘している 国内の口減らし派兵が理由って
宣教師が言ってた
無茶苦茶な北上進軍ややたら強行な外交交渉は
戦争を丸く収める気が無いと思うね いかに統治するかだよな
言葉 通じない
異文化の統治経験 ない
宗教 別
無理ゲーだな 和平結ぼうと嘘ついて日本だまし討ちしてそれで敗北した朝鮮の将軍が
最高に韓国人らしくて笑う
ちなみに日本側の大半は秀吉の命令でイヤイヤ出兵
島津とか家族への手紙に実に馬鹿げた戦争だと書くぐらい 東大出の次に頭がいい大本営参謀 「次は満州を分捕るぞ!ジャマをする米英撃滅せよ!」→ボロ負け無条件降伏、そして軍人恩給を満額受給 >>44
明は朝鮮まるごと自分の臣下だと思ってるのに分割もクソもないだろ 北朝鮮は国土の多くが山岳地帯で
冬の北部は平均気温が氷点下である
厳冬期に合戦をする風習のない日本兵はさぞ凍死しただろうな 意外とみんな知らないんだけど、出兵の直接的な原因になったのは対馬の宗氏がちゃんと外交の取り次ぎをしなかったかららしいね
偽書をでっち上げて秀吉に送るとか朝鮮に送るとかめちゃくちゃやらかしたっぽい 朝鮮は当然として明も相当
戦下手だよな
日本軍が城つくって引きこもってるのも相当ナメプだと思うけど
侵略軍が引きこもってる内に防塁でもつくって防備かためるべきだろ
何で城に突撃して大敗かますんだ?
バカなのか?
たまたま秀吉死んだから良かったものの
秀吉死ななかったらどうするつもりだったんだろう
打つ手ナッシングじゃん なおヌルハチは総人口僅か60万人(尾張の国と同規模)の満州族を率いて
サルフの戦いで一夜にして明の全軍を壊滅させ中国東北部を制圧してしまった模様
それが本物の名将ってやつだよ、ジャップくん >>30
秀吉が秀次を朝鮮に派遣しようとしたのを知らないの?
まあフロイスによると秀次は「秀吉は自分を朝鮮に追放しようとしている」と疑って
行かなかったんだけど
ja.wikipedia.org/wiki/豊臣秀次#確執説
ルイス・フロイスは1595年中に秀次の死という一大事をヨーロッパに伝えたが、その際に独自の分析から事件は太閤と関白との不和から起こったものであるとして原因を三つ挙げている…第二の理由としては秀次が再三促されながらも朝鮮出兵に出陣しなかったことを挙げ 朝鮮そのものはクソ雑魚だったじゃん
明が軍隊を送り込んできたことで劣勢になっただけで >>61
遠征軍なんて城に引きこもって時間立てば補給が出来なくて勝手に自壊するから包囲して放置が正解だろ。 宣教師ルイス・フロイス
↑
コイツはなんなの?
何でもかんでもお見通しですよみたいな後付けコメントばっか残してるよな まあ当初は本気で征服しようとしていたみたいだが
途中から秀次が心配した通り、「厄介払い」と化してんだよな
秀次だけでなく毛利、伊達など
後の秀次切腹で疑いをかけられた連中まで
朝鮮出兵に参加させられている
特に毛利は戦後、朝鮮に移封させようと秀吉は考えていた
秀吉の遺言では五大老の中で毛利がないがしろ気味になってたりと
毛利は脅威に見られていたみたいだな
後の関ケ原で毛利があっさり大阪城を占領できたことを考えると
徳川より警戒すべき相手だったんだろう 秀吉は後継者がダメだけど
ヌルハチはホンタイジドルゴンドドアジゲってひとかどの人物がいるから
ドルゴンの死は妖しいけど豊臣とはレベルが違いすぎる >>72
天皇の関白だったからね
天皇好きな奴は秀吉好き多い 秀吉って、「日本国王」に不満だったの?
勘合貿易を認められたり、朝鮮南部をもらえたら、冊封を受けたんじゃね? >>39
これをわかってないやつが
日露戦争も勝利っていうんだよね 沿岸部から侵攻して内陸部に大部隊を送り込むって無理ゲー過ぎない 海上の兵站輸送を舐めてたから
これは元寇フビライも同じ 十字軍はボロクソに言われてるけど200年ぐらいあんな遠いところに張り付いてた
たった数年であきらめるってヘタレすぎる
せめて30年ぐらいは南端で頑張るぐらいやってほしかったね >>82
名古屋ー釜山の輸送が脅かされて
支障が出たことはただの一度もないけどな
だからすぐ出兵できたしすぐ撤退できたわけで >>84
釜山にだけ兵糧送っても意味がないんだよ
その兵糧を前線に運ぶのは海路でないと無理だから
でもって朝鮮の制海権うばって前線への輸送を確保できなかったから負けた >>81
日中戦争でも結局内陸部は線でしか侵攻出来んかったからな。面での支配の難しいことよ。 >>85
開戦3ヶ月後の閑山島海戦で負けたあと秀吉が水軍の西進を禁止したんだよな
朝鮮の役は事実上そこで終わった >>1
ボロ勝ちだけど?
在日が必死に歴史改変しようとしてるの? >>85
日本は元々水上輸送に兵站頼ってないから
陸上輸送で問題無いぞ
関ヶ原まで水上移動したとでも思ってるのか? 明を征服してないじゃん
ボロ負けで確定
異論は認めない >>89
釜山に積み上げた30万石をソウルまで運べてから言ってくれませんかね
そしてそれが技術的に可能だったのは水上輸送だけだった >>89
日本国内なら農民は現地調達にも応じるからな
異国の民だって同じだと勘違いした つーか基本的には現地調達だからな
ナポレオンの時代でも後方からの兵站だけで賄うなんて無理だったし >>90
秀吉が国元で死んだから撤退しただけ
>>91
秀吉が国元で死んだから使う前に撤退しただけ >>94
「領主様が代わるだけ」と「異民族が攻めてくる」ってのは違うよ
欧州だってモンゴルやオスマンの攻勢にはこの世の終わりが来たくらいに抵抗した >>94
同時代の八十年戦争でスペイン軍は策源地ミラノから戦場のネーデルラントまで
陸路で兵站線を繋げている
馬車と整備された街道がそれを可能としたが日本と朝鮮にはそれがなかった >>95
アホか
兵糧不足でソウルから撤退したときは秀吉はピンピンしてたぞ 信長とか信玄とか謙信とか氏康とか元就の方が強いんじゃねーの?
手取川で謙信を前にして敵前逃亡してる時点で、謙信の方が秀吉より強いだろ。 >>99
そんなこと言ったら小田原落とせなかった謙信より
落とした秀吉のほうが強いだろ >>85
朝鮮に港もないのにどうやって
船で運ぶんだ?
その俗説うそだろ
寧波落とすなら分かるけど
常識的に考えて船で送るわけねーじゃん
連絡手段は当然なくて道も分からないのに
どこでどうやって前線部隊が補給船とランデブーして敵の中で受け取れるんだよ
あり得ないだろ
略奪した方が早いし
たった20日で首都陥落してるのに
それとも朝鮮の首都っていうのは食料の備蓄すらないのか? 本能寺で信長が死んだあととはわけが違うんだから、秀吉が死んでも後を全権引き継げる人間が居ないとね
よぼよぼになっても後継を明確に出来ずトップに居続けたから、先を見据えた戦略がおろそかだったり、
成功不成功以前に途中でやめることになったんじゃん >>33
>>41
皇帝自身はともかくとして、明代の経済・社会・文化のピークは万暦期を含む明末こそなんだが。
軍事技術においても、ヨーロッパや西アジアの新式火器が導入されて明初なんぞよりは格段に発達している。
明末の経済・社会・文化の成熟は、中国内での硬直した朱元璋体制の変容・解体と、
地球規模での交易ブームが絡み合って起こったものだ。
「日本が明を征服する」チャンスとなるのは、明初の洪武〜永楽期が当てはまるのではないか?
元末以来の天災や戦乱(靖難の変での戦乱も含む)からマトモに立ち直っておらず経済・社会は貧弱で、
火器もさほど発達していなかったから小国日本でも勝てる可能性が高いだろ。
近世にあたる明代(とりわけ明末)は民衆に関する史料も多く残されており、
それらを用いた研究も豊富にあるにもかかわらず、
「広大な版図、膨大な人口からすればちっぽけな存在である皇帝だけに着目すれば明代史がわかる」、
かのような見方を広めた某スレの弊害は大問題だな。 ロシア攻めたドイツと同じ
冬になって凍傷や凍死で大ダメージ >>101
文禄の役は漢城、今のソウルに日本軍主力が集結したけど兵糧が滞って兵士が大量に死亡して撤退したんだよ
この場合漢城まで兵糧を送る手段が航路しかないという話ね。陸路が事実として無理だったんだから。
当然略奪もしてるよ。
帯同してきた荷駄を含めても、首都占領の半年後の11月頃から兵糧が滞り初めて、その対策として秀吉はお粥にして量を増やせと指示
翌年1月には兵糧が途絶。
3月に残り兵糧が一ヶ月分しかなくなったので、現地大名の独断で講和交渉に入り朝鮮南端まで撤退 日本は狭い範囲の制海権を保つくらいの海軍力しかなかったし
大軍の兵粮を500km先まで送る陸運の兵站技術もなかったので
明の征服はどうあがいても無理ということだね。江戸時代でも無理だろう
遠征能力の問題だから鉄砲の火力の優劣とかにこだわると本質を見失う そもそも現地の地形やら天候やらはどのレベルで把握されていたのか >>1
見た限り侵略者に国を縦断されているようだけど あのまま中国領内に攻め込めてもクソ寒い中国東北部で野垂れ死ぬだろ チョンは何でいつも負けてるの?やっぱり劣等民族なの? https://i.imgur.com/ySS8WC9.jpg
この画像の釜山からソウルまでの赤い線と青い線が日本の進撃路で、その線の上の城が日本軍の駐屯地
最初は城と城のあいだを数kmごとに陣地をつくり繋いでたが、朝鮮のゲリラが活発化とともに、各城に集結
半年後には城同士の連携も機能しなくなり、輸送も不可能に 朝鮮一つ落とせない戦国オールスター軍団w
サムライ笑 https://i.imgur.com/cuHUgIO.jpg
文禄の役において明軍の兵粮は朝鮮の負担だったわけだが
平壌と開城に駐留してソウルの日本軍と対峙してた時、朝鮮北部だけで明軍全体の兵粮をまかなうことは不可能。
どうしてたかいうと、朝鮮で最も肥沃な穀倉地帯を日本軍は攻略できなかったわけだが(ピンクのところ)
そこから船でソウルを素通りして開城まで輸送。日本軍は船がないのでそれを阻止できない。 >>102
晩年は痴呆で訳がわからなくなってたのだろうな
で下の人間が神輿担いで好き放題っていう旧共産圏末期みたいな状況な感じ 加藤清正「うおおおおおお北朝鮮で虎退治するぞwおい治部兵糧がないぞ」
石田三成「一人でそんなに突出したら兵站もつわけないだろ…」
豊臣秀吉「清正はバカ、治部はようやっとる」
加藤清正「治部に嫌がらせさせられたわみんなで潰すぞ」 国内最大戦力にして一番勢力削がなきゃいけないはずの家康を送り込めなかった時点で完全に耄碌してたとしか言いようがない どのみち明まで攻め込むってんなら制海権取れないと話にならないよね
朝鮮を支配下においた上でなら、陸路でも攻めて行けるのかもしれんけど
その穀倉地帯や途中の経路を制圧できてなくても、首都さえ落とせば降伏すると考えたんかね >>116
なるほど
一番大事な所を避けてたのか
これじゃ韓国の山の中を歩きに来ただけじゃないか >>21
>>26
朝鮮に関しては秀吉の部下が国書偽造して開戦だからな
不意打ちみたいなもん
加えて戦闘経験もない太平の世で平和すぎた アレクサンドロス大王「ギリシア・エジプト・ペルシア・インドまで征服しました」
チンギスハン「史上最大の帝国を作りました」
ナポレオン「ヨーロッパを征服しました」
侍オールスター「ちょ・・・朝鮮が取れなくて逃げ帰りました・・・」 >>61
朝鮮は不意打ちと平和で戦闘経験のなさ
明は崩壊寸前でやる気なかったからな >>119
飢えてる状態が日常だから飢えてる状態で戦闘するのがやばいという認識がない。 そんなに飢えてたかね?
蔚山城の加藤軍が相当厳しいとこまでいったのは知ってるけど、
全体としては飢えよりも寒さの方がよっぽど応えただろ 5万人くらい死んだけど大半が飢えなんだろ?
狭い領土で内で戦ってたから兵站て概念がないんだな >>56
そんな馬鹿げた戦争に巻き込まれた朝鮮側としては己に本来なら無関係だった理不尽わわ覆す為ならそんな手でも使うだろうな なんだったもなにも国内を安定させるために海外にいくしかなかった
全国の首狩り狂人の処理するための戦争だろ
首狩りたくてしょうがないんだよ >>119
自分たちが食えてるから兵糧という概念がないんだろうな 大量に耳や鼻を削いで回ったのに
その時代の謝罪と賠償まではあまり求めてこないな >>1
明治のは日韓併合と呼んで侵略ではない、なんて言われて侵略とは呼ばれないことも多いが
秀吉のこれに関しては明確な侵略で胸くそ悪いわ 後の清が簡単にイギリスはじめ
ヨーロッパ列強に屈服したのは
海軍力によるものを考えると
陸戦主体で朝鮮明を征服しようというのが
間違いだったのだろうな
後の明治政府による朝鮮併合も
日本海海戦の直接の結果だからね つうか負けてないよね?
お互い戦争継続する意味がないから撤退しただけで
有耶無耶になっちゃった 朝鮮併合は清の勢いがなくなった結果の
半島が日本になるかロシアになるかのどっちかだったからな
どのみち侵略ではあるが そりゃ国内の支配者が消えたんなら首狩りNo.1をかけて国に戻らざるをえないし >>142
朝鮮半島の所有者だった高宗皇帝と話をつけて貰い受けたのだからまったく合法
それが日本政府の方針でもある >>140
それは汽船の力であって1600年程度のガレオン船とは違う
第一清自体陸戦で明を倒している。遊牧民だからと言うのがいるが女真は半農半遊牧でモンゴルとは違う 小田原城攻めを筆頭に大軍で包囲する城攻め散々やってたんだから兵站はむしろ鍛えられてただろ
水軍も国内では運用してたわけで、どっちも国外では通用しなかっただけ 関係ないけど韓国では「対日独立戦争に勝利して独立した」とか、割と本気で信じられてるらしいな
今の大統領がそういうことを演説で言ってたぞ
歴史修正主義って怖いな 元寇すら海超えたら鎌倉武士団に負けた
日本海は天然の要塞 兵站は大戦まで含めて過去の中ではできることをやろうとしたことは伺える
しかしながら海を渡った先の朝鮮半島があまりにも貧しくて現地から調達が全くできなかったってのは大誤算だったと思う >>116
中世近世の戦いって要所さえ押さえてれば土地侵略されても持ち堪えるんだよな
戦国時代の日本みたいに農村焼き払えば民衆の支持を失って内部から崩れると思い込んでたから、ひたすら進めるところまで進んで略奪し続けたんだな 蝦夷地にまで進出できなかった
日本人が平壌越えて北京まで行けるとは到底思えないんだが
どういう勝算があったのかさえ謎なんだよな
刀狩同様、血の気の多い戦国期の日本人を消すための棄民政策だったという方が納得いく >>123
これ
太平洋戦争と同じで奇襲して戦力が少ないときは蹂躙できたけど正規軍が来たら太刀打ちできない&現地ゲリラに襲われるって全く同じ流れ CIV5で朝鮮出兵で遊べるシナリオあって割と面白かったわ
日中朝に加えなぜか満州でも遊べる
日本のゲームはタブー扱いなのか信長の野望でも朝鮮出兵を扱ったのって確かないよな
大河ドラマも江でちょっとでてきたくらいであの時期は基本スルーだし これで豊臣臣下の勢力が弱体化して、徳川に攻め入る空きを与えたのだよな >>154
地理感覚が分かってない。朝鮮なんか宗氏が服属させてると信じてたわけだし
とはいえサルフの戦い見ても戦力的には問題なかった
河北〜江蘇の穀倉地帯まで行ければそれこそマジで現地調達できた 要は侍が弱かったんよ。ネトウヨは激怒するだろうけど
世界史の征服者見てればとんでもない無理を乗り越えて勝ってるのが分かる
兵站ガーとか甘えるな 戦国時代100年以上やって、平和になって職業軍人が溢れかえってます。
無謀な戦争して軍人減らすしか無いだろ >>138
幽霊の寿命は400年らしいからその頃の怨念ももう無くなってるんやろな。 >>162
口減らし目的の公共事業みたいなもんかw お前ら一向に朝鮮が蹂躙された歴史から目を背けるよなw
チョンが世界最弱民族だと認めたら精神崩壊するの? >>138
アフリカ諸国が欧米に植民地の賠償求めたけど
拒否されただろう
無理なんだよ
でも恨みだけは1000年以上残るらしい
本当に秀吉は対外的には非道な事やった >>150
敵情視察なんざ戦争における基本中の基本だろ。
織田家の簒奪という形で天下を取ったので、そこら辺は疎かったのか?
信長とか北条時宗とかは、そこら辺はちゃんと情報収集してから戦略を練ってたと思うんだがな〜 >>172
フロイスの「日本史」によると
秀吉は謀反人を朝鮮に追放するのが目的だったので
わざわざ援助の船を送らなかったようにある
秀吉が本気だったのかをまず疑うべき 日本でいうなら近畿から甲信越関東東北地方含めた広さので
土地勘の無い寒冷地で補給も無い状態だろ
舐め過ぎてたんだろな 食料現地調達とかインパールか
兵糧のような穀物なんて現地の農民農地を支配しなきゃ手にできないだろ 九州攻め 20万
北条攻め 20万
朝鮮攻め 16万
いくら秀吉が楽観的でも「中国・朝鮮を倒すのに島津・北条の時より少ない兵力で良い」とは
考えてないと思うんだよな
やはり本気ではないのでは? 元々みんな乗り気じゃなかったのにボケ秀吉の命令だから仕方なしで出征したんでしょ。
秀吉が死んだのを機にみんなもうやめよーぜになって撤退しただけちゃうの >>175
16世紀の兵站常識(特に食料)は海運(水運)以外の方法取れない
と全て現地調達がデフォ
ドイツ30年戦争とか一気に動員兵力を増やしたら
軍事行動起こした地域は飢餓に喘ぐ事になった
これは実に鉄道が発達してたはずの譜仏戦争期でも
前線の食料調達を見てみると同様だった
第二次大戦のドイツも同様であり、唯一自軍のトラックで兵站を維持出来たのは米帝だけだったというね 家と家畜まで一緒に移動するモンゴル軍最強だろなお増援部隊は現地調達 >>175
問題は当時の朝鮮の異常な貧しさにあった
日本では考えられない位貧しく、コメも色のついた
古代米みたいなのを細々と栽培してた位
てか緯度も高く生産高も知れてた
何もしなくても焦土戦術してたようなもんw >>177
ボケていないのでは?
謀反人の疑いがある大名を朝鮮に追放するのが目的であるように
当時から言われている
秀頼が生まれてからは、秀頼の安泰のためにも
秀吉ができる限り、遠征を続ける必要があった
秀吉の死の直前では大坂城の増築も進められているように
秀頼の安全のために晩年の秀吉は動いていた >>179
正に兵站兼ねて最強だった
遊牧民族が中世世界中で暴れ回れたのには訳があったよな
しかし家畜と一緒に常に移動しないと生きて逝けなかった てか一地点に留まれなかったw
直ぐ草原を食い尽くすので
農耕民族とは相容れない存在であった事も確かだな >>178
グスタフアドルフのライバル
傭兵隊長ヴァレンシュタインのころか
占領地の徴税権もってた合法的略奪だけど >>178
それを的確に潰した朝鮮・明軍の大勝利だな 仮に朝鮮で勝利してももっとでかい強国がそびえ立ってたしどっちみち負け確だった
そんなんほっといてワンチャン南に行ってたらオーストラリアに到達できてたかもしんない 外洋を航海する船を作る技術も無かったからなあ朱印船はジャンクやガレオンの技術で作られた 朝鮮は中国大陸の覇権取った国ですら遠征で失敗するくらいの僻地だからな。物資輸送の労力が割に合わない 元々朝鮮は相手にしてなくて明に行くのに通らせろってスタンスだったしなあ
他国の軍を通過させろって言われても「はいはい、どうぞどうぞ」ってなるわけもなく
日本が漢城制圧してから王宮に乗り込んで略奪・放火したのは地元の朝鮮人たちだし
当時の圧政にものすごい不満あったから、ここぞとばかりに民衆が大暴れした と、東海一の弓取りと言われた徳川家康が行ってないから!
B級大名が好き勝手にうごいてもダメに決まってる。 小さな倭猿の島を制覇したくらいで世界で勝てるとイキっただけでしょ
普通の日本人仕草じゃん 太平洋戦争の時みたいに自分で作り出した楽観的フェイク情報に踊らされたんだだろうな
ってのが容易に想像できる >>21
老人のイメージだけど今で言えば福山雅治とか江口洋介や保坂尚輝、ナンチャン出川坂上くらいの年齢やぞ?
バリバリ壮年 >>50
当時必ずしも国力は全力に直結しない
満州人やモンゴル人は人数でも一人あたりの豊かさでも当時の中国王朝に大きく劣ったのに倒したりしてる 清や元の侵攻には帰順した中国軍が貢献してるからね中央アジアやヨーロッパでも現地の兵士を組み込んでる >>178
慶長の役は朝鮮の荒廃により明軍の兵粮を賄うことができずに、本国から輸送してるのだが
陸路で漢城まで15万石輸送してる。明の山海関から漢城まで800km。ちなみに釜山から漢城は400km。
慶長の役の明軍を最大限に見積もって10万人とした場合、陸路の兵粮だけで半年は余裕で持つ。
さらに海路ではこの3倍の量を漢城まで輸送してたので、明軍は最初の兵粮輸送分だけで2年戦えたということになるね。 16世紀最高の名将は誰なんだ?
1位:スレイマン大帝
2位:オラニエ公マウリッツ
3位:ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ
4位:上杉謙信
5位:豊臣秀吉
こんな感じかな?
15世紀はティムール、永楽帝、ヤン・ジシュカ、メフメト2世、ヴラド3世、フニャディ、スカンデルベグ
17世紀になればヌルハチ、スタニスワフ、グスタフ、ヴァレンシュタインといった名だたる名将が活躍するが、
16世紀はパッとしないな。
16世紀はどちらかというと、陸でなく海で名を轟かせた名将が多い印象がある。
バルバロス・ハイレッディン
フランシス・ドレイク
あと一応、李舜臣も 上杉謙信w
ド田舎の一地方領主が近隣で小競り合いしただけやんけw >>204
だから謙信より上には大陸を舞台に渡り合った者達をランクインさせた >>203
マウリッツは軍事史的な意義は凄いが理論家で名将ってタイプじゃないんだが
ヤン・ジシュカなんかも名将っちゃ名将だが永楽帝だのティムールだのと並べられない
それFGOかなんかで出てくるの? ボロ負けはしてないやろ
撤退したのは秀吉死んでからだし >>207
上記のように途中から秀頼の安泰のための遠征になったので
ボロ負けしても遠征は続けたやろ お飾りの総大将はいるが(秀吉の養子で能力は??)
全権を持った総司令官がいない
あえて言えば秀吉なのだが
それなら秀吉が朝鮮入りして指揮せねばだめだ
奉行衆に軍監とかいうお使いさせるではどうにもならん >>208
信長は宣教師が大地が球形であるという説明を理解できたけど、
秀吉は大地が球形な訳が無いと言い張ったらしいな。 >>203
16世紀は火薬帝国の全盛期だしパッとしないってことはないんじゃないか
セリム一世、アクバル大帝、イワン雷帝、それと信長が
火器の力で勢力を急速に拡大させ帝国を打ち立てた代表格
1位はセリム一世だろう
騎馬民族の国なのに軍の主力を騎兵から銃兵と砲兵へ転換してしまった
パラドのフォーラムでも同時代1位で全体24位
https://forum.paradoxplaza.com/forum/threads/the-top-100-generals-of-history.266934/ >203
16世紀は火薬帝国の全盛期だしパッとしないってことはないんじゃないか
セリム一世、アクバル大帝、イワン雷帝、それと信長が
火器の力で勢力を急速に拡大させ帝国を打ち立てた代表格
1位はセリム一世だろう
騎馬民族の国なのに軍の主力を騎兵から銃兵と砲兵へ転換してしまった
パラドのフォーラムでも同時代1位で全体24位
https://forum.paradoxplaza.com/forum/threads/the-top-100-generals-of-history.266934/ とりあえず朝鮮とか中国が関わると
たちまち客観的な判断ができなくなって
思い込みと感情を優先したこという連中は
黙っててほしい
おまえらの気性で真相に迫れるわけないだろと >>211
秀吉が渡海していれば全ての問題は解決していたかもしれない
そして秀吉は渡海したがってたけど現場と天皇に反対され実現しなかった
現場の反対の理由は海路の安全を保証できないから
天皇の反対の理由は秀吉がいなくなれば平和が破れるかもしれないから
どちらもそれなりに理があるけど致命的だったのは天皇の反対
秀吉の権力はあくまでも天皇の権威に乗っかったものなので
天皇の反対を押し切ることは原理的に不可能だった
逆に言えば自由に外征できる程度の権力基盤も持たずに朝鮮出兵したのが
そもそもの間違いだということ >>214
このランキングも、どうも西洋史観が強い気がするわ。
日本人トップが秀吉の43位ってのは兎も角、
中国人トップが韓信の30位ってのはいくら何でも低過ぎるだろ。
それに100位以内に中国人は韓信以外は岳飛と李世民しかいないってのも少なすぎる。
歴史の長さからいっても10人はいてもいい筈だろ。
白起とか李靖とか、中国じゃねーけど冒頓単于とか名将はぎょうさんおるやろ。
1位〜5位まではまぁ韓信より上と言われてもまぁそうかもしれんと思うけど・・・ >>219
英語圏のランキングがどれもこれも中国史スルーしすぎなのはもはやしゃーない
そういうもんだと思って割り切るべき 秀吉は李舜臣将軍に木っ端微塵にされた雑魚武将
それを忘れるなよ >>141
元寇の戦いで属国の朝鮮軍や元南宋軍が大量に兵を削がれてモンゴル軍は殆ど削がれていない
このことを持って朝鮮軍が「負けてないよね?」というのと同じレベル
とにかく寒さと飢えと疫病もあって帰還率は3〜4割台
これって旧日本陸軍で定義で言えば損耗率が50%以上に達して全滅に入るから >>222
秀吉が死んで戦争目的が失われたから適当に手打ちして撤退した
それが歴史の事実
チョッパリが散々な目にあって逃げ延びた、とか、リビジョニズムいくない 戦争が終わってやることなくなった余剰戦力の発散場所が朝鮮半島だった
ただそれだけの話だろ
朝鮮では対日戦争で勝った、みたい言われてるんだw
面白いなあ >>223
歴史の事実はキチンと当時の資料として送還者の人数が載っているこれを見ても分からん
奴は戦争のことが全く理解できてないバカ 因みに元寇の際で言えば不帰還者は2割から3割
朝鮮征伐も全体としては2割から3割程度だが前線に至っては3割かあ4割程しか帰還できていない 前線の死傷率がどのくらいかと言えばガダルカナル島の戦いレベル 他に帰還率3割の戦いなんてインパール作戦とか持ち出すしかない >>36
>秀吉の出兵が結果的に明を滅ぼした
豊臣家滅亡 1615年
明王朝滅亡 1644年
なんでジャップは豊臣家が30年も先に滅んだことを無視すんの? >>224
明国を攻めに行ったはずなのに明国にすら到達できず、
無抵抗だった朝鮮人を虐殺して日本は強かったって溜飲下げてるのがジャップなんだよなぁ… そら裏切り続出で関ヶ原で負けるわな
絶対恨んでたろ諸将は ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています