趣味が哲学なんだけど哲学役に立たなさすぎワロタ [333978782]
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合コンときにいうと「お、おう・・」みたいな空気になる
あと面接のときいうとあんましウケがよくない
就活「自己分析」哲学や自尊心をかけてはいけない
https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/20220217-00511161-toyo-column 数理論理学から分析哲学に興味もってWikipediaとか読んでみたけど
普遍論争とか何言ってるのか意味分からない
「霊長類ヒト科ヒト」という種というか類というかカテゴリがあって個々の人間はそれに属する個別の特殊例だなんて当たり前じゃないの。
そりゃ遺伝子レベルで見たら個々の人間はヒト科じゃなくて真核生物の特別な一種だし
素粒子レベルで見たら個々の人間は原子が集まった物質の一種だけど
普遍が存在しないとか言ってんのは認識論とか記号論とか数学や論理学とかじゃなくて
単に自然科学の知識がなかった時代の思い込みなんじゃないの? >>163
錬金術でもやってろ
哲学ってのは脳の言語処理ロジックのバグ
そのバグにはまらないようにバグであることを明らかにする価値はあるが
それ以上のことはなにもない
何でもかんでも○○哲学とかつけて箔つけようとしてるけど研究者が食うための学問にしかなってねえ コリングウッドによれば哲学と数学の違いは概念の排他的な区分が可能か否かだ
数学では互いに排他的な概念Aと概念Bを考えることができる
一方哲学では概念の明確な区分を志向するものの、突き詰めて考えると相反する概念同士で一方に該当することが他方にも該当する事態に直面する
この考えは理論の基礎となる二律背反な概念同士を突き詰めて考えれば実は一方に該当することが他方にも該当するため二律背反とは言えず、理論が基礎から成り立たなくなるという脱構築の概念の先駆けとも言える
さて、コリングウッドは数学と哲学の違いをこの排他性の確立の可否に求めたが、そもそも排他性を確立できるとはどういうことなのだろうか
言い換えれば、排他性を確立できる条件とは何なのだろうか
もしその条件が分かってしまえば哲学における議論を排他性が確立された概念を使って曖昧さを排除して展開できるかもしれない
しかし哲学とはもしかすると概念同士の曖昧さを発見するために議論する学問なのかもしれない、そうだとすれば排他性を確立した議論になった時点でそれは哲学ではなく数学になってしまうのだろうか
このことについて哲学モメンの見解を聞きたい 19世紀以降の近代哲学に嵌まってる奴は
自己啓発セミナーにドハマりしそう 哲学とは安倍ちゃんである
一見役にたたなさそうだが実は役にたたないのだ >>168
普遍実在論についてはキリスト教徒密接に結びついた論争なので
相手にしなくていいよ
人間という普遍が実在しないとなると、神はアダムとイブを作っただけになっちゃうでしょ
それが嫌だったのよ、当時のスコラ哲学の人たちは >>169
知らんけど進化論が無かった時代の考え方なんじゃねーの?
今の我々からしたら種とか類とかも曖昧でファジーな概念に過ぎないように思えるけど 自然科学のベースにはなったかも知れないがそれだけで現代の数学物理学理学に嚙みついて役に立つと吠えるのは竹やりでB29を堕とそうとしたジャップと何が違うのだろうか 哲学的思考は大事だと思うけど
自民維新は嫌ってそう
だから日本は衰退しているんじゃないかな プラトンはイデア論において事物を不変なイデアの射影と考えた
もしもプラトンの言う通り事物が不変なイデアの射影ならば、事物の運動はどうなっているのだろうか
イデアは不変なのでイデアが運動しないはずである
すると射影のスクリーンの運動が事物の運動の本質なのだろうか
それならば射影のスクリーンとは何で、スクリーンはどうやって運動しているのだろうか……
このようなことを延々と考えるのが伝統的な形而上学であったが、ヒュームやカントの不可知論によってナンセンスな議論として処理されるようになった
さて、ヒュームやカントの不可知論では認識できないことについて推論を巡らせるのはナンセンスということになるが、アプリオリな総合判断と認識できないことについて推論を巡らせることは何が違うのだろうか、明確に区分できなさそうだ
認識できないことについて推論を巡らせるのはナンセンス、という主張は直観的に言いたいことは分かるがナイーヴすぎるかもしれない
このことについてはラッセルが指摘した自己言及のパラドックスの方がうまく説明しているように思える
もしかして形而上学はラッセルが自己言及のパラドックスを解消するために導入したクラスの概念によって有意味な議論ができるのだろうか
例えば神は存在するか、という問いをクラスの概念を導入することで有意味に議論できるだろうか
哲学モメン、どう思う? >>170
哲学はマッチポンプのようだけど
実際に火はどこから着くのか分からない
私たちが理知的に言語を用いるのなら、必ずバグにぶつかるだろうし、その時に哲学は役に立つだろう
それはコミュニケーションが不要な1人では意味がないことも示している お互いが論理的に思考して意見が食い違うなら
お互いが信じている公理が異なるということ >>171
現実として物理だって数学で記述されるわけだしな
少なくとも人間にとっては可能な限り曖昧さを排除した思考の筋道を示そうとするならば
それは数学的な記述になるってのは直感的には自明と感じるわけで
知らんけど直感的には排他性が確立された概念を使って哲学しようなんてのは
まあ我々素人からしたら夢物語というか突飛な発想みたいに正直思えるよ 何かと聞いてんのに簡潔に答えらないのかそれとも答える気がないのかしらんけど付き合ってらんないよね >>182
まず不変なイデアというものがない
運動が先にあり、不変(と認識されるもの)は運動の特殊な状態(もしくはそういう認識)である
イデアが存在するとすれば、それは運動しているはずである
スクリーンはどうやって運動しているのだろうかという疑問は、時間の存在をかんがえないからそういう疑問が生まれている。誤謬である
アプリオリな総合判断は帰納法や演繹の繰り返しにより後天的に認識された思考の枠組みや、
脳という物質の性質や人間の遺伝子による機能であり
認識できないことではないのでパラドックスではない。 だいたい哲学好きというと〇〇はこう言った〜みたいのを延々と聞かされ嫌になる
哲学はウンチク語りじゃないだろうと >>190
エンタメとして役に立ってるでしょ
このスレだってそうだわね
つうか規制が酷すぎる
回線切り替えても基本ダメだが書ける場合があるがどういう仕組みかしらんが
書き込めない5CHは哲学以下の存在意義だわ >>128
フランス現代哲学って面白いんか?🤔
知らんけど 苦労の割に役立たずなジャンルのイメージ
ソクラテスやニーチェの思想を完コピしても金やチヤホヤにはなりやしない 俺はまあ哲学本読んでて学部編入の専門論文の試験受かったからそこだけだな
でも編入しないほうが就職は良かったはずだしトータルで為にはなってない しかも他所の国のおっさんの話だからな
面白くもなんともない ポスト構造主義なら役立つでしょ
たいてい哲学っていうとデカルト前後しか知らんやつが役に立たないとか言ってるだけ >>41
答えを他人に求めて自分で考えないからそうなる こういう趣味になると役に立つ
立たないの基準持ち出すのは何なのか
本当に好きでやってる趣味ならそんなもん気にすんな >>200
無から有は作れない
哲学も積み重ね出来てるから
何も知らないんだねとしか言えない 役に立たなそうなものほど役に立つ
カントがどれだけ人類史に貢献したか考えてみろ 現実では真空中でも素粒子が生成消滅してるってのが面白いよな
それを無から有が生まれると言っていいのかは知らんけど ほらな
結局自分で考えろと言い出す
聞くだけ無駄てこっちゃ >カントがどれだけ人類史に貢献したか考えてみろ
カントも普通に偉大だよな
ま、それもヒュームみたいな懐疑主義のお陰なんだが ばーかばーか
お前は哲学を知らないんだー
と
申されております 下らねーまさに本末転倒
煽りあいしてイライラするために哲学やってるのかよ
あえて言うけどバカだなお前ら(スマン) 哲学なんて好きに定義すりゃいい
哲学は人生における疑問を解明していくこと
>>177みたいな疑問は哲学してりゃ屁でもない 哲学は人間が無意識に理解していることをいちいち論理的に明確にするだけ
理解していることを明確にしたところで何かが生まれるわけでもなく
普段の生活で役に立つことはまずない > 普段の生活で役に立つことはまずない
それでやる意味有るのかってw 哲学程役に立つものなんてねえよw チンネキはブランダイス大学の哲学科卒業 それでチンチン連呼してるんだから哲学は何の役にもたたないよ >>218
理解することとは「それがなんであるか」を知ることであり、それがなんであるか?とは「それがなにゆえにそうであるのか?」を知ること
「なにゆえそうであるか?」とは原因のことであり
原因には4つのものがある
とかやろか?🤔 >>218
説明はできないけど理解してる
説明できるようになったとしても「理解」という言葉の使い方が変わるわけでもない
だから役に立たないんだよね 認識論とか存在について語るなら
脳と量子論やらないと話にならん
非ユークリッド幾何学と量子論は存在や認識のパラダイムをぶっ壊す力あったのに
そこを通らず古い物理モデルの枠組みで思考してる哲学はゴミすぎ
>>193
すごい面白い 物事を構成する原理や仮説を追求するモノだと
なんで言えないのさ 真面目に言うと個人的には現実を絶対肯定するためのものと上で書いた通りだが
つまり役立たずの自分をこれでいいんだと納得して肯定するためのものだな
そーう意味ではとても役に立ったが普通真人間なら役立たずを肯定しようなんて思わないわけで
その立場からすれば哲学なんて役立たずのゴミに過ぎないってのはその通りだと思う そもそも役に立つものとか役に立たないものなんてのはない
ある人にとっては役立つ道具だし
別の人にとっては役に立たないゴミ
同じものが役に立つと役に立たない面を両方併せ持ってるもんだ 哲学をやるというのは過去の哲学、哲学者を学ぶことではない
自分の人生、世界を内から捉えどのように生きていくかの指針とすべき思想を考えることを言う てか役に立つ趣味の方が少なくね?
趣味なんて好きでやるもんなんだから自己満足で全く問題ないだろ 本当に趣味が哲学なら
そんなことで悩まないと思うけど 例えばただの石ころだって
我々からすれば無価値なゴミだが
原始人にとっては投擲して得物を得る為の有益な資源だったりする
こういう感じで同じ石ころでも
役に立たないと同時に役に立つものでもあり両者が併存している
何が言いたいかと言うとこれは役に立つとか立たないかとか峻別するのもいいが
むしろ一見無価値に思えるそれを自分がどのように役立てうるかが大事なんじゃないか
哲学にも何にでも同じことが言えると思うよ 中島義道も哲学は役に立たないって書いてたけど
まあ実はそんなことないな
役に立たないって人は使い方を知らないだけ
(´・∀・`) >>20
哲学は何も傷つけないし損なわない、対してそれらは? 道徳もその本質は大事だけど、道徳ってものはTPOで形が変わるし盲目的に見るものじゃない 良くできたAIと人間の脳は同一である。
では良くできたロボットにAIを組合せらば、人間と言えるのか?
いや我々がロボットではないと言い切れるか?
これに答えを求めるのが哲学 道徳だってカントかなんか知らんけど
ちゃんと自発的な良心の発露としての道徳と
ルールとして強制される道徳とをきちんと区別しなければならないと思う
我々がより重視しなければならないのは前者であって後者ではないのではないか
何故なら前者には自発的である故の自由があり
後者はえてして人間を束縛するものなのだから 合コンで他人を楽しませたかったら簡単な思考実験なんか向いてるだろ
哲学っても範囲が広いからなア(´・∀・`) しかし哲学科行かないと大学で哲学の教職得るのはほぼ不可能なんじゃないの?
その意味では哲学科には実践的な意味があると言えるだろ
とまあこれが哲学的思考ってヤツよ、多分(´・∀・`) >>238
仮に科学の力で培養槽かなんかで物理的に人間と何一つ変わらない存在を作り上げたとして
存在としてはそれは人間であるが
現象としてはそれは人間ではないとおもう
男女が1発中田氏キメて生じた結果と科学者が培養して生じさせた結果が同じでも
それは過程を異にするそれぞれ別の現象だと思うから >>244
下らねーバカみたいな話を真剣に楽しむのが哲学だよな そもそも哲学が無いやつには「役に立つ」ってのがどういうことか分からんだろ 雨にも負けず風にも負けず
何の役にも立たずしかしチンポは立つ
そういう人間に私はなりたい >>239
自殺的な自由のためなら殺人はしてよいってこと?
そういう自由を尊重してたら社会がなりたたないから法(ルール)があるわけだし
そのような法の利害を受け入れ国家に委託することが社会契約論であり、国家が成立し存続できる理由なわけだけど?
前者だけならアナキズムになるだけなので、さっさと出ていけよバーカということになるんだけど
そこまで考えてのレス? >>249
そもそも殺人する能力を我々は天から賦与されているわけだが
おっしゃる通りそれだけではヒャッハーな世界になって安定しない
だから社会契約は大事だと思うし正しいあり方だと思うが
だからと言ってそれは天から与えられた殺人する能力の否定にはならないと思うわ
仮にとんでもないクズがいた場合とか
時と場合によって殺人が必要になる場合があることは否定できない >>243
いまだとそれだけでは足りない、というかそれがどうでも良くなるくらい、留学のほうが大切。西豚さんも留学してないからあんな職歴になったんだろう それでも殺さないからこそそれは自発的な道徳であり自由な選択と言えるんだよな >>251
だからちゃんと正当防衛も用意されている
ところで、相手がとんでもないクズならば殺してよいのだろうか
仮に相手が自分を殺そうとしてきたとして
なぜ自分は相手を殺して良いのだろうか?
自分が生きていることは、倫理に先立つの?
死にたくない、という感情論以外に説明できるの?
逆に、相手にとってあなたがクズと認識されていて、相手が殺人の自由を行使して
あなたが殺されるとしたら、あなたはそれを肯定するの? >>254
外的な問題による自由の阻害もあるが
内的な自由の問題と言うのもあると思う
つまり価値観や感情からの自由だが
価値観や感情に安易に流されることなく自分は正しい選択を出来るかにおいて
正しさってのが大事になってくるが
そもそも殺人と言うのは存在の否定であって
とんでもないクズだとしてもそいつはいわば神の意志によって存在するわけだから
神(運命)の前に謙虚でありたいという自分からすれば
>>253のように考えるな >>254
下二行については運命としては受け入れるよ
ただし人事を尽くして天命を待つというように
だからと言って全く無抵抗とか無気力で生きるという事ではなく
人事は尽くすだろうな 日本の武士なんかもそうだね
刀を磨きに磨きぬいておいてでも鞘から抜かないのが武士の道徳なんよな
ただ単に刀抜いちゃダメってのはただの不自由だが
敢えて抜かない所にただのヒャッハーの自由から一段上の自由がある まあこんなのは下らない奇麗事だけどな
むしろどうしてもきれいに生きられない大小さまざまな罪を犯してしまう
ダメな自分について考えたほうがより実践的だと思うぜ
ハイデガー哲学は天才。存在と時間
「何故、存在が在って無でないのか」という問いの立て方がユニーク
それから無の類型についてあれこれ精緻化して分析してる
東洋人の方が無常的なのに何も気づかないで生きてきたのだと気づかされる >>174-176
thx
なるほどキリスト教か
オントロジーやメレオロジーの勉強するのにキリスト教史までやりたくないなあ
もはや新たな理論や研究テーマを何も生み出さない、枯れた泉ってイメージがあるし>中世の神学論争 世間的に受けそうな哲学を話せよ
トロッコ問題とかそういうの >>245
議論する前に言葉の定義しろよ
男と女がやってできるのを人間と定義するなら人工受精で生まれたやつすら人間じゃないし
こんにちはに対してこんにちはって返すのを人間と定義するなら人工無能だって人間だろ
それを人間とは何かだの真の人間とはだの人間のイデアだのクオリアだの
誰も彼もぼくの考えたさいきょうの人間の定義を振り回して悦に入るか
偉い先生はこう言ってました俺物知りでしょって悦に入ってるのが哲学者(笑)
本当何の役にもたたねえ 科学による知見を「事実」と解釈する見方からすれば普遍論争とかイデア論とかはデタラメの妄想か未熟な時代のものとしかならない ヤってる稼業に良心の呵責を感じることがあれば哲学なんていらねえよ、無駄だ、の陣営につくことになる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています