趣味が哲学なんだけど哲学役に立たなさすぎワロタ [333978782]
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合コンときにいうと「お、おう・・」みたいな空気になる
あと面接のときいうとあんましウケがよくない
就活「自己分析」哲学や自尊心をかけてはいけない
https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/20220217-00511161-toyo-column 哲学なんて面白エピソードだらけなのに
モテないのは話が下手なんだろうなあ 役に立たないのは「哲学科」であって哲学ではないだろ かつては決断しやすいように貴族が教養として身に着けた
現代じゃ政治家や経営者以外には何の意味もない >>5
哲学科の先生が哲学史しかやってないってことはないわよ♡ 延々と観念論を繰り返すような哲学に全く価値をみいだせないな、水槽の脳みたいな
それをやるなら物理学でも学んだ方がずっと益になる
哲学とはややズレるが、幸福論や道徳論を学ぶのは人生の指針になると思う 俺は理数が得意だったから大学は工学部行ったが後悔している
最も興味があった哲学や心理学を学べば良かった
でも文系科目苦手だったんだよねぇ ファインマンが哲学なんてただのゴミで意味ないって言ってるし当たり前 当たり前の真理に辿り着くまでにだいぶ時間をムダにしたな 一時期科学哲学にハマってたけど、人に言った事は一度もないわ 「ふー、こんな時かの哲学者ニーチェならこう言うね…
北斗を見しときは死すときだと」
「哲学者がそんな脅し文句は言わねえな」 >>10
そりゃ「わかること」について考えなくてもホイホイなんでもわかる人には無駄に思えるやろね😞 哲学の良い所は
例え法律が無くなっても行動様式が変わらないとか誰か言ってなかったか?
自分の中に芯が出来る事じゃねーの 哲学の知識を持ってるととんちを効かせて人をけむに巻く技術は身につけられるんじゃないか?
ソクラテスはこういう哲学者をソフィスト扱いしてバカにしたそうだが 役に立つの基準が合コンや面接でウケるかどうかならそうかもな 哲学って結局誰も幸福にしてないから
物理学や科学や医学は人類の為に確実に役に立ってるけど プラトンがおじいちゃんの話を真に受けたのがアトランティス大陸伝説だからな
本業の方も適当だろ🤔 役に立たないモノが存在しちゃいけない世の中のが怖い >>20
こういう考え方にならないためにも哲学は必要なんだよな
俺らが触れる基礎的な道徳的考え方や倫理的なことや法律もそうだけど
そこに多くの哲学者たちの思想が組み込まれてることがわかるからな 今だと哲学者ほとんどフェミニストにボコボコにされてそう 教会支配から逃れたくて屁理屈捏ねてたのが哲学やろ
だからとうの昔に役割は終わっとる 趣味でやる分には別にいいと思うが
数学や科学だって趣味でやっても何の役にも立たないし
学問としてはオワコン >>27
独学…なんてレベルまでいかんが読書レベルではするけど
自由取得で取った哲学と心理学は本当に面白かった
やっぱり専門の先生に教えてもらいたかったんだよ >>29
やってることは同じだろ
今なら進化生物学の方が強い 全てを手にした者がやることなくなったときにするべき学問 ガチ勢は最低でも英独仏語できるからな
そこで話題は増えるはずだが… 趣味としては「読書」 その分野としての1つとしての哲学
面白さは人生の苦難の末、精神老人になるとわかるさw
というか、仕事サイボーグ立った時に読み漁ったビジネス書
古代の哲学者が既に考えていた事で猿真似論だと思いつつ
それは実体験や実感という想いの重みで吐露なんだろうね 結局現代に生き残ったのはプラトニズムに代表される真理信仰ではなく何千年と詭弁家呼ばわりされてきたソフィスト的な考え方って時点で役に立たないだろこんな学問 昔の意義はともかく現代では哲学は自分の存在に悩んでる奴がやってる
当時の俺な
ハイデガー「存在がわかった!あやっぱ違った」
俺「はいはいそんなもんだよな」
ここで馬鹿らしくなった 哲学は成功者になってからの+αであって
貧乏人や負け犬がすがってもより身体が動かなくなるだけ いくら視野を拡げようが
指一本動かないなら意味のない話
むしろ思想と現実のギャップに苦痛を増すだけで
現実の不成功を慰める精神安定剤にすらならない >>44
人類全員が哲学者になれば人より多く金を稼ぐことの無意味さに気付き貧困も差別も無くなるのに 繰り返し読み返しても、飽きない書物というものは
百科事典とか、哲学含む概念的抽象的なものに着地するな…
人生経験積むと小説やドラマの部類は陳腐に見えるもんだ
リアル人生で起こる事象のが遥かにドラマチックコースだから
現実は小説よりも奇なり
他人の空想に夢中になれるのは、これまでの人生に変化がなく
振り回されるようなイベントが発生していない人なんだろうな
望んでない者ほど要らぬイベントが向こうからやってくるというね >>46
そもそも現実は人の思い通りにはならない
例え成功したとしてもいずれ老いぼれて健康を崩し
そして死んでしまう負け犬になるしかないんだわ >>47
哲学で他者を動かすには手を動かさなければね
著述でも辻説法でも行動が伴わなければ
他人どころか自分の現状すら変えられない >>49
宗教という洗脳から解脱して
各種宗教の聖典を冷めた目で読み返すと
果ては同じ境地にたどり着く 数学者や物理学者は手を動かすのか?
そんなことしなくとも世界を変えただろう
キリストもブッダも哲学者も同じですよ 近代哲学は考え方一つで世界が変わるという
いわば精神(思考)が肉体(現実)を凌駕できるという信仰がまかり通ってるが、
まず肉体(現実)なくして精神(思考)すらできない、
つまり現実が思考の上位概念であるという極めて当たり前のことを
噛み締めるべきである 別に偉大な学者や哲学者の様に物理的に世界に影響を与えなくとも
モノの見方が変わればそいつの中で世界はガラっと変わるんだ 世に出た思想家や学者が手を動かさなかった訳が無い
研究をプレゼンし広める活動に血道を上げたからこそ歴史に名を残してるのだ
自分の思考を勝手に誰かが広めて称賛してくれる訳も無い >>53
キリストもブッダも哲学者も
伝説の発明者も起業家も政治家も
果ては同じ境地にたとりつく 歴史に名を残した哲学者は既に現実に干渉し影響を与えているのだから
哲学に行動が不要という考えは大間違いだ
なら行動しない者の思考を読み取れるとでもいうのか? >>56
別に世に出なくても死に対して勝者となった人間は沢山いる 他者が自分の思考を勝手に読み取り
称賛して広めてくれるなとどと本気で思うなら
なら逆に他者に対してそれをやってきたか? >>60
しかしその勝利を知りうる術は無い
勝者であったかすら確たる事も無い 科学が分化した今じゃ哲学が好きですつっても好きな食べ物はご飯ですって言うようなもんだよ
ドイツ観念論が好きですとか論理実証主義者ですとか言えばなんか食いつくかもよ 東浩紀や萱野稔人が40過ぎたら世の中やっぱり金と権力が無いと話にならんとなったしな >>59
行動など本当は全く不要だ
認識すら不要だし哲学する事すら不要
行動が必要なのはそれを分かるまでだ 他者の著書を読んだ時点で
現実の出版や流通の影響を受けているのだから
現実を否定するなら本も読めないね 行動を不要とする者が
なぜ他人とネットでコミュニケートするのだ?
他者に理解を求める時点で行動しているではないか >>59
思想や想いは伝染するものだ
顕著化すると政治宗教なのもしれないが
そうでなくとも思考に根付いて受け継がれる
人間って面白いよね
生殖行為以外でも子孫を残していくのだから >>62
それを知るには自分がそうなることで初めて真贋を見極められる
ホームラン打てる奴は他人の打撃論が本当かどうか判断できる 行動を不要とするなら
何一つ外界から得ず自らで悟る以外無い
そして悟っと思ったそれは本当に悟りであるか
他者に確認をする必要も無いのだ そもそも他者への伝染や影響を語る時点で社会や行動の肯定だ
行動が不要なら理解されたがるな >>66
むしろ全く逆で哲学の到達すべきは現実の絶対肯定だよ
その為の認識の変化だ
我々の認識が歪んでいるという大前提があるからこそ
認識の変化云々が肯定されるわけだ 正しいと思うなら思えば良く
他者や外部に称賛や共感を求めたら
それはもう現実に負けてるぞ 哲学やってる人って当然語学もやるでしょ
語学が役に立つ 宗教に「解脱」「悟り」の概念があるのは
精神が肉体を凌駕しうると考えるからだ
そうでないなら人間はやはり社会や他者と生きるしかない 行動しないことが最上とわかるために人は色々なことを試すって篠田桃紅が言ってた >>72
横から失礼 現実(存在)の絶対肯定に同意する
そうでなければ、言葉を語り、文字に記す必要性が無い
つまり、究極的に現実肯定して人間の存在を愛している お前ら内在主義(スピノザ、ニーチェ、フーコー、ドゥルーズ)or超越主義(カント、フッサール、レヴィナス、デリダ)どっち派?
神や普遍的法則や認識の真理性を担保するものは世界の中に埋め込まれてる?それとも世界の外にある? 哲学が役に立たないというのはこういうスレを見ればよく分かる つーかさ「趣味が哲学なんだけど哲学役に立たなさすぎワロタ」なんて言う奴は
哲学が趣味じゃないですって暴露してる様なもんだろう?話に成らん
歳を取ると、体力や記憶力が衰えてきて、若い頃に楽しめたことが楽しめなくなる。
過去持っていたこのような「若さ」という宝を、晩年には失ってしまう。
そうなると、晩年に持っている宝は、自分の内面、精神的な成熟さになってくる。いかに自分は外界、世界を認識するかが重要になる。
そこで役に立つのが、哲学や豊富な人生経験、ってわけ。 ドゥルーズのミル・プラトーぐらいは読んでるんだよな? 哲学科に4年いた感想は人と哲学の会話をしてはいけないに尽きる
人には人の哲学があるのに絶対に俺の意見しか勝たんみたいなやつがいるから 全てのモノは役に立つ
あるいは
全てのモノは役に立たない
これはどちらも両立する
ご存知のようにカントのアンチノミーである
ゆえに
自分の行動原理に個別的な有益性は考慮しない
我が内なる道徳律に従うのみ
(3分で凄まじい文章が出来た…ウットリ) 結局人は一人(社会無くして)では思考する事すら出来ないのだ そんなの趣味はオナニーですって言ってるようなもんだろ >>83
哲学科って卒論はやっぱりこの世の真理についてとかそんなの書くの? >>84
でもその道徳律が役立たないことをあなた自ら規定したわな 規制喰らって書き込めなくなったがそれもまた絶対肯定すべき現実(笑)
若い内は、哲学や思想の価値を理解できないことが多い。若い内は外界から受ける刺激や事象が価値ある物だから。
でも老年期には、外界からの事象が、その自己に及ぼす影響が小さくなってゆく。
自己はもはや今起きる事象にはなかなか影響されない盤石なものとなる。自己は、過去に学んだ経験や学問から形成されてる存在になる。 少しばかりの優越感と自尊心を得るのに役立つかとは思うが
思考が現実を凌駕するなどと考えない事だ ヘーゲル的歴史観に立つ俺からすれば
テロスがニヒリズムに否定され得るアポリアだとしてそのドラスティックなヒューマニズムの上にアジェンダを構築することがアルチュセール的構造主義における、ミームだ。
いずれにせよ、ケイオスティックな人間存在における経験をテクネーへと、 普遍へと、止揚することが、デカルト的パラダイムの モダニズム的出発点だ。 エピステーメー的に論考すれば
リングイスティックターン以降の日常的言語学派におけるアフォーダンスをシラバスにおいてエキュートすることがアカディメイアのタスクだと思われ さもなければ想像の共同体は サイバーカスケードの上にもろくも崩れ去ってしまう。 だって日本人はギリシャ古典すら読まずにギリシャ古典由来の哲学を語ってるんだよ
意味わからんぞ 哲学教えてる教授が
哲学は役には立たないって言ってたから
お前は今哲学を教えて飯を食ってるじゃんかと言ったら
別にお金のために教えてるわけじゃないとか抜かしやがった >>76
そうだね
努力が報われないとか、1%の努力で良いと言うには
己の限界に挑戦して、100%超えの努力をしたからだよ
誰にでもよくある話で例えるならば…
酒は飲んでみなきゃ下戸だかわからんし、己の適量は
吐くほど飲んでみなければ、限界の酒量はわからないw 哲学を学ぶ動機が結局優越感や自尊心にあるなら
結局他者の存在に依存してるんだよ
社会無くして自分無し
精神は肉体を凌駕しない >>88
ドラクエビルダーズ2のストーリーに役に立ってるよ
破壊と創造は対立するものではなく本来同じものなのだ
ほんと良いストーリーだった >>92
いまどきヘーゲル的歴史観って・・・
それこそ社会的に構築された“創られた伝統”であって
ジェンダー・ポリティクスの批判対象になるべきものだろ
簡単に言えば、消費行動と文化的アイデンティティがエポケー
された、「異化作用」の階層的な二項対立の形而上学こそが
ジェンダーベリフィケーションなのよ。“サバルタンは
語ることができない”とはこういう意味なの。
このあたりを数学的に言えば、位相線型空間内部の真性特異点が
拡大の自己同型群の閉部分群と等長変換されるわけだろ。
つまりゲオルグ・カントールが予言してゲーデルの不完全性定理で
見事に証明されたってワケ。
あるいはル・クレジオ的な文学におけるクイア理論的な
ナラトロジーでもいいんだけどさ。
あなたのディスコース(言説)のトリヴィアルに神経症的な
部分がエクリチュールの過程で無残にも前景化されたわけで。
そういったことが私のディコンストラクション(脱構築)の
射程に入るのよ。ポストコロニアルな“政治”のレトリックだね。
クィンティリアヌスくらい読めよ。 >>87
俺はゼミが倫理哲学だったから科学と倫理について書いた
あとは哲学者や哲学史及び思想について書く人が多いと思う
この世の真理を探究するとしたらジャンルは何になるんだろうね
取っ掛りが無さすぎて俺には書けない >>78
p→qという演繹的な推論規則は何によって保証されるんか?ということやろね
世界の外にあるならば確認しようも無いけども、でも世界の内にある者はそれが普遍的な法則として信じとる😌
語りえないもんは沈黙すべきであるかもしれんけども、でも黙ってはいられない
単にそんだけだと思うんよね >>99
なるへそ
>あとは哲学者や哲学史及び思想について書く人が多いと思う
まあ実際はほとんどこれだろうねこれしか書きようがないからな
しかしこれは哲学ではないんだよなあ 人体の現実を見てみろ
身体は全部が全部生きてるのか
違うでしょ
死んだ細胞も含めて人体は構成されている
人の体と言うのは生と死の止揚なんだよ 出発点がキリスト教の神がいるという前提だからクソ以下
西洋哲学に対抗してアジア人が仏教を持ち出すのもクソ以下
釈迦は量子力学を理解していたとか馬鹿みたいなエセ科学方面で売る奴まで出る始末 このスレにもいるけど自分の価値基準や解釈こそ至高!お前の意見はマジでくそ!って反応をする民に哲学は向いてない気がしてる
俺はこう思うけど君の意見はこうなんだね!なんでそうなった?なるほどそれもすごくいいじゃん!みたいに肯定しつつ議論するのって難しいのかな
気に入らない意見は死刑にして焚書するのはガチ中世なんだけど 合理的前提から論理的に推論して互いに矛盾する結論を導出できるとき、その結論のペア、あるいはその結論についての問いをアンチノミーという
カントは道徳問題において、「○○は有用か?」がアンチノミーであると主張し、したがって有用性を道徳の根拠にすることはできないと結論した
カントは有用性に代えて、キリスト教における黄金律「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」を一般化した、「任意の人間への適用が妥当な規則を己に対して課すべし」という道徳律を道徳の根拠とすることを提唱した
さて、カントの提唱する道徳律は本当にアンチノミーに陥らないのだろうか?もしアンチノミーに陥るならば、カントが有用性を道徳の根拠とすることを否定したのと同じ論法でカントの主張を否定できる
アンチノミーに陥らないとして、実行可能なのだろうか?任意の人間への適用が妥当な規則を発見するにはあらゆる場面を想定できなければならない
哲学モメンの見解を教えてくれ >>108
そのへん1940年ぐらいに論破されてるけどココでは書けない >>107
難しいんじゃない?
1+1=2と思ってる奴は1+1=3と言う意見をどうやって肯定するのかと思う
別にそれは人格否定じゃなく意見に対してだけの否定だから議論が成立するのだと思うけど >>106
出発点に神がいるからダメって
かなりの知識が制限されるけど 趣味として独学で適当につまみ食いなら幾らでも出来るだろうけどさ 嫌儲の哲学スレでアルチュセールを語る人を見たことない そうそう、中国とか色々思想家いるけどさあ
日本って歴史長い割に全然有名な「思想家」いないよな
なんでだと思う? >>81
前々から思ってたけど板長って実は頭脳系なの?
その辺の人には書けないでしょうこれ >>108
神は人の思いもよらない方法で人を導く
つまり神は人がして欲しくないと思うようなやり方で人を導くことがある 数学→哲学→宗教
ときて今は詩にたどり着いた
西洋哲学のように言語で構築されたものは役に立たない
いやそもそも役に立たせる必要もない
言語以前にあるものが自然と造化されていくだけでいいんだ あのな
生き死にに関わる体験するやろ
そしたら
えらい違うww >>117
ケンモメンは「賢モメン」で嫌モメン
どこにでもいてどこにもいない
ジュレリンガーの猫 幸せの青い鳥 >>119
キルケゴールだったか、哲学は誰のためにあるのかというのを書いていた
まず、自分のためではないというのを書いていて、哲学で自分を救うことはできないからだというのを書いてあって、たしかにと思ったものだ 例えばジャッキーチェンの映画に酔拳があるが
師匠は弟子のジャッキーに様々な修行を課すんだけど
ジャッキーからしてみればその意味が分からない
師匠は何で自分にこんな無意味な修行?をさせるんだろうとしか思えないのよな
しかし成果が出て自分にいつのまにか実力が付いたとはっきり認識した後では
無意味に思えていた修行の意味も理解できるようになるわけだ
この場合前と後ではジャッキーの修行に対する認識が違うわけで
前ではやって欲しくないもの
後ではやって欲しかったもの
に変化している >>112
意味不明。例えばヘーゲルは絶対者なる神について長々思想した
デカルトは神の存在証明とかオカルト妄想理論を作りスピノザは汎神論とか斜め上な事を言いだした
そんな神はいない。仮にいてもスパモンじゃないと証明できる奴はいない
まあカントはその点を棚上げしたから偉かった。あとイギリス経験論 ここで問題になるのは人間の認識の限界なのだろうと思う
つまり神(運命と読み替えてもいい)がいくら人間の為を思って鍛えてやろうとしたところで
はたして人間はその神の意志をきちんと読み取り得るのか
別に神とか持ち出さなくともあまりにレベル開きがあった場合
達人の意図を素人が正確に認識するのは不可能なんだよな 思想系哲学だの文学だのあるいはベートーヴェンの音楽だのって「それが何の役に立つの(金になるの)?」って扱われかただが、ジワジワと人間全体のあり方を方向付けてるんだよな >>115
フランス現代哲学を通ってなくて
1930年くらいで止まってる奴というか19世紀で止まってる奴とか多いから
哲学の話に興味持てないんだよね
それって宗教じゃん、思索重ねてないやんっていうね と言う風に考えればここから自分なりに道徳律を導き出すとすれば
個人的には謙虚であれということになる
自分の認識には限界がある
だから謙虚でなければならない
という具合に 哲学がないから自殺ばっかするんだろ
見えないだけで生きるために役立ってるよ >>119
己のためでもあり他者のためでもあるのではないかな
時に他者の考えから、自分の考えがまとまることもある
時に自分の考えを誰かに聞いてほしいという欲求もある
時に誰かが迷い苦しんでいるなら言葉を記すこともある この謙虚さが誰に対してのモノかと言えば
まさに神(運命でもいい)に対して謙虚であろうという事
自分的に運命の絶対肯定とはこういう意味でもある >>128
ドゥルーズやらフーコーの名前は見るのに不思議だね 哲学は役に立たない!って小学生みたいな感想だな
ゲームやアニメは役に立ったのか? >>135
お金になってる(経済動かしてる)し、人生の教訓を得てる人も
哲学より多いぞ つうかゲームだろうがアニメだろうが哲学的要素があった方が面白くないか?
ドラクエビルダーズ2もそうだし真女神転生もそうだし
モンハンなんかもハンター(プレイヤー)も生態系の一部に過ぎないって考え方がいいよね 世の中の金融商品はすべて哲学から生まれたもんなんだがな。 >>137
哲学的要素って、もう哲学でやってるテーマについて哲学をまじめにやってない人が「おお、深い」って言うものでしょ 日本人なんて哲学と自己啓発の区別ついてない奴が大半 >>136
ゲームから得られる教訓って何だよ
アニメやゲームから得られる教訓なんて99.9%超浅いものばかりだろ
哲学が元になって民主主義や人権といった概念が出来てそれが元になって今の先進国の制度が出来ている
法律だって哲学が元になっている
そう考えると哲学はとんでもなく役に立ってるだろ >>139
それでいいじゃん
スネ夫ヘアやタイムマシンの場面の歪んだ時計とか
我々はピカソやダリをガキの頃にドラえもんで自然に理解するわけだし
ゲームだってそれでいいんじゃねーかな 古典的な意味では、哲学者は、人間の状態に関する実存的な質問を解決することに焦点を当てて、特定の生き方に従って生きた人でした。
現代の意味では、哲学者は、美学、倫理、認識論、科学哲学、論理学、形而上学、社会理論、宗教哲学、政治哲学など、哲学の1つ以上の分野に貢献する知識人です。 >>142
それは逆説的に「哲学なんて学ぶ価値なし」と言ってるだけだよね
学ばないから楽しめるわけだ 人文科学系の連中がそれっぽいことやろうとしても
哲学の2番煎じか、まったく古典的な議論と深みに勝てないから
結局、哲学の概念を使わざるを得なくなる >>144
少なくとも哲学への導入にはなるからね
しかしそれはあくまでも導入であって
ドラえもん読んだからダリやピカソを極めたっていうことではないしな 趣味でやってんだから役に立たなくても別にいいじゃん >>5
分かってる人かな? 哲学を確立している人間にとって、哲学は役に立つものの最たるものだからな 哲学書を読んだりするのを哲学だと思ってる人が多すぎる つか本当のことを言えば哲学が必要かどうかなんてわからんw
俺も哲学なんか勉強したことないし
ただ哲学的なことって単純に面白いし哲学っぽく考えるのは純粋に楽しいから
すくなくともエンタメとして存在意義はあると思う >>9
この人も。哲学なんて一人でするものだよ。学ぶものじゃなくて、するもの。 哲学を学ぶのは役に立たんわな 哲学をして確立したものが役に立つわけで >>147
ならないよw
なってりゃこんなに無駄な哲学ごっこは量産されてないよ 世の中からはみ出した奴のための学問
なぜ自分がはみ出しているかを知るとなんぼか気が楽になる >>158
哲学は確立できません
思想は確立できますけど >>159
残念ながらじゃあ現実世界にどんなとっかかりが他にあるかと言ったらね 宗教スレでも感じることだけど
俺は哲学してるから偉い哲学もってるから偉いみたいに考えるとしたら
それこそ本末転倒じゃないか? >>163
じゃあ、お前はコンピューターサイエンス勉強してるか?
コンピューターサイエンスあっての今の世の中だぞ
高度な物理学はどうや?
そろそろ量子物理学もやらんとな
言語っての哲学だから言語学もやらんとな 数理論理学から分析哲学に興味もってWikipediaとか読んでみたけど
普遍論争とか何言ってるのか意味分からない
「霊長類ヒト科ヒト」という種というか類というかカテゴリがあって個々の人間はそれに属する個別の特殊例だなんて当たり前じゃないの。
そりゃ遺伝子レベルで見たら個々の人間はヒト科じゃなくて真核生物の特別な一種だし
素粒子レベルで見たら個々の人間は原子が集まった物質の一種だけど
普遍が存在しないとか言ってんのは認識論とか記号論とか数学や論理学とかじゃなくて
単に自然科学の知識がなかった時代の思い込みなんじゃないの? >>163
錬金術でもやってろ
哲学ってのは脳の言語処理ロジックのバグ
そのバグにはまらないようにバグであることを明らかにする価値はあるが
それ以上のことはなにもない
何でもかんでも○○哲学とかつけて箔つけようとしてるけど研究者が食うための学問にしかなってねえ コリングウッドによれば哲学と数学の違いは概念の排他的な区分が可能か否かだ
数学では互いに排他的な概念Aと概念Bを考えることができる
一方哲学では概念の明確な区分を志向するものの、突き詰めて考えると相反する概念同士で一方に該当することが他方にも該当する事態に直面する
この考えは理論の基礎となる二律背反な概念同士を突き詰めて考えれば実は一方に該当することが他方にも該当するため二律背反とは言えず、理論が基礎から成り立たなくなるという脱構築の概念の先駆けとも言える
さて、コリングウッドは数学と哲学の違いをこの排他性の確立の可否に求めたが、そもそも排他性を確立できるとはどういうことなのだろうか
言い換えれば、排他性を確立できる条件とは何なのだろうか
もしその条件が分かってしまえば哲学における議論を排他性が確立された概念を使って曖昧さを排除して展開できるかもしれない
しかし哲学とはもしかすると概念同士の曖昧さを発見するために議論する学問なのかもしれない、そうだとすれば排他性を確立した議論になった時点でそれは哲学ではなく数学になってしまうのだろうか
このことについて哲学モメンの見解を聞きたい 19世紀以降の近代哲学に嵌まってる奴は
自己啓発セミナーにドハマりしそう 哲学とは安倍ちゃんである
一見役にたたなさそうだが実は役にたたないのだ >>168
普遍実在論についてはキリスト教徒密接に結びついた論争なので
相手にしなくていいよ
人間という普遍が実在しないとなると、神はアダムとイブを作っただけになっちゃうでしょ
それが嫌だったのよ、当時のスコラ哲学の人たちは >>169
知らんけど進化論が無かった時代の考え方なんじゃねーの?
今の我々からしたら種とか類とかも曖昧でファジーな概念に過ぎないように思えるけど 自然科学のベースにはなったかも知れないがそれだけで現代の数学物理学理学に嚙みついて役に立つと吠えるのは竹やりでB29を堕とそうとしたジャップと何が違うのだろうか 哲学的思考は大事だと思うけど
自民維新は嫌ってそう
だから日本は衰退しているんじゃないかな プラトンはイデア論において事物を不変なイデアの射影と考えた
もしもプラトンの言う通り事物が不変なイデアの射影ならば、事物の運動はどうなっているのだろうか
イデアは不変なのでイデアが運動しないはずである
すると射影のスクリーンの運動が事物の運動の本質なのだろうか
それならば射影のスクリーンとは何で、スクリーンはどうやって運動しているのだろうか……
このようなことを延々と考えるのが伝統的な形而上学であったが、ヒュームやカントの不可知論によってナンセンスな議論として処理されるようになった
さて、ヒュームやカントの不可知論では認識できないことについて推論を巡らせるのはナンセンスということになるが、アプリオリな総合判断と認識できないことについて推論を巡らせることは何が違うのだろうか、明確に区分できなさそうだ
認識できないことについて推論を巡らせるのはナンセンス、という主張は直観的に言いたいことは分かるがナイーヴすぎるかもしれない
このことについてはラッセルが指摘した自己言及のパラドックスの方がうまく説明しているように思える
もしかして形而上学はラッセルが自己言及のパラドックスを解消するために導入したクラスの概念によって有意味な議論ができるのだろうか
例えば神は存在するか、という問いをクラスの概念を導入することで有意味に議論できるだろうか
哲学モメン、どう思う? >>170
哲学はマッチポンプのようだけど
実際に火はどこから着くのか分からない
私たちが理知的に言語を用いるのなら、必ずバグにぶつかるだろうし、その時に哲学は役に立つだろう
それはコミュニケーションが不要な1人では意味がないことも示している お互いが論理的に思考して意見が食い違うなら
お互いが信じている公理が異なるということ >>171
現実として物理だって数学で記述されるわけだしな
少なくとも人間にとっては可能な限り曖昧さを排除した思考の筋道を示そうとするならば
それは数学的な記述になるってのは直感的には自明と感じるわけで
知らんけど直感的には排他性が確立された概念を使って哲学しようなんてのは
まあ我々素人からしたら夢物語というか突飛な発想みたいに正直思えるよ 何かと聞いてんのに簡潔に答えらないのかそれとも答える気がないのかしらんけど付き合ってらんないよね >>182
まず不変なイデアというものがない
運動が先にあり、不変(と認識されるもの)は運動の特殊な状態(もしくはそういう認識)である
イデアが存在するとすれば、それは運動しているはずである
スクリーンはどうやって運動しているのだろうかという疑問は、時間の存在をかんがえないからそういう疑問が生まれている。誤謬である
アプリオリな総合判断は帰納法や演繹の繰り返しにより後天的に認識された思考の枠組みや、
脳という物質の性質や人間の遺伝子による機能であり
認識できないことではないのでパラドックスではない。 だいたい哲学好きというと〇〇はこう言った〜みたいのを延々と聞かされ嫌になる
哲学はウンチク語りじゃないだろうと >>190
エンタメとして役に立ってるでしょ
このスレだってそうだわね
つうか規制が酷すぎる
回線切り替えても基本ダメだが書ける場合があるがどういう仕組みかしらんが
書き込めない5CHは哲学以下の存在意義だわ >>128
フランス現代哲学って面白いんか?🤔
知らんけど 苦労の割に役立たずなジャンルのイメージ
ソクラテスやニーチェの思想を完コピしても金やチヤホヤにはなりやしない 俺はまあ哲学本読んでて学部編入の専門論文の試験受かったからそこだけだな
でも編入しないほうが就職は良かったはずだしトータルで為にはなってない しかも他所の国のおっさんの話だからな
面白くもなんともない ポスト構造主義なら役立つでしょ
たいてい哲学っていうとデカルト前後しか知らんやつが役に立たないとか言ってるだけ >>41
答えを他人に求めて自分で考えないからそうなる こういう趣味になると役に立つ
立たないの基準持ち出すのは何なのか
本当に好きでやってる趣味ならそんなもん気にすんな >>200
無から有は作れない
哲学も積み重ね出来てるから
何も知らないんだねとしか言えない 役に立たなそうなものほど役に立つ
カントがどれだけ人類史に貢献したか考えてみろ 現実では真空中でも素粒子が生成消滅してるってのが面白いよな
それを無から有が生まれると言っていいのかは知らんけど ほらな
結局自分で考えろと言い出す
聞くだけ無駄てこっちゃ >カントがどれだけ人類史に貢献したか考えてみろ
カントも普通に偉大だよな
ま、それもヒュームみたいな懐疑主義のお陰なんだが ばーかばーか
お前は哲学を知らないんだー
と
申されております 下らねーまさに本末転倒
煽りあいしてイライラするために哲学やってるのかよ
あえて言うけどバカだなお前ら(スマン) 哲学なんて好きに定義すりゃいい
哲学は人生における疑問を解明していくこと
>>177みたいな疑問は哲学してりゃ屁でもない 哲学は人間が無意識に理解していることをいちいち論理的に明確にするだけ
理解していることを明確にしたところで何かが生まれるわけでもなく
普段の生活で役に立つことはまずない > 普段の生活で役に立つことはまずない
それでやる意味有るのかってw 哲学程役に立つものなんてねえよw チンネキはブランダイス大学の哲学科卒業 それでチンチン連呼してるんだから哲学は何の役にもたたないよ >>218
理解することとは「それがなんであるか」を知ることであり、それがなんであるか?とは「それがなにゆえにそうであるのか?」を知ること
「なにゆえそうであるか?」とは原因のことであり
原因には4つのものがある
とかやろか?🤔 >>218
説明はできないけど理解してる
説明できるようになったとしても「理解」という言葉の使い方が変わるわけでもない
だから役に立たないんだよね 認識論とか存在について語るなら
脳と量子論やらないと話にならん
非ユークリッド幾何学と量子論は存在や認識のパラダイムをぶっ壊す力あったのに
そこを通らず古い物理モデルの枠組みで思考してる哲学はゴミすぎ
>>193
すごい面白い 物事を構成する原理や仮説を追求するモノだと
なんで言えないのさ 真面目に言うと個人的には現実を絶対肯定するためのものと上で書いた通りだが
つまり役立たずの自分をこれでいいんだと納得して肯定するためのものだな
そーう意味ではとても役に立ったが普通真人間なら役立たずを肯定しようなんて思わないわけで
その立場からすれば哲学なんて役立たずのゴミに過ぎないってのはその通りだと思う そもそも役に立つものとか役に立たないものなんてのはない
ある人にとっては役立つ道具だし
別の人にとっては役に立たないゴミ
同じものが役に立つと役に立たない面を両方併せ持ってるもんだ 哲学をやるというのは過去の哲学、哲学者を学ぶことではない
自分の人生、世界を内から捉えどのように生きていくかの指針とすべき思想を考えることを言う てか役に立つ趣味の方が少なくね?
趣味なんて好きでやるもんなんだから自己満足で全く問題ないだろ 本当に趣味が哲学なら
そんなことで悩まないと思うけど 例えばただの石ころだって
我々からすれば無価値なゴミだが
原始人にとっては投擲して得物を得る為の有益な資源だったりする
こういう感じで同じ石ころでも
役に立たないと同時に役に立つものでもあり両者が併存している
何が言いたいかと言うとこれは役に立つとか立たないかとか峻別するのもいいが
むしろ一見無価値に思えるそれを自分がどのように役立てうるかが大事なんじゃないか
哲学にも何にでも同じことが言えると思うよ 中島義道も哲学は役に立たないって書いてたけど
まあ実はそんなことないな
役に立たないって人は使い方を知らないだけ
(´・∀・`) >>20
哲学は何も傷つけないし損なわない、対してそれらは? 道徳もその本質は大事だけど、道徳ってものはTPOで形が変わるし盲目的に見るものじゃない 良くできたAIと人間の脳は同一である。
では良くできたロボットにAIを組合せらば、人間と言えるのか?
いや我々がロボットではないと言い切れるか?
これに答えを求めるのが哲学 道徳だってカントかなんか知らんけど
ちゃんと自発的な良心の発露としての道徳と
ルールとして強制される道徳とをきちんと区別しなければならないと思う
我々がより重視しなければならないのは前者であって後者ではないのではないか
何故なら前者には自発的である故の自由があり
後者はえてして人間を束縛するものなのだから 合コンで他人を楽しませたかったら簡単な思考実験なんか向いてるだろ
哲学っても範囲が広いからなア(´・∀・`) しかし哲学科行かないと大学で哲学の教職得るのはほぼ不可能なんじゃないの?
その意味では哲学科には実践的な意味があると言えるだろ
とまあこれが哲学的思考ってヤツよ、多分(´・∀・`) >>238
仮に科学の力で培養槽かなんかで物理的に人間と何一つ変わらない存在を作り上げたとして
存在としてはそれは人間であるが
現象としてはそれは人間ではないとおもう
男女が1発中田氏キメて生じた結果と科学者が培養して生じさせた結果が同じでも
それは過程を異にするそれぞれ別の現象だと思うから >>244
下らねーバカみたいな話を真剣に楽しむのが哲学だよな そもそも哲学が無いやつには「役に立つ」ってのがどういうことか分からんだろ 雨にも負けず風にも負けず
何の役にも立たずしかしチンポは立つ
そういう人間に私はなりたい >>239
自殺的な自由のためなら殺人はしてよいってこと?
そういう自由を尊重してたら社会がなりたたないから法(ルール)があるわけだし
そのような法の利害を受け入れ国家に委託することが社会契約論であり、国家が成立し存続できる理由なわけだけど?
前者だけならアナキズムになるだけなので、さっさと出ていけよバーカということになるんだけど
そこまで考えてのレス? >>249
そもそも殺人する能力を我々は天から賦与されているわけだが
おっしゃる通りそれだけではヒャッハーな世界になって安定しない
だから社会契約は大事だと思うし正しいあり方だと思うが
だからと言ってそれは天から与えられた殺人する能力の否定にはならないと思うわ
仮にとんでもないクズがいた場合とか
時と場合によって殺人が必要になる場合があることは否定できない >>243
いまだとそれだけでは足りない、というかそれがどうでも良くなるくらい、留学のほうが大切。西豚さんも留学してないからあんな職歴になったんだろう それでも殺さないからこそそれは自発的な道徳であり自由な選択と言えるんだよな >>251
だからちゃんと正当防衛も用意されている
ところで、相手がとんでもないクズならば殺してよいのだろうか
仮に相手が自分を殺そうとしてきたとして
なぜ自分は相手を殺して良いのだろうか?
自分が生きていることは、倫理に先立つの?
死にたくない、という感情論以外に説明できるの?
逆に、相手にとってあなたがクズと認識されていて、相手が殺人の自由を行使して
あなたが殺されるとしたら、あなたはそれを肯定するの? >>254
外的な問題による自由の阻害もあるが
内的な自由の問題と言うのもあると思う
つまり価値観や感情からの自由だが
価値観や感情に安易に流されることなく自分は正しい選択を出来るかにおいて
正しさってのが大事になってくるが
そもそも殺人と言うのは存在の否定であって
とんでもないクズだとしてもそいつはいわば神の意志によって存在するわけだから
神(運命)の前に謙虚でありたいという自分からすれば
>>253のように考えるな >>254
下二行については運命としては受け入れるよ
ただし人事を尽くして天命を待つというように
だからと言って全く無抵抗とか無気力で生きるという事ではなく
人事は尽くすだろうな 日本の武士なんかもそうだね
刀を磨きに磨きぬいておいてでも鞘から抜かないのが武士の道徳なんよな
ただ単に刀抜いちゃダメってのはただの不自由だが
敢えて抜かない所にただのヒャッハーの自由から一段上の自由がある まあこんなのは下らない奇麗事だけどな
むしろどうしてもきれいに生きられない大小さまざまな罪を犯してしまう
ダメな自分について考えたほうがより実践的だと思うぜ
ハイデガー哲学は天才。存在と時間
「何故、存在が在って無でないのか」という問いの立て方がユニーク
それから無の類型についてあれこれ精緻化して分析してる
東洋人の方が無常的なのに何も気づかないで生きてきたのだと気づかされる >>174-176
thx
なるほどキリスト教か
オントロジーやメレオロジーの勉強するのにキリスト教史までやりたくないなあ
もはや新たな理論や研究テーマを何も生み出さない、枯れた泉ってイメージがあるし>中世の神学論争 世間的に受けそうな哲学を話せよ
トロッコ問題とかそういうの >>245
議論する前に言葉の定義しろよ
男と女がやってできるのを人間と定義するなら人工受精で生まれたやつすら人間じゃないし
こんにちはに対してこんにちはって返すのを人間と定義するなら人工無能だって人間だろ
それを人間とは何かだの真の人間とはだの人間のイデアだのクオリアだの
誰も彼もぼくの考えたさいきょうの人間の定義を振り回して悦に入るか
偉い先生はこう言ってました俺物知りでしょって悦に入ってるのが哲学者(笑)
本当何の役にもたたねえ 科学による知見を「事実」と解釈する見方からすれば普遍論争とかイデア論とかはデタラメの妄想か未熟な時代のものとしかならない ヤってる稼業に良心の呵責を感じることがあれば哲学なんていらねえよ、無駄だ、の陣営につくことになる >>268
こんな分かったような一文を書く奴は糞だろう?何も考えて無いのか?
「普遍」を否定するには時空の概念を完璧に答えられなければダメだそれが可能か少し考えれば分かる
「イデア論」を妄想であるというなら人間の分別がどの様に形成されるのか言葉を使わずに答えられなければ嘘だ
でっこの2つを完全否定するには上記をクリアしなければいけない可能かどうか手前の脳味噌に聞いてみろ >>270
や、そもそも科学万能論みたいなのって100年以上前に否定されてるのに相手しなくてよくないそいつは クワインの論理圧縮法はムチャクチャ役に立ってるんだけど 趣味だし別によくね
楽しいからやってるなら
ぞれだけで素晴らしい価値があるわ >>273
コミュニケーションってのは双方向的だし、他者の意識を前提としているのに
「あなたの感想」にすぎないってのは異なる自我同士の意志共有の可能性を否定してるだけであって
独我論に陥らせる類のレトリックにすぎないと思うわ >>257
カントさんの言う「自由」が理解できなくて挫折したな
いや素晴らしい心がけだとは思うんだけど、「自由」なのか?っていうと…うーん >>271
まあ>>268本人は「科学による知見を「事実」と解釈する見方からすれば」という
挑発的なレトリックを使ってものの見方を提示しているだけなので俺がただ感情的に暴走しただけのこと
只ね酒飲んで気持ち良くなって騒いでいる連中を見て酒も飲まずに一緒に成って踊ってる馬鹿を見ると腹が立つ
「事実」という時点で「それって普遍のイデアを言い換えただけじゃん…」と思う訳よ 科学を標榜するならば「事実」は無い訳で何処までも反証可能でなければ成らばい
そうでないならばそれは科学ではなく只の信仰であると認識しないとダメだ そんなことより↓とか面白そうでないやろか?🤔
言語と認識、数と認識、何故に人は数に言葉を与えたんか?物には数があるってどうして考えたんやろか?
とか🤔
人間、言語が無いと4までしか数えられないことが判明 [799215407]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1645097694/ 全ての学問の元が哲学なんだよね
細分化されて哲学から分離していった 政治学も経済学も、心理学も社会学も、考古学も生物学も人文学も
なにもかも最初は哲学からだ。
そしてそういった学問は必要ない、不要という風潮になってて、
学問という害悪を生み出す諸悪の根源は哲学だということに。 物理学者が哲学者と議論して
原理的に実験による確認も論理的な証明もできない論を物理的な問題に対して持ち込んで議論するのは
不毛に感じたって書いてたな
それが正しいか間違ってるか確認のしようがないビッグイシューを見つけるだけみたいな
考えるのは楽しいけどね
>>284
感覚物理学で調べるといい
物理学も所詮は哲学の領域を超えられない 役に立つという概念が発生する以前のとこに自分が存在するようになる >>9
哲学は理系じゃないのか
有名な哲学者って数学者だらけじゃん >>279
「疑いの容れない事実」っていう思い込みに自覚的になるのが哲学の第一歩だな
知覚の対象にならないイデア論や普遍が、昔はその「思い込み」から抜け出して探究するものだったけど
今は、イデア論とかを否定して「思い込み」とすることが当たり前のようになってるが >>290
「常識を疑え」と言ったエク哲さんも哲学者だったんだな 科学なのか哲学なのかっていう問題は
実在論の問題、「ものが実在してるとはどういうことなのか」っていう問題
これはつまり形而上学の問題ってことなる
「形而上学とか、科学が発達した現代では問題にならない過去のもの」みたいに扱われがちだけど
現代でも実はまだ論争が続いてるみたいだな >>291
「常識」ってよりは、それを信じてる自分の見方や考え、判断の基準を疑う
その事件にあった人は「世間の常識を否定して行動的であることが正しい」とする時代の価値観を信じてその通りに行動してしまってたんだろう 『科学を語るとはどういうことか 科学者、哲学者にモノ申す』
↑
この本はかなり面白そうだな
いまだに形而上学の議論を、物理学者と科学哲学者がやってる
その辺りのことをまとめてるみたい >>208
もっと言えばイギリス経験論がなければカントもただの人 >>267
要は人造人間が人間か人間じゃないかなんて定義次第でしかないってことだ
人工授精なんかも現象として自然妊娠とは別のものだが
単に自然妊娠のプロセスとちょっとしか違わないから問題にならないだけであって
これが99%違うプロセスを経過して人体が構築されるのだとしたら
それって人と言えるのか?っていう風にみんな思うようになるよ
じゃあその線引きはどこにあるのか、どこまで違ったら人じゃないのかという明確な閾値なんてない
100%違ってもそれは人間だと思う人もいれば人工授精にすら違和感を覚える奴もいる
高IQの凍結精子求める女に嫌悪感感じたりね
何れにしろどう感じるかは人それぞれであって
社会的にどう定義されたところでそれは絶対ではなく恣意的な定義でしかないんだよな こういうのが何の役に立つかと言えば直接の訳には立たんだろうが(笑)
例えば臓器移植の為のドナーの脳死判定とかが近いかもしれない
何をもって人の死とするのか
脳死が人の死と言えるのか
これも社会的に恣意的に定義されているに過ぎないと分かるか分からないかは大きいかもしれないね
何が人間なのか或いは何が人の死なのかについて
偉い人が恣意的に決定した定義を疑えなくなっちゃうからね >>276
信仰者には2種類いるんですよ
同じように戒律を守っていても自由な人と自由じゃない人が
あと哲学なんて学んだことないしカントもしらんw あるものはある、ないものはない
コレに尽きるんだよなあ・・・ ヴィトゲンシュタインで割と死んだくない?
おかしな結論に至るのは推論が間違ってるか前提が間違ってるかのどちらか
確かにそりゃそうだだわな数学的に言えば健全性とか完全性の問題とかはあるけど 頭悪い無能がすがるお遊び
それが哲学
医学と比べれば幼稚園のカリキュラムみたいなもん
文カスガイジにはお似合い 誰でも思いつくものをただまとめただけだしな
100年前はそれで良かったんだけどw >>81
ショーペンハウアーも全く同じことを言ってるね
同意です(´・∀・`) >>298
そうなのか、てっきりカントさんをふまえてのレスかと思ったわ
己の欲望のままに行動するのは「自由」ではなく欲望に縛られているのであって
欲望を律してこそ本当の「自由」なのだ、みたいな感じだったと思う
欲望を悪魔の囁きみたいに捉えるキリスト教的道徳観からくる思想かと思ってたけど
武士道でも同様の思想があるなら、キリスト教的道徳観に限った話でもなく
西洋・東洋問わず普遍的なものなのかなと興味深かった
けどやっぱり、「自由」かと言われると…「うーん」となってしまう 実際の自然科学がやばい領域に突入したせいで
哲学の役割はなくなってしまったんだよな
「哲学(哲学学では決してない!笑)」は自然科学(物理学)の領域に移ってるとも言える
※哲学学 20世紀初頭までの過去の「哲学」についてなぞるだけでそれを哲学と勘違いしている愚かしい行為 笑
哲学とは希哲学のことで智を愛するというのが本来の意味 >>305
内向的な人間は外向的な人間より精神的な自由を重視する傾向があるのかもしれないね
いずれにせよ上で書いたようにこんなのはただの綺麗ごとよな
おそらくカントもキリスト教徒だったと思うけど
そもそもキリスト教的には全ての人間は原罪を背負っていて
自由がどうとか言っても人間は原罪から自由になれないっていうね
だからキリスト教徒的には人間は神に赦されるしかないわけで
少なくとも言えるのはカントの言う自由は原罪からの自由を意味せずつまり真の自由とか絶対の自由ではなく
少なくともキリスト教社会においてはカントの言う?自由は手放しで賞賛されるものではなかったのかもしれんね
よく知らんけど つかお前らシンクロニシティ―って知ってる?
自分は結構これを体験するんだが
今日はこれが最悪の形で起こってしまった
脳死がどうとか書かなけりゃ良かった
勿論無関係だとは分かっちゃいるけど
脳死について書いたからなんじゃないか…とどうしても考えてしまう
胃がムカムカする
最悪の気分だ そんなことより誰か「非形式論理とはなにか?🤔」について教えて欲しいんよね
なぜ論理記号などによる形式論理ではなく非形式的な論理と呼ばれるもんがあるのか?
謎なんよ😵 「哲学」ってなに語でやってるの?
まさか日本語じゃないよな?
まさかな?笑 >>313
そう思うならお前もここに英語かラテン語で書き込めよハゲ >>300
前提が間違ってたらその推論は真になるんだけど >>313
日本語が母語のものであるならば日本語に基づいて物の認識をするであろうって考えるとやっぱ哲学もその国にマッチしたモノの認識とそれからなる哲学ってのがあるかもしれんね🤔
って思ったけど日本はもののあわれがー大和魂がーで終わってるから哲学なんて無いかもしれんけども
って思ったけどやっぱ天台本覚的な思想が日本にマッチした哲学なんやろか?🤔 >>5
日本の大学の哲学科って単なる哲学史だからな >>319
東洋のインド哲学科は中国哲学文学科と統合されて東洋思想文化学科になったんだっけ
ちょっと残念だな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています